第三章-40『心当たり』
「あっはっははは! なぁに、それ!」
「うっせ! 笑わないでいただけます!?」
「キヨシさん。ダメですよ、目上の人に対してそんな口の利き方」
「あのさァ! もう人前で俺を叱るのやめてくんない!?」
「え? す、すみません。えっと、じゃあ次からは心でムッてやって叱りますから」
「周りに聞かれてるかどうか以外にも色々あんだよォ!」
講義が終わり、メンバーのいなくなったアトリエにて。
先程の使用人たちとのやり取りも含めた事の顛末をセレーナに伝えたところ、猫の下りで使用人たちと同じ破顔一笑を返された。さらに今のキヨシとティナのやり取りで、セレーナの笑いのボルテージは最高潮を迎え、最早収まるところを知らない。
しかし、そんなものは話の重要な部分ではないのだ。
「ウフフ……話が逸れましたね。猫については分かりました。私からも周知しておきましょう。さて、キヨシ。この度貴方は、議会員の承認なしに右手の力を使ったとのことですが」
「はい。大変申し訳ございません」
「僕の不手際も重なってのこと。僕にも、なんなりと罰を」
規則を破ったキヨシが謝罪するのは当然として、マルコも自身の不手際を認めて深々と頭を下げた。結論を急ぐ二人にセレーナは「怖がらないで」とでも言いたげな微笑みを投げかけ、
「まあ、経緯を鑑みるに、無理もないこととは思いますけれどね。ウンディーネ様を初めて間近で見る人は皆、大変驚きます。私もかつてはそうでした。本人はかなり悩んでいるらしいのだけれど……」
「本人? ちょい待ち。そういえばウンディーネ様は一言だって喋らなかったぜ。どうやって意思疎通をしてンですか? 実は仲良くないと喋らないとか?」
キヨシの疑問は当然だ。何せウンディーネは、表情や所作から見るに感情はとても豊かなのが窺える一方、声を一切発さなかった。自分の言葉を全く持っていなかったのだ。そんな彼女から、セレーナの言うような細かな心情を読み取ることなど不可能に思える。
が、実際のところはそうではないらしい。
「いいえ。今、一人だけ彼女と会話することのできる人物が、この国にいます」
「どちら様で?」
「思い当たるのでは? 意識のチャクラに長じた人物であり、物言わぬものの意思を感じ取れる男……この国唯一の、『エーテル体専師』」
ここまで言われれば誰でも分かる。
「ンザーロのじいさんか」
「そういうこと。しかし、一席はもうずっとあの調子ですからね……。きっと、ウンディーネ様も寂しがっているでしょう。専用の色水を使って文面上のやり取りはできますが、どうも無機質にとられてしまう。かつては、話せる人物ももう一人いたそうですけれど……」
「もう一人?」
「『ミケェラ』という名前に覚えはありませんか?」
「え? どっかで聞いたような……」
「初代の王妃だよ。前に僕から話した覚えがある」
「あ、そうだったそうだった。ということは、その人もエ──」
『エーテル体専師だったんスか?』と言いかけたのを、セレーナは手を挙げて制した。しかし、エーテル体専師でないとなると何なのか、キヨシにはさっぱり分からない。しかし、国民であるマルコや、魔法やらの事情に明るいティナには、その疑問の答えが理解できている模様。
ただ、落ち着き払っているマルコとは違い、ティナはとても驚いた顔をしていた。
「……もしかして、ミケェラ様は、ウンディーネ様と?」
「その通り。ウンディーネ様は、元々は彼女と契約した精霊だった……と、言われています。初代王妃ミケェラ・レ・アティージア。彼女が現在唯一明らかになっている、四人の賢者……あるいは、『国産みの賢者』の一角です。初代王のアットリオは、本当にただの人間だったそうだけれど」
「『国産みの賢者』……確か、前に議会でセシリオ様が仰っていた?」
「はい。ミケェラ様を始めとした、四大精霊との契約を果たしこの国を興した偉大な魔法使いたち。そういうワケで、ミケェラ様はウンディーネ様の意思を、一席以上に完璧に理解し──」
カルロッタがいないことが悔やまれるようなアティーズサーガをセレーナが語り、『国産みの賢者』なる存在について触れたその時。
「……へー…………」
キヨシは疑念を多分に含んだ表情で、気の抜けたような声を漏らした。当然、その感情はセレーナにもしっかりと伝わって、
「あら、以外に驚きませんね? というか、何か釈然としていない?」
「いえ、別に……」
「……──────」
キヨシは咄嗟にこう返したものの、含みがあるのはバレバレだろう。
この時、キヨシの中にある大きな疑問が生まれていた。ティナも上手く言語化できないまでも違和感を覚えたらしく、怪訝な顔を隠し切れていない様子。
が、この場で追及するのはやめておいた。相手が相手なだけに、下手に勘繰るとやぶ蛇になりそうな気がしたから、というのが理由の七割くらい。残りの三割は、こんな考古学者的には美味しい話を、カルロッタがいない場所で消化しきってしまうのが忍びないと思ったからだ。カルロッタの見解を聞きたいというのもある。以上が理由だ。
セレーナも、キヨシが黙ったのを見て咳払いをし、「まあ、ともかく」と話題を無理矢理転換した。
「私もできるだけ穏便に済むようには努めます。が、貴方個人を私が庇い立てするというのも良くない話ですし。多少の罰は、覚悟しておいてください」
「ええ、それはまあ」
「それとマルコ。貴方の処遇は私が決めることではありませんので、私から言うことはありません。罰を受けるなら、それに相応しい相手からになさい」
「はッ」
「では皆様。今日は疲れたでしょうから、もう部屋にお戻りなさい。手配したお医者様が目尻をヒクつかせながらお待ちです」
それぞれ処遇と一緒にくっついてきた別の情報を聞いて、キヨシは反射的に苦々しい顔をしてしまった。正直、こうなるんだろうとは想像していたが、鬼の形相の顎髭ダンディーを思い浮かべると、今から震えが来る。逃れることも敵わない。キヨシは観念してがっくりと肩を落とし、
「……やっぱり? しょうがないなあ、怒られてきます。ティナちゃん、一緒に来てくれ。俺一人じゃ荷が重い」
「はい、お供しますね」
【私もいるよん。お医者さんに色々言いたいことあるから、あとでまた身体を交代してね】
「それは構いませんけど──」
と、キヨシたちが去ろうとしたその時。
「あ、いけない。最後にもう一つよろしいでしょうか?」
「はい?」
セレーナに思い出したように呼び止められて、『これ以上気が滅入る話だったら嫌だな』とは思いつつもおくびにも出さずに振り返ると、
「ウンディーネ様と会った感想を伺いたいのですが」
キヨシは彼女の意図を測りかねて、ほんの一瞬だけ思考が完全に止まった。感想を述べろと言われても、漠然とし過ぎていて何を話していいやらさっぱりだ。遭遇の経緯と状況はすでに伝えてあるのだから、そういう話ではあるまい。と、考えたキヨシが最終的に出した結論は、
「え、まあ……デカかった」
「ではなく……」
「だよな。あー、アレだ。美人だった──痛ッて!」
【きー君の浮気者!】
「セカイさん、身体を突然奪わないでください……」
【にししッ、この間のお返しネ】
セカイの嫉妬はともかく、キヨシの答えはセレーナの求めていた種類の答えではなかったことは窺えた。容姿やらの話ではないとなると、あとはうっかりソルベリウム生成してしまう程に怖かった、ぐらいしか言うことはないのだが、そんなことはセレーナは承知しているだろう。そうしてキヨシが困り果てていると、ティナがはっとした顔で声を上げ、
「セレーナ様! ウンディーネ様は、その、えっと、んっと……」
「何か変わった様子が?」
「は、はい! なんだかあの子を……ドレイクをずっと気にしてたみたいだったんです」
「ドレイク……あなたの大精霊様ですね?」
そう、ティナの言う通り。確かにウンディーネは皆を平等に弄びつつも、最後には何故かやたらとドレイクを気にかけていた。キヨシは少し動転して忘れていたが、元々キヨシの方からセレーナに聞いてみようと思っていた事柄ではあった。が、しかし、少なくともセレーナの反応からしてみると、彼女もその理由については知らないように思えた。
ならば、と当人に心当たりがあるかどうかと問うよりも早く、ティナの制服の下からするりとドレイクが顔を出し、
「ああ。でけえツラ近付けてきてよ、俺のことじーっと見てたぜ。目線を合わせようとしたのか知らねーけど、鼻から下が地面に当たって広がってて、あの間抜け面ったら傑作でよォ」
「失礼なこと言わないの。あんなに怖がってたくせに」
「ち、違うもンねー! アレはお前、国の守護神的なアレの顔を立ててだなー……」
「いいから。何か心当たりはない?」
「今日初めて会った奴に、因縁付けられる覚えなんざないね」
これまた予想はしていたが、やはりドレイクにはウンディーネに気にかけられる覚えはないようだった。ドレイクが言うことももっともだ。
「なるほど。他には?」
「えっ」
頑張って振った話題が「なるほど」の一言でバッサリと斬り捨てられ、もっと膨らむものだと思っていたらしいティナは、想定外の問いに泡を食ってしまっていた。セレーナを始めとした皆の注目が集まる中で、ティナは目を泳がせながら「あの」とか「えっと」とか口ごもり、
「お、おっきくて美人さんでした!……あっ」
「……ぷッ! あっはは! キヨシと丸っきり同じ感想じゃないですか!」
「う、うぅ……」
「ケッ。もう髪の毛も白髪にしちゃえよ」
セレーナの笑いのボルテージは再び最高潮を迎え、キヨシに感化されていく主人が気に入らないらしいドレイクは、逆に心底ムカついた様子で吐き捨てた。完全に置いてけぼりとなってしまったキヨシはと言えば、なんとも言えない複雑な気持ちで愛想笑いをするくらいしかできなかった。キヨシとて、ティナが自分のような人間に感化されていくというのは、あまり良いこととは思えないのだから。
いずれにせよ、キヨシたちは恐らくセレーナが期待していた答えを話すことはできなかったのだと思われる。
「……フフ。分かりました、引き止めてごめんなさい」
「あ、ああ。それじゃセラフィーニさん、俺たちはこの辺で」
そうして顔を真っ赤にして俯くティナの手を引いて、キヨシは足早にアトリエを後にし、後に受ける叱責を思って重たい気持ちを携えたまま、自室へと足を向けるのだった。




