第一章-12『ジャストアウェイク─キヨシのセカイ─』
「な、なんだ!?」
「一体何が起こっているッ!?」
「あのペンは、あの青年は!?」
「いや、それより少女だ! もしも本当に『騎士団長の手管』が使えるのなら、我々は──」
「馬鹿な、男の方が最優先に決まっている!!」
不可思議な事象に困惑する者、怖気づく者、必死に冷静さを保つ者。眩い光の中の騎士たちの反応は様々だったが、とにかく今の騎士たちに言えることは、己の理解を超えた事象にただ混乱しているということだ。
「と、とにかく最重要はあのペンだ! だが最優先とすべきなのは、それを邪魔するだけの力がある少女の方──グぶッ!!?」
乱れる隊をなんとか統率しようと声を上げた騎士の頭に、光の奔流の向こう側から拳大の何かが飛んできて、フルフェイスの兜─世界観を考慮すると『ヘルム』と言うべきか─をひしゃげさせる勢いで直撃し、昏倒しヘルムの外れた顔面に革靴の踵が景気よくメリ込んだ。一連の出来事があっという間に過ぎ去って、騎士たちは何が起こったのか理解できない。が、そんな中で一つだけ、確かなこともある。
白き光の中を駆け抜け、血で足を赤く染めた黒衣の男──キヨシと相対した騎士は、確かに見た。
「き、貴様……その右手、いや……『指』!?」
キヨシの右手に無くなったはずの人差し指が──黄金に輝く、無機質な人差し指が生えているのを。
キヨシが突き立てたペンは光になって霧散し、その代わりにフェルディナンドに飛ばされた右手人差し指が生えた──というよりは恐らくペンが『融合して』指になったのだ。
「……聞かれる前に言っとくけど、ハッキリ言ってなんでこうなったのか、というかそもそもなんであのペンを右手にブッ刺したのか、自分でも皆目見当つかないぜ。本能ってヤツに根差した行動だったのか、実は無意識で知ってるのか。まさか俺じゃない誰かの意思……とは思わねえけど」
「……何を言ってる」
「まあ何にせよ。テメエら……撃ったんだからな」
「は?」
「銃をあの子に向けて、撃った。『当たらなかったからノーカン』なんて、言わねーだろうな」
キヨシはゆっくりと、内からふつふつと込み上げる感情のままに、異形の指を騎士たちの方へと指して挑発する。きっと騎士たちはこの挑発に乗って、いっぺんに襲い来るだろう。しかしキヨシはまるで動じない。それがどうした、望むところ──いや、それどころではない。騎士たちは彼らを害した。自身を、ティナを、その姉であるカルロッタを、そして何より、今ティナと共にあるかけがえのない『彼女』を。
許すまじ──断じて許すまじ。
今のキヨシの原動力は、ただひたすらに『怒り』と『憎悪』だった。
「来い」
キヨシは足元で倒れ伏す騎士の顔面に、もう一発叩き込む。開戦の合図代わりだ。
ある一人の騎士が怯えたような叫び声と共に得物を振るが、恐慌状態だったためキヨシにはあっさりと躱される。少なくともキヨシは自分自身が何か変わったとか、得体の知れない力が漲ってくるとか、そういった兆候や気配は感じられなかった。ただ、勇気が湧いてくる──ただのそれだけ。
キヨシはすかさず、下がった騎士の顔面に向けて右腕を一振りし──
「ぐッ……!……?」
カリ、と。ヘルムの表面を引っ掻くように指で突いた。受けた騎士からすれば、ワケが分からない。指で突かれただけで、痛くも痒くもないのだから。が、キヨシはその一連の動作に確かな手応えを感じた。突いた先で、ではなく振った右手が空を切る際に、だ。
指先の軌道は何もない空中で線となって輝き、空間を走るように瞬く間に広がって輪郭を描き出す。そうして誰もが驚く暇もなく、キヨシと騎士の間の何もない空間に、走った線の通りに物体を顕現させ、
「あぐぁッ!!?」
空中に出現した物体はそのまま真っ直ぐ、キヨシの指差す方へとスッ飛んで行き、油断し全身を弛緩させた騎士の顔面で炸裂した。先の攻撃以上の威力だったようで、金属製のヘルムにブチ当たったその物体は、白く煌めいて砕け散る。その真っ白な物体のことを、ここにいる者たちはキヨシ以上によく知っていた。
顕現したのは、魔法の石──ソルベリウムの塊。
そのソルベリウムで敵を打倒した際指先に覚えた感触に、キヨシは覚えがある。ここ数年間幾度となく繰り返し味わった『ペン先が紙の上を走る』感触。即ち、『描く』という行為に伴う感触にとても似ている感じがした。なんとなくこの指がどういうものなのか、キヨシは朧気に掴みかける。
『何かを描いた軌跡に、ソルベリウムを生み出す能力』。キヨシはそう理解した。
「次」
キヨシは、あまりの出来事に呆然とする騎士たちを視界に捉え、あろうことか更なる追撃を加えようと単身騎士たちの戦列の只中へと突っ込んでいった。やっていることはといえば、子供のように右手を振り、多勢相手に無謀な突進をしているだけに過ぎない。
「うア゛アアッッッ!!」
しかし彼の指がその無謀を、不可能を可能に変えた。
その指をキヨシが振ると、軌跡がそのまま武器になるのだ。ソルベリウムを無尽蔵に生成し、一振りで複数人をいっぺんになぎ倒し、防御しようとすればその武装ごと吹き飛ばし、蹂躙する。動きは素人同然だが、それでもこの指のおかげで『戦い』が成立するという無茶が押し通されていた。
「調子に乗るなよ、このッ!!」
「ッ!!」
しかし、相手は訓練された国防の騎士。キヨシの指に宿った謎の力をもってしても、個人個人の力量には埋め難い差があった。無傷でいられるワケもなく、時折顕現物でも防ぎ切れない攻撃が身を掠める。
それでもなお、戦うことをやめない。それどころか勢いを増し、狂ったような雄叫びを上げながら進撃を続ける。幾多の傷を体に刻もうと、数多の武器が己に向けられようとも、ひるむことなく一人、また一人と捩じ伏せていく一騎当千の様は、口語や文章では『勇者』と見られるかもしれない。しかし直接目の当たりにした、とりわけ普通の感覚を持った騎士たちの目には、こう映った。
「こ……っの、『悪魔』めがァッ!!」
直後、背後より騎士からの反撃がキヨシに迫る。キヨシも察知できていたが、目の前で相手している騎士たちが巧みに立ち回り、対応をさせてくれない。力はあれど、結局のところキヨシはただの人間だ。やはり、一人でこの絶望的大勢をひっくり返すなど不可能──
「ねえ、きー君に何すんの?」
「き、貴様ッ、ひぃ!?」
では、二人ならば可能性アリか。
キヨシの背後を取った騎士のそのまた背後、栗色の髪の少女が騎士の肩をポンと叩くと、先のフェルディナンドと同じく、全身の力が失せてその場にドサリとへたり込んでしまった。少女が通ってきたであろう道には、『信じられない』といった表情の騎士がそこら中に転がっている。フェルディナンドの言う『騎士団長の手管』とやらで皆一様に力を奪われたのだ。
そして見下ろす少女の底なしに黒い瞳は騎士の心胆を寒からしめ、抵抗する心をも根こそぎ刈り取っていく。
「くっ……おおおおの、ガキィィィイイイッ!!」
「ッ──!」
だが、少女のその態度がただ神経を逆撫でするだけに終わり、逆上する者もいた。いきり立ち、少女の背後から剣を振り下ろそうとした大柄な騎士が、
「おい」
鎧をひしゃげさせて水平に弾き飛び、何度か地面を弾んで壁面に叩きつけられた。
「俺の友人に何すんだ」
酷使した右腕の疲労を払うように振りつつ、キヨシは少女の隣に立つ。
先ほどは少々乱暴に、『引っ込んでろ』とでも言うように後ろに放ったこの少女。しかし少女は機嫌を損ねるどころか、どこか悪戯っぽくニカッと笑って、
「後ろにいた方が、よかったかな」
「……そうだな。けどおかげで頭が冷えたし、考えてみりゃ、お前が後ろにすっこんでるなんて性分じゃないのは分かってたぜ」
「ピンポンピンポーン。よく分かりました!」
「当たり前だ……付き合い長いんだからな」
血が付いていない方の手で頭をポンと叩いてやると、少女は「えへへ」と締まりのない甘々な声を漏らす。この非常時に緊張感のないことだ。
だからこそ、安心する。守る守られるではなく、並び立ち共にあることこそがキヨシの望み。
腹を決めたキヨシが左半身を引き、変化した右人差し指を前に出す半身の構えを取ると、少女も左右対称で同じ構えを真似て並び立つ。万感胸に迫る、とはまさにこういう心地のことに違いない。
「んじゃ行こっか、きー君!」
「ああ行こうぜ、『セカイ』!」
彼女の名は『セカイ』。キヨシの最も親密な友人であり、世界を超えた探し人だ。
今この瞬間、キヨシの精神はこの世界に来て以来最も昂り、心には熱いものがこみ上げていた。
どういうわけなのか、キヨシの探し人であるセカイは、そっくりなティナの身体の内に別の人格として現れ、身体を乗っ取っていたのだ。今にして思えば、カルロッタと初めて相対した際のティナの高圧的な態度も、この前兆。あの時点ですでに、ティナの中に潜んでいたのだろう。疑問は掃いて捨てるほどある。身体は似ているだけの他人の物だし、齢十二にまで幼くなってしまっている。というかそもそも、なぜティナの中にいるのか? しかし、そんなことはキヨシにとってどうでもよかった。
重要なことは、自分の傍らにセカイがいるということだけ。それ以上はキヨシにはいらない。
ただそれだけを、自分の『セカイ』を守るためにだけに、いや、二人で道を切り開くべくセカイと共に──
「と、見せかけてぇー……とうっ!」
「ぐはッ!?」
セカイはキヨシの方に向き直り、キヨシの背中を突き上げるようにタックルをかまして足を浮かし、キヨシを肩に担いだ。そしてそのままクルッと百八十度ターンして、
「逃げよ♡」
「えっ、オイマジィ!?」
「ごめんね。私もあいつらは許せない。でも私もう、ちょっぴり眠いから」
「眠い……? おわッ!?」
全速力で駆け出し、騎士たちから遠ざかっていく。その脚力たるや大変なもので、一般的な成人男性以上の速度を、キヨシを担いで出しているのだ。
「というかちょっと待てお前! 俺、体重六十キロくらいあるぜ!?」
「うん、それで?」
「イヤイヤイヤ、だって六十キロの男を片手で担いでこんな速さで走るなんて、普通の女の力じゃあ──」
キヨシの疑問は、セカイの足元に着弾した銃弾によって遮られる。
「撃て撃てッ! 撃てェーーーーーーッ!! 我々に歯向かった者共、断じて逃がしてはなりませんッ!!」
『騎士団長の手管』の効果も切れたのか、いつの間にかフェルディナンドが立ち上がり、すでに魔弾がいくつも周囲を滞空している。若干口調が荒くなっているのは、それだけの状況ということか。他の騎士たちも号令と共に、逃げるこちらへと銃口を向ける。
だが、すでにキヨシの精神はその程度で動じるような領域にいない。
騎士たちの方へ向かって指を振って幾重もの白い壁を顕現させ、銃弾を遮蔽。魔弾も一つ目の壁を超えて以降は、次の壁に完全に防がれている。この指の扱いにも幾分か慣れてきたというところか。
「へっ、やっぱりな! あれは的の位置が分かること前提の技なんだ! 完全に視界から消えちまえば、あのビット攻撃みてーなのも役に立つまい!」
「おお、さっすがー! きー君信じてた! んじゃあ──」
と、ここでセカイの足が止まる。キヨシが体を捩って顔を窺うと、その視線の先には、
「ハア、ぐ、う……クソッ……」
苦悶を通り越し、虚ろな顔で今にも意識を飛ばしてしまいそうな女性──カルロッタが倒れていた。
カルロッタを見るセカイの表情は、付き合いの長いキヨシが見たこともない、ほんの少しだけ哀しみの入り混じった表情。
──ティナちゃん、か?
よく分からないが──ティナとセカイは何かしらの力で結びついていて、お互いに影響しあっているのかもしれない。突拍子のない仮説ではあるが、最早何が正常で何が異常なのかも分からない現状では、今更といったところだろう。
ともかく状態を察したキヨシは、カルロッタに至る道筋を示すように、指を振って遮蔽を作ってやった。
「ん、ありがと」
セカイは駆け足でカルロッタの所まで行き、もう片方の肩でカルロッタを軽々と担ぎ上げる。
「カルロッタさんだっけ? ティナちゃんのカンテラ、持てる? ていうか持って」
「……あ、ああ。それくらいは何とか」
「よし、跳ぶよ」
「跳ぶッ!? どういう意味……うわあッ!?」
なんとセカイは二人の大人を担いだまま四、五メートル跳躍し、峡谷の岩肌に着地。それをもう一度、二度、三度と繰り返し、どんどん峡谷を登っていく。先ほどキヨシはセカイのこの身体能力を『女の力じゃない』と称したが、それすらも遥かに超えて、
「に、人間の力じゃねえェェェーーーーーーッ!!」
「~~~~~~ッッッ!! 分隊長オオオオオッ! あの指は、いやあの二人は、一体なんだって言うんですかァ~~~~~~ッ!? 俺の手には負えないッ!!」
栄えあるヴィンツ国教騎士団の面々は、状況が理解できないばかりか何が正常で何が異常なのかすら判断ができない、一種の錯乱状態に陥っていた。
「分からないのは私も同じ! 喋っている暇があるならばただ攻撃せよ! 突撃せよッ! 銃撃せよ──ッ!!?」
その時、峡谷の最奥に影が落ちた。恐慌した騎士たちが天を仰げば、広がっていたのは星一つ見えない灰色の空──ではなかった。
ある騎士が、誰に言うでもなくぼそりと呟く。
「あ……主の御業、か……!?」
そして、『白い雨』が降った。
──────
巨大なソルベリウムの塊が降り注ぐ峡谷を見下ろしつつ、キヨシは鼻を鳴らして、
「プレゼントだ、ありがたく思えよな。高く売れるんだろ? アレ」
「えげつなーい。人間の力じゃないとか、きー君には言われたくないかなぁ」
やったことは、先の逃亡劇中にやったことと比べれば何でもない。ただやたらめったらに巨大なソルベリウムを複数個、顕現させて落としただけだ。それだけでも現場は大混乱、最早我々を追跡するどころではないのが、上からでも確認できる。
「なんでもいいから、もう降ろしてくれないか? ずっと担がれっぱなしってのはちょっと」
「ダーメ、きー君大怪我人なんだから」
「指なら生えたから平気だよ」
「あのさ」
キヨシとセカイの他愛無い会話に、憔悴しきってダウン寸前のカルロッタが口を挟む。
「アンタ……その、何? なんなの?」
「そーだそーだ、もうまるっきり意味分かんねえぞ」
困惑していたのは、何も国教騎士団側だけではなく、カルロッタやティナの服の下に隠れていたドレイクも同じだった。確かに事ここに至るまでにはカルロッタやドレイクの助力もあったが、それはあくまで場当たり的に対応しただけだ。結果起こっていることに関しては、理解を超えていたのだ。
返答に困り「あー」と腑抜けた声を漏らし、頭をポリポリと掻いてキヨシが口にした台詞はと言えば、
「まあ、何と言われれば……『異世界人』」
「あ?」
「もう信じる信じないはどうでもいい。あとでありのまま話すから、ここを離れようぜ。まだ安心できないからな。というわけだからセカイ──」
「ほいさっさ!」
「だから降ろせってェーの」
何はともあれ、こうしてキヨシたちは一人も欠けることなく逃げ遂せた。
初陣は、勝利と言って差し支えない結果で終わったのだった。