第三章-59『真なるアティーズサーガ──その2』
今まで以上に真面目に聞かなくてはならない。話し手のマノヴェルの方にも当事者故か、そんな気分が感じ取れる。ここからは戦争の話──大勢の人の命が奪われ、何者かに封印された歴史の汚穢。冗談を挟む余地など一切ないのだ。
キヨシたちは改めて姿勢を正し、マノヴェルの昔語りに臨む。
「開戦から四年と少し経った頃のことじゃった。シルフが破られ、空から襲われて海上の戦線が崩壊。本土での戦いになった。四大精霊の一角を失い、数の暴力の前に苦戦を強いられた。陸戦は、海上とは逆に連中の方が得手だったのも手伝い、国防兵は次々に討ち倒されていった」
「……この国一帯には、ウンディーネ様の加護がもたらされていると、ジーリオさんが言っていました。ということは、その……」
「いかにも。しかし、彼女の力を広域で運用する場合は、水を媒介として伝える必要がある。自分で大量の水を生み出すことももちろん可能じゃが、それなりに時間がかかるからのう。現在の市街に張り巡らされている水路は、その時の反省から再建時に増設されたものじゃ。もっとも、大瀑布からもたらされる加護を、市井へと流す計画は当時からあったがな」
「じゃあ、陸でウンディーネの助力は期待できなかったワケか。他のサラマンダーと、ええっと……ノームだったかは、どうしたんだ?」
シルフが行方知れずとなり、ウンディーネの力は望み薄。となれば残りの精霊たち──ノームとサラマンダーの動向が気になるのは当たり前の話だ。よもや、蚊帳の外でのらりくらりとしていたなんてことはあるまい。キヨシの質問に対し、マノヴェルはいやに苦々しい顔をして、
「ノームの奴は、連中が市街地に到達するまでに戦っておった。そこには儂も国防兵と共に駆り出されておった」
「おたくが? 確かにおたくは、そんじょそこらの魔法使いなんか足元にも及ばねえくらい強えけどよ。ハナから戦闘要員だったのか?」
「よもや。土の賢者も賢者と言えどただの人間。百年以上前、とっくに死んでおったからな。代わりの代わりの代わり程度の下っ端じゃよ、儂のような落ち延びた老いぼれはな。ノームとだけは反りは合わなかったしのう。偏屈で気難しい奴で──」
「あ、あー……ソイツの人となりについては、賢者たちのことも含めて後で聞く。で、ソイツとおたくはどうしたんだ?」
マノヴェルに読心されたらマズい事柄を考えそうになって、再び心中で駅名を唱えつつ話を本筋に戻す。口振りからして、マノヴェルは四大精霊ともそれなりに仲良くしていたようだが、ノームとは──同族嫌悪で──仲が悪かったらしい。
それはともかく、契約者のいなくなったノームとマノヴェルは組んで市街の防衛に就いていたらしい。が、現在のアティーズと既知の情報から鑑みるに、恐らく戦果は芳しくなかったはずだ。影が落ちたマノヴェルの顔が、それを裏付けている。
「反りが合わないなりに協力し、国防兵とも合わせてそこそこ善戦したという自負はあるが、限度がな。情けないことに守り切れなかった。言い訳するつもりはないが……儂らが相対した連中の中に一人、恐るべき戦闘能力を持つ戦士がおった。儂はほとんど一方的に叩きのめされた」
「ロンペレか」
「馬鹿を言うな。儂がロンペレなんぞに遅れを取ると思うか。奴はただの人間じゃった。魔法も使ってこなかった」
予想が外れたのもそうだが、マノヴェルが言い放った事実に皆、愕然とする他ない。
「……マジィ? おたくが魔法を使わない人間に負けるなんて、有り得るのか?」
「現に貴様は勝利したではないか。この儂に」
「自分でやっといてなんだけど、勝利と言われてもあんまり実感ねえよ。ただブン殴られただけだしな。けどソイツ、正面切っておたくと戦ってやっつけちまったんだろ? モノが違うよ、根本的に」
「まあ……モノが違う、というのは事実じゃな。他の兵士と比較しても、図抜けた力を持っているのは間違いなかった。儂がオーガの血と生命力を受け継いでいなければ、そしてノームが一緒でなければ、確実に死んでいたじゃろうな」
キヨシは、マノヴェルの強さをよく知っている──いや、キヨシたちとの決闘で示した力などほんの一端に過ぎず、まだまだ底知れないということをよく知っている。手を抜いていたなど有り得ない。この老人の愛国心は間違いなく本物だ。国が滅ぶか否かの瀬戸際にそんな真似をするはずがない。それをそのヴィンツェストの兵士は、正面から叩き伏せたというのだ。正しく『モノが違う』。
「……命があって、本当に何よりだ。けれど、それで終わりってんじゃ、ないんだろうな……」
「当然じゃ。破られた儂らも、そう間を置かずに市街を抜けて王宮まで走った」
そして、市街地前を守護していたマノヴェルが破られたということは──
「儂は……二百年以上かけて積み上げてきたものが、一瞬で崩れていくのを実感した」
その先は、想像に難くない。
「起きていること自体は何のことはない、ヴィンツェスト史の再現じゃ。街は焼かれ、蹂躙され、人が住んでいた面影を僅かに残すのみよ。これまで侵略併合されていった国々も、きっとこうして侵略されたんじゃろうと……いや。街のことはどうでも良い。橋が落ちようが、建物が壊されようが、再建はできる。じゃが国民は? 善良なる無辜の民の命は?……二度と、戻っては来ない」
マノヴェルは可能な限り声を荒らげず、平静を装って、事実をそのまま語っているようだった。だが、彼の沈痛な面持ちは、決して取り繕われたものではない。
キヨシたちは、何も言えなくなってしまっていた。
「王宮へと至る道すがら、打ち鳴らされる鉄火の音に混じって、誰かが泣き叫ぶ声が聞こえた。しかし声と息遣いはそのうち聞こえなくなった。人々の声が、チャクラが……命の灯が次々に消えゆくのを感じた。死に逝く者、全ての灯がな」
以前マルコが、『健常な人間よりもずっと目が良い』とマノヴェルのことを称していた。マノヴェルには目が見えない代わりに、とても鋭敏なチャクラの感知能力を持っていることを比喩した表現。それが裏目に出て、普通なら目に入らないような人々の死を、本当に全て感覚的にキャッチしてしまったのだ。目が見えるよりも、余程心を蝕まれるだろう。
しかも、嘆き悲しんでいる暇など無いのだから尚更だ。
「しかし、一人ひとり助けておってはキリがない。助かるか否かの命を見捨てて王たちの命を優先し、その場をノームとサラマンダーに任せ、血と硝煙の臭いが入り混じった死屍累々の地獄道を後にした。その途中にも、敵味方の屍がそこら中に転がっておった。今お主らが何の感慨も持たずに過ごしている場所は、全て戦跡なんじゃ」
「……酷え、としか言えねえな」
「そうじゃろうな。儂も儂の判断が正しかったのか……今でも分からん」
「馬鹿な。俺はおたくの判断を酷えって言ったんじゃねえ。俺は二十年間、戦争とは無縁な社会で生きてたから、こう……己の無知を、思い知ったというか。それに、ソイツはどっちが絶対的に正しいって選択肢じゃねえだろ」
「フン。無知を自称する割には、分かったような口を利きよる」
「そういう選択を迫られる瞬間ってのは絶対に来る。そこは、戦争とか関係ない。俺のようなボンクラとは、重みが違い過ぎるけれど……」
マノヴェルの判断は、恐らく間違いではない。確かに国民は宝だろう。しかし、危機の迫った王族を見捨てて、市街地に留まっていい理由にはならないのだ。『見捨てて』などとぶっきらぼうな物言いをしているが、きっと悩んだに違いない。頼もしい供回りになり得るノームを置いて、王宮へと向かっているのがその証拠だ。
しかし、その苦悩が報われなかったことを、既にキヨシたちは知っていた。それだけに、この先を聞くのはかなりの覚悟が要ることも。
「転がる亡骸や血溜まりに何度も足を取られながらも、儂は王宮に辿り着いた。王宮内部も、道中とさして状況は変わらなかった。最悪の事態……王宮も戦場となったのじゃ。国防兵の大半は息絶えておった。儂は玉座の間に走った。近付くにつれて、遺体の数は増えていく。玉座の間周辺の遺体は皆、鋭利な刃物のようなもので、ほぼ一撃で絶命したであろう深手を負っていた。魔法ではない。魔法による攻撃ならば、痕跡が感知できる。悪い予感が身を貫き、儂は玉座の間の扉を破壊して侵入した」
キヨシたちも、おそらく当時のマノヴェルと同じ予感をしていた。玉座の間付近にも遺体があるということは、彼が到着した頃には全てが終わっていたと示されているも同然。そして、その遺体は全て魔法ではなく、刃物による傷がついている。
この戦争では、ソルベリウムの発見に端を発する技術革新により、誰も彼もが魔法を扱っていた。にも関わらず、遺体の傷は魔法によるものではない──
「そして……その予感は的中した」
それが意味することはただ一つ。
「当時の王夫妻……パトリツィア陛下の両親が、眼前で討ち取られた。下手人は儂とノームを倒したあの兵士。儂が力及ばなかったばかりに、二人は死んだのじゃ」
マノヴェルは、パトリツィアの両親の断末に居合わせたのだ。それも、自らが取り逃がした敵兵によって殺される瞬間に。




