第二章-26『摩擦』
「あ゛ー、恥ずかしかった……。なんなんだよ、ここに来て新事実開示とか聞いてねえッつの」
『アニェラとセカイの人格は、ティナとセカイの容姿くらい似ている』。アニェラとのやり取りは確実にキヨシの原動力にこそなっていたが、この衝撃の真実にキヨシは脳ミソをブン殴られたような衝撃を受けたし、ああいうやり口でからかわれるのは大変恥ずかしかった。今思い出しても顔から火を噴きそうだ。
「しっかし……改めてティナちゃんは、セカイにとってどういう存在なんだろう?」
羞恥から逃げ出すために回り出した思考から、今更このような疑問が生まれる。
性格が似ている人間など、世界中どこにだっているだろう。しかし年齢の隔たり故の幼さを残してはいるものの、ああまで容姿が似ている人間がそういるだろうか?
今のところ、この世界でセカイの風貌を知っているのはキヨシとセカイ本人のみだが、ティナを知る者がセカイの風貌を知ったら、『ティナの数年後』という感想を持つのは想像に難くない──と、キヨシはそう思っている。
しかも"世界中"どころか、並行宇宙でもなさそうな全く位相の異なる世界にティナは生きている。現代のサブカルチャーにとっぷり使った浸かったキヨシには、何かしらの意義があるように感じられてしょうがない。
「……とかなんとか、普通の人からしたらイタい考え方なんだろうなァーッ」
結局、どう足掻いても恥ずかしい。
「キヨシさ……使徒様ーっ!!」
「ティナちゃん?」
その疑問の中心にいる少女がこちらに駆けてきた。ただ気になるのは、ティナの顔色がどうも優れず、随分と慌てた様子であること。
「……他に誰もいない時は普通に呼んでくれ。で、どうした? 酷い顔色だぞ?」
「す、すぐに戻ってください! 大変なことになっててっ!」
「大変なこと……ッ、まさかッ!!」
『空賊団の連中が再び攻めて来た』と、キヨシはそう予想し、顔面蒼白とすると共に、抑えようもない怒りが湧いてきた。が、ティナはキヨシの表情を見て思考を先読みしたのか、
「あ、あのっ! たぶんキヨシさんが思っているような事態じゃないんです! でも、大変なことには本当になっていて、その──」
「ええい、ハッキリしろッ! いったい何が起きたのかッ!!」
煮え切らないティナの態度に苛立ち現状の報告を急かすと、ティナは細かい説明をかなぐり捨てて、言われた通りにハッキリと、
「き、騎士様とカルロが戦っているんです!」
「あー、なんだそういうことか。カルロッタさんは喧嘩っ早いから、そういう行動に出る可能性も──オイちょっと待て。今なんて言った?」
キヨシは耳を疑い、柄にもなく一度言われた事柄を聞き返す。
行く手から、地鳴りと何かの破裂音が聞こえた。
──────
「オラァァァーーーーーーッ!!」
「ハァァァーーーーーッ!!」
土の拳と、鉄の大槍が激しくぶつかり合った。
その衝撃で双方弾き飛びそうになるが、カルロッタは背後に土壁を精製して、そして相対する騎士──レオは得意の浮遊魔法によって空中で受け身を取ってその場に留まり、激しく乱舞する。
突き穿つ槍の時雨は土の腕に尽く阻まれ、切り返すカルロッタ渾身の"右"は直撃しても空中を回転して受け流され、互いに決定打を与えられない。
「これならッ!!」
「……ほう」
カルロッタが足で地を叩くと、遠隔でレオの周囲の大地が隆起して襲いかかる。右へ、左へ、時には空を舞う木の葉の如くくるくると躱し、狙い済ませば大槍に防がれ空中を激しく回転して受け流す、レオの完璧な防御姿勢だったが、そこはカルロッタの思う壺。
「もらったァッ!!」
回転の軌道上に、あらかじめ土壁を形成して誘導していたのだ。これで受け流すことはできない。
「なるほど。頭もしっかり回るようだ、なッ!」
しかし、相手は国防の騎士の長、その子息だ。
土壁とレオの間の空間から『ぼふっ』と音が鳴ったかと思うと、次の瞬間その空間に存在する空気が暴れ出し、レオを弾き飛ばす。
「チッ、"風"の魔法か!──うわッ!?」
直後、自らの魔法で吹き飛んだレオの回転遠心力がたっぷり乗った大槍が、カルロッタの眼前に迫っていた。咄嗟に土の腕を振って弾き飛ばすも、槍は宙を舞ってそのままレオの手中へと納まる。
全ては計算ずくだ。
「どうだ、あの子の実力の程は?」
レオの背後に立つは、二人の大立ち回りを傍観していた騎士団長、ジェラルド・キャスティロッティだった。
「稀に見る土の魔法使い、こうして戦うのは初めてだが……なんという猛威だ。その強さ、そして否応なく想像を強いられるそれに至るまでの研鑽ッ!……恐れ入る」
「だろォ!? 何せフィデリオさんとアニェラさんの娘さんなんだからなッ」
「何故貴様が誇らしげなんだ、貴様が。親戚か何かじゃないんだぞ。第一、今はその娘さんと戦っているんだ」
「ああ──そうだな」
我が子の呆れ顔に破顔を返すジェラルドだったが、それが済むとすぐにその表情は『ヴィンツ国教騎士団団長の顔』になった。
今二人はヴィンツ国教騎士団という立場の元、カルロッタと戦っているのだ。
「クッ……ソが! これが『空飛ぶ騎士』、レオ・キャスティロッティかッ」
得物を構え直すレオを視界の真ん中に捕らえ、カルロッタもまた崩された拍子を整えて姿勢を取る。
峡谷で相対したフェルディナンドもそうだったが、正直なところヴィンツ国教騎士団所属の騎士がこれほどまでに強いとは思っていなかった。その甘い認識のまま彼らと敵対しようとしていた愚、そして彼らの頂点に立つ男、ジェラルド・キャスティロッティのまだ見ぬ脅威を思い知らされたのだ。
きっと、当初のプランのまま一人で旅立っていたとしたら──きっとカルロッタの目的は、果たされることはなかっただろう。
「僕はどこかの誰かと違って、闘争を愉しむ趣味は無いが……これはどの力を持つ個人と相まみえるのは稀だ。昂るものはある」
「はン、お褒めに与かり光栄の至りってヤツ……よッ!!」
そうして二人は、再び激突する。
「ッ──!!」
と、その時だった。
猛進するレオの目の前に、全身の黒に対し腕と頭髪の真っ白な男が割って入り、その白い拳で槍の穂を殴り飛ばし、軌道を捻じ曲げたのだ。思いも寄らない方向からの攻撃に不意を打たれ、当惑するレオの眼前に、男は右手をズイと向けて構えて見せた。
「……まず問いたいのは、この状況がどういうことなのかってことだぜ」
「ッ、使徒様!」
腕のソルベリウムをビシビシ鳴らし、騎士の前に立ち塞がる男は『創造の使徒』──伊藤喜々。
「オイ、ティナちゃん! そっちはどうだ!!」
そう、キヨシはここに到着する前に戦っている二人の内もう片方──カルロッタを妹であるティナに任せていたのだ。レオの前に『創造の使徒』、カルロッタの間にティナが入れば、それが一番戦いを止められる公算が高いと、キヨシはそう踏んだからだ。
そしてその算段は見事的中し、ティナはカルロッタを──
「はい! やっつけました♨」
「どうして!!?」
ティナの足元で、カルロッタは前のめりになって突っ込んでいた先程は違い、仰向けにブッ倒れた上、ついでに足に電流を流されたカエルのように、時折全身をヒクつかせて悶えていた。
「えっ、カルロを止めるんですよね?」
「やっつけろとは言ってねえよ!? いや、つーか何をしたらそうなるんだ!?」
「えっと、カルロにはスゴく効果的な"弱点"があって。止めたいときは、カルロのお──」
「ワーッ、ワァァァーーーーーーーーッ!! バラしたらブッ殺すぞティナアアァァアアァアアアアーーーーーーッッッ!!!」
あのカルロッタがこれほど必死になって隠そうとするあたり、いやそれ以前にこの状況が物語っているように、その弱点は余程よく効くと見える。じゃじゃ馬の緊急停止方法は一応聞いておきたいところだが、聞いたその後が大変恐ろしいため、あえて聞かないでおくことにした。
「まあ、弱点はさておいて……今言った通りだ。この状況は何だ? おたくらどうして喧嘩してるわけ?」
事の本題はこれだ。とりあえず今のキヨシはこの現状の意味するところ、そしてその経緯も全く理解できていない。
いや、二人が戦う理由はいくらでも思いつく。何せカルロッタはあの峡谷での出来事を抜きにしても、国の歴史を嗅ぎまわる考古学者なのだから。しかし、それを知っていてなお、レオとジェラルドは昨日のアニェラとカルロッタの会話を明らかに聞き流していた。
何かしらの事情があると考えて然るべきだ。
「……よもやとは思うのですが、あのカルロッタさんが今成そうとしている事。使徒様がそれを手引きしているのでしょうか?」
「その"成そうとしている事"ってのが何を指してるのかは分かりませんが……空賊団の排除がそうだって言うのなら、その通りです」
レオの問いにキヨシが特段臆することなく正直に答えてやると、レオは溜息と共に眉間を揉んで目を伏せた。
「失敬……いや弱りました。事態は思ったよりも込み入っていそうだ」
「込み入っている? いやいや、事は思っているよりずっとシンプルだと思いますよ? ただ悪党をやっつけるってだけなんですから」
「いえ、その『悪党をやっつける』というのが……我々の立場上、問題なのです」
「は?」
レオが何を言っているのか、その心を図りかねるキヨシだったが、そこへジェラルドが歩み寄り単刀直入にその意味するところを答える。
「大変申し上げにくいのですが……この一件への介入、というより『ドッチオーネ空賊団の排除』という行動。それを止めるべく、カルロッタさんと交戦していたのですよ」
とても国防の騎士の長とは思えないその物言いに、キヨシは言葉一つ出てこず唖然とするばかりだった。
「……今日は何かと、耳を疑うことが多い気が。それで、今なんと?」
「申し上げた通りです。『ドッチオーネ空賊団の排除』につきまして、我々としましては介入をご遠慮いただきたいのです」
ティナもまた唖然とし、カルロッタに至っては限りない嫌悪を隠そうともしていない。当然だ。カルロッタでなくとも怒りを抑えるのは難しいだろう。これから相手取ろうというのはこの街の、いやひいてはこの国の鼻つまみ者で、平気で他者の命を奪い、全く呵責を感じない人でなし。そして何より、友人の仇。それから手を引けと言うのだ。
「……どうして事を見過ごそうって判断ができるワケ? 『国教騎士団内部に顧客がいるから』とかじゃないでしょうね」
「よもや。内部に顧客がいるのは昨日は話した通りだけど、それらは確実に特定して然るべき処置を取る所存だよ」
「じゃあなんであの空賊団に対し、然るべき処置を取らねえんだっつってんだこのゴミ野郎がッ!!」
淡々と語るジェラルドに猛き怒りと憎悪を剥き出しにするカルロッタ。二人の騎士は、意図を掴めず三者三様の反応を示すキヨシたちに対し、毅然とした態度を崩すことなく静かにその心を口にした。
「此度の騒動及び、ドッチオーネ空賊団の立ち振る舞い。確かに許されることではないし、許せと言っているわけでもない。ただ、連中を排除するのは……簡単に言えば『時期じゃない』とでも言うべきか」
「とどのつまりどういう意味なんです? 持って回った言い方をせず、正直に話していただきたい」
「……昨日お話ししました通り、ドッチオーネ空賊団というのはただの荒くれ者の集まりではなく、このオリヴィーという街の自治の中枢に根を垂らしている集団。関心こそソルベリウム鉱業に移ってはいますが、先に話したゴミ処理ビジネスを始め、様々な分野に巣食い、関わりを持っています。故に、『排除すれば万事解決』というワケではないのです」
「さらに言えば……オリヴィーは元々、オリーブの生産でヴィンツェストに少なくない影響を与えている他、現在ではソルベリウムの産出という面で注目されている土地でもあります。しかしながら、その分野の注目は──」
「ドッチオーネ空賊団の存在ありきな部分が否定できず、このタイミングで排除すると、激しい混乱を生みかねず、多大な余波が懸念される──と」
「……その通りで──」
「ッ!! カルロッタさん、止せ!!」
ジェラルドがキヨシの予想を肯定したその瞬間、キヨシの脇をカルロッタが駆け抜けていった。再び土の拳を生成して何をしようとしているのかを理解したキヨシはカルロッタを追いかける。
カルロッタの怒りが頂点に達したのだ。
ティナとキヨシの制止する声も聞こえておらず、キヨシが羽交い絞めにしてそれを止める間も、レオは目を伏せるのみで動こうとせず、殴られる寸前のジェラルドもまるで抵抗していなかった。
「どうしてッ! どうしてそんなに平気そうなツラしてられるんだよッ!! 人が死んでるんだ! 私の友達が苦しんでるんだ! 大人の事情が、決まりが、国が、人より優先されるってのかよッ!! フザけんな、フザけんなよッ!!!」
今日この時に至るまで、カルロッタがどれほど感情を抑えていたのかを、キヨシはカルロッタの瞳から一気に流れ出た涙によって知った。どんな気持ちで負傷者の手当に従事し、どんな気持ちで瓦礫を漁り、それを抑え気丈に振舞っていたのか、想像するに痛ましい。
歯止めが利かなくなり、ジェラルドを殴ろうとしても殴れず喚き散らし、いつしか萎んだ風船のようにしなびて大人しくなるまで、誰も何も言うことはできなかった。
「……僕たちは先程、カルロッタさんと戦っていたのは行動を止めるためだと、そう言った。だがその実は、戦って少しでもカルロッタさんの気を紛らわそうと、そういう下心があったからだ。もしもジェラルドや僕を殴って気が済むなら、好きなだけ殴ってくれ。僕たちは拳を避けることはしない。何故なら、皆の怒りはもっともだからだ。我々のような立場ある者がだらしないばかりにこうなったと言っても、過言ではないからだ」
ジェラルドの無抵抗の理由を、レオが代わって話す。
ジェラルドやレオとて、この状況に心を痛めていないわけでも、まして責任を感じていないわけではないし、動ける者なら動きたいというのが実のところだ。何故なら、『ヴィンツ国教騎士団だから』。
しかし、それを実行に移すことや、その悲痛を表情に出すことははばかられる。何故なら、『ヴィンツ国教騎士団だから』。
周りで起こる全ての事柄に、イチイチ爆発していたらキリがないし、務まらない。ジェラルドとレオはそういう立場にいる。特にジェラルドは、ヴィンツ国教騎士団の長なのだ。
そういう意味合いでも、やはりあのフェルディナンドと違って高潔な騎士なのだと想像できる。
が──そんなことはキヨシにとって知れたことだし、どうでもよかった。
「……カルロッタさん。ごめん」
「な──」
キヨシの拳がレオの鼻っ柱にめり込み、尻もちをつかせた。
「ッ!? キ、キヨシさ──使徒様、何を!?」
愕然としてその真意を問おうとしたティナだったが、キヨシの鬼のような形相を見て何も言えなくなってしまった。
キヨシはさらにジェラルドをも殴り倒す。宣言通り二人はまるで無抵抗で、文句一つ言おうとはしない。しかしそれが逆に腹立たしかった。
「おたくらは『時期じゃない』って言ったが、じゃあその時期ってのはいつ来るんだ? 答えられないだろう、当たり前だ。時間が経てば経つほど触りがたくなって、時期なんか永劫巡ってこないんだからな。存在しない好機を答えられるワケがないんだ。それでも国のために生きる立場の上で、大局的目線を重んじるなら、どこかで憎まれることも覚悟しろよ! 同じ"罪人"として言わせてもらうが、罪を犯したと思うんなら、責任を感じているんだったら、勝手に許されようとするんじゃないよ! いいか、『許しを乞うな』と言っているんだッ!! 開き直ってんじゃないッ!!」
今のこの惨状はキヨシの行動がきっかけではある。だが元はと言えば、空賊団の暴威とソルベリウム鉱業の利益に目が眩んで、何もできなかった大人たちの業とそのツケだ。問題を放置していれば、キヨシが絡まなくともこうなっていたのは、誰の目にも明らか。
そして、その業は今排除しなければまだまだ大きくなっていく。いつか払わされるツケもだ。
だがキヨシにとって許しがたいのは、ジェラルドたちが立場を優先している事ではない。本当に許せないのはレオの物言いから感じた、『罪や責任を──肩から荷を下ろしたい』という欲をかき、被害者根性でカルロッタに接しているという、その一点に尽きる。
トラヴ運輸の一員ではないというだけで、カルロッタもまた被害者の一人。それをキヨシは今、知ったのだ。
「俺たちは何と言われても止まる気はない。それでも止めるってんなら、やってみろ! 『創造の使徒』に対してッ!!」
キヨシが再びソルベリウムの手甲を顕現させて姿勢を取ると、カルロッタもティナに支えられ、零れた涙を拭いつつ立ち上がり、辺りの大地を隆起させて震わせる。カルロッタを支えるティナもまた、二人ほど敵意を露わにしないまでも、どちらにつくかを前髪の隙間から覗く視線で示していた。
キヨシも、ティナも、カルロッタも、元より止まれと言われて止まるつもりはないのだ。
「……カルロッタさんに対しそのような態度で接したこと、騎士として──いや、一人の人間として、謝罪しなければなりません。まこと、無礼の極みでした」
レオは己とジェラルドの非を認め、頭を深々と垂れて謝罪する。
「しかし……それでも、ヴィンツを守る騎士として、退くワケにはいかない」
大槍を構え直し、レオはまたしてもキヨシたちと相対する。お互いに一歩も譲れぬ事情と思いがあり、それをお互いに了解していた。
だが、だからこそ戦う。陳腐な言い方かもしれないが、己の信念を貫き通すために戦うのだ。
「レオ、使徒殿。一つ、話を聞いてはくれませんか」
そんな一触即発の状況で、殴り倒された後ピクリとも動かなかったジェラルドが頭を振りながら起き上がり、刺々しい雰囲気に構わず話しかけてきた。
「使徒殿とその仲間たちの気持ちとその高潔なる意志。そして我々の愚……ようく分かりました。そこで私から一つ、言うなれば"折衷案"のようなものがございます。争うのはそれを聞いた後、ということにはできませんか」




