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第一章-11『今、一歩』

 正直なところ──キヨシは此度の異世界転移に関して、ある程度の期待を持ち始めていた。ティナと幼馴染の相似性もさることながら、先程はこの場の誰も気付いていなかったことに真っ先に気付き、大人数を相手に状況を優位に運べていたと思い込んでいたし、その時は気分が良かった。『この先結構うまくやっていけるんじゃねーかな』という自信に繋がっていたのだ。


 だが、直後思い知る。優位とは、圧倒的な力の前にはあっさりと踏み潰され、蹂躙されるものなのだと。自分は別に、大して強くも賢くもないのだと。


 その結果がこの悲惨。弁えるべきだったのだ。


 ──こんな……こんなはずじゃッ……!!


 そんな言葉程度で許されるはずもないだろう。が、ただひたすらに『すまない』という気持ちで胸一杯で、他の感情など入る余地はない。指が飛ぶ程度、そんなキヨシにとっては些末なことだ。ただ死ぬ程痛いだけなのだから。


 痛みと絶望に意識が途切れそうになったその時、ふと視界の端に例の木箱を見つける。フェルディナンドの攻撃によって、今にも砕け割れそうな程だ。『創造主の生家にあったようなモンを傷つけるなんざ、騎士の信仰心も大したことねえな』と投げやりな気持ちで他所事を考えるキヨシだったが、ある事象がキヨシの意識を繋ぎとめる。


 パキリ、と薄氷を踏むような音が聞こえた。


 もう一度、さらにもう一度と音は連続し、それと連動して木箱が破損した部分から白い氷のようになって崩れていく。この氷のような物質を、キヨシは街で見て知っていた。


「……ソルベリウム……か?」


 ティナに曰く、チャクラを溶かし貯蔵する性質を持った石。それが何故か、木でできた物から変化して生まれている。しかもその現象は箱だけではなく、少しずつだが地面にも伝播していた。キヨシやカルロッタ、そしてフェルディナンドさえも、顔には出さずともその様子に狼狽える他ない。


 今この場の誰も、この現象の正体を知らないのだ。


 それだけではない。この場にいる全ての者が、木箱の中から何かただならぬ『気配』──いや、『引力』と言い換えてもいいだろう。とにかく、それ程までに引き付ける圧倒的な力をその箱から感じていた。


 さらにその現場に倒れていたキヨシは、変化した地面におよそ信じられないものを見る。


「馬鹿な……だって、これは……ッ!!」


 それは、この世界には存在しないはずの文字。


 ──……アルファベット!?


 おそらくキヨシが元いた世界で最も使用率が高く、知名度も高い文字たち。それが石化してひび割れた地面に楷書(かいしょ)で刻まれていくのだ。


『È UNA PENNA.』『ED È UNA SPADA.』『TRAFIGGERE』


 惜しむらくは、それが理解できるワケではないということだ。


 キヨシが学に乏しいのも否定できないが、明らかに英文ではない。文頭が『E』一文字の英文など、少なくともキヨシは知らない。そうなるとキヨシにはお手上げ。それを察するように、地面はまたもパキパキと音を立てて、その下にまた文字を刻んでいく。


 代わりに出現したのは、この世界のミミズがのたくったような文字だった。


「コ、コラ! 余計に分からなくするなよ!! フザけんな、もう一度出せ!!」


「一人で何をブツクサと……!?」


 歩を進めるフェルディナンドの表情が一変した。どうやら地面の変化と文字の出現に気が付いたらしい。だが、ただのそれだけという顔ではなく、ここに来て初めて明確に都合の悪そうな顔を見せていた。


 この文章がこの世界の言語で書かれているのなら、フェルディナンドは文章の意味するところが理解できるはずだ。その上でこの表情。


 それはつまり──


「──ッ!! オイ、なんて書いてあったんだよ! もう一度さっきの出せよ! 出せったら!! この状況を打破できる何かなんだろ! アイツを倒し得る何かなんだろうがッ!!」


 しかし今度は何をしても変わらない。穴が開くほど凝視しても、叩く出来損ないの拳から滴る血が白い地面を赤く染めようとも、願っても祈っても。


 勝機はすぐそこに転がっているというのに。


 ──頼む。頼む。頼む! 今度はちゃんと……ッ!!?


 その時だった。今日初めて出会った、しかしよく見知った顔をした少女がキヨシの傍らにしゃがみ地面を覗き込み始めたのは。


「ティナちゃん……?」


「『これはペンである』『そして(つるぎ)である』『突き立てよ』だってさ」


「え……」


 それだけ言うとティナは立ち上がり、駆け足でこちらへ向かうフェルディナンドとキヨシの間に割って入った。それと同時に、辺りを照らしていた業火が徐々に静まっていく。


「ティナァ!! チャクラを寄越せと何べん言やあ分かンだコラァァァーーーーッ!! 防壁が維持できねェェェェーーーーーーッ」


「うっさいなー、チャクラって言われてもよく分かんないよ」


「なッ!?」


 ドレイクの要求や制止にも、まるで聞く耳を持たない様子だ。


「……念のため忠告しておきますが、これ以上邪魔立てをするというのならば、例えフィデリオさんの縁者といえど容赦はできなくなります。フィデリオさんは悲しむでしょうが……これも創造教の秩序のためです。もっとも……向こうで縮こまっていたあなたにどうこうできるとも思えませんがね」


「はン、縮こまってたのは『この子』でしょ? 私はこの子じゃないもんね。むしろそっちがタダで済むと思わないで。アンタ、よくもあの人の指を千切ってくれたね。絶対に許さないから」


 フェルディナンドの皮肉交じりの忠告もどこ吹く風といった様相。言葉遣いが粗野で、纏う雰囲気も別物。キヨシとカルロッタが相対したあの一時と同じだ。


 とはいえティナがどう嘯こうと、事態が好転しているわけではない。


 数的不利は相変わらずだし、切り札となるはずだったカルロッタの持ち物も、こちらの手にあるとも言い難い。そして炎の防壁が解かれつつあり、フェルディナンドが一声命令するだけで武装した騎士たちが一斉にこちらを潰さんと動ける状態になるだろう。そして悔しいことにフェルディナンドの言う通り、今のティナにどうこうできるとも思えない。


「そうですか。では、仕方がない」


 さらに追い打ちをかけるが如きフェルディナンドの無慈悲な宣告と共に、懐からおびただしい数の硬貨が取り出され、魔弾は装填を完了させる。口では仕方がないと言いつつも、呵責を感じているようには見えない。


「ク、クソォ!」


 やけくそ気味に血に濡れたその拳を振り上げ、真っ白になった木箱()()()()()を叩く。薄っぺらなそれは容易く粉砕され、中の物が転がり出てきた。


 出てきたのは、軸がついた朽ちかけのペンだった。


 引力は、より一層強まっていく。


 誰もが一目見ただけで理解した。『あのペンには恐ろしい力が秘められている』と。物的な根拠などない。が、ここら一帯だけ重力が何倍にもなったように感じられる程のプレッシャーを、そこに転がっているただの朽ちかけのペンが撒き散らしている。


 あのペンを制するものが、この場を完全に制する──そう確信するに充分な程だった。


 フェルディナンドはすぐさま、魔弾の照準をペンから最も近くにいるキヨシに合わせるが、


「そういう危ないの、あの人に向けないでもらえる?」


「邪魔を……がッ!?」


 ティナが鎧の上からフェルディナンドをコツン、と小突いただけで、なんと周囲を浮遊する硬貨が力を失って地面に落ちていくばかりか、フェルディナンド自身も意識を保ったまま糸が切れた人形のようにその場にドサリと崩れ落ちてしまったのだ。


 脳の、精神の、心の命令と、肉体が分断されてしまったようなこの感覚。フェルディナンドは覚えがあった。


「馬鹿な! これは『騎士団長の』……!!」


 指一本さえまともに動かすことができず、声を出すので精一杯。そして動けない間にも、刻一刻とその時は近付いていた。


 覚醒の時が、だ。


 キヨシがこの驚くべき現象に一瞥すらせず、衝動のまま出てきたペンに手を伸ばし触れた瞬間、


「間に合ったかッ!?」


「分からない、だが分隊長が危機に瀕しているのは間違いない!」


 国教騎士団側が完全に劣勢になったワケではない。戦跡の森からカルロッタを追跡していた別働隊が追い付いたようだ。フェルディナンドにとってはまさに救いの手だろうが、慌てて駆け寄ろうとする別働隊の面々に大声で静止をかける。


「待てッ! この少女、どういうわけか『騎士団長の手管』を習得しています!! 近付かずにそのまま狙撃しなさい!」


「りょ、了解!」


 騎士たちを邪魔していた炎も完全に静まり、キヨシとティナに対して銃口を向けた騎士たちは、命令のままに発砲し──


 その刹那、突如としてキヨシとティナの周囲の地面が隆起し、遮蔽となって本物の銃弾から二人を守り、さらに洞窟の出口が崩落して塞がれ、別動隊の動きを封じた。


「ぐッ……ハァー、ハァーッ……!」


 仕掛け人は戦闘不能と判断され、誰の視線からも外れていたカルロッタ。最後の力を振り絞っての魔法の行使故、特に遮蔽の方は非常に脆い上、時間経過で消滅してしまうだろうが、一時しのぎにはなるだろう。


「ぜ、全隊ッ!! なんとしても彼からペンを取り上げなさい!! 最早一刻の猶予もない、突撃せよ!!」


「ぶ、分隊長! あのペンは一体──」


「三度は言いません! 『突撃せよ』! 命は問わないッ!!」


 鬼気迫る様相のフェルディナンドに気圧され、騎士たちは何も言えずただ命令を遂行するだけとなった。


──────


 キヨシは騎士たちがすぐそばまで迫ってくるのを五感全てで感じていた。それと同時に、真に覚悟を決めねばならぬ時が、もうすぐそこまで来ているのだ。今日の出来事を思い返してみると、まるでいいとこなしの失敗続き。それ故、血染めの右手の上にある朽ちたペンをしげしげと見つめ、逡巡する。


 俺に何かできるのか──と。あのとき、この世界に来てすぐのときと同じだ。今一歩──踏み出せずにいたのだ。


 そんな不安に退こうとする心を察したのか、ティナがキヨシが見ていた血染めの手を取る。


「大丈夫。あなたは私が必ず守ってあげるから」


「……ティナちゃん」


「ふふっ、だからティナちゃんは『この子』! 私じゃない」


「……ああ。そうじゃねえかとは、思ってたよ」


 自らの胸に手を当て、しかし自分のことを他人行儀で話すティナ。キヨシは、今のティナの喋り方を、仕草を、雰囲気を知っていた。まさか、まさかとは思っていた。ティナと出会ったときから抱いていた疑念が、キヨシの中で確信に変わった瞬間だった。


「ティナ……いや、テメェ何モンだッ! ティナじゃねえ何かのチャクラをビンビンに感じるぜェッ!!」


「頭のトカゲさん、ちょっと黙っててくんないかなぁ。キンキンうるさい」


「んだとコラァッ! なんなんだよお前、さっぱりワケ分かんねーって──」


 言い争う一人と一匹が言い終わる前に、二人を守っていた地面は少しずつ元の高さまで沈んでいく。


 叫び声と共に迫る騎士、再びキヨシの前に出る少女、少女が守るキヨシ。否──『守られる』キヨシ。


 ──この状況……後ろで震えて縮こまっていろ、とでも言うのか?


「……フザけるなァッ!!」


 プランを練るより前に、キヨシは動き出す。


 ティナのローブの襟首を引っ掴んで後ろに放り、そのまま眼前の敵に向かって走り出した。そしてペンを左手に持ち替えて、自らの右手に大きく振りかぶり、踏み出せなかった一歩を踏み出し──


「ッ──()()()!!」


 少女に名を呼ばれた──と、キヨシは認識した。


『これはペンである』

『そして劔である』

『突き立てよ』


 引力は、そのまま大きなうねりを伴って『運命』へと変貌していく。


 ──俺の邪魔をする奴は……そして『アイツ』を害する奴は!!


 『自らの右手』に突き立てるのは、黒い覚悟。


「どいつもこいつも、このキヨシが! ブッ殺してやるッ!!」


 その時、辺りに眩いばかりの閃光が迸った。

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