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ペンでセカイは廻らない~魔法の石を生み出す力を得た青年が、二重人格少女と冒険する話~  作者: 洞石千陽
第三章『キャストユアシェル─殻を破ったそのあとで─』
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第三章-43『大検閲』

「が……ハッ…………!!」


 キヨシは自分の首の骨が軋んでいるという、身の毛もよだつような感覚を味わっていた。


 キヨシのウンディーネに対する狼藉、その際の身のこなし。分かっていた。ジーリオが、ドッチオーネ空賊団の下っ端辺りとは比べ物にならないくらい強いことくらいは。これぞ、彼女が使用人のリーダー以外に、王女パトリツィアの侍女も兼任している理由。ボディガードも兼ねているのだ。


 ジーリオの早とちりと誤解─とは言えない状況だが─を解こうにも、首を絞められていては喋ることもままならない。まさに絶体絶命。


「ウリャアッ!!」


「ッ!!」


 セカイがジーリオの横合いから飛びかかって引き剥がそうとするが、接触する寸前にジーリオはキヨシから離れ、床を蹴り軽快なバックステップを決めて距離を取った。彼女はセカイが扱う『騎士団長の手管』について把握している。対策は完璧だ。


 が、セカイは追撃を加えるつもりなどない。そもそも、交戦の意思や敵意の類は全くないのだ。


「ジーリオさん、ゴメン! けど話を聞いて!!」


「何を!」


「えっと、えっと! 私たちにも何がなんだか分かんなくって! それで──」


 説明を求められても、セカイはまごついて上手く話せないようだ。もっとも、唐突且つ意味不明な出来事が重なっているせいで、セカイでなくても説明は困難だっただろうが。


 このお互いに出方を探る膠着状態を切り裂く、低い羽音がジーリオの背後から響き渡る。


「……こ、これは! ジーリオ殿、この有様はッ!」


 ──ブルーノ……!


 契約者の異変を察知したらしいブルーノが、すっ飛んで駆け付けたのだ。


「二人共……事情を聞いてくれ。俺はただ──」


【キヨシさん、ダメ!!】


「ッ、ティナちゃん? 何か考えがあるのか? 二人にも聞こえるように話してくれ」


【いえ……聞こえてはいけません】


 キヨシが先程、アトリエのメンバーに話したように事情を説明しようとするのを、ティナが制止した。普通なら邪魔されて『なんだよ』と悪態の一つもつきそうなところ、ティナに限って考えなしなんてことは有り得ないと知っていたキヨシは、表に出るように促しつつ説明を求める。が、ティナはそれを拒んだ。


【考えてみたんですけど……皆が気絶する前の会話は、『マノヴェル様に歴史について聞こうと提案した』という部分が共通してるんじゃないかって、思うんです】


「あ……」


【恐らく、今ジーリオさんに事情を話しても、結果は同じです。そうなると、皆が……特にセレーナさんが起きるまで待って、本人に潔白を証明してもらった方がいいと思うんです、けど……】


「……起きるって確証は?」


【昨日、マルコさんが眠ってしまっていたのも同じ理屈だとしたら。間もなく誰かしら目覚めるのではないでしょうか】


 ティナが遠慮がちに語った意図は、まさしく核心を突くものだった。


 確かにティナの言う通り、言われてみればセレーナたちと話したときも、アトリエメンバーのときも、マノヴェル絡みの話をした途端に皆、様子がおかしくなっていた。今にして思えば、昨晩マルコが任務遂行中に寝落ちしていたのも、キヨシたちが話しているのをちゃんと聞いてしまっていたが故にそうなってしまったのだろう。


 無論、確証はない。しかし現状、全てのケースにおいて当てはまるのはこれしかない。


「ん……」


「ッ! キヨシ、セレーナさんが!」


 直後、推測が当たる形でセレーナが気怠げな声を漏らしつつ目を覚ました。キヨシたちが慌てて駆け寄ると、セレーナはまだぼうっとした様子で目を擦り、


「あら……? 寝ていたのかしら?」


「寝てたなんてもんじゃなかったぜオイ! 大丈夫ですか? 気分は?」


「? ええ、そんなに酷くはないけれど……」


「よかった……起き抜けに申し訳ないんですが、アレマンノさんに事情を話して欲しい。この惨状、俺が疑われて当然だから」


 セレーナの言うことであれば、きっとジーリオは信じてくれるだろう。というか、最早頼るところがそれしかない。彼女に全てがかかっていると言っても過言ではなかった。


 が、キヨシの期待は無残にも打ち砕かれることとなる。


「話すって、何を?」


「何をって、さっきの話ですよ!」


「……というか、何故ジーリオがここに? あら、アマミヤ姉妹も?」


「な……に…………?」


 セレーナの発言と、現状及び一行との間にある認識の齟齬。


 キヨシも、ジーリオも、人智を遙かに超えた現象が起こっていることを再認識した。


──────


「……俺たちが置かれている状況を、整理するぞ」


 早期に解散してメンバーのいなくなったアトリエには重苦しい空気が漂っていた。


「まず、俺たちの疑念は正しかった。セラフィーニさんたちも、ンザーロに──」


「キヨシさん、ストップ! また気絶しちゃいます!」


「おっと」


 すんでのところでティナがキヨシの口を塞ぎ、惨劇の再発生を未然に防ぐ。危うく振り出しに戻るところだ。


「……まあとにかくアレに、本来は気付けているはずだった……が、できなかった。というよりも、ほぼ間違いなく『気付けなくされていた』。どういうカラクリなのか分からんが、そこに辿り着けないように仕組まれてる。しかも、外部から知識を得ようとすると、無理矢理気絶させた上で記憶を奪う、なんて力技で検閲してやがる」


 倒れていた者は皆目覚め、意識を取り戻した。しかし、なんとその全員が前後の記憶をなくしていた。セレーナやマルコも例外でなく、姉妹がやってきたことも思い出せないようだ。


「……にわかには、とても信じがたいのですが」


「けれど、私たちが覚えていないことを、ジーリオが覚えているのは確かなのでしょう? 現場に偶然いなかったことが幸いしましたね」


「セレーナ様。それはそうなのですが」


「うーん……しかし、証明する方法もない。仮にリスクをおしてでもアレマンノさんに話したところで、その場では信じてもらえるだろうけど、すぐに忘れちまうだろうし……」


 そう、この仕掛けの特に厄介なところはそこにある。


 今回はジーリオが偶然退席していて被害を免れていたいたため、セレーナたちが覚えていない『姉妹がやってきてからの経緯』を覚えていた。だから、キヨシたちの言い分にも一定の信憑性が得られた。が、詳細を伝えることができない。伝えてもすぐに忘れられてしまうでは、文字通り話にもならない。


「僕が実験台となります」


「主殿……それはあまりに……」


 どうしたものかと唸る皆に、震える声で人柱を買って出たのはマルコだった。


「女性に、ましてジーリオさんにそんなことをさせるワケにはいかん。その点僕は、一度毒牙にかかった身だ」


「フライドさん。二度目も同じ結果になる……って保証はどこにもないんだぞ」


「無論、覚悟の上だ。個人的に確かめたいこともある」


 キヨシやブルーノの忠告に対しても、全く聞く耳持たない様子。この先何が起ころうとも受け入れるという覚悟は、少なくともキヨシには、その場のノリなどといった軽はずみなものではない、嘘偽りのない覚悟のように思えた。その覚悟の源泉は分からないが、キヨシに彼を止めることなどできはしない。


「……分かった。ただ、あくまで自己責任でやったということを、事前に直筆で書き残してくれ。セラフィーニさんたちも証人になる」


「感謝する」


 愛用のシャーペンをノックして渡すと、マルコは慣れない手付きで、何が起こってもキヨシたちを糾弾しない旨をサイン付きで書き残し、ジーリオに手渡した。受けてキヨシは、返却されたシャーペンをそのままカルロッタに手渡して、手帳に例の文言を記してもらう。


 そして、その手帳をマルコに手渡した。


「どれ……なるほど、そういうことか。これが君たちの意見?」


「ああ。それより、気分は?」


「今のところは──ッ!?」


 メモを読んだ直後は落ち着きを保っていたマルコだったが、すぐに頭を抑えて片膝をつく。キヨシが顔色を窺おうと覗き込むと、彼の表情からは遠のく意識を繋ぎ留めようとしているような気分が見て取れた。


 が、それだけではなかった。


 キヨシは言葉を失った。


「なるほど、そうか……やはり僕は──」


「ッ! マルコ!!」


 何を思ったかは計り知れないが、マルコの顔はみるみる内に悲痛な色に染まっていく。肉体的な痛みを堪えているような感じではなかった。明らかな悲哀、諦観、そして決して少なくはない怒りがまぜこぜになったような、見るに堪えない顔をしていた。マルコのこんな顔は見たこともないし、見たくもなかった。


 やがて目を伏して流れるように、駆け寄ってきた愛しのジーリオの腕の中で意識を絶った。


「……書面で伝えるのもダメか。第三の爆弾かよ」


 半ば分かり切っていたことだが、口語、書面の両方を完全に対策されているようだ。発生のトリガーも、十中八九ティナの推測通りだろう。


「なんてことを……王宮関係者にそんなことをしてる人がいるなんて……」


「いや、それだけとは限らないかもしれない。見ろ」


 キヨシは、すぐそばの彫像の台座から、眠っている猫のデシローを抱き抱えて連れ戻る。この一連の流れだけ切り取っても、明らかに奇妙だと皆気付いていた。


 本来猫というのはとても警戒心の強い生物で、眠っている間に近付かれるだけならまだしも、こうして突然抱きかかえられようものなら、どんなに人懐っこい猫でも起きて周囲を窺い始めるものだ。


 だが、デシローが目を覚ます様子はない。ティナに渡してやっても、身じろぎ一つ起こさない。


「デシローさん……? ま、まさか!!」


「ああ。デシローだけじゃねえ。アトリエ内にいた猫が何匹か、死んでこそいないが突っついても目を覚まさない。第一、アトリエの連中が全員、王宮と深く関わり合いになっているワケじゃない。奴隷だっているし、セラフィーニさん目当てに外から来てるだけの奴だっているんだ。恐らく、この大仕掛けの効果範囲は王宮関係者だけでなく、全国民……いや──」


 キヨシはこれから自分が言おうとしていることの深刻さに、心胆寒からしめられた面持ちで、こう結んだ。


「アティーズ国内の、全ての生物だ。猫のように人語が理解できない生物だろうが関係なく、無差別にやられてる」


「ッ────!!」


 恐るべき結論。どういう仕組みかは計り知れないが、アティーズの歴史に関する事柄を誰かが意図的に検閲しているのはほぼ間違いない。戦争に関する記憶や、建国当時の歴史についての記録が曖昧だったのは、こういう理由からだったのだ。セレーナのような知識人がそれに気付かなかったことを鑑みるに、疑問を抱くことも許されていない。思考が誘導され、万が一誰かから教えられても記憶を奪われて潰される。しかも影響範囲が人間以外にも及んでいるという徹底ぶり。これでは手も足も出ない。


「道理で誰も疑問を持たないはずだ。疑問を持つこともできないんだ。ヴィンツよりもタチが悪いぞ」


「ヴィンツ……まさか五百年以前の歴史も、そういうやり口で検閲してるんじゃ!?」


「それはない。もしそうなら、考古学者なんて一人も生まれないはずだ。それに、お前も戦争の記憶はすっぽ抜けてるとは言ってたけど、この検閲の対象にはなってない。お前の存在そのものが証拠だろう」


「……それは、そっか」


 これまでキヨシたちは、戦争についての記憶が曖昧になっていることについて、『五百年以前の歴史』とそっくり、といった印象を受けていた。だが、元々ヴィンツェストの国民であるティナやカルロッタには、この仕掛けは通じていない。


 この件に関して、ヴィンツェストや創造教は関わっていないと考えるのが自然だろう。


 逆に言えば、このアティーズという国そのものに、何か巨大な闇──陰謀が巣食っているのが確実視されるということだが。


「馬鹿な……しかし、こんなことが……」


「フライドさん……」


 誰もが動揺を隠せない中、特別にショックが大きかったのは、目を覚まし、自分で書いた誓約書を片手に震えるマルコだった。


 酷く顔を青くして、焦点の定まらない目で何かをブツブツと呟く彼の様からは、いつもの勇ましく職務に忠実な男の見る影はない。


「マルコ。気分が優れないのでしたら、席を外していただいても結構です。監視の任は、私が一時的に引き継ぎましょう」


「……ジーリオさん。すみませんが、お言葉に甘えさせていただきます。ブルーノ、使用人の皆様に伝えてきてくれ」


「御意……では、皆様。我等はこれにて……」


 ジーリオの心遣いにより、マルコはおぼつかない足でブルーノと共に退室していった。


「マルコさん、大丈夫かな……」


「無理もないでしょ。知らずしらずの内に、頭を弄くられてたってんだからな。気分悪くもなるわ」


 マルコの寂しい背中を目で追うティナと、この上ない不快そうな顔で吐き捨てるカルロッタ。特にカルロッタは創造教の弾圧という形で情報や知識を抑圧された環境に、嫌気が差して亡命した人間だ。一種のシンパシーのようなものを感じているのだろう。 


 だが、マルコのあの表情の理由は、本当にそれだけなのだろうか──キヨシにはそう思えてならなかった。


 とはいえ、今一番重要なのはそこではない。マルコには厳しいようだが、当人に頑張って乗り越えてもらう他ないだろう。


「で、どうすンだ?」


「……どうするって?」


「どうってテメー、オリヴィーのときみたいに首突っ込むのかって話だぜ」


「当ッ然!! やった奴探し出してブチのめすぞッ!!」


「うわ、ビックリしたァ。しかし、そうは言うけどカルロよォ。ちょっと話がデカ過ぎやしねえか? 前みたく寄り道ついでにやれるようなのならともかく。大体、俺ちゃんたち、そんなこと勝手にやっていい立場か?」


 問題はドレイクの言うように、当事者となったキヨシたちがどうするかだ。今回の場合、オリヴィーの時のように、街に寄生しているチンピラ風情を叩き出すのとは話の規模が違う。国民全体がこの検閲を受けているとなれば、今度は国全体を巻き込んだ騒動となるのは間違いない。


 カルロッタは反論すべく何かを言おうとしたようだが、シンプルながら完璧な理論武装を前に何も言えなくなってしまったらしく、忌々しげに歯噛みする。その忌々しさがドレイクに向けられたものではないのは、誰の目にも明らかだ。


 そして、カルロッタはキヨシの顔をある種期待の入り混じった目でじっと見つめてくる。釣られるようにティナとドレイク、そして何故かセレーナたちも。


 当然困惑はした。しかし、キヨシは悩まない。


「誰が何故こんな真似をしたのか知らんが、『俺たちには関係ない』で素通りはできないぜ。これを放置して、真っ先に疑われるのは俺たちだ。そして、俺たちは曲がりなりにも王宮関係者で、唯一この仕掛けの影響を受けない人間なんだ。それにまあ……ドレイクの言う通りだ。これは寄り道じゃねえ。アティーズは、これから末永く世話になろうって国なんだ。見て見ぬ振りってのは、寝覚めが悪いや」


 そう。今回はオリヴィー抗争のような寄り道ではない。


 アトリエ門下の皆ももれなく記憶が飛んでいるのもあって、セレーナが事態を察して誤魔化し、内密とするのには、そこまで苦労はしなかった。彼らはセレーナの言うことは信じる。しかし、人の口に戸を立てることはできない。事は噂となり、少しずつ広がって露見するのは時間の問題。そうなると、キヨシたちが疑われるのは自然の成り行きと言える。全くもって不都合極まりない。


「犯人は必ず見つけ出す。そして事の次第によっちゃ、やっつけて王女の御前に引きずり出してやる。それが俺たちへの疑いを晴らすことにも、信頼を勝ち取ることにも繋がる。飛行機の件は、色々決まるまでに時間がかかるだろうからな。やっちまおうぜ、お前ら。俺たちの安住の地は、俺たちで勝ち取るんだ」


「あはは……なんだか言い方が」


【まーまー。結局アティーズのために頑張るってことなんだし、いいんじゃない?】


「まあ、それはそうなんですけど」


 打算的、利己的な面が全くないワケではない。それでも、キヨシは仲間たちを、そして己自身を鼓舞するように声を上げる。


 『アティーズを助けよう』、『アティーズを守ろう』と。


「……とまあ、勝手にこっちで話を進めてるけれど、議会員的にはどう思います? オリヴィーの件は、一度偉い人に介入を拒まれてから、なんとか見て見ぬ振りをしてもらったってのが実情だったからな。ぶつかり合いになる前に、意見を聞いておきたいな」


 無論、キヨシたちは『利益』や『義憤』のために動こうというのだが、一行の立場上、あまり派手に動き回ったりするのは許されない。そこも、ドレイクの言う通りだ。


 姉妹が本当に伺いを立てるべき相手はキヨシではなく、セレーナなのだ。


「……構いません。全てが明らかになった後の対応については、議会(こちら)に任せて頂きますが、介入できるのは貴方たちだけ。議会員も国防兵たちも、そして陛下すらも、影響下にいるでしょうから。マルコは事態を把握しましたので、引き続き同行してもらいます」


「消去法ってワケですね」


「恐れながら。しかし、貴方たちを信頼したい気持ちがあるのもまた事実。それだけは何卒」


 カルロッタがセレーナに見えないように身体を捻って、グッと拳を握っていた。


「おし、お墨付きも得た。フライドさんが落ち着いたら、早速動こう」


 事ここに至るまで、キヨシたちは様々な意味で且つ数々の受難に見舞われ、どうにかこうにか乗り越えてきた。


 しかし、全ては前座に過ぎなかった。


 キヨシはそれをこれから嫌という程、実感することになる。

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