双子の神
第1話 僻地への誘い
昔ビルマと呼ばれていた場所があった。今はミャンマーと呼ばれ軍事政権がその国を支配していた。民主運動活動家は度々軟禁されていたが解放され一時は共和制になりかけた。が、またしても軍部が非常事態宣言下、政権を牛耳っている。
ミャンマーの首都は海に近いのヤンゴン(旧ラングーン)から内陸部のネピドーに変わっていた。ネピドーはまだまだ発展途中の都市だ。
遷都は急だったし、遷都の明確な理由も示されなかったが、実は占い師の助言による遷都だった、といった噂が絶えなかった。迷信深い為政者が軍部を指導している、ということはこの国にとって不幸なことだった。
ネピドーからAH1(アジアンハイウェー)を北へ北へ進むとミャンマー第二の都市マンダレーに行きつく。Taung Tha Man Lakeの近くにはヤダナボン大学があり、グランドセントラルマンダレーホテルという大層な名前のホテルでも1泊四千円程度で宿泊できた。
火野将兵は彩木瞳と桜井亮太の三人で旅を続けていた。関西国際空港を飛び立ち、まずはマレーシアのクアラルンプールに向かった。そこで一旦落ち着き体制を整えてミャンマーに入るのが最初の目的だった。
クアラルンプールで十分な装備を整え山登りの訓練も積んで満を持してミャンマー入りしたのは日本を出てからすでに10か月が過ぎていた。
ミャンマーは軍事政権下である。何が起こるか判らなかったので出来る限り街に滞在する期間を短くしたかった。ヤダナボン大学自然人類学科のセイン教授を訪ねたのは綾野祐介の紹介だったことと、支援してもらえる可能性のある重要人物だということだったからだ。なにより一番はセイン教授は日本語が話せた。火野や彩木の英語力ではなかなか乗り切れない場面も多い。
「サヤセイン、本当にありがとうございます。助かりました。」
目的地までの手配を含めて殆どの事をセイン教授に頼んでしまっていた。彼がいなければ三人で途方に暮れていただろう。
セイン教授の名前は本来もっと長いのだが省略してサヤ(敬称)セインと呼んでいた。ミャンマーは珍しく姓のない人が多い国だった。セインというのも火曜日生まれという意味くらいだ。
セイン教授は専攻学科とは関係ないが綾野祐介たちの活動にとても関心を持っており支援も早い段階で申し出ていた。セイン自身は大学教授だがセインの家はミャンマーでも有数の名家であり軍部ですら手を出せない存在だった。広大な農地とヤンゴンに多くのビルやホテルを所有していた。マンダレーにはそれほどの数のビルを有している訳ではなかったが火野たちが教授の紹介で移ったホテルも一族の物だった。
日本では元号が変わり代が継がれた。英国では女王陛下が逝去された。綾野は「そうとうな痛手だ。」と溢していた。活動資金が圧倒的に足りないのだ。
「君の存在や目的はアヤノから聞いている。そちらの少女や少年のこともね。私は人類の味方、という立場ではあるが、とても君たちが人類の敵だとは思えない。どんな結論を出すにしろ、全ての人類が幸せになれれば、と私は願って止まないのだよ。支援も君たちが出す結論のための様々な体験に関してのものだと受け取って欲しい。」
「お言葉に甘えさせていただきます。」
綾野のプレゼンが功を奏していたのだろう。教授は何の条件も付けずにただ支援を約束してくれた。一つだけお願いとして申し出たのは、「帰りにも寄って欲しい。」とただそれだけだった。何を見たのか、聞きたいのだそうだ。それくらいは当たり前だと火野は帰りに立ち寄ることを約束した。但し、支援者と言えども話せないような体験をしてしまう可能性は十分あった。火野はセイン教授を騙すつもりはなかったが結果的には隠してしまうことになっても仕方ないと思っていた。
そうして三人はセイン教授の支援の下、マンダレーからランクルで約5時間ほど離れたシャン州の州都タウンジーへと向かうのだった。
第2話 僻地への誘い②
タウンジーまでのハイウェイは両側2車線のところもあり快適だった。ただ周囲は高い木々に囲まれているので景色があまり変わらない。
日本と違い右側通行なので少し運転しずらいが、舗装は整っているので火野の運転は問題なかった。。
タウンジーの街に入っても道路は整備されている。シャン州の州都でもあるタウンジーは人口約30万人のミャンマーでは中核都市になる。
三人はタウンジー大学の近く、ロイヤルタウンジーホテルに入った。セイン教授の手配だったがタウンジーではかなり高級ホテルのようだった。
タウンジー大学でパソコンなどを使わせてもらえる手はずになっている。ここを拠点に目的地を探すためだ。
タウンジーはシャン州の州都だが目的地はシャン・シである。シャン族が昔暮らしていた場所が今はシャン州と呼ばれているのだが、もっと昔にシャン族が住んでいた場所があるらしい。それがシャン・シと呼ばれる場所でそこにある湖にアラオザルがあるはずなのだ。
「どうして今回の目的地はアラオザルなんですか?」
彩木瞳が火野将兵に問う。火野は行先や目的をあまり言わなかった。先入観を持たさないため、と本人は言っているがただ面倒なだけではないかと桜井亮太は思っていた。基本的に火野は寡黙なのだ。三人で旅をしていても話すのはもっぱら瞳と亮太だ。火野はただ無関心な顔で何も聞いていないと主張している。コミュニケーションが取れないほどではないが若干のコミ障ではないかとも思っていた。
「トウチョ=トウチョ人の長に会う。」
「トウチョ=トウチョ人ですか?」
「レクチャーしただろう。」
「ええ確かに。」
瞳は火野から借りた本を読み漁りかなりの知識を持っていた。その中にトウチョ=トウチョ人の記載もあったはずだ。
「ミャンマーに来たのですから、多分そのあたりしか無いとは思ってましたけど、だから聞いているんです、なぜアラオザルが目的地なのかと。トウチョ=トウチョ人に会ってどうしようと?」
「だから、」
「先入観は持たないように、でしょ、判ってますって。でもそんな事しか火野さんに聞くことないじゃないですか。」
瞳は少しでも火野と会話しようとしていた。それを疎ましく思っているのは知っている。でも三人で旅をしているのだ、仲がいいに越したことは無い。亮太とはもうかなり打ち解けている。だが火野とはどうも会話が続かないのだ。歳は4~5歳火野の方が上なはずだが、それほど離れている訳ではない。話が合わない訳ではないと思っていた。
「そもそもアラオザルの場所がまだ見つかっていないのに本当にトウチョ=トウチョ人に会えるんですか?」
「信用していないのか。」
「そうじゃないですけど、今回は先が見えないなぁ、と思って。」
「まあいいじゃない。山登りの訓練もしてきたんだから、ただ登山するだけでも楽しいんじゃないかな。」
亮太は相変わらず能天気だ。火野が与える書物もほとんど読まない。自分がどんな立場に居るのか、理解していない訳ではないようだが、どうも瞳に、瞳の判断に任せる、と決めているらしい。その上で火野と共に瞳を守るのが自分の唯一の役目だと思っているようだ。だから書物は読まないが身体を鍛えることは怠らなかった。
亮太は火野が使う火の民の能力のような力が欲しいと本気で思っていた。終わりの少年、と言っても今の所何の力も持っていない。実際に瞳のリセットする能力を止める方法も皆目わからない。終わりの少年と呼ばれることに何の意味も見いだせないでいた。
第3話 僻地への誘い③
火野たちはタウンジー大学でパソコンを借りて、また図書館で様々な書物を探してアラオザルの場所を特定しようとするが中々上手く行かなった。近くまで来ていることは間違いないのだが、どうも都市伝説的に伝えられているアラオザルの場所の手掛りの様な湖が特定できない。当然のその湖にあると言うアラオザルも特定できなかった。
「少し休むか。」
火野が掛けていた眼鏡を外して提案する。朝からずっとモニターを見つめていたのだ、目が疲れても仕方ない。
「判ったわ、でもこれだけ調べても手掛りすら見つからないんだから、アラオザルなんて実在しないんじゃないの?」
彩木瞳は少しウンザリしながら言う。元々パソコンに向かうこと自体は嫌いではない。学生の時(つい最近まで)は部屋ではずっとパソコンを眺めていたくらいだ。
パソコンでの情報収集は主に瞳の仕事だった。火野は使えない訳ではないが得意でもない。桜井亮太はからっきしだった。必然、瞳に頼らざるを得ない。亮太は活字もアレルギーだと言い張るので殆ど役には立たなかった。
「コーヒーでも入れて来るよ。」
そう言う作業は亮太の担当だ。些細なことから大きなことまで身体を動かしてすることなら何でもお任せだった。
「それはそうと瞳、この際聞いておきたいのだが、どうして俺に付いてきてくれたんだ?」
「なによ今更。あの場で私の行き場何て何処にもなかったじゃない。それをあなたが連れ出してくれた、ただそれだけよ。」
公安や内閣情報室、その手下の反社たち、そんな有象無象が犇めき合っていた場所から火野は瞳と亮太を堂々と連れ出したのだ。場合によっては二人は殺されていた可能性もある。
「それはそうだが、素直に従えば日本政府も保護してくれていたはずだ。」
「言う事を聞かなければ殺す、ということと表裏一体でね。そんなの信用できるわけないじゃない。」
瞳の言い分は正しかった。従わなければ簡単に殺されるのだ。
「それは話しただろう、お前の意に反して死を迎えてもリセットされる可能性があるんだ。」
「ふ~ん、それ本当なの?あの場を安全に離れるための嘘じゃなかったのかな、って思っているんだけど。」
「嘘じゃない、俺がセラエノで読んだ書物に書かれていた。」
「まあ、そういうことにしておきましょうか。」
瞳の想像通り、それは火野が吐いた嘘だった。そんな記載はどこにもない。ただそう言わなければあの場を逃れられない、という判断から吐いた嘘だ。そして、そのままにしておいた方が得策だ、と火野は判断していた。だから嘘だとは認めない。
「それとだ。」
「何よ、まだあるの?」
「いや、これはお前の思いを聞かせて欲しいのだが、知っている通り俺はお前たちに会うまで世界中を回って火の民の末裔を探し出し、炎にして取り込んだ。普通に言えば大勢殺した、ということだ。怖くないのか?」
「うん、そうね。確かに単純化したらそうなるのかな。でも将兵さんは将兵さんの思いがあって、それを叶えるための手段だった、ってことでしょ。それを私がとやかく言える立場にはない、という感じかしら。怖いか、怖くないかと言えば、別段怖くはないわ。だって将兵には違いないもの。」
「俺が火の民を取り込むところを見ていないからな。まあ、怖くなったらそう言ってくれ、すぐにお前たちと別れることにするから。」
「もう火の民には手を出さないって綾野さんと約束したんでしょ。だったら見る機会もないじゃない。それほど気にすることもないわ。」
彩木瞳の感覚も、一般のそれとは少しズレているのではないか、と火野は心配している。できるだけフラットな気持ちで瞳には居てほしい、と願うだけだった。
第4話 僻地への誘い④
「何々、何の話?」
コーヒーを入れて亮太が戻って来た。話し込んでいる二人に割って入りたいのだ。
「なんでもない。」
「そう、なんでもないわ。」
「何だよ、二人して。僕に内緒の話?」
亮太は少し不貞腐れ気味だったが二人は無視した。いつものことだからだ。
「まあいっか。でも本当にこれからどうするの?いつまでもアラオザルを探し続ける訳にも行かないんじゃない?」
そうだ。目的はアラオザル、というかトウチョ=トウチョ人の長に会うことだった。タウンジー周辺のシャン州をグーグルアースやマップで隈なく探してみたが該当しそうな湖が無い。そもそも、その伝承が間違っているのだろうか。
「綾野先生に相談してみたら?」
瞳の提案は何度目だろうか。将兵は出来得る限り綾野の世話にはならなでおこうと思っていた。それもやはり瞳にフラットでいて欲しいということだった。しかし今回の旅の手配は各大学への連絡など全て綾野がやったのた。実際には綾野の部下の結城良彦という元新聞記者がやったことなのだが。
更に金銭的にも綾野の世話になってしまっている。瞳や亮太には言ってはいないが、火野一人だけならなんとでもなるが二人分の旅費の捻出がかなりの負担になっていたのだ。
綾野たちは元々の資金源であったいくつかの出資者(その内の一人を綾野は女王陛下と呼んでいた)が亡くなったこともあり、新しい出資者を探していたのだが日本で知り合った結城の甥が出資者として名乗りを上げてくれたと喜んでいた。
結城良彦の甥、高弥は友人の遠藤修平の潤沢な資金を使って相当な利益を出している、とのことだった。そして綾野たちの活動に理解を示してくれたのだそうだ。ただ、遠藤修平は火野に少し恩を感じてくれているはずだった。彼の願いを叶えてあげたのだ。ナイ神父の手配で桂田利明に動いてもらっただけなので火野が直接感謝されることはなかったが。
ただ火野も手詰まりなのを感じていたのは確かだ。
「ところで将兵さん、綾野先生ってなんで先生なの?」
瞳はあの場所で一度会ったきりだったので当然綾野の素性何て知らない。未だ名前すら決まらない綾野を中心として組織のことも当然知らない。組織と言っても綾野祐介の他には結城良彦と岡本浩太の三人が中心で後はサポートメンバーだけで構成されている小さな組織だ。一応今は火野もその中にカウントされている。
元々火野はナイ神父の元で星の智慧派に所属して綾野とは敵対関係のようになっていたのだが、今は「敵対はしていない」という程度の関係だった。
綾野との約束で世界各地の火の民を燃やして自らの中に取り込んでいたのを止めた。最終的にクトゥグアの封印を解くことに利することだと思ってのことだったが、火野としては「始まりの少女」り件を優先したのだ。
「綾野先生は元は伝承学という学問の琵琶湖大学の講師だったんだよ。だから本当に先生だったんだ。」
「へぇそうなんだ。講師を辞めてあんなことしてるなんて変わってる人ね。でも将兵さんの同じか。」
「俺は警備会社につとめていた普通のサラリーマンだったさ。ただ出自が少し普通じゃなかっただけだ。」
「そう言えば火の民ってよく判らないわ。風の民もあるって言ってたけど他にもあるの?」
「俺が知っている限り、その二つだけだ。他には眷属と呼ばれるものたちは大勢いるがな。」
「眷属ね。で私たちは、その全てと違う、ってことでしょ。」
「そうだな、お前たち二人は特別だ。ただ自分が特別だという事は意識しないで欲しい、というのが俺の願いだ。」
「判ってるって、何度も何度も言われているんだから。私も亮太も馬鹿じゃないんだから。」
「そうだ、僕は馬鹿じゃない。」
変なところにだけ亮太は割り込んでくるのだ。
第5話 僻地への誘い⑤
「手詰まりなのは確かなんだから、やっぱり綾野さんを頼ってみる?」
瞳は嬉しそうに言う。将兵を揶揄っているのだ。
「なんだ、アラオザルは見つからないんだ。じゃあ直接探しに出てみたら?」
二人の提案に火野は決断しあぐねていた。ただ綾野を頼るかどうかは火野の気持ち次第だった。闇雲に探しに出ても徒労に終わる可能性は高い。誰か情報を持っている可能性がある人でも探せないだろうか、とも思っていたが、なかなか行き当たらないでいた。
「わかった、綾野先生を頼ろう。」
火野はデメリットの少ない、というか殆ど無い方策を選んだ。綾野の協力が瞳たちにどんな影響を与えるのかは考えても仕方ない。それも含めて人類というものだ、ということで火野は自分を納得させた。
綾野は東京に戻っていたので直ぐに連絡が取れた。瞳にズームを繋いでもらう。
「お久しぶりです、綾野先生。」
「ああ、久しぶりだね火野君。どうだい、彩木君や桜井君は元気かい?」
「私は元気ですよ~。」
横から瞳が顔を出す。亮太はこういう時は出てこない。
「うんうん、元気そうで良かった。それでセイン教授には会えたのかい?」
「ええ、マンダレーに着いて直ぐにヤダナボン大学の教授を訪ねました。そこで色々と手配をしていただいて今はタウンジー大学のお世話になっています。」
「なるほど、それで私に連絡をしてきた、ということはアラオザルを探す目途が立たない、ということかな。」
綾野は全部お見通しだった。火野としても最初から綾野の情報をもらって現地入りした方がいいことは判っている。ただ出来得る限り自分たちの力で、という当初の方針も変える気が無かった。それが瞳の判断に影響を与えないようにする配慮だと火野は考えていたからだ。ただ、どうも進展がなさそうであり、打開策も見当たらなかった。
「お察しの通りです。先生は何かアラオザルの場所について情報をお持ちですか?」
「そうだね。私も行ったことはないんだ。北米や南米、ヨーロッパや南極は各地を回っているんだがアジアは今の所後回しになっていてね。今後はアジアもと思っているんだが、どうだい、私も同行しようか?」
「先生、それは。」
「判っている、判っている。でも情報だけ、というのも心苦しいんじゃないかい?」
綾野は火野の思考を正確に読んでいた。ただやはり綾野の同行は同意できない。瞳への影響が大ききずると思ってしまうのだ。
「じゃあ、私ではなく岡本浩太君を同行させるというのはどうだい?年齢も近いし用心棒としても申し分ない。君がいれば大丈夫だとは思うけど、彩木君の目の前で君の力は使えないだろう。」
確かに誰かに襲われでもしたら火野はその力を振るわざるを得ない。但しそれは人間なら相手を跡形もなく消滅させかねない強力な力だ。その力を使わずに切り抜けるために火野は鍛錬を怠ってはいない。亮太にも文句を言われながら付き合わせている。まだまだ火野には到底及ばないが、街のチンピラ相手なら引けを取らない程度にはなってきた。
「綾野先生、少しだけ考えさせてください。」
火野はそういうと一旦通信を切るのだった。
第6話 僻地への誘い⑥
「どうしよう。」
火野は二人に相談することにした。ここまで三人でやって来たのた。一人増えることには他の二人の同意が必要だと思った。
「僕は別にいいけど。」
亮太はいつもこうだ。最初から考えることを放棄しているかのように即答する。ただ単純に判断が早い、という可能性もあるが火野にはその判断が付いていなかった。
「私は、そうね、別に反対する理由はないわ。」
瞳は賛成ではないが反対もしない、というスタンスだ。火野に決めさせようというのだ。
「わかった。とりあえず彼が合流するまでは調査を続けて、どうしても糸口さえ見つからなかった時は彼も一緒に参加してもらおう。」
火野はそう決断した。結局見つからない可能性も高い。だが岡本浩太が合流してもその可能性はある。火野としては少しでも高い方を選択しただけだった。というか、そう自分に言い聞かせていた。
「わかった、直ぐに浩太を向かわせる。数日で合流できると思うから少しだけ待っていてくれたまえ。彼には出来る限りの前情報も持たせることにする。それとセラエノに今、マーク=シュルズペリィが行っているから彼にも連絡を取ってみよう。」
綾野に連絡を取ると直ぐにそんな話になった。セラエノの情報は有難い。多分それだけで十分なのかも知れない。
3日後、岡本浩太がタウンジーまでやって来た。それまで火野たちの捜索は全く進んでいなかった。
「お久しぶりです、火野さん。なんかワイルドになりましたね。」
火野の外見は元々は少しひ弱な感じが見れたが、今は何処から見ても肉体派だった。一人称も僕から俺になっている。
「久しぶりだね。今回は遠い所まで来てもらって済まない。宜しく頼む。」
「それは全然いいんですが、実は綾野先生も大した情報は持っていないそうなんです。セラエノ待ちだとおっしゃっていました。」
綾野に嵌められてしまった。いかにして浩太を同行させるかを考えてのことだろう。浩太本人はそんなことは全く考えてはないだろうが、火野たちの動向を見張らせる目的なのは容易に想像できる。
(なかなか、あのおっさん、狸だな。)
そう思っていても口には出せない。やはり綾野を頼るのは問題があるか。まあ、向こうとしては仕方ないことだとは火野でも思うが。
「とりあえずマークさんからの情報が来るまで、僕もここでお手伝いします。瞳さんも亮太君もよろしく。」
浩太は普通の好青年だった。ツァトゥグアに一旦吸収された結果、通常の人間とはかけ離れた身体能力を得てはいたが見た目では判らない。火野のように筋肉で覆われている訳ではない。尋常ならざる動体視力と膂力だった。今の所それを発揮する機会には恵まれていないが。
「それと、もう一人。」
少し離れて後ろに居た人影があった。風間真知子だ。
「火野さん、お久しぶりです。」
「風間君、どうして君が。」
火野と風間は一時期星の智慧派の一員としてナイ神父の下で活動していた。火野は火の民、真知子は風の民。二人とも眷属同士だったが、そのアプローチは少し違っていた。
「すいません、勝手に付いてきてしまって。」
「勝手にとは随分な言いぐさね。今は浩太と一緒に行動しているんです。」
「そうだったのか。それは、まあ、いいことなんだろうな。」
火野は何とも言えない顔をしていた。特に何かの感情を真知子に向けていたわけではなかったが、何か元カノとその彼氏に出会ってしまった、みたいな感じがしていた。
「私も協力しますから、瞳さんも亮太さんもよろしくね。」
一行は3人から5人になった。
第7話 僻地への誘い⑦
「とりあえず古い地図とかは調べてあるんですよね。」
早速浩太はディスカッションに入った。
「もちろんよ。当たり前でしょ。」
後から来て仕切るんじゃないよ、という眼差しで瞳が浩太をにらみつける。
「怒らないでくださいね、ただの確認ですから。それと航空写真はチェックを終えているということでいいですよね。」
「そうだ。でも該当するような湖は見つからないし、地元でいくら聞き込んでも何も出てこない。アラオザルなんて知らない、聞いたことが無いと言われるばかりだ。トゥチョ=トゥチョ人に至っては、馬鹿にしているのか、と怒られる始末だ。」
「地元の古老あたりも同じ反応何ですか。」
「大差ないな。隠しているのかも知れんが。」
「タウンジーの近く、ということは間違いないのですか?」
「それも未確定情報だな。シャン州は元々シャン族の暮らしていた場所がそう呼ばれている、という前提でシャン・シを探しているんだが、ただこのシャン族はミャンマーではビルマ人に次いで多い民族で対象が多すぎてどうしようもない。」
「人海戦術はとれそうもありませんしね。現状は判りました、少し僕と真知子でここら周辺を回って地勢の感じを立体的に見てきます。航空写真やドローンでは真上からの画像になってしまいますから。」
そう言うと二人は借りたレンタカーで行ってしまった。
「なんか、慌ただしい人ですね。いつもあんな感じなんですか?」
今まで黙っていた亮太が聞く。
「真知子は今風の子だがどちらかと言うと大人しめの子だったんだがな。岡本浩太は多分元からあんな感じだ。ツァトゥグアに一度吸収されて常人離れした動体視力や運動能力を得たらしい。俺もあいつと戦うことになったら手を妬くだろうな。」
「そんな状況になる可能性があるの?」
心配そうに瞳が聞く。ただし本当に訊きたかったのは火野と風間真知子との関係だが、そこは聞けなかった。
「ゼロとは言えないな。ただ彼は綾野先生の意向でここに来ている。俺たちの目的も理解したうえでだ。邪魔すると言うよりは本当に手助けしに来てくれたと見てもいいん゛しゃないかと思っている。本来綾野先生たちよりも怖いのは各国の情報機関だと思うんだが、今の所どこも接触してきていないのは有難い。」
「その人たちとは。」
「接触してきたら相手になるしかないな。瞳は守る。亮太は自分でなんとかしろよ。」
「えええ、僕も守ってくださいよ。」
「二人は手が回らない。瞳だけで精いっぱいだ。」
火野は揶揄うように言ったが、実際にそんなことになったら勿論亮太も同様に守ることになる。
そんな時に岡本浩太が戦力になってくれれば有難い。真知子は風の民としてはそれほど強い力があるわけではない。そんな真知子を浩太が連れて来たのは意外だったし心外でもあった。遊びに来ている訳ではないのだ。綾野先生は知っているのだろうか。最近は一緒に行動していると言っていたから把握していると思われる。
手伝ってくれるのはいいが、何か起こった時に守る対象が増えるのでは本末転倒ともいえる。但し、浩太から齎される情報は貴重だ。実際にはマーク=シュリュズベリィの情報なのだが。
「なんだかドライブに行くような感じでお出かけしていったけど、気楽なものね。」
瞳の感想に火野も同感だった。
第8話 僻地への誘い⑧
「どう思う?」
「かわいい娘ね。」
「何の話だ?」
「あの瞳って娘のことでしょ?」
真知子は態とそう返した。浩太を揶揄っているのだ。
「確かに可愛い娘だよな。」
浩太も判っていて応える。
「もう、いい加減にしなさい。さっさと行くわよ。」
浩太も実は火野と会った時の真知子の反応が気になってはいた。元々一緒に行動することが多かった二人だ、何かしらの感情が湧いていても不思議ではない。ただ今の所二人ともにそう言った何かしらの感情の起伏は見受けられなかった。
二人はレンタカーでタウンジー周辺をドライブがてら流してみた。自然豊かな風景が広がっている。近くに湖もいくつか点在してはいる。ただし、その中にアラオザルが見つけられるような湖は無かった。
「タウンジー近辺というのが間違っているんじゃないの?」
「タウンジー、というよりシャン州を中心に探しているんだと思うけどね。いずれにしても中々見つかりそうにはないな。マークさんからの情報を待つしかないか。」
そこへ綾野祐介から国際電話が入った。
「浩太、現地に入ったかい?」
「はい。火野さんとも、もう会いました。今は真知子とタウンジー周辺を探索しているところです。」
「探索と言う名のデートってやつか。ほどほどにしておかないと火野君や瞳君に怒られるぞ。」
綾野の洞察は鋭い。全部お見通しのようだ。
「それで先生、マークさんから何か連絡がありましたか?」
「いやまただ。珍しく手間取っているようだな。いずれ何らかの情報をくれるとは思っているんだけどな。まあ、それまではみんな仲良くやっていてくれたまえ。当座の資金は送っておくから大切に使うように。」
綾野の活動の結構な時間が金策に取られているのが現状だった。浩太は申し訳なかったのだが金を稼ぐことが出来ていなかった。真知子も同様だ。なので二人は現場で綾野の役に立つことが使命だと思っていた。金策は綾野と結城良彦に任せっきりだった。
二人は車を停めて商店が並ぶ辺りを歩いてみることにした。この辺りの言語はタイ語が多いので、事前に真知子はタイ語を習得していた。風間真知子は元々日本語、英語、スペイン語、ドイツ語、フランス語、イタリア語、アラビア語、ラテン語、北京語、韓国語が話せた。特に一生懸命勉強したことはないらしい。耳から聞けば覚えられるのだそうだ。浩太が真知子を連れて来た理由の一つだった。
真知子は片っ端から聞き込みをしてみた。シャン州にある湖に浮かぶアラオサルと言う都市を知らないか、と問うとみんな知らないと答える。緘口令でも引かれているかのようだ。
「駄目ね、誰一人知らないか、誰も知ってても教えてくれない。自力で探すしかないのかしら。」
誰もがアラオザルの名前を出した途端、余所余所しくなって何も応えてくれなくなる。やはり知らないと言うよりは知っていて隠している、と言う感じが強い。それだけに話を聞くのは難しそうだった。ただ、情報が得られないことと反比例してこの近くにアラオザルはある、ということは確信に近づきつつあった。
第9話 僻地への誘い⑨
岡本浩太と風間真知子が戻って来た。結構な時間ドライブに行っていたのでタウンジー周辺は粗方見れたかも知れない。
「特にそれらしき場所や情報はありませんでしたね。」
「たった一日で諦めると言うの?他人事たと思って気持ちが入ってないわね。」
瞳は少し苛ついて辛辣になっている。自分では理由が判っていない。
「とりあえず見える範囲は、ってことだね。なんとなくだけど、知っていて隠している風にも感じることが有ったんで、近くはないかもしれないけど遠くもない、ってとこかな。」
最後の詰めはマーク=シュリュズベリィからの情報だろう。その辺りは火野も期待していた。一緒にセラエノで本を漁った仲だ、マークならなんとかしてくれるはずだ。
「綾野先生はもう少し待って欲しい、と仰っていました。それまで仲良くやっててくれとも。」
浩太はわざと瞳に向きなおして言った。どうも真知子に敵対心を顕わにしているように見える。浩太としては辞めて欲しいと思う。真知子はまったく気にしていないようだが。
「まあ協力してくれるのは有難い。情報もな。正確な情報だともっと有難い。」
「そうなることを僕も心から期待していますよ。」
とりあえず今日のところは、と浩太と真知子が部屋に戻って行った。それが同室なのを見て瞳は安堵の表情を浮かべるのだった。
「やっぱりそうよね、とういう事よね。」
「何?どうかした?」
瞳の独り言を亮太が聞きつけて反応する。瞳は少しにやにやしながら無視して自分の部屋に戻った。
タウンジー大学から戻った時の打合せ場所になっていた火野の部屋は、火野一人になった。
コンコン。
ドアがノックされた。
「どうぞ、開いていますよ。」
入って来たのは早瀬宗一郎だった。
「そろそろ来られるんじゃないかと思っていました。あなたか本山さんでしたか、若しくは西園寺さんが。」
早瀬宗一郎は日本の内閣情報室11課長で本山は早瀬の部下だ。ツ―マンセルなので本山も来ているのだが、ホテルの別の部屋で待機させている。西園寺とは警視庁公安五課(公式には五課は存在しない)の課員だった。
「まあ、はいそうですかと自由にさせる訳にも行かないのだよ、判っているとは思うが。」
「俺は警告しましたよ。覚えていますか?」
早瀬は当然覚えている。火野たちの行動に枷を掛けることはナイ神父と敵対することに直結するのだ。ただ、それで何もしない、という訳にも行かないのが早瀬の立場だった。
元々ナイ神父や星の智慧派と同盟関係にあるわけではない。彼らの目的からすると必ず敵対することになるだろう。それが火野の件でも敵対することになるだけだ。それが早瀬が行動を起こした唯一の理由だった。上司に逆らえない、という側面もある。上司は早瀬や本山の命など全く気にしていなかった。もちろん自身の命も、だが。それが日本国のためになるのなら、当たり前の話なのだ。
「勿論覚えている。だが立場的には無理なのもまた事実なのだよ。君たちを自由にさせてはおけない。拘束しろ、というのが上の判断だ。大人しく従ってはくれないか。事を荒立てたくはない。それは君も同じだろう。」
確かに火野には事を荒立てる気はない。だがそうなってしまっても仕方ない、と割り切っていた。
「会いに来るだけなら特に何もないでしょうがあからさまに邪魔をされるなら、覚悟してもらわないといけないと思いますよ。」
火野にしても確信がある訳ではない。ナイ神父の介入が無ければ無いで自分たちだけで切り抜けるだけだ。今は特に岡本浩太もいる。軍隊でも来ない限りなんとかなりそうだし、さすがに内閣情報室二人ではどうしようもないと思われた。
「その自信が裏目に出ないといいがな。」
早瀬は捨て台詞を残して部屋を出て行った。今日直ぐに拘束しようとしている訳ではないようだ。話し合いで、というのが政府の方針だとすると、たちまちは大丈夫だろう。明日からは気を抜けない日々が続きそうだった。
第10話 僻地への誘い⑩
「おはようございます。」
火野が大学の構内に借りた一室で朝の珈琲を入れていると岡本浩太がやって来た。まだ八時で火野以外は誰も来ていない。
「おはよう、早いな。風間は一緒じゃないのか。」
「真知子はまだ寝てますよ。朝は苦手なようです。ご存知なのでは?」
「何が言いたい。」
「いえ、瞳さんが気にしているようですが、ちゃんと説明してあげないのですか?」
「どうして、というか何を説明しろと言うんだ。俺と瞳のことだ、放っておいてくれ。」
「ちゃんと言葉にしないと駄目ですよ。特にあなたたちは良好な関係を保っていただかないと困ります。」
「打算的だな。」
「当り前です。立場はわきまえていただかないと。」
「意外だったよ、君は割に常識的なことを言うのだな。」
火野は少し面白かった。浩太の今までの経験を思えば普通の常識的な考えは持ちえないとおもっていたが、彼は未だ常識を保っている。真知子の存在がそうさせるのかも知れない。彼女は風の民だが、その中では異端であり一般人からすると普通の考えの持ち主だった。風の民の力が弱かった所為もあるかも知れない。
「それで、そんなことを言いに朝からここに来たのか?」
「いいえ、そんな訳が無いでしょう。実は綾野先生、というかマークさんから情報が来ました。今から二人で行ってみませんか?」
「なぜ二人なんだ、皆を連れて行けばいいじゃないか。」
「下見ってやつですよ。」
岡本浩太は少し含みのある言い方をした。彼が二人の方がいい、と判断したのであれば、その方がいいのかもしれない。二人ならどんな事が起きても対応できるはずだからだ。危険なことが有るかもしれない、と浩太が考えているのなら、それがただの勘であっても従うべきだろう。
「判った、直ぐに出よう。」
火野は出かけるというだけ書置きをして部屋を出た。浩太のレンタカーに乗り込む。浩太はすぐに車を出した。どうも東へと向かうようだ。
「場所が特定できと、ということなのか。」
「いいえ、そうではありません。着いたら説明しますので、内容はもうちょっと待っていただけませんか。僕も実はよく判っていないのです。」
仕方なしに火野は浩太の運転に身を委ねた。これ以上聞いても話さないだろうと思ったからだ。
そして、自分を騙してどうこうしようという事は考えていないだろうという確信もあった。騙すならもっと巧い方法がいくらでもある。
車で高速を約一時間、高速を降りて舗装されていない山道を約一時間走った。山と言うか森の中の道を走り続けている。一応車が通れるくらいの幅が確保されていた。行き来があるのだ。奥に集落か何かがあることは間違いない。
そして、突然森を抜けて湖に出た。
火野は頭の中で地図を思い浮かべていたが、この辺りに湖などない筈だった。グーグルアースでも散々確認したのた、間違ってはいない。ただの深い森林があるだけだったはずだ。どういうことだ?
「なぜこんなところに湖が?」
「やはりちゃんとありましたね。地図には載っていませんしグーグルアースでも樹海としか見えない場所なのです、ここは。トウチョ=トウチョ人によって空からは樹海に見えるよう巧妙にカモフラージュされている湖なのです。そして、その中央にあるのが。」
「アラオザル、ということか。」
「そうです。そうだと思います。行ってみないと判りませんけれどね。行ってみますか?」
火野は炎を使って上昇気流を産み出し少しなら飛ぶことが出来る。もはや人間ではないな、と自分でも思う所以だ。
「船はありませんし、僕は飛べません。でも連れて飛んでいただければ一緒に行けますよ。」
火野は一旦戻る選択肢を捨ててアラオザル(と思われる場所)に浩太と一緒に行ってみることにしたのだった。
第11話 アラオザル
ふわぁっと浮く。すぅーっと滑るように湖面の上数メートルを移動する。岡本浩太を抱えているのでスピードは遅い。
「飛ぶってこんな感じなんですね。」
浩太が能天気な感想を言う。人並み外れた反射神経を持っていても飛べるわけではないのだ。
湖の中央の島には数分で着いた。広さは結構大きい。都市と言うほどではないが小さな町の広さはありそうだ。ただ高い上空から見たわけではない。
反対側に有るのか、港のような場所は見当たらなかったので普通に砂浜に降り立った。
「なんだかジャングルみたいですね。」
少しの砂浜を過ぎると鬱蒼とした森があった。人がかき分けて入らなければ進めない。けもの道も無かった。
「これは彼女たちを連れて来るにはちょっと問題ですね。簡単には進めそうにない。もっと普通に歩ける道があるといいのですが。」
「そうだな。少し高い所から見てみるか。」
そう言うと火野は空中に浮いた。そのまま高度を取る。が、直ぐに居りてきた。
「駄目だ、上空は何かしらの結界が張られていて木々より高く飛べない。全体を見渡せるところまでは到底上がれないな。」
「そうですか。では地道に歩くしかなさそうですね。湖沿いに周囲を回った方が早いかも知れません。」
二人は一旦砂浜まで戻って時計回りに歩いてみることにした。森の中は到底真っ直ぐ進めないのだ。かと言って火野が森を焼き払う訳にもいかない。
砂浜だったところは直ぐに岩場になってしまった。なかなか歩きにくい。船などが寄り付ける場所はなかった。
1時間ほど歩いた時、少し開けた場所に出た。船着き場のようなものは無かったが、扇状に砂浜が広がっていた。その奥には続く道が見える。ここから奥へと入れるように見える。
浩太は今一度問うた。
「どうやらここからは入れそうですが、このまま二人で入りますか?」
「無論。」
「でも、ここでトウチョ=トウチョ人に会っても話せないんじゃないですか?」
一番の問題はそこだった。火野も瞳も、勿論亮太もタイ語をあまり話せなかった。少しは勉強したのだが自由に操るとは言い難い。トウチョ=トウチョ人がタイ語を流暢に話せるとも思えなかったが、それほど遠い言語ではないとも思っていた。いずれにしても火野たちだけでは意思の疎通に困る可能性がある。
「それはそうなんだが。では、どうするんだ?」
「アラオザルらしき場所があることは確認できましたし、少し入ってみて安全かどうかを確認したうえで皆で来る、というところですかね。まあ、安全は僕と火野さんで保証するしかないですが。」
「少しくらいは話をしたうえで彼女たちを連れてきたいんだがな。確かに意思の疎通が出来ないとどうしようもない。判った、一旦戻るとしよう。」
火野も納得した。トウチョ=トウチョ人との意思疎通は、元々可能かどうかは不明なのだ。
二人は車を停めた場所まで戻って来た。乗り込んで元来た道を帰る。
「どう思う?」
「どうとは?」
「トウチョ=トウチョ人があの場所に居るかどうか、ということだ。」
「居るんでしょうね。」
「だが全く警戒されていなかった。」
確かに道はあったが誰も見張ってはいなかった。侵入者は入りたい放題だ。隠していない、若しくは隠れていない、ということだろうか。
それにしては現地周辺のトウチョ=トウチョ人の情報が少なすぎる。この場所を見つけるのが難しいことは理解できるが、実際に来てしまえば直ぐに見つかってしまうだろう。
「中に入れば判りますよ。」
浩太は陽気に応えるのだった。
第12話 アラオザル②
「どうして連れて行ってくれなかったのよ。」
真知子は怒っていた。置いていかれたことが納得できないのだ。情報を隠していたことも含めて、珍しく浩太を責めていた。真知子としては浩太の能力は十分理解していたが、自分がいることで助けになることもあるはずだと思ってるのだ。
「ごめん、ごめん。火野さんと二人でとりあえず偵察に行ってきたんだよ。一応場所は特定できたから、ちゃんとみんなで一緒に行こうと戻って来たんだ。」
そう言われても真知子は全く機嫌を直さない。
「なんだか風間さんが先に怒るかせ、私は怒る気が失せたわ。」
瞳も本当は置いていかれたことに腹を立てていたが、真知子の剣幕に出る幕が無かった。
「とりあえず、今日は準備をして明日向かう事にしよう。」
火野は真知子が怒っているところを初めて見た。火野と居た時は感情を露にすることなどなかったのだ。
準備をするためにそれぞれが部屋に戻り、真知子が浩太と二人になった。
「あれでよかったの?」
「いいよ、あんな感じで大丈夫さ。君がああしてくれれば瞳君は怒れなかっただろ?」
「なんであたしは怒ってもいいのに彼女は怒らせたら駄目なのよ。」
「彼女にはできるだけ感情の起伏が無いようにしたいだけさ。ただの気休めだけどね。」
彩木瞳。彼女は始まりの少女。全宇宙を初めからやり直させることができる。火野は彼女に今の人類が地球や宇宙に相応しい存在なのかどうかを判断させるため様々な人に会う旅を続けている。トウチョ=トウチョ人の長老に会うのもその一環だった。人類だけではなく他の種族にも会ってほしかった。
「本当にただの気休めね。何かの効果があるとも思えないわ。」
「まあ、いいじゃないか。」
「良くないわよ、私、なんだか怒りっぽいと思われてるんじゃないかしら。」
火野に、というより瞳にそう思われるのが少し心外だった。
翌日の朝、全員が装備を整えて集まった。
「じゃ、行こうか。」
「なんで浩太が仕切っているのよ。火野さんでしょ、ここは。」
「風間君、いいよ。行こう。」
浩太たちの借りているランクルに乗り込んで一行はアラオザルへと向かうのだった。
昨日二人が来た場所に車を停めた。
「火野さん。」
「うん、どうしたんだ、これは。」
そこには昨日見たはずの湖が無かった。
第13話 アラオザル③
「昨日は確かにここに有った。」
誰に言うでもなく浩太がつぶやく。そこには元来た道と同じような森がずっと続いているだけだった。昨日はそこが確かに湖だった。もしかしたら森に見えているだけで実際には湖ということも、と思い浩太が徒歩で湖があった方向へ進んでみたが、そこは森だった。湖は無い。
「火野さん、どういうことなのでしょう。」
火野もその答えを持ち合わせてはいなかった。
「判らない。昨日は確かにここに湖があった。」
「何なの?二人で昨日夢でも見ていたんじゃないの?」
堪りかねて真知子が割り込む。二人を知っている真知子には、そんな筈か無いことは十分判っているのだが。
「火野さん、本当にこれはどうしたっていうんですか?」
瞳も黙ってはいられない。亮太は車から降りてきさえしなかった。
「俺にも判らないよ。この場所は間違いなく昨日来た場所だ。昨日はこの先に湖があって、その中心にアラオザルらしき島があったんだ。島まで行って、二人で入り口を確認して戻ったんだから、本当にあったんだよ。」
四人は暫らく周辺を捜索してみたが、やはり湖は影も形もなかった。
「折角見つけたと思ったのに、また一からか。」
火野が少し落ち込んだ口調で言うが誰もそれに応えなかった。
四人が車に戻ると車で寝ていたと思っていた桜井亮太が居ない。衛星携帯で呼んでみたが車に置いてしまってていた。
「亮太はどこに行ったんだ?」
その火野の問いにも応える者は無かった。
仕方なしに少し車で待っていると亮太が戻って来た。
「亮太、勝手にどこに行っていたんだ?」
「ごめん、何かが動いた気がして、それを追って行ってみたんだ。」
「単独行動は危険だといつも言っているだろう。」
「うん、判っているんだけど見失ってしまうと思って。」
「それでどうしたんだ?」
亮太が動くものを追っていくと火野たちが探しに行った方向とは逆の方に向かっていた。但し、方向からすると元来た道の筈なのだが、元来た道とは全く別の道のようだった。
しばらく行くと湖に出た。
「これが火野さんたちが言っていた湖か。ちゃんとあるじゃないか。」
しかし方向が全く逆だ。亮太は位置を確認して車に戻ったのだった。
「どういう事だろう。何かの結界のようなものか。これで誰もたどり着けない、ってことなのかな。」
「岡本君、何か心当たりがあるのか?」
「心当たりというか、それしか考えられない、ってことですかね。でもそれならなんで昨日はたどり着けたんでしょうか。」
「そういえば昨日は例の入り口には誰も居なかったじゃないか。本当はあの場所に見張りが居て誰も近づかないように結界も含めて見張っているんじゃないかな。」
「その辺りが正解かも知れませんね。向こうで何かあったのかも知れません。」
改めて五人で亮太が見つけた方向に行くと確かに湖があった。
「本当にあったのね。」
「なんだよ、信用していなかったのか。」
「だって、無かったんだもの。でも浩太だけならまだしも火野さんも同じことを言うから、少しは信用していたんだけど。」
「僕より火野さんを信用しているなんて、ちょっと傷ついた。」
「ちょっと、痴話げんかは後にして。さっさと行くわよ。」
五人は用意してきたボートで湖の中心の島に向かう。オールで漕いでいては時間が掛かって仕方ないので、火野と真知子が協力して推力を作った。
そして、五人はアラオザルと思われる島に上陸したのだった。
第14話 アラオザル④
ボートを付けられる場所があまりなかったので昨日奥への道をみつけたところとは少し離れたところに上陸した。そこからは徒歩だ。
「ちっょと待て。」
戦闘を歩いていた火野が一同を止める。
「見ろ、昨日のところに誰か立っている。やはり本来は見張りが居るようだな。」
そこにはトウチョ=トウチョ人と思える矮人が二人、槍のような物を持って立っている。奥への入り口はここで間違いないと思わせてくれる目印にもなってしまっているが。
「どうするかな。」
このまま一行で見張りと交渉して入ることも可能なのかもしれない。まずは言葉が通じるかどうかに寄るのだが。
荒事になってしまった時には逆に問題なく通れるだろうが、入った後のことが心配だった。つまり選択肢は一つ、なんとか頼んで中に入れてもらうことだ。
「風間君、頼めるか?」
トウチョ=トウチョ人が何語を話すのかは分かりませんがタイ語が少しでも通じるのなら、後はなんとかなると思います。」
真知子が一応護衛として浩太を連れて見張りに話かけることにした。
「行ってくるわ、ちょっと待ってて。」
そういうと真知子はさっさと歩き出す。姿を隠すような素振りもせずに堂々と歩いて行った。浩太は慌てて後を追う。
火野たちが影で見守っていると、二人は見張りの二人に近づき槍の切っ先を突き付けられて両手を挙げている。が、その態勢のまま真知子が何かを話している様子が見て取れた。通じているのだろうか。
やがて見張りの二人は槍を戻した。真知子がこちらに手招きする。交渉は成功したようだ。火野たちも合流する。
「上手く行ったようだな。」
「冷や汗ものよ。なんとか言葉が少し通じたから敵意が無いことを伝えたのと、ピアスを片方づつで話が付いたわ。」
確かに真知子の耳からはピアスが両方無くなっていた。トウチョ=トウチョ人というのも案外俗物なのかも知れない。
「それで感じたんだけど、中に入ったら色々と光物が有効だと思うの。それと長老には特別な手土産が必要じゃないかしら。」
「そんなもの用意してないわよ。」
瞳は装飾物を全く付けていなかった。
「それで少し話をしたんだけど、この人たちはまた明後日当番で見張りに立つみたいなの。その時なら通してくれるそうよ。明後日までに用意して戻ってくる、というのはどう?」
思いもしなかった出費だが仕方がない。なんとか街に戻って貴金属をいくつか用意して二日後にまた戻ってくることにした。
「それにしてもトウチョ=トウチョ人が宝石で買収できるとはな。」
「なんだか一族の中でもピアスや指環、ネックレスが流行っているらしいよ。宝石自体は昔からあるみたいだけど。」
「ここいらでも採れるものかあるだろうから、そういうこともあるか。いすれにしても一旦街に帰ろう。」
火野は貴金属を買う原資のことで頭がいっぱいだった。
第15話 アラオザル⑤
「心配はいらないわよ。私があげた物をさっきあんなに喜んでくれてたんだから。あれイミテーションだし。」
「なんか、こめん。」
運転席から浩太が言う。
「なんで浩太が謝るのよ。」
「本物を買ってやれないからさ。」
「そんなの気にしてないわ。だから、街できらきら光るものなら何でもいいんじゃないかしら。」
「それなら助かるが大丈夫だろうか?」
「長老用に少し本物も持って行った方がいいかもね。」
結局本物の貴金属も買わないといけないのか、と火野は財布と相談を始めた。
タウンジーに戻ると一行は街の雑貨屋に立ち寄る。そこにはイミテーションの宝飾類が多数置いてあった。結構な数を買い占め、少し高級なものを求めて宝飾店に向かう。
その道中、浩太が誰かに電話を掛けていた。
「なんだ、どうかしたか?」
「綾野先生でした。いい知らせです。スポンサーが見つかったそうです。女王陛下がお亡くなりになられたり今上陛下が上皇様になられたりして一時は大変だったのですが、ブルネイの何代か前の国王の直系の方と話が付いたそうです。在位期間は2~3年と短かった国王ですが資産は相当なものらしくて、ご協力いただけるとのことです。今回の事情を話したら、少々のことなら大丈夫たと仰ってました。」
「それはありがたい。」
綾野は活動資金集めに政治的には係わりを持たない国王を回っているのだった。国家元首は政治的背景も様々で容易に協力を得られないことが多い。国王同士のネットワークで紹介をしてもらって飛び回っている。今回は国王直接ではないが相当有力な王族に会えて知遇が得られたのだ。
火野たちは買い物を済ませると一旦ホテルに戻った。アラオザル行きは明日だ。帰りの道中、火野は付けて来ている車に気が付いた。心当たりがあり過ぎて特定はできないが、一番有力なのは内閣情報室早瀬一行だろう。態と見つかるように付けて来ている。明日は付いてくるかも知れない。アラオザルの住人には招かざる客だろうが、それは自分たちも同じな筈だった。
「早瀬課長が付いてきていましたね。」
岡本浩太も気が付いていた。そして同意見だ。
「明日は付けられるでしょうね。そのまま連れて行きますか?」
「途中で拘束でもするか?」
「まあ無駄ですね。死しない限り付いてきますよ、あの人たちは。」
「そうだな。では仕方ない、せいぜい振り回してから行くとしよう。」
「少し離れて付いてきていたら、あの場所で迷ってしまうかも、ですね。」
「それ程間が抜けているとも思えないがな。まあ、心配してもしょうがない。こちらはこちらで予定通りいくだけだ。」
「判りました。では明日。」
明日は様々な思惑を持った人々を引き連れてのアラオザル行きになる。
第16話 アラオザル⑥
次の日。五人は昨日と同じ道中を東に向かった。昨日停めた場所で今日も車を停める。そして、本来行くべき方向とは逆に向かう。道中、数台の車が付いてきていたが、向かう方向から来ている車は無い。それはそのはずだ、戻る道が行く道なのだから。この違和感を感じられた者だけがアラオザルに辿り着けるのだ。
五人は昨日と同じようにアラオザルへの入り口に着いた。昨日居た見張りとは別の二人が立っている。こちらを見付けると笑顔で話しかけてきた。どうやら昨日の見張りに色々と聞いているようだ。
今日の見張りにもキラキラと綺麗なイミテーションの宝石を差し出すと、すごく嬉しそうにして五人を通してくれた。今のところ後ろから付いてきている者たちは居ない。もしここまで来れたとしても通してもらえないだろう。だが見張りのトウチョ=トウチョ人を排除してまでも入り込んでくる輩は居るかもしれない。五人は前にも後ろにも注意を払いながら森の中を進む。
入り口から後は分かれ道の連続だった。曲がりくねっている上に行っても行っても同じような森が続いているので正確に奥へと進めているのかが判らない。いくつか行き止まりの道を引き返しているとトウチョ=トウチョ人が現れた。昨日の見張りの一人だ。どうやら今日来ると言っていたので迎えに来てくれたらしい。お礼にイミテーションを渡すと喜んでいた。そこからは迷うことなく奥へ奥へと進めた。
真知子が辛うじて通じるタイ語崩れのような言語で話をすると、長老の所まで連れて行ってくれるらしい。話が上手く行きすぎる気もするがトウチョ=トウチョ人が騙すようなことはしないだろうとついて行くことにした。
森の中を1時間か2時間、但し時間の感覚が無くなっているのと携帯や時計などが止ってしまっている状況なので正確な時間は判らなかったが、やっと森を抜けることが出来た。
そこにはかなり広い空間が広がっていた。木々が天井の代わりに全体的に広がっているので太陽はあまり差し込まないのだが灯が付いている。当然電気などあるはずがないので何かの魔法だろうか。目が慣れないと少し薄暗く感じるのだが、ずっと森の中を歩いてきたのでなんとか普通に歩くことができた。
アラオザルの街はすり鉢状になった火山の火口の斜面のようなところに広がっている。街の中に入って居ることは坂を降っていくことなのだ。螺旋状に道が降っていて下の方はかなりの深さまで続いているようだ。
下の方を見るとぼぉっと柔らかい光で包まれている。逆のその所為で底がどこまであるのか判らなかった。
案内してくれるトウチョ=トウチョ人について降る。どうやら長老の屋敷は相当下層にあるようだ。高齢な者ほど下に住むらしい。
「どこまで続いているんだろうね。」
「下の方は霧か何かで全然見えないわ。」
「そうだな。でも降るしかない。用心して降ろう。」
五人は下へ下へと降ることに不安を覚えながら付いて行く。騙されて捕まってしまう危険もあるので、本当はあまり下へは行きたくないのだが仕方がない。降らないと長老に会えないのだ。
どんどん下に降りて行くが明るさはあまり変わらなかった。やはり何かの魔法の様だかシステムは判らなかった。
第17話 アラオザル⑦
街のサイズがトウチョ=トウチョ人に合わせてあるので通路や建物も少しづつ小さい。
今案内してくれているトウチョ=トウチョ人も多分1メートルと少ししか身長が無いが成人ではあるようだ。
建物も少しづつ小さいので入るとしたら屈んで入らないといけないだろう。
最下層ではないが相当降りたあたりで案内のトウチョ=トウチョ人が立ち止まった。長老の家の前のようだ。あまりにもすんなり辿り着けたので少し拍子抜けしてしまっていたが何事も起こらない方がいいに決まっている。
「ここが長老の家だそうよ。入ってもいいみたい。貢物は多いに越したことはないって。」
辛うじて話が通じる真知子がなんとか理解して通訳する。万が一とんでもない間違いをしてしまったら命取りになり兼ねないが他のメンバーでは全く意思疎通が出来ないので信じるしかなかった。荒事になれば火野と浩太で切り抜けるしかない。
「入ろう。」
火野が決断する。他の四人も異存はない。中に入るとやはり少し天井も低いが立てない高さではなかった。入って直ぐの部屋に数人のトウチョ=トウチョ人が居たがどうも長老ではないようだ。
案内してくれたトウチョ=トウチョ人が何やら説明をしてくれている。真知子が話しかけられる。
「この人たちにも貢物だって。」
大量に持ってきた紛い物の貴金属を大盤振る舞いするととても喜んでいる。騙している訳ではない。欲しいというからあげているのだ。
一通り騒ぎが落ち着いた時、奥から一人背丈は他のトウチョ=トウチョ人よりも少し高く恰幅もいいトウチョ=トウチョ人が出てきた。どうやら、これが長老らしい。
「この人がトウチョ=トウチョ人の長老、エ=ポウ、と言う人らしいわ。」
一同、皆一通り情報は頭に入れてある。その中にトウチョ=トウチョ人の長老の名と年齢もあった。それが正しいのであれば今目の前にいるエ=ポウは七千歳を超えているはずだ。確かにそう言われれば見えなくもないが普通の生物が七千歳を生きることが可能なのだろうか。
「初めまして、俺の名は火野将兵、こちらは彩木瞳と桜井亮太、岡本浩太と通訳をしてくれている風間真知子。長老におかれては面会を許してもらってありがとうございます、礼を言います。」
火野は持ってきた残り全ての紛い物を長老に手渡した。今までのトウチョ=トウチョ人とは違いエ=ポウはそれほど喜びを表には出さなかったが、多分見間違いでなければ少し微笑んだようだ。
「遠くから来た客人、どうもありがとう。それでどんな用で来られたのか、と聞いておられます。」
真知子の通訳を通さないと話が進まないのはもどかしいが少しずつ話すしかない。
「実は長老にお聞きしたいことがあってここまで参りました。」
火野はトウチョ=トウチョ人の長老エ=ポウにここまで来た理由を話すのだった。
第18話 アラオザル⑧
火野は彩木瞳が始まりの少女という役割を背負わされていることを説明した。その肩に宇宙中の運命がかかっていることも。そして、その役目を終わらせることが出来る終わりの少年、桜井亮太の役割も伝えた。
エ=ポウは黙って聞いている。真知子の通訳の拙さでどの程度のことが伝わっているのかは判らない。ただエ=ポウは神妙な表情で聞き入っている。
「それを踏まえたうえで、彼女に人類が生きる意味を、今後この宇宙の中で地球人が存在していく意味を判断してもらいたいと思っているのです。そして、彼女がこの宇宙に人類は不要だと判断した場合は、彼女の判断によって宇宙そのものをリセットしてもらいたいのです。但し、その逆で彼女がこの宇宙にとって地球人が必要不可欠な存在だと思ったのならリセッターとしての彼女の役割から解放してあげたいのです。」
火野が話をしている間は火野の、真知子が通訳している間は真知子の目を真っ直ぐ見ながらエ=ポウは一言も発せずに聞いていた。そして、真知子の通訳が終わると、徐に、なんと流暢な英語で話し始めた。
「まず、このアラオザルまでよく来られた。普通はなかなかこの場所を見つけることが難しいのだが、あなたたちは辿り着かれた。それはあなたたちが私に会うべきだと思われた方のお導きであったのであろう。その意味でもあなたたちの役に立つことは吝かではない。あなたたちの事情や背景も理解した。」
そして瞳の方に向き直って続ける。
「あなたも大きな役割を与えられてしまって大変ですね。ただ彼も思っているようにあなたには重大な判断ができる人だと思うのです。神は、ああ、あなたたちの言う神とは少し違いますが、神はその役割を果たせない人にはそんな重大な役割を与えることはなさいません。あなたなら立派に役割を果たされる事でしょう。そしてご自身の判断を後悔為されないことです。どんな判断であろうとあなた自身で決めるべきです。その意味で彼の行動は正しい。」
エ=ポウは普通に英語を話せるようだ。それであれば一同は亮太を除きほぼ通訳なしで会話が出来る。
「ああ、あなたたちは日本人でしたね。日本語でお話ししましょうか。」
エ=ポウは今度は流暢な日本語で話をする。七千歳も生きていれば、そんなこともあるのかと火野たちは感心した。これなら亮太にも判るので有難かった。
「日本語もお話になられるんですね。」
「はい、私ともう一人は日本語も話せます。英語を話せる者はもう少しいます。長く生きていますと、その位はできるようになるのですよ。」
そうは言うが日本語の習得は相当難しかったはずだ。
「七千歳を超えられているのは本当のことなのですね。」
「七千歳?ああ、巷にはそう伝えられているのですね。ただの都市伝説ですよ。いくらトウチョ=トウチョ人といえども七千歳も生きられません。」
「そうなのですね。でもそれではおいくつなのですか?」
「もう数えておりませんので正確には覚えていませんが多分六千代の半ばあたりだと思いますよ。」
あまり変わらないじゃないか、と突っ込みたかったが流石に皆んな自重した。相手は真面目に答えているのだ。
「あなたたちの役に立てるのなら、いくらでもお手伝いします。暫らく滞在されるのであれば歓迎しますよ。」
「それは有難い。お言葉に甘えて少しの間お世話になります。」
一行はエ=ポウの家に滞在することになった。部屋の数はあるので問題はなさそうだったが、やはりサイズが小さい。火野は180cm近くあるので特に狭く感じてしまう。
「結局、ここで何をしようとしているんですか?」
浩太は火野に問う。火野にはまた別の思惑があるように思えるのだ。
「長老に色々な話を聞きたいだけだ。他に他意はない。」
「それだけの為にアラオザルまで来たと?」
「そう言っているだろう。逆に聞くが他に何があるというんだ?」
「それは。」
浩太はそれ以上火野を問い詰めなかった。火野たちと合流する前、綾野とは別の話をしていたのだ。火野の本当の目的についての話だった。
勿論エ=ポウに会って話を聞きたいというのも嘘ではないだろう。ただそれだけの為にアラオザルを探していたとも思えない、というのが綾野の意見だった。推定は可能だが、直接会ってより確実な推定をするよう綾野からは指示されていた。
火野の行動によって、やはり彩木瞳の安全が侵されることは避けなければならない。そのための浩太だった。
第19話 アラオザル⑨
それから暫らくはアラオザルでトウチョ=トウチョ人と人間の係わりを教えてもらった。人間は亜人(本人たちは勿論亜人だとは思っていない)を下に見ているし、それを隠そうともしていないかった。
トウチョ=トウチョ人を捕らえては見世物にしたり単純に労働力として使役したりしており、酷い扱いをしてきた。重い労働で死んでしまっても気にも留めないのだ。
トウチョ=トウチョ人の歴史は人間からの迫害の歴史だった。それをエ=ポウは包み隠さずに伝える。自身が経験してきた六千年を超える迫害の歴史だ。それは壮絶だった。トウチョ=トウチョ人がほぼ絶滅寸前にまで追い詰められた時代もある。
エ=ポウは自らのイメージを相手にそのまま伝えることが出来た。エ=ポウの記憶が映像として伝えることが出来る。それが多少改竄が生じていたとしても火野たちには判らない。
エ=ポウが瞳の存在をどう利用しようとしているのか。若しくは、ただありのままに本当の事を伝えて火野の様に瞳に判断を委ねようとしているのか、浩太には判断が付かなかったが、浩太としても耳を塞ぎたくなるような悲惨な話が続く。
「火野さん、ずっとこれを繰り返すつもりですか?各地の迫害されている先住民族たちを回ったりして」
「それはある程度は必要だとは思っているが、それよりも地球的規模の話をしたいとは思っている。人類が宇宙というよりは地球に必要なのかどうか、という視点でな」
浩太には火野が瞳を人類にとっては悪い方向に誘導しているように思える。もしそうなら、このまま瞳を火野の管理下に置いておくわけにはいかない。
浩太から見ると瞳は特に何かの感情を交えてエ=ポウの話を聞いているようには見えなかった。出来る限り平易な感情を保ちながら話を聞くように努めているようだ。それは好ましいことではあるが、いつ負の感情に囚われてしまうのか、それは瞳本人にも判らない事かも知れない。
亮太と言えばエ=ポウが日本語で話をしてくれているにも関わらず、特に関心のある様子はなかった。自らの役割も含めて瞳に全権委任している、と普段から公言しているのだ。
そして、一通りのトウチョ=トウチョ人の歴史は聞くことが出来た。
「なんだか途中からは耐性ができたわ」
瞳はそう感想を述べた。今のところ悲惨な話がそのまま自身の心に影響を及ぼしてはいないと自覚している。
「それが良いことなのか悪いことなのかは判らないけどね」
「それでいい。そのスタンスが必要なんだ。これからもその調子で行ってもらえばいい」
その言動からは火野の真意は推察できなかった。
「こんなことでよいのか?一通りの我らの歴史は語らせてもらったはずだが」
「長老様、十分です。よく話していただきました。瞳にとっては有意義なお話となった事でしょう」
「それで?」
「それで、とは?」
「そなたたちは、我らの歴史を聞きに来ただけではあるまいに」
「いいえ、俺たちはただ長老のお話を聞きに来ただけですよ、他意はありません」
「火野さん、本当にそれでいいんですか?」
「岡本君まで何を言っているんだ、他意はないと言っているだろう」
火野は頑なだった。浩太とエ=ポウの認識は共通している。トウチョ=トウチョ人の長老の話を聞きに来ただけの筈がない、という点で。
その時だった。何か上層で騒ぎが起こっているのが聞こえてきた。何か揉めているのか大きな声で怒鳴っているのが聞こえる。何を言っているかまでは聞こえなかったが揉めているのは確かだ。
「何かあったようですね、俺たちでお力になれることがあれば何なりと仰ってください」
「うむ。上のことは上で対処するだろう。そなたたちは客人じゃ、構う事は無い、ゆっくりとしておるがよいわ」
そう言うとエ=ポウは側近の者に様子を見に行かせた。トウチョ=トウチョ人同士の諍いなら問題ないのだが、そうではないなら少し厄介だ。火野たちが厄介ごとを招いたのかも知れない。一行は報告を待つのだった。
第20話 アラオザル⑩
報告を待っていたが、いつまで経っても側近は戻って来ない。もう一人別の側近を見に行かせたが、その側近も戻らなかった。
「長老、俺たちも見に行きましょう。何かお役に立てるかも知れない」
「そうか、ではお願いしようかの」
エ=ポウと瞳、真知子、亮太を残し火野と浩太が上へと登る。
途中、降りて来た時には大勢いたトウチョ=トウチョ人が一人も居ない。全員上に登っているのだろうか。騒ぎは収まっているのか、静かだった。
「やはり何かが起こっているようだな」
「そうですね。急ぎましょう」
長老の屋敷から街の入り口までの坂の内、約半分を超えたあたりで人の気配がした。
「人が集まっているな」
「行ってみましょう」
そこでは大勢のトウチョ=トウチョ人が集まっていた。真知子を残してきているので口々に何を言っているのか判らない。
トウチョ=トウチョ人をかき分けて上へと進む。騒ぎの中心はまだ上のようだ。
「お、火野君、やっと追いついた」
上の方から聞き覚えのある声がした。あまり聞きたくなかった声だ。
「早瀬さん、ここまで来れたんですか」
それは内閣情報室の早瀬課長だった。それに後ろに確か本山とかいう同じ内閣情報室の人間が居た。
「苦労したよ、火野君連れて行ってくれないんだから」
「連れて行くなんて約束していませんが」
後を付けて来ていたのは判っていたが、あの絡繰りを超えてくるのは偶然が重ならない限り無理ではないかと思っていたのだが。
「それで何をしに来られたんですか?」
「連れないねぇ。君たちをトウチョ=トウチョ人から助け出すために来たのに決まっているじゃないか」
火野と浩太は意味が解らないことを言われて呆気にとられた。早瀬は何を言っているのだろうか。
「助ける、って俺たちは別にこの人たちに捕まったわけじゃありませんよ」
「いや、君たちはトウチョ=トウチョ人に迫害されている。それを私たちは助けに来たんだ、間違いない」
その設定でアラオザルを壊滅に追い込む算段なのだろうか。無理があり過ぎると思われるが。
「何か別の目的がありそうですね。でももしそんな言い掛かりでアラオザルをどうにかしようと思っているのなら俺はあなたを許しませんよ」
「おいおい、脅すんじゃないよ、怖いな。君が言うと冗談に聞こえない」
「勿論火野さんは冗談を言う人じゃありませんよ」
浩太も追随する。アラオザルを見つけてしまったことで彼らが被害に遭うのは許容できなかった。
第21話 双子の神
「判った、判った。今のところ君たちを敵に回すつもりはないよ。アラオザルはこのままだ、何も起こらない。それでいいかい?」
内情の早瀬課長は対応が早い。元々その選択肢もあったのだろう。連れの本山も特に異議を言わないのが、その証拠だ。想定の範囲内なのだろう。
「理解していただけて幸いです。アラオザルにあなた達を呼び込んでしまったことは、長老には本当に申し訳ないことをしてしまったと思っているので、二度と足を踏み入れないと約束していただけると、もっと有難いのですが」
火野が畳掛ける。言質を取っておきたいのだ。
「そこまで約束しないと?」
「そうですね。お願いします」
火野は引かない。
「判った。約束する。但し条件が一つ」
「条件ですか。なんでしょう俺たちにできることなら」
「いや、君たちに、というよりはトウチョ=トウチョ人の長老にお願いしたいことがあるんだよ。多分君たちとも目的は同じだと思うんだが、違うかね?」
早瀬課長は「判っているんだぞ」という眼差しで見てくる。
「具体的に仰ってください」
「判るだろう。トウチョ=トウチョ人が崇拝する対象に会わせてほしい、ということだよ」
浩太が思っていたのも、その事だった。折角アラオザルまで来て長老と懇意になれたのだ、アラオザルをもっと下って行くとそこに封印されているロイガーとツァールに出会えるはずだった。
「それは俺たちの目的ではないですね」
やはり火野は認めない。本気で思っているかのような返答だ。本気で長老と話をしにきただけなのだろうか。
「本気かい?ここまで来てそのまま帰るつもりだと?」
「そうですよ。エ=ポウ長老のお話を聞けただけで十分です。あなたたちこそ旧支配者に会ってどうするつもりですか。その力の一端をどうにか手にすることが出来ないか、とか思って来られたのかも知れませんが、無理な話だと思いますよ」
確かにその眷属でも信者でも無い者に対して何らかの力を貸し与えることはあり得ないだろう。
「それはそうかも知れんが、私たちはここまで来て手ぶらでは帰れないんだよ。せめて一目でも実物を見てからでないと絶対に帰らない。そこは譲れない。もし邪魔するのなら殺してくれ、そうじゃなければ私たちは地下に向かう」
早瀬課長は真剣だった。確かに何も持ち帰らずトウチョ=トウチョ人の街アラオザルを後には出来ない。
「どうしても、ですか。でも長老の許しが出ない限り無理だと思いますよ」
それも当たり前の話だ。長老に無理強いをするのなら、そこは火野たちが許さない。長老か駄目だと言えばそれまでだ。
「長老に取り次いでくれないか。そうじゃなければ私たちはここから動かない」
駄々っ子の様に早瀬課長が言う。梃子でも動かないという気概が見える。火野と浩太がいれば力づくで外に出すことも可能だろう。がだ火野はそういう事もやりたくなかった。
「仕方ありませんね。では長老の判断を仰ぐことにしましょう。でも長老が駄目だと言うのであれば、そこで諦めてください。万が一許しが出たとしたら、俺たちもついて行きます。あなたたちの自由にさせる訳には行きません。そこは前もって理解しておいてください」
火野が折れた。浩太は元々そのつもりだったので長老次第ということは納得だった。浩太としても無理に、とは思ってはいなかったのだが、許しが出たらとも思っていたのだ。
火野と浩太は早瀬課長と本山を連れて長老の元に下って行くのだった。
第22話 双子の神②
「結局ここまで来てしまわれたんですね」
早瀬の顔を見ると真知子が残念そうに言った。本当はなんとか捲いてしまいたかったのだ。
「生憎私たちも捲かれましたでは済まない立場なのでね。でもちょっと時間が掛かってしまったのが、こちらとしては残念だった」
「長老、彼は日本政府の内閣情報室というところの職員さんです。その職務に忠実なたる、こんなところまでやって来てしまいました。付けられてしまった俺たちのミスです。申し訳ありません」
エ=ポウは特段怒った表情にもならなかった。
「よいよい。ここまで来れたのは何かのお導きであろう。それで、この御仁たちは何故アラオザルを訪れられたのであろうか」
問題はそこだ。その回答でエ=ポウが激怒してしまう可能性も高い。それもあって火野は決して触れてこなかったのだ。
「初めまして、エ=ポウ長老様。私は日本国内閣情報室の早瀬と申します。こちらは同僚の本山といいます。私たちがこのアラオザルまで来た目的は、トウチョ=トウチョ人の皆様が信望しておられる双子の神にお目に掛りたい、それだけです」
浩太もそれが火野の目的だと思っていた。正直なところトウチョ=トウチョ人の話を聞きたいというのはただの口実で、エ=ポウの信頼を得たところで火野が切り出すものだと思っていたのだ。
しかし、今思うと火野は早瀬たちが追い付いてくることを見越して、彼らに双子の神との対面を切り出させる、という作戦だったのかも知れない。もし早瀬たちがエ=ポウの不興を買っても自分たちは傷つかない、ということか。それまでの時間稼ぎだとしたら、火野は中々の策士だと思っておいた方がいいかも知れない。
「なるほどの。我らが神に会いたいと申すのか。それは何故じゃ」
会いたい理由、それを正直に早瀬が言う訳は無かった。日本政府としては旧支配者の力の一端を安全に利用できないかと考えているだけだ。若しくは他国に利用されないか、それを確かめたいという側面もある。
「トウチョ=トウチョ人の皆さまの神にお目に掛りたい、ただそれだけのことでごさいます、他意はございません」
見え見えの嘘だが、本当に事を言って追い返されるわけにも行かない、というところか。
「目通りしたいだけ、とな。なるほど、なるほど、よろかろう、ここまで来れたということは我らが神に会ってもよいという思し召しかも知れん」
エ=ポウは簡単に了解した。それか逆に怖かった。何かを企んでいる、若しくは双子の神の眼前に罷り出るだけで邪な企みを暴き出すことができる、というようなことがあるのだろうか。
「しかし、我らの仕来たりで一度に我らが神の御前に連れて行けるのは私以外に四人までになってしまうが、それでもよいか?」
四人。話の都合から一人は早瀬で決定だが、後三人。
「本山はここで待っていてくれ。」
早瀬は部下に長老の家に留まるように言った。何かの目的があるのかも知れない。
「火野君、君も一緒に行こう。そして、彩木瞳君、当然君もだ。あと一人は」
「僕も行っていいですか」
浩太の目的も双子の神に会う事だ、ここで置いていかれる訳には行かない。
「じゃあ、亮太と風間さんは悪いけど留守番で」
瞳にも双子の神に会って欲しい、というのが火野の目的だったはずなので、この人選は正しい。
「では直ぐに行こうか、付いて参れ」
そう言うとエ=ポウは先頭に立って下へ下へと降りていく。螺旋階段をどんどん進む。居住用の建物が無くなってしまってからも降り続ける。
降り続けていると下から何か吹き上がる風のようなものを感じるようになってきた。それが少しづつ強くなっていく。何かの臭いもする。獣臭とでもいうのだろうか、だんだん強烈な臭いになっていく。
「もう少しで付きます」
エ=ポウが言った途端、降っていた螺旋階段は少し緩やかになった。そこが近いようだ。
第23話 双子の神③
アラオザルの最下層に着いた。螺旋階段の果てだ。
底は広大な大地の様だった。但し地底の大地だ。ごつごつとした岩が敷き詰められたかのようだ。
螺旋階段の底なので当然天井は無い。見上げると、どこまでも続いているように見える。時間的には昼間の筈だが、星が見えるような気がした。
「着きました。ここが双子の神が御座すところです」
エ=ポウが告げる。双子の神が御座す、というのだが、その姿は何処にも見えない。
「長老、双子の神はどちらにいらっしゃるのですか?」
早瀬が問う。広すぎて少し暗いのだが双子の神の姿は何処にも無い。サイズ感は不明であるが、人型程度ではないだろうし、それ相応の大きさがあるはずだった。
「ああ、あなたたちには見えないのですね。ほれ、そこにいらっしゃいますよ」
エ=ポウが指をさす先には、やはり何も見えなかった。
もしかしたら双子の神など元々ここには居ないのだろうか。それとも本当にそこにいるのだが眷属であるトウチョ=トウチョ人以外には見えないとでもいうのだろうか。
「強大な力を持った何かが近くに居るのは確かです」
岡本浩太が冷や汗をかきながら呟く。それは火野も同だった。今まで浩太はナイアルラテホテップ、クトゥルー、ツァトゥグアとの邂逅はあったが、双子の神はまた別の意味で異質のようだ。
その場では一定の方向に風が舞っている。但し、少し強い程度で強風というほどではない。風に乗って何かの臭いがしてくる。それが、そこに何かが居ることを物語っている。それは確かに何らかの生きている臭いだった。
「我が双子の神は眠っておられるようです。起きておられるのであれば、そのお姿も見ることができるでしょうが」
眠っている間は不可視の存在になってしまうのか。他者から身を守るのであれば、それは正しい。
「今は眠っているのだとしても、いつ目覚められるかは判るのですか?」
双子の神の居る場所まで行ったが眠っていて実物を見る事さえ出来なかった、という報告は出来ないし、したくもない。
「うむ、今日のところは無理かも知れませんね。一度お休みになられると数か月はお目覚めになられないこともあります。ただ、一日と経たずにお目覚めになられることも。あなたたちは少し運が悪かったのかも知れません」
神はいつも気まぐれだということか。エ=ポウはそれを見越して、早瀬をここまで連れてきたのだろうか。
「なんとか起こしてただくわけには行きませんか?少しだけでもお目通りさせていただきたいのです、お願いします」
「私などが双子の神を目覚めさせることが出来る筈もございません」
「では、このまま帰ることになりますか?」
それまで黙っていた瞳が聞く。双子の神と話がしたかったのは早瀬だけではない。
「なんとも言えませんね。今この時にお目覚めになられることもあり得ます」
その時だった。何かが蠢いた。確かに何かの気配がする。さっきまで一定方向に舞っていた風が複雑な方向に舞いだした。但し、その強さは変わらない。これ以上強い風にはならないようだ。
そして、それは現れた。
第24話 双子の神④
緑色の不定形の物。それはその存在の極一部を辛うじて表現しているに過ぎない。緑色というのも大きく分類するのであれば、という事に過ぎない。一目でそれを緑色と表現する人類は少ないであろう。
わずかに判別できるものは触手としか言いようのない器官だった。目的は判らないが、蠢いていることを見ると何かを探しているのかも知れない。
皮膚(そう呼べるかどうかも判別できない)からは何かの分泌物が常時染み出している。その内容物は判らない。人類にとって有害なのか無害なのか。
大きさは不定形なのでよくは判らない。全体的には2階建ての一軒家くらいだろうか。それも普通の建売のサイズだ。
「長老、これが双子の神なのですか」
これ、という表現も不敬だろうが、そうとしか言いようがない。
「そうです、我らが神、ロイガー様です」
そうだ。双子の神という通称だが、そこには一体しか見当たらない。もう一体、ツァールはどこか別の場所にいるのか。
「ツァールはどうされたのですか?」
「そして、ツァール様です」
エ=ポウ以外の全員が「えっ?」という顔になった。どうみてもロイガー以外には何も存在は確認できない。
「どういう意味ですか?私たちにはロイガー以外は見えないのですが?」
エ=ポウは、なぜそんな判り切ったことを聞くのか、という表情を見せたが、応えなかった。
「ロイガーさんと会話はできますか?」
瞳が問う。瞳からしたらロイガーを見ただけではあまり意味が無い。
「ロイガー様があなたと会話を望まれたのであれば可能でしょう。今、お目覚めになられたことも、あなたたちを認識し興味を持たれたからかも知れません」
「エ=ポウ様はロイガーさんと意思の疎通はできておられるのですか?」
「私がロイガー様のお言葉を耳でお聞きしたことは一度もありません。見ての通り口などの発声器官をお持ちではありませんので、私たちの耳に聞こえるようなお言葉は発せられないのです」
「それではどのような方法で?」
「ロイガー様のご意思は直接頭の中に伝わってまいります。それを言葉にしたり書き残すことが私の役目なのです。ロイガー様を崇拝している我が一族であってもロイガー様のご意思を受取れる者は私以外にはおりません。それもあって長い間私は長老をさせていただいているのです。私が長命なのもロイガー様のご意思が関わっていると私は理解しております」
「では私がロイガーさんと会話することは無理ではないのですか?」
「ですから、先ほど言いました通り、ロイガー様が望まれれば可能、ということです」
そう聞くと瞳はロイガーの方を向いて祈るような仕草を見せた。
瞳以外の者は固唾を飲んで身じろぎをせずに見守っている。瞳も全く動かない。
そこへ、いつの間にかロイガーの周囲を一回りしていた浩太が戻って来た。瞳の姿をみて、すぐに状況を把握する。
浩太はトウチョ=トウチョ人以外の今いる者たちのなかで唯一旧支配者と言葉を交わした経験があり、本人も一度ツァトゥグアと融合した経験がある。
火野でさえクトゥグアの力の一部を利用できるにもかかわらずクトゥグアとコンタクトに成功したことは無い。
早瀬は瞳がロイガーと意思の疎通を成功させたとして、それが自分にも可能かどうか、駄目ならば瞳を通じてロイガーとコンタクトできないかと思案を巡らせている。
瞳の祈るような姿は三十分経っても動かなかった。
第25話 双子の神⑤
「そういうことなのですね」
不意に瞳が呟いた。どういうことだ?
「瞳君、そういうこと、とは?」
「ロイガーさんはロイガーさんであってツァールさんでもある、ということです」
「もうちょっと判り易く説明してくれないか?」
「ロイガーさんはツァールさんでもある、としか言いようがありません」
「それは人間でいう二重人格とかそういうことなのか?」
「いいえ、全然違います。ロイガーさんとツァールさんは双子の神なのです。ロイガーさんとツァールさんは重なって存在している、と言うべきでしょうか」
「重なって存在しいている?」
「そうです。見えているのは確かにロイガーさんなのですが、そこに同時にツァールさんも存在している、ということです」
双子の神とはそういうことなのか。二重人格との差異が判らない。同時に存在するだけで、例えば別次元にあるものが重なっている、というようなものなのかも知れない。
「それで、いずれにしてもそのロイガーやツァールとはコンタクトできたのか?」
焦った口調で早瀬が問う。
「コンタクトというか、ロイガーさんとツァールさんの意志はなんとなくですが伝わってきました」
「何を問うたんだ?」
「お二方の存在の意義と地球における人間の存在の意義です。なぜお二方はここに封印されているのか、それを今どう考えているのか、どう感じているのか、というようなことと、人間についてどう思っているのか、どう感じているのか、というようなことを取り留めもなくお聞きしたのですが、応えは有りませんでした」
「一つも答えてくれなかっただと?」
「そうですね、いくつかの答えは伝わってきましたが、明確なものではありません」
「それを判る範囲で話してくれないか」
瞳は少し考えてから、
「判りました、私の言葉で伝えられるかどうかは判りませんが、私が感じたことでよければお話ししましょう、いいですよね、火野さん」
「瞳がよければ、俺が許すも許さないもない。自分の判断を信じればいい」
「私もお聞きしたいので、ぜひ」
エ=ポウも重ねて言う。自分以外にロイガーとコンタクトできた初めての人間なのだ、自らの特権を奪われた気になっているのだろうか、少し表情が硬い。数千年生きていても人間のような嫉妬心は消えないのだろうか。
第26話 双子の神⑥
「ロイガーさんは昔大きな戦いに巻き込まれたのだそうです。詳しくは判りませんが、意に沿わない戦いだったと。そもそも戦うべきではなかったという意味でもあるみたいです」
太古、旧神と旧支配者の覇権を掛けた戦いがありも旧支配者側は破れて様々な場所や次元に封印されたと言われている。ロイガーとツァールがこの場所から動けないのは、その所為だと。しかし、ロイガーは戦いたくなかったというのか。旧支配者側も一枚岩ではなかったという事だろうか。
「ハスターという方の元で戦って敗れたのだと。それは壮絶な長い長い戦いだったと。戦況は拮抗していたけれど最終的には破れてしまったのだそうです。但し、それは元々そう決まっていたとも」
最初から勝敗が決まっていたのなら、なぜ戦わなければならなかったのか。神々の考えは人間には理解できないのかも知れない。
「そんな話はどうでもいい。結局ロイガーとコンタクトが取れて、その力の一端でも借りることが可能なのか?」
早瀬課長が焦れだして結論を急ごうとする。彼の立場では、その一点のみが大切なのだ。
「そんなことは無理だと思います。ロイガーさんたちは自分を信望している方たちに気まぐれに手を貸すようなことはあっても、逆に誰かがロイガーさんたちを利用しようとしても手は貸していただけないかと」
「それでは意味が無いじゃないか」
「早瀬さん、あなた達の都合だけで世の中は回ってはいないのですよ」
火野に窘められて早瀬は黙り込む。
「それで、他には何かなかったのか」
早瀬が瞳に続きを促す。
「はい。ロイガーさんはツァールさんと一緒に封印されてからずっとここに居るらしいのですが、やはりここから出て宇宙を飛び回りたいのだそうです。宇宙の隅々まで自由に飛び回るのが本来の姿なのだと。もう長くここに封印されているので飛び方を忘れそうだと」
意に沿わない戦いに敗れて自由に飛び回ることが出来なくなった、という意味では被害者だとでもいうのだろうか。
「ただ、ここからが問題なのですが、封印が解かれる日が近い、とも」
そこにいた全員が「えっ?」という顔になった。その中にはエ=ポウも含まれている。
「なんだと、ロイガーとツァールの封印が近々に解かれると言うのか?」
真っ先に立ち直った早瀬が問う。
「多分そんなことを。ただ近い、という感覚が人間のそれと同じかどうかが判りません」
なるほど人間にとっては数千年でもロイガーたちにとっては近いと感じている、というようなことか。
「それは近いと言えるのか?」
「判りません。そのあたりはどうしても理解できない感覚なのだと思います」
トウチョ=トウチョ人の悲願はロイガーとツァールの封印を解くことだ。その結果が何を齎すのかは判らないが眷属としての使命なのだろう。それが近い、となると悲願の成就が近いということだ。エ=ポウは黙って聞いているが、内心はほくそ笑んでいる。
「いつか解かれるにしてもロイガーたちの『近い』が人間にとっては遠い未来だということを祈るしかないな」
「それにしてもロイガーたちは人間に対して友好的なのですか?」
いままで黙って聞いていた岡本浩太が問う。浩太にとってロイガーやツァールの封印が解かれることは避けたいし寧ろ封印を強化したいくらいだ。ただ人間に対して友好的なのであれば少しは話が変わってくる可能性もある。綾野祐介からはその辺りを見極められたらいいいね、と言われていた。
第27話 双子の神⑦
「それはどうか判りません。私の問いに正確には答えていただけませんでしたし、今お話ししたことは私の主観が入ってしまっているかと思います」
瞳が特別ということも考えられる。当然エ=ポウも特別だろう。ここは他の誰でもない、火野か浩太、若しくは早瀬がコンタクトを取ろうと試みてみないことには判らない。
「僕が聞いてみましょう」
浩太が提案する。浩太の身体には僅かだがツァトゥグアが混じっている。それをロイガーたちが感じ取っているとしたら、純然たる人間のそれと判断してくれないかも知れない。
「いや、俺か早瀬さんにお願いしようか」
火野にしても火の民であり大勢の火の民を炎として自分の中に取り込んでいて、到底普通の人間とは言えない存在になってしまっている。今ここに居る純粋な人怪訝は早瀬一人だった。
「君や岡本君は同じ理由で駄目だろう。ここは私に任せておきたまえ」
そもそも、そのために来ているのだ。他人に任せて帰るわけには行かない。
早瀬はさっき瞳がやった方法、というか静かに指を胸の前で組んで祈る、という方法で祈った。暫らく一行はその経緯を見守るしかなかった。
早瀬は両膝を付いた体制で身動きしない。目を瞑っているので瞬きもしない。全く身じろぎもしないまま、ただ時間だけが過ぎて行く。
「ちょっとおかしいですね。時間が掛かり過ぎている」
痺れを切らせて浩太が言う。確かに瞳の時よりもかなり時間が掛かっている。というか早瀬が全く動かない。
「早瀬さん、早瀬さん」
浩太が声を掛けながら早瀬の身体に触ってみる。心臓が動いていない。早瀬の身体はそのまま、真横に倒れてしまった。
「あっ」
本来底に居る5人以外の声がした。本山だった。
「早瀬課長、大丈夫ですか?」
本山が早瀬に駆け寄るって抱き上げる。やはり心臓も止まっており、息もしていない。
「お前たち、早瀬課長に何をした?」
「黙って付いてきていたんですね」
「そんなことは、どうでもいいだろう」
「あなたの、その行動が早瀬さんが今置かれている状況を招いたかも知れない、とは思いませんか?」
浩太の問いに本山は愕然とした。その可能性は十分ある。五人しか降りられないと言われていたのに六人目の自分が降りてしまったのだ、何か異常な事か起こっても不思議ではない。
「わっ、私は課長の命令で少し離れて付いて来いと言われていたんだ。何かあったとしても、その責任は私ではなく課長にある」
本山はどんな場合でも自己肯定をして責任を回避するタイプの人間らしい。
「そうですか。それで僕たち全員の命も危険に晒されていたとしても、責任が無いと?」
本山が原因だとは決まっていないのだが浩太はその論調を崩さなかった。早瀬の死に他の人間の責任が無いという風に纏めたかったのだ。特に瞳には責任を感じてもらう訳には行かない。火野も同意見なのか、一切口を挟もうとしない。
「いや、それは。私のことが原因だと決まった訳ではないだろう。それより課長はどうされたんだ?お前たちが何かしたのか?」
「早瀬さんは自ら進んでロイガーに話しかけられていたんです。自分の目的を果たすためにね。その途中で亡くなられた、ということ以外僕たちには何も判りません」
嘘は吐いていない。見たまま、聞いたままのことを正直に伝えただけだ。本山がそれを信じるかどうかは判らないが。
第28話 双子の神⑧
「課長が亡くなったことは確かなようだが、本当にお前たちは何もしていないのだな」
「ロイガーに話し掛けてというか祈り掛けていたら、身動きしなくなって、そのまま亡くなってしまったということです。他には何もわかりません」
本山としても少し離れた場所で聞き耳を立てていたので大筋のことは判っている。課長が自ら申し出て、その結果こんな事態になったことも。
問題はそれが自分の失態だと報告しなければならないどうか、に尽きる。そして、自らが率先してこの事態を解決しようという気はない。
「それで課長がロイガーと話した内容は全く判らないのか?」
「判る訳が無いでしょう。早瀬さんは祈りだしてから一言も話さないうちに亡くなられたんですから」
上司の死よりも結果を持ち帰れないことへの落胆が激しいように見える。この手の人種は自らの存在以外は上司であろうとただの手駒としか見ていないのかも知れない。
「では、彩木君がロイガーと話した内容は判るのだろう?」
上司の遺体のそばで職務を全うしようとする姿は決して褒められたことではなく浅ましく見える。
仕方なしは浩太はさっき瞳が話した内容を掻い摘んで話した。但し、本人が言う通り瞳の主観が多分に入っている。それを踏まえておかないと解釈を間違う可能性もある。
「限られた、認められた人間以外が問いかけると死んでしまう可能性がある、という認識をしておかないといけないようだ」
真偽は不明だが、確かにその可能性はある。
エ=ポウはロイガーたちと直接的に意思疎通を成功させている訳ではない。勿論ロイガーに何か願いをする訳でも無い。ただロイガー、ツァールの封印が解けるように祈ることとトウチョ=トウチョ人の種としての存続を願うだけだ。
「私が今、課長と同じことをしようとすると、同じ目に遭ってしまう、ということで間違いないな」
勿論本山は早瀬の轍を踏む気が無い。一同の前でそれを確認しているだけだ。場合によっては今いる誰かに証言してもらわなければならない場面が来るかもしれないからだ。
「それで、どうします?」
浩太が火野に問う。火野の目的は達したとみていいのだろうか。浩太としては目的を達していないと感じている。但し、この場に居る人々を危険に晒す気は毛頭ない。
「早瀬さんのご遺体もあることだし、地上に戻るしかないだろう」
火野はあっさり言う。トウチョ=トウチョ人の長エ=ポウとの邂逅。そしてその信仰の対象であるロイガーとツァールとの対話。中身は別として火野の目的は二つとも叶えられている。
岡本浩太の目的はロイガーたちが人間にとってたちまち脅威となるかどうかを見極めることだったが『封印が解かれる日が近い』と表現された瞳の話をどう受け止めるかの判断に困っていた。
やはり自分で直接ロイガーと接触する必要があるか、と思ったが綾野からはくれぐれも無理をしないよう釘を刺されていたので自重することにした。近いなら近いなりの対策を取るだけのことだ。
その時だった。ずるっ、という音がした。
その場にいた一同は何が起こったのか誰も気が付いていなかった。
ずるっ。
また何の音か判らない湿った音がした。
「なんだ、何の音だ?」
誰もそれに答えられない。
誰も気が付かないうちに静かに、ゆっくりとではあるが確実にそれは蠢き出していたのだ。
第29話 双子の神⑨
ずるっ。
湿った音が止らない。
「何だ、どうした?」
早瀬の死を目の当たりにして本山の精神は普通ではなかったのだが、その本山に更に負荷をかけるかのような湿った音。
「あっ」
それに気が付いたのは瞳だった。しかし瞳はそのまま気を失って倒れてしまう。それを辛うじて火野が受け止める。
「なんだ?」
ずるっ。
それは触手としか言いようがないぬるぬるとした蠢く物体だった。そして、それは確かにロイガーから繋がっているのだ。
触手はずるずると伸びてきている。そして、その先には早瀬の遺体があった。
「まさか課長の遺体を」
その本山の声に反応するかのように、触手は一瞬のうちに早瀬の身体に取りついた。
ずるずるっ。
触手はそのまま早瀬の遺体を引き摺って行く。
「ちょっと待て」
なんとか本山が反応するが既に遅かった。暗くてあまりその全体のディテールが判らないロイガーの本体に早瀬の身体は飲み込まれてしまった。
「岡本君」
火野に言われて浩太がロイガーに近づいてみるが早瀬の身体は完全に飲み込まれた後だった。
「えっ」
浩太が突然金縛りにあったように身動きしなくなる。
「どうした岡本君」
浩太は返事をしない。火野は瞳を抱きかかえているので浩太に駆け寄ることもできない。
「まさか、彼も?」
本山が不吉なことを言う。しかし早瀬の時とは少し違う感じがする。身動きしないのはショックで動けない、という感じなのだ。
ふっ、と浩太の身体から力が抜けた。そのまま、その場にへたり込んでしまう。
「大丈夫か?なにがあった?」
浩太は本山の問いに暫らくは答えることが出来なかった。
第30話 双子の神⑩
「はぁはぁはぁ」
浩太は息を切らせたままへたり込んでいる。
「どうした、何があった?」
「すっ、すいません、少し時間をください」
そういうと浩太は仰向けに寝転んだ。
皆がしばらく待っていると浩太の息が少し整ってきた。
「すいません、ご心配をおかけしました。もう大丈夫です」
「どうしたんだ」
「ええ、実はあの時完全に精神を乗っ取られていたんです。それはロイガーではなくツァールでした。早瀬さんを取り込んだのはロイガーで、それについて興味を持ったのがツァールということです」
「興味を持った?」
「そうです。彼らはトウチョ=トウチョ人以外の生き物を久しぶりに見て人間というものに興味を持ったようです。さきほど瞳や早瀬さんがコンタクトを取ろうとしたことも興味を持った原因だと思います」
「なるほど、人間がロイガーたちにどのようなコンタクトの仕方をするのか、そこに興味があるということか」
「そんな感じですね。それで僕の精神を使って色々と人間のことを知ろうとしていました。僕以外だったら、そこで精神が崩壊していたのかも知れません。ツァールは容赦や手加減など知らないようでしたし、僕が死ぬことも意に介してはいないようでした」
「よく無事だったな」
「ツァールに誤算があったからです。僕の中にはほんの少しですがツァトゥグアの遺伝子が混じっています。それに気が付かないで僕の精神に触れて来たので、ただの人間だと思っていたツァールは驚いて僕の精神に伸ばした手を引っ込めてしまいました。その時ツァールが感じていたのは人間に自分たちと同じ存在の一端を垣間見たことで仲間ではないけれど完全な敵ではない、という感情でした」
「とすると浩太君の精神にツァールが触れてきたことは偶然だが最良の結果を得られた、ということになるのか」
元々浩太の目的はそこだったし、火野にしても旧支配者や外なる神々に接触することでこの宇宙に人間という存在が必要なのかどうかを瞳に感じて欲しい、ということを目的に旅を続けここまで来たのだか、結果はある程度満足できるものだった。
「君たちはそれでいいのかも知れないが私は上司を失って国にどう報告をすればいいのだ」
本山は浩太の話を聞いても自分たちに何の利益も齎さないことが判ったので途方に暮れている。
「ありのまま、見たままを報告すればいいんじゃないですか」
浩太は突き放して言う。元々彼らに良い印象は持ち合わせて居ない。
すぐそこにロイガーがいるのに何の成果もなく帰ることになって本山は意気消沈していた。しかし自分だけの判断でこれ以上滞在することも出来ない。
「戻りましょうか」
浩太の言葉に従うしかなかった。
一行がエ=ポウの家まで戻ると風間真知子や桜井亮太が待っていた。事の経緯を説明し、全員地上へと戻ることにした。
「エ=ポウ老、本当にお世話になりました。来た甲斐もありました」
「私も長い間生きて来て、これほどロイガー様やツァール様を感じることが出来たのは初めての経験です。あなたたちが導いてくれたこと、感謝します」
エ=ポウ達に見送られて一行は地上へと戻って来た。
「本山さん、言っておきますがアラオザルの位置やトウチョ=トウチョ人、勿論ロイガーとツァールについても日本政府が何らかの干渉をしようとするのなら僕たちの敵とみなして容赦しないと思っていてくださいね」
強面でもない浩太に淡々と言われると、却ってその方が本山には怖かった。
「しかし課長の死もある、報告しない訳には行かないだろう」
「それはあなたの判断次第では?いずれにしても俺たちの邪魔をするならそれなりの対応をさせてもらうと肝に銘じておくことだな」
こんどの火野に完全に脅されて本山は冷や汗が止らない。火野からは炎の熱さを十分に感じているのにも関わらずだ。
「火野さん、この後はどうされるんですか?」
「まだ考えてはいないが、同じような旅を続けることになるだろう。瞳が納得するまで、だがな」
「私は旅をずっと続けたいわ」
「僕も」
自らの本来の役目よりも、瞳と亮太にとってはいつしか旅の方が目的になっているようだ。
「では俺たちは行くことにしよう。綾野先生にもよろしく伝えてくれ」
浩太と真知子は火野将兵、彩木瞳、桜井亮太の不思議な一行と別れた。いつかまた、いや割と近い未来にまた会うことになるだろう、と思いながら。