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ペンでセカイは廻らない~魔法の石を生み出す力を得た青年が、二重人格少女と冒険する話~  作者: 洞石千陽
第三章『キャストユアシェル─殻を破ったそのあとで─』
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第三章-77『嘘だらけ、隠し事だらけ』

「ああ……『悪疫』。本当に嫌な時代でした」


 セレーナの顔に痛みが滲む。分かってはいたが、当時のことは思い出したくもない嫌な思い出として、セレーナの心に残っているようだ。キヨシもカルロッタも、なんだか申し訳ない気持ちになる。


「元々、冬頃に症状の強い風邪が流行る時期があってね。この年のそれは特に猛威を奮って、大勢亡くなってしまいました。今でもその頃の記憶と恐怖は口伝的に伝わって、くしゃみしたりすると疑われるのよね」


「『インフルエンザ』ね。ヴィンツ(こっち)でもちょいちょい──」


「ゲェーッ、マジィ!? この世界、やっぱりインフルエンザあんのかよ!」


「ビックリしたァ、いきなり叫ぶなよな。ていうか、『やっぱり』?」


「前に言及したときに一切ツッコミが入らなかったからな。もしやとは思ってたんだ。俺も気を付けないとな……。この世界の病気に対する免疫とか絶対にないもの。で、差し支えなければその、具体的には、どれくらいの?」


「患者は、当時の人口の半数。死者はそのさらに半分。国民の四分の一が亡くなったことになります。当時の人口は三○○○万ほどでした」


「うげッ、なるほど……『悪疫』と呼ぶに相応しい猛威ッスね」


 『悪疫』という言い回し自体は、二人とも聞いたことがあったが、特にキヨシが驚かされたのは病の正式名称。『流行性感冒(インフルエンザ)』──故郷でも毎年のように猛威を奮い、多くの人々を苦しめる病が、この世界にも存在するという事実だ。人口三○○○万の半分の、さらにそのまた半分となれば、およそ七五○万人が犠牲になったということになる。キヨシの故郷においても、『スペインかぜ』という名前でインフルエンザウイルスが億単位で人を殺した歴史があり、信憑性は高いように思えた。


 爆発的に流行したのは何年も前でも、キヨシにとっては決して他人事ではない。毎年予防接種を受けているキヨシも、この世界のインフルエンザに対して抗体があるとは思えないからだ。


「アンタのとこでも、そういうのあるんだ? 話を聞くにこっちより色々と栄えてるっぽいし、もしかして重い病気でもなかったりする?」


「ああ、もう大した脅威でもなくなってる。何年か前に新型が世界中で流行ったりもしたけれど、従来の予防策や特効薬が通用したのもあって、少なくとも俺の周りじゃ、死人が出たりとかもなかったな」


「へぇー、うらやまァ……じゃなくて」


「ん?」


 キヨシはセレーナの説明で得心したのに対し、カルロッタの方は眉にしわを寄せて考え込んでいた。


「……念のため、確認しときたいんだけど。大勢死んだってのは間違いないんですよね?」


「ええ」


「本当の本当に?」


「間違いありません。戸籍記録も残っています」


 そうなるとほぼ確定的と言ってもいいだろうが、カルロッタはまだまだ納得がいっていない様子。何を考えることがあるのかと疑問を抱くキヨシを置いて、カルロッタはマノヴェルの肩を叩く。


「……マルコ」


「ん? あ、はい……」


 彼女の意図を察したマノヴェルがセレーナに──目が見えないのに奇妙な表現だが──目配せをすると、セレーナもまた状況を察し、今日一日てんで上の空なマルコを連れて、部屋を出ていった。話すと検閲が発動する恐れがあるということだ。


「爺さん」


「む……」


「この歴史、嘘でしょ」


 カルロッタは、オブラートに包むことをせず、さらりと言ってのけた。自信アリだ。


「何故そう思う」


「簡単なことでさ。そんな災厄が降り掛かった割に、議会に席がないのは変だなって話。作品保全が粗方済んだ芸術担当がまだ四席で、貧乏で余裕がないから後回しにされてる労働担当が五席なんでしょ? 医療がさらにそれ以下になるモンかしら。そして、そのことに誰も気付かないなんてことも」


 言われてみれば、単純な理屈だ。国民の四分の一が亡くなる惨事に対し、なんの対策も講じず『過ぎたこと』として扱っているのは妙な話ではある。大体にしてアティーズという国は、財政が不安定で戦災難民を奴隷として扱う他なく、担当者であるマリオの席次もさほど高くはない。インフルエンザを抜きにしても、医療は重要な社会福祉だ。議会に席が用意されていて然るべきなはず。しかも、その事に誰も気付かないとなれば、ますます怪しい。


 カルロッタは、その事にちゃんと目を付けていた。故郷の歴史のこともあって、すんなり受け入れてしまっていたキヨシは、内心舌を巻いた。


「その通り。確かに、そんなモン聞いたことがない。流行り病で人が死んだなどという話はな」


 御明察、と言ったところらしい。


 しかし、キヨシには別の疑問が生まれていた。


「けどよ、戸籍っていう証拠が残ってるんだろ? この国に戸籍制度があるのがまあまあビックリだけどよ」


「この国というか、ヴィンツにだってあるわい」


「よくもまあデジタルなしで管理できるなあ。ま、こっちも昔はそうだったろうけど、なかった頃には戻れねえよ。たぶん」


「言ったじゃろうが。この国は、ヴィンツから移民させてきた連中が創った国。あの辺りのごく少数から開始し、徹底的に管理していけば、そう難しい話ではない。苦労はするがな」


「簡単な重労働ってか」


「まあの。そこそこ才能が要るんでな、あっちもこっちも戸籍管理はかなりの高級取りよ。ところで、その『でじたる』とはなんじゃ。楽になる余地があるなら、聞きたいとこじゃが」


「あー、そいつは俺の口からは何とも言えんな。……スマホ持ち込めれば神様になれたかもしれんのに、惜しかったなァ」


「カミサマなんて、間に合ってるっつーの」


「はは、そういやそうだったっけかな」


「話戻すけど。戸籍なんて、改竄すりゃいいじゃない。戦後の混乱期、ドサクサに紛れてとかならできないこたあないでしょ」


「じゃあ聞くけどよ。その戸籍を管理してるのはどこなんだ、爺さん?」


「法律……議会からは隔絶されたところで管理されておる」


「そうだろうね。学校で習ったがよ、俺の故郷でもそうなんだよな。人がやることだし、突き詰めていくと、同じところに着地するのかもな」


「なるほどね。犯人が議会内部にいるのが明らかなら、議会管轄外の場所に干渉してるのはおかしい……と」


「そういうこと」


 カルロッタの反論も一理あるが、それだけだとしっくりは来ない。キヨシの故郷において、戸籍制度は法務省の管轄。この世界でもかなり近い扱いをされているようだ。となれば、議会の人間も平等に裁くために独立した勢力として存在する法の領域に、いくら戦後の内政が混乱していた時期の、議会が創設されて間もなかった頃とはいえ、議会員が干渉できたとは思えない。飛行機の内部構造を模した兵器が存在する以上、『やはり議会外に犯人がいた』という状況も考えられない。


 ともあれ、次に何をすべきかは定まったと言える。何をしていいのか分からず、片っ端から資料を読み漁っていた頃から比較すれば、大きな前進だ。


 が、そのすべきことというのには、とてつもなく大きな障害がある。


「どうやらどの道、戸籍を洗う必要が出てきたな」


「戸籍情報か……ここからが、教育からは読み取れないところだよな。で、議会首席殿。さっき議会外に干渉するのはキツイと言ったばかりだぜ」


 そう、この先は議会員だろうと簡単には探れない領域となる。その上、不法入国者のキヨシたちとなれば触れることすら敵わないだろう。最早どうすることもできないように思えるが、


「そこはセレーナと相談になるが、手立てはある」


「セラフィーニさんに? あの人は──」


『検閲を受けているじゃないか』と言いかけたキヨシにだったが、マノヴェルには考えがあるようだった。


「セレーナが四席に……いや、まだ議席を持っているのには、別の理由があるということじゃ」


「……?」


 良く言えばミステリアスな、悪く言えば胡散臭い女だとは思っていたが、セレーナにはまだまだキヨシたちの思いもよらない秘密があるらしい。ここまで来ると本当に信用していいのか怪しくもなろうというものだが、今はそれが頼みの綱だ。

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