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第二章-53『残された者、進んだ者』

 しばらく経った。


「む……グ…………」


 意識が明瞭としてくる──されどここは闇の中。ここに来るまでの出来事を辿ってみたが、ろくなものがない。踏み台にされ、足蹴にされ、弾除けにされて墜ちてきた。


 彼の名はルキオ。ドッチオーネ空賊団の下っ端構成員にして──


「うッ──あぁ、あ゛あああぁぁぁーーーーーーーーーッ!!?」


 目の前に首だけ転がっている男の舎弟だ。


 ルキオは『組織の今後のため』とパオロに連れられて、『創造の使徒』と大空にて激突し、ほとんど戦うことなく脱落した。そうして気を失っている間に何が起こったか、見回してみれば辺り一面血の海、腑分け場の人間が裸足で逃げ出すような、スプラッターな肉塊が転がる地に成り果てていた。


「ああ、ァあッ!! なんで、なんでこんなことォ──ッ!?」


 恐慌状態で後ずさると、背中に細い何かがぶつかった。


「『なんで』? そう言ったのか、今……」


「ヒィッ!?」


「貴様等の所業、全く以て万死に値すると思うのだが」


 音もなく後ろに立っていたのは、この惨状──死屍累々地獄絵図の下手人の女性、リオナ。


「お、お前かああ! お前がやったのか!!」


「そうだ」


「皆、殺したのかああ!!」


「殺した。残っているのはお前一人」


 一歩、もう一歩と迫る、全身に血化粧をした少女に心底まで震え上がったルキオは、窮した鼠が如く応戦することを選択した。


 水の弾丸を放つ。最低限の動きで躱される。長らくメンテナンスもしていない銃を抜く。一発撃っただけで嫌な音と共に爆散する。その辺の枝や土塊を投げてみる。耳をつんざく音が鳴って投擲物はズタズタにされる。


 結局の所、無駄に終わったワケだ。


「ハァーッ、ハァー…………ッ!! 来るな! こっちに寄るんじゃねええええ!!」


「……そうだな。最早、十二分に血を吸ったな」


「だ、だ、だ、だろォお!? だからな、見逃してくれよ! 俺は倉庫襲った時もちょっと金目の物パクっただけで人は殺してねえし! な! ここで手打ちに──」


 命乞いを遮るように、大槍の石突が地面を穿ち鳴らす。


「……今更、錆となる血が一人分増えようが、増えまいが……大差はあるまいな」


 この物言いが、ルキオの乱れた精神に止めを刺した。


「あ……ヒ…………」


 ジョボジョボと小便を垂れ流しながら、ルキオの意識は再び墜ちていくのだった。


 そんな醜態を俯瞰して、ただ漫然と眺めていたリオナだったが、いつしか得物を取り落してその場にへたり込むように膝を折る。


「……こんな愚物の集まりに…………馬鹿なッ」


 リオナの胸中に去来していたのは達成感ではなく、虚無感だ。


 かくして、リオナは騎士たる身内の代行者として戦列に加わり、暴虐の限りを尽くした空賊たちに対し然るべき報いを与え、命を以て償わせることができた。しかし結局の所、究極してしまえば『やられたからやった』以上のことは何もない。


 街の住民たちは苦しみ、トラヴのハルピュイヤたちは死んだのである。


「……それでも、僕は止まれないんだな」


 俯き体は止まっていても、否応なしに続き行く戦いと共に、その魂は前に進み続ける。


 止まってなどいられないのだ。


「ああ……つらいな──」


 パキリ、と。小枝を踏み折る音がした。


 ──ッ、討ち漏らし!?


 すぐさま立ち上がって戦闘態勢を取る。この血なまぐさい暗闇の中、こちらに寄ってくるものなど、まともな人間でないことだけは確かだ。敵か、そうでなければ──


「ヒィ、ヒィ……やーーーーっとこさ見つけたぞ」


「お前、ジェラルド!」


 血塗れの同類かだ。


「ジェラルド、貴様が来たということは……」


「ああ、全部終わったよ。ただこちらは一人も生け捕りにできなかったが……リオナの首尾は──」


「ん゛んッ」


 戦果を問うたジェラルドが少女をリオナと呼んだ瞬間、とてもわざとらしい咳払いで待ったをかけた。


「……もういいだろう。やることはやったのだから。それにここには僕たち以外、誰もいないんだ」


「なんだよォ。いーじゃないか、せっかく久々に可愛くなったんだから、もう少しくらい」


「みっともない女装をしているというのに、褒められたって微塵も嬉しくないね」


「何が"女装"だ。逆だろ逆」


「ええい、くどいぞ! これ以上、僕を女として扱うのは許さない!」


 穢れた血の色とはまた違う赤で顔を染めたリオナに凄まれ、ジェラルドは諦念を込めて肩を竦める。今回は、いや今回も我が子に軍配が上がったというワケだ。


「ハァ……で、そちらの首尾はどうなのだ。"レオ"」


 今日までキヨシたちに与するリオナ・キャスティロッティに扮していたのは、その弟と吹いていたレオ・キャスティロッティその人だった。さらに言えば、リオナと初めて対面した─この期に及んでこの言い方は妙だが─カルロッタが、『その豊満なバストは詰め物ではないのか』という旨の言い回しで女装を疑っていたがなんのことはない、そもそもレオは女性だったのである。


 レオはこのように、騎士という立場上介入できない事柄にリオナとして介入し、陰ながら戦っている。無論、これが初めてでもない。


 もっとも、当の本人は女性として扱われるのを好ましく思っていないし、できれば『リオナになる』のは避けたいとも思っている。ジェラルドが今回の件にリオナを介入させるという決断をした際、キヨシにリオナの悪評を聞かせようとしたのは、そういった思惑からだった。


 閑話休題。


「見ての通りだ。空でかち合った者共は全員仕留め、一応一人だけ……ホラ」


「おぉーッ、さすがだな。やっぱ俺とは違うんだよな」


「何が」


「俺のように激情に駆られることなく、キッチリと務めを果たしているんだから──ン」


 ジェラルドの労い、そして称賛をレオは手を上げて制した。


「激情に囚われないことが良きことの証だというのなら、僕にはできなかった。()()は、彼──キヨシ・イットのお溢れに預かったに過ぎないんだ」


「そうか? いーじゃないか。なんであれ、結果的には」


「それは、分かっているが……」


「……レオ」


「な──」


 ジェラルドは懐からハンカチを取り出し、レオの顔についた返り血を拭う。


「その彼……キヨシ・イットが言っていただろう? その怒りこそ正常、その志を大事にしろ──ってな」


「あの青年、ジェラルドは信頼できると?」


「色々と危険な男かもしれないが……善き人であることだけは、間違いない。俺も、彼の言う通りだと思うしな。お前はよくやってるよ」


「……むぅ」


 照れ臭さを隠し切れず口を尖らせて、レオはジェラルドのされるがままになった。


 騎士は心を殺して任務に当たるが、レオやジェラルドが感じ、焦がれていた怒りは人としてごくごく当たり前のもの。もしもレオの自己評論が真実だったとして、それでも真人間であればレオを責め立てるようなことはしないだろう。


 キヨシも一度はその辺りを見誤り、過ちを犯したりもしたが、最後には人の心を考えることを覚えた。ジェラルドはキヨシを危険と称しつつも、一定の評価をしていたのだ。


「ところでジェラルド」


「なんだ」


「いつまでやっているつもりだ」


「いつまでもやっていたいねブッ」


「……クソ親父」


 返り血を拭うついでに我が子の柔らかな頬をわしゃわしゃと弄んでいたジェラルドだったが、やはりというかなんというか、レオからすれば不服の極みだったようで、情け容赦なく腹を小突かれた。


「うぇッほゲッホ! ハハ、ハ……元気出たか」


「ああ、お陰様で」


「よし、じゃあ行って来い。どうせこれで終わるつもりはないんだろう?」


「……もちろんだ。が、その前に」


 レオは足元で白目を剥いて倒れ伏すルキオを爪先で叩きながら、


「まあ、結果的にであれ何であれ。こうして構成員を捕縛することには成功したワケだが……コイツ、どうするつもりなんだ?」


「聞きたいことは山とある。この街で展開していた事業の仔細を始め、採掘基地の数や産出量といったところ……まあその辺は枝葉だが」


「では、根幹はなんなんだ?」


 リオナの追求に対しジェラルドは、顎を弄りながら少し考え込むように俯き、このように答えた。


「我々に情報を流し、仲間に弓引くような真似をする者が、空賊団内にいるのかどうか──だな」


──────


「お、親分ッ!!」


 一方その頃。ロンペレが逗留している西の採掘基地は大騒ぎになって──いなかった。


「……なんだ、オイ。随分と騒がしくなったと思ったら、急に静かになったじゃねえか」


「そ、そうなんだ! なんかさっきからここ、変なんだよ! おまけに上への道が全部塞がっちまって……」


 断たれた角の断面を指で撫で回しながら、ロンペレが評した通り。


 騒ぎになどなるはずがない。何せ騒ぐ者がいないのだ。この異常に気付く気付かない以前に、誰もいない。しかも上への連絡路は完全に封鎖され、残された人員も脱出不可能となってしまっていた。


「……全部塞がっているのか?」


「ああ、全部だ!」


「ソルベリウムでか?」


「い、いや。それは……ただ土が崩落しただけに見えなくもないけど……」


「ふゥん……ナルホドね」


「な、なあ……アイツらかな」


「何を当たり前のことを言ってるんだ。決まってるだろ」


 報告に来た下僕のガーゴイルも、事ここに至れば流石に気付く。何が起こっているのか、どうやっているのかまでは分からなくとも、誰がこのような真似をしているのかはおよそ見当はつくだろう。


 キヨシたちが来たことを悟ったロンペレは目を見開き、くちばしの端を思い切り上げて喜びに打ち震えているようだった。下僕はその様子に大いなる畏れを感じつつ、


「そ、そうと分かればよォ。すぐに行かなくっちゃな!」


「は? 何処に?」


「ど、何処って……上だよ、上!」


 『何言ってんだお前』とでも言いたげな風に顔をしかめるロンペレに、戸惑いつつも提言する。


「まずは塞がっちまった道の開通だ! ひょっとしたら上からもこっちに合流しようとしてる奴がいるかもしれねえし。そしたら皆でここを虱潰しに……」


「ハァ……スットロいこと言ってんなァ、お前」


「なッ……」


 しかし欠伸をかきながら下僕の話を聞いていたロンペレは、その提言を酷く粗野に一蹴した。


「す、スットロい? だから早く動いて、道の開通を──」


「それがスットロいっつってんだよ。そんなんだから、俺たちはアイツに出し抜かれちまったんだ」


「は?」


「トロ臭い上に発想のスケールもその程度じゃあな。そんな猶予があると思うのか?」


 天井から、パラパラと土の粒が落ちる。


「恐らく──もう来ているッ!!」


 突如、真上の天井が砕けて土の塊がロンペレたちに襲いかかった。下っ端が為す術なく潰される一方、ロンペレはそれら全てを魔法も使わずに徒手空拳だけで打ち砕き対処してみせたが、


「カァッッッ!!」


 それが終わるのを待たず、四肢に白き炎を宿したキヨシが天井に空いた穴から飛び出し、蹴り足を見舞う。それすらも足先を片手で引っ掴んで無力化するも、もう片方の足で顔面を蹴り飛ばされてさしものロンペレも手を離した。


「まだだァッ!!」


 キヨシが着地するのと同時に辺りが爆煙に包まれ、ロンペレを吹き飛ばす。吹き飛んだ先には、先程までそこに無かった土の壁が形成されており、ロンペレはまともに叩き付けられる。さらに足元がボコッと音を立てて盛り上がり、土気色の細い腕が伸びてロンペレの足を掴んだ。


 カルロッタもすでに、配置についていたのだ。


「……嬢ちゃん。そんな事しなくったって、俺は逃げねえよ」


「ッ!?」


 しかし未だロンペレ、笑みを絶やさず。


 消えゆく爆炎の中から猛然と迫るキヨシを前に、ロンペレは悠然と、無形の位で迎え撃つ。


「ウシャアアァアアァアァァァアーーーーーーーーッ!!」


「フン。存外、よく考えてるな」


 キヨシが狂乱したが如く放つ拳のラッシュは、全てロンペレの右手にあしらわれ防がれてしまっていた。ドレイクに付与された炎は熱かろうに、まるで動じないし身悶え一つ起こさない。これが闘争の化身か。


 しかしそれすらも、キヨシの計算通り。この程度で()れるなどとは思っていない。


「今だッ!!」


「おぉ!?」


 返しで弾き飛ばされたキヨシは、即座に再び爆炎を展開し、ロンペレの視界を奪う。


 その中を突っ走る小さな影。ドレイクの炎が平気な体を持っているのは、何もロンペレだけではない。


「とぁーーーーッ!!」


 ドレイクの契約者、ティナの体を拝借しているセカイが、『騎士団長の手管』を乗せてロンペレを叩こうと迫る。


 ──よしッ!!


 ロンペレがそれを防ごうとすれば、それでチェックメイト。体の自由が奪われ、その辺の子供でも捉えることが可能になる。が──


「ああ、知ってるぜ。下僕から聞いたよ」


 この台詞で全てが破綻したことに気付いた時には、手遅れだった。


 六日前、パオロたちと街でかち合った際。セカイがリオナに対しそれらしい動きを見せていたのを、パオロはしっかりとロンペレに伝えていたのだ。


「ふんッ!!」


「アレ──がはッ!!?」


 ロンペレはセカイに触らずに屈んで避けると同時に、なんと自分の足を引っ掴んでいるカルロッタを力任せに引き抜いてそのまま前宙し、カルロッタでセカイを吹き飛ばしたのだ。


「ッ! セカイ、ロッタさん!!」


 壁に叩きつけられて転がるセカイとカルロッタを猛追するロンペレの前に、キヨシはソルベリウムを地面伝いで形成し妨害。


「……よォ、待ってたぜ」


 ロンペレは素直に追撃を止め、キヨシの方に向き直ってにこやかに歓迎の意を示す。


 ──ここまで段取り踏んでもダメなのかよッ!!


 一方、キヨシは歯噛みしてロンペレを睨みつけていた。キヨシたちの奇襲は失敗に終わり、ここからは三対一とはいえ、まともに戦わねばならないのだ。


「結構イイ感じだった。次も頑張れよッ」


「やかましいッ!!」


 『創造の使徒』対ロンペレ、開幕である。

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