第一章エピローグ『イセカイは廻る?─集いし演者たち─』
──よって、警備網を強行突破した土の魔法使いによって生家が暴かれたため、やむを得ず創造主の生家へと立ち入り、状況に対処した。私は中で見たものに関しては一切関知しないし、記録を残してもいないことを証明するため、以下数人の隊員の証言を教皇猊下及び騎士団長に提出することとする。
これが、本日のフェルディナンドが書く始末書の特記事項だ。
「では、捕縛及び宝物の確保には失敗した。ということですね」
「はっ……」
一夜明けた。ヴィンツェスト中央都は法王府『謁見の間』にて、部下に現場検証と付近の捜索を任せて、単身一時帰投したフェルディナンドは、創造主の生家への侵犯及び所蔵物窃盗の犯人の捜索についての事後報告を行っていた。
座して報告を聞くこの男は、厳かな装束に身を包み、白髪白髭を蓄えた皺だらけの老人で、あのフェルディナンドが跪いていることから、明らかに位が高いことを窺い知ることができる。
「なっさけない。栄えあるヴィンツ国教騎士団がこの体たらくというのは、いかがなものなのかしらね」
報告を聞いていた老人の影からするりと現れた、侍女と思われる黒髪の女性が、跪くフェルディナンドを言葉で詰った。確かに此度の出来事は、十五年という浅い歴史ながらヴィンツ国教騎士団設置以来、初めての大敗北ではある。
しかし老人は怒り狂うことはなく、声を荒げるでもなく、
「やめなさい、ヴィオラ」
「しかしながら『教皇猊下』……」
「いえ、全く持ってヴィオラ殿の仰る通りで。なんなりと罰をお申し付けください」
教皇の侍女──ヴィオラを制した男は『教皇猊下』と、そう呼んだ。そう、この老人こそこのヴィンツェストという巨大宗教国家の頂点に立つ男なのだ。フェルディナンドが畏まって頭を垂れるのも当然と言える。その上、この失態──しかし、教皇は怒りを顕にするどころか、むしろ穏やかな笑顔を崩さずに、
「結構。むしろ、あの力を前によくぞ無事に戻ってきてくれました。その事実だけで、あなた方は優秀な騎士であるという証拠になる。騎士団長不在時に災難でしたね」
「……痛み入ります。引き続き一行の行方の捜索及び、現場の調査の方を進めていく所存であります」
「ああ、そのことなのですが」
報告を打ち切ろうとするフェルディナンドを片手を挙げて引き留め、
「現場で精製されたソルベリウムは、ほんの一欠片でも結構ですので採取してこちらに渡していただき、残りは秘密裏に全て破棄してください。また、今ペンを所持している者に関しては、あまり深追いはしないように。あのペンの『真の使い方』を知らないとはいえ、戦ったところで返り討ちに合うのが目に見えていますから」
「……はっ。失礼いたします」
フェルディナンドは立ち上がり踵を返し、『謁見の間』を後にした。そして、自身が体験したあの現実離れした出来事を鑑み、細い眼をギラつかせる。そして口角は自然に上がっていった。
そうしてフェルディナンドが去った後で、ヴィオラは思案気な顔で、しかし控えめな態度で教皇に接し、
「よろしかったのですか? 何も破棄などしなくとも、法王府の財として──」
ヴィオラの提案は、一理あるものだった。
ソルベリウムは発見されてそこそこの時が流れ、富裕層の間では持っていることがスタンダードな存在になってはいたが、未だ効率的な発掘方法が確立されておらず、非常に高価な鉱石であることは変わっていないからだ。
「あれ程の量の、その上『無』から生まれたソルベリウムです。市場に流れでもしたら経済的にも宗教的にもどのような事態が起こるか見当もつかない、いや想像したくもない。破棄が妥当だと考えます」
「……なるほど。出過ぎた真似をいたしました」
「とんでもない。それでこそ頼れるというものです」
「身に余る光栄です。猊下……いえ、『ダンテ様』」
ヴィオラは教皇の名を直接呼び、まるで愛おしいものに接するような表情のまま跪いた。
──────
「ん……」
一方、その頃。
小鳥のさえずりで目覚めた少女は、自身に寄り添い包み込む、心地よく優しい温もりを感じていた。それが姉であるカルロッタの体温であることに気付くまでには、そう時間はかからなかったが、今この状況がどういう状況なのかは皆目見当がつかず、困惑するばかりだった。
「お、気が付いたかよ」
「ふぇ? あ……」
ティナとカルロッタの前に立っているボロボロの服を着た男──キヨシはティナが起床したのを確認するとゆっくりとティナへと近付き、顔を覗き込む。そして長い前髪をどけて目をじっと見つめ、そのまま動かない。
つまり、顔が近い。
「あ、あの、えっと……お、おはようございま──」
「瞳の色が緑色に戻ってる。ティナちゃんだよな?」
「え? は、はい」
「……フゥッ、よかったァ~~~~~~ッ、瞳の色変色しっぱなしだったら、どう詫びようかと考えてたとこなんだ」
「あ──」
安堵の溜め息と共にガックリとうなだれてその場にドサリと座り込むキヨシを見たティナの脳裏に、フラッシュバックする昨夜の出来事。
カルロッタの手紙を見つけ、夕闇の街中を探し回ったこと。そこで幼馴染の『セカイ』を探す青年キヨシと出会い、協力してカルロッタと再会したこと。カルロッタを追い回すヴィンツ国教騎士団と遭遇し、散々な目に遭わされたこと。
そして……自分が『セカイ』と名乗り、キヨシと共にヴィンツ国教騎士団に抵抗し、これを叩きのめしたこと。
「……その様子だと、何となくでも覚えてるっぽいな。でも一応説明は……」
キヨシにタックルをかまして担ぎ、カルロッタと共にありえない挙動で峡谷を脱出し、絶対不可能な速度で走ったこと。
「あ……あ……」
「ん? どうした?」
キヨシへの言動、態度の数々のこと。そしてキヨシの胸の中へと飛び込み、その痣だらけの体へと強引に頬ずりで求愛を──
「あ、あ、ああ、キャアアアーーーッ!! ごめんなさいごめんなさいごめんなさいィ〜〜〜〜〜〜ッ!!」
「な、なになになに! どうしたお前急に!!」
裏返った声で悲鳴を上げ、頭を抱えて謝罪を繰り返すティナに、キヨシは度肝を抜かれた。
──────
「落ち着いた?」
「はい……」
顔を耳まで紅潮させて取り乱すティナを宥め、平静を取り戻させたキヨシは、片手間でカルロッタのバックパックを漁って出てきた食糧及び調理具で簡単な朝食を作ろうとしていた。ちなみに火は寝ているドレイクから勝手に貰っている。
「で……うーん、どっから説明すればいいやら」
「だ、大丈夫ですよ。ほぼ覚えていますし、今でも驚いてはいますけど受け入れることはできていますから。キヨシさんが異世界から来た、っていうことや、セカイさんのことも。まるで、自分が体験したことみたいに」
それに対しキヨシは「そっか」とだけ言うと、改まってティナの方へと向き直り、さらにその両手を地につけて、
「まあ、その、なんだ……説明とは言っても、やっぱどうして俺の幼馴染がティナちゃんの中にいるかはどうしても分からないし、何の心当たりも無くて……」
「キヨシさん」
キヨシが言おうとしたこと、そしてやろうとしたことを察したのか、ティナはやや食い気味に話しかけて、喉まで出かかった台詞を飲み込ませた。
「むしろこちらこそ、キヨシさんに『ありがとう』って言わなきゃいけないです。色々あったけれど、キヨシさんがいなかったらきっと、私はカルロとあのままお別れで、カルロももっと酷い目に遭わされていたと思うんです」
「しかしだな、その代償でおたくン中に幼馴染……セカイが居候するわ、カルロッタさんのみならず俺もおたくもお尋ね者になっちまったに違いないわ。さんざ迷惑もかけてすげえ酷い目に」
「それはそれでいいんです」
「え?」
ティナは唖然とするキヨシが地についた右手と、付属物たる刺々しく無機質な人差し指にそっと自らの両手の指を重ね、
「確かにこの指……この指に宿っているあの不思議な力のために、私たちは下手したら死んでいたのかもしれない。でもそれはお互い様じゃないですか。キヨシさんなんて、私たちのために指を切られちゃったんですよ?」
「それは、そうかもしれねえ。お互い様かもしれねえけど……それじゃあまだ半分だ。セカイのことはなんて詫びたらいいのか……」
「セカイさんのことだって、恨んだりしていませんよ。あの時、峡谷でキヨシさんの指が切られて、カルロも倒れちゃったとき、私は怖くて動けなくって、どうしようもなくって……」
気付けば、キヨシの右手はティナの両手にぎゅっと握られていた。あの時の恐怖は今でもティナの心に拭い難く、へばりついているのだ。思い出すだけでもぞっとして、暗い気持ちになるに違いない。キヨシとて、あの時味わった絶望感と決定的挫折は、思い出すと震えがくる。
しかし、ティナはその恐怖や今の状況を直視できていた。そんな目を見れば、キヨシは何も言うことなどできなくなる。
「私が脱出のきっかけになったんだとしたら、それはセカイさんが私の体を動かしてくれたから。セカイさんのおかげでもあるんですよ。だから──」
ティナは穏やかな笑顔をたたえてキヨシに言った。
「本当に、ありがとうございました。そしてこれからも、どうか私やカルロを助けて欲しいんです。……お願い、できますか?」
ティナの真剣な眼差しを受けたキヨシは、未だに半ばいじけたような、後ろめたい気持ちでティナに接していたことに不甲斐なさを感じていた。
こんな自分が、誰かから頼られるほどの存在なのだろうか、とも。
だが。しかし。それでもなお。
「……ああ、まあ。引き受けた」
「はい、よろしくお願いします」
この期に及んで、断ることなどできようか。やるしかないのだ。例えそれがどんなに身の丈に合わないものだと感じていたとしても。それがティナの誠意に対する礼儀なのだから。
「それじゃあ、そろそろカルロも起こしましょうか」
「あ、あの」
「はい?」
自分の内に生まれた使命感に囚われ、危うく忘れるところだった。
「……伝言を預かってる」
「伝言、ですか?」
「『仲良くしましょ』って、セカイが」
それを聞いたティナは少し考え込むような仕草をした後、目を閉じて胸に手を当ててふぅっと息を吐き、
「こちらこそ、どうぞよろしくお願いします。セカイさん」
そう呟いた。そんなティナの言葉、仕草、所作。その全てがキヨシにはほんの少しだけ、眩しく思えた。
「……聞こえませんね。眠っているんでしょうか──」
「ぷふっ」
「え」
その時、ティナの後ろで誰かが吹き出す声がして、キヨシとティナは同時に同じだけの驚きが口から漏れる。声がした方には、こちらに背を向けて横になり、肩を震わせる女性が──
「いやその、ゴメン。でも、自分で自分に話しかけてるみたいで、ふふっ」
「……カ、カルロ、その……いつから起きて……」
「お、美味しそうな匂いで目が覚めてさ、そしたらなんかティナが顔真っ赤にして謝ってて」
「……〜〜〜〜〜〜ッ! それ、最初っからってことじゃん!」
「で、今はなんか焦げ臭いわよ」
そう言われて鼻を鳴らしてみると、確かになんだか焦げ臭い。匂いの発生源を恐る恐る見やれば、調理具の上で真っ黒な何かが燃えていた。
「……あ、やっべ! 火かけっぱなしだ!!」
「何やってんのよ馬鹿! つーか何勝手に人の持ち物、ああもう食料少ないのにィ〜〜〜〜〜〜ッ」
「わ、悪い悪いマジで!」
「悪いで済むかこの──」
「カルロォーーーーーーッ!!」
ティナが跳びかかり、カルロッタはティナと共に倒れ込んでしまった。ティナは顔を真っ赤にしてカルロッタをポカポカと叩くも、二人の表情は少しずつ綻んでいき、仲睦まじい姉妹が戯れている恐らくいつもの光景が、キヨシの目には映った。
血が繋がらなくとも、それでも大事な大切な素敵な家族の二人。そんな二人を遠巻きに見る自分。しかし、それでも構わない。この尊ぶべき、美しいものを傍らで見ていることができるだけで、キヨシは確かな『幸福』を感じていたのだから。
こうして、キヨシの異世界での冒険一日目はここに終了した。だが、これで終わりではない。これが始まり。キヨシの右手、不思議なペンと『イセカイ』にまつわる数奇な運命の、だ。
──これは、『セカイ』を解き放つ物語。