第二章-33『憎悪の暴走』
騒めく店内の真ん中で、キヨシは大敵と相対す。しかしキヨシは自分自身でも驚くほど冷静だった。
怒りが一周回ったのだろうかと適当な自己分析をしつつ、大きな溜息を吐く。
「……何の用だ」
「親分が言ったはずだ、"招待する"と。招待状を渡しに来たんだよ。そこの馬鹿はついでだ……我が子分ながら、あの騒ぎの後でよくも街に繰り出そうと思ったもんだと呆れている」
「酔いは覚めたか」とその辺で痛みにもんどりうつ子分の頭を引っ叩きながら、扉までズルズルと引き摺る兄貴分は、
「場所を変えよう。目立つのはそちらとしても望むところではあるまい」
子分の代金、あるいは『迷惑料』のつもりと思われる硬貨を雑に近くのテーブルへと放り、指をクイと動かしてこちらに『ついてこい』と促して出て行った。妙なところで律儀な男だ。
キヨシの中に迷いなど微塵も無いが、一応セカイとリオナを窺うと、
「参りましょう」
「大丈夫、ティナちゃ……私にお任せです」
後者の感覚がどこかズレている気がするのが若干気になるが、心配は無用と判断したキヨシはそれなりの覚悟を携え、二人を伴ってガーゴイルたちの下へと走った。
──────
追いついたキヨシたちを薄暗い路地裏の入口で待っていたのは、神妙な面持ちのガーゴイルだった。イメージとは大きくかけ離れた表情にほんの少しだけ驚いていると、向こうもそれを察したらしく、
「まずは素直かつ冷静な対応に、感謝したい。そして身内の醜態を謝罪する。見苦しいところを──」
「謝るポイントが違うんじゃねえのか」
「……? ああ、昨日の事か」
瞬間、表の街路樹の葉が二、三枚弾ける音が聞こえ、総毛立つような殺気がすぐそばから伝わってくる。恐る恐る発生源と思われる方を見やると、鼻から上だけで窺えるほどのおぞましい表情をしたリオナが、歯軋りをしながら眼前の二人を睨みつけていた。
殺人すら犯した者のあっけらかんとした、罪悪感を毛ほども感じていないだろう態度が、腹に据えかねたのだろう。キヨシですらはらわたの煮えくり返る思いなのだから、先の暴虐に涙すら流したリオナの心中たるやといったところ。
「もうとっくに察しているだろうが、トラヴ運輸を襲撃したのは我々だ。しかしまあ……謝ったところで許しはしないだろう? ならば謝る意味もあるまい」
「もし『許す』と言ったところで謝りはしねえだろうに、よくも」
「ああ、謝らない。悪いと思ってないんだからな」
この物言いでリオナから発せられる殺気は増し、キヨシも怒りで心がぞわりと震える感覚を味わう。あの楽観主義者のセカイでさえ、顔をしかめて不快感を露わにしていた。
「しかし、意外だったのはこうして素直について来てくれたことだ。てっきりその場で乱闘、拉致されるものだと思っていたが」
「元々そういう目的でここに来てないんだよ。第一、おたくらを拉致なんかしてみろ。命の保証はできねえ」
「それもそうか。大敵と仲良くご帰宅なんて、『創造の使徒』と言えど──」
「何か勘違いしてねえか? 保証できねえのは……おたくらの命。聞きたいことも聞けないまま殺されたんじゃ堪らねえよ」
当然だ。今トラヴ運輸跡地には、恨み骨髄──この二人を殺しても足りないほどの憎悪を抱えた者が何人もいるのだ。
その中でも特に、無二の親友を絶望のどん底へと突き落とされた彼女のそれは、トラヴ運輸の従業員たちよりもずっと激しい。相対したら、少なくともキヨシほど冷静ではいられないだろう。
「……なるほどな。つまり我々は言ってしまえば、お前に生かされているようなものというワケか。ありがたいことだ」
「え? えぇ? 兄貴い、そいつはどういうこったよぉお」
「もうこの馬鹿はこの場にいないものと思ってもらって結構だ、『創造の使徒』。そういえば、それなりに顔を合わせているのに、名前を伝えていなかったな。俺の名はパオロ。そしてこの馬鹿はルキオ……知っての通り、ドッチオーネ空賊団の構成員だ。何卒」
己の子分の愚鈍さに首を振り冷たくあしらう兄貴分は、自己紹介を挟みつつ嫌に丁寧な礼をした。
だが、キヨシにとって三下の名前などどうでもいいことだ。
「……何故トラヴ運輸を巻き込んだ。ボスが俺と戦いたいだけだったら、昨日あの場で退かずにそのままやっていれば良かっただろうに。俺は望むところだった」
「お前の方こそ、勘違いをしている。親分は『血沸き肉躍る闘争』を望んでおられる。つまらない喧嘩など御免なのだ」
「何……?」
要領を得ないパオロに怪訝な顔をしていると、「親分の受け売りだがね」と前置きした上で、
「昨日、お前が騎士と我々の諍いに割って入った時。お前は『創造の使徒』の名乗りを上げて向かってきた。だが、それでは足りない。真偽はさておき、『創造の使徒』としての大義と使命を、例えフリでも口にしている内は、戦いの動機としてはつまらないのだ。使命感で嫌々と繰り広げられる闘争は楽しくない。闘争とはもっと単純に、もっと個人的に行われるべきではないか……そういうことさ」
「とどのつまり、こう言いたいワケか? 『近しい者を傷つけ、焚きつけてやれば、使命感から解放されるだろう』と……それでトラヴ運輸を潰したと」
「本能のままに、というのが最良だが……それには特別な才能が必要だからな。それでも、使命感に囚われているよりは数段マシな戦いができるだろう」
──カス共ッ……!
やはり彼らはこの街から除かなくてはならない。そう再確認するに十分な返答だった。
「……で、招待状は受け取ってもらえるかね? そもそもの本題はそこなのだが」
「そう、それ。今さっき触れた『聞きたいこと』というのはその辺だ。俺たちはそもそも、おたくらの根城に関する情報を探すべく、こうして街に来た。おたくの言う招待状ってのは、そういう情報のことなんだろ?」
「その通りだ。親分はそこでお前を心待ちにしている……どうする?」
「問われるまでもない。さっさと寄こし──」
「きー君、ストップ」
「──!」
目当ての情報をダイレクトに聞き出す機会に待ったをかけたのは、セカイだった。うっかりティナのふりをすることを忘れ、キヨシを『きー君』と呼んでしまったのに対してか、ばつが悪そうに軽く咳払いをしつつ、唖然とするキヨシを諭すように、
「この人たちはすっごく悪い人です。それこそ、人殺しも全く悪いと思わないくらいには。そんな人が持ってきた招待状ってヤツは、信用できるのでしょうか? "利用"するのはともかく、"信用"するのはとっても危ないことだと思います」
そう、パオロの誘いに即答しつつも、そのことに関してキヨシは内心かなり懸念していた。彼らの言うことを鵜呑みにするのは、セカイも進言する通りとてつもなく危険なことで、キヨシも全く裏切りを考えないワケではない。しかし、とりあえず確たる証拠がどこにも無い以上、ここでその可能性を論じても不毛なだけ。解けない知恵の輪を前にうんうんと唸り続けるようなものだ。
究極してしまえば、『行けば分かる』という話でしかない。が、セカイの言うことももっとも。
困り果てるキヨシとセカイの間に、パオロは待たされる時間に苛立ちを隠せない様子で口を挟む。
「まあ、得た情報を信じる信じないはお前たちの自由。しかしどちらにせよ、お前たちに残された時間は残り少ないぞ」
「そいつはどういう意味だ」
「この際だからハッキリと言う。場所はこの街からヴィンツェスト中央都側……つまり西側にある地下採掘基地だ。西側だけでも採掘基地はいくつかあるが、特に重点的に入り口を構成員が固めている場所だからすぐに分かるだろう。なお、日時はそちらの勝手だ。いついかなる時でも、我らが親分は受けて立つが……一週間以内とさせていただく」
「それを過ぎたらどうなる?」
「こちらから出向き、トラヴ運輸を再び襲撃する」
パオロの淡々とした宣告を聞いたリオナが、背中の槍を右手に持ち直して歩き出した。
「──ッ! 止せ!」
キヨシが咄嗟に肩を掴んで制止しようとするも、黒い感情に支配されたリオナの歩みはまるで止まる気配を見せない。夕刻、カルロッタにそうしたように、キヨシはリオナを羽交い絞めにして無理矢理止めるしかなかった。
「言ったはずだ! 荒事は起こさないこと、そして誰かが起こしそうになったら誰かが止める!!」
「離せ! 止めるなキヨシ・イット!! この鬼畜共は今この場で除かねばならない! 一週間以内と言わず、今すぐにでもそこへ向かって全員始末してくれるッ!!」
我を忘れて荒々しく叫び暴れるリオナを前に、パオロは澄ました様子で何でもないように喋って、こちらを余計に煽り立てていた。
「ほう、"キヨシ・イット"……そういう名前か。一応、ここでやるというならそれはそれで受けて立つが、どうする?」
ついに辛抱堪らなくなったリオナは、見た目からは想像できないほどの力でキヨシの腕を振り解き、ガーゴイルたちに向かって猛進して──
「……リオナさん。ゴメンね」
リオナの後ろからセカイがその背中を軽く触れるように叩くと、『騎士団長の手管』によりリオナは足の力を奪われてスッ転んでしまった。それでもなお感情の昂りによってか、それとも以前ジェラルドが言っていた『耐性のある者』なのか、地を這うようにして前へと進もうとするも、二人のガーゴイルは翼を広げて地面を離れ始める。
「確かに伝えたぞ、『創造の使徒』。方角は西、日時はお前たち次第だぜ」
「……招待状は確かに受け取った。とっとと失せろ」
──俺たちの憎悪の暴走を、抑えられている内に……。
拳をわななかせて空を睨むキヨシの気骨を知ってか知らずか、こちらを嘲るように鼻を鳴らし、パオロとルキオはそのまま夜空へと飛び去っていった。
ルキオの聞くに堪えない罵倒が遠くの方から木霊する中、倒れて蹲るリオナの肩を叩く。
「……スマン。けど今回は──!」
「ひっ……ぐぅっ、ああ、あああぁぁぁッ──!!」
地面を二度三度殴りつけ、ボロボロと零れる涙を抑えることもできずに大声で泣くリオナを、キヨシとセカイはただ見守ることしかできなかった。




