第二章-6『魔法先生ティナ』
空を飛ぶ。
かつて全人類の夢だったそれは、現代においても異世界においても夢物語ではなくなっている。前者では技術革新によって。後者では亜人種の飛翔能力や魔法によって。
しかしそれらは綿密な計算や経験によって成し遂げられたものだ。
それらを持たない者が挑戦するという不可思議。そんな無謀にキヨシは挑む。
「カルロッタさんよお。俺の出番まだか?」
「力仕事とソルベリウムが必要になったら呼ぶわよ。今、図面引いてるんだから邪魔するな」
とはいえ、キヨシ個人でできることと言えば、柄にもなく眼鏡をかけて机に向かうカルロッタに、後ろの方で茶々入れることぐらい。
設計思想はキヨシが言った通り、『力学と魔法のハイブリッド』。
普通の旅客機では、油圧によって方向舵や昇降舵を制御して、機体に対する空気の流れを操り操縦できるようになっている。しかし、それらは各種センサーや計器、操縦者本人の熟達した操縦能力によって初めて完成する、いわば数多の先人たちによる弛まぬ努力の結晶なのだ。
当然ながら、油圧系統や計器を作る技術など持ち合わせていないし、それらが無ければ航行などできない。そこのところを魔法でどうにかしようというのがキヨシの計画。
とどのつまり、ハイブリッドと言えば聞こえはいいが、機体の設計を航空力学に則った形状にしたら、制御は魔法に丸投げするというやり方。キヨシは魔法など丸っきり使えないし使えるようになる気もないので、理屈を伝授した後の調整や開発には出る幕無しなのだ。
「なあ頼むよ、なんかやらせてくれ。年末の大掃除で指示だけ出して、何もやらん人みたいで肩身が狭いじゃねえか」
「何をワケの分かんないこと言ってんのよ。アンタ肝が据わってるのか小さいのかどっち?」
「そこは他人から受ける評価に委ねられるもんだから、俺からは何とも言えん」
「なんだその面倒クセー価値観。はあ……どーしてもなんかやりたい?」
「やりたい」と声を出すより早く、キヨシは身を乗り出して姿勢を示す。そしてカルロッタもまた、その姿勢に応えた。
「じゃあお茶淹れてきてくんない?」
「俺の故郷じゃ、それ『パシリ』って言うんだけど!」
「カルロ、お茶とお菓子持ってきたから少し休もう? キヨシさんも、よろしければ」
「それすら奪われたしなァーッ! ありがとういただきま熱っづッ」
「お、オリーブの葉っぱなんだそうです。落ち着いて飲まないとむせちゃいますよ」
ティナが気を利かせたことで正真正銘何もやることがなくなり、半ばヤケクソで茶を飲み菓子を頬張る。茶の渋さが菓子の甘さを引き立てていて、なかなかどうしていい組み合わせ。ティナの見立てだろうか。
一心不乱のヤケ食いを敢行するキヨシに苦笑したティナは、カルロッタにも茶と菓子を渡し、引いている図面を覗き込んでいた。
「キヨシさんの案でも、鳥みたいな見た目になるんだね」
「そりゃあ、異世界の飛行機ってヤツも飛ぶ理屈は鳥と同じみたいだし。必然、似通うんじゃない?」
「……キヨシさんは今何もしていないのを気にしているみたいだけれど、十分役に立ってるよね」
「んー、まあね」
キヨシをそれとなく持ち上げる姉妹の背中を見たキヨシは心中、
──そりゃあ、ほとんど一からのスタートだったからな。
と、ぼやく。
今日でキヨシの宣誓から六日が経過していた。
この六日間で既存の欠陥飛行機にいくつかの改修を施して飛ばした結果、それだけでそれなりの成果を得られたのだ。
その改修というのも機体の無駄な部分を削った後、キヨシの指でソルベリウムを盛ってフォルムを整えるという粘土細工をするような改修だが、空気の流れをある程度利用できるようになり、ソルベリウムに貯めたチャクラのみで飛んでいた頃から比べると、信じられない程の距離の飛行が可能になった。
それでもアティーズには程遠い、昇降と旋回に大量の風のチャクラを消費してしまう等の課題は残っているものの、キヨシの力添えによって目標に大きく前進したことは確かだった。
「何より普通に着陸できるようになったのが、すンごい大きいのよねぇ。前の造ってた頃は不時着ばっかだったし」
「笑って言ってるけれど、それすっごく危ないことなんだからね……今引いているのが、次の試作機の図面?」
「ふふーん。試作機どころか、コイツでアティーズに行けるまであるわよ。超画期的な魔法的機構を思いついちゃった、ふふふ」
「えっ、随分早いね。まだ二回目じゃない」
「それだけ、前ので得られた成果は大きいってことよ」
図面を引くカルロッタは心底楽しそうであり、抑えきれない感情を駄々洩れにしている。その微笑ましい様子をティナもまた、口角を上げて見守っていた。全てを平らげたキヨシも、図面上の文字は読めないまでも何となくでも理解しようと、図面を覗き込む。
「んで、今度のは前とどう違うんだ」
「簡単に言えば、ソルベリウムの体積をできるだけ増やそうって計画。ソルベリウムのチャクラ貯蔵量は、体積に比例して倍々に増えていくからね」
「なんか字面だけで言うとすンごい脳筋計画に聞こえるんだが……図面を見る限り、それだけじゃなさそうだな」
「当然。重要なのは、この『線』よ。この機構を作る辺りでキヨシには活躍してもらうから」
そう言われて図面を詳しく見てみると、機体の至る所に何本もの線が木の枝のように張り巡らされていて、一本一本手繰るようになぞっていくとそれらは全て操縦席の真ん中、つまりソルベリウムが組み込まれる台座へと収束していた。
この図面とカルロッタの言い分。この二つが示すものは──
「……ひょっとして、この線全部ソルベリウム製なの!?」
「賢いティナの推察通り。体積を増やすことさえできれば、形はどうでもいい。さらに言えば、複数のソルベリウムをただくっつけるだけでもチャクラ貯蔵量は増えるの。その性質を利用して、ソルベリウムを機体の隅々にまで張り巡らせることによって、チャクラの効率を上げようって寸法よ」
そして、その機構の根幹をなす線状のソルベリウムは、キヨシの指の力を利用して生成する、というわけだろう。魔法絡みの事柄について、てんで素人のキヨシにさえ『イケそう』と思わせられる説得力のある説明だった。なるほど確かにカルロッタの言う通り、画期的なアイディアに思える。
が、別の懸念もある。
「しかし、あんまり過剰にやると機体重量が嵩むわな。調整が難しそうだ」
「そーなのよー! それに、ソルベリウムにチャクラを込める苦労も計り知れないし。既存のやつを弄るだけなのに設計だけで何日もかかりそうでさぁ」
「『何日』で済むと考えてんのは自信過剰なのか、マジの有能なのか……そういえば、ティナちゃんもカルロッタさんも風のチャクラ使えないんだよな? アティーズまで航行できるのか? 既存機のテスト飛行は、自力で空飛んで緊急脱出ができるアレッタさんに任せてたけど」
未だキヨシはその手の技術も無ければ知識もないため、疑問は山積みである。そのままにしておくのも危険な気がするので、積極的に聞いておく。
その問いに答えようとカルロッタが口を開くより前に、
「ソルベリウムを扱うのは、『エーテル体』を持っているなら誰でもできるんです。きっとやろうと思えば、キヨシさんにも──」
ティナはカルロッタを遮ってしまったことに気付き、頬を赤らめ視線を落とし黙ってしまう。
ティナは以前、中央都でキヨシに街灯に使われているソルベリウムのことを教えた時もかなり丁寧に、且つとても楽しそうに教えてくれた。
どうやら控えめな性格に反して話すのは好きらしい。釣り合いが取れていない少女だ。
「はいはーい、休憩終わり。そいつのお勉強はティナが見てあげて。無知に構ってる暇がねえほど忙しいからァーッ」
それを察してかカルロッタは特段嫌な顔をするでもなく、わざとらしい言い回しで再びペンを取り、図面とにらめっこを始めた。
「それじゃあその、少しだけ」
「ハーイ、先生。カルロッタさんの言い方で僕は酷く傷つきましたー。いけないことだと思いまーす」
「あ、あはは……後で言っておきますので」
「……まあ今日の所はそれで勘弁してやろう」
数日前のプレゼンのお返しとばかりに、キヨシが興味と期待を込めた視線をティナに送ってやると、少し照れ臭そうに咳払いする音で、『ティナ先生』の講義が始まった。考えてみれば、これまでキヨシはこの世界のこと自体、あまり聞いたこともないし調べたこともなかった。丁度いい機会かもしれない。
「それで、先の会話に俺の知らない単語が出てきたが。そのエーテル体ってのは一体なんなんだい? 戦跡の森でなんかカルロッタさんとドレイクが言ってたのは覚えてるけど」
「エーテル体とは、簡単に言えば『身体を動かすために必要な力の根源』です。この世のあらゆる生命は、エーテル体とそれを内包する体があってのものと創造教では定められていて、いつか創造主様のおわす天へと昇り行くものという意味合いで名付けられた名前なので、多くの人は『魂』と認識しています。ちなみに、エーテル体は何もしていなくても日々削れていくもので、その削れたものをチャクラとして扱うんです」
「へー。そんでそのチャクラには四つの属性があるんだったよな」
「そういうことですね。私は火のチャクラがエーテル体から削れ出ている……ということです」
「それじゃあ、俺にもそのエーテル体ってヤツがあって、何かしらの属性のチャクラが削れていっているのか?」
「はい。キヨシさんも自分の中に魂がある、という感覚があると思うんですけれど……」
「え? 生まれ落ちて二十年、そんな感覚を覚えたことないぞ」
それを聞いたティナは驚いた様子で口元を抑えた。なんだどうしたとキヨシが窺っているとティナは恐る恐る、
「……キヨシさんには魂が無いんですか!?」
「『骨無しチキンのお客様』みてえに言うのやめてくんない!? 言わんとしていることは分かるけどォ!」
「ち、違います! そんな酷いこと思ってませんよ!」
ショックを受けるキヨシと慌てて弁明するティナという滑稽すぎる寸劇。しかし傍で聞いていたカルロッタはその意味するところが理解できなかったらしく、小首を傾げる。
それを見たキヨシの中に、別の疑問が生まれた。
「……俺が住んでた世界の俗語のネタなんて、よく理解できたな」
「あれ? そういえば確かに、なんでだろう……」
『骨無し』は考えれば分からなくもないかもしれないが、『チキン』は知っていないと理解は難しいだろう。ティナの中にセカイがいることが関係しているのだろうか。キヨシがこの世界の言語など理解していないのに会話ができている以上、些細な問題なのかもしれないが。
「ん?……てことはやっぱり、意味を理解していて言ったのか?」
「だーかーらー! 違いますってばぁっ!」
無論、キヨシはティナを弄っているつもりなど一切無く、ただ勝手に勘違いして勝手にガックリ来ているだけ。下衆の勘繰り、ここに極まれり。
「と、とにかく! キヨシさんも生命である以上はエーテル体もあるはずなので、ソルベリウム内のチャクラを使うのには事欠かないと思います、はい」
収拾がつかなくなり、無理矢理ピシャリと話をまとめにかかられた。勘違いしたのはキヨシの方なので、これ以上何も言えず。ドレイク、カルロッタと口喧嘩では連敗続きのキヨシは、遂にティナにも完敗を喫した。
閑話休題。
「……チャクラの話題が出たからもう一個聞きたい。以前……確か戦跡の森に入る前、ドレイクが『魔法は精霊がいないと使えない』って言ってた気がするんだけど。その割にはカルロッタさんやフェルディナンドってヤツも、精霊なんていなさそうだったのにバンバン使ってたよな?」
「いえ、カルロも精霊と契約していますし、あの騎士様も契約していると思いますよ。エーテル体から削れていくチャクラは本当にごく微量なので、精霊の補助無しだと、ある例外を除いて魔法は使えないんです。具体的に言うと、『契約者のチャクラを食べて、それを増幅して放出する』っていう仕組みなんだそうですが」
「ほうほう、つまりチャクラが『音』だとしたら精霊は『マイクやアンプ』みたいなもんか。しかしさっきも言った通り、俺はドレイク以外の精霊を見たことがないぞ」
「ドレイクのように形を持って顕現できる精霊の方が珍しい、というだけですね。そもそも精霊とは大自然の力の顕現物なので、一定の形を持っていないものの方が多いんです」
「……ティナちゃんって結構博識だよな。マジに助かるわ」
「え、えへへ……どういたしまして」
──チクショウ、可愛い。
キヨシは少しだけ気分が高揚する。セカイと同じ顔をした少女が照れ臭さで表情をへにゃへにゃとさせているというのもあるのだが、何よりこの手の話はキヨシの大好物だ。
精霊、チャクラ、ソルベリウム。その全てが、かつてキヨシが想像していた異世界とは一線を画していて非常に興味深く、なかなかロマンに溢れている。それで酷い目に遭っていることも考えると『良くも悪くも』、だが。
「じゃあ魔法を使うというのはつまり、『精霊を使役する力』というワケか。魔法使いというよりは精霊使いだな」
「その認識で間違いありません。キヨシさんは全く知らなかったことでもスッと理解できてしまうんですねえ。その代わり、あまり解説することがなくてちょっぴり寂しいかもしれませんけど」
「心配すんな。疑問ってのは、解決したそばからまた湧いて出てくるもんなんだからな。早速なんだが、さっきおたくが言ってた『精霊無しで魔法が使える例外』ってのは──」
すると背後から、
「『亜人種』だぜ、白黒」
よく響く声が聞こえると同時に、ティナが口をポカンとあけて酷く顔を紅潮させ、何故かカルロッタは額に手を当てて天を仰ぎ見ている。『なんだか今日はこういうのばかりだなァ』と思いつつ振り返った瞬間、何かが顔にへばりついて視界を完全に覆ってしまった。
「見ちゃ、ダメです」
目を覆っているのがティナの温かな手の平であることに気付くまでは、そう時間はかからなかった。だがその先に何があるのかに関しては分からないままだ。ただ何故か妙にティナの声が上ずっている気が。
視覚は頼りにならないので他の感覚を澄ませてみると、石鹸の柔らかな香りと、なんというか水気を多分に含んだ熱を発する何かがキヨシの正面、眼鼻の先にいるような──
「亜人種は精霊と契約しなくても魔法を使えるんだ。だからソルベリウムに風のチャクラを吹き込むのは、私の役目。だけど亜人種が扱える魔法の属性は、種族ごとに生まれつき決まっているんだよな。私たちハルピュイヤ族はみんな風で……今街をうろついてるアイツらは──」
「キキっ、キ、キヨシさん、出ましょうっ」
「おワッとっと!?」
キヨシはティナに視界を奪われたまま、引っ張られるように部屋を出た。結局、何が起こったのかを把握できなかったが。
──────
「……なんだ?」
「……アレッタ。男が居候してんの忘れてただろ」
「ん? ああ、忘れてないぞ! でももう大分慣れてきて、ちょっと意識が」
キヨシに話しかけたのは、いつの間にか通常業務から戻ってきて、昼休憩をとっているアレッタだった。
問題はその出で立ち。どうやら先程まで湯浴みをしていたようで、出るところが出て引っ込むところが引っ込んだ豊満な身体を、大変にあられもない格好で惜しげもなく晒していたのである。
ティナが赤面してキヨシを連れ出すのも、無理からぬ話と言えるだろう。
「いいから服着てきなさいって。それと私たちがいる間だけでいいから、その格好で部屋うろつくのやめな。毎日かち合わないように誘導するの、大変なんだからね」
「えーっ。お言葉だけど、ここ私の部屋なんだし。着替えもそこのクローゼットの中なんだぞ」
「いや、そこを突かれるとヒッジョーに痛いんだけどさ……そこはまあなんというか、恥じらい的なのを持って……」
「冗談だってカルロッタさん! これからは着替えもちゃんと脱衣場に持っていくって。あ、それとお風呂空いたからな」
「昼間にもお風呂入るのはアレッタだけだっつーの」
大して意に介した様子もないアレッタは、まだ少ししっとりと濡れた羽毛の生えた身体をプルプルと振って、飛行時着用の上下繋ぎのスーツに手をかけるのだった。




