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ペンでセカイは廻らない~魔法の石を生み出す力を得た青年が、二重人格少女と冒険する話~  作者: 洞石千陽
第三章『キャストユアシェル─殻を破ったそのあとで─』
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第三章-71『病』

「あのさ」


「何?」


「ここ、おたくが住んでる城だよな?」


「ええ、まあ」


 何を当たり前のことを──とでも言わんばかりに小首を傾げるセレーナに、キヨシは当惑しながらもこう切り返した。


「じゃあなんでこんな裏口からこっそり帰るンすか。泥棒じゃあるめえし。城門前には国防兵が常勤してんだから、言えば迎えてくれるでしょうよ」


「んー、確かにその通りね。けれど、こっちから入った方がうるさいのがいない──」


「セーラ!!」


 意外だった。キヨシだけでなく、皆驚いた。


 明け方頃、勝手口からこっそりと王宮へ戻ったキヨシたちを出迎えたのは、召使いでも、国防兵でもなく、目を腫らした王女だった。セレーナの渋い顔を見るに、彼女の言う『うるさいの』には全てお見通しだったようだ。


 パトリツィアはキヨシたちには目もくれず、セレーナにひしと抱きついて離れなかった。しばらくして皆に見られていると気付いたらしく、頬を染めて気恥ずかしそうに一歩、二歩と後ずさったが、


「ちょっと、どうしたのよその格好……」


「転んで色々ダメになっちゃってね」


「そ、そうなの……じゃなくって! 心配したじゃない!」


 頭のてっぺんから爪先まで乱れきったセレーナの風体に気付いたパトリツィアは、再び取り乱し始めてしまった。当のセレーナが落ち着き払って、色々とツッコミ所満載の経緯を説明してやると、感化されたのか彼女も少し落ち着きを取り戻す。が、もし今セレーナが纏っている粗末な布の下は半裸だと知ったら、『じゃなくって』なんて言えないだろう。


 それはともかく、キヨシはパトリツィアの言動にほんの少し違和感を覚えていた。


「へ、陛下。気持ちは分かるけど、セラフィーニさんだってガキじゃないンすから──ッ!?」


 キヨシが思わずたじろぐ程の眼力で、パトリツィアは無言で睨みつけてきた。キヨシの一言が、余程癇に障ったらしい。そんな彼女の目を見ていたキヨシはあることに気付いて、彼女の目が腫れている理由を察することができた。


「早起き……じゃ、なさそうですね。陛下」


「──!」


 薄っすらとだが、パトリツィアの目の下にクマができていた。彼女は夜通しセレーナの帰りを、しかも冷たい勝手口前で待っていたのだ。いくらなんでも過剰に心配し過ぎではなかろうかと、誰しも思わざるを得ない。


「……一席と、マルコ・フライドがいないようだが。ブルーノの報告では──」


「ああいや、ね。爺さんの方にちょっと野暮用ができちゃって。目ェ見えないのに一人で出歩くと危ねえからってんで、フライドさんがついてったんです」


 そんな感情から醸し出される生温かい空気──有り体に言ってしまえば、皆が少なからず()()()()()のを感じ取ったパトリツィアが目を伏せて振ってきた話題に対し、キヨシは用意してきた嘘で答える。当然、二人は襲撃者たちの身柄を隠すべく骨を折っているのだが、そんなことをパトリツィアが知る由もない。そもそも当事者以外誰も、事件のことを知らないのだ。


「……──────」


 そして沈黙が、皆に重くのしかかった。消費し切った話題と気まずい空気の合わせ技だ。いよいよいたたまれなくなったらしいパトリツィアは、無言でその場を去っていってしまった。


 彼女の姿が見えなくなってしばらくして、セレーナがキヨシたちに深々と頭を垂れる。


「ごめんなさいね。いつも外出する前には、用件といつまでに戻るかを伝えているのですけれど」


「門限を破っちまったと」


「ええ。自分は難民群に無断で入り浸るクセにね。まあ、こういうのは理屈ではないと理解しているつもりだけれど……」


 ──……そうか。前に爺さんを尋ねる直前、ギリギリまで一緒に居たのはそういう意図もあったのか。


 もちろん、『是非とも直接話したいと思っていた』というのも嘘ではないだろう。だが、今の態度から察するに、外出直前まで一緒に居たいという欲求もあったに違いない。要は親離れができていないのだ。セレーナの方もボロクソ言う割に、当人に直接強く言わない辺り、何かしらの事情があるに違いない。


 ただ、キヨシはそれにつけても、と思う。


「今日は色々あって遅くはなったけども。しかしなあ……陛下って歳いくつでしたっけ?」


「齢十七となれば、そろそろ親離れした方が良いでしょうね」


「そうだわな。しかし、今の感じは親離れできてないっていうか、もっとこう……」


 『病的な感じ』と危うく口走りそうになって、キヨシは言葉を選ぼうと黙りこくる。きっとセレーナにはお見通しなのだろうが、それでも本当に口に出してしまうよりはずっとマシだ。


「口振りからして、普段からあんな感じなのよね? なんでまた?」


「家族にいなくなられたらと思うと怖いんだと思うよ」


【お、言い切るねぇ】


「身を持って、味わってますから」


「え、何? ひょっとしてアタシへの当て付け?」


「決まってるじゃん」


「ぐぬぬ……」


 何を言ったものかと窮したキヨシの思考を読み、姉妹がすかさずフォローを入れる。説得力の凄い流れ弾がカルロッタに被弾したが、アティーズの人々からキヨシの心象が悪くなるのを防いだファインプレーだ。同時に核心も突いている。言われてみれば確かに、カルロッタを探して街を駆け回っていた頃のティナと、パトリツィアはどこか雰囲気が似ているような気がキヨシにはしていた。当人もシンパシーを感じていたようだ。


「けど……そりゃそうでしょうね。冷たい言い方だろうけど、覚えてない実の親より、ずっと一緒だった親代わりの方がよっぽど家族感あるし」


「そういうものでしょうか」


「そういうモンよ。その内親離れもするでしょ、アタシみたく」


 カルロッタの理も、かなり粗雑な物言いながら筋は通っているように思える。例えば何代も前の、どういう人間だったかも分からないような先祖に対して、情が湧く人間はそういないはずだ。それがいくら一世代前の実親であっても変わらない。それなら、育ての親のセレーナや侍女のジーリオに家族同然の想いを抱く方が、人として自然と言える。


 その上、海向こうの大国と表面上は国交を結んでいるとはいえ、常にピリピリとした関係が続いていて、親子揃って国の重要なポストに就いているとなれば、いつ何時身の危険にさらされるのか分かったものではない。となれば、多少なり過剰な情念が湧くのも仕方がない。


 セレーナやジーリオにだけ見せる顔があるのも、身の回りの世話を焼いてもらうのも、彼女なりの不器用な、無意識の愛情表現なのかもしれない。


 だから『気を落とすな』というのも変な話かもしれないが。カルロッタの親離れというのも、喧嘩別れなのだから。とはいえ、どういう形であれ元気付けようとしている彼女の気遣いを、見落とすようなセレーナではない。


「家族……ですか。どうでしょうね。嬉しいと思う一方、少し困ってしまう私もいます」


「困る?」


 しかし、それでもセレーナの表情は明るいものとは言えなかった。


「私は、先代の遺言に従っているに過ぎません。彼女を育て、躾もしましたが、それは子を慈しむこととは少し違うと思います。ただ知識を与えるだけなら、誰にだってできる。では、親にしかできないこととは? それが分からない限り、私は人の親足り得ないのでは?……あの子の背が伸びる間、来る日も来る日も、考えてきた。けれど、納得できたことは一度もない」


「……──────」


「あの、何か?」


「いや。セレーナさんにも悩みとかあるんだ、って思っただけ」


「カルロったら、何てこと言うの」


「まあまあ、ティナさん。フフ……人から言われる程、私も完璧ではないというだけのことですから」


 この王宮にいる人々──いや、セレーナを知る人々全て、この光景を見たらきっと驚くだろう。誰もが抱いているセレーナのイメージと言えば、なんでも完璧にそつなくこなし、教えを請われれば的確に答えてみせて、時々ちょっとお茶目で頓珍漢な言動に走る、『不思議で捉え所のない超人』といったところか。


 それがどうだ。こんなにも弱々しく映るとは。セレーナは完全無欠などではなかったのだ。


「共に過ごした一月あまり……皆の目で見て、私はどう見えましたか? 母親の役を、務めを、果たしているようには見えていたでしょうか?」


 そう聞かれても、彼女が母親としてどうかなど分かるはずもなく、姉妹は返答に窮する。普通に悩み、普通に弱音を吐く、普通の人間。皆の目にはそう映っていた。嘘を求めている感じはしないが、だからと言ってオブラートに包まず言うのもどうだろう、という感情のせめぎあい。


「『見えた』と言えば安心なワケか」


 だが、言える。


 キヨシにはハッキリと言えてしまうのだ。


「気休め言って欲しかったワケじゃないんだろうさ。けれど、自分では結構頑張ってると思ってて、それを誰かに認めて欲しかったんじゃないのか? アトリエの俺たちと同じように」


「あ……」


 キヨシが纏っている雰囲気が一変したのを、まずはティナとセカイが、数瞬遅れて他のセレーナたちも感じ取った。


「子供にとって、どういう親だったか……それが全てだろ。親の方からそれを推し量ろうなんざ……」


 キヨシは決定的な一言を吐いた。


 キヨシは『やってしまった』と思ったが、目は逸らさず、珍しく驚いた顔のまま固まっているセレーナをじっと見据えていた。


 『親の務めを果たせているか』。その答えを知っているのはきっと子供だけだ。親子関係というのは、お互いありきで成り立っているのだから、当然の話だろう。今の場合、セレーナがどんな親だったかを決められるのはパトリツィアだけなのだと、それ以外には何もないのだと、そういうことだ。だのにセレーナはその答えをどうしても知りたくて──あわよくば肯定してもらいたくて、キヨシに迫っていたのだ。きっと自分でもそのことに気付いていなかったに違いない。


 自分が物凄く失礼なことを言っているのだと、そういう自覚がキヨシの中にあったが、間違ったことを言っているとは微塵も思わない。その証拠に、キヨシの言うことを誰も否定できずにいた。


「……どうしたってのよ、急に。私もそんなに人のこと言えないけどさ、本当は親やったこともないアタシたちがどーこー言うの自体、変な話でしょうよ」


 できることはと言えば今のカルロッタのように、キヨシの豹変ぶりを切り口に言い方と態度を咎めてやることくらいだ。


「いや……人間誰しも誰かの子供なんだ。子供が親のことを意見するくらいは許されてもいい……と、思う。特に今回みたいに、意見を求められた場合は」


「それは、そうかもしれないけどさ」


「分かってる。すみません、言い方が悪かった。けれど……」


「ええ……そうですね。貴方の言い分は正しいと感じます」


 しかしキヨシは非礼は侘びつつも、発言の正当性自体は譲歩しなかったし、誰にも否定させなかった。


 あるいは、誰も否定できなかったのだろう。


 セレーナに至っては、とことんまで叩きのめされながらも同調さえしていた。説教が終わるのを待つ子供のような、不貞腐れた態度から出る言葉ではない。キヨシの意見を真摯に受け止め、教訓として学び取ろうという気分が見て取れる、殊勝な姿勢だった。


 その誠意がキヨシをほんの少しだけ、甘くした。


「……貶すばっかりでもアレだから、これも言っておく。さっきロッタが言ってたことも、実は的外れでもなくて。どんなに偉い人だろうと、雲の上の人だろうと、人間は人間。オリヴィーで学んだ。だから、セラフィーニさんが特別悪いとも思わねえ。多分、似たような立場の人なら誰しも抱えてる悩みなんだろうと思う」


「その割には、結構キツい物言いだったじゃん」


「ああ……結構深刻に考えてるってのが分かったってのもあるけど。下手すりゃあ親子関係がそのまま『被害者と加害者』の関係になりかねないからだ。何も言わずにスルーはできねえ」


「被害者と、加害者?」


 何を言っているのか、そこまで言う程のことなのか、そんな風に考えているだろうカルロッタを尻目に、キヨシは申し訳程度の擁護をしつつも、手厳しい言葉の礫をぶつけ続ける。言葉の端々からは一応、セレーナを慮る意思()()()()()は感じ取れる。ただ、キヨシはハッキリと子供の方──即ち、パトリツィアの立場に重きを置いていることが窺える。単にセレーナの言動が気に入らなかったからか。


 それともキヨシも所謂、『誰かの子供』だったからなのか。


「その傲慢は、子供を殺すんだぜ。セラフィーニさん──ッ!?」


 そう言い終わるか否かの刹那、小さな手がキヨシのネクタイを引っ張った。


「そういうの、いけないと思います」


 素っ頓狂な声を上げて下がったキヨシの眼前には、眉を吊り上げて、キヨシをじっと睨みつけるティナの怒った顔。およそティナらしからぬ行動に、視界の外でカルロッタがたじろいでいるのを二人は感じていたが、まるで気にならない。どう見られていようと、どうでもいいと感じていた。それが、互いに真意を計りかねていた二人の、唯一共有していた気持ちだった。


「……どういうンだ?」


「語りもしない自分の過去を、人に押し付けるの。卑怯です」


 卑怯。ティナの口から飛び出した強い言葉に、キヨシは思わず息を呑んだ。


 もう誰にだって分かっている。キヨシが普通の人生を歩んでいないことくらいは。もっと言えば、それが生きるか死ぬかという二択と常に隣り合わせの、壮絶な人生だということ。その道すがら、心に決して浅くはない傷を負ったのだということも、どんなに鈍感でも大方想像はつく。キヨシの忠告は、そういう人生経験に根差した的確なものなのかもしれない。


 だが、だからといって何を言っても許されるなんてことは絶対にないし、ましてや誰も知らない、キヨシ自身が語ろうともしない過去から来る経験則なぞ、説得力皆無なのだ。


 ──嘘つき。本当は、認めている癖に。


 しかも、本当は『親子をやっているように見えている』にもかかわらず。


 自分の手の内を見せず、正論という大義名分を傘に着てセレーナを責め立てる、キヨシのそんなグズグズとした卑劣極まる姿勢にティナは業を煮やし、厳しく窘めた。このやり取りを端的に言えば、そういうことだ。


「……そう、だな。()()言うのはいけないことだった。正直分かってた」


「あの、ですから。そういうことを言っているんじゃなくて」


「だとしてもだな──」


 二人が語気を強め、険悪になり始めたその時だった。


「誰かが言わなくちゃいけないことだった、そうね?」


 ふわり、と。心地良い甘い香りと、細い腕が二人を包み込んだ。


 セレーナがおもむろに近付き、抱き寄せたことに二人が気付くまで、少し時間がかかった。意図が掴めず、そして何より気恥ずかしさで当惑する二人の耳元で、静かに囁く。


「そこまで言わせてしまってごめんなさい。一番悪いのは、この私」


 二人共、形は違えど親子のことを考えて発言していた。その結果二人が険悪になるというのなら、それはセレーナにとって、自分の至らなさで、本来無関係な二人が引き裂かれるも同然。そのこと遂に耐え難く、セレーナの身体は自然に動いていたのだろう。


 セレーナは、ティナを見やって言った。


「だからどうか、責めないで」


 セレーナは、キヨシを見やって言った。


「だからどうか、自分を悪者にしないで」


 セレーナは、涙は流していなかった。しかし確かに、悲しんでいた。


 こうなってしまっては、()()()()()()──二人共、矛を収める他ない。これ以上は、何を言うのも野暮というものだ。


「……貧乏くじ引きがちなのはそうなのよねえ」


「おまけに二人共、率先して引きに行きやがるもんだから始末に終えねーでやんのって」


「いや、ひょっとしたら三人かも」


「そうなんかもなァ」


 やや蚊帳の外で一人と一匹、呆れ半分の溜息を吐いた。


 単なる苦労性ではない。怒りの矛先、嫌われ者、もっと俗な言い方ならヘイト。有り体に言ってしまえば『嫌われ者』のレッテル──どいつもこいつも雁首揃えて、自ら率先してその役を演じようとする。誰かがやらなければならないことなのだと信じて意見し、諌め、行動したのだ。三者三様、意識的にせよ無意識にせよ、根底にあるのは同じ動機で、ここまで来ると一周回って称賛の一つもしたくなるというもの。


【セレーナさん、メッチャいい匂いするじゃん】


「……セカイさん?」


「ブチ壊し過ぎるぞ」


 だからこそ、セカイのお気楽ぶりには閉口する。いや、恐らくセカイは分かって言っているのだろう。彼女もまた、自分の演じるべき役割をこなそうとする駒の一つだったということだ。


「ちぇッ……なんかもう、いいや。身にならないと思ったら遠慮せずに忘れてくださいや」


 完全に毒気が抜かれたキヨシは、ほとんど投げやりな捨て台詞を吐いて、つかつかと歩いて去っていってしまった。そんなキヨシの寂しい背中を、どこか遠い目で見ていたセレーナは、尊敬と憐憫がないまぜになった表情で、


「いえ、私にとっては忘れられない出来事です。一生ね」


「セレーナ様……」


「ふふ。あの人にはいつも驚かされる」


「そんな大層なモンでもねーと思うけどなァ、俺ちゃんは」


「まあ、だからってスッパリ捨てられた物言いでもないんじゃない? 間違ってるとは思えないし」


 もう姿も見えなくなったキヨシへの評価は、人それぞれ。それら全て引っくるめて、ようやくキヨシという人間が見えてくる。そう考えると、低めのドレイク評でさえも、そこまで酷いものでもないのかもしれない。


 どうあれ、一目置かれているのは確かだ。





























































「病的……人のこと言えた義理かってんだよな」


 しかし──器に穴が開いていては、いくら注いでも満たされない。


 この世界の住人が誰も知らない、青年が罹った(やまい)


 キヨシはまだ、苦しんでいる。

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