第二章-23『悔恨の先に』
トラヴ運輸は、ドッチオーネ空賊団の襲撃を受けて徹底的に破壊された。
これまでキヨシたちが居候していたアレッタの住まいも倉庫崩壊の影響で潰れ、倉庫内にあった顧客の荷物もほとんどが略奪されてしまっていた。当然、従業員のハルピュイヤたちも抵抗したものの、戦い慣れした空賊相手にまるで歯が立たずに蹂躙されるだけだった。
そして──その全てが殺された。
残ったのは、一人、また一人と殺されていく同胞を前に戦意喪失し、襲撃者たちのリーダー格の興味の外にいた者たちだけだ。
この一件の首謀者は間違いなくドッチオーネ空賊団首魁・ロンペレ。トラヴ運輸が襲撃されたのは、街でキヨシがアレッタを庇い建てしたから。トラヴ運輸の従業員は、配達中は皆同じ飛行用のスーツを身にまとっているため、アレッタを見ただけでどこの所属か見当がつく。それで足が付いたのだろう。
社屋は滅茶苦茶、略奪された荷物も絶望的では、過程はどうあれ顧客の信頼はガタ落ち──トラヴ運輸は、事実上廃業したも同然となってしまった。
「もう大丈夫ですよぉ。使徒様も帰って来てくれましたからねぇ」
ヴァイオレットを始めとした街から帰還した一行が、応急担架で負傷したハルピュイヤたちを運び出し、辺りは野戦病院さながらの様相を呈していた。キヨシが元いた世界で学んだ知識が多少なりとも役に立ってはいたが、キヨシは微塵も嬉しいとは思わなかった。
「にーちゃん……痛いよう……」
「ッ──!」
その最中キヨシに話しかけてきたのは、ここに来た日からずっとキヨシにちょっかいをかけてきた子供のハルピュイヤ。悪戯盛りでケタケタと笑いながらキヨシをいじり回していた翼は折れ曲がり、活力はどこかに消え失せていた。
あっちの方でジェラルドから聴取を受けているのは、大飯喰らいのティナを可愛がっていたハルピュイヤだ。比較的軽傷ながらその面倒見のいい性格故、被害に遭った誰よりも辛く悲しく、そして怒りの表情を滲ませていた。
キヨシは黙ってジャケットを脱いで、それを子供のハルピュイヤにかけてやると、歯噛みしながらその場を後にする。
『罪悪感』で──その場にとどまり続けることができなかった。
──────
──きっかけは、俺だ。
キヨシは『何かのきっかけで"これまで"は容易く崩れ去る』ことを知っている。そしてそのきっかけとは、他ならぬキヨシ自身であることを痛感していた。
ドッチオーネがオリヴィーに巣食い、ソルベリウムの鉱脈が発見され、利権を貪り、それでもこれまでは住民と空賊たちの間に、一種の均衡があった。歪且つ不本意な形ながら、平和は守られていたのだ。
そこへキヨシがやってきて、事態は変わってしまった。結果的にとはいえ、キヨシの──『創造の使徒』の存在そのものが、ロンペレを焚きつけたのは誰の目にも明らかだ。
だがそれ以上にキヨシの頭をもたげたのは、ある一つの悔い。
「……あの時…………あの時ッ!! 俺が始末しておきさえすればッ……!!」
数時間前、中央街での交戦。去り行くロンペレを追撃して仕留めることを、キヨシは躊躇った。キヨシの目指す理想の人間像に背く行為──『人殺し』を、キヨシは今一歩のところで思いとどまったのだ。
そしてその結果として多くの人々が傷つき、命を奪われた。
『もしも』を今更語っても何にもならないことなど、キヨシは理解している。だが、少なくともこうはならなかったはずなのだ。だからと言ってそれを成せば、キヨシは皆の信頼を、己を、裏切ることになっていただろう。
何を成すにしても、何かを切り捨てることになっていた。八方塞がりの現実に疲れ、キヨシはただ拳を震わせて立ち尽くす。
「……キヨシさん」
そんなキヨシの後ろから、ティナが心配そうな顔をしてやってきた。この状況で意外に落ち着いているな、とも思ったが、
──やっぱり俺なんかよりもずっと、強い子だな。
ティナの腫れた目を見て、泣くことは既に済ませてきたのだと分かって、その思いを口に出すことはしなかった。
「アレッタさんは、その……どうだ」
「少しでも落ち着ける場所をと、潰れた住まいをできる範囲で修繕してお連れして、今はカルロが付います。けれど……もう、心が疲れ切ってしまっているみたいで。エーテル体が抜けてしまったようにぼうっとしていて……」
「やっぱそうか……そうだよな」
アレッタはあの後、その場から動かなかった。いや、動けなかったのだろうか。泣き叫ぶでもなく、怒り狂うでもなく、そして生き残った仲間の救命に手を貸すこともせず、今ある現実を受け止められずに絶望し、打ちひしがれているようだった。
その瞳にはきっと誰も、何も映ってはいない。
キヨシの罪悪感は、募る一方だ。
「キヨシさん、その……」
「戦うよ」
心情を察したのだろうティナの労いを遮って、キヨシはシンプル且つ一切の隠し立てをせずに決意を語る。
「最初はこの街の争乱だとか、社会的な問題だとかに首を突っ込むつもりはなかった。さっさと飛行機を作り上げて、この街を出るべきだと考えていた……けどこの一件は、俺の迷いの代償を払う必要のない奴に払わせ、出さなくていい犠牲を出した俺の『けじめ』になった。上手く言えないけど……戦う義務があると思う」
「けじめだなんて、キヨシさんはただ……!」
「本当に優しいな、ティナちゃんは……俺もティナちゃんとは同じ気持ちだ。少なくとも、あの街での行動自体にミスはねえと思ってる。でも俺の行動が遠因で人が死んだのは事実だし、目を背けちゃいけない」
キヨシが『創造の使徒』を名乗ったのは、本人としてはその場その場で選んだ最適解のつもりだし、そうでなくとも致し方ない側面は間違いなくあった。
だが、大局的な目で見れば、キヨシの迷った末の選択が最悪の事態を招いたのもまた、紛れもない事実。だからこその悔恨。だからこそのけじめだ。
「でも──その先は、正直分からない。戦って、ぶつかって、その果てにロンペレを殺すのか? それとも全く違う道があるのか……ハッキリ言って、俺の中にはまだ迷いがあると言わざるを得ねえ。だからってやめるワケにもいかねえ。そういう状況じゃないからな」
キヨシは大きく深呼吸して、すぐそばの大きな瓦礫を右手で叩く。すると、その心情が反映された刺々しい形状のソルベリウムが瓦礫を貫き、真っ二つに両断した。
「こと『戦う』という意思に関して……迷いはない。ドッチオーネ空賊団は、絶対にブッ潰してやる」
これは覚悟の表明だ。
過ぎ去ってしまった罪と、これから始まる清算への覚悟──迷いや矛盾を抱えつつも、戦うという絶対的意志の表明だった。
「ごめんなさい」
「……? なんでティナちゃんが謝るんだよ」
何も言わずただ懇々とキヨシの覚悟を聞いていたティナは、いつの間にやら深々と頭を下げていた。その意図を測りかねたキヨシが小首を傾げていると、ティナはおずおずと頭を上げ、
「……私、キヨシさんがいたからこの程度で済んだって……そう信じて辛いのを乗り越えようとしてたんです。無責任な考え方だったと、思い知ったんです。でも、だからって『キヨシさんが悪い』だとか『キヨシさんの所為』とも全然思えません。それでもキヨシさんが戦うって言うのなら止めないし、応援します。けれど、どうか忘れないで欲しいことが──」
「『カルロも、セカイさんも、ドレイクも、私も……隣を一緒に歩いてますから』──だろ? 俺さ。さっき街でティナちゃんが『迷うことは悪いことじゃない』って励ましてくれたのが、スゲー嬉しかった。隣を歩いてるって、きっとそういうことなんだろうな……頑張ろうぜ」
長々と想いを語るティナに、キヨシは今日言われた──いや、『教えられた』ことをそのままお返ししてやると、ティナは少しはにかみつつも、真剣な面持ちでキヨシの右手にするりと手をかけた。その時キヨシの瞳に映っていたのは、キヨシにとって良く慣れ親しんだ『二人』の少女。それをティナが知ることはなかったが、どん底な状況の中で、それは確実にキヨシの救いになっていた。
オリヴィーの夜は、更けていく。