第二章-36『ズタボロのパジャマパーティー』
それは、皆が寝静まった真夜中の出来事。
その日の夜は、草木すらも眠っているかのように静かで、聞こえてくるのは寝息のみ。快眠を得るのに絶好の条件が揃った夜だった。
「……──────」
そんな中でも、キヨシはどうにも眠れない。
頭と胸を焼かれるような感覚──今にも吐きそうな酷い不快感によって目は冴えわたり、とても眠ることなどできない。その不快感の正体を、キヨシはとっくに理解していた。
──これが見せかけ上でも、『上の立場に立つ』……ってことなのか?
キヨシの愚、それは自分が人としての高みを目指すことに焦るあまり、周りにもそれを強要したこと。そしてそれを認識すると共に、今度は自分が誰かから──トラヴ運輸のハルピュイヤたちから恨まれるという状況に陥ってしまっていた。
これも"因果応報"だろうか。それでもただ堪え忍ぶことが、キヨシの目指す『人間としてあるべき姿』なのだろうか。そうだとしたら、こんなにもつらいことはない。
「……厳しいな」
ふと漏れた本音は、ジェラルドとレオが長年抱えていただろう苦悩。今度はキヨシがそれを味わう番だ。正直、すぐにでも放り投げて逃げ出してしまいたいが、今度はキヨシの自身の志がそれを激しく邪魔してくる。
こうして息をしているだけでも、精神的にどんどん疲弊していくのを感じた。
「ハァ……ん?」
静寂の中にごそりと妙な音が響いた。その音は少しずつ徐々に大きくなり、そしてキヨシの方へと近付いてくる。
「え、え? 何々なに?」
耳をそばだてる間もなく、床を白い塊がずりずりと這って、キヨシの目の前でもぞもぞと蠢き始めた。ギョッとして固まっていると、白い塊はキヨシの眼前まで迫り、
「ばあっ!!」
「ギャッ!?」
仰天するキヨシに飛び掛かり、飲み込んだ。
「きー君の泣き声に呼ばれて参上! ぐっいぶにん、きー君」
「なッ、セ、セカイ!? つーか泣いてねーって──うわッ!?」
何のことはない。白い塊の正体は、布団を被ったセカイだった。"お布団おばけ"と化したセカイはキヨシを床に押し倒し、何故か得意そうな顔をしてのしかかってきた。
「お前何を」
「シーッ……大きな声だすと、皆にバレちゃう──ん? あびゃああああああ!?」
「他人の喉で汚え声を出すんじゃねえ」
直後、セカイの顔面をキヨシの大きな手がギリギリと締め上げる。痛みに叫んではいるが、声量を無理矢理抑えているため、聞くに堪えないダミ声が絞り出されていた。
「そ、そうこれ! この体はティナちゃんのなんだよ? ティナちゃんのかわゆいお顔にアイアンクローなんて、よくないことだと思うんですけど!」
「自分の都合で体の所有権の主張をコロコロ変えるな! 体が借り物だっていう自覚があるんだったら、それなりの弁えを持て!」
「むう、強情なきー君だなあ。そんなきー君には~……とうっ!」
むくれたセカイが気の抜けた掛け声とともに、キヨシの両頬を撫でるように叩いてきた。『低レベルな抵抗だ』と肩透かしを感じながらキヨシは今度こそセカイを追い出さんと再び手を伸ばそうとしたが、
「あ、あれ?」
四肢に力が入らない。
──う、動けないッ!? まさか!?
あろうことかセカイは『騎士団長の手管』をキヨシに発動していたのだ。ジェラルドのそれを受けた時とは違い意識は飛ばなかったが、危機的状況には変わりない。
「きー君が悪いんだよ? 素直になってくれないんだもん」
「お前! な、なんのつもりだ!」
悪戯っぽく目尻を歪ませたセカイの口元から伸びる舌は、いつもドジを踏んだ時に見せるそれではなく、獲物を狩る獣の──
「可愛い……分かってるくせに」
ついに、熱い息遣いに乗った十二歳の体から発せられているとは思えないほどの色香までもが、肌で感じ取れる距離まで。
──ヤ、ヤバい。
セカイが何故このような行動に出たのか、全く計り知れないがどうでもいい。ただ現実として、動けないキヨシにセカイが迫っている。鼠は得てして、窮したときには既に猫を噛む力など残されていない。
ただ弱り果て、弄ばれ、喰われるのみである。
「や、やめ──」
低レベルな抵抗しかできないのは、キヨシの方だった。
そして遂に、セカイの柔らかな手が、体が、抵抗を許されないキヨシの体にピタリとくっつき、
「──あ?」
くっつき──くっついただけだった。
どう切り抜けようか、どう言って聞かせようかとキヨシが思いを巡らせている間も、セカイはただキヨシに引っ付き、胸に顔をうずめているだけでそれ以上は何もしてこなかった。いや、くっついたまま呼吸をしているため、衣服に呼気の熱が広がって少しドキリとはするものの、セカイにそういう意図はないだろう。
「……何やってんだ?」
「だから、分かるでしょ? 匂いの上書き中」
「は? 上書き?」
「悪い虫の匂いがするんだもん」
何を言っているのかさっぱり分からないまま、時系列順にキヨシの身に起こったことを思い返していく。すると"ひょっとして"程度にだが、思い当たる出来事が一つだけ。
「なあ、ひょっとして悪い虫ってヴァイオレットさんのこと言ってんのか?」
「知りもしない仲のくせに、いきなり抱き着くなんて悪い虫そのものじゃない」
「お前なあ」
昼頃、欠陥機の発掘作業をしていた時にティナが言っていた。『キヨシさんとヴァイオレットさんが抱き合っているときムッとした』と。抱き合っていたかどうかは置いておいて、ティナの精神にセカイが介在した、あるいは大なり小なり影響を与えているのは明らか。
それが分かったという意味では、あの破廉恥ドクターも役に立ったとは言えるかもしれない。
「クス……がっかりした?」
「馬鹿なことを言うな。ただ、さっきも言ったけど、その体が自分のものじゃないって自覚は本ッ当に持ってくれ。後で怒られるの絶対俺なんだからな」
「あはは、ゴメンゴメン。大丈夫、きー君の嫌がるようなことはしないよ」
「分かったら離れろって。もう十分だろ? 明日からずっと忙しいんだ。寝るぜ」
「あ……」
全く動けないながらもセカイを諭すように言い聞かせてやると、セカイは素直に離れようとしたが、キヨシはその際のセカイの表情に何かを感じ取っていた。
「うん。おやすみなさい、きー君……へ?」
気付いた時には、セカイの頭を抱き寄せていた。
「……で、実際のところ。何が言いたくてこんなことしたんだ?」
「き、きー君? 動けないんじゃ?」
「え? あ、あれ?」
そう、今キヨシはセカイによる『騎士団長の手管』の影響下にあり、本来なら体が全く動かないはずだ。にもかかわらず、キヨシはセカイを引っ張り額をくっつけていた。が、今体を動かそうとしても今度は力が入らない。相変わらずワケの分からない能力だ。
「いやいや、そこについてはとりあえずどうでもいい。重要なのは、今セカイが何を言いたいのかだ」
「い、言いたいこと?」
「『騎士団長の手管』で俺から抵抗を奪ったのも、悪い虫のくだりも、俺と話をするための口実でしかないんだろ」
「え、えー? ちょっと自意識過剰なんじゃない?」
「その泳いでる目と、"残念"そうな顔をどうにかしてから言うんだな。お前がいつでも俺のことはお見通しなように、逆もまた然りだ。付き合い長いんだからな」
キヨシの言う通り、セカイがキヨシに促されるまま離れようとした時、セカイは心の底からとても残念そうというか、どこか心残りがありそうな顔をしていた。そしてセカイはきっと、気付いて欲しかったのだ。
「んー……バレてしまってはしょーがない! 観念します」
「いいからさっさと言いたいこと言って寝床に戻れ。毎晩毎晩、俺と一緒に床でなんか寝てたら体イカれ──」
「今日のきー君、とってもカッコよかった」
「なッ……」
今日は本当に耳を疑うことが多い日だ。突然の告白で、率直にキヨシはそう思った。
「きー君の言うことも、やったことも、私は正しいと思ってる。けどそう言われるの、きっときー君は嫌だよね。だから、騎士とのアレについては何も言わないし褒めない。でも街でのきー君は、誰が何と言おうと絶対カッコよかったよ。あのクソッタレ空賊に何言われてもクールに振舞って、むしろ熱くなったリオナさんを止めたりしてさ!」
セカイはキヨシが何を思い悩んでいるかを具体的には把握していないと思われる。だからこそ、正直な気持ちをまるで言葉を選ぶことなく、これ以上何も補足する必要もないほどストレートにキヨシにぶつけてきていた。
「……あのさ」
「なぁに?」
「俺……ほんの少しでもよ。成長してると思うか?」
「うん!」
「プッ……ハハハ! なんだお前、アホの子みてえな受け答えだなオイ」
「えーっ!? きー君が聞いたんじゃん」
「そりゃあそうだな、悪い悪い」
およそ地に足のついていないふわふわとした会話だが、それでもキヨシの心は安らいでいた。
恐らくセカイの肯定から受け取れる印象程、急激な成長はできていないだろう。そもそもカルロッタが言っていたように、そういったことは時間をかけて取り組んでいく課題であって、一朝一夕で解決するものではない。が、それでも自分以外の誰かに認めてもらえると、それだけで人は安心を得られる。
これでいいのだ、と。そして、おかげでまた頑張れるのだ。
「……しかしなんだな。こうしてお前と二人っきりで落ち着いて話すのも、ずいぶん久しぶりな気がするな」
「そうだねぇ。この世界に来てからもお話することはあったけど、いつもカルロッタさんがいたもんね。そういう意味では──」
「カルロッタさんまで悪い虫呼ばわりしたら、流石に怒るぜ」
「……コホン。お邪魔虫、ではあったかもね」
「ヘッ。ドレイクの件と一緒に、カルロッタさんにチクって、や……」
軽口を叩こうとしたその時、急激に意識が遠のいていく感覚がキヨシを襲った。
「んー。きー君、結構頑張ったね」
「は? ちょ……っと待て、お前。まさ、か……」
先程からずっと話し込んでいる間も、キヨシとセカイはずっとくっついていた。そして『騎士団長の手管』の発動条件は、鎧の上からでもなんでもいいから対象に触ること。それはつまり──
「て、てめえ。触ってる、間……ずっ……と…………」
「きー君の方から引っ張ってきたワケだしー。しょーがないなあああーーーっ! 一緒に寝てあげよーっと」
「こ、の……」
とてつもない白々しさと、ブラックアウトしつつある視界。キヨシは最早諦め、『嫌がるようなことはしない』といったセカイを信じてその意識を手放した。
──……死んじゃうかも、なんて……嘘だよね。
そして完全に意識が途切れる直前、その刹那。セカイが何か言っているようだったが、キヨシには何を言っているのか理解できず、頭の片隅にすら残ることなく、ゆっくりとキヨシは眠りに就いていった。




