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第二章-35『精一杯』

「……多分、ここかな」


 休憩室を後にしたキヨシは、騎士とその娘を探してそこら中を歩き回った。と言っても、トラヴ運輸はほぼ壊滅状態故に居所はおよそ想像がつく。いくつか部屋を回り、消去法で最後に残ったのが今キヨシが目の前にしている部屋。


 が、キヨシはそこを目の前にして、『あーでもないこーでもない』と、尻込みしていた。


 ──あれだけのことをしでかした後だしなァ~~~~~、リオナさんのこともあるしなァ~~~~~ッ。


 街で起こったこと──この街に巣食う病の一端に触れたあの時、リオナは怒り狂い泣いていた。そしてそのリオナの大事な家族を、キヨシは思いっ切り殴りつけてしまっているのである。その後自分がなぜティナに怒られたのか、何が悪かったのかは既に理解しているが、それ故にばつの悪さも内から噴き出てくる。


 そして何より、リオナに対してどう慰めの言葉をかけてやればいいのかも、皆目見当がつかない。


 ──ええい、クソッ! 慰めの言葉なんか、街で悩むだけ悩んだだろうが!


 そうやって悩んでいる内に、言葉をかけてやる機会を逸したのもついさっきの話。イチイチ慰めの言葉をかけてやることに悩んだりする必要などない。まして、キヨシはここにただリオナを慰めにだけ来たワケではない。あくまで主目的は"謝罪"だ。


 思い煩いを振り払うように頭をふるふると振り、意を決したキヨシはドアノブに手をかけて扉を開いた。


「ッカァ~~~~~~~!! オリヴィーの牛乳はウマいなぁぁあ~~~~~」


 キヨシは扉を閉じた。


 どうやら、キヨシの念がまた別の異世界への入り口を開いてしまったらしく、『喉を鳴らして牛乳をイッキする親子』の目の前に出てしまったようだ。こちらと違ってずいぶん平和そうだが。


 キヨシは頭を掻きながら少し考えて、色々な行動パターンを考慮した結果、


「……今日はもう寝るか」


「待ってください使徒殿ォ!!」


 『考えるだけアホらしい』とこの場を立ち去ろうとしたその瞬間、牛乳髭を生やしたジェラルドが扉を蹴破ってキヨシを呼び止めた。


「いや今別世界の日常風景が垣間見えた気がして、ちょっと日を改めようかと……」


「ちょっちょっちょ本当に違うんですって! 見損なわないでください! ワケが! これには色々とワケと経緯がァ!!」


「ハア……別に見損なってはいませんよ。ただ理解が追い付かない展開に、目一杯困惑してるだけです」


 深い溜息を吐きながら戻ろうとした道を引き返し、こそりと部屋を覗き込むキヨシをまるで気にも留めず、牛乳を浴びるように飲むリオナを窺う。元気にも見えるが、どうもパッと見た印象ではあのリオナからは空元気といった気分が感じられた。


 どうやらあれは"憂さ晴らし"のようだ。


「──ハッ、使徒様!? お見苦しいところを!!」


 苦笑するキヨシに気付いたリオナは、牛乳の入った瓶を足下に置いて酷く赤面した。


「いや……理由はなんとなく分かるから、別にいいけどよ。とりあえずその牛乳髭拭いたら?」


「ひゃい! ホラ、父上も!!」


 親子揃って鼻の下をゴシゴシと拭う様から、そこはかとないシュールな空気が醸し出されて、お互いにしばらく黙って顔を見合わせる。


「……あー、好きなのか? 牛乳」


「ま、まあ人並み程度には……」


「姉弟揃って、身長を伸ばすことを諦めていないもので」


「お黙りください父上♡」


「ハイ」


「……──────」


 とにかく沈黙を打破しようと話を振るが空振りに終わり、またしても気まずい空気が流れる。キヨシは再び出方を窺うが、どうにもどこから話せばいいのか、その"取っ掛かり"が掴めない。キヨシの悪い癖の一つである。


「……あー、事件の最中に不謹慎な真似をして申し訳ありません」


 そんな状況にきっかけを与えたのは、ジェラルドだった。


「ただ──あえて何故、このようなことをしたのかと問われれば、なんと言いますか……これが精一杯だとでも、言いましょうか」


「精一杯?」


「何が起きたのかは、リオナから聞いています。そして起きたことに関してリオナが心を酷く痛めたのも理解できる話。親としてできることといえば、こうして話を聞いてやって、一緒に飯を食って……そんな程度のものでして」


 周知の事実だが、ジェラルドはヴィンツ国教騎士団の長であり、他のヴィンツェストの国民とは違って家名まで持っている。明らかに他者とは異質且つ、高次の存在と言っても過言ではない者だ。それでも、傷心の我が子に対してできることは限られている……ジェラルドはそう言った。


 地位、名声、家柄、そして戦闘能力──確かにそれはそれで素晴らしいが、それでもなお、人を救うには足りないことはある。とどのつまり、ジェラルドはこう言いたいのだ。


「結局のところ、私も……小さな一人間でしかない──」


「そこです。俺が今、ジェラルドさん……そして、レオさんに謝りたいと思ってるのは」


「あ、謝りたい?」


 キヨシの真剣な表情に対し、逆にジェラルドは困惑を隠せない様子だ。それもそのはず、ジェラルドやレオはキヨシにされたことを『当然の報い』と思っているのだ。


 それがまた、今のキヨシにとっては堪えがたいことだった。


「本当にすみませんでした。俺は二人に、俺の中の人としての"かくあるべき"って理想像を強要してました。二人のこれまでの苦労苦難、苦悩を理解しているつもりになって……そんで……」


「ちょ、ちょっと待ってください使徒殿。いきなり何を言い出すんです? 別に我々は──」


「俺はッ!……おたくらが一人の人間だって言うことを見落としてたんですよ。地位や立場にばっかり目がいってて、普通に笑い、普通に泣く人間だってことを忘れてました。リオナさんがこの街の人々や、ジェラルドさんたちを思って流した涙が……それを教えてくれ──ん?」


 深々と垂れた頭を上げると、何故かリオナは先程以上に顔を真っ赤にして、俯いていた。そしてそれを見るジェラルドの顔はやたらと上機嫌そうに歪み、


「リィーオナ、リオナリオナお前本当にイイ子だなァーーーー! 俺たちのために泣いてくれたってワケか!? なんだよさっき話してくれなかったじゃないかァ~~~~~~~よしよしよしよしよしよしよしよし」


「や、やめてくだ……やめッ!! やめろッ!!」


 リオナの頭を抱き寄せてわしゃわしゃと撫で繰り回すジェラルドを、リオナは羞恥心一杯の表情で突飛ばそうとするが、ジェラルドの腕は決してリオナを離さなかった。どうやら、リオナは街での出来事を一〇〇パーセント伝えたわけではなかったようだ。


「あ、あー……なんかゴメンな、リオナさん。しかしアレだな、リオナさんはちょっと取り乱すと、口調がレオさんのそれになっちゃうんだな」


「ハッ!? し、使徒様、そういえば街では大変な無礼をッ! 申し訳ありません、使徒様のことを呼び捨てるなど!!」


「いや、いいよ。あんなのを見せられて頭に来ない奴はいないでしょ。むしろあの怒りこそが正常だし、その志をいつまでも大事にしてて欲しいな、と……なんか説法染みてんな。俺こういうの苦手なんだけど……」


 リオナが抱いたあの怒りもまた、人間を人間たらしめる重要な要素だ。ついさっきドレイクが評したように、キヨシは比較的冷静なままだったが、リオナのように自分以外の、しかもよく知らない人々のためにあんなに心を痛め、怒ることができるという心持は、キヨシは心から羨ましいと思ったし、大いに見習うべき尊いものだ。


 そんな気持ちをキヨシはストレートに伝えることができず、持って回った煙に巻くような言い回しをしながら、気恥ずかしさでまた頭を掻いた。


「そのお言葉、リオナにとって……いやレオにとってもきっと"最高の誉れ"となりましょう。もちろん、私にとってもね」


「へ? レオさん?」


「さて! 先程も話しました通り、話は大方伺っています。これから我々はどう動きますか?」


 キヨシは今この場にいないレオを引き合いに出すジェラルドの物言いに、いささかの違和感を覚えたが、遮られるとそれもどうでもよくなった。


「……我々に一週間の日限を与えられたのは、聞いてますね? で、さっきカルロッタさんと協議したんだけど……その結果、その一週間以内に連中のアジトに赴き、空賊団を潰すべきと見た。一週間を超過すれば、勝手に向こうの方からやっては来るものの、そうなればここの戦場化は不可避だ。それがちょっと彼女らの友人として、看過できないんで……」


「なるほど、よく分かる話です。確かにこの街の西側にソルベリウムの採掘基地が乱立しているのは、騎士としての職務の過程で把握はしています。そして構成員の話では、『入り口を構成員が固めている』と……。調べれば分かる目印について言及している辺り、嘘を吐いてはいないでしょうな。しかし……そこへ赴く危険性については、覚悟の上でしょうか?」


「こういう時、俺の故郷では『虎穴に入らずんば虎子を得ず』……なんて言い回しをする。結局リスクがどうしても出るんなら、成功に賭けるべきだと考えています」


 ジェラルドもまた、この案のリスクについては懸念しているようだ。しかし、それはこちらとて同じこと──カルロッタやセカイと散々論じたばかりだ。


「一週間以内の日限、限界ギリギリまで準備した後殴りこむ。そうすべきだと思います。いかがですか」


「……了解しました。レオにもそのように伝えておきます。リオナ」


 ジェラルドに呼ばれたリオナは、そのまま真っ直ぐ外に歩を進める。リオナがメッセンジャーとなって、レオに状況を伝えるのだろう。そうして部屋の外に出ようとしたリオナが、


「……! 君たち。聞いていたのですか?」


「なんだ、誰かいるのか」


「それが……」


「"白黒"!!」


 この呼び方に驚いたキヨシは、扉の方を振り返る。


 リオナを押しのけるようにしてぞろぞろと入ってきたのは、今回の騒動で手傷を負ったトラヴ運輸のハルピュイヤたちだった。が──


 ──やっぱ、違うか。


 その中にキヨシの脳裏に浮かんだ少女──アレッタの姿はなかった。


「どうした? 傷はいいのか……おっと」


 キヨシに投げ込まれたのは、昨夜小さなハルピュイヤにかけてやったジャケットだった。投げられた方を見やれば、翼を肩で吊ったハルピュイヤの子が真剣な眼差しでこちらを見ていた。


「おたくら、全部聞いてたな? 別に隠そうと思ってたワケでもないし、聞かれて困るような内容でもないから、怒ったりはしないけど。それで……俺に用事か?」


「……戦うんだよね?」


「ああ」


「……お願いだよ、私たちにも戦わせて。殺された皆の仇を取らせて!」


「ッ──!」


 こういう展開もキヨシは予想していた。同胞を殺され、居場所を奪われたハルピュイヤたちに怒り、憎しみを、キヨシは直接聞かずとも、その感受性でキャッチしていた。だからこそキヨシは街でパオロとルキオを拿捕するのを避けたのだ。


 それ了解した上で、キヨシは短い時間の中考えたが──


「……皆、悪いけど…………そいつは気持ちだけ頂くよ」


「な……どうして!?」


「おたくらはこれまで、連中への不平不満を……必死に我慢するアレッタさんの顔を立てて、一緒に堪えてきたんだろ? "平和"っていうのは得てして、互いに互いが睨みを利かせて、手を出せない状況の上にできあがっているもんだが、俺がここに来たばっかりにそれを台無しにしちまった。これは"けじめ"なんだ。それにこれまで頑張ってきたおたくらを付き合わせたくない」


「それじゃあ、私たちの気持ちはどうなるの!? この頭の中のぐちゃぐちゃを、どこにやればいいって言うの!?」


「……それを言われると弱いけど」


 キヨシは自分が間違ったことを言っているとは思っていないが、ハルピュイヤたちが言うことも真っ当で困ってしまう。今彼女らは、やり場のない気持ちで今にも狂いそうなのだ。何かをやっていないと、行動していないとやり切れなくてしょうがない。その気持ちも分かる。分かるからこそ、キヨシは今悩ましく思っているのだ。


 最早、彼女らは収まらないだろう。きっと毅然と首を横に振ったとて勝手に動き出す。だが、それでは困るのだ。あまりにも事が大きくなり過ぎると、この話はたちまちヴィンツェスト中央都にいるヴィンツ国教騎士団にまで話は伝わり、隠し通すことができなくなってしまう。


「……分かった。だが、戦うのは無しだ。おたくらには戦う以外の役割を務めてもらいたい。やることだけは山とあるし、そういう協力って形だったら」


 これが今キヨシにできる、精一杯の譲歩だ。ギリギリの一線を譲らず、しかし許しを乞うこともなく、憎まれ役を演じる。それが『創造の使徒』という、見かけ上でも上の立場にいるキヨシの役割だと、そう考えた。このまま怒り狂ったハルピュイヤに捻じ伏せられることも覚悟していたが、


「……ゴメン、無理言って」


「いや……こっちこそスマン。酷なことを言うようで」


 ハルピュイヤたちはキヨシの言うことを聞き分けたようだ。しかし、丸っきり受け入れることなどできる筈もなく、態度の節々から不服、不満が滲み出ていたのを、キヨシは見逃さなかった。


 これが、キヨシが分かった気になっていたジェラルドたちの苦悩──その一端。それに触れたキヨシは、これまでの自分がどれだけ騎士に対して苛烈に当たっていたのかを、今一度再確認したのだった。

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