第一章-14『事のあらまし』
『世界開闢の地』。ヴィンツェスト中央都は法王府より歩くこと数十分の位置を中心として広がる大地を、創造教の信者たちはそう呼んでいる。人々はそこを聖地として神聖視し、どんなに忙しくともその地へ向かって日に一回は祈りを捧げるのだ。
その只中にポツリと建っている、石造りの家。これが、創造主が生前暮らしていた住まいなのだという。
衛兵隊はおろか、ヴィンツ国教騎士団の面々でも一目見ることも叶わない禁足地──よって、そこを擁する世界開闢の地の周囲には、何が起こっていなくとも常に厳戒態勢が敷かれ、両手の指では足りない人数が常に国教騎士団から配備されている。
「コンコン、お邪魔しまァーッす」
その禁足地の警備を掻い潜り、あろうことか勝手口から侵入した女が一人。名前はカルロッタ。第八衛兵隊が隊長、フィデリオの血の繋がらない娘だ。
「フゥー……なんかあっさり入り込めて拍子抜け……というより、不安になるくらいだな……っとと、唾が飛んじゃイカン、布巻かなきゃ」
やり方は至極単純。ただ遠くから地面を掘って進み、手前辺りで出るだけ。しかしその距離や深度、複雑さが尋常ではなく、一個人がこの国の技術水準で実現可能な範囲を激しく逸脱している。
しかし、そこは土の魔法使い。むしろ掘削中の呼吸に必要な空気の確保、誰かが入り口を見つけてしまい迷い込む可能性を排除することに、一番骨を折ったくらいだ。特に後者は、この入り組んだ洞窟に迷い込んだ人間の救助は事実上不可能なので、相当気を使っている。
とは言っても、無論この洞窟を掘るのだって、並大抵の苦労ではない。計画だけで十数日、掘削するのも家を出奔してから、さらに五日間かかっているのだ。
「でも……~~~~~~ッ! ここがそうなんだァ〜〜ッ!!」
しかし、そんな苦労も『創造主の生家』に到達できたことを考えると、吹っ飛んでしまうというものだ。
創造主の生家の外観自体は、絵画という形で一般の国民にも知れ渡っている。今現在の建築様式からは大きく逸脱したものであり、似た形状の建物は国内に確認されておらず、記録にもない。即ち、ヴィンツェストで誰も知る者がいない『五百年以前の歴史』を紐解くのに、極めて重要な要素なのだ。
いくつもの立ち入り禁止区域に侵入し、禁書を読み漁り、その度に叱責を受けてきたカルロッタだったが、『創造主の生家』と言えば、今この国で生きている者の中で、足を踏み入れたものが何人いるか、いやそもそも存在するのかすら定かではない領域に到達するなど、少し前まで想像もしなかった。
興奮のあまり大きな声を出してしまいそうな自分を必死で抑え、周りを見渡す。
本を手当たり次第に本棚から引っ張り出し、適当なページを開く。すると何かの図解付きのページを見つけたので、バックパックから手帳を取り出してメモを取り始めた。
──うわー、この本は文字が読めないし、そこら中で何か分からないモンが埃被ってるし……なんかもうとにかく、スッゲー……語彙が飛ぶ飛ぶ。
何に使うのかを外観ではまるで理解できない、歴史的価値を軽視する愚者なら"ガラクタ"と断じて捨ててしまうような、そんな謎のアイテムがそこら中にゴロゴロしている。
「ふふ、ウフフフッ! いっくら書いても、いっくら弄っても終わんないィ〜〜〜〜〜! 最ッ高ね!」
留まるところを知らない興奮で、変な声が漏れてしまう。今、カルロッタは知的好奇心の奔流に飲み込まれ、翻弄される一人の漂流者だ。あれにもこれにもと、目に付くもの全てに手を付け、用途も分からないのに弄り回し、読めもしないのに本を写す。
しかしながら、恐らく生涯で最も充実した時間だった。
カルロッタの気分は高揚していき、『やっぱアタシは家を出て、考古学者として生きる運命にあるのね』と実感していた。
「家を出て……か」
侵入からおよそ数刻、忙しなく動いていた手が止まった。
家を出てから五日間、『今頃皆、どうしているかな』と思わない日がないと言えば嘘になる。
仲睦まじい家庭ではあったが、夢を共感されることは終ぞなかった家。家族との血の繋がりもない。それでも、育ち盛りの時期を過ごした家なのだ。
愛着があり、郷愁があり──そして何より、ティナがいる。
──手紙くらい、残して行けばよかったかな。
何も残さない方が後腐れなく、すっぱりと諦めもつくだろうと考えてはいたが、自分はそう単純でもないらしいということを、二十年間の生涯の中で初めて実感したその瞬間だった。
「……──────」
「──────ッ!!?」
なんとなしに明かりに使っていた窓を見やると、人間の細くギラついた目がこちらを覗いていたのだ。驚き、一瞬だけ固まってしまうカルロッタだったが、即座にペンを投げつけて不意を突き、全ての出入り口になり得る箇所を、あらかじめ外に仕掛けておいた土の魔法で塞いで、時間稼ぎを試みた。
慌てて荷物をまとめているうちに、外から人の気配が消えた。恐らく応援を呼びに行ったのだろう。
こうしてカルロッタは、晴れて国賊となった。当然、覚悟の上での行動だったが、いざその時になると心が芯から冷えて来て、はらわたがキュッと締まるような不快感を覚える。
──ど、どうしてッ!? 生家にこんなに近付くなんて、騎士でも許されないはずなのに!
そう、カルロッタが一番驚いたのはそこだった。そもそも、この遺跡に近付くことは例え警備の人員だろうと許されない。そのため、ここの警備内容というのは、とにかく人員を大量に割いて、周囲を固めるという方法にならざるを得ない。そこがカルロッタの作戦のつけ目だったのだ。しかし、それは根底からひっくり返されたも同然だ。
汗が吹き出し、今にも膝から崩れ落ちそうになる。カルロッタはこの国の極罪を犯したのだ。なんとか呼吸だけでも落ち着けようと、もたれかかるように壁に手を突くと、
「……うわッ!!?」
手を突いた壁の一部が肘辺りまで沈み込み、その先で何かがはめ込まれるような感覚と、コップの氷に水を注いだような音を聞いた。
するとすぐ目の前の壁が地響きと共に沈んでいき、隠し部屋への入口が現れたのだ。考古学者志望の性か、今の危機感よりも好奇心の方が勝り、恐る恐る壁の向こうを覗き込む。
カルロッタは愕然とした。
「……これ、全部ソルベリウム……なの!?」
ソルベリウム──チャクラを溶かし、貯蔵する性質を持つ純白の鉱物。今では非常に重宝され、高値で取引される品物だが、石の壁の向こうにあった隠し部屋は壁面や床に至るまでその全てがソルベリウムで構成されており、先程までカルロッタがいた部屋とは違って埃一つない状態だった。
しかしそれ以上に異質なのはこの部屋が放つ雰囲気──カルロッタの意思に関係なく、まるで誘い込まれるかのような感覚だ。カルロッタはその感覚の赴くまま、隠し部屋へと足を踏み入れた。
そこにあったのは、これまた全てがソルベリウムで作られた、棺のような物体だった。
しかし、今カルロッタを包み込んでいる感覚の原因はこれではない。さらにその奥の台座に、まるで祀られているかのように安置されている『古ぼけた木箱』を目にした瞬間、カルロッタは確信した。この木箱こそが、この雰囲気の発生源だと。そして本当に神聖なのは『世界開闢の地』でも『創造主の生家』でもなく、この木箱の中身なのだと。
確たる証拠などない。だがカルロッタの勘が、そう叫んでいる。何か共鳴するようなものがあったのだ。
カルロッタが衝動のままに手を伸ばすと、それはいとも簡単に手中に収まり──
直後、湿った破砕音が背後からカルロッタを襲った。続けて複数人の足音と共に、
「そこまでです。そのままゆっくりと、こちらを向いていただきます」
言われた通りに振り向くと、複数人の得物を構えた騎士たちの真ん中でこちらを睨みつける男が一人。
男の名はフェルディナンド。その字名は『魔弾』。ヴィンツ国教騎士団分隊長職に就く男だ。
カルロッタはこの男について知っている。いや、この男だけではなくヴィンツ国教騎士団の重鎮についての情報はおおよそ調べて把握していた。無論、この男の魔法やそれを用いた手管についてもだ。
そして──先程屋外からこちらを見ていたのも、この男。
「妙な動きはやめていただく。あなたが何者で、何のためにこのような狼藉を働いたかはこの後調べていくとして──」
「テメエら……今何をしたッ!!」
「はい?」
だが、カルロッタにとってはそんなことはどうでもよかった。
「今、後ろで凄い音聞こえたけど……」
「ええ、それが?」
「どうやってここに入ったって言ってんだ!!」
「隆起した土が邪魔でしたのでね、まあ……幾人かの魔法使いを動員して、爆砕しました」
「──ッ!!」
頭をトンカチでブン殴られたような衝撃を受けて、カルロッタは危うく倒れそうになる。そりゃあ確かに、騎士たちの行く手を阻んだのはカルロッタだが、それを突破するにしてもやり方というものがあるだろう。
「テメエら、この遺跡が一体どれ程の歴史的価値があるか、騎士なら分かんねーのか!?」
「侵入し、物色し、あまつさえこんな隠し部屋を暴こうなどという人間にだけは、言われたくありませんねえ」
「侵入したのは外の穴! 物色だって細心の注意を払って、手袋はめて口周りを布で覆って! 一緒にすんじゃねえこのアホ共ッ!! こっちがどんだけ気を使ったと──つーか大体アンタだろ、あそこの窓から見てたのは! ひょっとして、アタシとアンタでどっちが早かったかでしかなかったんじゃないの? こんな真似してただじゃ……ッ!!」
そう、ただでは済まない。いくら侵入者の拿捕のためとはいえ、この遺跡を損壊させたことが露見すれば、例え騎士でも厳しく罰せられる。しかし、その可能性がカルロッタに示されても、彼等は平気な顔をしていた。考えられる理由は一つしかない。
──まさか、アタシに全部……!!
一切合切をカルロッタに擦り付ければ、少なくとも『彼等にとっては』──万事丸く収まる。この国において、創造主に仇なす者の言い分がまるで考慮されないことなど、火を見るより明らか。釈明や弁解の余地など、全くありはしない。しかも、他の騎士たちも全く動じないところを見ると、フェルディナンドの独断ではないことも察せられる。恐らく皆グルなのだろう。
──賭けるっきゃねえ!
捕まったなら、全てが終わる。そうなればカルロッタにできることは一つ──
「動くなァッ!!」
カルロッタは後ろ手に隠していた例の木箱を掲げ、ナイフを突き立てるフリを見せた。しかし、相手はちょっとした障害を乗り越えるためだけに、貴重な歴史的資料を爆破するような連中。この人質作戦がどこまで通用するかは分からない、一か八かの作戦だったが、
「──ッ!! 全員、武器を降ろしなさい!!」
この木箱から発せられるただならぬ雰囲気が、その賭けを勝利に導いた。