第三章-58『真なるアティーズサーガ──その1』
「では、伝えよう。ただ、あくまで儂の主観故、半ば儂の身の上話になる……というのは了解せよ」
「ああ、むしろそうして頂けるとありがたい」
すっかり片付いてガラッとした部屋の真ん中に皆で座り込み、老人に昔話を乞う様は、お伽噺か何かを聞く子供のようだ。内容が内容だけに、余計にそういった雰囲気が醸し出される。何せ、これから聞くのは二百年以上前の、剣と魔法な異世界の歴史なのだ。
惜しむらくは、恐らく愉快な話ではないこと。お伽噺のような気安さは全く無いことか。
「話は二百年以上前に遡る。かつて儂は、法王府を相手取った国家転覆事件を企てた」
「『オーガ内乱』だっけ? 前に聞いたな」
「では、失敗したことも聞いておるな? 独り落ち延びた儂は社会の裏側で、汚れ仕事を請け負って生きておった。とは言っても、この特徴的過ぎる図体で表立った行動を取れば足がつく故、大したことはしとらんがな。抹殺したい人物や組織がある者が儂に依頼を出す。人を使ってお膳立てをする。それだけじゃ」
「……諜報ってことか」
「左様。今王宮が抱えておる諜報部も、元々は儂が随分昔に考案した手順を基に作ったものじゃ」
この辺りは、以前ここを訪ねる道すがらにセレーナから聞いた話。諜報部とやらがマノヴェルのやり方を汲んだ組織というのは初耳だが、そこは本人の語り口や緩んだ表情からして重要ではなさそうだ。
そして、ここからが重要なのだとも、彼の顔が教えてくれた。
「そうして数年がたったある日のこと。誰とも知れぬ男女が四人、儂を直接訪ねてきた。普段依頼を受ける際は、金を握らせた仲介人を使って、顔は合わせんようにしていたんじゃがな。どういう経緯でかは分からぬが、儂の素性……つまり、オーガ内乱を引き起こした者であることも理解しておった」
「二百年以上前、四人……まさか、『国産みの』……?」
「察しがいい小娘よ。酔狂で考古学者なんぞ志しておらぬな。その通り……儂を訪ねたのは後のアティーズ初代国王夫妻を含んだ、四大精霊と契約を果たした魔法使いたち。後の世で『国産みの賢者』と呼ばれる者共じゃ」
「なんだっておたくを訪ねてきたんだ?」
「実は当時、精霊と契約に成功していたのは四人の内三人でな。残りの一人、ミケェラの契約のために、儂の力を見込んで……というのが奴らの言じゃった。腰の低い物言いじゃったが、わざわざ儂の素性を調べて来る辺り、断らせる気はなかったんじゃろう。儂からすれば、あのクソッタレ共の刃が首元に迫っているようなもんじゃからな……失敬」
マノヴェルは話しながら土床を殴りつけ、ギョッとしているキヨシたちに軽く侘びた。今でこそこうしてアティーズで暮らしているが、当時半ば脅される形で協力させられたのは今でも思うところはあるらしい。
「と、まあ紆余曲折はあったが……ウンディーネとの契約に難儀していた連中を助け、それと引き換えに、新しく興す国へと亡命した。それがアティーズじゃ」
「じゃあ、その『国産みの賢者』というのは、そもそもヴィンツにいたってことなのか?」
「賢者たちだけではない。そもそも国民の大半は、賢者たちに伴われて大陸から移民してきた人々の子孫たちじゃ。それも戦争の混乱の中で、忘れ去られかけているようじゃがな」
「……ヴィンツの連中は、それを?」
「少なくとも、建国当時は未踏の島の先住民だと考えられていたフシはある。実際は、ここら一帯本当に何もないただの海じゃったが」
「は? 海だった? それが、ほんの二百年そこそこでこんなになるか?」
「まあ、自然には有り得んじゃろうが。四大精霊の力を用いれば、造作も無いことよ」
イマイチピンと来ないキヨシとは裏腹に、カルロッタとティナはハッとしていた。何か思い当たる節があるらしい。
「それ、ジーリオさんから聞いたわ。なんでもノームが島を生んで、そこにサラマンダーやシルフ、ウンディーネが生物が生きる環境を作ったんだって」
「ええー……それ、ただの伝説とかの類じゃないのォ?」
「疑るか。実際に見聞きしている本人を目の前にして、よくもそんな口が叩けるもんじゃ」
「えッ、イヤイヤ違う! そんな悪辣とした意図は……す、スイマセンでした。ともかく、その『国産みの賢者』って人たちがこの島を作ったと。おたくも、彼等を助けたということはアティーズサーガってヤツに一役買ったワケか」
キヨシは黙る他なかったが、客観的に聞くと極めて荒唐無稽な話だ。
小さな島程度なら、海底火山の噴火ですぐに生成されることもなくはないが、それは例えるなら、ゲームの世界地図の端っこにある、宝箱が一つ二つだけあるような本当に、本当に小さな島程度の話であって、アティーズ程の大きさともなると話は変わってくる。具体的な大きさは計り知れないが、少なくとも飛行機で空から見た感じでは、決して小さくはなかった。その上、緑豊かで快適な気候、ヴィンツェストのように少し場所が違うだけで季節も滅茶苦茶なんてこともなく、過ごしやすさで言えば明らかにヴィンツェスト以上。
『そんなものが二百年以上前に突然現れた。しかもそれらは全て精霊を使って整えた』では、胡散臭いと思うのも仕方がないことだ。
そして『国産みの賢者』──最初の議会におけるセシリオの発言に始まり、一行はアティーズにおける生活の中で、何度か折に触れてその存在の一端に触れたことがあったが、こういうハッキリとした形で触れたことはなかった。故に、彼等のことを詳しく知る機会もなかったが、マノヴェルが語ったこと全てが事実だとすると、とてつもない力を持った、偉大な存在であると窺い知れる。
ただ、これが事実だとすると別の疑問も出てくる。
【大変だったんだね。けど、なんでそこまでして? どうして島一個作ってまでヴィンツから出たの?】
「確かに……。当時、ヴィンツェストはまだただの『大きな国』以上のことは何もなかったはずです。移り住むだけなら他にもあったでしょうし」
今ティナとセカイが論じた通り。ただヴィンツェストでの生活に嫌気が差して──程度では、四大精霊などという大仰な存在を引っ張り出した挙げ句、島と環境を一つ作る動機としてはあまりにも弱過ぎると言わざるを得ないだろう。
「そう……ここまでは儂の話でしかない。これから語るのが本題。検閲対象のアティーズ史じゃ」
そして、その疑問を解決する答えも、マノヴェルは持っているようだった。
「アティーズ史を語る前に、ヴィンツについても語らねばならぬ。できるだけ手短に済ませるがな」
「皆がついてこられるように頼むぜ、マジで」
「安心せい。誰にでも理解できる、極めて単純な話じゃ」
前提知識の前提知識──と、無限に続いているような気がしてキヨシは辟易とするが、マノヴェルはキヨシの懸念を一笑に付す。ただその笑いには、どうにも黒い何かがへばりついているような気がした。
「ヴィンツェストは元々、『創造主の生家』──世界開闢の地を中心とした、数多くの国の一つじゃった。しかし、四百年程前から周辺の国を侵略し始め、今ではあの大陸はほぼ丸ごと奴らのものじゃ。その過程は、血塗られた歴史と言っても過言ではない。財産の略奪、抵抗する民兵の虐殺と、まさにやりたい放題だったそうじゃ」
「聞いてるだけで胸焼けする話だな。もっとも、人類史なんてどこもそんなもんなのかもしれないけれど……って、単純な話ってそういう意味か?」
「まあの。その反応を見るに、貴様の世界の歴史も大して変わらんようじゃな」
「ブラックジョークが過ぎるだろ、オイ……」
ヴィンツェストの歴史は、高校生の時に受けた世界史の授業で、流し聞きしていた古代のどこだかという国の歴史をほとんどそのままなぞったような感じだった。マノヴェルが言っていた『誰でも理解できる』というのは、こういう意味だったのだろう。人類の性というものを見透かしているらしい。
一つ違うところがあるとすれば、ヴィンツェストは栄枯盛衰の理に反して、現在に至るまでその栄華を保ち続けている点だ。大陸の統一に成功して、安定期に入っているだけかもしれないが。
「とすると、賢者たちはヴィンツの有り様を良しとせず……って感じ?」
「左様。しかし、少なくとも儂が出会った頃は、ヴィンツに表立って反逆しようというつもりはなかったようじゃ。あくまでも、ヴィンツの力の及ばない理想郷を築こうと、そういう動機じゃった」
「だったら、どうして建国宣言なんかしちゃったワケ? 遠い海のド真ん中なんて地理なら、黙ってれば良かったでしょうに。なんで自分からバラすような真似をしちゃったのよ?」
「それも時間の問題……いずれは発見される恐れがある。希望的観測に沿って行動するのは危険だと、奴らは判断した。故に、ヴィンツとも渡り合っていける『強き国』を作ることを考えたというワケじゃ」
見つかるかもしれない、しかし見つからないかもしれない。後顧の憂いを後の世代に丸投げすることを良しとしなかった賢者たちの判断は、確かに一見賢明に思える。しかし言うは易し、行うは難し。あの大国、ヴィンツェストと対等な『強き国』など、頭の良い人が四人いたところで、そうそう作れるものではない。
しかもマノヴェルの物言いからは、『強き国』というのは概念的な意味合いではなく、もっと文字通りの──『武力的』な印象を受ける。
「…………カス野郎共ッ……!」
「ドレイク、どうした?」
ここまでの情報を総合して、ドレイクは何かに思い至ったらしい。
【まさか、四大精霊と契約したのって……っ!】
「……ティナと言ったか。誰よりも幼いが、誰よりも聡明なようじゃな。良き精霊とも契約しておる」
「ティナ? ティナがどうかしたの? 表に出てきてよ」
続けて、ティナもセカイの内側から声を上げる。マノヴェルが感心しているのを鑑みるに、ティナもドレイクも、国産みの賢者たちの考えに到達していると見て間違いない。ただ、彼女の声にはドレイク程の粗暴さはないものの、確かな怒気がこもっていた。
カルロッタに促されてセカイと交代したティナは、震える口をおずおずと開く。
「四大精霊は、精霊たちの中でも特に力を持ってる。それが全部、しかも一つの国に渡ったら、ヴィンツだって簡単に手は出せなくなっちゃう。だから……」
「……そういうことか」
「随分すんなりと受け入れるな。眉一つ動かさぬとは」
「別に。考えることは皆同じっつーか……異世界だろうとなんだろうと、人間は人間なんだと思っただけだ。安心感すらあるね」
当然、いつもの皮肉だ。だが、今飛び出した皮肉は普段とは格別の、凄まじい嫌悪感が包まれたものだった。『考えることは皆同じ』──この世界の人間も、元いた世界の人間と何ら変わらないということが、思わぬ形で裏付けられてしまい、キヨシは内心酷く落胆していた。
「貴様等が察した通り……四大精霊との契約は、何も島を作るためだけに行ったのではない。国を作った後でヴィンツに向けて彼等の猛威を標榜し、牽制するためのもの。早い話が、抑止力として存在し続けてもらうために、手勢とした」
「……酷い。そんなの、あんまりです! 精霊にだって、ドレイクと同じで本人の意思が──」
「本人の意思を言うのなら、皆納得ずくで協力しておったわ」
「──ッ!」
「そもそも、精霊は無理矢理従わせることはできぬ。精霊との契約は、互いのエーテル体……魂を繋ぎ、通い合わせることで成されるものじゃ。大精霊以前の、己の意識すらない小さな精霊は、才能さえあれば誰でも契約可能じゃが、自己というものが確立された、意識を持つ精霊との契約は、打算的な協力関係では絶対に不可能。大精霊と契約している貴様が、誰よりも理解しているじゃろう」
再びティナは声を荒げるも、マノヴェルに黙らされてしまった。それだけあの老人の物言いに説得力があったということだろう。キヨシにとっても同じだった。
四大精霊の猛威、それを背景に武力による戦争抑止を図る。どこかで聞いたような発想にキヨシは心底うんざりしていた。しかも四大精霊たちも自分たちが武力として扱われることを承知の上だったとなると、尚の事やるせない気持ちにさせられる。きっちり話し合い、散々議論に議論を重ね、色々考えた末にようやく出した結論がこれなのだということは、想像に難くない。
「けど、戦争は起こった」
「……──────」
「くだらねー御託をベラベラと。策が滑って起こった戦争で、死んだ人や遺された人のことをほんの……ほんの少しでも考えたことあるワケ?」
だが、その結論に振り回される人間からしたら、そんなものは知ったことではない。
知ったことではないのだ。
マノヴェルの淡々とした説明を、刃を鳴らすような鋭い声で斬って捨てたのはカルロッタだった。当然だ。カルロッタは元々、ティナの両親に運良く拾われただけの戦災孤児。戦争という概念そのものへの憎悪は人一倍に強い。当時賢者でもなかったマノヴェルにそれを言うのはお門違いな気もするが、建国から現在までを生きる老人は、当事者としての責任を感じているのか、ほんの少し目を伏せて「確かに」と低い声で呟いた。
マノヴェルの傲岸不遜は、今このひとときに限っては完全に鳴りを潜めていた。
「じゃが、その滑った策に両国が守られていたのは事実じゃ。ヴィンツは……というより法王府は、無関心を装って密かに軍備の増強を進めていたようじゃが、様々な事情が重なって上手く進まなかった。四大精霊を全て奪われるという事態にも、大きく混乱させられたじゃろう。しかしほんの少し前に、四大精霊に打ち勝てるだけの、魔法の技術的な革新をもたらすものが発見された……されてしまったんじゃ」
皆の目がキヨシに集まる。キヨシ自身も、自分を見ていた──否、正確にはドレイクの焔光を反射して、燦然と輝くキヨシの右手人差し指を、だ。
「……ソルベリウムが、発掘されたんだな」
「魔法が使えない人間も、魔法の力を使えるようになる鉱石。強大な力を持つ四大精霊も、ヴィンツの兵の半数以上が魔法の力を……となれば。武力による抑止は、机上の空論だったワケじゃ」
「当然だ。よくそんなんで『希望的観測に沿って云々』とか言えたもんだな。抑止力を謳うなら、世界を──」
キヨシは半ば賢者たちへの侮辱の言葉を口走って、反射的に口を噤んだ。マノヴェルの読心も及ばないように、元いた世界で通っていた専門学校の最寄り駅が属する路線を、心の中で唱え続ける。
──……キヨシさん?
──ンザーロの話なら、ロッタが聞いてる。今集中してるんだ、話しかけないでくれ。頼む。
──………………?
【ティナちゃん。お願い……聞かないであげて】
しかし、より深く繋がっているティナやセカイには隠しようもなかった。マノヴェルの手前恐縮したワケでもなければ、ましてや良心の呵責でもない。
二人はキヨシが、何かを隠そうとした──というより、『知って欲しくない』事柄を口走ろうとしてしまったのだと、感じ取っていた。そして、それを聞き出そうとはしなかった。キヨシは、ティナに対しても知って欲しくなかったのだ。
そんな二人の心の内を知ってか知らずか、マノヴェルはキヨシとティナのことなど他所に、再び語り始める。
「宣戦布告はなかった。最初に犠牲になったのは遠出していた漁船じゃった。とはいえ、すぐに泥沼の交戦状態に陥ったワケではない。アティーズはウンディーネの報告を受けて即座に海上を封鎖して備えた。ヴィンツの兵共は海上の戦いへの経験が浅く、それなりの備えがあった国防兵には地の利があった。ウンディーネの助けもあって、戦線は食い止められていた」
「しかし、空から攻められた。エルフやハルピュイヤ、ガーゴイルたちの大隊に」
「左様。しかし、すぐに破られたワケではない。空にはシルフがいたからな」
「……シルフは、殺された?」
「分からぬ。ヴィンツも彼女の所在を把握していないと説明されているそうじゃが、怪しいもんじゃ。アティーズでもさんざ探し回ったが、足取りは掴めなかったと」
空からの急襲という話自体は、以前アティーズでジェラルドから聞いたことがある。違うところは、空を四大精霊が守っていたことだ。しかし、経緯も結末も分からないがシルフは破られ、行方知れずとなってしまったようだ。
かくして、『十五年前の戦争』が始まった。




