第二章-22『崩壊の序曲』
「アレッタさんったらぁ、まだ安静にしてないとぉ」
「だから大丈夫だって!」
傷だらけの有翼少女は少しふらつきながらも、大地を蹴って走っていく。
間もなく夜のとばりが降りようという時分、一行はまだ狙われる可能性のあるアレッタの護衛という体で騎士たちを引き連れて、トラヴ運輸に戻ろうとしていた。
本来ならアレッタはこのままヴァイオレットの診療所に残すのが道理ではあるが、言ったところでまるで聞かないため、諦めてヴァイオレットが付いて回ることになった。
「いいのか? 診療所空けて」
「構いませんよぉ。どうせいつも暇ですし、あなたもまだ私の患者さんなんですから、丁度いいでぇす」
「そいつはすまなかったな。騎士さんも休暇中だったんでしょ? 巻き込む形になって申し訳ない」
「主の代行者たるあなたが、そのようなことを気にする必要はありません」
レオの丁寧口調にムズ痒さを覚えて頭を掻くキヨシだったが、案外悪い気はしていなかった。
「あっとそうだ。うっかり聞くのを忘れるところだった。ジェラルドさん、ちょっといいですかね」
「いかがなさいましたか」
「ああいや、そんなに大したことじゃないんだけど」
言いながらキヨシはティナに目配せして、こちらに来るように促す。するとティナは『何だろう』といった表情でこちらにちょこちょこと寄ってきた。
「この子がたまーに使ってるんですけど……『騎士団長の手管』って呼ばれる技術はアレ、なんなんですかね? 魔法の一種なんですか?」
鎧の上からだろうと、とにかく叩いたり触ったりするだけでたちどころに相手の力を奪ってしまう、セカイとジェラルドが持つ謎の力。
フェルディナンドが『騎士団長の手管』と呼んでいたのでそれに合わせて呼んではいるものの、実際のところどういう技術なのかは全く理解できない。火、水、風、土の四魔法のどれかと考えても、ピンとこない感じもあり、そもそも魔法なのかどうかも判然としない。
その糸口が掴めるかもしれない。キヨシはそう思ったのだ。
「ああ、そういえば使ってたよね。ティナ、あれどこで覚えたの?」
「えぇっと……」
実は別人格として宿っているセカイが使っている、とは言えるワケもなく。興味津々で窺ってくる母になんと説明すればよいものかと、困り果てた様子でティナは顔を背ける。
その様子にジェラルドは軽く吹き出して、あとは雪崩れるように笑っていた。
「ハハハ、いや失敬失敬。まあ結論から言いますと……私にもよく分からんのです」
「は?」
「私はそもそも精霊と契約し、四大属性の魔法を扱う素養が無かったようで……俗に魔法と呼ばれるものは一切扱えません。その代わりいつの間にか芽生えたのが、この力。そしてその手の研究はアティーズが盛んに行っていて、何か知っているようなのですがね。まだ戦争が終わり、国交が始まってからそれほど経っていないのもあり、教えてくれんのですよ」
自分が使っている力を理解できないというのはどうなんだ、とツッコミそうにもなるが、キヨシも自分の指の力についてはイマイチよく分かっていないところが大きく、人のことを言えた義理ではないので黙っておくことにした。
「ま、そこんとこはアティーズと関わり合いになった時に考えればいいかな」
「いやはや、お力になれず申し訳ありません。ただ──」
「ただ?」
「どうもよく効く者と、効き目が鈍い者がいるようでしてね。例えばあなたにはよく効いたようですが、そこのアニェラさんや旦那さんのフィデリオさん、レオにも鍛錬の一環として発動したのですが、徐々に効かなくなっていきました」
「耐性がつく……てことですか?」
「どうでしょう、フィデリオさんたちには最初から効き目が鈍かったですし」
「教えてくれたのはありがてえけど、分からんことが増えただけじゃねーかこれ!」
せっかく何か掴めるかと思いきやむしろ謎は深まるばかりで、キヨシは頭を抱えそうになった。
「ところで使徒様、今『アティーズ』と、そう言ったよね?」
「あ、ああ。それが何か……あっ」
「二人を……連れて行くの?」
「え、いやいや。アティーズに行くとは言ってないッスよ……二人は、連れて行くつもりだけど」
今の一瞬で、アニェラがまとっている雰囲気が一変した気がした。
遅かれ早かれこういう状況にはなることは分かっていた。分かっていたが、こうして相対するとどうにも言葉に詰まってしまい、何も言うことができない。
「カルロは……問うまでもないか。あなたにとって、きっと使徒様は研究材料みたいなもんだろうし。きっと意地でもついて行こうとするよね」
「と、当然でしょ」
「なら私もお父さんも、そのことにいい顔をしないだろうってことも分かるよね」
「覚悟の上よ。親どころか、国に背くことになってもね。私はこの国の歴史を解き明かす」
話を傍で聞いていた騎士二人は、意外にも特に反応を示さない。家族間の問題には首を突っ込む気がないという意志表示なのか、それともあまり事態を重く見ていないのかは分からないが。
「そう、じゃあティナは?」
「うっ……」
問題はティナだ。本来ティナは、カルロッタを連れ戻していつまでも一緒に暮らしたい、というのが実のところだし、本当はもう冒険を終わりにしてみんなで帰りたいはず。だが、だからこそ帰るわけにはいかない。しかし説明のしようがない。だが、親に対してできることなら嘘も吐きたくない。
現実と良心の板挟み。きっと苦しいだろうが、避けることのできない状況なのだ。
「……私は──」
意を決したティナが口を開きかかったが、すぐ前で突っ立っているアレッタにぶつかってしまい遮られた。
「す、すみません、アレッタさ……アレッタさん?」
ティナだけでなく、この場の全ての者がアレッタの様子がおかしいことに気付く。
生気は抜け切り、どこか虚ろだが目だけは大きく見開かれて、何か"信じられないもの"を見るような表情をしている。
というか、そもそもアレッタはトラヴ運輸に帰ることに気持ちが急いて、一人突っ走っていたはずだ。それが何故、喋りながら歩いていたキヨシたちに追いつかれてしまっているのか。
「オイ、どうしたアレッタさん? なあ?」
アレッタの眼鼻の先で手の平を振るも、まるで反応無し。「ああやっぱり無理してたんだな」と思ったキヨシは茶化すように鼻を鳴らし、
「オイオイオイ、しっかりしろよ。やっぱ診療所にいた方が良かったんじゃねえか」
「使徒様」
「ヴァイオレットさん、俺の体はもうなんともねえし、やっぱりアレッタさんを」
「キヨシさんッ!!」
「なんだよティナちゃん、今はアレッタさんの身体をだな──ッ!?」
──とっておきの舞台を用意して──
「……なんだよ、これ」
アレッタの視線の先に見えてきたのは、キヨシにとっても信じられない──否、地獄のような光景だった。
──舞台ってのは場所だけじゃなく、優れた演者も──
「キ、キヨシ……あれは」
「どうして!! なんでこんなッ……!!?」
少しずつ、理解することを拒絶するキヨシの脳が、状況に追いつき始める。
「……酷い」
呼吸が荒くなり、鼓動が加速し、キヨシの身体中を叩く。
「レオ、負傷者の応急手当てを!」
「分かっている!! ヴァイオレット殿、あなたにも協力していただくぞッ!!」
「はいはぁい……あら?」
全てを察し、理解したキヨシは、堪らず駆け出した。
皆何か言っているような気がするが、キヨシの耳には届かない。
──なんだよ、これはッ!
帰り着いたはずのキヨシたちの眼前に広がるのは瓦礫の山、潰れた家々、そして──『転がっている』、今朝まで寝食を共にしていたハルピュイヤたち。
「あ……あ──────」
アレッタが糸の切れた人形のように、力なく両膝をつく。
未だ呆然とした表情だったが、その黄色い瞳の奥には真っ暗な絶望が見える。何故なら、帰る場所を失ったから。
灯りなど無い。あるのは血と、絶望だけだ。
──さて、俺の演出はお気に召すかな?──
「……う゛ッ……オオォォォオオオおおおおおおおォあああああァァァあああああああああァァあああアアアアああーーーーーッ!!! ロンペレーーーーーーーーーーーーーッッッ!!!」
怒りが、憎悪が、キヨシの胸から噴き上がり、喉を通して割れ響かんばかりの叫びとなって、オリヴィーの闇夜に木霊する。
アレッタが帰る場所──トラヴ運輸はもう、そこには無かった。




