第三章-46『ティナのカルテ』
「陛下。ティナをお連れしましたが」
「んぇ? えっ、ちょっちょっちょっと待って──あばふッ!?」
突然ジーリオに連れられて現れたティナを見るなり、パトリツィアは慌てて立ち上がろうとして、寝そべっていたベッドから転げ落ちる。そうして、間抜けな王女を前にただただ困惑するばかりのティナの両手を取り、
「いらっしゃい、ティナ」
「陛下。恐れながら、慢性的なチャクラ異常の対症療法にかこつけ、セレーナ様に全身の按摩をねだり、あまつさえその快楽のあまり、しまりのない顔でいかがわしい声を上げる女性から、歳上なのを良いことにそのような高慢な態度で接されては、彼女としても呆れて物も言えないかと存じます」
「分かってるなら丁寧にイジメるのやめてくんない!?」
パトリツィアの見栄張りは、ジーリオの妙に詳細な状況説明で全て台無しになってしまった。これを恐らく、全く悪意無くやっているのだからよりタチが悪い。そんな寸劇にセレーナは苦笑するが、それもすぐに終わり、眉を吊り上げてジーリオと相対する。
「ジーリオ。いくら子供と言っても、不法入国の亡命希望者をパティの寝室に直接連れてくるのは、彼女の立場上いかがなものかと思うのだけれど」
「亡命希望の面々……特にティナやカルロッタとは、接する機会が可能な限り欲しいと、陛下たっての希望でございます。警らの国防兵たちも、理解していらっしゃるようです」
「それで連れてきたの?」
「我が主君の御意のままに」
「それは『甘やかしてる』って言うのよ。ジーリオはパティに甘いんだから」
──そ、そうかなぁ……。
セレーナ基準では甘やかされているらしいが、少なくともティナ目線では、しょぼしょぼとした顔で俯くパトリツィアが甘やかされているようには思えなかった。この扱いもさることながら、亡命希望の元ヴィンツェスト国民とも別け隔てなく仲良くしようというのだから、人格形成の過程で良き教育を受けてきたことが窺える。もっとも、所謂『時と場』にはもう少し理解が必要なようだが。
「ただ、一応自己弁護させていただきますと、陛下の希望だけで……というワケでもございません」
「というと?」
「ティナも陛下と同程度かそれ以上に、チャクラ異常の症状に悩まされているようです。本来、マノヴェル様の邸宅にお連れするべきなのですが、まともに取り合っていただけるかどうかと思いまして。丁度施術をしている頃合い、これ幸いと」
ジーリオの言い分を聞いたセレーナは、立てた人差し指を頬にやって深く考え込むような仕草をした後、
「……ティナさん。こちらに」
「はい──うわっ!?」
ティナが恐る恐るセレーナのそばへと歩み寄ると、突然抱き寄せられて変な声が漏れた。とても驚いたが、すぐにセレーナから発せられているらしい心地良い匂いと、全身を優しく包み込む温かな体温で落ち着きを取り戻す。が、そんな自分に当惑もしていた。
「あ、あの──」
「シーッ、動かないで。ふむ……今から発作を意図的に起こします。三つ数えますので、セカイさんや大精霊様と一緒に、心の準備を」
「へ!?」
「は?」
【ちょッ!?】
しかも唐突にこんなことを言われたのでは、余計に当惑してしまう。それこそ、静観を決め込んでいたセカイやドレイクが声を上げてしまう程度には。何か試したいことでもあるのか分からないが、三つ数える内に気構えなど無理な話だ。
「はい、ひとーつ──えいッ」
「んぅっ!!?」
「ギッ!?」
【ぁんッ!?】
いや、そもそもそんな暇を与えるつもりはなかったらしい。セレーナは三つ数えるのを待たず、ティナに何かをして発作を引き起こさせた。幸い、すぐになんともなくなったが、
「セレーナ、様……。三つ数えるって…………い、言ったのに……」
「ごめんなさい。身体の力を抜いてもらうには便利なんですよね、この言い回し」
「うぅっ……」
どうやらセレーナの前置きは、検査のための方便だったようだ。意地の悪いやり方だった自覚はあるようで、息も絶え絶えのティナに突っ込まれると背中を優しく叩きつつ謝罪してきたが、どうにも納得のいかない気持ちが先行し、素直に受け取れない。
そして当然、それはティナに限った話でもない。
「ゲェ……テメー何しやがるこの駄肉女ァ!! その余分な脂肪を燃やして暖を──ムギュッ!?」
「フフッ、失敬」
「~~~~~~ッッッ!?」
いきなり発作を起こされてドレイクが怒らないはずもなく、セレーナのことを口汚く罵ろうとしたが、ティナが止めるよりも早く、セレーナ当人がドレイクを手掴みして、その豊満な二つの『駄肉』の谷間の奥深くに突っ込んでしまった。
皆がギョッとする中、セレーナだけは何故か悪戯っぽく笑っていた。というか、ティナにはどこか彼女が楽しそうにすら見える程だ。最初の内は暴れていたドレイクだったが、その内観念したのか静かになった。
【うわ、ドレイク君がおっぱいに食べられちゃった。羨まけしかりませんな】
──羨ま……セカイさん?
【なーに? ティナちゃんだって羨ましいって思ってたじゃない。欲しい的な意味で】
──それは!!……あの、その……。
【リオナの超やわやわでふわっとした殺人的おっぱいが、首筋のところに押し付けられてドキドキしちゃったんだもんね? あの時に色々歪んで──】
──なんでそんなに詳しく言うんですかぁ!
【ティナちゃん越しに感じたまま言ってるだけだもん。ていうか、リオナのおっぱいはアレどうなってるんだろう? 今思うと、身長はティナちゃんくらいだったのに、セレーナさんと同じくらいあったよね。あの感触は絶対に本物だったし】
──知りませんよ、そんなこと!
【鶏肉とかお豆さんなんか、何にとは言わないけど良いらしいよ♨】
──聞いてませんからぁ!
セカイがやたらと饒舌に乳房を語るのを聞いて、ティナは酷く赤面する他ない。何せオリヴィー抗争の最中、リオナに後ろからしがみつかれ、その際に首筋にこびりついた未だ残り続けている感触が原因で、色々と価値観その他諸々が変化してしまい、大きな乳房を羨むようになってしまったことがセカイに筒抜けになっていたのだから、羞恥でまた発作が起こりかねない程に感情的になってしまうのも、致し方ないと言える。ティナも歳の割には、かなり大きい方なのだが。
それはさておき。
「なるほどなるほど。確かに、パティの症状とよく似てる」
「気の毒にね……。今まで、大変だったでしょうに」
セレーナの冷静な分析、そしてパトリツィアから心底同情されて、ティナはようやく我に返る。
「……陛下も?」
「生まれつきね。ティナさんも、お父様かお母様に火のチャクラ持ちがいらっしゃいますね?」
「へ? はい、母が火の魔法使いです」
「やはり」
「あの。それと症状にどんな関係が……?」
ティナが疑問を呈すると、「少し専門的な話になるけれど」と前置きし、セレーナが解説を始めた。
「普通、持って生まれるチャクラは無作為なもの。親が『火』だったとしても、子は『水』だったりする。けれど、無作為ということはつまり、親と子のチャクラ属性が一致する場合もあるということ」
「偶然に、ですか?」
「ええ。そして親のチャクラと子のチャクラが一致している場合、子の魔法的才能は高まる性質があることが確認されています。力の弱い精霊との契約、あるいは微量のチャクラでも爆発的な魔法を行使したりする。ところが、これが良いことばかりでもない」
「……魔法使いの身体が悪くなる?」
「身体、というよりは『エーテル体』の問題です。溢れ出るチャクラの制御が利かなくなる、症状に気を病んでしまう程度ならまだマシ。才気ある魔法使いの美味しいチャクラを精霊が喰い過ぎて、意識のチャクラや、果てはチャクラの削れ出るエーテル体そのものに手を出されてしまったりしたら……」
「したら、どうなってしまうんですか?」
「二度と目を醒ますことはない。肉体が生きていても、栄養を補給することができない以上、いずれ衰弱死してしまうでしょうね。実際、エーテル体やチャクラの研究が未発達だった頃は、そういう魔法使いが後を絶ちませんでした」
セレーナが次々に語る事実に、内側で黙って聞いていたセカイさえも震え上がっているのを感じた。
どうやら、様々な要因で魔法的な才能に優れた人間は、往々にしてティナが味わっているようなチャクラ周りの症状に苛まれ、心身に不調をきたすらしい。しかも、そのまま放置し続けていたなら、悪くすれば本当に死んでいたかもしれないというのだ。もしもあの時ジーリオが立ち聞きしていなかったらと思うと、背筋が凍りつくようだ。
【……やっぱ、話しといて良かったね】
「はい……本当に」
『なんでも相談してみるものだ』。そう思わずにはいられなかった。
しかし、それだけではティナの症状を説明できない。
「ちょっと待てオイ」
「──!」
セレーナの柔肉に沈んでいたドレイクが、それを押しのけて顔だけ外に出し、彼女の推論に待ったをかけた。
「俺ちゃんはティナと違って、そんな大食らいじゃねーぜ。分を弁えているばかりか、たまにチャクラ抜かれるしよ」
「大食らい言わないで!」
ティナが口の減らないトカゲに恥を晒されたのはともかく、ドレイクはなんだかんだでティナの良き友人。こんな急を要する際に嘘を吐いたりはしないだろう。
「そうなると、疑うべきなのは別の要因。例えば先に話したような、チャクラが親から引き継がれる現象だとか。パティはこれが該当します」
「王家は変な家系みたいでね。一席に言われたことが気になって調べたんだけど、どういう偶然なのか、水のチャクラ持ちが少なくとも八代は続いてるんだって。ミケェラ大お祖母様以前のことは丸っきり分からないから、もっと長いかもしれない。ティナちゃんの家はどう? お母さんが火のチャクラ持ちなんだよね?」
「はい。けど、祖父母に火のチャクラ持ちがいたという話は、聞いたことがありません」
「では、それも考えづらい。他に何か心当たりはありますか?」
セレーナにそう問われても、ティナは特別考えあぐねるようなことはなかった。何故なら、原因については心当たりどころか、ほとんど確信を持っていたからだ。
「……はい。一つだけ」
この期に及んで話すのを渋る程、ティナは馬鹿ではなかった。




