第二章-13『落ちるところまで落ちたから』
「そんなに驚かなくたっていいじゃない」
「ティ、ティナ……じゃねーや、セカイか。アンタなんでここに!」
「きー君の泣く声に呼ばれたの」
セカイはカルロッタの問いになんとも甘ったるい返しを決め、ぶら下がっていた木から華麗に着地した。いつもならばツッコミの一つでも入れるところだが、相手は今特にキヨシが引け目を感じている『二人』。
「……俺は泣いてなんかいないぞ」
できることは、目を合わせずに揚げ足を取るようなことを言うくらいだ。
「じゃあ、どうしてそんなに悲しい顔をしているのさ?」
「ッ……」
予想外の返しにキヨシは言葉に詰まり、声にならない声が口から洩れる。
自分が今どういう顔をしているかなど案外分からないもののようで、人間の最低ラインすらブッちぎって落ちていく自分に対し、キヨシは涙こそ流してはいないものの思っている以上に酷い顔をしていたようだ。キヨシのそれは失意、後悔、悲痛──それら全てを混ぜ、さらに憤怒の火にかけて黒コゲにしたような気の抜けた顔だった。
そんなキヨシの顔をセカイの両手が温かく、そして優しく包み込む。
「な、何を……」
自分の半分と少しくらいの年齢の少女に顔をペタペタと触られて、激しく狼狽えるキヨシを前に、セカイはいつもの調子でニカッと笑い、
「うん。少しだけどいつものカッコいい顔に戻ったかな。きー君が悲しい顔をしてると、私も悲しいよ。だからホラ、こうやって笑うのっ!」
「お前なあ」
キヨシの口角を人差し指で無理矢理持ち上げるセカイに、キヨシは幾分か救われた心地になった。セカイの底抜けの明るさに、キヨシは昔からどうも敵わない。
二人がイチャついていると、横からカルロッタが気まずそうに咳払いをした。
「ま、確かにさっきのこの世の終わりみてえなツラよりかはずっとマシだけどね。それより、キヨシがティナを泣かせたってのはどーいうことよ」
「んっとね──」
「セカイ」
代わって事情を話そうとするセカイを、キヨシは咄嗟に声を上げて制した。
「……そいつは俺に話させてくれ。というか、俺が話すべきな気がする」
それは保身のためか、良心の発露か。どちらなのかで伊藤喜々という人間の本質が決まると言っても過言ではないだろうが、本人としては説明責任さえ果たせればどちらでも良かった。
──────
「……なるほどね」
キヨシは全てを話した。
街に行ったきっかけ。喫茶店での騎士との遭遇。ガーゴイルとの一悶着。ティナとカルロッタの母親と闘った経緯。そして、ティナに理不尽な怒りをぶつけたこと。その詳細な内容やキヨシの心情までも。
しかし、意外にもカルロッタは冷静なままだった。
「怒らないのか」
「そりゃあアンタがティナをイジメたってのは腹立たしいけど? アンタの言うことも分からなくはない。アタシがアンタと同じ力を手に入れたとして、ソルベリウムで金策をやらない自信無いし、確かに追手の前で名前を呼んじゃったのはマズいでしょ」
「別にイジメたつもりは」と言いそうになったが、そこはキヨシの主観で決めていいことではないので、ギリギリで言葉を飲み込んだ。
「たださあ……子供相手に何を求めてんの? 相手は十二よ、十二。第一、それを言うなら最初から街になんか行くなって感じだし」
「ぐ……それはその、まあ」
それと同時に正鵠を射る指摘も飛んでくる。カルロッタの言う通り、倫理観を投げ捨てて悪党に徹し、それなりの立ち振る舞いをしろと十二の女の子に求めるなど、酷というものだろう。
いくら切羽詰まっていたとはいえ、元はキヨシの思い付きで街に出向いた手前、つらいことを強いたのには変わりはない。
「しっかし、さっきは亜人種を殺したらどうたらと意味不明なこと口走ったと思ったら。そういうワケか。さすがのアタシも引かないって言ったら、嘘になるか」
そしてもう一つ。ガーゴイルと一時交戦した際のキヨシの心持は、今日の出来事の中でも特に人の道から外れた事柄である。それこそ自分で自分に恐怖し、総毛立ったほどに。
「で、でもきー君は、そういう可能性も考えただけで──」
「弁解や釈明の余地はねえさ」
セカイが必死に擁護するも、これに関してはキヨシにとって譲れない一線だった。
「正直なところ、今俺は俺自身が怖くてしょうがねえ。自分が何考えてんのか理解できねえんだよ。ティナちゃんやドレイクの呆けた反応が無ければ、俺はマジで実行してたかもしれないと思うと……」
「……キヨシ」
「分かってるよカルロッタさん。突拍子のないズレた考えだってのは理解してる。無論実行に移してなんかいないし、ただ思うだけなら勝手だろうさ。けどこれから先、行動に移さない保証なんかどこにもないし、すでに行動に移しちまったことだってある」
そう、実行はしていない。考えるだけなら罪にはならない。
だが、こういったキヨシの悪い意味で常人離れした、言ってしまえば倫理観の欠如した思考は今に始まったことではないし、実際にその思考に殉じて行動したばかりに周囲に迷惑をかけたことが、この世界での出来事だけで山とあるのだ。
「手紙を奪って逃げたのもそうだ。カルロッタさんを連れ戻そうとした時の脅迫も、ソルベリウム払いも……ティナちゃんに、キレたのも。つくづく自分が嫌になる。俺ってヤツは昔っから、悪い意味で普通の人と価値観がズレていて、いつも不毛なすれ違いが起きてる感じがするんだよ。誰にも理解されず、こっちも誰も理解できず、その果てにいつか──」
『独りぼっちで野垂れ死ぬ』。
自分には似合いの最後だと思う。元いた世界ではいざ知らず、この世界では大して珍しくもなさそうな死に方だ。そういう意味合いでも相応しい──と口走りそうになったのを先読みしたのか、
「そんなことないよ!」
元いた世界でも見たことのない剣幕で、キヨシを怒鳴りつけた。
「確かにきー君の感性って理解されづらいし、良いことばっかりじゃないかもしれないけど! 誰にも理解されないなんて、悲しいこと言わないで!」
「気休めならやめろッ! 何を根拠にそんなことを」
「だってここに一人、いるんだもん! この世界の誰よりもきー君のことを知ってて、大好きな私がいるの!」
買ってすぐに汚した服のジャケットをぎゅっと掴み、胸に顔をうずめてくるセカイに戸惑いを隠せない。
「ティナちゃんばっかりじゃなくて、私を見てよ」
セカイの半ば懇願に近い願い。
それを受けてなお、キヨシはどうしていいのか困り果ててしまっていた。こんなに愛情を向けられていること自体はとても嬉しいし、救いになっているのだが、自分には不相応なんじゃないか、という思いの方が強かった。
「どうして、お前はそこまで……」
やっと漏れた台詞がこれである。全くもって甲斐性の欠片もない。
そんな情けないキヨシに対し、それでもセカイは慈愛たっぷりの抱擁を返す。
「言ったでしょ? 私はきー君を一番知ってるの。悪いところもそうだけど、良いところだってたくさん知ってるんだから」
「ん゛んッ」
カルロッタの先程の数倍大きな咳払いが響いた。我に返り、急に気恥ずかしくなったキヨシがセカイを押しのけると、セカイも心情を察してくれたのか名残惜しそうに離れる。
「ったく……でもまあ言ってることはその通り。ただ、理解者がセカイ一人だけってのはちょっと違うわよ」
「え? 誰、誰?」
とぼけた調子でキョロキョロと辺りを見回すセカイに、カルロッタは目を伏せて首を振る。
「忌々しいことにね……アタシ、キヨシと結構似てんのよ。考古学者になりたいなんて、理解されるわけもないし。本当に、ホンット嫌だけど、方向性は違えど気持ちが理解できちまう」
「そこまで嫌なら理解を得ようと思わんぞ、さすがに」
「茶々入れんなッ。あと、セカイとアタシ以外にも理解者はまだいると思う」
「それはどういう意味だ?」
カルロッタは少し話すのを躊躇っている風だったが、少し考え込む仕草をした後、
「まあその、何。さっき話したこと、そのまんまティナに話してみればいいよ。きっとよく聴いてくれるから」
「……そう思うか?」
「アタシもね、ティナがいなかったらまだそんな女々しい悩みを抱えてうじうじしてたと思う。それと、どうもアンタは『ティナに嫌われた』って勝手に勘違いしてる節があるけど、ティナは叱られたくらいでイチイチ人を嫌うほど狭量な子じゃないからね」
勘違いするなよと、カルロッタはキヨシの額を小突く。小突きつつも、カルロッタはキヨシを気にかけてくれていた。
心の底からありがたかった。
「……スマン」
「謝る相手がちげーよ。あっちだあっち」
カルロッタはどこかで見たような仕草、どこかで見たような台詞と共にセカイの方を──というより、ティナの方へと親指をクイと向けた。
「お返しだ、バーカ」
カルロッタは意趣返しを成してスッキリしたのか、カラカラと笑いながらアレッタの住まいの方へと去っていった。
「……きー君」
「先に行っててくれ。もう少しだけここにいるけど、すぐに戻る」
「そっか」とだけ言ってセカイもまたアレッタの住まいへと向かう。
「セカイ!」
キヨシの呼びかけに、セカイはくるりと振り返る。
「……ありがとう」
キヨシの口から絞り出されたのは、万感迫り、疲れ果て、語彙という語彙が欠落した純粋な感謝の言葉。セカイは何も言わず、キヨシに向けてただいつもの満面の笑みを湛えて、今度こそアレッタの住まいへと駆けていった。
──落ちるところまで落ちたんだ。あとは昇るだけ……いや、もう二度としくじるものか!!




