第三章-45『未熟者』
「はぁっ……はぁっ…………んっ……!!」
一方、その頃。思わずキヨシを拒絶して離れていってしまったティナは、人気のない運河のほとりで呼吸を荒げ、自分の内から這い出てこようとする甘い衝動を抑えつけようと苦悶していた。
「おいティナ、大丈夫か?」
「へ、平気……くひっ!?」
「ブヘッ!?」
ドレイクに話しかけられ、ほんの少し気が緩んだ瞬間を逃さず、抑え込んでいたチャクラがティナの心身を蝕む。それはドレイクにも伝播し、暴発した魔法となって口から吹き出した。だから運河にやってきたのだ。ドレイクの火は燃やすか否かを選ぶことができるが、暴走しているとなると何があるか分かったものではないから。
そして、この発作に苦しんでいるのはティナとドレイクだけではない。
「セカイさん……大丈夫です、か?」
【自分の心配、した方がいい……よッ】
「わ、私も大丈夫です。少し吐き出したら、楽になってきましたから……うぅっ。ゴメンね、ドレイク」
当然、身体を共有しているセカイもまた、同じ感覚を味わっているのだ。
きっかけは、キヨシの推察通り『国民を実験台にする可能性』を考慮した発言をしたこと。それがドレイクの不用意な発言で決定的となり、ティナはオリヴィー抗争の後遺症を発症してしまった。この後遺症はティナを常日頃悩ませていた事柄であり、当人もアティーズでの生活の中で、自分にできる対策をしてはいたものの、
【何回も波が来るようになっちゃってるね……。アティーズに来てすぐの頃は、一回治まったら次の日までは平気だったけれど】
「朝、起きてすぐにちゃんと抜いてきたのに……昼を回る頃にはもう……」
【しんどいよねぇ】
「すみません。セカイさんにも辛い思いばかりさせて……」
【いや……まあ。私は正直、そんなに嫌じゃないんだよね】
「へ?」
【ほらその、ね? もちろんちょっと苦しいよ? 熱くって、ヒリヒリするし。けど、やっぱり……気持ちいいし】
「あー……」
【ゴメンね。ティナちゃんはそんなこと言ってられないのに】
「いえ……」
セカイの発言に、ティナは怒るどころか共感すら抱いた。『気持ちいい』と、ティナも思っているからだ。
それを皆に隠し、時間が経つにつれて重症化し、発作の感覚が短くなってしまっていた。アティーズ到着からしばらくは、日に一回あるか無いか。それが一週間、そして一月と過ごしていく間に日に一回、そして今日に至っては二回と、悪化の一途を辿っていた。
意図せず巻き込まれてしまったセカイに謝罪をするティナだったが、セカイも隠し事をせず正直に自分の気持ちを伝えた上で、謝罪を返す。誰にも秘密にしていることだが、セカイやドレイクといった秘密を共有できる人がいるというのも不幸中の幸いか。
しかし、『秘密にしている』のが一番の問題。
【ねえ。やっぱり皆に話した方がいいんじゃないかって、思うんですけどもー……そんなに辛いんならさ】
「うぅ。やっぱりそう思いますか?」
「ッたりめーだァ、バカタレ。病気してんのに医者にかからねえってのは、筋が通らねえし頭悪いぜ」
【ドレイク君、言い過ぎ。ティナちゃんは、心配かけちゃうのが嫌なんだもんね? 前にも言ったけれど、気持ちは──】
「それもあるんですけれど……」
【他に何か?】
キツい言い回しでティナの煮え切らない態度を指摘するドレイクを制し、セカイはティナの心情を慮り、諭すつもりだったようだが、ティナには別の理由があった。
「キヨシさんが、肩の痕を隠してるじゃないですか」
【……えーっと、つまり?】
「へ? いえ、ですから。キヨシさんだって自分の怪我を大したことない風に振る舞って、無理して頑張ってるのに……」
【もう……きー君さえ素直になってくれたら、ティナちゃんがこんなこと気にしなくて済むのになー】
以前キヨシは飛行機の開発に際し、『一人が過剰に頑張ると、周りも同じだけ頑張るのを強要される』という旨の発言をしていたが、この状況はまさにその通りの状況と言える。マルコの提案を受け入れた形ではあるし、その提案自体も一理あるものだったが、それは隠そうとしている相手にバレていなければ、という前提条件付きのものだ。このようにバレてしまった場合、尚且つバレた相手が優しかった場合、頑張っている相手に合わせなければという義務感が生まれ、正すために触れることもできず──そんな悪循環が出来上がってしまう。
これがどうしようもなく難儀なのは、異世界も現代社会も変わらないらしい。
「なるほど」
「ぴゃあっ!!?」
酷く落ち込んだティナの耳元で、囁くように発された第三者の声に悲鳴を上げた。
「ジ、ジーリオさん!? いつの間に……その、立ち聞きしてたんですか?」
「はい。申し訳ありません」
「正直!?」
「王宮の使用人は嘘を吐きません。また、秘密の他言もしません」
「は、はあ……」
ティナは羞恥と困惑、そしてジーリオが『他言しない』と明言してくれた安堵で脱力し、その場にへたり込んだ。とはいえ、秘密を知られてしまったことに変わりはない。
「それよりも、です。チャクラに異常が起こってしまっているようですが」
「はい。最初は一日一回あるかないかだったんですが──」
「ああ、いえ。病状は私にではなく、セレーナ様にお話ください」
「な、何故セレーナ様に?」
「おっと……失礼致しました。これは提案なのですが、その秘密をセレーナ様に打ち明けてしまうというのはいかがでしょう。きっと力になってくださると思いまして」
「マジか。アイツ──あのお方はティナの病気をお治しになることができますでございますか?」
「もう……」
ヘタクソにも程があるドレイクの謙譲表現にティナが呆れ果てる一方で、ジーリオは何のそのといった調子で口元を抑えて笑う。
「エーテル体専師程ではないそうですが、当人からこの手の病状の対症療法を学んだとのことです」
「対症療法、ということは……」
「ええ。セレーナ様どころか、マノヴェル様ですら根治はできませんでございます……フフッ」
「ダメじゃねーか──ギュッ!?」
「しかし、日常生活に支障が出ない程度に症状を軽減できることと思われます」
ドレイクをいつもの如く制裁するのはさておき、何を根拠に言っているのやらさっぱりだが、ジーリオはティナの症状及びその対症療法に心当たりがあるらしい。
「もっとも、秘密をセレーナ様に公開し、治療を望むなら……ですが。抵抗があるようでしたら、これはここだけの話と留めておくことも構いません。ただ……無理強いはしませんが、職場の上司としては治療を勧めます。その発作が業務に支障をきたす可能性を考慮すると、ね」
「あ……」
とはいえ、それを抜きにしてもジーリオの言うことはもっともだ。ただの友人ならともかく、二人は王宮勤めの上司と部下という関係。上司としては、病気の治療を勧めるのは当然と言える。奉仕しているのが王宮で、何人もの同僚がいる職場では特に。今のティナを勤め人の目線で評するなら、『病気を隠して無理をして、いつか倒れて人員に穴を空けるだろう困った部下』──そういう風に評さざるを得ない。
ティナの中途半端な秘密主義が、揺らぎ始めた。
「えっと。キヨシさんたちには──」
「喋らなければよろしい?」
「はい。セレーナ様にもお話しますので、何卒……」
無意識的にとはいえ、人様に迷惑をかけるところだったのは事実。秘密にするだけならまだしも、治療すらしないというのはセカイやドレイクにも悪い。ティナは自分の姿勢を素直に正し、改めるだけの器を持っているのだ。
【私、きー君は大好きだけどさ。ティナちゃんのこういうところは、大いに見習うべきだと思うなー】
「うわ! セカイがキヨシの奴を貶すとか、明日は大雨だ!」
【貶してなんかないもん!】
「ドレイク、いい加減にしなさ──ひゃうっ!?」
「ブヘッ!?」
不躾な言動を繰り返すドレイクへの怒りがトリガーとなって、本日三度目の発作。ティナの暴走したチャクラがセカイをも蝕み、ドレイクに伝わり、魔法の炎となって吐き出され──
「──ッ!」
「……!? ジーリオさん!!」
間の悪いことに、目の前にいたジーリオが白き炎の直撃を被った──が。
「ふうっ、危うし危うし。お加減はいかがでしょうか?」
「あ、いえ……」
ジーリオは煤一つない綺麗なままで、前を防御するのに使った水の塊を辺りに散らす。どうやら、水の魔法を咄嗟に発動して防御していたらしい。しかし、ティナが真に驚いていたのはそこにではない。精霊の炎の直撃を受けて怒るどころか、完璧に防いだ上でティナの身を案じてみせるジーリオの態度に何より驚き、『これが大人というものか』という一種の尊敬の念すら抱いていた。
母親とはまた違った、魅力ある大人の余裕──自身の未熟を実感したばかりのティナが憧れを抱くのも、無理からぬことだ。
「よろしい。それでは、ご同行願います。丁度頃合いですので」
「頃合い……? どちらへ?」
そんなティナから向けられた憧憬もどこ吹く風といった調子で、ジーリオは何やら謎めいた物言いをしながらティナを手招きする。何処へとティナが問うと彼女はにべもなく、
「陛下の寝室でございます」
「はい!?」
『信じられない』──ただただ、その一言に尽きる。
何せどこへ連れて行かれるのかと思ったら、事もあろうにパトリツィアの部屋へ案内されるというのだ。何の因果があって? 訪ねるのならセレーナのアトリエとかでは? というかそもそも、立場上不法入国者を国の長の部屋に通すなど、無警戒にも程があるのでは?──などと言った疑問が尽きないまま、ティナたちはジーリオに誘われるままに歩き出したのだった。
──────
「んあ゛あ゛あ゛あ゛~~~~気゛持゛ち゛い゛い゛ぃぃぃ~~~~~」
「アティーズの王女が、そんなだらしのない声を上げるんじゃありません。全く……」
──ええ~~~~~~っ!!?
通された先で、再び同じ感想を抱くことになると知らないまま。




