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第一章-2『無敵感』

 正直なところ──キヨシは事ここに至るまでのことを、詳しくは思い出せなかった。


 いや、何があったかは覚えている。思い出せないというのは、自分がどうしてそこにいたのかだ。


 気付けば知らない場所、街並み、景色、人々、看板のミミズがのたくったような謎の文字──当て所なく彷徨う妙な格好をした青年を、怪訝な目で見る道行く人は、雪のように真っ白な頭以外黒ずくめのキヨシとは違い、誰もかれもカラフルな髪や瞳だった。


 ──うざってえ。


 キヨシはそれを眩しく思ったのか、誰からも話を聞かぬままどんどん街の中心から離れていく。いや、それも自分への言い訳だったのかもしれない。自分の価値観や立ち振舞い、それどころか言語も通用するかどうかすら怪しい場所に放り出されて、不安にならないはずがない──少なくとも、何をするにも勇気がいるのは確かだ。


 そうして人を避け、街の中心部から離れていく内に、いつしか丸っきり人気のない廃墟のような地区まで来てしまっていた。


「……ワケ分かんねえ。理解できることが何一つねえ。ここはどこだ? 俺はなんだって、こんな所にいる?」


 頭を抱えてしゃがみ込み自問するも、自答ができない。何も分からないのだ。自分が何故、ここにいるのか? 自分が何故、こうしているのか? 自分が何故、リクルートスーツに財布だけ持って──


 ──何故。何故。何故ッ……いや…………『分かる』。


 だが。ただ一つだけ、分かることがあった。根拠は唯一つ、己の内にある『そこにいる』という感覚だ。


 ──いるんだな……『セカイ』。


 人は、己の中に自分だけの世界を持っている。キヨシにとってのそれは、自らが描く絵と、ある一人の少女によって構築されていた。


 少女の名は『セカイ』。ある日突然『また明日』と言い残して消えた、キヨシの親愛なる友人だ。


 あの日の放課後、いつもの公園に赴いたキヨシは、ただのそれだけで確信した。彼女はもういないと。もう二度と、ここに現れることはないのだと。根拠は唯一つ、己の内から消えた『そこにいる』という感覚だ。


 キヨシは、セカイがどんどん遠くへと行ってしまっているような感覚を覚えていた。手の届かない、視界に捉えることすらできない、そんな距離。


 焦燥と、漠然とした不安がキヨシを襲う。


 もう、二度と会えないのでは──


「ぐギッ!!?……」


 記憶の海の中、セカイがいなくなったと知ったあの日の情景が浮かんだ瞬間、激しい痛みがキヨシの頭を貫く。堪らず立ち上がると、そこにはまた元の古臭い景色が広がっていた。


 ──ダメだ。あの辺……セカイがいなくなった辺りから、何も思い出せねえ。


 余程ショックだったのか、セカイが行方知れずになったと理解したその日から今に至るまでの記憶が、キヨシの頭から完全にすっぽ抜けてしまっていた。当然、どういう経緯でここにいるのかなど分かるワケもなく。もしも、今この時点でキヨシが考えているシチュエーションが起こっているとするならば、『傷心のまま就活に精を出し、不注意でトラックなりに轢かれた』辺りが可能性としては高いか。それにしては五体満足で怪我もないし、赤ん坊にまで若返っているでもないが。


「……こういう場合、最初にどうするべきか、ネットで見たよな? 確か……『言葉が通じるか調べろ』。あと重要なのは『現代知識で無双とかはしようとするな』だったな」


 言葉が通じるかどうかというのは、確かに冗談ではなく死活問題だ。後者に関しては、『中世ヨーロッパ的な世界観だった場合、知識をひけらかし過ぎると、宗教的な異端審問にかけられて死ぬ可能性大』というのが理由らしい。しかし、自分の脳味噌の程度を考慮すると、そもそもそんな心配は必要ないと考えるのが妥当だと、キヨシは判断した。


 最大の課題は前者だ。ただ『言葉が通じるか』よりも、『言葉が通じるか調べるために人と話す』のに尻込みしているというのが、実のところ。キヨシは例えその場限りの人間関係でも──セカイを除いて──極力人付き合いは避けたい性分だ。


 だが。当たり前ながら、いつまでもそうしてはいられない。


 ──分かってる。人を避けてたってしょうがないんだろ。


 キヨシが辺りを見回して遠くに視認したのは、ボロボロになって今にも崩れそうな家屋跡の陰にひっそりと縮こまっている、ドッグタグのようなネックレスを首から提げた金髪碧眼の女性。人とというだけならまだしも、その上女性となると余計に気が引ける。しかし、このタイミングで遭遇すること自体が(なにがし)かの思し召し的なアレと考えれば、気持ちは幾分楽になった。


 意を決し、キヨシは足早に女性の方へと歩み寄っていく。


「おうい、その……」


 が、早くもキヨシの気分は萎えていった。話しかけた女性が、キヨシに対して露骨に嫌そうな表情を返したからだ。


「な、なんだよ。初対面でそんなに邪険にしなくったっていいだろ。あ、ていうか言葉通じ──」


「馬鹿! 話しかけないでよ!」


 ──通じるらしい。ムカつくけどな。


 とりあえず、懸念事項は一つ消え失せた。とはいえ、ある程度の悪感情を抱く覚悟こそしていたものの、ここまで嫌な気持ちにさせられるとは思ってもいなかった。ただ話しかけただけでこうまで言われる理由はあるまい。


 が、納得のいく理由はすぐに得られた。


「見つけたぜえええ、クソ女がよおお」


「ゲッ……」


 頭上から響く間延びした声に、女性の顔はさっき以上に歪む。今度はなんだと声のした方に目をやったキヨシは絶句した。


 屋根の上にしゃがみ込んで見下ろす二人組が、どう見ても人間ではなかったからだ。岩のような灰色の肌、角、嘴、そして翼──どれを取っても人間には見えない。人間との共通点は、胴体に手足と頭がくっついているくらいだ。


 結構な高さから飛び降りて、平気な顔をしている二人の異形は、その出で立ちとは裏腹に、キヨシにも分かる人語で、


「追い詰めたぜ。もっと人がいる所に逃げ込めばよかったものを」


「『考古学者』なんざやってっから、こんな目に遭うんだよおお。俺たちが正義、お前は悪だ! 大人しく捕まって、俺たちの酒代になってくれやああ! やったぜ兄貴い、今日はご馳走だあ!」


「あーもう、しつこい奴らだなッ!」


 彼等と彼女のやり取りからして、間違いない。この女性──恐らく──カルロッタは、この人語を解する怪物に追い回されているのだ。さらに言えば、彼女が異形に見つかってしまったのは、キヨシが話しかけたせいだろう。


 だが、キヨシはこの時点で、半分程『見捨てる』算段をしていた。そりゃあ、気の毒だし悪いことをしたとも思うが、あの異形が言うことが事実だとしたら、カルロッタ側に与するのは危険と言える。ああいう目に遭って然るべき人間の可能性だって、充分にあるからだ。


 ただ、そこまで考えていながら半分なのにも理由がある。それは、その異形の物言い自体、やや引っかかる感じがしたから。『考古学者が悪で、酒代になる』というのは、別の世界から来たキヨシにとって、さっぱり理解できないまあまあな価値観だ。


 それを踏まえて、キヨシが最終的に出した結論はこうだ。


「なあ! ここの事情に明るくないからアレだが、女相手に大の男が……えー、男だよな? まあそうでなくても、二人がかりでってのはどうよ?」


「──ッ!?」


 キヨシはまるでその辺の自販機に、ジュースでも買いに来たような軽々しさで、異形たちに向かって挑発的な台詞を吐いた。目的は当然、ヘイトをこちらに移すこと。


 ──もしも『見捨てる俺を誰かが見ていたら』……嫌だしな。


 『壁に耳あり障子に目あり』。現代社会というのは怖いもので、例えば目の前で倒れた人を目の当たりにしながら見捨てるようなことをして、周りの誰かが盗撮なんかしてインターネットに放流されたりなんかしたら、いとも簡単に人生が終わる可能性がある──と、キヨシはそう考えている。勿論、ここでそんな心配はいらないだろうが、向けられるのがカメラのレンズか人の目かという差でしかない。『常に誰かが見ている、と考えて行動すべき』──キヨシは自分にそう言い聞かせて、『半分』から『どちらかというと』、カルロッタ側に付くことに傾いたのだ。


「……なんだお前」


「ああ面倒臭え、面倒臭え!」


 そうなると面白くないのは異形たち。その内片方、眠ってしまいそうなトロい喋り方の異形が、苛立った様子で懐からナイフを取り出して、キヨシに向ける。


「ほれほれ、怖いだろお? 刺さると痛いぞお? 関わり合いにならない方が、いいんじゃないかなああッ」


「ハァ……まあ、そういうことだ。お前が何者かは計り知れないが、大人しく去ることを勧める。暴れるコイツを、止められる自信はないからな」


「──ッ!」


 先の言動からして兄貴分と思われる異形が、半ば呆れた様子ながらも『従わねばどうなっても知らない』と暗に恫喝した。一方、カルロッタは苦虫を噛み潰したような顔。自分を庇ったことで死なれては夢見が悪い、ということか。


 が、ここまで追い詰められてなお、キヨシは冷静だった。キヨシの心という器に注がれた水は波一つ立てず穏やかなまま。自身に向けられたナイフの切っ先に対し、自分でも不気味に思うまでに心が動かなかった。勝算の類など、一切ないというのに。もしかしたら、命以外の持ち物がないこの状況に、『失う物が何もない無敵感』を見出したのかもしれない。


「……じょ、上等だァこの死に急ぎ野郎オオオッ!!」


 まるで物怖じすることなく、一歩、二歩と歩を進めるキヨシを、むしろ異形の方が恐れを成しているようだ。


「……チィッ!!」


 と、その時。何を思ったか、カルロッタが舌打ちしてその場で足踏みをすると、地鳴りと共に土が舗装を破って隆起し、異形の手を穿ちナイフを跳ね上げる。同時に足元の地面の隆起に合わせて高く跳んだ彼女は、弾いたナイフを空中で回収しつつ、家の屋根に着地して、そのまま逃げていってしまった。


 この不意の出来事に異形はおろか、キヨシすらも呆然として立ち尽くす。


「ま、待てこの女ああ!!」


「待つのはお前だ」


「あ、兄貴いい!──ぐへッ!?」


 我に返り、飛翔して追いかけようとした弟分の足を、兄貴分が引っ掴んで止めた結果、弟分は頭から地面に落下して間抜けな声を上げた。


「な、何すんだよ兄貴い……」


「まあ落ち着けよ。俺たちの目的は『考古学者』だ。それが誰だろうと、なんの問題もない……例えば、この男だろうと。そうは思わないか?」


「え、『考古学者』って誰?」


 キヨシは辺りを見回すが、周りにはキヨシを含めた三人以外に誰もいない。そして異形二人は明らかにキヨシを凝視している。キヨシが右へ左へ軽快なステップを決めても、彼等の目はキヨシに釘付けだ。


「……オイオイ、俺が学者ってナリか? もう少し見る目ってヤツを──」


 そんな軽口を叩いた瞬間だった。


「──ぐぁッ!!?」


 異形二人と辺りの空間が、水でも通したように歪んだかと思うと、腹に尋常でない痛みを感じると共に、路地の外まで吹き飛ばされた。

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