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第二章-18『破戒者』

 そのガーゴイルは、他とは明らかに違っていた。


 彼が現れた瞬間、レオが対峙していた四匹のガーゴイルが胸に手を当てて"礼"の姿勢を取り、地上にいたガーゴイルは跪いて頭を垂れる。


 ──こいつら……平伏しているッ!


 その畏敬の態度を向けられている等の本人は『やれやれ』という風な感じで首を振っていた。しかしながら、一対の角の片方が絶たれ、体中に生々しい傷が刻まれたこのガーゴイルは、ならず者の分際で威風堂々たる雰囲気を醸し出す。


 ただ前に立っているだけで圧を感じる。キヨシにとって、人生で初めての経験だった。


「連中のこの態度……こいつが首領(ドン)、親玉なのか?」


「御明察。アイツこそドッチオーネ空賊団の首魁である……えー……」


「……? なんだよ、名前覚えてないんスか」


「違う、なんと説明すればいいものかと思っているだけだ」


 いやに歯切れの悪いレオに代わって、またまたジェラルドが口を開く。


「奴には、名前がない。元々親無し家族無しの天涯孤独の身でな……腕っぷしのみで空賊団の首領にまで上り詰め、反発する者はその圧倒的な力で捻じ伏せ、逆に陶酔させた。そーいう奴なんだよ」


「……そういうのホントにいるんだな。異世界ファンタジーのなせる業ってか?」


「ともかく。奴のことを呼ぶのであれば、我々国教騎士団及び衛兵隊の間では──」


「『破戒者(ロンペレ)』って呼んでるんだろ? まあ好きに呼べばいいけどよォ。それにしても、俺も随分有名になったもんだな」


 絶ち角のガーゴイル──ロンペレが、ジェラルドの説明に粗暴な口調で口を挟んだ。ジェラルドは溜息を吐きながら肩をすくめ、


「お前の配下が吹聴して回ってんのさ。夜に街の酒場にでも繰り出してみろ、嫌というほどお前の武勇伝を語ってくれるぜ」


「ほーん。最近突っかかられることが多いと思ったら、そういう理由か。まあそれで戦う機会が増えたんだから悪い気はしないけどな」


 この言い様に、キヨシの心はピクリと反応した。


「……人語は通じると見て聞くけど。おたくの目的はなんだ? ムショにブチ込まれた可愛い下僕の脱獄を手引きしようって感じか?」


「あ? なんだお前は」


「質問してんのはこっち、おたくは答えるだけだ」


 問いをピシャリと打ち切られたロンペレだったが、彼は大して意に介した様子もなく、むしろ薄笑いを浮かべてこちらを見下す。


「このマヌケが酔い任せで暴れて捕まったって報せが、今朝届いてな。まあぶっちゃけた話、正直コイツがどーなろうがどうでも良かったんだがな、コイツの兄貴分に拝み倒されてさあ。根負けして救助しに行ってみりゃあ、国教騎士団の偉い奴と事を構えたとか言いやがンのよ。いやあ、いいことはするもんだよなァ、とびっきりの大物が釣れたんだからな」


「オイちょっと待て。その口ぶりだと俺の予想は大外れだが、そうなるとますます目的が見えねえし、ただただそこの騎士団長サマと戦いたかっただけって風にしか聞こえねえぜ」


「そうとも」


「は?──」


 まさかの肯定である。キヨシだけではなく、アレッタの傍らにいるティナやドレイクも、ロンペレが何を言っているのか理解できず、呆然とする。


 そんな彼らを見たロンペレは『分かんないのォ?』とでも言いたげにケタケタと笑い、こう言い放った。


「『闘争』。俺にとって、それ以外の一切に、一切の価値はねェ」


 そうして返ってきた答えは、キヨシたちが想像だにしていなかった単純なものだった。しかしこの上なく、ロンペレという存在の何たるかを表した一言だろう。このロンペレというガーゴイル、戦うこと以外の事柄にまるで価値を見出せない異常者なのだ。先程ジェラルドが話した彼の経歴にしたって、本人からしたら『ただ戦っていたらそうなっていた』というだけなのかもしれない。


 ロンペレもまた、キヨシと同じく『悪魔』の領域に身を置く者──それだけは理解できた。だが、それではまだ半分だ。


「……それだったら、何故アレッタさんがああなるんだ? 微塵も関係あるまい」


「アレッタ? ああ、そこのハルピュイヤ族か。いやいや、関係はあるだろ? この馬鹿が捕まった現場にいたらしいからな。それなら騎士団長サマのいる場所だって知ってるだろうと思って、たまたま通りかかったそいつに伺いを立ててみりゃあ、何も喋んねえもんだからお仕置きしたまでだ。でも、一応感謝はしてるんだぜ? そうしたら向こうからやって来てくれて、いい餌にはなったと言えるんだからな」


「……そうかよ」


 キヨシは、アレッタというハルピュイヤを知っている。


 天真爛漫で、国に弓引く異端者たちを匿ってしまうような愚直なまでのお人好し。そうしたことで身に降りかかる不都合など、まるで気に留めないほどに。


 故に、アレッタが口を割らなかった理由も想像がつく。


「まあそういうわけだからよ、目的の騎士団長サマに会えた時点でそいつにはもう価値ねェんだわ。丁度いいや、お前そのハルピュイヤ連れてとっとと消えてくれや。俺はまだお楽しみの最中なんでな。邪魔するってんなら──」


 ロンペレは足元の巨大な水の塊を爪先で突いて、キヨシに対し警告する。あれは元々、騎士二人が闘いに応じなかった場合の脅しの武力だったのだろう。


 それと同時に、地上のガーゴイルたちも一斉に水の魔法でこちらを攻撃する体勢に入った。


「……ああ、そうだな。とっととこの街から出ていくべきだ。ただし……おたくらドッチオーネ空賊団の方が、だがな」


 しかし、そんな逆境にもキヨシは屈しない。


「ほう。では、あくまで俺の邪魔をするってのか?」


「さっき騎士サマに促されたときも思ったんだけどさあ……どう考えてもおかしいと思うんだよな。まずなんで俺たちが出て行かなくっちゃいかんのか、皆目理解できん」


 喋り始めた途端、冷静でいようと努めていた感情が少しずつ、ジワリジワリと蓋を押しのけて漏れ出てくるような感覚をキヨシは覚えた。


「なんで俺たちが友人の仇を眼前にして、尻尾巻いて逃げ出さなくちゃいけねえんだ? どういう理屈で、この世の鼻つまみ者みたいな奴らに『出て行け』とか言われなくちゃいけねえんだ? そう言われて従うべきなのは、ドッチオーネ! おたくらの方に決まってるぜ」


 一言、また一言とまくし立てるように話すキヨシは、激しく語気を荒げるようなことはしなかったが、苛立ちを隠せてはいない。


 相手は戦うことしか頭にない戦闘狂、異常者の類。それを客観的に見ると、こうも腹立たしく写るものなのかと驚いてもいた。


 そして、自分自身が他人からはこう見えていたのかもしれない、とも。


 そんな奴の身勝手でアレッタが傷ついて、そして逃げ出すなど馬鹿げているし、反吐が出る。それが、今のキヨシの心を支配する怒りの正体だった。


「俺の言っていることどこか間違ってるか、騎士サマよぉ。いや、間違ってるなんて言わせねえぜ」


「……フ。なるほど確かに、一理ある。非礼は事が治まったら詫びたいところ……──!」


 キヨシの言い分にニヤリとしていたレオの表情に、驚愕の色が滲む。


「ああ……これか?」


 少し得意げに掲げたキヨシの右手人差し指からはすでに、パキパキと薄氷を踏むような音と共にソルベリウムが顕現し始めていたのだ。


「まさかあの馬鹿!」


「キ、キヨシさ──」


 困惑し、キヨシを制止しようとするティナとドレイクの声を遮るように右手を一振り。すると、キヨシの足元からティナまでの地面にソルベリウムが生えるように生成されていった。


 この現象にレオだけでなく、傍から見ていた他のガーゴイルやジェラルドでさえ愕然とする。笑っていたのは、闘争の気配を感じたロンペレだけだった。


 キヨシはティナの方を一瞥し、これから成す事柄を想って深呼吸をする。


 ──……大丈夫さ、ティナちゃん。元々こいつは使うつもりだったし、何より友人がこんな目に遭わされて黙ってる奴は、俺の目指す人間ではない!


 できれば先に何を成すか説明しておきたかったが、そうも言ってはいられないようだ。内心焦りつつも、一切顔に出さずに不遜な笑みを絶やさぬよう努める。


 とにかく、()()()()()()()()()。上手くいくかどうかは分からないが──あとはティナがその仕掛けと意図を汲み取ってくれることを信じるのみ。


「……どうか、伝わってくれ」


 キヨシの計画は今、動き出した。

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