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ペンでセカイは廻らない~魔法の石を生み出す力を得た青年が、二重人格少女と冒険する話~  作者: 洞石千陽
第三章『キャストユアシェル─殻を破ったそのあとで─』
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第三章-88『裏の顔』

 数分前までキヨシが想像していたほど、上の部屋は荒れ果てていなかった。


 辺りにソルベリウムの壁の破片が散乱してはいたが、門下渾身の芸術作品の数々に損傷はない。なんだかんだ、流石のセカイも一定の節度を守ってはいたらしい。『節度を守って部屋を荒らす』というのもおかしな話だが。


 それに、いくら被害が軽微とはいえ、がっぽりと開いた壁の穴ばかりは如何ともしがたい。塞ぐのはキヨシの力で楽にできるとて、後片付けは人力だ。早速手分けして作業に取り掛かる。


 ただし、手と一緒に口も動かすこととした。


「なあ、そろそろ聞いてみてえなと思ってたところなんだけどさ」


「なぁに?」


「おたく自身のことですよ」


 すっとぼけたセレーナの態度をぴしゃりと締めるが如く、キヨシの圧が強い声がアトリエに響いたが、イマイチ効果は薄い。


「あら、私に興味がおあり? 嬉しいわ。あんまり恥ずかしいことでなければお話しても構いませんけれど……貴方のところの娘が、怒ったりしないかしら」


「両方に先に言っとくけど、別に『そーいう』意味で言ってんじゃないからな?」


【両方って誰のことかなーーーーーーッあと『そーいう』が何を指すのかも詳しく】


「セレーナ様とセカイさんのことだと……あれっ、そうですよねキヨシさん?」


「俺はよく考えたら、セラフィーニさんのことを『メッチャ絵が上手い偉い人』くらいの認識しか持っていない」


「それでも別にいいんじゃないかしら」


「俺もそれまではそう思ってたンすけどね。ここんとこ、どうもおたくの底知れなさを怖いと思うようになってきたっていうのか……いや、失礼なのは分かってるんですけどね?」


「あのー……キヨシさん? もしもし?」


「失礼だなんてとんでもない! それでは早速いきましょうか。セレーナ・セラフィーニ。両利き。趣味は素描とお風呂。イチゴと、イチゴのお菓子が大好き。身長は見ての通り。年齢と体重は聞かないで? 恥ずかしい数値なのがバレちゃうから。ああ、でもこっちの方の数値にはとっても自信が──」


「それも見りゃ分かるって! だからそーいう意味じゃねえっつってんだろが!」


「ねえ、キヨシさんってばぁ!!」


「るッせーぞティナオラァ!!」


「にゃんっ!?」


 完全に蚊帳の外に置かれたティナの猛抗議は、顔面に直撃した親友の尻尾にむなしくも遮られた。別に意図してシカトを決め込んでいたワケでもないが、別にわざわざ対応してやることもないようなくだらない話だ。


「気にしなくても?」


「気にしなくてもいいです」


「そんなぁ!」


【セレーナ嫌い】


 いや、対応しないというよりは、ティナへの対応がセカイ向けのそれに傾いているだけか。これが悪いことばかりかはさておいて。


 さて、ふざけるのもここまで。当然キヨシはセレーナのプロフィールを把握したいワケではない。


「それで、私の何に興味を持ってくださっているの?」


「前にンザーロの爺さんについて話した時みたいな感じで話してくれればいいよ。諜報部隊のことも、よそ者に話せる範囲でいいから。守秘義務とか色々あるだろうし」


「なぁんだ。そういうこと」


「この状況でそれ以外に何があるんスか。つーか、なんでちょっと残念そうなんですかね……」


 不満げに口をとがらせて、くるくると髪を弄るセレーナに、キヨシは多分に呆れが混じった乾いた笑いを投げかけた。


「お仕事の話なんてつまらないじゃない?」


「そりゃあそうだな」


「大体、諜報部隊の長がよそ者に話せるようなことなんて、何か一つでもあると思う?」


「そ、それもそうだ……な」


「ド正論過ぎて泣けてくるわね」


 反撃とばかりに痛いところを突かれたキヨシは思わず口ごもる。これまた当然の話で、諜報部隊のことは議会員ですら正確な実態を把握していない、明確な国家機密。不法入国者が軽はずみに首を突っ込んでいい話ではないのは間違いない。


 狼狽えるキヨシをひとしきり見て楽しんだセレーナは、キヨシの額をつついて笑った。


「ふふ。心配しなくても、私はもう貴方たちをよそ者だなんて思っていないのよ」


「いいの? セレーナさんがどう思おうと、国にとっちゃ──」


「ええ。けれどキヨシは私の門下で、私の友人」


「あ……へ、へへ」


「で、監視対象ね。当然、お友達の皆様も」


「うん。そんなこったろーと思ったけどよ」


 見事な三段オチで脱力したキヨシの顔を見て、セレーナはまた笑う。ついでにカルロッタもやや下品に笑った。『監視対象』の自覚があるのかと小言の一つも言いたくなるが、不思議なもので、一歩引いたところで微笑まし気にキヨシを見つめるティナに気付くと、まあいいやという気持ちになった。


「要は、私の諜報担当としての顔を知りたいワケね」


 改めて、議会四席は諜報担当、セレーナ・セラフィーニの素顔を刮目させていただく。


「私がまだ若かった頃、戦前の話ね。私は当時から王宮お抱えの宮廷画家を務める傍ら、それこそ使用人を兼ねるジーリオのような立ち位置で、王族の侍女を務めていました」


「え? でも──」


「待て、ロッタ。すいません、セラフィーニさん。続けてください」


「? はい?」


 慌てた様子のキヨシに、挟んだ口を閉じられたカルロッタは一瞬困惑したが、すぐに「あ、そっか」と納得した。と同時に、言い知れぬ嫌悪感が頭をもたげる。


 マノヴェルに曰く、当時の王族に仕えていた侍女はすでに高齢だったらしい。それだ正しいのならば、セレーナが言っていることは、検閲の結果捏造され植え付けられた偽りの記憶ということになる。それはつまり──


 とんでもない茶番劇だ。人にこんな仕打ちをする奴は、とことん性根が腐っているに違いない。いつかこの検閲が撤廃されたとして、セレーナは受け入れられるだろうか。


 今は祈る他ないのがまた、歯痒いところだ。


「それで、そのうちお師様……マノヴェル様に見初められて諜報部隊に参加しました。戦争が始まる五年くらい前だったかな」


「どういう経緯で?」


「子供の頃から親密にさせてもらっていたから。私もお師様の仕事には興味があったし、まあ諜報部隊に参加する前から、あの人とは色々あったの。と言っても、私以外の人員も程度差はあれど、ほとんど似たような経緯で参加しているのだけれどね」


「やっぱり、その頃からヴィンツで活動してたんですか?」


「ええ、色々してきましたよ。ただ、当時はどちらかと言うと国内での活動の方が多かったですね。情勢は今とさして変わらなかったけれど、四大精霊を背景にしてヴィンツを攻撃したい人というのが、市井に一定数いまして。そんなことしたら戦争になるに決まってるでしょうに。よっぽど前線で死にたかったのかしら」


「だから怖いって言ってるじゃないスか」


 早速()()らしいシビアな視点を持っているのが垣間見えたのと同時に、少しずつセレーナの裏の顔が見えてきた。マノヴェルとセレーナがかなり古い友人であることは知っていたが、話に聞いていた以上に親密な間柄だったようだ。その割にマノヴェルは彼女に対するあたりが強い気もするが、そこは恐らくプライベートな問題が絡んでいると思われる。


「そんで、今はどんな仕事を?」


「普段のお仕事は、主にヴィンツェスト……というより、法王府への諜報です。向こうに忍ばせた間者と連絡を取り合って、不穏な動きがあれば対処する。一応、国内の不穏分子の監視も仕事の内なのだけれど、ここのところは情勢も安定しているから、治安維持は国防兵に任せていました。貴方たちが来るまではね」


「ウス。お騒がせしてまーッす」


「自覚があって何より。この度、かなり様々な場所で諜報員を配置することに相成りまして。人員の泣きがそこかしこから聞こえてくるのよね。突然のことだったから増員もできないし」


「そりゃ一刻も早く信用を得て休ませないとな。ところで、オリヴィーの件は把握してなかったんですよね?」


「お恥ずかしながら。というのも、あそこはずいぶん前から空賊の根城になっていて、法王府が介在しづらい場所になっていまして。ソルベリウムの採掘基地があることを差し引いても、あまり脅威とは看做されてはいなかった。法王府にのみ注視して、視野が狭かったのは否めません」


「なるほどな……確かに、ジェラルドさんたちもあそこに触れるのは及び腰……う!」


 キヨシが一種のノスタルジーに浸りながら当時の思い出を語り出したその時。一行は底冷えするような恐怖を覚えた。


「……──────何か?」


「い、いえ。特には」


 本当につい先程までにこやかに話していたセレーナの顔から、笑顔は消え失せていた。ただそれだけのことだったが、笑顔と一緒にそこにあるべき『何か』が欠落してしまっているような気がした。何百年に一人かと思える美貌にくっついている目が、鼻が、口が、そういう形の違う物体に見えた。まるでのっぺらぼうか何かのようにさえ感じた。


 『虚無』が、セレーナの顔に『あった』。奇妙な表現だが、そうとしか説明できない。


「……で、おたくは主に何やってんです?」


 たまらず話題転換を図り、キヨシが苦し紛れの一言を恐る恐る放つと、セレーナの形をした『何か』は、微笑みをたたえて元通りの顔に返った。


「もちろん、諜報部隊の統率を取っています。必要なら、得た情報を間者を挟んで議会員に共有」


「議会員相手にも間者を挟むのはどうしてですか?」


「今はそこまで力を入れてはいないとはいえ、国内の監視をするのも主業務ですから。特定の議会員に与するのはいけません。芸術担当を隠れ蓑にしているのも、そういう理由からなの」


「割と与してるように思えるけどな。爺さんに」


「失礼ね。二つ返事で引き受けたときは何も考えてないように感じたでしょうけれど、キチンと危機管理はしているつもりよ。『国のために誰彼を消せ』なんて言われたら、それこそ二つ返事で喉笛かっ切ってやりました」


「あの怪物ジジイをどうやってブッ殺すつもりなのよ……」


「少なくとも、ここにいる誰よりも強い自信はありますよ。もう察しているとは思うけれど、ジーリオに色々仕込んだのはこの私なの」


 セレーナはキヨシの不躾な発言に頬を膨らませてプリプリと怒っているが、先のような恐怖は誰も覚えなかった。そうなるとさっきのは一体何だったのかという、また別種の恐怖に苛まれる。そう思うと、自信過剰とも思える発言も、不思議と大言壮語には聞こえない。


 やはりこの人は少し怖い。セレーナ、そして諜報部隊の裏事情に触れることができたのは良いが、触れるべきではない事柄にも触れてしまったかもしれない。


 先行きの不安が増すに充分過ぎる出来事だった。


「さ、ソルベリウムを無に還してくださる? そしたらお食事にしましょうか。ティナちゃん、お料理温め直すの手伝ってほしいのだけれど」


「は、はい……」


 怯えて若干上擦ったティナの声も右から左へ。『自分が創ったワケでもないソルベリウムも、指ブッ刺せば塵になるんだなあ』などと、やや現実逃避気味に他所事を思い浮かべ、キヨシは機械的に目の前のやることを処理していった。

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