第三章-83『ペンは剣を兼ねし』
明瞭としてきたキヨシの視界に、カルロッタと小細工抜きの格闘戦を繰り広げるジーリオが飛び込んできた。
先の一悶着における、カルロッタの華麗な身のこなしを見て、魔法だけに頼った攻撃が決定打にならないと踏んだようだ。受けてカルロッタも一見するといい勝負をしているようにも見えるが、ジーリオの速く、鋭く、重い攻撃の前に防戦一方。その隙を突いてソルベリウム生成もできない。カルロッタの相手をしながらも、しっかりこちらの動きも見ている。油断も隙もないとはこのことか。
「こ、こンのォ!! しつっこい!!」
もっとも、カルロッタもただいつまでもそうしているワケではない。
常に羽織っているロングコートを脱いで放り投げ目くらまししつつ、宙を舞うコートごとジーリオを蹴飛ばした。当然こんなチャチな攻撃はあっさり読まれて防御されているが、間合いを取ることができただけ、状況は幾分良くなったと言える。水の魔法を防御することにだけ注力できるなら、それが一番良い。
「オイ、ロッタ? その背中──」
「どーでもいーだろ、古傷のことなんざ今は! それより、ティナが来るってのはホントでしょうね!?」
馬鹿デカい火傷痕がが刻まれたカルロッタの背中はさておき、カルロッタの質問にキヨシはばつの悪い気持ちで、
「あ、ああ。そう間を置かずにやってくるはずだ。悪かった、姉貴のお前に何の相談もなく」
「それは別に。アンタの言う通り、ティナもセカイもドレイクも仲間だから。で、作戦自体もジーリオさんが言った通りなワケ?」
「うん。もう割れちまった作戦だがね」
「……よし、一回だけ。一回だけ魔法使う」
「え!?」
何の脈絡なく、唐突に戦法の変更を表明され、仲間のキヨシが一番面食らう。いや、確かにこのままでは埒もあかないし、ティナたちが到着するまでもちそうもないワケで、多少博奕にはなれど使えるものは使うというのは、発想としてはアリだろう。
──気付いているんだろうな? その賭けは分が悪すぎるぞ!
問題は、その博奕は恐らく敗れる博奕だということだ。
どうもこの部屋は水の魔法を用いて遮音、防音をしていることが分かっている。土の魔法はどうやら分かりやすく『土』というものでなくとも、石や鉱物全般、つまり建物の建材に対しても作用するらしいため、確かにここでも力を発揮できることだろう。しかし、そうすると防音に使っている水が漏れて、ジーリオの魔法が強化される可能性が高い。下手をしたらますます勝ち目がなくなってしまうのだ。
そんなことはカルロッタも分かっている。というか、これはカルロッタ本人が言っていたことだ。
「こっちも思い付いたの。猪口才なの」
「あ?」
『悪巧みしてます』と顔に書いてあるカルロッタのこの物言いも、窮するキヨシにとっては最早福音同然。
「また盗み聞かれたら困るからアンタにも内緒。けど、アンタの力の決まりごとをよく考えれば、そんなに難しいことでもないはずよ。アンタはまだまだ戦えるし、そうなりゃきっと勝てる」
「んん?」
「合図を待ってるから!」
「お、おう?」
信頼されているだろうことが伝わってきて嬉しいではあるが、ほぼほぼノーヒントで丸投げされてしまっては困り果てる他ない。それがやや力ない生返事という形で現れてしまう。
「前衛が貴女でよろしくて?」
「ま、たまにはね」
「確かに先の身のこなしを見るに、キヨシ様よりは可能性はありそうに見えるけれど」
「まだ余裕そう。ていうかナメてるで、しょッ!」
しかし、カルロッタは気にも留めない。信じているからだ。キヨシは必ずこのがんじがらめになった状況の突破口を開き、勝利をもたらすと。
その期待が、カルロッタの意図を全く図りかねているキヨシにとっては、かなり重く感じるが。
──俺に何ができるってんだ? いや、明らかな確信があるんだ。思い出せ……。
もちろん、諦める気など毛頭ない。キヨシもまた、再びジーリオと合いまみえるカルロッタを信じ、ない頭をフル回転させる。二人の実力差は先刻承知。猶予は全くない。
「うおッ!!?」
そうして考えている間にも、ジーリオから魔法による攻撃を受ける。カルロッタがある程度肩代わりしてくれているお陰で、キヨシにも充分避けきれる規模ではあるが、魔法攻撃をキヨシに振り切っているあたり、とにかく意地でも能力を使わせない腹らしい。大きな実力差を埋めて膠着状態を作り出していた能力だけに、脅威に感じていると思われる。
その上、ティナが──というよりセカイが到着したなら、状況がひっくり返ってしまうかもしれない。実はのっぴきならない状況にいるのは、ジーリオも同じなのだ。
──しかし、どうすりゃいい? 土の魔法を一回だけ使うことに、どれほどの意味が? 俺の能力のルールにどういう関係が?
魔法を一回だけしか使わないのは、恐らく水の漏出を最小限に留めるためだろう。しかし分からないのは、『アンタの力の決まりごとをよく考えれば、そんなに難しいことでもない』という発言。
改めて、ルールを洗っていく。
一つ。指で空を搔くと、思い描いた形でソルベリウムが生成される。
二つ。ソルベリウムが生成される座標に物体が存在しても、その物体を消滅させる形で割り込み生成される。
三つ。ただし割り込まれる物体が水などの液体だった場合、生成がキャンセルされて何も起こらない。
この中で手を焼かされているのは、三つ目のルールだ。どんな能力にも欠点があるということなのか、このルールのために、どんな悪敵でも首を飛ばして即決着というワケにはいかない。これさえなければもっと楽をできた場面は何度もあった。
「きゃッ!?」
「ロッタ! やっぱ防具──ッ!? こんチクショウめが!」
今回もまた然り。生成しようとしても、今のようにジーリオの正確無比な水弾の狙撃によって防がれてしまう。苦し紛れにジーリオに蹴っ飛ばした、防具に使っていたソルベリウム片も、百発百中の精度で弾き飛ばしている。しかも、あのフェルディナンドの魔弾が如く、弧を描いて後ろのキヨシにも同時攻撃している。土の魔法で作った壁の裏でソルベリウムを生成するという手立ても、これでは使えそうにない。
が、しかし。
「……ん?」
八方塞がりとしか思えないこの状況、宙を舞うソルベリウムを見たキヨシに電流走る。水が座標上に割り込むと生成失敗。だが、それ以外なら──
「そうか! 理解したぞロッタ!!」
カルロッタはニヤリと笑い、突如ジーリオに背を向けて走り出す。当然黙って逃がすジーリオではないが、キヨシが右手を滅茶苦茶に振りまくったために、そちらに対処しなければならなくなった。
こうしてカルロッタは逃げおおせ、キヨシと合流に成功した。
「合図でしょ!!」
「そうとも!!」
「せいッ!」
瞬間、カルロッタは大仰な動作で床を踏み抜き、まるで畳返しのように床の石材をめくりあげる。これで一回。だが、壁を作った程度でしのぎきれるようなジーリオではない。水の鞭は噴出する水を突き抜け、石畳の表を跳ねて、すぐさま後ろへ、二人のいる場所へと伸びていく。
少しずつ、先端から赤黒く染まっていく水。確かな手応え。ジーリオは決着を確信していた。
パキパキと、薄氷を踏むような音が鳴るまでは。
「グ……あ、圧倒的感謝! 俺は一つ、弱点を克服した!」
「むッ!」
ここにきて初めて、ジーリオの顔が僅かに歪んだ。
真っ二つに切断された石畳の中から、一回り小さな、しかし成人男性の背丈ほどもあるソルベリウムが生成されていた。
そして石畳の割れ目から、噴出した水を浴びてずぶ濡れのキヨシが、切れた頬をさすりながら現れる。
ギャラリーの驚嘆が響いた。
「お上手。水で割り込まれてはならないなら、最初から物を置いておけばいい」
今セレーナが言った通り。
要はジーリオの攻撃が、生成する座標と重ならなければいいのだ。もちろん、距離を取ろうが何しようが、ジーリオはキヨシの行動を完璧に予測して合わせてくる故、一見どうしようもないように思える。
しかしこれも考えてみれば単純な話で、物理的に水が届かないようにしてしまえばいい。水以外なら何に割り込もうが関係ないのだから。
そういうことで、カルロッタが石畳をめくり上げて水を弾き、さらにその石畳に重なるようにソルベリウムを生成した。これ以降は、生成した巨大ソルベリウムを切断する形で同じことをすればいい。
キヨシの右手が、ペンという概念を超えた瞬間だった、
「『ペンは剣をも兼ねし』……だ。これは剣だ! 今後とも何卒!!」
見栄を切ると同時にソルベリウム自体を引っ掻くと、そこを中心として木の根のようにソルベリウムがバリバリと音を立てて部屋中に伸びていく。
受けてジーリオ、驚きつつも微笑みを絶やさず。
「見事。しかし、これで私の魔法も強化されることをお忘れで?」
「もち。けど、能力を充分に使えるのはこっちもだ。それに三人なら……」
「……まさか」
「時間だぜ」
キヨシが言い終わるか否か、その刹那。キヨシたちが通ってきた出入り口の扉が湿った音とともに爆ぜた。
「う゛お゛おおおおおおおきー君んんんんん゛!!」
ジーリオ最大の懸念。じゃじゃ馬娘の乱入だ。




