第二章-7『それぞれの羨望』
「ちょい待ち、ティナちゃん! 何、なんなんだよォ!」
「……さすがに外までは来ませんよね」
キヨシはまだまだ、視界を封じられたままティナに引っ張られるがままだ。何があったのかと聞いても「聞かないでくださいっ」の一点張り。喋っていたのがアレッタなのは辛うじて分かるのだが、だったらなんだという気がしないでもない。
意味も分からず外に連れ出され、ムワッとした空気を全身に受ける。初日に感じたのとは比べ物にならない、うだるような暑さ。盆地地形では大概して、暑い時はより暑くなるらしい。
それはともかく。
「……すみませんでした。突然のことだったものですから」
「で、マジに何があったんだよ」
「〜〜〜〜〜〜ッ!! 絶対に私からは言えません! カルロに聞いてください!」
「……? 変な奴だな」
顔を真っ赤にしてそっぽを向くティナから溢れ出る羞恥の感情の正体も、キヨシにはさっぱり分からない。だが何かもう、とにかくひたすらに、面白い。もう少しだけこのネタで弄りたい気もしたが、いい加減に気の毒なのでこれくらいにしておくことにした。
「……分かった。そこんとこはもう聞かないでおく。だからその代わりに答えて欲しい事柄があるんだけど」
「……? 魔法のこと、ですか?」
「それも勿論気になる。けどそれとは別のことだ」
実はキヨシには、ティナに個人的な用事があった。
緊張すると、持って回った風な言い回しになる。キヨシの癖の一つだ。キヨシの緊張が伝播したのか、ティナも少しだけ緊張した面持ちになった。とは言っても大部分は前髪の下だが。
「……ここに着いた日、俺が姉さんに少し小言を言った直後くらいに、おたくは俺に『大丈夫かな』と言ったよな? その時はその時で受け答えしたけど、なんか見当違いな感じがしたというか、何か別の真意がある気がして」
「あー……」
キヨシの予想通りというか、歯切れの悪い返しだ。ティナからしたら『いや、そうではない』と訂正するほどの内容でもなかったのか、それとも言いづらい内容だったのか。この反応は後者だろう。
「それも話しづらいか? 無理に聞こうとは思ってないが」
「いえ、そんなことは。ただ……」
「ただ?」
「あの時のキヨシさん、ただ窘めただけじゃなくてなんだか……上手く言えないんですけどすごく、怒っているみたいでしたから。私が思っているよりもずっと、気分が悪かったんじゃないかなって思ったんです」
今度の返しは予想外だった。
確かに少し言い過ぎたとは思っていたが、『怒っていると思われる立ち振る舞い』をしているという自覚がキヨシ自身になかったのだ。語気を強め、カルロッタの心の脆弱部に迫っているとはまるで思ってはいなかった。
いや、本当は怒っていたのか。とにかく今日は分からない尽くしだ。
「俺はそんな挙動を……悪いね、心配かけちまって」
「でも。羨ましいな、とも思います」
「は? 羨ましい?」
さらに『分からない』は加速した。
予想外に予想外を畳みかけられるように浴びせられ、キヨシは素っ頓狂な声を上げてしまう。何をどう間違ったらティナがキヨシに対して羨望など抱くのか、皆目見当もつかない。
「本当は私も、アレッタさんに迷惑がかかっちゃうんじゃないかなとは思っていて。けれど、言えなかったんです。私、人と話すのが凄く苦手で、カルロや両親とでさえ目を合わせて話すことができなくて……気兼ねなく話せるのはドレイクくらい。ドレイクはいつも私をからかって笑うんですけど、それもきっと、深く思い詰めがちな私のためを思ってのことなんだと思うんです」
ティナの言うことが本当だとしたら、十二年間難儀し続けたことだろう。話すのが苦手、ということは数少ない且つ最も効果的な意思表明の手段を封じられてしまっているということで、誤解やすれ違いを招きやすい。
実際、ティナとカルロッタはこれまですれ違い続けていたことが感じ取れるし、あの日父親のフィデリオにも『カルロッタの置手紙を見せたくない』とは言えなかった。
「でも、キヨシさんは違う。会ってから日の浅い人、それどころかその日初めて会った人でも気さくに話しかけて、すぐに打ち解けて凄いなぁって、いいなぁって、思います」
「しかしながら、おたくは既にそれに近いことをしてる。会ってから日の浅い人、それどころかその日初めて会った俺とも、結構会話できてただろう」
「……はい、それも考えました。けれどそれはひょっとたら、私の中のセカイさんのおかげじゃないかなって」
ティナはあの日初めて出会い、錯乱状態だったとはいえ自身に暴行も同然の行為をしたキヨシを庇って行動を共にしたし、目を合わさないまでもちゃんと会話してくれた。
そしてそんなティナに、頼るところのないキヨシはどれほど救われたことか。
しかし、どうにもティナの表情は浮かない。
「……確かに、峡谷でセカイが完全に出てくる前にも、セカイの気配を感じることはあったけどな」
例えば、カルロッタと対峙した際。初めて魔法使いとの交戦となり、キヨシを次第に追い詰めていくカルロッタに対して、ティナは怒りを露わにしている。セカイの精神が影響していたのは想像に難くない。今にして思えば、ではあるが。
「でも、それ何か問題か? 楽な条件で物事にあたることは、別に悪いことでもなんでもないじゃない。あえて苦難の道を歩むのを選ぶのは自由だろうけど、だからって楽をするのを悪いことだと勘違いし続けるのは損だし、滅茶苦茶疲れるぞ?」
ティナがハッとした表情でこちらを見る。
人間は時として、苦難の道を歩むことや悪条件を受け入れることを美徳とする価値観を持つ。しかしながら、少なくともキヨシにとってそれは理解し難い価値観だ。苦難を避けることの、楽をすることの何が悪い。選択は自由だろうが、悪徳呼ばわりされる謂れなど無い。キヨシの生きる指針の一つだ。
「無論、楽ばっかりしていられないのも事実だけど……それまでは楽な条件で慣れておけばいいじゃないか。俺はいくらでも付き合う」
「とりあえずその前髪から何とかしたら?」といつもの調子で軽口を叩いて笑うキヨシを見たティナは微笑み、
「……こういうところがまた、どうしようもなく羨ましいって思うんですよ」
「あっそう。だが、羨んでいるのはおたくだけじゃないかもしれないぜ」
「えっ? それって、どういう……?」
そう、キヨシもまたティナ、ひいてはこの世界で出会った人たちに対し、羨望を感じていた。
誰もが自分にはない『正しさ』を持っているような気がしたのだ。
初めて感じたのは、峡谷でフェルディナンドがカルロッタを侮辱したとき。ティナはカルロッタを想う余り、国防の騎士という立場の人間に対し啖呵を切った。仮にキヨシが同じ立場だったとして、そんな思い切った行動はできないだろう。
ティナだけではない。カルロッタにも、アレッタにも、それぞれベクトルは違うが様々な意味で正しさがあり、高潔さがある。
キヨシにはそれが無い。手段を選ぶような性質ではないし、目的のためなら多少あくどいことも平気でするだろう。カルロッタの置手紙を引ったくって逃げるといった行動一つ取っても、そういった精神性が現れている。
無論、できるだけ他人に迷惑をかけまいとは努めているが、普通の人間はそんなことをイチイチ意識しなくてもそつなくこなすものだと、キヨシは考える。
だからこそ、キヨシはティナたちを心の底から羨ましいと思う。そしてその正しさを、彼女らが放つ『光』を、傍で見ていたい。そう思っている。
「……なんでもねえ。忘れてくれ」
口に出せるはずもないが。
お互いに何を言って良いのか分からず沈黙が続いた。家に戻ろうか。しかし引っ張り出した、引っ張り出された手前なんだか戻りづらい。しかし、そのままでいても何も展開しない。
「なあ、ちょっと出かけねえか?」
意を決し、先に口を開いたのはキヨシの方だった。
「あー、あれだ。いい加減にこのボロボロになった服を新調したいなと思ってたところでさ。俺だけだと何かと危険だし、いざって時に振るえる力は無いに等しい。この指の力を大っぴらに使うのは好ましくないんだからな。だからこの世界で一般的な魔法を使える人に、ついて来て欲しいんだけど……」
客観的に見れば二十歳の青年が十二歳の少女に護衛を頼むという、妙な光景。しかもその内容は『街に服を買いに行く』という実にくだらないものだ。
「ああでもアレだ、この街には国教騎士団の屯所は無いってアレッタさんから聞いてるし、嫌なら別に俺一人でも平気──」
「いえ、一緒に行きましょう!」
それでもティナは快くキヨシの頼みを聞き入れた。キヨシの言うこと自体はもっともというのもあるだろうが、ティナの声は明るく挑戦的というか、決心を感じるようなものだった。
キヨシが飛行機を飛ばす挑戦をしているのと同じように、ティナもまた自分の性格を少しでも前向きにしようとしているのだろう。
──その挑戦にもまた、正しさがあるな。
そうしてキヨシとティナはアレッタの家を離れ、街へと繰り出すのだった。