第三章-47『火照る、蕩ける、煮え滾る』
「なるほど。オリヴィー抗争の後遺症でしたか」
「すみません。ずっと黙っていて……」
ティナはすべてを包み隠さず話した。元々、議会でオリヴィー抗争の顛末や自分の身に起こっていたことを含めて話してはいたので、そこまで込み入った話にはならず、意外な程すんなりと受け入れられた。
「いえいえ、理由はなんとなく分かりますから。それに、きっと皆にはまだ秘密でしょう?」
「ええ、まあ……すみません、よろしくお願いします」
「フフッ、それは大変ね。早速施術に入りましょうか」
ティナがぺこりと下げた頭をセレーナが優しく撫でて、恐縮した心を慰めてくれる。顔を上げると、セレーナのみならず、パトリツィアも、そしてジーリオも礼儀に微笑みで返してくれていた。
やはり、話してよかった──ティナは秘密を明かしたことに、一片の後悔も持たなかった。
「あ、あの。施術ってどんな内容なのですか?」
そうなると、次に気になるのは具体的な施術内容だ。鬼が出るか蛇が出るか、といった心持ちで恐る恐るセレーナに問うと、
「本来、エーテル体から削れ出る僅かなチャクラを、精霊が食べて増幅するというのが、魔法の発動過程です。が、今のティナさんは外的要因でエーテル体が変質し、単体で魔法が使える程のチャクラを生成できるようになっている。が、普通の人間は亜人種と違って、精霊無しに魔法が使えるようにできていない。故に、自身のチャクラに心身を蝕まれる。なので──」
「なので?」
「エーテル体に私のチャクラで直接干渉して、過剰生産されるチャクラを食い止めるしかありません」
こうして話を聞いてみると、『本当にこれから治療を受けるんだ』という気持ちが湧いてきて、少し緊張する。しかし、ティナはセレーナを心から信頼している。たとえどんな治療内容だったとしても──
「あ、あー……セーラ?」
「なぁに、パティ?」
「その施術って、私が昔受けたアレ?」
「ええ」
「堪えきれなくて気絶したヤツ?」
「ええ」
──【!?】
鬼と蛇がいっぺんに出た気がした。
「……ティナさん? どうしたの、そんなに顔を青くして」
「いやいや、どーしたってセーラ……」
「……その、何か噛んでいた方がよろしいでしょうか? 木の枝、とか……」
「詳しいわね……。いや、何か噛もうったって無駄よ。噛んでられなくなると思う」
「そ、そんなに痛いんですか!?」
「いやいや痛くなんかないわ。これっぽっちもね」
「それでは……?」
セレーナが頓珍漢な質問をするのはともかく、ティナがこれから受ける施術は、過去にパトリツィアが堪えきれなかったようなものらしい。爆発した二人分の不安が顔色に出てしまい、半ば諦観を抱いて『何か噛んでいよう』と悲壮な覚悟を表明したが、パトリツィア曰く、痛みはないらしい。
では何かと突っ込んでみると、彼女は明らかに言いづらそうに顔をしかめ、
「……エーテル体に触るってことは、外からチャクラを流し込んで中身をイジるってこと。『騎士団長の手管』と似てるけど、攻撃じゃなくてこう……生命力を思い切り身体に突っ込まれるような感覚が、ね。つまり、その……頑張ってね」
「一体何があるんですか!?」
「私からは言えない! 頑張ってとしか!」
パトリツィアは何故か顔を真っ赤にして、それ以上施術内容に関して何も語らなかった。これなら、『死ぬ程痛い』とでも言ってくれた方がマシだったかもしれない。このように言いたい放題言われるのはセレーナとしては心外だったらしく、わざとらしい咳払いをして皆の注目を集める。
「失礼ね。前にやったのは五年以上も前の話よ。素人なりに色々研究を重ねて、かなり改善されたと自負しています。それでも、一席の腕前には遠く及ばないでしょうけれど」
「改善ねえ……例えば?」
「気絶はしなくなりました。以上」
「余計に酷くない?」
「……? 何故? 意識はあった方がチャクラに触りやすい分、手早く終わるのだけれど」
「何故って……セーラってたまにズレてるわよね」
どうやらセレーナは本気で言っているらしいことを感じ、パトリツィアは呆れてものも言えないといった調子で首を振った。
「……やめる?」
呆然とするティナだったが、施術を受ける意思があるかどうかを今一度問われると、
「いえ、受けます。皆に迷惑をかけっぱなしのまま過ごす方が、ずっとつらいですから。もし何が起こったとしても、今日まで放置し続けた罰なんだって、受け入れる覚悟はできています」
【その意気やヨシ。当然、私も付き合うよ】
「ケッ」
ティナは迷わない。その打ち立てた覚悟にセカイも、ドレイクも続く意思を示す。ティナの心を確認したパトリツィアは、再びティナの両手を取った。
「お手て、握っててあげるからね」
これで決まりだ。
「さて、ではこれを」
「わっ!?……はい?」
善は急げと、セレーナがティナに渡したのは、使い込まれていない印象を受ける真新しい籠。
「あの、これは?」
「衣服を全て脱いでその籠へ。横になっていただきます。ジーリオは布団の予備と、かける布を持ってきて。パティ、寝床を借りるけれどいいわね? 汚さないようにするから」
「もちろん」
「俺ちゃんは?」
「大精霊様は、しばらく私についていてください。私にくっついている限り、安全は保証されていますので」
「どーいう理屈と根拠なのか知らんけど……ハイハイ、分かったよ」
「え……えぇっ!? お、お待ちください!」
言いたいことは色々あるが、トントン拍子に進む準備に、ティナは慌てて待ったをかけた。
「何か?」
「服を、脱ぐんですか?」
「当然です。汚れるといけませんから。せっかくキヨシに見立ててもらった服なんですし」
【あーなるほど。ティナちゃん、脱いで】
──そこでキヨシさんを出すの、ズルいですよう……。
そう言われると、観念する他なくなってくる。何故かパトリツィアがニヤつきながら深々と頷いているが、そんなことを気にしてはいられなかった。とはいえ、これはれっきとした治療行為。ここにいるのはドレイク以外は皆女性だし、例外たるドレイクにしたって『何を今更』感は否めない。
キヨシ風に表現すれば『ええい』といった調子で、半ばヤケクソ気味に服を脱ぎ、促されるままにジーリオが敷き直した布団に横たわった。
上から薄手の布をかけられると、いよいよといった雰囲気が部屋を支配し始める。
「さて……始めます。少しくすぐったいと思うけれど、我慢してください。ジーリオ、目隠しを」
「はい」
「め、目隠し……わ!?」
「ごめんなさいね。余計な感覚はエーテル体治療の邪魔だから、できるだけ遮断してるの」
目隠しをされてティナの視界が真っ暗闇に覆われると、温かな手がティナのへそ辺りを、かけられた布越しに撫で回し始めた。セレーナの手だ。
「あ、あの──」
「力を抜いて……」
這い回るこそばゆさに強張る肩を、腕を、そして足を、細い指で解きほぐされる。不快な感じはしない。相手が自分と同じ女性なのもあるだろうが、セレーナに触られた場所から四肢へと何かが駆け抜けていく感覚がどうにも心地よく、抗い難い。
そうしてセレーナに身を委ねる内に、ティナの身体に変化が現れ始めた。
「んっ……」
【……く…………】
時折、身体がピクリと跳ねて、喉の奥で押し殺していた声が漏れる。全身を静電気がピリッと走っているような感覚に、身体が勝手に反応しているのだ。呼吸をする度に指先がじんじんと疼いて、撫でられているへそを中心に体温が上がっていくのを感じながら、ティナは小さく身じろぎしてそれを紛らわす。
【ティナちゃん……なんか、変なんだけど……っ】
──頑張って、ください……!
セカイを励ましている間にも、ティナは未知の感覚に悶えそうになっていた。目隠しをされているせいか、余計に感覚が鋭敏になっている気がする。
しかし、やはりティナは不快だとは微塵も思わなかった。この快楽の前では何をされているのか分からない、という不安など些事でしかない。
「ふーっ、ふーっ……くぅっ……ん…………」
どれくらいたったのか──一分そこらだったような気もするし、何時間も経っているような気もした。荒くなっていく息遣いを整えることも困難になっている。ティナの右手をきゅっと握るパトリツィアの手も、火照った己が身と比べればむしろ冷えきっているように感じられた。
全身にしっとりと汗が浮いてきた頃のこと。へそを抑えつけていたものは突然なくなって、全身にのしかかっていた充足感が霧散する。セレーナが触れるのをやめたのだろう。治療行為とは言え、自分の身を苛んでいたものが取り払われたのだから、二人は心から安堵する──ワケでもなかった。
理由は二つある。
一つは単純に、『これで終わるとは思えない』というだけの話。
そしてもう一つは、先程まで二人を蝕んでいた感覚が、酷く名残惜しくなっている──無意識下であの感覚をもっと、もっとと欲しがってしまっている、という事実だった。発作を起こしたときと似ているが、恐怖は感じない。苦しくもない。あの発作から甘美なる衝動だけを抽出したような感覚が取り上げられたのが、ただただ切なくて仕方がない。
何故止めたのか聞こうとしたのか、それとも強請ろうとしたのか、思わず口を開こうとしたその時だった。
──『観せてもらいましょうか』──
「【えっ──】」
脳髄に直接声が響くと共に、それはやってきた。
「【かはっ──ッ!!?】」
叫び声の代わりに湿った呼気が、喉を掠めて口から漏れる。
身体の熱が急激に上昇して最高潮に達すると共に、へそから何かが物理的に入り込んでくるような感触を覚えた。まるで煮え滾る溶岩をそこから押し込まれているようだ。
──【なに、これっ……からだ、とけちゃうっ…………!!】
溶岩はティナの身体を少しずつ蕩けさせ、腹の下で蠢きどんどん広がっていく。これが頭にまで達してしまったときのことを考えると──否、考えることはできなかった。ティナもセカイも、すでに思考が熔け始めていたからだ。
たまらず身を捩った拍子に緩んだ目隠しの隙間から、ティナは信じられないものを見た。
真剣な面持ちのセレーナ。目を閉じてティナの手をより一層固く握り締めるパトリツィア。そんなものは瑣末事にしか感じなかった。
自分の腹に、セレーナの腕が肘まで突き刺さっている光景に比べれば。
「【あっ……あぁっ!!?】」
あまりの出来事に、暴れそうになったティナの肩をすかさずジーリオが抑えつけ、目隠しをかけ直す。肩から伝わってくる感じからして、ジーリオは大して力を込めていないにもかかわらず、ティナは容易く動きを封じられていた。
身体がドロドロに熔けているような錯覚のせいで、全く力が入らないのだ。
「【んっ……ふぁ…………あ……っ】」
セレーナの腕がずぶずぶと沈んでいき、その腕と一緒に身体もどんどん熔けて広がっていく。
痛みはない。血など一滴も出ていない。ティナの腹の下で何かが──いや、きっとセレーナの手なのだろう。それが蠢く度に快感を覚え、甘い声がだらしなく緩んだ口の端からよだれと共に流れ出ていく。
これが、パトリツィアの言う『生命力を思い切り身体に突っ込まれるような感覚』。そして、彼女が堪えられなかったものの正体だった。
ついに、一切の抵抗ができなくなった。指一本に至るまでピクリとも動かせない。全身を包み込む悦楽を紛らわすことすらもできないまま、ただ糸の切れた人形のように横たわるのみ。こんなもの、堪えられなくて当然だ。パトリツィアの言う通り、気を絶っていたほうがずっとマシと言い切れる。
──だらしない、かお……みっともない……。
目隠しの上からでも、自分の蕩けた顔が──
──え……?
見えるはずがない。
思考能力の著しい低下のせいか、事ここに至るまで全く気付かなかったが、明らかにおかしい。夢か、現か、それとも幻なのか──ティナとセカイは今、自分の顔を見ていた。自分で自分の顔を、見ていたのだ。そんなことできるはずがない。ましてやティナは今、目隠しをされているにもかかわらず、自分の顔を含めた景色が鮮明に見えている。
しかし、それまで。今の二人にはその気付きだけで精一杯だった。考える暇もなく、そもそも考えを巡らせることもできず、少しずつ視界は暗転し、心は再び快楽の泥濘へと沈み──
「……セレーナ様ッ!!」
「セーラ!? どうしたの、しっかりして!!」
視界に闇が降りた瞬間、突如として響いた二人の悲鳴で、ティナの意識に光が戻った。




