第三章-93『疑惑が確信に変わるとき』
王宮に戻り、警らの国防兵が驚いて道を退くのも構わず、キヨシは廊下を駆け、庭を抜け、階段を一足飛びで登り、アトリエに向かう。もしも本当にキヨシが懸念している通りの事態が起こっているのだとしたら、一刻も早く伝えなければならない。
逸る気持ちに応えるかのように、あるいはまるで待っていたかのように、キヨシがアトリエ前の廊下の角を曲がった瞬間、アトリエの主が伸びをしながら出てきた。
「あら、キヨシ? この時分、まだ奴隷労働ではなくて?」
「丁度良かった。セラフィーニさん、ちょっといいッスかね」
「ええ、ちょっといいッスよ」
「ああすいません。真面目な話です」
「失礼ね。こっちは真面目なつもりで──」
「ンなのいいから。人目につかない場所を見繕ってくださいや」
キヨシの様子が普通でないことを感じ取ったセレーナは、「分かりました」と一言口にすると、指でキヨシについて来いと促してきた。
「ちなみにどちらへ?」
「私室になります。そういえば、キヨシは来るの初めてね」
「ええ、まあ……そうですね。言われてみれば」
「アマミヤ姉妹も場所は知っているでしょうけれど、議会員の身の回りのことはすべてジーリオが担当しているから、立ち入ったことはないでしょうね。先に言っておくと、貴方が使っていた一席の部屋のような、豪華絢爛な部屋ではありません」
「別にそんな期待はしちゃいないッスよ。どんな部屋だろうと興味は湧くけれど」
「あらぁ。ご期待にそえるかしら?」
アトリエから歩くこと数分。国防兵や使用人と一度もすれ違うこともなく、目的地に到着した。特に待たされることもなく中に通されたキヨシの目に映る彼女の部屋は、
「意外と質素だと思ってる。生活感がない、とも」
「うおッ」
「ズバリみたいね。本当に分かりやすい」
あまりに失礼だと思って飲み込んだ言葉が、ごくあっさりと暴かれてキヨシは面食らった。
部屋の広さはマノヴェルの部屋の半分弱。飾り気もほとんどなく、あるものといえば執務に使っているだろうそこそこ大きめの机と寝具、あとは使い古された──というか、ところどころ煤けているイーゼルが精々。直通の別室があるようだが、恐らく浴室だろう。
「この部屋はあくまで就寝のために戻っているようなもので、あとは机とお風呂があればそれで充分なので。そのお風呂も週に二、三度しか使いませんし。それ以外はパティやジーリオと一緒に大浴場の方を使っているからね」
「パティ?……あ、陛下か。あの人とはその後どうです?」
「特に何も。帰りが遅れた件に関しては、特に引きずってはいないようだし」
「そ、そうですか。じゃあアレだな……」
「だからあの時のことなら、貴方もどうか引きずらないでね? かえって心苦しいわ」
「ム……」
当人たちが気にしていないとなれば、調子に乗ってかました説教も単なるお気持ち表明にしかならない。セレーナはこう言ってくれているが、パトリツィアにも一言謝っておきたいと、キヨシは思った。謁見の機会があればだが。
事を必要以上に考え、図星を突かれて狼狽えるキヨシのことを、セレーナは愛いものを見る目でニマニマと笑う。
「貴方はどうしていつも、そんなに面白い反応をしてくれるのかしら。議会員とか、諜報部隊の長という立場抜きにして、手元に置いておきたくなってしまうじゃない」
「からかわんでくださいよ」
「真剣なつもりなのだけれど」
「そんなことより、こっちの話を聞いてくださいよ。真面目な話って言ってンでしょ」
さて、不満げに口を尖らせるセレーナは置いておいて、ここからは真面目な話だ。キヨシには、わざわざ職場を早引けしてまで身内に共有しておきたい事柄がある。
この時、ごくごく自然にセレーナを『身内』扱いする自分がいることに、キヨシは自分でも気づかなかった。
──────
「……失礼。今なんと?」
「ああ。俺も耳を疑ったんだがよ」
客人を椅子に座らせて話を聞いていたセレーナは、柄にもなく、信じられないといった顔でキヨシの発言を聞き返す。何せ、完全に極秘扱いとなっている、キヨシたちの素性が王宮に出入りしている市井にまで漏れているという疑惑が出たのだ。『人の口に戸は立てられぬ』とは言うが、この情報を知っているのは単なる人ではなく、この国の政を司るその道のスペシャリストたち。通常、情報コンプライアンス違反など考えられない。そのくらいの弁えはあるはずだ。
「情報漏洩などありえない……と、言いたいところだけれど。今日まで有り得ないことの連続でしたね。分かりました。ジーリオを使って調べさせましょう」
「戸籍記録の方で忙しいんじゃないんスか?」
「あの仕事だったら、すでに終わっています。手分けして探っていましたから。明日にもまとまった話ができるかと」
「マジィ? スゲーな、諜報部隊……うーん、しかし」
「何か問題でも?」
話を聞いたセレーナは即断で、懸念事項を洗わせることに決めた。が、持ってきた本人であるキヨシの方が及び腰。
「ああいや、こうして人に話してみると、客観的に落ち着いて話が呑み込めるようになってきて。まあ正直考えすぎかなと思わなくもないんだよな。実際、迂闊にも口を滑らせたのはそうだし、その発言をただ引っ張ってきただけなのかも」
「本当に迂闊ですこと」
「うぐ……だって、誰も冗談にしかとらないだろ普通」
「それはそうですけれどねぇ」
何をそんなちぐはぐな態度をと自分でも思うが、緊急性の高い話だと考えていた話が、案外そうでもない事柄だったなんてことは、よくあることだ。しかも、キヨシが疑惑を持つに至った発言である『この外壁、今日で完成させといて』にしても、キヨシが少し前に半ば冗談半分で叩いた軽口が元になっている。今にして思うと全くもって軽率極まりないが、そういうことならばそれはそれで筋は通るのだ。それでも多少なり疑問は残るが。
理由はもう一つある。
「というかそれ以前に、だ。これまでの経緯から、犯人が議会関係者濃厚ってことになってるでしょ?」
「ええ」
「けど、あくまでも今のところはよくできた仮説の域を出ない。少なくとも客観的には」
「唯一あった物証は、消し飛ばされてしまったものね」
「ああ。しかも近くにいた部下ごとって念の入れようだ。だからこそ、俺たちは確信を持って動いてるワケなんだけども。なのに今更『私は議会関係者でござい』って対外的にも宣言するような真似するかなあとは思うんですよね。そこまで馬鹿だったかな」
「なるほど。確かに」
そう。キヨシが話した通り。鋭敏にキヨシたちの動向を察知し、迅速に追いすがり、最低限物証は残さずに、同胞の命を屁とも思わぬ冷酷さ。これまで一行が戦ってきた正体不明の某かは、もっと理性的で、手強い相手だった。しかし、もしも本当にこの噂を流したのが今回の一件の主犯且つ議会関係者だとするならば、今のキヨシに輪をかけて動きが支離滅裂だ。仮にキヨシたちを排除することに成功したとしても、事後になって、機密情報をリークしたことについての吊るし上げが始まることは想像に難くはない。まさしく、自分の首を吊る縄を枝にかけているようなもの。
それなら、単なる偶然が重なった結果の思い込みという方が、まだスッキリはする。むしろそっちの可能性の方が高い。
しかし、その半ば願望で塗り固められた甘い考えを、キヨシはあっさりと捨てることとなる。
「ん? お客さんか?」
「いえ、そんなはずは……?」
二人がうんうんと唸っていると、戸を乱暴に叩く音が聞こえ、直後に返事も待たずに、
「セレーェナァァァーーーーーーッ見ィィィつけたあああああああ!!」
「くるしうないお姉様!!」
【カールーローーーーーー!! やめてってば皆もう!!】
「うおッ!!?」
憤懣やるたかない様子のカルロッタが歯軋りをしながら、セカイを伴って雪崩れ込んできた。国の重鎮相手に無礼極まりない行為だが、セレーナは叱りつけることはせずに苦笑し、
「えーっと……とりあえず、落ち着いていただける?」
「これが落ち着いていられっか! ティナが職場でイジメられたって聞いたんだけど!! ジーリオを出せェ!」
「ッ──────!!」
二人の心が悪寒で凍り付く。
「……~~~~~~っ!! だから! 仕事の不備が原因なんだって言ってるじゃない! 心配してくれるのは嬉しいんだけど、今回は──ひゃっ!?」
「その話、詳しく聞かせてくれ!!」
「キ、キヨシさん?」
「セラフィーニさん。アレマンノさんとンザーロ爺さんにも!」
「ええ、同時並行で急がせます」
セレーナも事の深刻さを理解し、足早に対応を始める。セカイから身体を奪い返して表に出てきた矢先、血相を変えたキヨシに両肩をがっしりと掴まれて驚くティナが完全に置いてけぼりを喰らう形となってしまっているが、正体不明の敵同様、なりふり構っていられない。
──クソッ、なんなんだよ! ここまで馬鹿なんだけど!!
「な、何? どうしたの?」
「二人とも。今すぐ部屋に戻って荷物をまとめろ。最悪の場合、いつでも脱出できるように」
「えッ、どういうこと?」
「歩きながら、いや走りながら話す。そっちの話も聞くよ。フライドさんも手伝って──」
と、ここまで好き勝手に動いてきてようやく気付く。
監視役、お目付け役として常に、キヨシについて回っていたマルコの姿が、どこにも見当たらない。
──急いだモンだから、仕事場に置いてきちまったか? いや、今は……セラフィーニさん経由でジーリオさんに伝えれば何とかなるだろ。
ここのところ、常にどこか上の空でぼさっとしていて、おまけに影も薄かったマルコ。キヨシが仕事場にいる間もずっと黙りこくっていて、何を考えているのか分からず、不気味に思っていたキヨシも特別気に掛けることもしなかったが、いざいなくなると気になって仕方がない。
しかし、今はそんな些事を気にしている場合でもない。さっさとやるべきことをやって、備えなければならない。
事態は、いよいよ混迷の様相を呈し始めていた。




