第二章-15『悪魔のフリをした人間』
雲一つない空から注ぐ、心地いい早朝の日差しの下、一度は通った道をティナを伴って歩く。
セカイからは愛を、カルロッタから好機を貰い、勇んで街へと歩き出したキヨシだったが、
──ああ、やっぱり話しかけづれぇ。
未だ話のとっかかりを掴めず、黙りこくったままでいた。
昨晩セカイがアレッタの家に戻ってから、この状況のシミュレーションはしていた。しかしいざ本番となってみると、考え出したパターンのことごとくがなんだか上手くいかなさそうな気がしてくる。ありがちなことではあるが、不甲斐ないことには変わりないだろう。
その心情を表すかのように、少しずつ昨日辿ったコースを外れ、若干の遠回りをしていた。
しかし、好機を逃すわけにはいかない。
──ええい、相手は十二の子供だろうが! 何をビビりアガッてんだ!
とにかく何でもいいから話しかけて、流れでどうにかしようと、
「「あの」」
何故か全く同じタイミングでティナの方も口を開き、ハーモニーを奏でる。お互いに出鼻を挫かれ、気まずそうに目を伏せた。
「え、えっと。お先にどうぞ」
「ああいや、おたくから先に話してくれ」
「いえ、キヨシさんから」
「おたくから」
わちゃわちゃと実のないやり取りをしていると「馬鹿やってんじゃねえよアホ共が」と、ティナの頭上のドレイクが全力で呆れた風な台詞を二人に浴びせる。
「言いたいことがあるんだろうがよォ。キヨシの方は知らねーけど」
「……うん」
どうもティナの方も、キヨシと話したいことがあるようだ。
ティナは目を伏せたまま、キヨシに対し恐れを抱いた様子でおずおずと、
「私、甘かったですよね」
「え──」
この一言だけで、キヨシはこれからティナが何を言うのかなんとなく想像がついてしまっていた。
「……私は昨日、セカイさんが表に出ていた時のこともちゃんと覚えています。キヨシさんがお母さんと戦って、ボロボロになったことも」
「おい、ティナちゃん……」
「ごめんなさい。私、まだそこまで強くなかったんです。カルロについて行くって決めて、キヨシさんに『助けて欲しい』ってお願いして。私だけ綺麗なままで、キヨシさんやカルロにだけ悪いことをさせるなんて、酷いですよね」
「ティナちゃん」
「ついて行くって決めたんだから、私も色々考えて行動しなきゃいけませんね」
「なあ」
後に続く言葉を、キヨシは聞きたくなかった。
「時間はかかるかもしれませんけど、これからは悪いこともしなきゃいけない時は──」
「ダメだッ!!」
キヨシは表情を酷く歪ませ、ティナの両肩を掴み出かかっていた言葉を無理矢理に飲み込ませた。
堪えられなかったのだ。
ティナは昨日の出来事を受け、キヨシの反社会的行動を『自分がそうさせてしまった』と解釈したのだろう。『ティナとカルロッタを守る』という約束に甘えていたのではないかと。汚れ役を強いていたのではないか、と。
『これからは自分も背負う』。きっとティナはそう言いたいのだ。
齢十二の小さな背には重過ぎるほどの、悲壮な覚悟──それを話すティナの作られた笑顔の裏に、哀しみが隠されていることにキヨシは気付いていた。
「……キヨシさん、大丈夫。私なら大丈夫ですから」
「何が大丈夫なもんかよ……! おたくはまだそんなこと考えなくていいんだ、今日まで持っていた価値観を捨てるなんて……どうか大事にしていてくれ。おたくまで『こっち』に来ちまったら……。無理をするな、俺が悪かったんだ。だから、だからそんな悲しい覚悟を背負おうとしないでくれ……」
思い悩んでいるのが自分だけだと錯覚していたが、悩んでいたのは、ティナとて同じ。カルロッタの言うことを額面通りに受け取って、その事実から目を逸らしていたのだ。
まだ甘いのは、キヨシの方だった。
肩を掴む両手に力がこもり、半ば懇願に近い心情を吐露する。
なんと情けない光景か。
「ッ……キヨシさんの方こそ、どうかやめてっ、くだ、さい。これまでずっと、私、はっ──」
嗚咽が混じり、途切れ途切れの言葉。その先が紡がれることはなく、ティナもまた膝をつき泣き崩れるのだった。
今ここに人目はない。いるのは重荷に泣いた少女と、咎人のみ。
──────
「俺は昔から、人とは何もかもズレていた。この世界に来る前から、ガキの頃から、いや……きっと、生まれたときから」
外れた道すがら見つけた、樹齢幾年月とも分からないほどの大樹の根元で、さめざめと泣いていたティナが落ち着いたのを見て、キヨシが口を開く。
「人からすれば俺はどうも、普通の感性や感覚の外側にいるとでも言うのか、とにかくそういう類の『何か』のようなきらいがあるらしい。だからと言って、別に人との関わりを完全に絶っていたワケでもないし、それなりに仲良くもできていた。けど、本質的には理解されなかったんだと思う」
「……どうしてそう思ったんですか」
「こっちも理解できなかったからだ」
ティナの疑問にキヨシはまるで逡巡することなく、ごくあっさりと答えた。
「昨日俺は、『そうせざるを得ない状況ならそうする』とのたまった……けど、あんなものはただの方便だ。どうしても成し遂げたい目的があるのに、道義とかモラルだとかを気にして手段を選んだり、見送ったりするなんて俺には理解しがたかった」
手紙の抹殺に始まり、カルロッタへの脅迫、ソルベリウム払いなどなど、例を挙げれば枚挙に暇がないが、その手のいさこざは、キヨシがそういった精神構造を持っているのが原因だった。
そしてその思想は、時に殺人すら厭わない危うさを持っている。
『悪魔』──峡谷での戦いの最中、国教騎士団の某にぶつけられた罵声だが、これこそズバリ、伊藤喜々という男の本質を突いた、常人の感想だろう。そして、キヨシ自身もそれを否定することなど全くできなかった。
キヨシという人間の本質、それは言ってしまえば『羊の皮を被った狼』ならぬ、『人間の皮を被った悪魔』なのだと、キヨシは今日に至るまでの自分自身を俯瞰して見て、そう評したのだ。
「そんなんだから、俺を完全に理解してくれたのは、セカイただ一人。俺が元いた世界ではな。そして俺も理解できず、相互理解なんざ夢のまた夢。だから、だからこそ……理解できないごく普通の感性を、正しさを持っているティナちゃんを…………クソッ、ああクソッ、クソッタレが! こんな思いをするんなら、出会うべきじゃなかった。こんなにも俺は、俺はおたくら姉妹に嫉妬しているんだ!」
小さなティナよりもずっと小さく座り込み、膝の間に組んだ腕に顔をうずめて、キヨシは絞り出すように叫ぶ。
「俺は皆のように……ティナちゃんやセカイのように、真の意味で『人間』になれないッ!!」
平静を装い、セカイという存在でその感情を薄めながらも、キヨシはずっと悩んでいたのだ。
持って生まれた、人ならざるズレた感性に。
思い悩むあまり、そのズレた自分の感性を、価値観を、ティナに押し付けていた。なんと詫びたらいいのか、キヨシには全く見当もつかない。できることはこうして、正直な気持ちを隠し立てせずに話すことのみ。そして、こんなにも心は張り裂けそうなのに、涙一滴零れやしない。これもまた人間的とは言い難い。
昨夜の覚悟は真剣だし、本物だ。だが、『どうしていいのか分からない』という一点に関しては、何も解決していなかった。
「……キヨシさん。先程も言った通り、私はセカイさんが表に出ていた時のことも覚えています。だから、昨夜にカルロやセカイさんとキヨシさんが話したことも、ちゃんと知っています。けれど今、キヨシさんは昨夜話さなかったことも、いっぱい話してくれましたよね……どうしてですか?」
キヨシは、顔を腕にうずめたままティナをちらと見やる。
「……さあ。あの場にはセカイもいたけど、二人きりじゃなかったし。今は二人きりで……ティナちゃんがセカイに似てるからなのかもな。みっともねえよな……」
ティナの疑問に対するそれらしい答えをキヨシは持っていなかったし、見出すこともできず。どこか抽象的な答えになった。
「……──────」
重苦しい沈黙。キヨシにはもうこれ以上言うことは何もない。何もかも曝け出したのだ。これで受け入れられないならば、最早致し方ない。諦観が多分に混じった心持だった。が──
「……大丈夫。キヨシさんは、初めから人間ですよ」
長い沈黙を破ったティナのキヨシ評は、キヨシの自己評価とはまるで逆だった。
『初めから人間』。キヨシの耳に確かに届いたそのキヨシ評。が──
「──クク」
「……キヨシさん?」
心にまでは届かない。
「フ、ハハハッ、ハーッハハハハハハッ!!」
キヨシの高らかな笑い声が響く。しかしその笑いは干ばつした大地の如く割れ、そして乾いていた。矮小な自らを嘲り、罵倒し、徹底的に打ちのめす。そんな悪感情に満ち満ちた笑いだった。
突然の奇行に大きく目を見開き呆気にとられたティナに、ひとしきり笑い終えたキヨシは酷く虚ろな、魂の抜け切ったような視線を送る。
「……ああそうさ、そうとも! 俺は初めから人間だ。云千年の時間をかけて構築された文明の中で、二人のヒトの間に生まれ、そして二十年と少しが経過したホモ・サピエンスだ。そういう生物なんだよ。だがそれは、俺が俺の希求する『人間』って存在である証明になんか──」
瞬間、キヨシの視界が白一色に輝き、全身を焼かれる感覚に襲われた。
なんとティナの頭を陣取るドレイクが、キヨシを焼いているのだ。ヴィンツェスト中央都でキヨシを助けた際に披露した、意思を持つ火の精霊特有の『ただ熱いだけの燃えない炎』。昨日味わった、火のチャクラを流し込まれる感覚を遥かに越す苦痛に叫び、もんどりうって背後の大樹以外草一本生えていない大地に倒れてもなお、ドレイクは炎の勢いを緩めない。
「ド、ドレイクっ!? やめて! やめてったら!!」
ティナに制止されてようやく火を止めたドレイクを、キヨシは血走った眼で睨みつける。
「なッ…………にしやがるクソトカゲッ!!」
「次はティナになんて八つ当たりするつもりだ? 『何も分かっちゃいねえ』とか、『やっぱり俺を理解してくれるのはセカイだけ』とでも言う気か? あー言いそう、超言いそうだぜェーッ。マジで言ってたら本当に焼き殺してたとこだ。それを途中で遮って、少し手加減してやったんだぜ? 感謝されることはあっても、キレられる謂れはねえ」
「ち、違──」
「目が泳いでるし微妙につっかえてて、違うっつっても微塵も説得力ないな。このクソ野郎が。あんまり俺の相棒をナメるなよ」
そう、キヨシの怒りのきっかけはドレイクの言う通りで、途中で自嘲に走っただけ。ほんのちょっぴり、ほんの少しだけ、どこか他人事風のティナの物言いに『人の気も知らないで』という気持ちになったのは否定できない。カルロッタに対しても同じだった。カルロッタが理解を示したのは『理解されないこと』という一点に対してのみで、キヨシの精神そのものには『引かないと言ったら嘘になる』と言い切っていた。それはそれでありがたいが、キヨシの本質そのものを分かってくれているとは言い難い。
醜い心根を暴かれ、地に額をこする。
──決定的だ。嫌われたに決まってる。
最早、挽回しようなどという気は起きなかった。何を言っても無駄だろうということくらい、キヨシにはもう分かっていた。
与えられたチャンスを活かせず、パートナーの愛にも報いることもできそうにない。
「キヨシさん。そのままで結構ですので、どうか聞いてください」
卑屈にな気持ちで地に伏せるキヨシにティナが歩み寄り、声をかける。裁判で判決文を読まれる直前の被告人の気持ちとは、丁度こんな感じなんだろうなとキヨシは思った。
「私は、キヨシさんの意図するところ……キヨシさんの言う『人間になりたい』というのがどういった意味なのか、わかっているつもりです。そして今、ちゃんと裏付けも取れました」
「俺の相棒をナメるな」と、ドレイクはそう言っていた──それを裏付ける発言だ。ティナはキヨシの心情、苦悩の全てをしかと汲み取り、理解していた。その上で『キヨシは人間だ』と言い切ったのだという。
「……待てよ、待て。俺が、俺のこの性根が人間のもの?」
「はい、絶対です」
しかし。しかしながら。
「……ありえねえ。そんなこと、そんなワケあるか。あるものかッ!!」
「──ッ」
それはキヨシにとって、断じて受け入れ難いものだった。
「あの、キヨシさ──」
「いいか!? 道徳、倫理、正義、思いやり……状況や時代によって言い方は違うが、俺が知ってる『普通の人間』ってヤツは、そういうのをごく自然に、生まれながらに持ってる! だのに俺と来たらどうだ!? 持っていないなら持っていないなりに、学び改める機会は、いくらでもあったはずだッ! この世界に来てからも、何度もッ!! しかもこれまでダメにしてきた機会は、偶然転がり込んできたものでもなけりゃあ、ましてや自分で勝ち取ったものでもない、『人から与えられた慈悲』……蔑ろにしてはいけないものだったのに……!」
感情が爆発する。猛き怒りの矛先は誰でもない、愚かな自分自身だった。
何度叱責を受けたことか。何度窘められたことか。その度に謝罪し、自分を戒めてきたはずだった。その実何も積まず、何も学習せず、貴重なチャンスを何度もふいにしてきたというのが実情だ。いつだって傍らにある、眼鼻の先ほんの一歩向こうにある『正しさ』。その眩しさに自ら目を伏せていたのだ。
届かない、と。
「……昨日俺はセカイたちと話した後、密かに決心したんだよ。『二度としくじるものか』って。それをまたダメにして、管を巻いたみてえに感情任せにくっちゃべってるってんだから笑わせる……ハハ…………狂ってやがる。やっぱ根っこからしておかしいんだ、俺は……」
地を殴り熱弁していた先程とは打って変わり、全てに絶望したような笑みを浮かべてボソボソと喋るキヨシの言い分を、ティナは何も言わずただ懇々と聞いていた。
その間にティナが浮かべた微笑みは、どこか悲しげだった。
「……二度と、なんて。キヨシさんの方こそ、そんな悲しい覚悟をしないでくださいよ」
「何……?」
曲がりなりにも、自ら打ち立てた守るべきものの一つ。それを否定されたような気がして、苛立ちが態度の端から漏れ出る。
「失敗をしないように努めるのが、ここからもう間違いなのかよ」
「間違いではないと思います。でも『二度と』だなんて……あまりにも、つらいですよ」
「だが、もうミスれない。ここまで失敗を重ねてその上……」
ああ言えばこう言う、といったキヨシの態度に、ドレイクもまた苛立ちを隠せない様子で口から火の粉を噴出させていた。
しかし、それでもなお。ティナはドレイクを制し、キヨシの心の奥を見据えて断言するのである。
「そんなことをしなくたって、キヨシさんは人間でしょう?」
怒りを通り越し、酷く悲しくなってきた。
「同情や哀れみなら、止してくれ」
「いいえ。キヨシさんはしっかりと、人間です」
「……違う……違う違う違うッ!! こんな……こんなクズは、断じて人間じゃねえッ!! 取り消せよ! こんな奴が人間だなんて、俺は絶対に認め──」
「キヨシさんは──っ!!」
控えめな性格ながら、芯が通っているが故に、時折発せられる大きな声と、何度も地を叩きジンジンと痛むキヨシの拳に触れた柔らかなティナの両手。
そしてティナの瞳からほろりほろりと零れる大粒の涙が、キヨシを我に返した。
「こんなにも胸一杯、キヨシさんは『悩んでる』──それが、それこそがキヨシさんが人間だという証明にはなりませんか? これだけじゃ、ダメなんですか?」
ティナの両手にこもった力が、キヨシの手を通じて心に訴えかけるようだ。
「悩んでるのが……人間?」
今度のティナの台詞は、激しく心に響いてきた。
「出会ってすぐの頃は、そういう素振りは見せませんでした。けれど今のキヨシさんは、自分の行動一つ一つに悩んで、迷って。そして今、こうして自分で自分の過ちに押し潰されそうで……何かがきっかけになって変わろうとしているんだって、感じます」
「……ティナちゃん」
「悩むことも、変わろうとすることも、人間にしかできないことです。それも自分のためじゃなくて、誰かのために。そうやって頑張るキヨシさんを否定するなんて……それこそそれがキヨシさん自身だとしても、私は許せません」
眉を吊り上げ、語気を強めて、ティナは自虐の限りを尽くしていたキヨシを、今再び窘める。他でもない、キヨシのために。
「でも……受け入れがたい気持ちは分かります。自分が小さく見えて、自分が許せなくて、自分が誰かの目に映っているほど、立派な人間だなんて思えない。そうですよね?」
「何でそう思う」
ティナの推察はその一言一句に至るまで、キヨシの図星を突いてきていた。その心は、と質問を質問で返すと、
「私と、同じでしたから」
キヨシとティナが初めて会った日、初めて会った路地で、ティナは全く同じ言葉を口にした。だがそのときとは違って、あくまでティナは毅然としていた。
「……馬鹿な、似ても似つかねえ。第一、おたくといいセカイといい、どうしてこんな俺にそこまで入れ込むんだ。二人が期待する理想の俺を、踏みつける本物の俺に……」
「私もセカイさんと同じです。出会ってからまだたったの二週間ほどですけど、キヨシさんの良いところだっていっぱい知っているんですよ」
「良いところなんて」と言いかけるキヨシの口を、ティナは少し気恥ずかし気に指でぐっと押さえて、無理矢理に閉じた。
「私とキヨシさんは、とても似ています。私も同じ。自分が小さく見えて、そんな自分が許せなくて、キヨシさんが思っているほど立派だなんて思えません。そうして思い至る覚悟がどこかズレてしまっていることや、お互いがお互いを羨んでいるところまで、本当にそっくり」
「……昨日も思ったけど、おたくが俺を羨む理由は──」
「キヨシさんは」
性懲りもなく自嘲するキヨシの唇を、ティナはもう一度指で押さえ、語り始める。
「キヨシさんは、誰とでも目線を合わせてビクビクせずに話すことができます」
「あの」
「私たちのために、大勢の騎士を相手に戦う勇気もあります」
「ティナちゃ──ッ!?」
目を閉じて、キヨシに構わず語るティナの姿を、セカイと錯覚する──否、今目の前にいる少女がティナでもあり、セカイでもあるような気さえした。その所作は、愛情は、温かさは、一つの体にきっちり二人分。ティナ、そしてセカイ──どちらも同じだけ、唯一無二のパートナー。都合のいい決まり文句などでは断じてなく、文字通り『二人で一人』故の幸運。
「アレッタさんに降りかかる不幸を想って、アレッタさんのために怒ることができて、『必要があれば悪事だって働く』って言うけど、できる内は周りのことを考えていて、そのくせ自分には殊更厳しくて、自分の中の理想の人間像との差に悩んで、戦っていて……けどキヨシさんはどうして、悪い人のフリばかりしてしまうんでしょう?」
「フリなんかじゃない……初めて会った日に言ったはずだ。そうやって近付く『極悪人』といるって」
「違います。こんなに悩んでいる人が、悪い人なワケないじゃないですか。キヨシさんがどうして悪い人ぶるのか、キヨシさんの過去に何があって、そんな風になってしまったのか……私は、それを知りません。けど、聞こうとも思いません。セカイさんが囁いてる気がするんです。きっと、話したくもないことなんですね」
「……だったらなんだ。過去に何があろうと、悪魔は悪魔だ。今の所業とは、何ら関係が──」
「悩んで、苦しんで……それでも、私たちを守ってくれている──今の所業というのなら。私には、そんな風に見えますよ」
「──ッ!!」
視界が、心が、空が、ばぁっと開けたような感覚を、キヨシは全身に受けた。
『守れなかった』と、昨日一日でキヨシは何度失意に暮れたか分からない。それでもティナはキヨシをまるで見限っていないし、それどころか信頼してくれていた。
──『守ってくれている』と、まだそう言ってくれるのか?
こんなに嬉しいことはない。
「例えそれが、セカイさんのついでだったとしても……私たちはキヨシさんのおかげで、生きています。そして、こうして悩む今のキヨシさんが、いえ……今のキヨシさんこそ、素敵だと思うんです。だから、いっぱい失敗して、いっぱい悩めばいいんです。いつか笑うことができるなら、ただそれだけで全部が輝きます。きっと道のりは険しいけれど──」
喉のあたりで抑えていた何かが漏れるのを隠そうと、うずくまるキヨシの顔を、ティナは優しく起こして囁く。
「カルロも、セカイさんも、ドレイクも、私も……隣を一緒に歩いてますから」
自分を抑えつけていたたがが、引き千切られるように壊れる音が聞こえた。
思い悩むこと。それがキヨシの人間味だなどと、キヨシ自身これまでの人生で考えたこともなかった。
悩みを抱えることなどただうざったいだけで、無駄なこととしか考えてこなかったのだ。実際、この世界に来る前からキヨシはできるだけ悩んだり迷ったりしないように生きてきたし、今の話を聞いたこの時でさえ、できれば避けたいと願わずにはいられない。それもまた人間であればこそ。ティナはそれを知っていた。
「俺には……もう、分からない」
「……何がでしょう?」
しかし、キヨシの迷いは未だ晴れず。晴れないが──それがいい。
「俺はさっきまで、自分がどういう存在なのかっていうのを、知った風な気になっていた。けど……ティナちゃんのおかげで、それは吹っ飛んじまった。俺が果たして『人』なのか、『悪魔』なのか……或いは、ティナちゃんの言う『悪魔のフリをした人間』なのか……それはきっと、『これから』が証明していくことなんだろうな」
「キヨシさん……!!」
キヨシは靴を履き直し、ティナの手を借りて立ち上がる。
「そうだ……一回二回の失敗で全部分かるんなら、誰も苦労したりしねえ。俺は精一杯やりおおせるだけだ。やってみせる。だからティナちゃん、俺に教えてくれ──人並みってヤツを」
「……はい! 一緒に頑張りましょうっ!」
今度こそ、キヨシは真の意味で人間を目指す。いくら悩もうが、迷おうが、まるで構わない。ただ諦めずに前に向かって歩み、目指す先は『人並み』。
低い志かもしれない。目標がちっぽけかもしれない。だが、それでいい。いい加減に変わらねばならないのだ。キヨシの右手には、それができるだけの『力』があり──隣を歩む仲間もいる。
『応えてみせる』。
キヨシは、この世界で成すべきことをようやく一つ、見つけたのだった。




