第一章-1『イトウ・キヨシ─背景なし、ろくでなし─』
創作物の当たり年──彼が生きていたこの世この年は、後にそう呼ばれる。
様々な映画が大ヒットしただけに留まらず、インターネットの発達により、なんの後ろ盾もない一個人がWEBに発表した小説や漫画が話題に、という現象が、珍しくもなくなっていた。
誰もが等しくチャンスを与えられた世の中──伊藤喜々もまた、チャンスをものにしようとするギャンブラーの一人だ。
高校生の時、インターネットで持て囃されていた絵師になんとなく憧れて、ノートに絵を描いた。今見ると枕をブッ叩きたくなるクオリティだったが、"ある人"に『上手』と言われただけで、
『俺には才能があるんだろうなァ~ッ』
などと勘違いが急加速。気が付けば専門学校の願書を記入していた。
親から『貴様が絵なんか描いている場合か』と言われたことも手伝い、反骨精神で入学決定。だが、インターネットでは知ることができなかった世界が、そこにはあった。自分と同年代で、比べものにならないぐらいに絵が上手い人がごまんといたのだ。当然、ただ入学して、漫然と通学しているだけで上手くなるワケもなく──劣等感は募るばかりだった。
それでもキヨシは、ギリギリのところでへこたれてはいなかった。
心の支えとなってくれる、かけがえのない人がいたから。
──────
「セカイッ──!!」
「ひゃっ!?」
そして、現在。
どうにも古臭い雰囲気の拭えない街の路地裏で、自分を助けてくれた少女──ティナの肩を掴み、そのあどけない顔をじっと見る。
長い前髪に隠れてはいたが、キヨシの中で、少女の顔は知人の顔と一致した。
「……やっぱりセカイだ、見付けたぞッ!! なんで何も言わずに消えたんだ!? 事情があるにしても、『また明日』って言っておいて……つーかお前なんでそんな小さい──というか、幼い!?」
「あ、あ……?」
「……?」
キヨシは矢継ぎ早と自分本位で話を進めるが、当のティナは何が何やらさっぱりの様子で、酷く狼狽しているようだ。そんな様子を──知人が絶対にしないだろう表情を見て、キヨシは我に返った。自分の言動の支離滅裂さを自覚しティナから手を離して、
「……ス、スマン! 人違い! 俺、ちょっと人探しに来てて……」
「人探し、ですか?」
「あ、ああ。おたくがその探し人にちょっと、いや、かなり……し、しかし…………」
「へ? え?」
改めて、自分を助けてくれたこの少女のことを観察してみる。
身長はキヨシよりも頭一つ分くらい低い。髪や瞳の色等の細かい違いはあれど、やはり知人──もとい、セカイによく似ている、という印象。幼き日のセカイと考えても、キヨシはまるで違和感を覚えなかった。
──似ている。似過ぎて、熱ッ!!?
そうしてほんの少し落ち着きを取り戻したのも束の間、身体中を苛む痛みなど忘れてしまうほどの強烈な痛み──いや、熱を顔面に感じ、思考が中断される。
「貴様、何モンだァァァ!! それ以上ティナに寄るんじゃねェーッ!!」
「うああああああッ熱い熱い!! なんだァッ!?」
「ドレイク様と呼びなッ!!」
顔面にへばりついている何か──精霊のトカゲ、ドレイクを振り払おうと手をやると、その手にも凄まじい熱を感じて体が反射的に手を引っ込めてしまいどうにもならない。できることと言ったら、魚河岸の魚の如くもんどり打って転げ回ることくらいだ。
「火のチャクラは無し……っと。だったらこんなの簡単サ。ケケケ、その白い頭を黒コゲにしてやるぜ!」
「ド、ドレイク! 大丈夫ですか!? 今どけますから!」
「あッヅァァァア゛ア゛ア゛ッ!! 早く早く早くゥ!」
「ダメだよ、ドレイク!」
「むギュッ!?」
キヨシに対する身内の狼藉に、慌ててティナはドレイクを鷲掴みにして、キヨシから引き剥がす。逃れようと、ティナの柔らかな手の中で身体をうねらせるドレイクだったが、そのうち観念して大人しくなった。
「ごめんなさいごめんなさい! こ、この子は私の──」
「……いいよ。『精霊』だとか『使い魔』だとか、そういうンだろ? 俺は詳しいんだ」
「は、はあ……」
そう、キヨシはこういった状況にはとても詳しい。覚えている限りの事ここに至るまでの経緯や、この一年半に得た経験や知識その他諸々を総動員すると、現代に根付く文化にとっぷり浸かった若者たちが夢見るシチュエーションに、半信半疑ながら辿り着く。
──俺は別に夢見ちゃいなかったが、なんにせよ……『異世界』だねェー……。
この展開に、キヨシの気は重い。『中高生なら案外はしゃぎ回るのかもしれない』と偏見混じりに考えるが、キヨシは今年で二十歳という、色々と現実が見え始めるも、大人にも成り切れない微妙な年頃。身元証明はどうする? 戸籍は? 食生活や文化に馴染めなくて身体を悪くするかもしれないし、仮にそうなったとしたら、突然湧いて出た身元不明の人間が診療所の類にかかったりできるのか──等々、懸念事項は山積みだ。
「あの」
「ひっ!?」
「あー……ゴメンて。もう変な因縁付けたり、触ったりしない。助けてくれてどうもありがとう」
「い、いえ……」
「……そのトカゲ、おたくは熱くないのか?」
「わ、私は火のチャクラ持ちですから……」
「チャクラァ? こーいう場合、マナとか魔力とか……いやまあ、いいか別に」
「はあ……」
こうして少しずつ落ち着きを取り戻していくと、次第に頭も冷えていく。冷静になって考えてみると、キヨシの考えているような、目の前の少女と縁者との類似点など、よくある容姿の被りに過ぎないのかもしれない。第一、ビクビクおどおどとしたティナの性格面など、似ても似つかないではないか──という気持ちが強まっていった。
恩義はあれど、こうしてはいられない。キヨシには別の目的があるのだ。
「……乱暴な真似して悪かった。俺は消えるよ」
「あ、あのっ!」
「なんだ?」
今度はティナの方から、キヨシを引き止めてきた。ただキヨシを呼び止めるだけで膝が笑う程緊張しているようで、余りにいたたまれなくなったキヨシは、話を聞くことにする。
「あの、えっと。その……考古学者さん、ですか?」
ティナが遠慮がちに口にしたのは、キヨシからすれば全く以て意味不明な問いだった。
「……? おたくらが言ってることは、何だかさっぱり分からん。俺は学者だなんて大層なモンでもないよ」
「そう、ですか……」
「あの言い方だとよォ。カルロのことどころか、考古学者がどういう扱いなのかも知らねえぜ、この白髪野郎。どこの田舎モンだ?」
「もう、ドレイク! すみませんすみません! うちの子が本当に!!」
「お母さん?」
頭をペコペコと下げて身内の無礼を詫びるティナに、一種の母性染みた何かを感じ取り苦笑いするキヨシだったが、ティナが放った『考古学者』というフレーズで直前の出来事がフラッシュバックし、
「まあ……考古学者を探してるってんなら、さっきの女がそうだったのかもな」
「へ?」
「俺が絡まれるより前に、『考古学者だ』なんだって絡まれてた奴がいたんだ。んで、逃げる時にこう……ドスンて足踏みして、そしたら地面がボコッと──」
「本当ですかっ!?」
「どわッ!? ほ、本当だって。ホラ」
先程までの態度からは打って変わってグイグイと迫るティナを、キヨシは『どうどう』と落ち着かせつつ、自分が吹き飛ばされてきた地点を指差す。そこにあったのは、行政に見放され、でこぼこに荒れ果てた裏路地の、ティナの背丈ほどはあろうかという程にせり出た土の塊。それを見たティナはさらに興奮した様子で、
「……カルロの魔法だ! ていうか、ああもう……皆の路地なのにこんなにして……」
──真面目なやっちゃなー。
公共物を破損させた身内に対して苦言を呈するティナを見て、キヨシは内心で感心した。そのティナの頭の上で、恐らくキヨシと全く同じ気持ちでドレイクが溜息を吐いているようだ。
しかし、それと同時に『この子はセカイとは違う』という気持ちはより強くなった。キヨシが意気消沈していると、「あの」とティナが顔色を窺うように声をかけてくる。
「姉……いえ、これをやった人がどこへ行ったか、ご存知ありませんか?」
「え? えー……いや、まあガッカリさせるようでアレだけど、知らん。そこの廃屋の屋根まで登っていって、どっか行っちまった」
「ですよね……すみません、ありがとうございました。まだすぐ近くにいるかも、ということが分かっただけでも、充分です」
口ではそう言いつつも、肩を震わせて露骨にしょげ返り、踵を返して歩きだすティナ。ティナが『姉』と言ったこと、そして事ここに至るまでのティナの言動を鑑みると、ティナもまた人を探していて、その探し人がティナの家族であることが察せられる。
「失礼します。お怪我を、どうかお大事に……」
「なあ、待てよ」
「──!」
そういった近い事情を持つ者へのシンパシーからか、キヨシはトボトボと去ろうとする寂しい背中を呼び止める。
「アイツ……あー、おたくの姉さんか? ソイツがいたときの詳しい状況とか、なんか手がかりになんねえかな?」
「もし良ければだけど」と付け加えつつだが、キヨシがそう言うとティナはその小さな歩みを止めて、涙を湛えた瞳でこちらを振り返った。