第三章-90『疎外感』
「して、首尾は。というかそもそも何を調べさせていた?……と、その前に。検閲対象者は出て行ってもらおう」
「えー、またぁ?」
「つべこべ言うでないわ。さっさと失せい」
「まあ、つれない。にっくき首謀者を見つけ出したら引っぱたいてやろうかしら」
「煮るなり焼くなり好きにして構わんからはよう出て行け」
セレーナはどこかあざとい所作で一しきり不満を撒き散らし、しばらく黙りこくっているマルコを伴って部屋の外へ出た。この対応も仕方のないことだろうが、同じ人払いにしてももう少し言い方というものがあるだろうに。この老人のこういうところが、キヨシとしてはどうもいけ好かない。
さて、ティナに調査依頼をしていたと言っても、把握しているのはキヨシとカルロッタだけ。とはいえ、別に疚しいことがあるワケでもなし、むしろマノヴェルには共有しておくべき事柄だ。キヨシが目配せしてやると、ティナは小さく頷いて静かに語り始めた。
「猫さんの年齢です」
「む……猫の?」
「はい。猫さんの歳は結構バラバラで。ただ、あのとき検閲がかけられていた猫さんの内、一番ちっちゃい子で大体三歳くらいだそうです。ほら、デシローさんが」
「あ、そうなの? うーむ。それは困ったな……」
「確かにねえ」
【ねー、毎度のことだけど分かるように話してくんない?】
またまたアホっぽい返答をするセカイだったが、セカイでなくても、それこそマノヴェルでも意味不明な、要領を得ない話だろう。懇切丁寧に説明せねばなるまい。
「魔法で直接検閲してるなら、検閲をかけた後に生まれた生き物は検閲がかからないよな? なら、どの程度の歳のヤツに検閲がかかってないかを細かく調べることで、いつ頃検閲がかけられたのか、そしてそこから動機も調べられるかと思って」
「なるほど。筋は通っとるな」
「だろ? ただ、ちょっとアテは外れてるっぽいんだよな。実験みてえな真似するのは憚られるから、検閲がかけられている生き物の中で一番幼くて、調べやすい範囲から調べたんだけど……三歳か」
「三年以内じゃ例の悪疫流行には掠りもしないわよね」
「今日ざっと調べた感じだと、三年前、特別大きな事件があったりしたんでもないっぽいしなあ。ここ数年はまさに平和そのものだったワケで」
「貴様らがくるまではな」
「ヘッ、ごもっともで」
アティーズに不法入国して早ひと月ちょっと。皮肉をあしらうのもずいぶん達者になってきた。
それはさておき、今キヨシが説明した通り。ティナに依頼したのは至ってシンプルな話で、王宮で飼っている猫、特にその中でも、件の検閲が発動した際に居合わせた猫の中から、最も幼い猫──何の因果か、知っている個体だった──の年齢を調べてもらっていた。検閲がかけられた時期を逆算できると考えたからだ。今回の場合、デシローの年齢三歳つまり三年以内に起こった何かに関係する事柄が、検閲の動機かもしれないと、そう考えた。
「ちなみに三年前、この国を揺るがすような大事件は──」
「ない。断言しよう」
「やっぱそうか」
が、残念ながらどうも空振りらしい。
「予防接種みたいに毎年かけ直すようなマネができれば、人間相手なら検閲の維持はできるだろうけど、全生物相手となると非現実的だよなあ……。ちなみに、人間に毎年義務付けられてるようなのはない? 子供も含めて」
「それも特にはないな」
「パッとしないわねー。またドン詰まりなんて冗談じゃねえぞ」
ここのところ少しずつでも、着実に手がかりを掴んでいったキヨシたちだったが、今回は明確に策が滑った形となる。しかも、これが真実だとすると、今日調べた話も丸っとご破算ということになる。一から出直しなんて考えたくもない。カルロッタの憎まれ口は、そういう焦りから出たものだ。
「どうする? 今からでも方針変えて、ジーリオさんには別のことしてもらうとか。使える人員も限られてるっぽいし、無駄足になるくらいなら」
「その可能性も考えないじゃねえけど。どうあれ、実際の歴史と記録にズレがあるのはほぼ間違いねえんだ。ようやく掴んだ手がかりらしい手がかりだし、分の悪い賭けでも、ここは突っ張るべきだと思うね」
「……なるほどね。ま、そう言われるとそうか」
キヨシは動かない。無論、キヨシとてここまでの手間暇が惜しくて仕方がないし、今掴んでいる手がかりを信じたいという願望はある。ただ、どちらが怪しいかという観点で言えば、猫の年齢から推測した仮説よりかは、現実に明らかな記録の齟齬の方が怪しく思えるという話だ。
「ただ申し訳ねえのが、無駄足って話になるとティナちゃんが……ってことになるのがな」
「いや、そうとも限らんぞ。年齢、生物種にかかわらず無差別に検閲をかけるなんて真似ができる者がいることが、これでハッキリしたんじゃ。それができる立場の術者、そしてその方法という観点から洗う道が開けた」
「確かにね。それじゃあそっちはマノヴェルさんの方で?」
「ああ。同時進行じゃな」
「よし、とりあえず今日はお疲れ。予定外に戦うことになったりしたけど、皆無事でよかったよ。セラフィーニさんたちに戻ってきてもらって、今度こそメシだな」
「しかし本ッ当に疲れたー……」
「ああ、俺なんか明日は普通に仕事だってのにな。今日はおかげ様で助かった」
「フッ、お互い様でしょ」
へたり込んだカルロッタに差し伸べた手は、強く握り返された。彼女との付き合いもそこそこ長いが、付き合いの長さ以上の信頼関係がそこにはあった。背中を預けるに足る仲間がいた。キヨシはがっしりと結ばれた手に、不思議な絆を見出していた。
思わず顔は綻び、堰を切ったように溢れ出す感情の赴くまま、二人で笑い飛ばした。
しかし、そんな二人を一歩引いた距離から、どこか遠い目で見る者もいる。
【みーんな頭良さそうで羨ましいなあ。ティナちゃん分かった?】
「へ? はい。一応」
【ちぇー、ティナちゃんもそっち側か。なんか私だけお荷物みたいでヤだなあ】
セカイがなんとなしに放った一言が、ティナの心をチクリと刺した。ティナは自分が、『そっち側』の人間とは思えなかったからだ。
「……──────」
【ティナちゃんは別にお荷物なんかじゃないよ】
──ッ!!
【大丈夫大丈夫分かってるって、きー君にはオフレコで。ゴメンね、そんなつもりじゃなかったんだけど】
おどけた調子で、ケタケタ笑いながら言ってはいるものの、ティナを慰めようとしているのは明らか。つまり、ティナが今何を思っているのかどうかも全てお見通しだということ。ティナの側からも、セカイがぺこぺこと頭を下げているのが目に浮かぶ。こっちはこっちで不思議な絆と言えなくもない。
【相変わらずバレバレだねえ。まだ魔法使うのが怖いの気にしてる】
──うぅ……ハッキリ言われると余計落ち込んじゃいますよう。
「オイオイ。俺ちゃんは魔法使ったじゃねーかよ。ま、威張れたモンでもねえショボい手品だったけどよ」
──それは、ドレイクが頑張っただけで……。
「うわ、まーた始まったよ。めんどくせェーッ」
【ちょっ、いくらなんでもヒドいよドレイク君! そりゃあ、もっと自信持てばいいのにって思うけどさあ……あ、いい加減しつこい?】
──いえいえ、そんなことはないです。決して。
キヨシもカルロッタも戦っていた。セカイも、ドレイクも、加勢して二人を勝利に導いた。セレーナも、マノヴェルも、ジーリオも、皆それぞれの役割を全うしているように見える。そして今も、今後のことを見据えて話し合っている。
なのに自分ときたらどうだ。
力を持て余し、力に怯え、力を振るうことに臆した自分は、足手纏いになっていないかと。本当のお荷物は自分ではないかと。ティナはそんな風に思えてならなかった。今こうして感じている疎外感さえ、身勝手で感じる資格もないのではとさえ。
【んー……まあ、そう思うんなら次頑張ればいいんじゃない? 国のいざこざに首突っ込んでるんだし、どーせ近い内にまたドンドンパチパチだよ。きっと】
「別にイイことでもなんでもねえけどな」
【急に常識的になるじゃん】
「テメーにそんな説教されちゃあ、おしめーだなオイ」
──あ、あはは……。
微笑ましいやり取りで幾分気は紛れたものの、この出来事は心の中でしこりとなって、残り続けるのだろう。少なくとも、ティナの中で何かしらの折り合いがつけられるまでは。
手にした力を『使わない』ってのもまた、立派な選択の一つだから、好きにしたら良いと思う。
少し前、キヨシはティナにこんな助言をしていて、実際気は楽になった。しかし、最早そんなことを言っていられる状況なのか。本当は自分も戦うべきなのではないだろうか。しかし、それでまたキヨシやカルロッタ、アティーズの皆を傷つけるようなことは絶対に嫌だ。
考えれば考えるほど、思考の袋小路にはまっていく。今まさに、ティナの人生最大の苦境と言っても過言ではない。
その人生最大の苦境が更新されたのは、翌日、仕事中のことだった。




