第一章-15『懺悔』
「おいちょっと待てコラ。それじゃああのガリガリ野郎の魔法について、おたくは知ってたってことじゃねえか!」
「そうなるわね」
「そうなるわね、じゃねえよこの女! そういうのは先に言っといてくれよ、無駄に指一本失ったじゃねえか!」
「『生えたから平気』っつってなかったか?」
「あ、それもそうか」
「……自分で言っといてなんだけど、割り切れ過ぎじゃない?」
「ダブスタは良くないからな。あ、でも身内のこととなると話変わったりしちゃうんだなこれが」
──へ、変な奴……。
キヨシは話の腰を折ってカルロッタに抗議するも、言われてみればもう痛くも痒くもないし、話を聞いている内に気分も落ち着いてきたしで、『まあいいか』くらいの気持ちになってきていた。
「それで、その後どうなったんだ」
「どうもこうも、木箱を盾に私だけ隠し部屋を出て、連中は土の魔法で閉じ込めて、入った穴から脱出した。まあ、向こうにもすぐに脱出されたみたいだけどね。で、書き置きを急いで書いて、一瞬だけ家に寄って置いてまた出て……以上で終わりよ。悪かったわね、面白味が無くて」
「別に面白味なんか求めちゃいない。肝心なのは、この指……いや、このペンが一体何なのかっていうこと。それもイマイチ分からなかったけどな。分かったのはとにかく人智を超えた何かだっていうこと、そしてもう一つ……そんなもんが世界の始まりの地、もっと言えば『国が管理している』ような場所にあったってことは──」
カルロッタは遮るように、しかしごく自然にキヨシの意図するところを口に出す。
「アンタの指になったそれが、アタシが探っている『五百年以前の歴史』に関係していて、それを創造教が……ううん、ヴィンツェストが国家ぐるみで隠蔽しているってことか。で、フェルディナンドみたいな奴が、個人的に欲しがっていた、と」
「それ。話を聞く限りそれも知ってただろ」
「アタシ以外が暴くんなら、それに越したことはなかったからね。あんな少ない手がかりで、そこまで辿り着けるもんなんだなって思ったぜ」
「褒めてるンだよな、それは?」
国が厳重に管理し、あれ程の力を持つ者が欲しがっていた何か。そんなものが指になってくっついているというのは、なんとも恐ろしいような、光栄なような。複雑な、そして奇妙な気持ちだった。それに助けられもしたのだから。
「……あ、もう一つ気づいたことがある」
それはさておき、フッと頭に浮かび、鮮明に思い出される先の出来事。かなり重要な要素のはずだったが、状況に流されるばかりで今の今まですっかり頭から抜け落ちていた。
それは、ペンが覚醒する直前のことだった。
「木箱の中からコイツが出てきたとき、地面に文字が刻まれていったんだが。それが俺の元いた世界にもある文字だった」
「ッ!? なんて書いてあったの!?」
すぐさまバックパックから手帳を取り出してメモを取ろうとするカルロッタだったが、キヨシとしては『ちょっと期待を煽り過ぎたな』と気が咎める感じがした。
「あー……文字自体は見たことあったんだけど、俺の生活していた国の言葉じゃなかったから読めなくってさ。あ、でも意味はセカイに教えてもらったぜ? 確か『これはペンである』『そして剣である』『突き立てよ』……だったかな」
「それじゃあ、セカイとアンタは住んでた国は違うワケ?」
「いやいや、同じとこに住んでたぜ? 実際、アイツが読んでたのは後で書き換わった、この世界のミミズがのたくったような文字の方で──」
それを聞いたカルロッタは小首を傾げて、
「……なんでアンタの幼馴染がヴィンツ語を読めるの?」
「んー、これは仮説だけど……ティナちゃんの身体を間借りしてるのが関係あるんじゃないか? それにそんなこと言ってたら、こうやって会話できること自体おかしな話だし」
「そりゃあ、そうだけどさ」
「先に言っとくけど、おたくらの言語については俺も全く分からないからな。文字に関してはまあ、なんとなーく見覚えがあるような気がしないではないんだけど……」
「そう……」
「……──────」
会話が途切れ、気まずい沈黙が続いた。カルロッタがメモを取っている間は喋らなくても別段おかしくはないが、それも終わるとお互いにどういう切り口で物を語ればいいのか分からない。
「あのさ」
さらに少しの沈黙の後、カルロッタが恐る恐る口を開いた。
「なんだ、まだ聞きたいことがあるのか?」
気付けばカルロッタが何かを聞きたそうに、キヨシの方を横目でチラチラと窺っていた。
「あー……ティナさ。なんか言ってた?」
「は? なんかって何」
「ッ──だからァ! アタシについて、こう……」
顔を真っ赤にして詰め寄るカルロッタからは、いつもの気丈な態度は消え失せていた。どうも、ティナが自分のことをどう思っているのかが気になって仕方がなかったらしい。峡谷での騎士とのやり取りを考えると、無理ないことだが。
キヨシはほんの少し間を置いて、鼻から抜けるような笑みを溢し、
「俺に負けず劣らず……手がかかるらしいね、おたくは」
「……まあね」
若干皮肉めいた物言いも、カルロッタは全く否定できなかった。
「アタシは、この世界最大の謎……『五百年以前の歴史』を知りたい。けど、宗教第一のこんな国だから、誰も分かっちゃくれない。うちの親はそこまで傾倒してるワケじゃないけれど……父さんは特に、決まり事にはうるさい奴でさ」
「そうらしいな。実際に話していても、そういう気分があった」
「でも、ティナは違った。そりゃ、分かってくれたのがティナだけってことはないけど、続いてくれるのはティナだけだった。アタシが何をするにも、後ろをちょこちょこついてきて。で、一緒に怒られる……それが嫌だった。けど、嬉しくもあった。そういう自分がもっと嫌だった」
カルロッタがぽつりぽつりと語るのは、本人相手には絶対にできない罪の告白──言わば懺悔だった。
ティナは、カルロッタの心の支え。カルロッタの後に続くティナに対して、半ば『同志』のようなシンパシーを感じていたのだろう。それに甘んじている自分にも気付いていて、それを嫌悪していた。だからこそ、家を出た。だというのに、結局巻き込んで酷い目に遭わせてしまったのだ。
自分の愚かさが腹立たしくて仕方がない──カルロッタは、そういう顔をしていた。
「けど、好きなんだと思うぜ」
「へ?」
突然キヨシが難の脈絡もなく直球の物言いをするものだから、カルロッタはこれまで出したこともないような素っ頓狂な声を上げる。
「おたくら姉妹ににどういう過去があって、おたくがどう思ってんのかは知らんけど……ティナちゃんの方は、おたくを好いてるよ。事あるごとにおたくを引き合いに出して、なんだか誇らしそうに語ってみせてよ」
「……ティナが、そう言ってたの?」
「おうよ。おたくが心配してることなんか、全くの杞憂だと思うぜ」
「でも、アタシはティナの本当の家族じゃないし……父さんとだって、もしも血の繋がりさえあったら……少しは、分かってもらえたかもって思うと……」
「関係ねえんだ、そんなことは」
カルロッタは未だ心の中のしこりが取れていないようだったが、理由を聞いてみれば、キヨシにとってはなんてことはない話でしかなかった。
「俺が思うにだな……『血の繋がり』なんてのは、そう大して重要な事柄じゃない。血が繋がってようといまいと、仲いい家庭は仲いいし、仲の悪い家庭は徹底的に仲が悪い。良くも悪くも、家族なんてのはそんなもんだろうさ。親父さん、多分心配してたぜ。一週間となると頃合いとかなんとか言って……」
姉妹の父フィデリオは、確かに厳格な性格をしていた。が、カルロッタについてティナが何かを隠していると分かると、それを知ろうとしたし、カルロッタの所在に関する情報が耳に入ると明らかな動揺を見せた──そう、キヨシが見ていた僅かな時間の間だけでも、これだけの証拠がある。カルロッタを軽んじているということは、断じてありえない。我が子の身を心から案じて、気にかけていたのだ。
「俺も欲しかったよ。そういう家族がね……ん?」
そう結ぶキヨシの顔を、カルロッタは神妙な顔で覗き込んでいた。どうも『良くないことを喋らせてしまった』と思っているらしい。あまりのムズ痒さに全力で視線を逸らし、「つまりだな」と続け、
「血の繋がりがあったところで、無条件に分かり合えるワケじゃない。相互理解のためには結局の所努力が必要だってのは、家族でも他人でも変わらねえ。そんで、ティナちゃんとおたくはそれができてるじゃない。だから、今日は助かったんだろう? 色々と事情が重なって負い目や引け目があるのかもしれないけど……ここまで追いかけてきたティナちゃんの気持ちは、分かってやりなさいよ。そんで、少しずつ気持ちの整理がついたら、親御さんとも話をしていけばいいだろう」
過去や血の繋がりというのは、どんなに断とうと思っても追いかけてくるものだ。だが、きっとそれは悪いことばかりではない。細かい経緯はどうあれ、ティナがカルロッタを想っていたからこそ、キヨシはここまで導かれ、団結して窮地を脱することができた。
姉妹の絆が、結果をもたらしてくれたのだ。
「……そうね。時間はかかりそうだけど……でも、アンタが今教えてくれなかったら、きっと永久に──」
「まあ問題は、その話すってことができなくなったことなんだがね? この国の偉い人と事を構えたとなると、帰ることはできまい」
「……──────」
カルロッタが柄にもなく礼を述べようとしたところを、キヨシが極めて冷静に状況を分析して、一気に現実へと引き戻す。台無しもいいところだ。
とはいえ、キヨシの言うことは全くその通り。これで、後戻りはできなくなった。
「アンタ、これからどうするつもり?」
カルロッタの問いに、キヨシは少し返答に困ってしまう。何せ、ここまで随分と滅茶苦茶な状況の連続で、まともに考える時間など与えられていなかったのだ。どうするのが最善か、と考えるにしてもその道標となるようなものがなく、思考の海を寄る辺なく漂うだけとなってしまい、答えが出てこない。
「そうだな……正直なところまだ状況の受け入れ態勢が整ってなくて。どーしよっかなーとは」
「『アタシと一緒に来て』……って言ったら?」
意外な表明だった。いや、カルロッタ本人も自分の方からこんなことを言うなど驚きだったのだろう。その証拠に、キヨシに負けず劣らず強引なカルロッタの提案は『命令』ではなく『願望』に近くなっている。
「……分かってるわよ、アタシも相当困惑してる。けど、アタシにとってはやっと見つけた手掛かりらしい手掛かりなわけだし。それに……」
「突拍子のない考えだけどね」と前置きした上で、カルロッタはさらにこう付け加えた。
「アタシがこれを見つけて、それが巡り巡って今アンタと共にある……ていうのには、何かしらの意義があるんじゃないかって思う。きっとアタシは、いやアンタやティナも、セカイって子も。絶対的な『何か』に導かれて、今こうしているんだと感じるの」
これまでの粗暴な立ち振る舞いから想像できないような、どこかロマンのある観測に、キヨシは少し戸惑いつつもフッと笑い、
「……国の宗教に唾吐く人間の発想とは思えねえな、それ」
「ハッ、アタシも場に染まってきたってことかしらね」
「まあ、ついていくのもやぶさかじゃない。基本的に宛てもない、金もない。一国の機関相手に随分大暴れしちまったし、きっと顔も覚えられただろうから。ただし──」
「ただし?」
「そいつはおたくの妹とも話をつけてからだ。セカイのこともあるしな」
「……そうね。ある意味では、あの子が一番大変だったから」
感傷混じりの眼差しでティナを見つめるカルロッタは、キヨシが想像する『立派な姉像』そのもののように感じられた。傍にいるだけで心が洗われるような、そんな清らかさを二人の間に、確かに感じ取った。
その眩しい絆のようなものから、キヨシは少しだけ目を伏せて、
「……おたくももう休んだ方がいい。見張りなら俺がやっとく。人生柄、徹夜くらいへっちゃらな体だから。信用できないかもしれないけど──」
「アンタさ、そういう自分を下げた話し方、疲れない?」
「えっ」
予想外なカルロッタの返しにキヨシは面食らう。キヨシのそういったきらいのある話し方が癇に障ったのか、それとも不器用に気遣ってくれたのか、どちらかはキヨシには分からない。が、とにかく何か申し訳ない気持ちになり、
「ああ、性分みたいなもんなんだ。悪かった」
「別に? 気になっただけだし。じゃあ、お言葉に甘えちゃおうかな」
「いいのか?」
「完全に信用したわけじゃない……でもさっきも言ったけど、助けてくれたでしょ? あれも含めて全部嘘だとは、思いたくない」
「……ありがとう」
「フン、やっぱ『ゴメン』よりかはそっちの方が聞こえはいいわね」
それだけ言うと、カルロッタは自分の荷物から薄い毛布を取り出し、ティナに寄り添うように眠りに就──く、と見せかけて。
「あ、そうだ。アンタ、アタシの絵を描いたっつってたよな?」
「……やっぱ気になる?」
「なる」
「見せなきゃダメ?」
「ダメ」
「ん゛んー……マジィ……?」
やってきてしまった、この強制イベント。実在する人物の絵を描いて、それを本人に見せるというのは非常に貴重な経験と言える。それと同時に、筆舌に尽くし難い程に恐ろしいことでもある。正直見せないで済むならばそれに越したことはないくらいなのだが、『ダメ』とまで言われてしまうと、最早そういうワケにもいくまい。
しかしながら、その絵はティナやドレイクからは評価されている。
「どれ……──────」
「~~~~~~~~~~ッッッ!!」
それでも、怖いモンは怖いが。
恐る恐る、まるでティナがフィデリオにカルロッタの手紙を差し出したときのように絵を差し出したが、あのときとは違って、引ったくって逃げてくれる人はいない。カルロッタは受け取った絵を黙って見ていた。その沈黙が余計に怖い。
そのうち、一通り細部まで見終わったらしく、カルロッタは顔を上げて、
「なあ」
「うぐォあッ!! 何!? お気に召さないところがあるなら何度でも無償でリテイク引き受けますんで命ばかりは──」
無償でリテイクなどという、プロが聞いたら呆れて物も言えないだろう言い訳で保身を図るキヨシだったが、カルロッタはそんなことを全く気にも留めず、キヨシが描いた絵と共にずいと詰め寄り、
「次描く時は、もっと『盛って』」
「……え?」
「これ、せっかくだしもらっとくから。ありがとう、おやすみ」
それだけ言って、カルロッタは今度こそティナにくっついて眠りに就いてしまった。
「えっ…………ええええええ~~~~~~~~~~~~~~!?」
全力で翻弄され、振り回され、そうして後に残ったのは多大なる困惑。そして──
「……へッ。『ありがとう』か」
自分が描いた絵が役に立ち、評価され、そしてあるべき所へ──そんな当たり前が、キヨシはこの上なく嬉しかった。
──────
数時間後──一人起きて周囲を警戒するキヨシは、今日という日の出来事に、そしてこれから始まる新たな人生に思いを馳せる。
全体的にワケが分からないことについては相変わらずだし、峡谷で調子に乗っていた時ほど、この異世界転移に関して希望を持っているわけでもない。
『何かに導かれて』と、そう言ったカルロッタは自分を嘲るような笑いを漏らしていたが、案外ズレた発想でもないのではないかとキヨシは思う。そもそも、ペンとキヨシが融合する直前にメッセージめいたものが現れた時点で、何かの意思が介在しているのは明らかだ。十中八九、キヨシたちは巨大な何かの手の平の上で弄ばれているに過ぎないと言える。
しかし、その何かがこの世界そのものであれ、創造教の信徒が崇める創造主であれ、運命であれ、キヨシの心は一切迷わないし、ブレることもない。
キヨシにはこの『右人差し指』があり、何より『セカイ』がいるのだから。
──……精々、『よかった』と思えるくらいには、生きてやる。
ほんの少しだけ曇った空から差し込む夜明けの輝きが、これから始まるキヨシたちの物語を象徴しているような気がした。




