第二章-20『一段落』
掴みは良し──この場にいる全ての者の頭上に位置するキヨシは、その神々しい雰囲気とは裏腹に、おっかなびっくりといった心地で安堵していた。
キヨシの計画、それは『国教騎士団を今このひと時のみ味方に置くこと』。
昨日路地裏でかち合った時点で、どう足掻こうともこのオリヴィーにいる間はキヨシたちは警戒される。そしてキヨシがいるという情報はいつか必ず、ヴィンツェスト中央都──フェルディナンドがいるところまで伝わってしまう。だからと言って、どう言い繕ったとしても完全なる安全を買うのは難しい。そんな言い訳、思いつくならとっくに実践している。
ならいっそ、創造教に由来する『何か』である右手の力を公開して、あとは姉妹の母アニェラごと舌先三寸で丸め込んでしまえばいい。中央都に連絡を付けようとした場合は「お忍びで来てるから」とかなんとかで封殺可能。
要は『俺はお前たちの崇める対象に近しい存在なのだ』と信じ込ませる。これがキヨシの作戦だった。
──えー、それっぽい台詞それっぽい台詞……。
「汝らの蛮行、目に余る。今ここで仕えし主に代わり、神罰を与えてくれる。覚悟召されよ」
当然、これは元々ジェラルドたちがキヨシたちの素性や、あの峡谷での出来事を知らないことが前提の作戦。そういう意味では危ない橋だったし、その橋──いや、綱はまだ渡っている真っ最中で、一度のミスで即転落なのは変わらない。
ドッチオーネ空賊団というイレギュラーも現れた。彼らの存在は全くの想定外だ。
が、現実として事は上手く運んでいた。
「創造の騎士が一人、ジェラルド・キャスティロッティ」
「同じく、レオ・キャスティロッティ。この身この力、その全てを主の代行者たる貴方に委ねます。なんなりと」
太陽、ソルベリウム、壊滅同然の街並み、そしてキヨシの足元で武器を収め平伏す二人の騎士。全てが『創造の使徒』としての絶対的な力を演出していた。
キヨシはジェラルドが先程持っていた棒切れと同じ形状のソルベリウムの槍を生成して、ジェラルドの前に放りすぐそばに降り立つ。
「使徒よ。愚かな我が父の不手際を補っていただき、感謝に堪えません」
「レオレオレオォ!! やめてくれよ、使徒殿にそんな告げ口みたいなさア」
「弁えろジェラルドッ!! 無礼をお許しください、主の使徒よ」
「おたくら本当に親子なんですかね? いやあの、あんまり畏まんなくていいよマジに。えーっとほらあれだ、まだ修業中の身でそんなに偉くは──」
余りのムズ痒さに首を掻きながら懇願していると、
「お、おおお、親分何をグハッ!?」
「使徒オオオオオオオオオオーーーーーッッッ!!」
制止する己が部下を吹き飛ばし、目を血走らせた闘争の化身──ロンペレが、雄叫びを上げてキヨシに向かって猛進してきていた。
が、キヨシとロンペレの間には二人の騎士。
「使徒殿への無礼は、やめていただくぜ」
「貴様が言えた義理かジェラルド」
ジェラルドとレオは軽口を叩きながら、腕を慣らすように手の平で槍とソルベリウムの棒をそれぞれくるくると回して構え、ロンペレと相対し衝突した。
ロンペレは臆することなくむしろ高らかに笑いながら、両掌に拳大の水を発生させて握り潰す。水の散弾銃だ。
まずはレオが槍を大きく横に薙ぐと超局所的に強風が発生して散弾を掻き消していき、そこをジェラルドが返す棒切れを貫かんと放つ。挙動を見るに、ジェラルドの本来の得物はレオと同じく槍のようだ。
しかしその剛腕、その威力たるや昨日路地裏で見たレオのそれを遥かに凌駕するものだった。ずぶの素人のキヨシにさえ技量や錬度の違いをただの一振りで思い知らせ、対応を誤ると敵対関係になると思うと背筋が凍り付きそうになる程に。
「邪魔すんなァッ!!」
それでも相手は、そのジェラルドと渡り合っていた亜人種である。
ロンペレは眼前まで迫る棒を、ガーゴイルの翼でもってふわりと躱しそのままジェラルドの顔面に蹴り足を見舞うが、そこをレオの得物が割り込んで防御。隙を晒したロンペレの腹にジェラルドが拳を直接叩き込もうとするも、またしても空中機動で躱される。
ジェラルドの狙いは言わずもがな、ティナに宿るセカイが身につけていた謎の能力、その名の由来──
「一撃必倒の『騎士団長の手管』、知ってるからこそテメエには絶対に触らせねえのさ」
「やっぱ食らっちゃくれねえか。つーか、さっきまで俺で楽しんでたくせにもう鞍替えとは、寂しいなあオイ」
「ハァーッハッハハハッ!! 嬉しいねえ、そんなに俺のこと気にかけてくれちゃってるわけェ!? 騎士団長、確かに素敵な相手だが……それを超える極上の獲物を前にするとさすがに霞むってもんだ。なあ『創造の使徒』サマよォ」
破顔一笑、ロンペレは心底楽しそうにくっちゃべりながら、二人の騎士の背後で右腕を大きく振りかぶり不意打ちの準備をしていたキヨシをギロリと睨みつける。油断も隙も無いとはこの事か。
──クソッ、やっぱコイツ口だけじゃねえ!
「標的変更だ、『創造の使徒』。近い内に、とっておきの舞台を用意して招待してやるよ……血が滾ってひりつくような、素敵な闘争へとな」
ロンペレが指を鳴らすと、辺りのガーゴイルたちが再びキヨシたちに向けて拳大の水弾を乱射。それらは今準備していたソルベリウムを防御に回すことで対応したが、その間にロンペレは遥か上空へと飛び上がってしまっていた。
「逃がすものか──なッ!?」
ガーゴイルたちと同じく飛行能力を持つレオが追跡を開始しようとするが、ジェラルドが手を上げてこれを制止する。
「お前の飛行能力じゃガーゴイルの……ましてやロンペレの速度に追いつくのは不可能だ。追いつけたとしても多勢に無勢、この数のガーゴイルを単独で相手にすることになっちまうぜ。それよりか、負傷者の手当の方が先だ」
「ぐッ……」
次々と飛び去って行くガーゴイルの軍勢が、オリヴィー中央街の空を覆い尽くし澄んだ空を黒く染め上げる。先程四対一でやや苦戦していたレオでは確かに荷が重かろう。
しかし、冷静に状況を分析する騎士を他所に、キヨシはまだ諦めていなかった。
──ここで仕留めて終わりにすべきだが……だが、しかし……。
否、キヨシは葛藤していたのだ。
大局的な目で見れば、今ここでロンペレを打ち倒してドッチオーネ空賊団を掃討するのが最も理想的且つ後腐れが無いのは間違いない。実際、右手の力をフルに使えばロンペレがどうかはともかく、雑兵共などまるで問題にならないだろう。
つまりそれは、『ロンペレを始末する』ことを意味している。捕縛した程度で止まる者ではないし、そもそも非武装とはいえ騎士団長と互角のロンペレを留め置ける者などヴィンツェスト内にいるかどうかも疑問だからだ。
しかしながら、相手が亜人種だろうと紛れもなく『殺人』。この街への道すがら打ち立てた誓い──『人間に近付く』こととは激しく矛盾しているのではないだろうか?
ティナやセカイ、カルロッタたちを裏切る行為になり得ないだろうか?
その迷いがキヨシの追撃を躊躇わせていたのだ。
考えれば考えるほど昨日の出来事、そしてあのドス黒い精神がフラッシュバックし、指先の照準がブレる。震える右手を左手で抑えるが、それも無駄だった。
「『迷うくらいならやめてしまえ』」
「──!!」
いつの間にかキヨシのそばにいたアニェラが、昨日聞いたアニェラの夫、フィデリオの口癖をただ一言呟き、キヨシを思考の海から引き上げる。
「迷ってる内は行動したって上手くはいかない。とりあえず今はやめておいた方が、いーんじゃないかな?」
「……そう、ですかね」
アニェラの進言を受け入れたキヨシは指を下ろす。それと同時にまとっていたドレイクの白い炎も霧散していき、トカゲに戻ったドレイクはこそこそとキヨシの傍らに近付いてくるティナの足を伝い、服の下に隠れていった。
「……本当に助かった。ドレイクにも礼を言っておいてくれ。後で直接言うつもりでもいるけど」
「はい、承りました」
とりあえずの危機は去った。が、緊張の糸が切れたからか、それとも先の迷いとフィデリオの口癖が刺さったからか、浮かない顔で俯き溜め息を吐くキヨシに、
「大丈夫、迷うことは悪いことじゃありませんから」
と、ティナは諭すようにそう言った。
まだまだ前途多難。しかしこれでようやく一段落である。
「……くどいかもしれないけど、本当にありがとうティナちゃん」
「キヨシさん、私があの文字を読めるってどうして分かったんですか? 試してもいないのに」
「『バブみ』や『骨なしチキンのお客様』を理解できるティナちゃんなら、きっと理解してくれると信じてたぜ、ヒヒヒ」
「うっ。で、ですからアレは──そうだ、アレッタさん!」
オリヴィーの争乱が一段落したのも束の間、キヨシとティナは重傷を負っているアレッタのことを思い出し、そちらの方へと注意を向けると、既にアニェラが傍らに立ち傷の具合を見ているようだった。キヨシとティナも遅まきながら駆け寄ると、痣だらけの痛々しい姿のアレッタを見て胸が締め付けられる心地を覚える。
「お母さん、アレッタさんは……」
「……アレッタっていうのね、この子は。ちょーっと、私じゃ応急手当ぐらいしかできないかなあ」
「ウチで診ましょうかぁ?」
「ああ、とっとと医者に担ぎこんで……ん?」
キヨシたちは突然この場にいない筈の者の声を聞いた気がして、耳を疑った。そうして拭えない違和感にふと声の発生源を見やると、
「オワァッ!!? 『妖怪破廉恥ドクター』ッ!! いつの間に!」
そこにはキヨシに失敬な渾名を付けられるも意に介さず、アレッタの業務用スーツのファスナーを下ろして容態を診るヴァイオレットがいた。
直後、顔面に温かなティナの両手が貼りついて視界が遮られる。まあ当然の対応だろう。
「ヴァイオレットさん!? どうしてここに!?」
「はぁい、傷病の香りに呼ばれたヴァイオレットでぇす。それはそうとこの子、酷い怪我ですねぇ。ここでできることは何もありませんし、やはりウチに運びましょうかぁ」
不思議な言い回しと雰囲気でティナの問いを煙に巻きつつ、ヴァイオレットはそこら中に散乱した丁度いい形状のソルベリウムを、アレッタの体に括りつけて応急処置を施す。
その時、キヨシの脳裏にある悪い予感がよぎった。
「ちょっと待てよ、トラヴ運輸にいたおたくがここにいるってことは、ひょっとして……」
「キ、ヨ、シ、くゥ~~~~ん? この惨状はどういうことなのかなァ~~~~~~~ッ!?」
背後から聞こえる聞き慣れた声に背筋が凍り付く心地を覚え、恐る恐るティナの両手をどかして後ろを振り向くと、昨日キヨシが買ってきたローブを着込み、フードを目深に被ったまさに鬼の形相といったふうなカルロッタが、仁王立ちでこちらを睨みつけていた。
「カ、カルロッタさん? おたくまでどうしてここに? 街には近付かない方が……」
「アンタを信じて、図面引くインク買いに来たんですけどォォォ~~~~~!?」
「あー言い訳がましいようだけどな? アレッタさんは俺が来た時にはこんなになってて、この状況自体は俺の作戦通りで──」
「だったらせめてやる前に説明してからにしろや! ホントテメエは勝手なことばっかしやがって!!」
「だからしたじゃねーかよ! 『国教騎士団を味方に付ける』ってのはさあ!」
「ここまでやるなんざ聞いてねえわ、このダボォッ!!」
「いやそれは、その……」
そう。ここに来る直前、実はキヨシはカルロッタに今回の件に関してはどうにかなる、任せておけとは言ってあったのだ。もっと穏便に済ませるつもりではあったものの、ドッチオーネ空賊団の介入により、ここまでの大事になってしまっていた。
凡ミス、大ポカ、こんな時にできることはただ一つ。
「マジでゴメン☆」
ただ手を合わせて謝る事。しかしながらその振る舞いは、痛めつけられた親友を目の前にしてカリカリしているカルロッタの神経を逆撫でするに十分だった。
「あっその土気色のもや、出すの初めて会った日以来じゃね? え、ちょやめっ、ああそんなもんで殴ったらギャアアアアアァァアアーーーーーーッ!! マジでホントゴメンッて! 説明する、説明するからやめ痛アアアアアアアアァァアアアアァァァアイ!! ヒェーッ! ティナちゃん助けてェェェェーーーーーーーーーーッ!!」
「キヨシさんが悪いと思うのでダメです」
「無慈悲ィィィイイイッ!!?」
ティナに『つーん』とされて悲痛な叫び声をあげ、土の拳で干された布団の如くボコボコと叩かれるキヨシに、最早『創造の使徒』としての威厳は微塵もなかった。
──────
「……やべぇもん見ちまったよオイ」
「これ壁新聞とか書いてる奴にタレ込んだらいくらになるんだ……」
「ああ、きっとしばらく遊んで暮らせるだけの金が入るに違いねえぜッ」
と、ここですぐ近くの路地の陰に二人の男。この二人、ドッチオーネ空賊団による一連の争乱の逃げ遅れであり、この一件の目撃者だった。
「いやいやタレ込むなら教会とか、広場で演説してる奴とかだ! 創造主様の代行者が降臨なされたんだからなッ、それをいの一番に知らせたのならきっと褒賞金を弾んで──」
「ああそのことなんだけど、この一件については黙っといてくんない?」
「うわッ!? き、騎士団長様ァ!? こ、これはその……」
我先にと教会へと走り出そうとした男の襟首を引っ掴んで止めたのは、いつの間にか目の前に立っていたヴィンツ国教騎士団団長ジェラルド・キャスティロッティだった。
ジェラルドは畏まりあたふたとする男二人を宥め、ばつが悪そうに頭をポリポリと掻きながら、
「ほら、なんだ。使徒殿が降臨なされたのは国教騎士団の立場にいる俺が把握したしさ。口外しないでもらえると、国教騎士団としては非常に助かるんだが……」
「ジェラルド、頼み方というものがあるだろう」
ジェラルドの隣に立つレオが、キヨシが生成して放置していたソルベリウムの塊を一人につき二つ三つ、目撃者の男たちに放り渡す。
「どうだろう。黙ってもらえればしばらくと言わず、先数年は遊んで暮らせる。そういうことで手を打たないか?」
この申し出を男たちが断る理由など無く、あっさり交渉成立。当事者及び彼ら以外では空賊団の構成員以外の目撃者がいないのが幸いし、この一件は一般の国民には秘匿される運びとなった。
ソルベリウムを抱えて嬉々として去っていく男たちを尻目に、騎士二人は溜息をついて歩き出す。
「いやー助かった助かった。しかしアイツら、本当に喋らないでいてくれるかな」
「金の回りと、お前の人徳次第だな」
「じゃあ大丈夫だなッ」
「どこから来るんだその自信は……さあ、事後処理だ。あの男たちに渡した量を超えるソルベリウムを、誰かに拾われる前に処分しなければ。さてどうしたものか」
「ああ、そこは心配ない。アニェラさんの娘さんの内、姉の方が土の魔法使いでな。穴でも掘ってもらって、埋め立てちまおうと思ってる。向こうも大事にするのは望むところじゃねえだろうし、協力してくれるはずさ」
「随分と詳しいようだな? あの一家について」
「まあ……彼女らの両親、アニェラさんやフィデリオさんとは結構交流が深いのさ」
レオの質問でどこか懐かしさを感じているような表情で微笑み、ジェラルドはカラカラと笑いながら百叩きの刑に処されるキヨシとその仲間たちに歩み寄っていった。




