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第二章-9『守らねば』

「ティナー? どこよ、ティナー?」


「どしたのカルロッタさん?」


「いや、さっき部屋から出て行ったきりティナを見ないのよ。キヨシもいないみたいだしさぁ」


 時は少し遡る。


 キヨシとティナが倉庫を離れて数十分、二人がいないことに気が付いたカルロッタは、トラヴ運輸の敷地内を探し回っていた。欠陥機があるガレージにいるのかと思えば違い、トラヴ運輸の通常業務を手伝っているのかと思えばそうでもない。


「まあ、あんまり心配はしてないけどね。カンテラに火が灯ってないってことは、ドレイクが一緒だろうし、キヨシも目立つ真似はしないでしょ」


「うーん……」


「アレッタ? 心当たりがあるの?」


 アレッタも二人の行方は知らないようだったが、何かしらの心当たりがあるような、含みのある声で唸った。しかしアレッタは首を横に振り、


「ううん、心当たりっていうほどのもんじゃ。でも、この街には国教騎士団の屯所が無いって、前に白黒に話したことがあってさ。それで無警戒にオリヴィーの中央街に行ったんだとしたら……」


「うーん、ありそうな話ね……けどまあ、実際屯所がないんだったら、そんなに心配することもない気もするけどね。衛兵には見られても平気だし」


 状況を軽視するカルロッタを尻目に、アレッタは一部分が少し窮屈そうなボディスーツの前のファスナーを上まで閉じ、翼の調子を確かめるように軽く振ると、


「いや……国教騎士団よりももっとヤバいかも」


「え?」


「事情は後で話すよ。ちょっと街までひとっ飛びして探してくる」


 有翼の少女は弾丸の如き速度で大空へと飛び立った。一人残されたカルロッタは何もできず、やきもきとするのみだった。


 そして、少女の懸念は現実となる。


──────


 ──クソッ……! この街には騎士がいないんじゃなかったのかよ!?


 出入り口が一つしかない場所で追手と遭遇する。追われる者にとって、これほど絶望的な状況はそうないだろう。


 キヨシはフードの隙間から追手と思われるそれを観察する。中性的で整った風貌。しかしそのポジティブな要素とは裏腹に、ハッキリ言ってキヨシにとってその追手はどうにも、拍子抜けというか、妙な見た目をしていると言わざるを得なかった。


 まず、有り体に言って()()()。身長はティナと同程度で、着込んでいる体躯に対して一回り大きな鎧がそれをより際立たせており、背中に背負っている得物の槍が異様に目立つ。第一印象では、峡谷での出来事以上の脅威となる程強そうには見えない。


 他にもキヨシを安心させた事柄がある。ヴィンツ国教騎士団の特徴である白銀の鎧を着込んでいるのは、その小さな騎士一人だけ。


 そして何より、その騎士があのフェルディナンドではないということ。あの男とは、もう二度と遭遇したくない。


 ──フェルディナンド……クソ、馬鹿野郎! 何をホッとしてるんだ俺は!


 あの日のことは脳裏に焼き付き、数瞬前のことのように思い出される。前は運が良かっただけで、今度という今度はどうにもならないかもしれない。今はその気配はないが、キヨシがこの世界に来てからというもの、安心した傍から状況が引っ繰り返って追い詰められるというのが常だった。第一、身体の大きさが強さの尺度になり得ないことなど、ドレイクの存在そのものが示しているようなものではないか。


 安堵している自分を横合いから殴りつけるように、心の中で叱咤して奮い立たせようとするも、心がガス欠を起こしたような、いわば空元気状態に陥っていた。


 どうすればいい? どうすればここを切り抜けられる?


 ──どうすれば、コイツを守れる!?


 向かいでキヨシと同じように突っ伏するティナを見ると、身体中から氷のように冷たい汗が吹き出し、呼吸が荒くなる。キヨシはそれを抑えるだけで精一杯だった。


「キヨシさん、どうしましょう」


「今考えてるッ」


 ──守らねば! 守らねばッ! 護らねばッ!!


 焦りがそのままティナへの剣呑な態度に繋がっていた。さてどうするか。今すぐにでもここを逃げ出してしまいたいが、いきなり動き出すというのも『いかにも』という感じがして怪しい気もする。


 ともかく、なんとしてもこの場を脱出して逃げ遂せなくてはならない。さもなくば──


「おーい。お前、『待ってくれ』と何度言ったら聞き入れてくれるんだ」


「隊列から遅れるお前が悪いんだ」


「隊列って、お前なぁ。俺とお前しかおらんじゃないか」


 自らの『セカイ』を、失うことになる。


 扉を開けて入ってきた新たな敵─鎧を着てはいなかったが─を見たキヨシは席を立ち、戸惑うティナの腕を掴んで無理矢理引っ張っていく。そして右手に持ったソルベリウムの塊をカウンターに叩きつけ、


「もう出るから勘定を頼みます!」


「え? でも、お客様はまだご注文の品が……」


「急用ができたんだよッ、注文の品ならこっち二人にでもくれてやってください! 迷惑をかけました。ハイこれ金の代わりッ!」


「ッ……キヨシさん!」


 ティナに名前を呼ばれたキヨシは心臓が止まるかと思うほどのショックを受けた。追手を目の前にして本名を呼ばれてしまったからだ。


 決して振り向くことはせず、できるだけ平静を装い横目でチラと国教騎士団員と思われる二人を見る。


 が、意外なことに二人はカウンターに置かれたソルベリウムに目を剥くばかりで、キヨシたちにはまるで無反応だった。


 胸を撫で下ろす余裕もないキヨシは、騎士と従業員が注文内容とは不相応に大きなソルベリウムの塊に面食らっている隙に、ティナを連れて店を出た。


──────


「ちょ、ちょっとキヨシさん! ねえ!」


 走る、走る。どこまでも、当ても果ても無く、ただひたすらに逃げる。


 いつまでも表通りにはいられないかもしれない。人込みに紛れるのも悪くはない作戦だが、国教騎士団の立ち振る舞いを考えると、通行人が巻き込まれる恐れがある。


「キヨシさん! キヨシさんってば!」


 しかし、今は形振(なりふ)り構ってはいられない。善い悪いもまるで関係ない。なんなら通行人の犠牲を承知で往来の真ん中を──


「キヨシさんっ!!」


「なんだよッ!! 今考えながら走って──」


「……腕、痛いです」


「あ……」


 とにかく逃げるのに夢中で、傍から見れば人攫いか何かと思われそうなほどに、ティナを強引に引っ張っていた。立ち止まり、掴む手の力をほんの少しだけ緩めると、ティナの細い腕がするりと抜け落ちていく。


 ティナは、前髪の隙間からこちらをじろりと睨みつけていた。理由は察せられる。キヨシは今確実に悪事を働いたことを自覚していた。


「キヨシさん。その、さっきソルベリウムで……」


「緊急だった」


「い、いくら緊急だからって……」


「悪いけど、今おたくの倫理観に合わせている余裕がない」


「私だけの倫理観じゃなくて、きっと誰から見ても──」


 キヨシの脳内で、何かがプチンと切れた。


「ちょっと黙ってくれッ!!」


 脳内の何かがジワリと広がるような感覚と共に、頭がその頭髪の如く真っ白になる。


 分かっている、この怒りが見当違いなものであることや、自分が冷静ではないことも。だが言わずにはいられない。感情の昂りを、爆発を、抑えることなどキヨシにはできなかった。


「全部分かっててやっているんだよ! 騎士から逃げてんのも、無限に出てくるソルベリウムを悪用するのもな!」


「じゃ、じゃあどうしてアレッタさんの時は! キヨシさんは、アレッタさんを思いやって──」


「勘違いするんじゃねえッ! アレだって脅したり無理強いしたりする必要があるならしていた! 俺たちは今追われている『悪党』で、倫理観なんか邪魔でしかねえってことが分かんねえのか!? さっきも騎士の前で俺を名前で呼びやがって!! 姉妹二人揃いも揃って、自分たちがどういう立場の人間なのか──」


「それ以上その汚え口でベラベラ喋ってみろ、今この場で燃えカスにしてやるぞ」


 どこかに弾け飛んでいた自分が、眼前で小さく、しかし激しく燃え盛るドレイクによって、自分の中に戻ってきた。しかしまだやり場のない感情は収まらず、高尚な精霊の火もただただうざったいだけ。見ていられなくなったキヨシが適当に焦点をズラすと、


「……ごめんなさい…………ごめん、なさい…………」


 瞳からボロボロと大粒の涙を零してただ謝る、最も親しみを持つ顔を持った少女が映った。


 言葉が出てこない。


 これほどまでに自分の浅慮を呪いたくなったことは、生涯を通じてもそう何度となかった。


 ティナはまだ子供だが、『自我』とは違う『自己』が形成される頃合いだ。それに周囲の環境が良かったらしく、精神や性格は()()()()()()()()()()捻じくれることなく、真っ直ぐなごく普通の感覚を持って育った様子。


 そんな子供に、『これまで大事にしていた倫理観を投げ捨てろ』と強要するような行為の、なんと酷なことか。謝る必要もないのに謝るティナの、なんと悲壮なことか。


 誰が悪いかなど、火を見るよりも明らかだった。


 キヨシは、さめざめと泣くティナを見ることついに堪え切れず、目を伏せて背を向ける。


「……いや、いい。服にしたって、メシにしたって、我慢しようと思えば我慢できた事柄だ。あえて石ころで金を払うようなセコくてくだらねえ真似なんかしなくてもよかった。俺だわな、悪いのは」


「ケッ、分かりゃいいんだよクソが」


「ただ! ただ……俺が言ったことも、重要なことではある」


「ンだとクソ白髪この野郎」


「どうしようもない状況ってのは、どうしてもあるってことだ。俺たちは『悪党』だ。国に仇成す逆賊だ。多少あくどいこともやっていく必要はある」


 とはいえ、キヨシが言うことも誰にも否定できない事実だ。キヨシたちは今、国教騎士団に追われる背信者。元来、キヨシとティナはそうではなかったが、カルロッタについていくと決めた以上は、誤魔化すことはできない。そしてティナ本来の願い──『家族皆といつまでも一緒に居続ける』を成就させるためには、捕まるワケにはいかない。何が何でもだ。


「とはいえ、何もおたくがやる必要はない。そういうのは、俺やカルロッタさんに──」


「それは私が、子供だから……ですか?」


「違う。おたくが今日まで育んで、そして今俺が捨てるように強要したそれは、人間が人間であるために大事な道徳だ……歳がどうとか関係なくな。いつまでも、大事にしているべきものだ。くどいようだが、俺が悪かった。だから、汚れ仕事は俺に任せておけばいい。トラヴ運輸に戻ろう」


「キヨシさん!」


 無理矢理話を打ち切って、一人で歩き出すキヨシの背後から、先程怒鳴ったときとは比べ物にならないような悲痛な声でティナが呼び止める。


「キヨシさんは、どうして……『悪い人のフリ』をするんですか……?」


「ッ……」


 キヨシには、彼女が何を言っているのか理解できなかった。何故なら、悪人の()()ということは翻せば──


「悪い人かどうかはともかく……俺は少なくとも、善い人ではないだろ」


「ッ……そんなこと──!」


「今はそんなことを論じている時間はねえ。逃げなくては……路地裏を走るぞ」


「……はい」


 そう。純粋な悪人かどうかはさておき、『多少あくどいこともやっていく必要はある』などとのたまう男が善人であるはずがない──それが、キヨシの中で決して譲れない価値観だった。


 それを説いても尚ティナは何か言いたそうだったが、状況が状況だけに、今度こそ話を終わらせて夕陽の届かない裏路地へと、ティナの手を引いて身を投じていった。


 一刻も早くトラヴ運輸に帰還し、国教騎士団の追手に嗅ぎつけられたという事実を、伝えなくてはならないのだ。


 が、事態はこれに留まらない。


「……──────」


 人込みから抜け出し、街から離れようとする二人を、建物の影からちらと見る黒衣が一人。その黒衣は、引っ張り引っ張られて裏路地へと入っていく二人を目で追い、透き通るような声で、


「見ーっけ」


 と、ただそれだけ呟いて、その黒衣もまた光の届かない裏路地の闇に溶けていった。


 状況はキヨシたちの想像を絶する、混迷の様相を呈していた。

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