第二章-45『影響』
「使徒様は何だかこう……顔を合わせる度に怪我をしている気がしますねぇ」
「否定はしないな。けど普通、空飛べる種族にブン殴られたら頭と胴体繋がってないと思うのよ。やっぱアレッタさんは優しいんだろうと思うな」
一悶着の後地上に戻ったキヨシは、ヴァイオレットに顔の傷を診てもらいながら、顔面の傷に対する所感を述べる。殴られること自体は粛々と受け入れたが、こう考えるとアレッタ生来の優しさと運の良さに救われた感は否めない。今この場にアレッタはいないが、感謝の念を禁じえないといったところだ。
「ハッハッハ、派手にやられましたな使徒どオっフウッ!!」
「いや親父さんを槍でおたくは!!」
キヨシの顔面の傷をからかったジェラルドの脇腹をリオナが小突いて制裁し、キヨシの度肝を抜いた。
「それよりも、です。今一度方針の確認をしたいのですが」
「あ、ああ。そういうこと」
震えてうずくまるジェラルドを他所に、すでに明日まで迫った話──日限当日の計画について、キヨシに尋ねてくるリオナに対し、若干調子を崩されながらも話し始める。
「まず先に聞きたいのは、今日の斥候の成果だ。どんな具合だった?」
「どうもこうも、いつもと変わりなく。地上に複数と、採掘基地の入口付近に無数の構成員を固めて警邏している模様です」
「よし……まず出立だが、今日の夜中には出ちまおうと思ってる」
「おっと、いきなり予想外ですが」
「別に日限ピッタリに出なきゃいけない決まりはないし、約束もしてないしな。もっとも、約束したところで破っただろうけど。律儀に決闘を演じてやる必要もない……あくまで目的は、連中の排除だ」
ロンペレが所望しているのは、『血沸き肉躍る闘争』。しかしキヨシとしてはそんなものどうでもいいし、そういう思想に対してはかなり冷め切ってしまっていた。付き合っていられないし、そもそも言われた通りにしてやる義理もないのだ。
「つまりこういうことですね? 夜闇に紛れて採掘基地に強襲をかけ、一気に元凶たるロンペレを討ち取り、採掘基地を潰してしまおうと」
「ああ。採掘基地が一つ潰れたとなると公的機関──つまりヴィンツ国教騎士団、そして国も嫌々動かざるを得なくなるよな? そうしたら空賊連中も勝ち目はあるまい。頭目がいなくなった上に追い打ちも掛けられてしまえば、流石に再起不能だろ。そして俺たちはやることやったらトンズラこかせてもらうぜ。ジェラルドさんたちも、この件に関わったとなるとお上から叱られるだろうから、とっとと出たほうがいいんじゃないか? 一日早く俺たちが出るってことは、ここが襲われる心配もないんだし」
「なるほど。しかし、随分と思い切りましたね」
「まあね。連中の裏をかきたいってのが一つと……あとはまあ、気持ちが切れない内にやりたいのもある」
アレッタ、トラヴ運輸の皆々様、そしてキヨシしたちの気持ちは、当初それぞれが違う方向を向いてすれ違い、向き直れば衝突しての繰り返しだった。それがついに一つに束ねられ、キヨシに託された。そしてオリヴィーの未来──それらを背負って戦うことになった。
いや、『戦えることになった』とでも言うべきか。
気が逸っているワケではない。ただ報いたいだけだ。
「して、その方針。すでに他の仲間たちには伝えているのですか?」
「ああ、とりあえず一緒に搭乗してたティナちゃんとカルロッタさん、あとついでにドレイクには伝えてある。ただ……」
「ただ?」
伝えるべきか否か。少し迷ったが伝えないことが命取りになるかもしれないと思ったキヨシは、少々控え目に、
「なんか、ティナちゃんの様子がな……」
──────
「なあティナ、ティナってばよォ。なんだよ、地上に戻るなり小さくまとまっちまって」
「……────」
その頃。地上に降りて以降、ティナは飛行機の後部座席で一人、物思いに耽っていた。カルロッタは降りていった。キヨシも降りて、ティナに向かって『降りないのか』と声をかけてきたが、『疲れたから休む』とここに残った。
「……────」
嘘だ。むしろ体の調子だけはいいくらいなのだ。それもどこか異様なまでに体が軽く、今なら本当になんでもできそうと思うくらいには。
しかし軽い体とは裏腹に、気分はまるで見えない何かに押し付けられているかのように重かった。
「ティナ、なあティナぁー」
「ごめんね、聞こえてるよ……あのね、ドレイク──」
「さっきのことか?」
「──!」
「言われなくったって分かってら。お前さっきなんか変だったな」
そんなティナの様子のおかしさを、ドレイクはキヨシ以上に感じ取り、理解していた。例えばキヨシとセカイがお互いの考えていることがお見通しなように、ティナとドレイクもそうなのだ。それがどうにも嬉しくて、ティナは少しだけ気が楽になり微笑んだ。
「……やっぱり、そうだよね」
「聞かせろよ。あの時、どういう感じだったんだ?」
ティナやドレイクが共に言う"さっき"、"あの時"というのは、先程のアレッタとキヨシの一悶着の最中、アレッタがキヨシを殴り倒したときのこと。それだけでもかなりのショックだったが、重要なのはその後だ。
「キヨシさんが殴られてるのを見て、なんだかすごく腹が立って、悲しくって……それと一緒に体の力がすーっと抜けていってね。セカイさんが表に出てくるときと少し似てるんだけど……でもちゃんと意識はあって……」
続け様に殴られてズタボロになっていくキヨシを見たその時、ティナは自分の内側からドス黒い感情が這い出てきて、自分の全てを支配されているような感覚を味わった。直後、ジェラルドに肩を叩かれて我に返ったが、そうならなかった場合、自分がどうしていたかを考えるだけで背筋が凍りつくような心地になる。
様々な感覚と感情がいっぺんに襲ってきて、このような状態をなんと言っていいのかティナには分からなかった。ただ、全てをひっくるめて簡単に、月次な一言で表すなら、
「なんだか、ちょっとだけ……怖くって」
人間、自分の理解を超えたものには恐怖する。それが人間として上等な精神を持ったティナであっても変わらない。
「なあ、セカイって体から追い出すことできねえのか?」
「……えっ!?」
と、ここまで聞いたドレイクの口から、脈絡ない耳を疑うような爆弾発言が飛び出した。意味が分からず一瞬固まってしまうが振り払い、
「え? え!? な、なんで?」
「お前なあ、奇妙な体験をしたお前自身には意味分かんねえだろうけどよ、傍から聞いてるとどう考えてもセカイの奴が影響してるの明らかな感じじゃねーか。それでヤな気分になられても、精霊のドレイク様としちゃ夢見がワリィし、とっとと追い出すほうがいいんじゃねえかと思うワケよ」
「ダ、ダメだよ! そんなことして、追い出されたセカイさんはどうなるの? キヨシさんだってきっと悲しむし……」
「そーいうとこだよ! キヨシサンキヨシサンってよォ、そんなにあのバカが大事か? そこまで入れ込んでるのも、セカイの影響でしかないんじゃねえのか?」
「そ、そんなこと!……そんなこと、言ったってさ。そもそもセカイさんが影響してるっていうのだって、ただの想像だし……」
最初の"そんなこと"は明確な否定だったが、次に口を開けばそれは曖昧になっていた。自信がなくなっていたのだ。
実際、これまでにもセカイの影響と思しき言動や挙動自体は幾度となくしていた自覚はあり、果ては自分の意志とは関係なく勝手に体を乗っ取って、自由奔放に動き回るといったことも珍しくはなかった。トラヴ運輸崩壊の翌日、眠るティナの体を乗っ取らなかったのを逆に珍しがられたほどだ。
もちろん、自分にとってもキヨシの存在というのは大きいし、大事だという点に関しては全く否定の余地はない。しかし、度合いの話となると、確かに付き合いの短さの割には──という気がしないでもなかった。
「……とにかく、さっきのはナシ。キヨシさんがいるところでそういう事言うのもダメだからね。そうでなくても、セカイさんは私が見聞きしたことちゃんと覚えてるんだから……。あっ! うちの子が大変失礼なことを言ってごめんなさい、セカイさん。私はそんなことする気はありませんし、ドレイクにはよく言って聞かせますから……」
慌てて自分の胸に手を当て、自分の内に住むセカイに対して語りかけるように喋るという、傍から見たら"不思議ちゃん"全開な所作を躊躇いなく実行するティナに、ドレイクは半ば辟易としたふうに溜息を吐く。
「ったくよぉ……それがなくても、ここんところティナは変な感じなのによ」
「え、変? あの時以外で私、何か変わった?」
自覚のないティナに呆れ、ずっこけるように頭からズリ落ちるドレイクをキョトンと眺めていると、
「……お前なんか最近、話せるようになってきてるだろ?」
「そ……そう、かな」
「ああ、そりゃあまだおっかなびっくり感はあるし、ジェラルドみてえな目上の奴が相手とかは話し別だけどよ。少なくともアニェラの奴やカルロあたりとは気兼ねなく話してるじゃねーか。まあまだ目は合わせられねえみてえだけど、それでも控え目引っ込み思案で人見知りなティナちゃん的には上等だろ?」
「そ、そこまで言う?」
「ほれほれ、そんなふうに強気に反論してみちゃったりよォ。そんでもってキヨシには俺やカルロと同レベルくらいだ。まあ、それもこれもセカイの影響なんだと思うと、いい気はしないがねェー」
褒めているんだか貶しているんだか分からない饒舌なトカゲの軽口は、このように皮肉交じりの言葉で締めくくられる。やはりティナのやること成すことに全く違う人間の影響が少しでもあるのかもと、脳裏にチラついてしまうのがどうにも気に入らないのだろう。
「……でも、『影響を受ける』っていうのも、私はそんなに悪い気はしないよ。もちろん、今日みたいなのが本当にそうなんだとしたら、ちょっとだけ考えものかもしれないけれど、いい影響ならいっぱい受けたいな」
「そういうもんかァ?」
「そういうものだよ。それに、セカイさんだけじゃなくって、キヨシさんからも色々と思うことも多いんだよ?」
「え、"俺"が何?」
「ですから、キヨシさんが私にとって……あれ?」
ふと、背後すぐ近くから聞き覚えのある声が聞こえた気が。こえのするほうを見やると、今話題に上げていたキヨシその人が怪訝な顔で、
「え、いやだから俺が何? 聞かないほうがいいヤツ? そういうことなら詮索したりは──」
「ぴゃあぁっ!!?」
「おワッ!?」
驚きと羞恥のあまり素っ頓狂な声を上げるティナに、ティナ以上に驚いたキヨシはよじ登っていた機体外装から転げ落ちてしまった。
「き、キヨシさん!? 大丈夫ですか!?」
「うん、どってことないが。つーかまだここにいたとは。そこら中探し回っちゃったぜ」
「え、もしかしてすごい大事になってるんですか?」
「いやそんなことは。ただ個人的にちょっと気になっただけだ。それよりも、いい加減に機体をガレージに戻すぜ。そのまま乗ってろよ」
「あ、はい。すみません」
キヨシはまだ怪訝な顔をしていたが、大して気に留めるでもなく操縦席に座り、機体をゆっくりとガレージへ向かわせる。
ティナは今言いかけた台詞を思い返し、どこか変な気持ちになっていた。というよりも正確に言えば、思い返そうとしていた。
──今、私はなんて言おうとしたんだろう?
『キヨシさんが私にとって』、何なのか? その先に紡がれかかった言葉が一体何だったのか、不思議なことに自分でも分からない。これもセカイに言わされただけなのかもしれない。そう思うとまた少し怖くなってきたので考えるのを打ち切り、ティナはただ、そよ風とともに走る機体に身を任せるのだった。




