第三章-82『諜報部隊長の実力』
勝算はあった。
キヨシの頭の中には、現状を覆してジーリオに完全勝利するプラン、その道筋が明確に導き出されていた。ただ、それはあくまでこの膠着状態が続くならばの話。
──クソッ、いよいよ手に負えなくなってきた。まだか?
ジーリオがウンディーネの力を受け取ったとなると、諦めるつもりこそないものの、不敵な笑みを浮かべつつ、内心でもたじろいでしまうのは仕方のないことだ。無意識の内に、背後のキヨシたちが先程入ってきた扉に一瞬だけ目をやったその瞬間。
「ッ!!?」
「わッ!?」
キヨシもカルロッタも、咄嗟に腕のソルベリウム甲で防御態勢を取った。直後、左右の鞭はそれぞれ、防具を完全に破壊してしまった。しかも一撃で、両腕の防具を。
「今度は外さない」
「ヤベ……」
事ここに至り、ついにキヨシが被っていた余裕の仮面が崩れ去る。魔法の威力だけで言えば、どう見てもロンペレ以上だ。ウンディーネの加護は伊達ではない。
瞬間、カルロッタがジーリオに向かって猛然と駆け出した。一見愚策にも思えるこの行動も、案外理にかなっている。後退に意味がないなら、水が吹き出て余計に追い込まれるリスクを覚悟してでも、部屋の建材を土の魔法で武器にして攻めた方がまだ勝ち目はあるからだ。
慌ててキヨシはカルロッタに向かって右手を振り、防具を生成しなおそうとしたが、
「このッ、澄まし顔で防ぐな! ロッタ逃げろ!!」
「ええいもう!!」
ペンの軌跡上を低い音と共に水弾が飛んで、生成をキャンセルしてしまった。これはつまり、キヨシが右手を振って能力を起動し、ソルベリウムを生成させるよりも、ジーリオの魔法の方が圧倒的に素早いということに他ならない。
防具生成が不可能となると、突っ込むのは本当に愚策となる。カルロッタは再び襲い来る水の鞭を右へ、左へ、時折バク転バク中を織り交ぜて器用に避けていく。もし突っ込んだのがキヨシだったらこうはいかなかっただろう。
「一行の能力や魔法については、把握しております。今後はそのつもりで」
「クソ、そういえばこっちの手の内が割れてる相手と戦うのは、初めてのことだったッ!!」
元々相性は良くないと自覚があったが、これで少なくともキヨシの方はほぼ無力化された。諜報部隊、そして王女の侍女として鍛錬を積んでいるであろうジーリオにとって、特殊能力のないキヨシなど相手にもならないだろう。
一方、ジーリオにとっても今のほんの一瞬のやり取りが、予想外な展開でもあった。
──……よそ見した瞬間を狙ったつもりだったけれど。
ジーリオは間違いなく、今のでキヨシを再起不能にまでもっていくつもりでいた。キヨシを威圧し怖気づいたところを仕留めると、そういう腹づもりで動き、実際攻撃するところまでは完璧だった。が、キヨシは明らかに視界外からの攻撃を感知し、ジーリオを注視していたカルロッタとほぼ同じタイミングで防御に成功した。そして恐らく、キヨシ本人はその異常性に気付いていない。
余程の戦闘センスがあるか、それとも未知なる何かがキヨシには秘められているのか。どちらにしても、これ以上長引かせるのは得策ではないと、ジーリオは判断した。
「さて、そろそろ幕を引くとしましょうか」
「オイオイなんだって? おたくなんぞついさっき本腰入れ始めたところだろが。こっちもまだまだ余裕──」
唐突な決着宣言に、キヨシが半分虚勢で異を唱えると、ジーリオはどこか得意そうに微笑んで、人差し指をピンと立てる。
「これ、なーんでしょう?」
「何? 水でしょ?」
「ええ。正確には先程攻撃に用いた後、御二方の後ろで回収した水ですね」
彼女の指先では、拳大ほどの水塊が気持ち良さそうに浮いていた。呆気に取られて固まる二人を置いて、ジーリオはその水塊に向けて耳を澄ますような、少し演技がかった所作を取った。
「……何してる?」
「何って、助平趣味ですけれど」
「はい?」
無論この問題発言が冗談の類だというのは分かり切っているのだが、突拍子もなさ過ぎて、思わずキヨシとカルロッタは気が緩んで顔を見合わせた。そうしていると、ふよふよと跳ねていた水塊はまるで凍ったかのように動かなくなった。かと思えば、今度は表面が小刻みにぶるぶると震えていく。
「『俺たちにできること』『持ちこたえる』……フム、なるほど」
「うおッ!?」
なんとジーリオが思案気に頷きながら口走ったのは、ついさっきカルロッタとの間で交わされた内緒話。
「水の魔法を用いた諜報技術の一つです。音とは『振動』でございます。つまり──」
「み、水の振動を保存して『録音』するだと……ッ!?」
「御名答。普段の諜報活動では、小粒のソルベリウムを投入した小さな水入り瓶を隠して設置し、周辺に聞き耳を立てたりしています。ウンディーネ様の加護下であれば、ソルベリウムすら不要。もちろんセレーナ様の許可を得た上でですが、水のある場所でならどこであろうと。そう、どこであろうと……お風呂や用便の際も。これが助平趣味でなくて何でしょう?」
「う、噓でしょ?」
「王宮の使用人は嘘を吐きません。信じていただけないということであれば、先日姉妹で入浴した際の会話──」
「分かった信じる!! 信じるし文句も言わないし仕事も今まで以上に真面目に頑張るからやめて!!」
「なるほど助平趣味だな。で、そんな内緒話聞いてどうすンだ」
どんな会話をしていたのか気になるのはさておき、おどけたように、薄笑みを浮かべて探りを入れるキヨシだったが、目は笑っていなかった。キヨシの推察が正しければ、キヨシが描いていた勝利への道筋は──
「イマイチ押しが弱い、とは思っていました。私は、私にロンペレ以上の実力があるとは思っておりません。貴方のこと、手を抜くこともないでしょう。それもそのはず、貴方は時間稼ぎをしていただけ。では何を待っているか? カルロッタは貴方の作戦を理解していない。ということは、貴方の中だけで完結した何かがあるか、こうなることを事前に察知して策を巡らせているか、このどちらかでしょうね。普通であれば。けれどそのどちらも考えにくい……」
そう、普通であれば。
「しかし貴方に限って言えば、一つだけ抜け道がある」
そう、キヨシ中にだけある、唯一絶対の世界。
「貴方、セカイを呼びつけていますね?」
それが今、ジーリオに侵された。
「それぞれ能力が満足に使えない状況において、一行の中でも群を抜いたあの子の身体能力、そして何より唯一無二にして一撃必倒の『騎士団長の手管』。虚を突いてとにかく一撃加えることさえできれば、相手が誰であろうと勝算はある、と。合理的判断ではある。対処方法がロンペレと同じというのは少々、芸がないかとは存じますが」
キヨシの渋い顔は、断じて最後の一言が原因ではない。
先にキヨシが述べた通り、こちらの手の内がほぼ割れている手合いと戦うのは初めての経験だ。一行の敵というのは常に格上で、故にこちらも常に初見殺し──不意を突く形での決着を狙わざるを得なかった。今回は違う。ある意味、これまでのどんな戦いよりも困難と言える。
だからこそ、自分こそが一行の実力を測るにふさわしい。ジーリオは、そう考えていたのだ。
「ちょッ、嘘でしょキヨシ? 図星!?」
「情けないとも卑怯だとも思わねえぞ。あの子たちも俺たちの仲間なんだからな」
「ええ、糾弾する意図はごさいません。何故なら……」
そう言いながらジーリオが立てていた指をこちらへと向けたその瞬間。
「んグッ!!?」
キヨシの眉間に何かが直撃し、反射的に目を閉じさせられてしまった。何が飛んできたかなど最早問うまでもない。重要なのはそこではないからだ。
「到着前に決着をつけます故」
──前ッ……!!
今の一瞬で一気に距離を詰め、眼鼻の先にまで迫っている敵意に対処しなければならないのだ。だが不意を打たれ、半ば目潰しされた状態のズブの素人に、そんな達人の業をこなすなど叶うはずもなく──
「カッッッ──────!!!」
「キヨシ!!……うわッ!?」
目蓋の向こう側でカルロッタのうわずった声も聞こえるが、どてっ腹に例の水発勁が突き刺さってそれどころではない。もんどりうって痛みを誤魔化そうとする間もなく、即座に追撃に出るジーリオの姿が視界の端にぼんやりと写り、地べたを転がって回避を試みる。
【痛ッ!?】
と、地面に稲妻の如く鋭く綺麗なかかと落としが着弾して戦慄していたところに、いないはずの人の悲鳴が、キヨシの頭に響いた。
──二人とも、早くしてくれ! そろそろヤバイ!
【すみません、お腹が痛くて動けなくて。けど、もう大丈夫ですから、もう少しだけ頑張ってください! 場所も分かります!】
──あ、すまん。痛覚も共有してんだったな。大丈夫だからゆっくり来な。
【寝坊してるんじゃないんですから!】
【待っててね! すぐブチのめしに行くから!】
どうにも穏やかではない台詞も聞こえるが、ティナとセカイはキヨシの目論み通りこちらに向かっているらしい。既に割れてしまっている作戦ではあるが、キヨシもカルロッタも十全に戦えない以上、これだけが頼り。
どちらが勝つにせよ、決着の時はもうすぐだ。




