第三章-92『孤島の中の孤島』
「うわッ!!?」
「おっとゴメンよ」
「あっぶねえなオイ、危うく労災だよコノ!!」
「そうなったらまた王宮で休めばいいじゃん」
「あのなあ、王宮で休むってタダじゃねえんだって。俺は債務者よ? 休めば休むほど積もってくのよ、マイナス方向に……って話を、この間したよな?」
少しだけ時は遡る。
頭上を通り過ぎる材木におののき文句を垂れるも、労災を起こしかけた同僚は全く悪びれない。どころか、王宮の庇護を受けるキヨシを皮肉る発言すら飛び出した。キヨシは閉口する他ない。
自分が何か悪いことをしたかと、直近の行動を顧みる。しかし思い当たるフシも特にない。第一、本当に直前までは和気藹々とした雰囲気で、『アットホームな職場』を地で行くような働きやすい場所だったはずだ。
「ジーノ君や。今暇か? ちょっとええか」
「なんだよ、暇だけどさ」
「俺のことなんて触れ回ったんだ?」
「え?」
そうなると、別の可能性を考えるべきだ。
「いやあ疑うワケじゃないんだけどもな、心配ないって伝えてくれって言ったじゃん。なんかぞんざいに扱われてるっていうかさ……」
「まあ言われてみれば確かに……。けど、そんなに悪く言ったつもりないんだけどな。本当にただ心配ないって」
ジーノ少年本人も、この異様な空気は察していたようだ。キヨシは「そうか、悪かった」と非礼を詫びつつも、内心では半ばうんざりとした気持ちでいっぱいだった。キヨシにもジーノにも、刺々しい空気は感じ取れる。しかし心当たりはない。そして、同僚のあの皮肉たっぷりの発言。導き出される答えは一つ。
──やだなァ~ッ。ついにこの時が来ちまったか。
同じ奴隷身分で、ぽっと出且つうだつの上がらない男でありながら、何かと特別扱いされがちなキヨシにやっかみを持つ同僚が現れてしまったということだ。この生活を続けているうちに、いつか直面する問題ではあった。だからキヨシはなるだけ急いで亡命の許可を取りつけて、奴隷を卒業したかったのだが、思ったよりも早くこの展開になってしまったようだ。
もう一つ、こういう結論に至った理由がある。
「オイさサボってんな二人とも!!」
神妙な面持ちで話し込んでいたキヨシたちを、また別の同僚が怒鳴りつけた。げっそりと痩せこけた心に、怒声はより効果的に響く。主に、苛立たせる方面で。
「悪かった。作業に戻る。で、何をすればいい?」
「は?」
「実は今朝から、どの班からも爪弾きにされててね。これでサボってるって言われんのはたまらねえンだけどもよ」
「え……そうなの、おじちゃん?」
意地の悪い物言い。すでにキヨシは気付いていた。自身を取り巻く環境の変化に。
実はキヨシがこんな扱いなのは、さっきが初めてというワケでもない。今朝職場入りして今に至るまで、避けられ、冷遇され、仕事の一つも振られずにこんなところでぼさっとしているのを強いられていた、というのが実情だった。
まるで左遷された窓際社員だ。
居心地が悪く、寂しい雰囲気──皆と同じ場所にいるのに、自分だけ違う、遠い場所にいるような気配。アティーズという孤島の中の、そのまた孤島に島流しされているような気分。いくらルサンチマンの対象になったといっても──
否。その認識は、次の瞬間に同僚が放った発言で、根底からひっくり返ることになる。
「フン。じゃあ俺から、仕事振ってやるよ。この外壁、今日で完成させといて」
「……今、なんて?」
「耳クソ詰まってんのか? 外壁工事を終わらせて」
「何言ってる? ワケ分かんねえこと言っとらんと──」
「『俺が本気出せば一瞬で終わる』。そう言ってたらしいじゃないか」
窮状を訴えるキヨシに対し、同僚は同情するどころか、ワケの分からないことを口走って凄んだ。いや、ワケの分からないことではない。キヨシにとっては、筋が通る内容だったのだ。
「やれよ。やってみろよ」
「う……」
スッとぼけるフリをして煙に巻こうという算段も、勢いで潰されてしまっている。彼には何かしら確信めいたものがあった。一方、キヨシにとっては決して表沙汰になってはいけない秘密に、直接的でないにせよ触れられた動揺から、数日前まで一緒に仕事をしていた同僚と目を合わせることができなくなっていた。
もっとも、今一番困惑しているのは、ある意味キヨシ以上に蚊帳の外へ捨て置かれているジーノだったが。何かが起こっていることは理解できるが、何が起こっているのかは理解できない。ただ状況に流されるだけ。
心細く思っていた少年の双肩に、後ろから柔らかな手がポンと置かれた。驚いて上を見上げると、そこには見知った温かな笑顔があった。
「久しぶり、ジーノ君」
「……ねーちゃん!」
明るい声が届いた二人は思わず顔を見合わせ、声の主を見やる。
「アイーダ!? 何故ここに!」
「なーに? たまの休みに古巣の仲間たちの顔を見に来るのが、そんなにおかしいかな?」
「い、いや。おかしかないが」
「ちょっとこの二人借りるね? 暇してたんでしょ? 二人ともちょっとこっち来てッ」
「え? は? な、なんなんだよ突然!?」
「いーから!」
そこにいたのは同じ志の元、同門で芸術分野の研鑽を積む少女、アイーダだった。彼女は突然現れるなりキヨシとジーノの手を取って、引っ張るように走り出す。誰もが呆気に取られている隙に仕事場を離れ、難民群側へと歩を進めていった。キヨシとしては願ったり叶ったりな展開だ。
「いやー、助かったよアイーダさん。あんまり気まずかったからな」
「いいってことなのよ。たまたま出くわしただけだし」
「しかし驚いたな。古巣ってことは、アイーダさんは奴隷だったのか」
「まーね。貧困層だったワケじゃなくて、いわゆる戦災孤児なんだけど。ホラ、姓がないでしょ? キヨシったら、『アイーダって呼んで』って言ってるのに、初対面でスゴイ気まずそうに名前呼ぶんだもん。困っちゃうわ」
「ああ。まあそんなこともあったっけかね」
驚いたことに、セレーナの下でちゃきちゃきと修行に励む同門生は、元々は奴隷の身分だったようだ。
「ん? ということは……なるほど、俺の今の住まいに住んでた卒業生はおたくか。ジーノ少年が怒るワケだ」
「怒る?」
「あ! ふっざけんな、言うなよおじちゃ……わ!?」
「そうだったんだァ。しょうがないよねえ、あそこでいっぱい遊んだもんねえ?」
「や、やめろよねーちゃん。恥ずかしいだろ!」
さらに言うと、ジーノの頬をぺちぺちと叩くようにに弄ぶアイーダを見るに、二人はそこそこ以上に親しい間柄でもあったらしい。つまりキヨシはジーノとアイーダの思い出の場所を勝手に乗っ取った格好となるワケで、扉越しに蹴飛ばされるのも致し方なしといったところだろう。
「ところで、どうしたの? なんか揉めていたみたいだけど」
「いやあ、一方的に嫌われてる感がな。どこからも爪弾きにされてて。まあ爪弾きにされてるっていうか、避けられてるって感じなんだよな。たらい回しにされまくってんだ」
「ジーノ君、そうなの?」
「……うん。今日はなんか皆、おじちゃんに冷たいや」
「おじちゃん?……ああいや、心当たりは?」
「強いて言えば、諸事情で少し職場を空けちまったこととか、王宮でそこそこ特別扱いを受けてるところとかかな。まあ恨みやらなんやらを買うに充分と言えばそうかもしれないけど、ああいう物言いまでされるかね、とは。よもや元々ああいう性格ってんでもあるまい」
「うん。私の知ってる奴隷たちは、皆良い人だよ。奴隷身分を卒業する私も、笑顔で送り出してくれたくらいだし……」
同僚の豹変ぶりに関して、アイーダにとっても合点のいかない奇妙な状況のようだ。そうなるとますますお手上げだ。
となれば、構ってはいられない。新しく生まれた別の懸念事項について、キヨシは一刻も早く皆に共有し、調べなければならない。
「ジーノ。悪いけど俺、今日は早引けするぜ」
「え? おじちゃん?」
「急用ができた。皆には上手いこと言っておいてくれ」
「ちょっ、なんだよそれェ! なんて言やいいのさ!」
返事も聞かずにそそくさと走り去るキヨシの背中に、ジーノは泣き言交じりの文句を投げかける。当たり前の話だ。少年が引いた貧乏くじたるや、まさに大凶のそのまた下くらいにしみったれたそれと言わざるを得ない。
そんな彼に、救いの手が差し伸べられる。
「じゃあ、『アトリエのセレーナ様に呼び出された』──これで。一緒に説明しに行こっか」
「ね、ねーちゃん?」
「嫌?」
「嫌じゃないけど……」
「大丈夫。そのうち、セレーナ様が直接謝りに来ると思うし」
「んー……いいのかなあ」
無論、良くはない。元々嫌われているらしいところに、こんな勝手な立ち振る舞いを重ねれば印象は最悪だろう。キヨシはついさっき、それをおしてでも優先すべき事柄を抱えてしまったのだが、ジーノの知る由もない話だ。
アイーダに促されるまま、仕方がなく、他のほんの少し嬉しいとも思いながら、ジーノは仕事場へと戻っていく。
一方、キヨシはセレーナに事実確認を取るべく、アトリエへと向かっていった。
キヨシたちが抱えている秘密が、どこからか漏れているのではないか──と、問いただすために。




