番外篇『ペンセま小噺その2─腕─』
「え、えぇ~~~~~~ッ、怖い怖い怖い!! 貴方の故郷の画家さん怖すぎるよ!」
「そんなワケあるか! そういうネタていうか、お約束だ!」
ある日のこと。セレーナのアトリエにて。皆が静かにそれぞれの作品作りに勤しんでいる最中、キヨシと、セレーナ門下のアイーダの、迷惑極まりない叫声がそこらに響き渡った。
「二人共、お静かに。他の門下生のことも考えてくださいな」
「あ……す、スンマセン」
「それはそれとして、私好みの話の匂いがしますけれど」
「お師匠様逃げてぇ! 腕食べられちゃう!!」
「だから食わねえって!」
「腕を……? あまり要領を得ませんね? とりあえず、二人共落ち着きなさい」
そんな二人を注意しに寄ってきたセレーナが小首を傾げるのも、無理はない。声をかけるなり、突然アイーダが猟奇的な発言をして逃げるように促し、キヨシはそれを全力で否定。当然、キヨシに人肉嗜食の気なんて微塵もない。二人の間で、何かしら致命的な誤解が生じているのは誰の目にも明らかだ。
「それで、今の話は?」
アイーダを宥めて冷静にしたところで、セレーナは先程まで騒いでいた話について聞いてきた。また騒がれても面倒なので、今度はできるだけ懇切丁寧に、分かりやすく話すことにした。
「俺の故郷はな、なんていうか……説明が難しいんだけど。人々の繋がりが見えやすいんだよ。だから、自分よりも上の人間や下の人間が山程いるってのが分かりやすい。そうなると、神絵師の腕の肉を食えば、画力が上がるんじゃないか、なんて言われるんだ」
「…………何故?」
「いや、俺に聞かれても……」
「貴方が言い出したことでしょうに。腕を食べると……ええ?」
「スゴ。お師匠様のこんな顔始めてみたかも……」
懇切丁寧伝えたら、余計に分からなくなったようだ。まあ無理もない。インターネット事情をよく知らない異世界の皆々様方からしたら、こんな内輪ノリを理解するのは難しいだろう。
上へのやっかみか、それとも単なる大喜利か、いつの頃から言われだしたのか、何一つキヨシは知らないが、神絵師、つまり絵の上手い人の腕の肉を食うと、絵が上手くなるなんて話が界隈を席巻した時期があった。無論そんなワケはないし、言っている人でさえ本気になどしていない。それを面白がってアイーダに話したところ、本気にされてしまったと、そういうことだった。
キヨシとしては、作業の合間に挟んだちょっとしたジョークのつもりで、そこまで真剣になられても少し困るのだが。セレーナなど、なんとか話を噛み砕いて理解しようと唸っている──かと思えば。
「ふふ、うふふッ! うふふふふふ!!」
「ん!?」
「ひぇ!?」
はたと唸り声が消え失せた直後、ケタケタと笑いだすセレーナを見て、門下二人は悲鳴を上げておののいた。
「ねえ」
「はい!?」
「私、絵が上手いと思います?」
「え……何を今更言ってんです? 褒められたくなったの?」
「褒められたく……?」
「いいえ、そういうワケでは」
「結構悩んだな」
「褒められ慣れてそうだし、本当に違うんじゃない?」
「ともかく、どう? 貴方にとって、私は神絵師?」
「ん? んー……まあそうね、そうだな。俺がこれまで見てきたどんな人よりンむ!!?」
言い終わるのを待たずして、キヨシの右頬に添えられたセレーナの手の親指が、キヨシの口内にするりと侵入してきた。
「どう? 美味しい?」
「ひょげェッ、なんらんら……うぅッ!」
「……美味しくない?」
指の味が口に合わないのが何をそんなに落ち込むことがあるのやら、セレーナは極めてションボリとした渋い顔で目を伏した。実際、直前まで塩揉みでもしていたのかと言いたくなるほどしょっぱいが、そんな顔を見せられたら一言励ましたくもなる。いや、それも何か違う気がする。『結構イケる』など、どう考えてもない。
「ふふッ……しかしこうなると、とても気になることがあります」
キヨシの口内で一通り遊び終わったセレーナの親指は、今度はキヨシの肩を這って、手を弄ぶように取った。
「腕前が私はおろか、門下にも遠く及ばないとしても。私にとって貴方は、未知の価値観を私たちにもたらした」
「は? いきなり何を言い出すんだおたくは」
「いいえ、少なくとも貴方は私にとって貴方は神様のような人」
「オイ何を言って──」
やたらと壮大な壮大な買い被り論を展開しながら、キヨシの手をゆっくりと引き寄せていく。言っていることとやっていることの因果関係が分からず混乱するキヨシを、セレーナは下まぶたを歪ませてニマニマと笑う。
「そんな貴方の手は、果たして美味しいのかどうか……?」
「ちょ、ちょっとォ!?」
視界の端でアイーダが「出た」とかなんとか言って赤面するのが見えた。それがどういう意味かは、直後に思い知ることになる。
「ぇあー…………ん」
──あ、熱ッ……!!?
気の抜けただらしのない声。顎の下よりもう少し伸びる行儀の悪い迎え舌。人から発されているとは思えないくらい熱い、湿った呼気。思わずキヨシは硬直して動けなくなってしまう。こういうのを『蛇に睨まれた蛙』とか『まな板の上の鯉』とか言うのは、あまりに色気がないだろうか。
なんてことを現実逃避気味に考えている間にも、まるで爬虫類か何かのように長く、艶々と光る舌がキヨシの手に触れ──
「む!」
触れることなく、間から割って入ってきた小さく、細い女の子の指が、セレーナの口の中に無理矢理ねじ込まれた。
「美味しゅうございましゅかマイストロー様ァァァ~~~~!」
「マエストロな」
またぞろ仕事を抜け出してきたティナ──というかセカイが突然現れ、青筋をピクつかせてセレーナの口の中をぐちゃぐちゃとかき回した。何を思ってこんな真似をしているのかは、およそ想像できる。とはいえ、流石にここまでだ。キヨシが苦笑しながらセカイを引きはがそうとすると、
「ん?」
「ふふー……ン」
セレーナは余裕の表情で、手を挙げてキヨシを制する。そしてセカイの手を取り、というよりは掴んで固定し、突っ込まれた指を咥えて笑って見せた。
「えっちょっ」
曰く、「やっぱり人のお肉なんて、美味しくはないですね」とのこと。




