第一章-6『分かりみが深い』
あたりにジメジメとした、しかしそれでいて澄んだ不思議な空気が戻る。
突然の出来事に仰天し、固まっていたキヨシが我に返り辺りを見回すと、キヨシ以上に仰天し、絶叫する寸前といった顔のティナを大きく見上げる形となっていた。なんだと思い自分の状態を確認してみると──
「……アレ、これ地面か?」
キヨシの顔のすぐ下に地面があった。
つまり、今のキヨシの状態を簡単に言えば、丁度落とし穴に落ちたような感じでティナの足元に『植わっている』といったところ。確かにパッと見では生首が転がっているようにも見えるだろう。そうしてティナの脳内は赤黒い想像で満たされたのだ。落ち着いて見れば、なんとも間抜けな図なワケだが。
そのあまりにシュール過ぎる絵面にカンテラから甲高い笑い声がキンキンと鳴り、笑い声で大事ないことに気付いたのだろうティナは失敬な態度をとるドレイクを声で制し、
「い、今助けま──」
「待て、気をつけろ! 地面の下に何かいるッ!!」
「え、えぇ?」
「イーッヒッヒッハハハホホケケケケ!! お、お前最高! マジ笑えるぜェェェェーーーーーーッ」
地面から生えたキヨシの必死の警告に困惑するティナと抱腹絶倒のドレイクだったが、当然キヨシはそれどころではない。キヨシは確かに自分が謎の手で引きずり込まれるのを見て、体験したのだ。
──おおよそ、間違いないだろうな。
キヨシの中には既に、このような出来事を『魔法の類』に分類する思考回路ができあがっていた。
「ん? その笑い声、ひょっとしてドレイク? ってことはティナもいんの?」
状況判断をするキヨシの思考を遮るように声が響くと同時に、キヨシの真後ろの地面が湿った音と共に小さく盛り上がる。キヨシたちが驚く間もなく、盛り上がった地面からバックパックを背負った金髪碧眼の女性が豪快に飛び出した。
「……あ! アンタ、さっきの!」
「お、おう。さっきぶり?」
その女性は、間違いなく街でキヨシが結果的に助けた女性。思っていたよりもずっと早い再会となったその女性を見たティナは、ぱあっと顔を輝かせて、
「──カ、カルロ!」
「──!!」
自身のよく知るその女性の名を口にした。
「やっぱりティナじゃん! 追ってきたの!?」
「もう! 心配したんだから!」
ティナは地上に出た長身の女性の胸に飛び込み、ひしと抱き着いた。これまでのおどおどとした立ち振る舞いからは想像できない程に、年相応な元気いっぱいの反応だ。
そうして妹を抱き返すカルロッタの肘から先は、土色のもやのようなもので覆われており、白い地肌とは逆に肘から先を褐色にしている。キヨシを地面に引きずり込んだ謎の手もカルロッタのもので、土色のもやはチャクラが視覚化されて云々、的なアレだろう。
「あー……こういう可能性も無くはないと思ったけど。で、そのティナと一緒についてきたアンタは? どーいう因果でこうなってんの?」
「話すからとりあえずここから出してくれ。この服は結構高い」
「先にアンタの身の程を明かしな」
人差し指でキヨシの額をぐりぐりとつつき、丸っきり怪しい者を見るような目で睨みつけるという礼節を欠いた行動をとるカルロッタを、ティナはオロオロとした様子で窺っている。
しかし、キヨシは冷静なままだった。
「いきなりこういう手段に出るってことは、やっぱり誰かに追われてるんだな? さっきの化けモンのような、考古学者狩り的なヤツか?」
「ッ──!」
キヨシが不意打ち気味に浴びせた問いはどうやら図星だったらしく、カルロッタは明らかな動揺を見せた。追い打ちをかけるが如くカルロッタに視線を合わせてやると観念した様子で、
「フ、フン! まあそんなとこよ。なんでアタシの事情に詳しいのかは計り知れないけどね」
「ティナちゃんから大筋の話は聞いてるよ。ティナちゃん。念のため確認するけど、彼女が姉さん?」
「はい。えっと、こちらがカルロッタです」
ティナが言うのだから間違いないだろう。キヨシが思ったよりもずっと早く、ティナの目的は半分達せられていた。あとはカルロッタが素直に家に戻ってさえくれれば、晴れてミッションコンプリートというわけだ。
「ティナ、もっかい聞くけど。この人殺しみたいな目つきのコイツは?」
「カルロったら……失礼じゃない。私からもお願いするから先に出してあげて。悪い人じゃないから」
「あっそう……」
カルロッタは手袋をはめ直し、渋々ながらティナの要望を聞き入れキヨシを解放した。そうしてキヨシは約束通り、自分の身の程とこれまでの経緯を─先と同じように嘘をまじえて─話し始めた。
余談だが、『人殺しみたいな目つき』に関しては特段否定しなかった。
──────
「ほーん、なるほどね? 妹とドレイクに感謝しなさいよ、アンタ。経緯は分かったわ。なんでティナについてくるのかって説明にはなってないけど」
「怪我の手当もしてもらったし、命の恩人でもあるし。友人に似てるってのもあるけど……」
「ええー、友達と似てるからって……なんか気持ち悪」
「悪かったな! いーだろ別に俺の動機は!」
「あ、あはは……」
話を聞いたカルロッタから飛んできたのは、容赦のない罵倒。正直な話、悪態をつきながらもキヨシの内心は『返す言葉もねえ』といった負い目の感情で埋め尽くされていた。そりゃあ傍から見たら不審者丸出しな上、動機がこれでは仕方がない。
「そ、それよりもだな! かくしてティナちゃんは一つの目的を達したワケだが、その後はどうするよ? 不逞の輩に追われているなら、然るべきところに保護を依頼するのがいいんじゃないかと思うが」
堪らなくなったキヨシは無理矢理に話題転換し、さらにティナがその辺りの話を切り出しやすいきっかけを作るという一石二鳥のファインプレーを狙う。
「そ、そうですね! カルロ、えっとね? さっき父さんに会ってね──」
「私は戻らない」
「ッ……──」
が、ファインプレーの甲斐なくカルロッタはごくあっさりと、しかし毅然と、ティナの二言目を先回りして突っぱねる。
「手紙にも書いたはずよ。私は私の道を歩みたいの」
「カルロの夢は分かるけれど……」
「悪いとは思う。でも、過去を知りたいっていう当然の欲求も、この国じゃ抑圧される──父親にすらね。あのクソ親父め」
「そ、そんな言い方しちゃダメだよ! 子供がお父さんに向かって!」
「ティナだって知ってるでしょ!? この世界の『五百年以前』! それを解き明かすのが、アタシのガキの頃からの夢なの。それをアイツ、『そんなくだらないことを夢想してる暇があったら、礼儀作法の一つも学ぶがいい』だと? ザケやがってッ!! アイツ、アタシの実の──」
「カルロッ!!」
カルロッタが矢継ぎ早と紡いだ言葉。その先を紡ぐことをティナが許さず、明確な怒りで遮った。
「……ゴメン。アンタに怒鳴ったってしょうがないよな……けど、本当に悪いんだけどこの通り。今アタシ追われてて、説得されている時間も惜しいから」
カルロッタはこれまでの態度を翻して謝罪するが、決意まで翻りはしなかったようだ。
カルロッタの粗暴な物言いに眉をひそめつつ、外野で冷静なまま様子を窺っていたキヨシは内心で一つの納得を得ていた。
──ティナちゃんが親父さんに何も言わなかったのは、こういうワケか……しかも、今に始まったこっちゃなさそうだ。
傍で話を聞く限り、フィデリオとカルロッタの親子としての仲は、少なくとも今現在は険悪なようだ。フィデリオからしてみれば、娘が国に仇なすような所業を夢として見ているのだから、止めるのもやむなしだろう。が、もしもカルロッタが言ったことが事実であれば、あまりにも不器用だ。先の屯所におけるティナとのやり取りから受ける印象に違わぬ厳格さが、これでもかという程表れた物言い。カルロッタが意固地になって、反発するのも仕方がない。そして、『ガキの頃からの』という言い回しから、この手の仲違いは初めてではないことも、容易に推測できる。ティナがフィデリオに何も言わなかったのは、これ以上二人の関係が悪化しないように──そういう意図からだったのだ。
フィデリオの親心も分かる。その一方で、カルロッタの反骨精神はティナにとって、そして部外者のキヨシにとってもよく分かる話だった。キヨシとて、親に反発してイラストレーターを目指し始めたのだから。
固い意志の前に早くも行き詰り、展開に窮したティナだったが、今度はキヨシに目配せしようとしたりはしなかった。が、俯き両手をきゅっと握って震える様子からは、明らかに無理や我慢をしているのが見て取れる。『昨日の今日』ならぬ『さっきの今』で、キヨシに頼り続けることに抵抗があるのだろう。家族の問題、というのも多分にあるだろうが。
だが、何かしらの手は打たなければならない。当然の話ながら、このままでは和解への道は永久に閉ざされるのだ。
──なら、やっぱり俺が。
そして、キヨシはカルロッタが戻らざるを得なくなる方法を──思い付いて『しまった』。
「あー……カルロッタさん?」
「何よ」
「非常に言いづらいんだけど……おたくが帰らない限りは付きまとうことになるだろうぜ。『ティナちゃんがアンタに』っていうのもそうだけど、『俺がティナちゃんに』って意味合いでも」
「は?」
凄まじい威圧感がこもった反応に少したじろぐが、怯まず続ける。
「俺はセカイっていう友人を探してる。で、ティナちゃんは顔がそのまんまなわけ。そんでもってティナちゃんはおたくを探してて、その目的は半分達成された」
「それは聞いた。で?」
「えーと、つまりアレだ……」
「アンタ、今考えてるだろ」
「そ、そんなことはない。で、だ……ティナちゃんが目的を十割達成するには、おたくが家に戻る必要がある。そうしたら正直『顔が似てる』で付きまとい続けるのは、不審者とかそういうの通り越してるだろ? そうしたら俺も消えるしかない。公的機関のお世話になんか、もう二度となりたくないしな」
「あ、あの。キヨシさん?」
──無理あるよな、これ。でもこれ以上は思いつかん! これで納得してくれ!
今考えている、というのは図星だ。しかしそれ以上に言葉に詰まったのは、自分の言っていることの滅茶苦茶さを、気が咎めているのが顔に出るくらい自覚していたからだ。だが、決して交わらない二人をまとめるには最早、外野のキヨシが共通の敵役を買って出るしかないのだ。話として筋は通っているが、自分の妹を取り引きの材料にされているカルロッタの心中を考えると、キヨシは胃の中のものを戻しそうな気分になる。
「……なるほど。急ごしらえで捻り出した言い訳にしちゃ上出来ね。私も、ティナとアンタが一緒にいるのは気分悪いわ」
──分かりみが深い。
しかし、その一方でカルロッタはこの滅茶苦茶な話に一定の理解を示す。
カルロッタの台詞の『気分が悪い』という部分に肩を落とすキヨシだったが、そんなものはどうでもいい。キヨシが相手の立場でも気持ち悪いと思うからだ。
ティナもこの展開は予想外だったが、過程はどうあれ事態の好転は心底から喜ばしいものだったことが、表情から窺える。
──やり方はどうあれ、役に立てて良かった。
キヨシはゲロの代わりに、心から安堵の溜息を吐いた。
「じゃあそうと決まればとっとと戻……」
「あ、もっといい方法がある」
「え、何──」
瞬間、キヨシの視界が白黒と乱れた。しかし意識を失うことも許されず、鼻を抜ける激しい痛みと鉄臭さ、さらに背中に受けた衝撃が肺を押し潰す感覚によって現実に引き戻される。
自分が殴り飛ばされ、背後の樹木に叩き付けられたのに気付いたのは、視界が正常な色を取り戻してからだった。
「アンタを再起不能にして、ティナは家に帰す。うん、これが私の理想に近いわね。さっきは助けてもらったのに悪いけど……そーいう『脅し』にはそれなりの姿勢で臨むわよ。『戻らねば付きまとい続ける』なんざ、絶対許さない」
「……マジィ?」
土で形成された拳から返り血を滴らせ、カルロッタはキヨシに対し敵意を剥き出しにしていた。
「あーあー、どうするよティナ……ティナ?」
そして──キヨシが殴られたその瞬間、ティナの様子が変わったことに気付いたのは、今このひと時においてはドレイクのみだった。