表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
28/190

第二章-10『美徳と悪徳の狭間で』

 陽は落ちた。『表』には等しく影が落ち、元より陽の当たらない『裏』の闇は殊更深まっていく。ある者は光を求め、またある者はその闇を利用して生きる。


 今のキヨシたちは、果たしてどちらだろうか?


 思いを馳せる暇などない。あるのは危険と隣り合わせの現状のみだ。


 ──最短距離では……厳しい。


 キヨシとティナが中央街に入った時に通った道は、中央街とトラヴ運輸の倉庫とのほぼ直線上にある道であるため、ただ真っ直ぐ行けばそれがそのまま最短コースとなる。が、未だ人通りの多い道だし、何より途中に衛兵団の屯所がいくつかあるようだ。キヨシたちの素性について、衛兵は知らされていないと推察されているが、近付かないに越したことはないだろう。


「ちょっと遠回りになるけど、できるだけ人目に付かないように裏路地を行くからな」


 ティナの返事はない。それなりに落ち着いたようだがまだすすり泣いているし、キヨシに理不尽に怒られて委縮してしまっているようだ。そんなティナを見ていると、自分でやったこととはいえ悲しくなってくる。


 しかし、繋いだ手は離さず、強く握ればそれだけ握り返してくれた。故にキヨシは動く。動ける。


 ──あとでキチッと話し合った上で、謝らないとな。


 悪いことをしたら謝る。


 人間の基本道徳からは外れているキヨシだったが、それでも人間関係の基本道徳に根差した決意を胸に秘め、入り組んだ裏路地を進んでいく。


 しかしある程度進んだ地点で、ある違和感を皆が覚えた。その違和感は、どうも嗅覚に訴えかけてくるもののようで、意識を集中すると鼻が曲がりそうになるほどだ。そしてこういった臭いが何に分類されるか、キヨシの鼻は知っていた。


「小綺麗な表とは裏腹に……とでも言うのか?」


 生ゴミだ。


 そうなると自然と虫も湧いてくる。オリヴィーに入る前からずっと困らされていた蠅の発生源はこれか。ドレイクにまとめて焼き払ってもらいたいところだが、確実に目立って人を引き寄せる。


 どうするか、と迷っている暇はない。


「ティナちゃん、怖ければ目を閉じてろ」


「……きゃっ!?」


 キヨシはティナの華奢な体をひょいと抱き上げ、足元にある生ごみを蹴っ飛ばしてずんずんと走り出した。足元で半液状の何かが破裂しようが、蛆を踏もうが、蠅が集ってこようがお構いなし。目から、鼻から、足の裏からも伝わってきて体中を這い回る不快感を、歯を食いしばって耐え抜きティナを抱えて走る。


 しかしそんなキヨシを阻むが如く、進むほどに足元のゴミの量はどんどん増えていき、果ては最早足の踏み場もない、といった様相へとなり果てていた。


 ──いくらなんでも、不自然過ぎないか? これ。


 『裏路地が汚い』というのはなんとなく、少々偏見混じりでも想像はつくのだが、それにしたって多過ぎる。普通の生活で出る量を遥かに超えた量、そして放置されてからどれほどの時間が経過しているのか分からないほど酷い臭いを発し、虫も繁殖している。


 あまりにも不衛生で、ただ住民の怠慢で放置されているとは考えられない。間違いなくこのオリヴィーという街には、何かがある。それも人々にとって不都合な、悪しき何かだ。


 もっとも、キヨシが関知するところかと言えばまた別の話だが。


「……いよいよもって、歩いて進むのはもう無理か」


 裏路地に入ってからかなり経ち、あと少しというところでキヨシたちは目の前にうずたかく積もるゴミの山に足止めされた。別ルートを探すのは結構だが、どこまで引き返せばいいのかは難しいところだ。引き返して別の道に入ったらまた行き止まりなど、目も当てられない。時間の浪費も甚だしい。


「クソッタレが、住民の皆様方はゴミの処理もまともにできねえのかよ!? 色々済んだら、俺がこの世界に知啓を授けてやるぜッ」


「ケッ、テメーのカスみてェーな脳ミソから絞り出した知恵なんかで、発展なんざするもんかよ」


「普段何食ってたらそんな罵倒ばっか達者になるんだクソトカゲ! 塩酸コンテナにブチ込んでやろーか!?」


「火とチャクラを食ってんだよバァーカ! ワケ分かんねえこと言ってねーで走れや!」


「文句ならゴミを放置してる近隣住民に言えこの──」


 突如として、キヨシたちを覆う闇がさらに深まった。


「キヨシさん! 後ろっ!!」


 キヨシが振り返ると、そこにはキヨシよりも一回り大きな人型の異形が棍棒を振りかぶって立っていた。棍棒はそのまま振り下ろされるも、キヨシは咄嗟にティナを抱きかかえたまま真横のゴミの山に身を投げて回避。

 棍棒でキヨシの代わりに叩き潰されたゴミ袋は破裂し、中身をそこら中にブチまけた。


「ペッ、ペッ! ウゲェー、気持ちワリィ〜〜〜〜! 口の中にゴミが入っちまったよオオオオ、ヒック! お前が避けさえしなければこんな酷い目に合わなくっても済んだのに、なァ〜〜〜〜〜ヒぃック!」


 しゃっくり混じりで間延びした喋り方をする異形は、見当違いが過ぎる怒りを生ゴミと共に撒き散らし、キヨシたちに飛び掛かる。


 ──最悪だ。


 すんでのところで回避はしたものの、キヨシの脳内にまず浮かんできた感想はこれだった。どういう謂れで我々を襲ってきたのかは見当がつかないが、ともかく面倒くさい絡まれ方をしているのだけは確かだ。対応をしくじれば、延々と付き合わされることだろう。


「──あ」


 どうあしらってやろうかと考えを巡らせるキヨシの腕の中で、ティナがどこかハッとしたような声を上げた。


「ティナちゃん、大丈夫か!?」


「キ、キヨシさん! あの人!」


「あの化物が一体なんだと──!」


 キヨシは、いやキヨシとティナ、そしてドレイクに至るまでこの異形を知っていた。


 湾曲した角、鳥類のような嘴、紋章のあしらわれただぼったいローブの背中にある、翼と思われる膨らみ。そして、この間延びした喋り方。


 そう、この異形はガーゴイル族という亜人種。そして中でもこのガーゴイルは、数日前ヴィンツェスト中央都で異世界に転移してきたばかりのキヨシに、激しい暴行を加えた二人組の片方だった。久方振りの再会となるわけだが、これっぽっちも嬉しくはない。むしろ面倒くさいところで出てきやがって、と心中毒づかずにはいられない。


「ああ? なんだテメーコラアアアア、ガン垂れてんじゃあねぞおああああああ? ヒック!」


「酒臭えな、酔っぱらってんのかよ……」


 ゴミの臭いをかき消す勢いの酒気を前にして、いい加減キヨシは疲労で目尻がヒクついてきた。泣きっ面に蜂とはこのことか。


 しかし嘆いている暇もない。彼はキヨシたちをキヨシたちと認識してはいないが、今にも酔いに任せて狂乱し大暴れしそうな様相だ。幸い、今は相手が魔法を使ってくる気配はないが。


「ケッ、俺がちょっと焼いてやりゃあ、その悪酔いによく効くんじゃねえかなァ〜〜〜ッ」


「ダメだドレイクッ! この時分に火の魔法は目立ち過ぎる!」


「じゃあ、どうしろってんだよ! 早くここから逃げ出してえ、でもアイツは邪魔、武器持ちに殴り合いなんざもっての外、お前の指も使えねえ! 今この状況こそ、お前が言ってた『どうしようもない』って感じのヤツじゃねーのか!?」


 ドレイクの言うことの真っ当さに、キヨシは言葉に詰まってしまう。確かにその通りだ。どうやってもリスクは背負う必要があるし、それがどうしても必要ならば甘んじて受け入れた上で、賭けに出るしかない。


 他に何か、何かないか?


 条件は『目立つことなく、目の前の邪魔者を制し、迅速に立ち去ることができる』、そんな無茶だ。


 それができそうな切り札は、キヨシの右手に宿りし力。だがそれはこのガーゴイルに秘密を晒すことになるし、以前彼はキヨシを考古学者呼ばわりして教会とやらに売りつけようとしていた。ここを切り抜けたとしても、あとで確実にヴィンツ国教騎士団に繋がって──


「……ここから帰さなければ、いいんじゃねえか?」


「え?」


 キヨシが不意に口から漏らした台詞に、ティナは意図を汲み取りかねるといった風な反応を示した。ドレイクも一瞬だけ呆けた面をしていたが、実は一番驚き、総毛立っていたのは言葉を発したキヨシの方だったのだ。


 ──俺は今、何を考えてた?


 『ここから帰さない』。


 確かにキヨシの右手の力を見た後でも、そうするのなら国教騎士団側に伝わることはないだろう。

 しかしそれは、有り体に言えば『口封じをする』ということに他ならない。

 その類の発言を峡谷でもしたが、あの時はガムシャラ且つ超緊急時で、取り乱していたところが大きい。


 しかし此度のキヨシは、かなり冷静に──いや、冷酷と言うべきか。ともかく、ごく自然にそのような考えに至っていたのだ。


「──ッ、キヨシさん!」


 ティナの声で我に返って視線を上げると、いつの間にかガーゴイルは裏返った声で笑い棍棒を振り回しながら、間合いを詰めにかかっていた。

 キヨシはティナを背後のゴミの山に向かって突き飛ばし、峡谷でセカイと並び立った時と同じように半身の姿勢を取る。


 ──やるしか、ないか?


 その時だった。戸惑いを多分に孕んだキヨシの前に、遥か上空から『二迅の風』が降り注いだのだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ