第二章-34『協議』
「──ッ!? リオナッ!!」
感情が爆発し、そして燃え尽きたリオナを見たジェラルドとカルロッタは、街で何かが起こったのだと即座に理解し、浮かない顔を携えて倉庫休憩室跡に帰還した三人に駆け寄った。
「ティナ! アンタは大丈夫!? どこも怪我とかしてないでしょうねッ!?」
傍目にも一番酷い顔をしているのはリオナだったが、姉としての感情が状況把握を上回ったのか、カルロッタがティナに駆け寄り体中をペタペタと触って傷が無いかを見ている。セカイは少し驚いていたが、カルロッタの不安と焦燥を感じ取って、
「あ、あのえっと……はい、私は大丈夫ですよ」
「!……なんだ、セカイか」
「わ、凄い! 一発で見抜くなんて」
「ティナはアタシに向かって丁寧に喋ったりしないのよ」
「とにかく私は大丈夫。だけど、その……」
セカイの伏せがちな視線の先には、普段はかなりぞんざい且つ冷淡にあしらっているジェラルドの腕の中で、無言で安らぎを乞うリオナがいた。
「……すまないが、私たちは一旦席を外す。詳しい話は後で聞くよ」
ジェラルドは軽々とリオナを抱きかかえると、そのまま休憩室跡を出ていずれかへと立ち去った。
「……さて、使徒サマ。全員無事に戻ってきたあたり、荒事は起こさなかったみたいだけど。何があったワケ?」
カルロッタに事の顛末の説明を要求されるが、疲れた心はキヨシに溜息を吐くことすら許さず、ただ足に枷を付けるのみ。重たい足を引き摺ってボロボロの座椅子に深く座り込む。
「カルロッタさん、悪いんだけど……少し落ち着く時間をくれ。ほんの少し、ほんの数分でいい」
「まあいいけど」
キヨシの憔悴ぶりを見て何も言えなくなったのか、カルロッタは大人しく待つことに決めたようだ。セカイがキヨシに代わってお礼を言っているのも聞こえるが、右から入って左へ抜けていく。
キヨシは、考えることに疲れ果てていた。
平和的な手段を考えても、争いを避けようと策を練っても、それらを斜め上の何かで破壊し、踏みにじる──言ってしまえば、『存在そのものが悪』と成り果てた者。『罪を憎んで人を憎まず』と、どんなに綺麗事を並べ、そしてその綺麗事が事実だとしても、それは物事の一面でしかない。
和解や話し合いの余地の無い排除されるべき悪は必ず存在する。少なくとも、今すぐ傍に。
──やっぱり、徹底的にやらないとダメか。
他の誰も伺い知らぬところ──キヨシの胸中の、一切の迷いが消えた。
「──……ヨシ、ちょっとキヨシ!」
「ん?」
「何よ、なんか妙に怖い顔してるけど。そんなに酷いことがあったの?」
体感ではほんの一瞬だが、気が付けば人を待たせるには少々長い時間が経っていた。
「あ、ああ……スマン、もう大丈夫だ。けど、マジに酷いことはあった。今思い出してもムカッ腹が立ってしょうがない」
「全部話しな。一切の隠し立てはするなよな」
「そんなもん始めっからするつもりはねえよ。ただその代わり……落ち着いて聞いてくれ」
──────
「リオナがキレたのをアンタが止めたァァァーッ!? パチこいてんじゃねえぞお前!!」
──本ッッッッ当にこの女は……。
歯に衣着せぬカルロッタの物言いに、キヨシは青筋を浮かべて目尻をヒクつかせる。いや、これまでの所業が所業なので、納得はいかなくとも受け入れるべきなのだが。
「連中の理不尽にキレるかと思ったら、俺への疑念が先かよ。大体、おたくは一体俺を何だと思ってん──」
「えー? 話すよりも先に拳がスッ飛んでいく、頭足りてない直情野郎だと思ってるけどォー? もうちょっと客観的に自分見たらァー?」
「おたくの頭にブーメランブッ刺さりまくってんの気付いてるか?」
刹那、キヨシとカルロッタの手がサッと伸び、互いの服の襟を引っ掴んだ。
「あーら、キヨシ君。何その手は?」
「おたくの方こそなんだ。この服、元々着てたやつの修繕が終わるまでの代替だが、ソルベリウムで買う程度には高かったぜ?」
「無限金策の賜物に価値もへったくれもあるかボケェ」
表面上は互いに茶化し合っているが、その心の内はお互いにお見通し。似た者同士の同族嫌悪のようなものだ。
「息ピッタリのお友達ができて、ティナちゃんはとっても嬉しいです! えへへ」
「──────」
「あ、あれ? なんで二人とも黙るの? え、ちょ、ちょっと、凄い圧を感じひべべべべべ! ごめんなひゃいごめんなひゃい、だっへ二人共仲良ひしゅぎるんだもん!」
一触即発の二人にカラカラと笑いながら触れたセカイの──というよりティナの頬は、左はキヨシ、右にカルロッタにもちもちと弄ばれた。柔らかい。そして可愛い。
「……おたくは毎日こんなことやってんのか?」
「こんなもんじゃないわ。両頬よ、両頬。羨ましい?」
「うん」
「でしょ? でもダメ、アタシの特権」
取り留めのない会話をしながらペタペタムニムニと頬をもみくちゃにし続ける。感触が魅惑過ぎてやめどころがない。当のセカイも口では壊れたラジオの如く謝罪の弁を延々述べつつも、表情を綻ばせてまんざらでもない──
と、その時。
「今回ばっかりはよォ。キヨシの言う通りなんだなァー、これが」
「──ひ、ひゃん!? あっ、うぅ……んっ」
どこからか甲高い声が響くと同時に、突然セカイが顔を赤らめて、素っ頓狂な声を上げた。驚いた二人が顔から手を離すと、セカイは体を捩って身悶えして、着ている服の襟のところがうごめく。そしてそこから赤黒いトカゲの精霊──ドレイクが這い出てきた。
「いやー、信じがたい気持ちはマジに分かるんだけどよォ。街でのキヨシは冷静だったんだぜェーッ。中で聞いてた俺も信じらんねえよ」
擁護しているのかコケにしているのか、どっちともつかないような癇に障る調子でまくし立てるドレイクだったが、くっつかれていたセカイの心中は穏やかではない様子だ。
「トカゲさん出てくるの遅ーい! あと、変なところ触らないでよ!」
「ティナは文句言わないもォーン。でもまあ……酒場に着く前、お前らのやりとりが面白すぎてヤバかったから、出るの躊躇っちまったけど、後で起こったこと考えたら、出るべきだったかもな。ワリぃ」
「もー。きー君、トカゲさんに一言──きー君?」
この時キヨシ、実はセカイとドレイクのこのやり取りにほとんど気を回せていない。では何をしていたのかというと、直前に脳ミソを直接ブン殴られたかと思うほどのパワーを持った、艶っぽく甘ったるいセカイの声で悶えていた。
幾度目かの繰り返しになるが、キヨシは別に童女趣味ではない。ただセカイの元の姿を知っているからこそ、そういう想像をしてしまっただけだ。
その際のなんとも言えないキヨシの表情を見たセカイの目尻と口が歪んだ。
「……えっち~~~♡」
「グがッ…………~~~ッ!! ブッ殺すぞこのマセガキャア!!」
「ガキじゃないもーん。身長年齢その他諸々、ティナちゃんよりもずっと上で、高くて、おっきいんだから」
「知ってんだよォォォ!!」
「キャアァァァーーーーッ♪」
「クラァ! 待て!!」
茹でダコか何かのように顔を真っ赤にしてがなり立てるのも何のその、明らかにキヨシをからかってクスクスと笑って逃げるセカイを追い回していると、
「あのぉ、使徒様ぁ。患者様がまだ大勢いますので、できればもう少しお静かに願いまぁす」
ヴァイオレットが扉の隙間からひょっこりと顔を出し、控えめな口調で騒音被害を訴えるとまたサッと出て行く。
お互いに顔を見合わせていると、後ろの方でカルロッタが膝をバンバン叩いて笑いを堪えているのが聞こえて、キヨシはがっくりと項垂れた。
「……本題に戻ろっかぁ。ありがとうね、トカゲさん」
「あん?」
「トカゲさんのおかげで、あんなに可愛いきー君を見られたんだもん」
「まあこっちも面白かったし、それであいこな。あと、『トカゲさん』なんて呼んでくれるなよな。ドレイク様と呼びなッ」
「はーい……あ、また可愛いきー君見たいから、たまに触っていいよ」
「頼むから勘弁して!?……で、カルロッタさん。俺が思うに、選択肢は二つだ」
改めて、状況を整理する。
まず、当初の目的であるロンペレの居所については判明した。構成員パオロの言を信じるのであれば、場所はオリヴィー中央街から西側にある地下採掘基地。キヨシはそこへと招待され、期限は一週間以内……それを超えてロンペレの前へと出向かなければ、ドッチオーネ空賊団総力を以て再びトラヴ運輸を襲撃すると宣言している。
それを前提とした上で、見える選択肢。
「一つ、一週間以内に指示通りの場所へと出向き、ロンペレと戦う。もう一つ、一週間を超過してここで待ち、ロンペレを迎え撃つ。どちらにしても、戦いは避けられねえが……」
「ここで待ってた方がいいと思う」
「俺もそう思うぜェー」
まず最初に意見を提示したのはセカイとドレイクだった。
「街でも言ったけど、あの情報を信じるのは凄く危ないと思う。それにあのロンペレって奴は、あくまできー君との決闘がしたいだけみたいだけど、実は構成員みんなで待ち伏せして袋叩きっ……てこともあるかもじゃん?」
「わざわざ敵の根城に突っ込む危険を冒すなんざ、馬鹿らしーぜ」
セカイの意見、それはキヨシの身を案じるが故に出たものだった。ドレイクも言い方はひねくれているが、ティナも協力者であることを考えれば、どう思っているかは想像に難くない。
確かにセカイの言う通り、あの情報の信憑性についてはとても高いとは言えない。いや、仮に本当にそこにロンペレがいたとしても、ただ純粋な勝負となるかと言えばそれも怪しいところ。そこへ飛び込むくらいならば、向こうが確実に来ることを見越して一週間しっかりと体制を整えて状況に臨むべきだと、セカイはそう言いたいのだ。
「そう思う? アタシは前者以外ありえないと思ってるわ」
そんなセカイとドレイクの意見に対し、カルロッタは異議があるようだ。
「セカイの言うことも分からないでは……というか、セカイの言うことは正しいと思う。信用に値しない情報を基に敵陣に突っ込むってのは、実際危ないことよ。ここで一週間待って、それ前提の対策練る方が絶対に建設的且つ安全。でも……その安全は私たちだけの安全でしかない」
「あ……そっか。ここは、アレッタさんたちのおうちだもんね……」
そう、ここは『トラヴ運輸』。すでに崩壊してしまっているが、それでもアレッタたちハルピュイヤの大切な居場所には変わりない。
ここを戦場に──いや地獄にするのは、もう二度と御免だ。
「俺もカルロッタさんと同意見だ。一週間以内に連中のアジトに殴り込み、そしてドッチオーネ空賊団を潰す。そうするべきだぜ」
これでおよそ方向性は固まったが、セカイは『そうか、頑張れ』と素直に言うことができずにいるようだ。やはりどうしても不安は拭えないのだろう。
「……心配してくれてんだろ、ありがとうな。けどこいつはどうしてもやるべきことだ……協力してくれるな」
「……うん。私も一緒に頑張るよ」
「よし。お前もな、トカゲさん」
「ドレイク様だっつってんだろカス白髪!」
「ハッ、後でティナちゃんに言いつけてやっからな」
キヨシはドレイクの罵倒を一笑に付し、そのまま歩き出す。
「キヨシ。騎士団長サマんとこ行くの?」
「やることは決まったし、それを伝えないと。それに……」
「言いたいことがあるんだろ? 帰ってきたときのツラ見た時から分かってるわ」
カルロッタの言う通りだ。キヨシは街で起こったことを通じ、ジェラルドたちに言わねばならないことができたのだ。
「私も──」
「いや、俺一人でいい。セカイはここで待っていてくれ」
「……分かった」
「心配かけてばっかで、すまねえな」
キヨシはセカイの肩をポンと叩き、今度こそ心の底から伝えるべき──『謝罪の意』を胸の内に秘め、ジェラルドを探して部屋を出た。




