第二章-44『ヴァーチャアンドヴァイス─善悪とは夢現也─』
バードストライクという用語がある。
主に航空機において、ジェットエンジンの空気吸収口に鳥類が吸われる事故のことをそう呼ぶのだが、これがなかなかどうして、大惨事の引き金となることがある。それ故現代においては、そういった事故への対策として、エンジンの開発段階で鳥の死骸を吸い込ませて耐久テストを行うそうな。
──馬鹿なッ、何故ここに!」
「フーッ、フーッ……!!」
なお、風のチャクラで推力を得る設計思想により、エンジンを積んでいない本機において、そのような耐久テストは行っていない。
組み上がった小型飛行機のテスト飛行、その最中。なんと一週間ほど前からショックで塞ぎ込んでいたはずのアレッタが、その小型機に衝突して取り付いてきたのだ。しかもよりによって機体尾部に取り付いているせいで機首が上がり、揚力が殺されてしまっている。
「アレッタさん、一体何を!」
「……行かせない」
「え!? ど、どこに!?」
傍から見るとどうにも噛み合わないティナとアレッタの問答で、キヨシはアレッタの意図に手がかかった気がした。機体から可能な限り身を乗り出して地上を見ると、窓枠周りが吹き飛んだアレッタの家の近くで、二人の女性が右往左往の大騒ぎをしているのが伺える。アレッタの身の回りの世話をしていたカルロッタと、その母親アニェラだ。
状況から推理してキヨシはようやくアレッタの心に至った。
──まさか、アレッタさんは……もう出征するものだと思っているのか!
おそらく、テスト飛行中の機体が窓から目に入ったのだろう。それでそのまま空賊団相手に打って出るつもりなのだと思っているのだ。
なんにせよ、アレッタが機体に張り付きっぱなしなのは凄まじく危険だ。
「離れてくれアレッタさん、別に俺たちは──」
「嫌だ! 絶対にこの空域から出さないぞッ!!」
「だから!」
「ウルセェエーッ!! そんなマネ絶対にさせないッ!」
「待てって言って──」
「これ以上──」
「聞けェエエエーーーーーーーッ!!」
「ッ!!」
不毛なすれ違いに痺れを切らしたキヨシが叫ぶと、アレッタはようやくこちらの話に耳を貸せる状態になったようだ。いや、強引に押し潰しただけか。とにかく、再びアレッタが暴れださないように慎重に言葉を選びながら、順を追って説明を始める。
「設計に携わっていないから、知らなくて当たり前だが……飛行機というのは空気から力をもらってなんとか飛んでいる代物で、おたくみたいにちょっと突かれた程度じゃへっちゃら、なんてものじゃないんだ」
「えっ……」
かなり遠回しな表現だが、『アレッタ自身がキヨシたちを危機に陥れている』という事実を指摘され、アレッタは激しく狼狽えた。
「今機首が大きく上がってる……今は風のチャクラで無理やり浮かしているが、元々チャクラは多く積んでいない。すぐに保たなくなって失速しちまう! そうなりゃ腹打ち落下は不可避だ! 今すぐ離れてくれ!」
「で、でも……」
「……信じてくれ。どこにも行かない。すぐに戻る」
「……本当? 本当に、どこにも行かないか?」
「行かないとも」
「……──────」
アレッタは酷く悩んでいる様子だったが、最終的には聞き分け飛行機から離れて滑走路まで飛び去っていく。今日までほとんど人間らしい生活を送っていなかったせいか、どこかフラフラとした飛び方に若干不安を覚えるが、とにかく差し迫った危機は去った。
しかしながら、機内の空気は非常に重苦しい。
「……一度機首を下げて降下し、安定飛行に立て直す。俺がそっちに注力してる間、着陸テストに備えていてくれ」
「了解です」
ソルベリウムに強く念じて風の向きと昇降舵を操り、速度を稼ぐ。ある程度の速度を確保したら水平飛行に戻り、旋回して滑走路に向けて飛んだ。
「……キヨシさん」
「分かってる……その時が来たのだ」
戦うことを決めた日から、覚悟していた"その時"。真の意味でアレッタと対話し、向き合う時が来た。
──────
大地への帰還は離陸したときと比べればつつがないものだった。キヨシは計器飛行という概念がほぼ存在しない本機で、あっさりと着陸してみせて周囲を感嘆せしめたが、キヨシからしてみればあくまで『魔法様様』といった感覚であり、あまり感動できるものではなかった。
後に待ち受ける苦難を考えれば、尚更。
「『気が確かになってよかった』……とは、言えないな」
操縦席から飛び降りたキヨシを、アレッタはとても浮かない様子で出迎えた。
「……ごめん。まさかそんなに繊細なもんだとは思ってなくって」
「さっきも言っただろ。立ち入ってないんだから、知らなくて当たり前なんだ。気に病むこっちゃないって。むしろこっちが言い過ぎてないか心配だ」
この飛行機は、キヨシが元いた世界の技術を流用して作られた、言ってしまえば『この世に無かったはずの物』。この世に無いものの想像をしろと強いるほど、キヨシは愚かではない。
「無事!?」
「アレッタァッ!!」
地上から一部始終を見ていたカルロッタとアニェラも、滑走路までやってきていた。
「わっ、わっ!?……ごめんな、カルロッタさん。ずいぶん長いこと腑抜けてて」
「うぅ~~っ、本当よこのぉーーッ!!」
「……窓から飛んでいく飛行機が見えたんだ。それで」
「やっぱりそうか。紆余曲折はあれど、きっかけになったんなら何よりだ」
バツが悪そうに笑うアレッタを見て、とりあえず一つだけ肩の荷が下りたような心地になる。が、それも束の間。今キヨシが肌で感じ取り懸念しているのは、この場にいる大多数の雰囲気だ。飛行機上であったことも考えれば、雰囲気の正体は自明。
「……アレッタ、準備して。皆で戦うのよ」
「え?」
ハルピュイヤの一人が、アレッタにいきなり結論ありきの戦意を表明する。
──やっぱそうくるかよ。
「ちょい待ち。おたくらが戦うのはナシだって言ったはずだぞ! もう六日前の話になるが、おたくらはそれに納得ずくで──」
「納得なんかしてるワケないだろッ!!」
「そ、それはッ……!!」
それは、『期待感』。
キヨシが掲げている方針、つまり『戦うのは我々、トラヴは後方支援』というやり方に対し、空賊団に対する憎悪の炎を燃やすトラヴの面々は不満を募らせていた。腐っていたアレッタがそんな方針を知る由もないが、話を聞けばきっと何かしらの行動を起こすだろう。
あわよくば、今のこの状態に物申してくれるかもしれないと。そういう類の期待だ。
「そうだッ!! 友達を殺されて! 居場所をこんなに滅茶苦茶にされてッ!! 黙って縮こまってろなんて納得できるワケない!!」
「復讐だッ! 仇を討つんだァーッ!!」
「だから!! 戦うのは俺たちで──」
「ふざけるなッ!! 許せるもんか、絶対に殺し返してやるゥッ!!」
「ぐッ…………」
キヨシにとっての誤算は、トラヴ運輸の皆の恨みの"度合い"を見誤っていたことだった。恨んでいるのも、憎んでいるのも、怒っているのも当たり前のことだが、家族同然に親しい身内を殺されたことがないキヨシに、その度合いを想像することは厳しいこと──結局の所、苦悩を分かち合えるのは、同じ苦悩を持った者との間でだけなのだ。
とてもキヨシ個人では抑えきれないほどの怒号が、青天井に膨れ上がり続けて収拾がつけられない。
その上ティナやカルロッタやアニェラ、そして当のキヨシ本人も、中途半端に気持ちを理解しているせいで止めがたいのだ。『家族同然』かと言われれば疑問に思うところだが、それでも殺された人々は友人なのだから。
「馬鹿なことを言うなァァッ!!」
そんなハルピュイヤたちを、なんとアレッタが逆に一喝した。
「復讐? 仇討ち!? そんなことにかまけている場合なのか!?」
「そ、そんなことって何よッ!?」
「見ろ!!」
そう言ってアレッタが指し示したのは、今や跡形もないアレッタたちの居場所──トラヴ運輸跡。
「生き残った私たちがやるべきことは、ぶっ壊れた私たちの居場所を取り戻すこと! またぞろ死に行くような真似をすることじゃないだろッ! あの子たちは死んでいったけれど、私たちは生きてるんだ!」
「生きてるから、生きてる内にできることをやるんでしょッ!!?」
「できねえんだよ!」
「何がッ!!」
「私たちに、何ができるってんだ!!」
「──ッ!!」
友人たちの表情が悲痛に歪むのも構わず、アレッタは畳み掛けるように思いを叫び吐露する。
「あの日……空賊に攻め込まれた日、皆が殺されていくのを目の前にして、アンタたちは何かできたのか!? 何もできなかったから、皆殺されたんだろ!! そのヤル気をあの時出せなかった奴が、今更決起したって無駄なんだよ!!」
「そ……そんな言い方ッ!!」
「私もッ!!……同じだ。その間、私は街でアイツらにやられて倒れてた……アイツら強いだけじゃなくて、統率も取れてて、本当に何もできなかった。私たちは……弱いんだ。そんな私たちがまた戦って、何かできるのかよッ!! 生き残った私たちにできることは、ただ歯を食いしばって堪えること、でなければ精々無駄に死ぬことくらいだろうがァッ!!」
「……うっ…………ぐぅッ……~~~~~~!!」
アレッタのまるで歯に衣着せぬ物言いが、憎悪の炎に冷水を浴びせるに留まらず、心の脆弱部をグリグリと抉っていく。普段から物言いがキツイきらいのあるキヨシですら、何もそこまでと思わずにはいられない程に。
しかしながらアレッタの発言は全て的を射た、そして核心を突くものだった。
本来最優先すべきは目先の復讐などよりも、蹂躙し尽くされ崩壊した彼女らの居場所を取り戻すことというのは、感情を抜きにした客観的な視点で見れば明らかだ。それに、実際に早まった行動を起こしたとして、さらなる犠牲は不可避。本人たちはきっと、復讐達成への道すがらで死ぬことは構わない、と口では言うだろうが、誰も望んでなどいないはず。
アレッタの叫びはどこまでも正しく、且つ事態の引き金を引いたキヨシの口から言うことは許されない事柄だった。キヨシが言いたくても言えなかったことを、意図せずだが代弁してくれたのだ。
そして──これでハルピュイヤたちの心は折れてしまった。少なくとも、本件に関してはもう再起不能だろう。
「……身内が随分無理言ってたみたいでごめん。もう、大丈夫だから」
「"大丈夫"? 一体何が大丈夫だと言うんだ」
「さっきも言っただろ? 私たちにできることは結局、堪えるか、それとも死ぬかなんだ」
「……アレッタさん」
「分かってる。死ぬつもりなんかない。死んでいった皆の分まで、ただ堪えて……生きていくよ…………大丈夫……大丈夫だから」
ある種勇ましくも見えるアレッタの覚悟。しかしその覚悟はどこか脆いような──己に無理矢理言い聞かせているような気分があるようで、そう意識した瞬間キヨシの目には、アレッタの勇ましさはただ悲愴なだけに映ってしまった。
「……アレッタさんの言うことももっとも。実際、さっきも言った通り……俺はトラヴ運輸の皆が戦うのにはいい顔できない。でもこの際だから真意をつまびらかにすると、できるだけ目立たずに、お上が気付いたときには全てが終わっていたっていうのが理想だったと、そういう側面もあった。けど、この一週間で……本音と建前が逆転した。もうこれ以上、トラヴの皆が傷付いて欲しくない。今はそれが全部だ」
「うん、だから──」
「けど、俺たちはそうはいかない。どうあれ、誰かがやらなくちゃいけないのさ。明日までに俺たちが──少なくとも俺が、奴らのところに出向かなければ、もう一度ここが襲われる」
「えっ──」
「事実だ。直接そう聞いた」
アレッタは事の深刻さを理解したらしく、赤くしていた顔を今度は青くさせていたが、それとは裏腹にニカッと笑って見せて、
「……それくらい、へっちゃらだから。これまで頑張ってきたことに比べたら、それくらい」
「へっちゃらって、アイツらがまた来たら結局また犠牲が──」
「そしたらこの街を出るなりすればいい。こんな有様でも、オリヴィーは大好きだから残念だけど……皆の命には代えられないもの」
「アレッタ……ッ!!」
「……ごめんよ、カルロッタさん。前にも言った通り、本当に気持ちは嬉しいんだ。けれど──」
「ダメだ」
「ッ!?」
納得のいかないカルロッタを諭すアレッタを遮り、キヨシはバッサリと切り捨てる。
「自分以外の他者を害して生きているドッチオーネ空賊団がこのオリヴィーに永代生き残り、自分以外の他者のために物を運んで生きてきたトラヴ運輸がオリヴィーを追われるなど、道理に合わなさすぎる。認められないな」
「……だったらどうしろっての」
「どうもしなくったっていい。もう十分頑張ったんだから……後は俺たちに任せて」
「前に言ったよな、『この街のことは放っておいてくれ』って。大体どうしてアンタたちが命を張る必要があるんだよ!」
「俺のせいだからだ」
「え──」
「き、キヨシさんっ!! それは──」
キヨシが何を言おうとしているのか瞬時に理解したティナは、仮初の『使徒様』呼びも忘れて制止しようとするも、キヨシは止まらない。
「連中のトラヴ運輸襲撃前……俺は連中の大将を殺すチャンスがあった」
周囲のハルピュイヤたちがにわかにざわつき出す。
「大事に至る前とはいえ。俺はアイツらが良くない集団だと分かっていながら、逃げていくアイツらを見逃した」
「……やめろ」
「もっと詳しく言えば、殺すのを躊躇したんだ」
「今更何を」
「この国でも殺人は犯罪になるそうだが」
「やめろって言ってるだろうッ!」
「どうあれ、トラヴ運輸に犠牲が出る事態を回避する機会をフイに──」
言い終わるのを待たず、狂乱の叫び声と共にこちらへと駆けてくる足音が聞こえてくる。キヨシは身を翻すこともできたが、ただ目を閉じてこれから起こることを、静かに受け入れた。
「う゛あ゛ああぁぁぁーーーーーーーーーーーーッ!!!」
アレッタのゴツゴツとした手が、キヨシの鼻っ柱を潰すほどにメリ込んで、吹き飛ばした。
それだけに留まらない。仰向けに倒れるキヨシに馬乗りになってもう一発、更に一発と次々に。
「言い、やがったなァッ!! 分かってたけど、そうなんだろうとは思ってたけど、仕方がないと!! 見ないふりしてたことをォッ!!」
凄惨すぎる状況に誰もが言葉を失い、動けずにいた。止めることすらできなかった。
「ッ……~~~~~~~~~~~ッッッ!!!」
そんな中ただ一人だけ凄まじい形相でアレッタを睨みつけ、迫ろうとする少女。
ティナである。というよりも、キヨシを案ずるが故のその怒りの眼差しは、どちらかと言えば内に潜むセカイのそれに近しいものだった。が、直後何者かがティナの肩をポンと叩いて我に返し、
「お前がッ……お前がアアアァァァーーーーーーーーーーーーッ!! ぐあッ!?」
ティナの背後から現れた男──ジェラルドがキヨシからアレッタを引き剥がし取り押さえる。
「すまないが……。使徒殿、これは一体何の騒ぎです?」
鮮やかな手際と言いたいところだが、とても称賛できるような空気ではない。ティナなど、呼吸を荒げてその場にへたり込んでしまっていた。
アレッタはあの時意識がなく、気づいたら全てが終わって診療所いいたという感覚だっただろうが、"そういうこと"なのはなんとなく察していたのだろう。だが今となっては確認のしようがない事であり、助けられた恩義もあって、なあなあで済ませていた側面があった。それが今ハッキリとつまびらかにされ、アレッタの中で何かが切れてしまったのだ。
そんなアレッタに殴られ、キヨシは何故か救われたような心地になっていた。
「……なあ、ジェラルドさん。おたくが俺に殴られた時、きっとこういう気持ちだったんだろうな」
「!……そういう騒ぎでしたか」
恐らく、ここに来てようやく真の意味で、ジェラルドやレオの苦悩を理解できたからだろう。ジェラルドもまた全てを察し、心情からかアレッタへの拘束を若干緩めた。
「……なんでだよぉ」
「!」
そうして、アレッタが誰に言うでもなくポツリと、絞り出すように呟く。
「なんで、こうなっちゃうんだよぉ……私はただ、皆にいってほしくないだけなのに……」
「アレッタさん……おたくは……」
「筋違いに殴ってごめんなさい。怒ってごめんなさい。飛行機を落としかけてごめんなさい。馬鹿になっててごめんなさい。弱くってごめんなさい。全部謝るからぁ……何でもするからぁ…………」
矢継ぎ早に、なんの脈絡もなく紡がれる言葉は、最早己の無力を呪い蝕む呪詛のようだ。その謝罪一つ一つが刃を持って、口にしたアレッタ自身をもズタズタに引き裂いていく。
キヨシはアレッタが立ち直ったものだと勘違いしていた。だが実のところを言ってしまえば、意識があるか無いかの違いしかなかったのだ。
「お願いだから……もう、誰もいなくならないで……」
懇願の果てに曝け出したのは、普段の気丈な彼女からは想像もつかないほどに弱々しく、今にも折れてしまいそうな心の窮状を表した本音だった。
ただひたすらに、これ以上犠牲を増やしたくなかったのである。
「……だから、俺はおたくを尊敬している」
それを聞いたキヨシの口から自然に漏れたのは、飾らないストレートな"尊敬"の意だ。
誰もがキヨシの心を理解しようとする中、立ち上がったキヨシはゆっくりとアレッタに歩み寄り、ジェラルドへ離れるように促す。そして地に伏せるアレッタに向かって、キヨシはひざまずき静かに話し始めた。
「……おたくはきっと……全てを"愛している"。この街を愛し、トラヴ運輸を愛し、家族同然の友人を愛し、カルロッタさんを、ティナちゃんを……そしてあろうことか、この俺でさえも……平等に愛している。今は違うだろうが、空賊団の連中すらもその対象の一つだった。その博愛精神、皮肉でもなんでもなく俺は尊敬している……だから俺は、今ここにいる人たち誰一人余すことなく、素敵な人だと、そう思っている」
キヨシはこの世界に来てから、様々な意味で驚かされっぱなしだった。見ず知らずの他人だったキヨシを助けたティナ。どんなに独り善がりでも、家族のために家族から離れる決心をしたカルロッタ。そしてそれらを育てた両親。己を殺して生きる騎士たち。そんな彼らのために涙を流す者──全てひっくるめて、キヨシは思う。
『この世にはこんな聖人みたいな人々がいるものなのか』と。当然、アレッタもその一人。ここにいる人々それぞれに、それぞれの清らかさ……正義があるという確信があった。
だが。
「けれど。そういう類の志を貫こうとすると、どういうわけか現実が邪魔をしてくる。現実ってヤツは、俺たちから見て常に理想よりも手前にある。かと言って、それを無視してただ理想に……夢に突っ走り続けると、後で手痛いしっぺ返しを食らっちまう。俺はそれを、この件に関わり合う中で学んだんだ」
「……しっぺ返しで、仲間が死んだって言うの?」
消えかかっていた怒りの炎が再燃し始める。キヨシは言い方を変えようかとも思ったが、それでは覚悟としては半端なのだ。故に、キヨシは退かなかった。
「そうだ。だがおたくの、じゃない。俺だ。俺があの時自分の中の正しい人間像を貫こうとしたら、結果論とはいえ……おたくの仲間が殺された。そもそも、連中がここを襲った目的だって、俺を煽り立てるためだ。だから改めてハッキリと言う。『おたくの仲間が死んだのは、俺のせい』なのだ」
「違う! キヨシさんは──」
「"結果論"と今言っただろう! 何がどうあれ、こうなっちまったのは事実。結果論とは、何かを庇い立てするためだけにある言葉ではないんだ。気持ちはありがたいけどな」
「ッ……キヨシさんッ…………」
必死にキヨシを庇おうとしたティナだったが、そのキヨシ本人に制されてしまい顔を覆って泣き出してしまった。そんなティナにアニェラが寄り添い、抱き寄せて宥める。
実際、以前キヨシはティナに語ったように、あのときの行動自体にミスはないと考えている。それでもなお、今この状況こそが理想のはるか手前にある現実なのだ。
「……これまではきっと、仕方がなかった。連中をこの街から排除して、その後を安寧に生きるだけの力はなかった。けど……きっと今このひととき、俺は力になれると思うぜ」
「……でも」
「まだ難しいか? じゃあ言い方を変えるが……犠牲者のために──より詳しく言えば『これから現れるだろうまだ見ぬ犠牲者のため』……かな」
「そ、それは──」
「例えばおたくの言う通りに、この街から出たとして……その後は? トラヴ運輸の代わりに、結局誰かが苦しむだけだ。これもまた……理想の手前にある現実なのかもな。俺たちは、いやこの世に生きとし生けるもの全て、理想と現実の間で惑うことを運命づけられているんだろう。やがてそんな運命に疲れ果て、間にあるどこか一点"ここ"という場所で、妥協するんだな。目を背けることはできないが……それでも、美徳を、理想を、妥協せずに可能な限り求め続けることにこそ、きっと意味がある。そのための力だけなら、貸してやれる。俺も、ティナちゃんも、カルロッタさんもな」
「使徒様、私をお忘れで?」
「俺ちゃんも呼ばれなかったし、飛行機乗んなくっていい?」
瞬間、空から声が聞こえるとともに、採掘基地監視から戻ったリオナがすぐそばにに降り立った。ドレイクも何か言っているが、ティナに『ダメ』と切り捨てられているようだ。
「……リオナさんもなッ!」
「取ってつけたように言うくらいなら、素直に忘れていたと仰ってくださいよ。全く」
「とにかくだな! 俺たちはトラヴ運輸の皆の力になれる。ただし……力だけだ」
そう、キヨシたちが貸せるのは力だけ。かけるべき言葉はかけた。全てを包み隠さず話した。あとは、アレッタの心次第。それでもなお、空賊団と戦うことを拒むのならば、キヨシたちが出る幕はない。大人しく手を引くべきだろう。だがもしも、力を貸して欲しいと言うのであれば──
「どうして欲しい? いや……『おたくはどうしたい』?」
キヨシの問いを持ってしても、アレッタはどうしていいか分からずに頭を抱えて唸る。様々な相反する感情がせめぎあい、のたうち、胸の中を引っ掻き回すような心持に苦しみ悶えているのだ。
「分かんない……私が、何をしたいのか。皆にどうして欲しいのか、分かんないよ……私、ただ皆にいなくなって欲しくなくって、それで──」
最早自分の願望すら分からなくなったアレッタを、カルロッタがひしと抱きしめる。
「カル……ロッタさん……」
「……つらかったね。しんどかったよね……。よく頑張った、もう大丈夫だから」
大丈夫、と先のアレッタと同じ言葉を吐いたが、その意味はまるで違っていた。カルロッタのそれは弱々しさなど微塵も感じない、むしろ絶対的な決意と勇気を感じさせるものだ。どんな答えが返ってこようと、アレッタの意思を尊重し、行動する。
即ち、カルロッタはこう言っているのだ。『任せておけ』と。
「……みんな…………」
アレッタの頬を、涙が滑り落ちていく。そして泣きじゃくり混じりに、ただ一言。
「…………私たちを……助けて……」
それが全てだった。
「……アニェラさん、アレッタさんを引き続き頼みます」
「まーっかせといてください!!」
「カルロッタさんッ!!」
「何!」
「飛行機の中央座席に乗れ! 空じゃ土の魔法は使えないだろ……操縦はおたくが適役だ! すぐに俺が操縦しながらやり方を教える!」
「アンタが指図すんなァ! 分かった!!」
「ティナちゃんも後部座席に乗れ! リオナさんも浮遊能力でついて来るんだ!」
「は、はい!!」
「お供いたします」
「よしッ!!」
キヨシもティナとカルロッタに続き操縦席に飛び乗って、右手を台座に──と、その時。
「! アレッタさん、何を!?」
アレッタが機首部分に飛び乗って、台座のソルベリウムに触れる。するとソルベリウムから眩いばかりの輝きがほとばしり、大いなる風が暴れだした。
「うわッ!?」
「これは……!!」
アレッタのチャクラが付与されたのだ。
吹き荒れる風は、きっとアレッタの精神をそのまま投影したかのように激しく、荒々しく、そして──この上なく心地良い。
『幸福だ』、と。キヨシたちはなんの飾り立てもなく、ただ純粋にそう思った。
「……お願い」
「……ああ。おたくらの意思は、確かに俺達が預かったッ!!」
アレッタが離れると同時に、キヨシが台座に右手を叩き付けると、呼応するように光の線が機体を駆け、滑走が始まる。
「我は"創造の使徒"ッ!! オリヴィーは、世は、まさに混迷の極み! だが戦いは次で最後ッ!!」
仲間たちの意思を継ぎ、キヨシは空に、大地に轟かんばかりに叫んだ。
「さあ、いくぞォッ!!」
飛び立つキヨシたちを乗せた飛行機が、気持ちのいい透き通った空に舞い上がっていった。




