第三章-30『老人たち』
「御足労ありがとうございます、マノヴェル様」
「ん……」
荷物を出迎えのジーリオに引き渡したマノヴェルは、感慨深げに辺りを見回すような素振りをする。何せ、十五年ぶりに王宮へ立ち入ったのだ。水路の水で苔生した小汚い壁面一つとっても、どこか懐かしい気がしていた。もっとも、目ではなく嗅覚によるものだが。そうして辺りを窺っていると、
「よう、ジジイ」
「!──フン。久しいな、小童」
王宮入りの瞬間を見て、マルコと共に駆け付けたキヨシが、軽口混じりに挨拶をする。
「それ、飛行機の残骸か? 悪いね、わざわざ持ってきてもらっちゃって」
「礼には及ばぬ、この程度はものの数でないわ」
「……さっきセラフィーニさんから聞いたぜ。王宮に立ち入るのも、十五年ぶりなんだってな。どういう心境の変化で?」
「心境が変化したワケではない。変化したのは周りを取り巻く状況じゃい。どこかの誰かが、随分と王宮を騒がせておるようじゃからな」
「褒めたってなんも出ねえッスよ」
「「ハッハッハッハ……」」
「お二人とも、目が笑っていませんよ」
「もう、キヨシさんったら……あんまり話を拗れさせないでくださいよう」
繰り広げられる皮肉の応酬に呆れたように笑いながら、奥からセレーナがやって来て、眉を顰めるマノヴェルを出迎えた。後を追ってきたティナは一〇〇パーセント呆れているが。
いい笑いものになっていると理解したキヨシたちが口を閉じると、セレーナはマノヴェルには見えていないにも関わらず深々と頭を垂れて、
「お帰りなさい、一席。歓迎いたしますわ」
「……フン! 議会一席の立場から能力使用の承認を出しておきながら、一度として参加しないのもどうかと思った、それだけじゃい」
「さっきと言ってること違うんだけど……」
『能力使用の承認』とは、キヨシと小競り合いを起こしたときのアレのことだろう。
それはともかく、セレーナとキヨシで、マノヴェルの態度はおろか言い訳も変わっている。前にマノヴェルの邸宅を訪問したときもそうだったが、どうにも彼はセレーナを相手取ると心が乱れるというか、どこか無理をするというか、とにかく普通ではいられないきらいがあるらしい。弱みを握られているのか、それとも単純に苦手なのかは計り知れないが、マノヴェルと接する際にセレーナの存在を念頭に置いておくと、上手く立ち回れるかもしれない。
「おやァ……誰かと思えば、議会一席ではありませんか。参加しない故、てっきり亡くなったものだと……」
「──!」
と、浅い計略を巡らせるキヨシの耳に、あまり良い思い出のない嫌みな老人の声が届く。
「失敬、失言だったな」
──ゲェ! クソジジイが二人に!
セシリオ・フライド──ヴィンツェストに対して敵対心を剥き出しにした、マノヴェル以上の偏屈爺。議会が開かれるということは勿論彼とも顔を合わせることになるワケだ。
「……久しいな、セシリオ。貴様の孫とも少し話したぞ。息災でなりよりじゃ」
「お気遣い、まこと痛み入る。して、忠を捨てた旧世代の老人が、今更何用で」
「……セレーナ、歓迎するというのは大嘘か?」
「私は、歓迎しますけどね? しかし、十五年間サボっていたツケが全くないと考えるというのは、流石に虫が良すぎるといいますか……」
セレーナから苦言混じりにからかわれ、マノヴェルは深い、深い溜息を吐く。
が、傍で見ていたキヨシはそれとは別の違和感を抱いていた。
──このクソジジイ、なんだってンザーロにまで、俺たちを相手にするような態度を? そりゃ腹も立つだろうが……。
セシリオの憎悪の対象は基本的に『ヴィンツェスト』という国にのみ向けられている。マノヴェルはアティーズの古株なのだ。ここまで苛烈に当たるというのは、不自然な気がしないではない。とはいえ、確かにセレーナの言う通り、十五年間の鬱憤が溜まっているとなれば、邪険に扱われるのは仕方がないというもの。今のところは、とりあえずそういうことで納得するしかなさそうだ。
当のマノヴェルもセレーナには敵わないようだが、セシリオの物言いには特に意に介していない様子で、それをアピールするかのように鼻を鳴らし、
「ま、用という程のもんでもないがな。王宮の騒ぎについて、興趣が湧いたというだけのことじゃ」
「またブレてんぞ-。結局おたくのモチベーションはどっち──」
「「黙っておれ、この小童めがッ!!」」
「ハイハイスイマセェーん、痛ァ!?」
「キヨシさんっ!」
「ヘッ」
白々しい人をコケにするような種類の謝罪をするキヨシの足を、ティナの小さな手が引っ叩いて制裁した。しかしキヨシは『こんな奴ら相手じゃ、悪態の一つもつきたくなる』と思って憚らない。すでに分かっていたことだが、この老人たちとキヨシは、徹底的に反りが合わないようだ。
「あ、あの!」
「ム……」
と、気分が滅入る取り留めないやり取りが延々続くのだと思われたその時、向こうの方から意を決してマノヴェルに声をかけ、駆け寄ってくる女性が一人。キヨシが慌てて女性の行く手を空けたのは、その女性の立場に恐れ入っていたから。
「……お初にお目にかかる、マノヴェル・ンザーロ。私は──」
「『ミケェラ』と『アットリオ』の末裔じゃろ。名はパトリツィアと言ったな。先祖代々、チャクラが似ておる故すぐに分かるわい」
「そ、そう……か」
アティーズ現王女、パトリツィア。恐らく議会の前に挨拶の一つもしておこうと考えたのだろう。
呼びかけたその時は恐る恐るといった調子だったが、一人残された王族としてか、それとも同じ議会の参加者としてか。パトリツィアはマノヴェルの容貌と雰囲気に気圧されそうになりながらも、どうにか毅然とした態度を取り繕ってマノヴェルに接しようとしたようだが、その出鼻を挫かれてしまっていた。
「議会への参加、心より感謝する。この十五年間……ん?」
「……──────」
「な、何か?」
その上、長いブランクの空いたマノヴェルを気遣って何か言おうとしたパトリツィアを、光ない何も見えないはずの目で凝視するような素振りをして、余計に困惑させる。何用かという問いにも答えず、ただただひたすなにじっとパトリツィアをじっと見つめ続け、そのうちいい加減に不敬だと感じたらしいセレーナとセシリオが止めようと近付いた瞬間、それを感知してかマノヴェルはそっと目を伏して、
「……これで、実に『八代連続』。まさに奇跡じゃな」
「は……? きゃっ!?……?」
この場にいる誰にも理解できないだろう何かを誰に言うでもなく呟いたかと思うと、何を思ったかその大きくゴツゴツとした手でパトリツィアの頭を、酷く不器用に、しかし慈しみを感じる所作でガシガシと、セシリオが無理矢理止めるまで撫で回した。なお今度は、セレーナは止めなかった。
「ええい、よさぬか一席!!」
「……失敬」
「あ、いや……その……」
パトリツィアは何が起こったのかまだ理解しきれてはいないようで、マノヴェルの取ってつけたような謝罪に対しても、半ば呆然とした様子で生返事を返す他ない様子。
キヨシは傍で見ていて、自分がどうこう言う筋の話じゃないと理解すると、やり取りの中で個人的に気になった事柄をマルコに問おうと、こっそりと耳打ちする。
「『ミケェラ』と『アットリオ』?」
「アティーズ建国当時、つまり初代の王夫妻だ。一席はこの国の建国に直接立ち会っているそうだからね。初代王夫妻とも、親交があったとか」
「確か、年齢が二百歳そこそこなんだっけ? リアル世代ってヤツか。スゴイ話だ……」
先祖代々、と他人事のように話していたマノヴェルだったが、実のところそれらは自分で見聞きしてきたことをそのまま話している。歴史か何かを語っているような口振りで、実は自分のことを話しているワケだ。マノヴェルの半分以下の時を生きることさえ稀な、キヨシのような人間からしたら果てしなく途方も無い話にすら聞こえる。反りが合わないのも当たり前かもしれない。
「では、儂は先に議会の方へ向かわせてもらおう。誰か道案内を頼めんか。十五年ぶりとあって、この眼で一つの部屋を探し当てるのは、少々堪えるのでな。前を歩いてくれるだけでよい」
「ジーリオ、頼めるかしら」
「かしこまりました。失礼します」
二人のオーダーを聞き入れたジーリオは、ペコリと一礼すると言いつけ通りに、マノヴェルを連れて議会の円卓へと去っていった。
「陛下、なんともありませんか!?」
「え、ええ。私はなんとも思って──」
「全く、なんだあの男は! 十五年間国政を放り出して、突然参加を表明し、その上ッ……!! ええい!!」
セシリオは苛立ちを抑え切れない様子で、顔を紅潮させ歯噛みする。傍から見れば見苦しくも写ろうが、その憤り自体はまあ、キヨシたちにも理解できなくはない。
とはいえ。
「まあまあ、ニ席。陛下もなんとも思っていないと言っていることですし、ここは怒りを──」
「……チッ!」
そう、実のところ怒っているのはセシリオだけ。ただの傍観者だったキヨシとティナを始め、同じく国に仕える立場のセレーナやマルコ、そしてパトリツィア当人ですら、セシリオのように怒り狂い平静を欠くなどということはない。セシリオも、セレーナに諭されてそのことに気付くと、大きな舌打ちをしてその場を去っていってしまった。
「ハア……分かっちゃいたが普通じゃねえな、あの爺さん。今日の議会、こんなんで大丈夫かオイ」
「荒れるでしょうねえ。そんな中大変でしょうが、今回の議会はあなた方が中心。何卒」
「わーッてますって。けど、頼むからちょこちょこ助けてくださいよ。まあ、議会の一員である以上は、個人の肩を持つってのはアレでしょうけど……」
「ええ、アレですね。けれどまあ、ちょこちょこでしたら」
キヨシの心は、最早救いがたい程にドス黒い気持ちでいっぱいだ。セレーナが申し訳ないと思っているのは間違いないだろうが、結局はこうなる。だからキヨシは議会のような場が嫌いなのだ。
「さて、皆さん。そろそろ参りましょうか。すでに、五席やカルロッタさんが準備をして待っていますよ」
「い、行きたくねえーッ」
もっとも、キヨシがどう思っていようが、そのときはやってくるのだが。
まるで会社に行きたくない社会人のような、コールタールのように黒く、粘り気のある気分を携えて、キヨシたちは今再びの議会へと臨むのだった。




