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番外篇『ペンセま小噺その1─バスタイム─』

 それは、一行のオリヴィー到着から三日目の夜のことだった。


「カルロッタさァーん! お風呂入ろうっ!」


「あー?」


 トラヴ運輸の業務が終了し、一日中夏空を飛び回って帰ってきたアレッタの第一声は、眼鏡を掛けて製図板に向かうカルロッタからなんとも間抜けな反応を引き出させた。


「カルロッタさん、お風呂に……入ろう!」


「何よ今の溜めは。つーかなんで二回言ったし。いやいや、というかいきなり何?」


「私こんな格好で仕事してるもんだからさあ。しかも季節が季節だし、もう全身汗ベタベタですんごいヤな感じ! ほら」


「うわッ!? そんな軽々しく肌を晒すなアレッタ!」


「おヘソのカルロッタさんに言われてもあんまり……」


「おヘソのカルロッタってなんじゃア!」


「とにかくさー! お風呂入りたいんだって!」


「じゃあ入ってくればいいじゃん。正直、アタシはそれどころじゃなくって。昨日の試験飛行はダメだったけど、そこから今いい感じにまとまってきてんのよ。もうちょっとでなんか素敵なことにうわっぷ!?」


 アレッタに顔を文字通り鷲掴みにされた瞬間、カルロッタを構成するどこかしらの骨がボキボキと音を鳴らす。ほぼ丸一日座りっぱなし故の、不健康な音だ。


「ほら、身体中バッキバキじゃん! それにカルロッタさんがなんか臭ったりするのは、個人的にヤダ! 入って! 家主命令!」


「分かった分かった、あとで入るから」


「だーめー! 一緒に入るんだァ~~~!」


「アンタ一緒に入りたいだけじゃねーか!? ああもう汗臭、臭ってんのはそっちだっつの!」


 結局の所、カルロッタとイチャつく口実が欲しいだけのようだ。愛くるしくはあるのだが、飛行機の設計がノッてきているカルロッタとしては複雑な心境と言わざるを得ない。


「あ、私も入りたァーい!」


「ティナ!?」


「トカゲさんは?」


「俺ちゃんはそういうの、たまにでいい。もう寝る」


 更にこの空気に便乗したティナが、嬉々としてアレッタの側に乗る。いや、この態度はどう考えてもティナではないだろう。


 ──~~~~~~~~ッ! セカイめ!!


 完全に立つ瀬がなくなり、もう素直に入浴するしかなさそうだ。


「ほらほらー、妹ちゃんもそう言ってることですしィ~。早く来ないと攫っちゃうぞ! 行こ、ティナちゃん……じゃないんだっけ? 汗でベタベタだからさ、ちょっと脱ぐの手伝ってもらえる?」


「えーーーーーーーーーー!? いいよ」


「おっ風呂、おっ風呂~♪」


 とはいえ、ああも楽しそうなアレッタやセカイを見ていると、案外悪い気もしない。引けていた気も最早どうでも良くなり、眼鏡とペンをその辺に置いて後を追った。


──────


「あ゛~~~、メチャクチャ気持ちいい~~~……」


「アッハハ! カルロッタさん、なんかおばさん臭ーい!」


「うっさいぞアレッタ!」


 蓄積した疲労感が、柔肌を滑り落ちる湯と一緒に流れていくような感覚で、カルロッタは思わず歳にに似合わない声を漏らす。入ってすぐにシャワーを浴びただけでこれとは、自分でも思いもよらぬほど疲れていたのだろう。


「しかしアレねぇ、ハルピュイヤのお風呂事情もなかなか大変そうね」


「まあね。羽根がまあまあ抜けちゃうから掃除に気は使うし、一緒に入るの嫌がる人もいるらしいしね」


「いや、まあそれもあるだろうけどさ。アタシが言いたいのは、独り暮らしなのに居住スペースと同じくらい、浴室の広さとってるってことよ。やっぱり、これくらい広くないと不便なのかなあと」


「んーん、広いのは私の個人的なこだわりだぞ。お風呂大好きだから」


「あら、そ。まあ、こうして三人いっぺんに入っても快適で、ありがたいけどね」


 その三人目が何をしているかと言えば、石鹸とタオルで泡を作りつつ、


「そーいえばカルロッタさん、つかぬ事をお聞きしますけれどもー」


「何よ」


「ティナちゃんって、歳いくつなんだっけ? 確かそんなにお召でなかった覚えがあるけど」


 カルロッタは一瞬だけセカイの意図を図りかねたが、セカイが壁面の鏡をまじまじと見つめながら、伸びをしたり前傾の妙なポーズを取ったりしているのを見て、『ああ、そういう』と察して、


「……今年で十二よ、十二。アタシも信じられんわ」


「わお、十二でこれ!? めちゃ将来有望じゃん! やっぱり私にそっくりなだけあって、ナイスなバディに育つのかなあ。あっ、超柔っこい」


「自分で自分の体をまさぐるな、みっともねえ……ん? イヤイヤ、つーかよく考えたらティナのだ、アンタのじゃねえ! ティナの身体を変に弄り回さないでくれる!?」


「にししッ、洗ってるだけだもーん」


「なんか手付きがやらしーんだよアバズレェ!」


 泡まみれの体でどこか倒錯したような所作をするセカイが妙に艶めかしく映った、カルロッタはやめるように窘めるも、どこ吹く風と言った態度だ。が、すぐにセカイの手はそれ以外の何かに構わずにいられなくなった。


「むえ、前髪が鬱陶しい……」


 どうやら、何度除けても顔に張りつく髪の毛に悪戦苦闘しているようだ。


「あー、ティナはいつもお風呂では頭にタオル巻いてるからね。おいで、やったげる」


「ありがと。ところで、ついでにもいっこ聞きたいことがあるんだけど……」


「何?」


 セカイはカルロッタに「怒らないでね?」と念押しして、


「その……カルロッタさん。背中、どうしたの?」


「ん、ああこれ?」


 背中に回したセカイの手が優しく撫でたのは、普段ロングコートで隠れている、背中一面に刻まれた巨大な傷。つい最近できたといった感じのものではなく、随分昔に負った古傷といった風に見える。それも、酷く痛々しい火傷の痕だ。


 ティナの身体の細い指に背筋をなぞられたからか、それとも触れて欲しくない話題だったのか、カルロッタはこそばゆそうに、そして困ったように笑いながら、


「うーん……なんていうか、説明が難しいんだけど。強いて言うなら、『姉になった証』ってとこかな。アタシは別にいいけど、多分ティナは人にこの傷のこと触れられたくないだろうから、詮索はしないであげて──セカイ?」


「へ?」


 カルロッタが、妹の前髪をまとめてタオルの内側に押し込むと、顕になった大きな眼から、大粒の涙がポロポロと溢れていた。涙を流すセカイ本人は、カルロッタが驚いている理由をはかりかねている様子でキョトンとしている。自分が泣いていることにも気付いていないのだ。


「あ、あれ? どうしたんだろ、私ったら。ゴ、ゴメン、頭ありがとうね! んー、視界が広いのはいいことだよね。いつもこれくらいならいいのにね! あははっ」


 羞恥心を隠すように笑いながら、セカイは必死に涙を拭う。そうしたら、もう涙は溢れてこず、元の可愛らしいティナの顔が戻ってきていた。


 愛する妹──ではないが、こうして前髪をしっかり除けて顔を曝すと、隠しているのが勿体ないほどに綺麗な顔をしている。今は中身がセカイだからか、どこか余裕がある大人びた印象があり、普段ティナが見せないような笑顔を湛えているのも、余計にそう感じさせるのかもしれない。


「……ま、そこんとこは言いっこなし。超絶人見知りこじらせてっからな」


「そうなの? きー君とは初めて会ったときから、割と堂々と話してたって聞いたけれど……」


「そうらしいけどね」


「カルロッタさん?」


 少し視線を落としたカルロッタの顔を、セカイが心配そうに覗き込む。


「……ティナはさ。本当に昔から人と話したりするのが苦手で。アタシとは結構普通に話すんだけどさ、それにも結構時間がかかったんだ。親に対しても、どこか線引きをしてるような感じがしてたし。髪で顔隠したりとかしちゃってさ。でもアイツ……キヨシとは会ってからそんなに経ってないくせに、なんかもうアタシと同じくらいよく話してるし、あんまりビクビクしてないみたいだし」


 カルロッタが言うように、キヨシとティナは出会ってからそう時間は経っていない。ティナが中央都でキヨシを助けたファーストコンタクトから、まだ十日そこらだ。初めて出会った日に尋常ならざる経験を共に経て、関係が深まったと考えられなくもないが、その割には大事に至る前、特に峡谷での出来事が起こる前から、ティナはキヨシに対して、ある程度の信頼をおいていたようにカルロッタは感じた。


 色々と口では言いつつも、カルロッタは内に燻るこのチリチリとした気持ちを上手く形容できなかったが、それを聞いていたセカイは端的に、そして的確にその気持ちが何たるかを言い表してみせた。


「……ちょっと妬いてる?」


 言ってしまえば、ティナと家族でもなんでもないのに平気で話し、ティナからも気にかけられているキヨシに対する『嫉妬』。カルロッタ自身、その言葉が出てこなかったのはきっと、それを認めたくなかったのだろう。


 そんな自分が少し嫌になり、若干不貞腐れたようにそっぽを向いて、「まあ、そうなのかもね」と言い放つと、何故かセカイは急に身体を震わせてカルロッタに抱きつき、


「カッ……ワイイーーーー♡」


「か、可愛い?」


「だってだって! ティナちゃんがきー君に取られちゃうかも! って思っちゃったんでしょ? 大丈夫大丈夫。なんせホラ、きー君には私がいますしー」


「は……はあああ!? ふッざけんな、誰があんなちゃらんぽらんにティナを取られるもんか!」


「ふふ、その意気その意気。だけどね、次きー君をちゃらんぽらんなんて言ったら怒るよ♡」


 話の中心にいたティナの体を間借りしているセカイは、真面目に話を聞いていたのか。それとも真面目に聞いていたからこそこんな反応なのか。なんにせよ、真剣に悩んでいたのがアホらしくなってくる。というか、『いや、悩んでない! 悩んでなんかないもんね!』といった頑なな気持ちが強まって、後ろ向きな気持ちはどこかに行ってしまった。


 これが狙いなのだとしたら、セカイの算段は予想以上の効果を上げたと言えるだろう。


「……つーか、いつまでくっついてんの? 身体中メッチャ泡あわなんだけど」


「えーいいじゃーん。髪の毛のお礼を込めて、カルロッタさんの体も洗ってしんぜよう」


「いらんいらん、とっとと離れ──ひゃ!?」


 カルロッタが固辞するのも構わず、セカイは泡だらけの肌をピタリとくっつけて抱きついたままだ。


「カルロッタさん、腹筋超イカしてるね。お胸とトレードオフ以上なんじゃない?」


「どういう意味じゃチクショ、あっ止せそこは……」


「……おっとぉ?」


 セカイに腹筋を指先でなぞられて咄嗟に出た反応。それはセカイの悪戯心を煽り立てるには十分だった。セカイがさらにカルロッタの腹回りをつつき回してやると、一度つつくごとに身悶えして声を漏らす。


 セカイの口角がぐいっと上がった。


「なるほどなるほどぉ~。カルロッタさんの弱点がこの辺のどこかにあると見た! ここかな? それとも、ここだったりして?」


「や、やめっ!? えっ!?」


 セカイを剥がそうとしたカルロッタを背後から、しっとりと濡れた翼が伸びてきてカルロッタを捕まえる。


「あ、アレッタ!? 何を!?」


「カルロッタさんの弱点か、私も気になるなあ。やっちゃえやっちゃえ」


「こ、この女ァッ、あっ……!」


「そんなツンツンしていられるのも今のうちだよン。んー、ひょっとして、まさかとは思うけど……ここ、とか?」


「ひあっ!?」


「……見っけ~♡」


──────


「ただいまちゃーん。いやはや、倉庫仕事というのはこうも疲れるもんか」


 一方キヨシはこの三日間、飛行機に関する知識を伝達したはいいものの、設計にはまるで立ち入れず。何もすることがなく、だからといってアレッタの家にただ居候し続けるのもいたたまれずに、トラヴ運輸の人々に頼み込んで倉庫仕事の一部を手伝っていた。倉庫内はハルピュイヤが動くことを前提とした造りになっており、キヨシのできることは少ないが、物怖じしない性格が好かれたのか、それなりに重用されていた。


「……ん? 誰もいねえ? なんだよ俺だけハブかよ、さては俺を置いてメシでも──」


 と、その時。バスルームがどうも騒がしいことに気づいたキヨシが耳をそばだてると、


「ちょ、ほんっ、やめてって! そ、そこは本当にダメで、あっバカそんなので触ったら、んっ! お願いだから、あっダメ! 離してッ! バカになるっ! ホントやめ、もう、もう、ダメえええーーーーーーーーーーッ!!」


「ん゜んッッッ!!?」


 伊藤喜々、この世に生まれ落ちて二十年。その二十年で全く聞いたことのない種類の声が、水の音と共にバスルームから響いてきて、脳の回路が焼き切れる。


 関係誤解も止む無く──────。

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