第三章-48『親近感』
「ハアッ……ハァッ……!!」
【ティナちゃん、大丈夫!? お腹平気!?】
「ッ──!」
意識が正常になって、セカイがまず最初に気にしたのはティナの安否だった。先程まで腹の下にセレーナの腕が肘までガッツリ入っていたのだから当然の話だ。しかし、言われるままに確かめてみるとティナの身体からは傷一つなく、血の一滴も出ていない。無事なのは何よりだが不自然な程に、最早不気味なまでに綺麗なままだ。
愕然とした。だが、何はともあれティナは無事だ。身体中を駆け巡っていた快楽も、どこかへと霧散している。そうなると次に気になるのは、
「セレーナ様……!? 大丈夫ですか!?」
ティナの視界の端で、セレーナが青ざめた顔で目を見開き、肩で息をしていた。かけられていた布を蹴飛ばして跳ね起き、尻餅をついているセレーナに駆け寄って顔を覗き込む。そうして見たセレーナの表情は、驚愕とほんの少しの恐怖が入り混じったような酷いものだった。いつもの余裕綽々で、どこか人を試すような気分ものある態度は微塵も感じられない。ティナの呼びかけにも応じなかった。
「……セレー、ナ…………?」
いや、応じないどころか自分の名前で呼ばれてこの反応。完全に気が動転してしまっている。こんなセレーナはきっと、誰も見たことがないだろう。その証拠にティナのみならず、パトリツィアやジーリオでさえも、驚愕を禁じ得ない様子。
「アンタ以外にセレーナ・セラフィーニがいるか! しっかりなさい、セーラ!」
「あ……そ、そうね。ごめんなさい、少しびっくりしちゃって」
パトリツィアに背中をバシバシと叩かれて、セレーナはようやく我に返ったようだ。ジーリオの手を借りて立ち上がったセレーナは、敵襲の可能性を見越して気を張る彼女の警戒を解かせ、服の埃を払って咳払いを一つ。
そうしたら、セレーナは元通り。とはいえ、取り乱す自分を見られた羞恥のようなものは感じているようで、ほんの少し頬が赤い。
「びっくりって、何に?」
「ええ、まあ……ちょっとした不手際が」
【不手際ァ!? まさか、アレをもう一回やるってんじゃないでしょうね!?】
「ええっ!?」
何があったのか、目隠しされていなかったパトリツィアたちにも分からなかったらしい。セレーナ曰く不手際があったとのことらしいが、ティナやセカイからしたらたまったものではない。あの気持ちの悪い気持ちの良さを、再び味わうことになるかもしれないのだ。
「いえいえ、施術は成功しました。ほら」
「ひゃうっ!?──あ」
しょぼくれるティナにセレーナは微笑みかけて、ティナの腰辺りを撫でる。視界外から触られて思わず声が出るが、それ以上のことは何もなかった。セレーナのどこか温かいチャクラを感じ、心が安らぐような気さえしていた。
「発作は起きませんね?」
「……はい! ありがとうございます!」
【よかったね、ティナちゃん!……けど、それじゃあ不手際って一体何だったんだろう?】
──まあ、エーテル体専師でもない私たちが聞いても分からないと思いますし……。
【それもそうかな?】
こうして、オリヴィー抗争以降ティナを悩ませ続けていた発作の症状を克服することに成功したのだった。もっとも、セレーナはもちろん、ジーリオやパトリツィアを頼った結果なのは確かだ。しかし、ティナにとってはこの症状のことを打ち明けること自体、大きな勇気のいる事柄だったのもまた間違いない。『私は何もしていない』などと言おうものなら、きっとセカイが待ったをかけることだろう。
が、喜んでばかりもいられない。
「けれど、最初に話した通り。これはあくまで『対症療法』だということを忘れないで。効き目には限りがあるし、その都度やり直す必要があります」
「や、やり直し!? その間隔はどれくらい……」
「そうねえ。大体、一週間程で施術を行う必要があるかと。丁度クリスマス頃かしら」
「一週間……」
【結構な頻度だね……。けどまあ、文句言うのもお門違いだよね】
セレーナの言う通り、先の施術は根治を目的とした施術ではない。花粉症の薬のように、効き目には限りがある。元より分かっていたことだが、それでも決して小さくない先々への不安が、ティナの頭をもたげそうになった。
「ああ、やり直しとは言っても、今日のような激しいものにはなりませんので、どうぞご安心を。程度としては、先程パティが汚い声で伸びてたときのそれを想像していただければ、と」
「そこ、蒸し返さない。お疲れ様、ティナちゃん」
「は、はい。手、握っていてくれて心強かったです。ありがとうございました」
「それは何より」
ティナが懸念している事柄は全て見透かされていたようで、セレーナは先のことを少し戯けた様子で話した。そのダシにされ、恥辱をほじくり返されたパトリツィアだったが、一言ツッコんですぐにティナの労をねぎらう。どこまでも良い人なのがよく分かる。
「しっかしスゴかったでしょ、あの施術。私も丁度、あなたくらいの歳の頃に施術を受けたのよね」
「すると、その……」
「ああ、お腹? 分かる分かる、そりゃびっくりするわよね、いきなりお腹に腕を突っ込まれちゃ。でもあれは、エーテル体に触れた影響で見える幻覚なんだってさ。だからホラ、傷一つない」
「ひゃんっ!?」
「あっはは! 分かる分かる。お腹とか腰とか、触られるだけで変な声出るようになっちゃうのよね。しかし、私と同じ経験をする人が身近に出てくるなんて、今日まで思いもしなかった。こんなこともあるもんなのね、ちょっと嬉しい」
「う、嬉しい?」
「そりゃそうよ。そもそも私は、基本的に王宮の引きこもりなワケだし。友達は難民群の子供たちだけ……みたいな感じだったけれど、こうなると親近感湧いちゃうな」
「それは、その……恐縮です、陛下」
「堅いことは言いっこナシナシ。呼び捨てにしてくれたって良いよ。難民の子たちにも、そういう子たまにいるし。お姉さんにもそう言っておいて」
「ええっ!? それは、その……」
突然そんなことを言われても、ティナは困り果てるしかない。相手はやたらとフレンドリーに接してきていて、ティナも悪い気は全くしていないしむしろ嬉しい限りなのだが、本来ティナとパトリツィアとの間には、口を利くことも許されないようなとんでもない位の差があるのだ。
許可を取ろうと思ったのか、はたまた助けを求めようとしたのか、自分でも分からないが、ティナはセレーナにチラチラと目配せした。正直、『ダメだ』と断じてくれた方がありがたかったが、
「この中で……であれば。あと、二席とその傘下には絶対に聞かれないようにしてね」
セレーナのお墨付きも出てしまい、完全に逃げ場はなくなってしまった。ジーリオは何も言わなかったが、その眼差しには期待が多分に含まれているように思える。パトリツィアのそれに至ってはジーリオ以上だ。
自分の悩みを打ち明ける以上に勇気のいる事柄だが、意を決する他ない。
「パ、パトリツィア………………様」
「えーーーー!? そこまで言って!?」
「やっぱり無理ですっ!!」
【あ、じゃあ私『パティちゃん』くらいのノリでいっちゃおーかなー】
──お願いだからやめてぇ!!
セカイの存在自体パトリツィアはまだ知らないため、セカイが言ったことはそのままティナの発言と解釈される。そうならないように早急に手を打たねばと考える反面、パトリツィアと同じく境遇を同じくした者への親近感は、ティナに安らぎを与えたのだった。
と、その時。
「もしもぉーし」
「──!」
閉じていたはずの扉がいつの間にか半開きになっていて、そこには呆れ顔のカルロッタが立っていた。それを見たジーリオは同じくらいの呆れ顔で、
「カルロッタ。お言葉なのですが、ここは仮にも陛下の寝室。無断で立ち入るのは……」
「仮にもって何よ、仮にもって」
パトリツィア的には余計な一言がくっついていたようだが、ジーリオの発言自体は正論も正論。カルロッタの立ち振舞はティナが先程まで散々困っていた『身分の差』をほとんど無視したようなそれなのだ。しかも彼女は苦言を呈すジーリオに対し一歩も退かない。
「あーのーねぇー! セレーナさん探して国防兵をたらい回しにされた挙げ句、妹の変な声聞こえてきたらそりゃ入りますよ。挙句の果てにゃ、その妹は素っ裸だし。言っとくけど、ノックもしてたんだからね。扉をブッ壊す寸前で国防兵さんに止められたけど」
「それは良かった。あとでその国防兵の特徴を教えていただけますか? 個人的に礼を述べたいので」
「まだ外にいるんじゃないですかね?」
「いやいや、ていうかちょっと待ってカルロ……」
王女の部屋がどうとか、国防兵の功績だとか、ティナにとってはどうでも良かった。いや、どうでも良くはないのだが、ティナが心底気にしていた事柄に比べれば些事でしかない。
「声……? 」
「聞こえてたわよ」
「外まで……?」
「外まで」
ティナの顔は、先程の自分の身体と同等かそれ以上に熱くなっていた。今思い返してみても、いくら治療行為の副産物と言えどとてつもなく如何わしい声を発していた自覚がある。それをセカイの声として、客観的に聞いていたのだから尚更だ。目を覆いたくなるのも無理からぬ話だった。
「私もう、お嫁さんにいけない……」
【大丈夫、私にもそういう時期はあった♨】
セカイのフォローも全くフォローになっていない。『ウソつけ』と毒づきたい気持ちを抑えつつ、ティナは服に手早く袖を通した。
「ところで、私を探していたというのは?」
「あ、そうだった! キヨシの世話焼いてたお医者様って、セレーナさんの指示で派遣されてたんでしょ!? あの人どこ!?」
「ええ、呼べばいらっしゃると思いますけれど。どうしたの?」
そう、そもそもカルロッタはどうやらセレーナを探してここに流れ着いたらしいことを、本人が言っていた。用事の内容は、『医者を呼んでくれ』。
不穏な空気が流れ始め、悪い予感が皆の心中を埋め尽くす。
「キヨシが職場でブッ倒れたのよ!」
「──ッ!!?」
そして、その予感は的中した。




