第三章-42『やぶ蛇』
「お客様?」
「ああ、ロッタが昼くらいにやってくると思う。突然で悪いんだけど、よろしいですかね? セラフィーニさん」
翌日。
キヨシはアトリエにて猫のデシローを撫で回す傍ら、約束通りにカルロッタ来訪を事後承諾にならないように伝える。
「カルロッタさんが? それは構いませんが、何故ゆえに? アトリエに参加したいというワケでもないでしょう」
「ちょっと色々と聞きたいことがあるんスよ。アイツも俺も」
「ちなみに、どのような?」
「来てから聞きますよ。いない間に疑問を全部消化したとあっちゃ、最悪張り倒されるかもしれんしな。昨日すぐに質問しなかったのは、そういう理由からでもある」
「あらら、そうだったの。今からでもジーリオに頼んで、お茶とお菓子でも持ってこさせ──」
「持ってきました」
「おわッ、アレマンノさんいつの間に!?」
「恐縮です」
「流石ね、ジーリオ。誰から聞いたの?」
「ティナから伺いました。特に頼まれたワケでもないのですが、こうなるかと思いまして。すでに外に台車で置いてありますので、いつでも」
──どこぞの破廉恥ドクターみてえだな……。
セレーナが依頼するより早く、いつの間にか茶と菓子を持ってすぐそばにいたジーリオに、キヨシが一番驚いた。考えてみれば、以前セレーナは『ジーリオは有能過ぎる』とかなんとか言っていたし、彼女からしたら日常茶飯事なのかもしれない。
「セレーナ様。お客様が来るの?」
「ええ、使用人のカルロッタ様がお見えになられます。アイーダは特別と接点がないでしょうけど、失礼のないようにね?」
話を聞きつけたらしいアイーダがセレーナから忠言を受けると、何故かキヨシの方をじっと見て、
「カルロッタって、使用人のアマミヤちゃんのこと? キヨシの友達だよね」
「ああ、アトリエによく来るのは妹のティナの方。カルロッタってのはその姉だ。友達ってのは正しいけど」
「……増えた」
「何が?」
「前々から思ってたんだけどさ。キヨシの周りって、女の人ばっかりじゃない?」
「な、なんだオイ突然」
神妙な面で何を言い出すのかと思いきや、全く想像していなかった方向から矢が飛んでくるような話が展開されて、キヨシは激しく狼狽えた。
「言われてみれば、そうかもねえ」
「セラフィーニさんまで、何を言い出すんスか」
「アマミヤ姉妹を始めとして、ジーリオもそう。アイーダも、私から見たらキヨシの友人の一人には見えますし。かくいう私も、割とベッタリな自覚はあるもの」
「あるなら少し離れてもらえます? この際だからハッキリ言うけど、たまに近過ぎて色々困るときあるんだよな」
「やあよ。貴方といると退屈しないんだもの」
──これだぜ。
しかも傍で聞いていたセレーナも何故か楽しげに話にノッてきて、キヨシは頭を抱えそうになる。この一週間そこそこ、アトリエでよろしくやってきたキヨシだが、セレーナとの付き合いに苦慮する場面というのは、かなりの頻度で見受けられた。
何に苦慮するって、物理的な距離が凄まじく近いのだ。
褒めるにしても、戒めるにしても、彼女はとにかく目のやり場に非常に困るドレスで、キヨシに対して密着しないまでもグイグイ来る。それこそ『わざとやってるんじゃないか』と思うくらいには。嬉しくないのかと言われれば嘘にはなる。キヨシとて男だ。平静を装いつつも、耳を赤くして横目でチラチラ見る──のを、必死に我慢するくらいは仕方のないことだ。
問題は、絵に集中できないこと。そしてその場にセカイがいた場合、ふくれっ面でくっついてきて、これまた絵に集中できないということだ。他のアトリエメンバーに不審者を見るような目で見られるという弊害もアリ。
「とにかくだな。アイーダさんが想像してるようなことはなんもないと思うぞ。というか、フライドさんの存在をガン無視してるぜ、その意見は」
「一応気を遣って、一定の距離を置いているつもりなんだが」
「そういう意味じゃねえよ」
「どういう意味なんだい」
「アレマンノさんにはおたくがいるだろっつー話」
「ほほう、それは一理ある話だな」
「はあ?」
「ジーリオ、もう少し愛想を持ちなさい」
遠巻きにキヨシを監視するマルコへ、ジーリオがいつもの如く素っ気なさ過ぎる対応をした直後、戸がぶっきらぼうに叩かれる音と共に、
「失礼しまァーす。おっと、早速集まってるわね!」
「カルロ、声抑えて! 皆、作業中なんだから」
「おっと」
同行するティナから小言を言われつつ、カルロッタが口元を抑えて入室してきた。入れ替わりでジーリオが退室する。恐らく、外に待機させている菓子を取りに行ったのだろう。
そして、アイーダが気を利かせて持ってきた椅子にセレーナが着席を促し、場は整った。
「話は大体聞いてますかね? すみません、突然押しかけて」
「いえいえ。私としても、貴女たちと関わっていくのは大変有意義に感じていますので」
「それはよかった。さてと、じゃ早速なんだけど……んー。何から聞こうかなァァァ~~~~ッ」
「ロッタ。何を聞くのも勝手だが、俺も奴隷労働があるから、始まる前に共通の疑問に関する話題を済ませたいんだけども」
「わ、分かったわよ。じゃ、単刀直入に……セレーナさん。昨日キヨシと話したときに、色々とこの国の歴史について触れたそうじゃないですか?」
「ええ、それが? 貴女も直接聞きたい、ということかしら」
「いえ、内容自体はキヨシから大体。けど、キヨシもアタシも、ちょっと疑問に思ってることがあって」
「ふふ、なるほど。キヨシが随分釈然としていない様子だったな、と思ってはいましたが」
「そう、コイツでも分かるようなことを、貴女が分からないワケないと思ったんです」
「カルロ!」
一言多いカルロッタをティナが窘めるのも他所に、カルロッタは意を決し本題に切り込んだ。
「セレーナさん。どうして国の成り立ちや歴史について、一席に聞かないの?」
「……何故?」
セレーナが怪訝な顔で放った返答に、カルロッタのみならずキヨシやティナも唖然とした。
「何故って……考えてもみてくださいよ、一席は建国時点でアティーズにいるんでしょ? だったらあの人に直接聞けば、国産みの賢者を始めとした色んな謎が明らかになるじゃない。こんな簡単なこと、貴女程の人が思い付かなかったとは考えづらいんだけど。それともただ単に、ヴィンツとは別方向で歴史を軽んじ──」
「素晴らしい!!」
「は?」
カルロッタが半ば呆れ気味で質問の意図を語る内に、セレーナの面持ちがみるみる明るくなっていき、最終的には呆気に取られるカルロッタに詰め寄って両の手を取り称賛した。
「なるほど、確かに……マノヴェル様はこの国の歴史そのもの。彼に聞くことで国の歴史はかなり詳細に明かされる、と。そういうワケですね、カルロッタさん?」
「え、ええ。まあ……」
「カルロッタさんの言う通り、お恥ずかしながら全く思いつきませんでした。革新的な発想と言う他ありません!」
「あ……? あ…………?」
傍で聞いていたマルコもカルロッタの意見を理解し、セレーナからは出来の悪い小説のような知能の低い全面肯定を受ける。当然、これを素直に受け止められた者など一人もいない。くどいようだが、こんなことにも気付けない無能揃いだなどとはとても思えないのだ。特に、セレーナに関してはそれこそ『わざとやっているんじゃないか』としか思えない。
しかし、セレーナはキヨシたちが抱いている疑念疑惑などどこ吹く風と言った調子で、
「こうしてはいられませんね。早速、一席を訪ねましょう。カルロッタさんも、是非同行して頂けるとありがたーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー」
「……ッ!!? 二人共下がれッ!!」
なんと、セレーナが突然エラーを起こしたコンピューターか何かのような、不気味な挙動をしだした。あまりの出来事に絶句する姉妹の前に立ち、キヨシが臨戦の構えを取ると、その内セレーナはフリーズしたまま動かなくなった。
ワケが分からない。何が起こっているのか、何故こうなったのか誰にも理解できなかった。ただ一つだけ言えるのは、キヨシたちの理解を超えたおぞましい何かが起こっている。ただそれだけだ。
「キ、キヨシ……皆が……」
「ッ──!?」
異常事態はさらに続く。カルロッタの引きつった声で辺りを見回すと、傍で話を聞いていたマルコとアイーダも、瞳孔が開き切った虚ろな目で、ただ黙って佇んでいた。緊張とほんの少しの恐怖で呼吸を荒げたまま、キヨシは二人の目の前で手の平を振るも一切反応がない。さらに、セレーナの方へと向き直って、彼女の肩をぽんと叩く。決して強くは叩かなかった。本当に、ただ触れるだけ。
セレーナは力なくその場に倒れ伏した。マルコとアイーダも続くように、その場に倒れてしまった。
ティナが口元を抑え、悲鳴を必死に押し殺す。
「おい、どうしたッ!!?」
「これは……セレーナ様! キヨシ、一体何を!!?」
この惨状を察知し、アトリエのメンバーたちが駆け寄ってきた。彼等の目に入ったのは、倒れ伏す師、同好の士、そして国防兵。そしてそれを見下ろす期待の新入り。
最初に疑われるのが誰かなど、明らかだった。
「ち、違う! 俺にも何がなんだか……ンザーロに国の歴史を聞いてみるようにと──」
「うぐッ……!!?」
「なッ!?」
慌てて誤解を解こうと、事情を話そうとした瞬間。
一人、そしてまた一人と、伝播していくようにアトリエのメンバーたちがバタバタと倒れていく。キヨシたちが愕然としている間にも、次々に意識を刈り取られ──
ついに、残るはキヨシたちだけになった。
「セカァァァイッッッ!!」
「もう出てる! きー君とロッタちゃんは後ろ! ティナちゃんも私と一緒に状況をよく見て!!」
【は、はい!】
明らかな緊急事態。さしものセカイも表に出てくる判断が早かった。三人背中合わせに周囲を警戒するが、これと言った状況の変化は起こっていない。
「……ドレイク。見てるな? 皆、どうしてるか確かめてくれ」
「ン……ああ。どれ」
ドレイクがセカイの足を伝ってすらすらと降りていき、芸術家の卵たちの顔を引っ叩いたり色々としだしたが、起きる気配はない。身じろぎ一つ起こさない。火のチャクラを持っていない相手でも、一切反応を示さなかった。完全に意識を刈り取られている。
「……ダメだ。どいつもこいつも、イッちまってるな」
「まさか、死──」
「うんにゃ、どいつも死んじゃいねえらしい。一人くらい、頭を打ったりしてそうなもんだがな。いやに丁寧な気絶だことってなもんだ」
「馬鹿な……なんだってこんな──」
「ちょッ、待って──きゃあッ!!?」
「ロッタ!?……ガハッ!!?」
刹那、カルロッタの悲鳴が響いたかと思うと、キヨシがそちらを向く間もなく、首筋に痛みが走り、何者かによって仰向けで抑えつけられた。そのまま首を絞められて、その上背中を強打してしまい呼吸が阻害される。朦朧とする意識、そして視界もぼやけていたが、キヨシを攻撃したのが誰なのかはすぐに理解できた。
「この惨状はなんです! 何をしたッ!!」
──お、折れ……ッ!!
一度退室し、戻ってきたジーリオが、キヨシを今にも殺さんという鬼気迫る形相で、襲いかかってきたのだ。




