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燎原の炎

『燎原の炎』

                綾野祐介


1 第一幕 英国



 ケンブリッヂ大学生物学教授を先年まで務

め、この春に退職したアルバート=ライン博

士は元々橘城西大学工学部准教授の恩師であ

る。


 その伝手で綾野祐介は勇退し大学から西に

約40kmほど離れたグラフハム湖近くのク

ラフハムという街に隠棲している彼の自宅に

綾野祐介は先日来お世話になっていた。


 ライン博士にある人物を紹介してもらうた

めだったのだが、好奇心旺盛なライン博士の

質問責めに数日を要してしまいもう滞在予定

の1週間をほぼ使い切ってしまっていた。


「博士、どうか、そろそろ。」


「わかっておる。みなまで言うな。話は既に

通してある。明日の朝、早々に出かけよう、

手配は終わっておる。」


「本当ですか。いつの間に。」


「何事も段取りというものがある、というこ

とだ。前もってタチバナから話を聞いていた

こともあって、その結果待ちの間、お主の話

を聞いていただけじゃ。」


「そうだったんですね。それならそうと仰っ

ていただければ。でも、本当にありがとうご

ざいます。まさか、本当にお会いできるとは

思っていませんでした。」


「儂の力を見縊っていた、ということかね?」


 ライン博士は少し意地悪そうな瞳で問い返

したが、本気には見えない。


「めっそうもない、博士には本当にお世話に

なってしまいました。会えなくても仕方ない

という思いで頼らさせてもらってものですか

ら。」


「まあよいよい。儂も実は直接お会いするの

は初めてなのじゃよ。同じ会場に居たことは

何回もあるがね。」


 そうだった。ライン博士でもそうそう直接

会えるような方ではない。もしかしたら相当

無理をさせてしまったのかも知れない。なん

だか博士は


「タチバナへの謝罪を込めて」


 とか言っていたが、意味は解らなかった。


 翌日は正装し、15時からのティーパーテ

ィーに出席させていただくことになった。と

いっても、その日のゲストは全てキャンセル

されて綾野とライン博士の二人だけだった。

それほど重要な扱いをしてもらえるとは思っ

てもいなかった。


「では、貴方のことを全面的にバックアップ

させていただくことに決めさせていただいて

よろしいですね。」


 話は一気に進んだ。進みすぎだ。綾野は面

を食らってしまった。元々広範な知識を持っ

ておられたようだ。独自の組織も立上げてい

る途中だとのことだった。アーカム財団とは

相容れない、とも仰られた。かの組織につい

てもご存じだったのだ。


 一番有効だったのが、日本のあるお方から

の口添えだった。英国に渡る前、綾野は手を

尽くしてそのお方に面談し、今の現状や将来

のこと、時間をかけて色々とお話しすること

ができた。特に最近、綾野自身が経験したこ

とは包み隠さず正直に話をした。


 すると、


「存分におやりなさい。私たちは後押しさせ

ていただきます。ご苦労をおかけしますが、

よろしくお願いします。」


 と言われたのだった。


 そして渡英し、


「各国にネットワークを作る必要があるでし

ょうね。私どもも憂慮しておりました。でき

るだけのことはさせていただきます。外にも

声をかけるこくが必要なら、私どもの方から

手配させていただきます。」


 との言質をもらえたのだった。


「ところで、あなたのその目はどうなされた

の?」


 失礼な話だった。サングラスのまま面談し

ていのだ。だが、綾野としては仕方ないこと

だった。


「ある出来事がありまして、右目が今無い状

態なのです。」


「あら、それは大変ね。でも無いってどうい

う意味なのかしら?」


「言葉の通りです、陛下。物理的な存在しな

いのです。お見せいたしましょうか?」


 膨大な援助をしてもらうのだ。全て包み隠

さずに話すつもりだった。


「よろしいの?」


 綾野はサングラスを外した。その右目の眼

球のあるはずの場所には何もなかった。ただ

深淵の口のような暗黒があった。空間そのも

のが存在しないようだ。


「少し調べさせていただいて、どんなものな

のかと思っていたら、まあ不思議なものね、

確かに何もないわ。」


「そうなのです。見えている、という意味で

は見えてはいるのですが。普通の物が見えて

いる訳ではないのです。」


 日本でも、この件に関しては非常に興味を

持たれた。仕方がない。あえて綾野はそれを

売りにして援助を引き出そうと決心していた

のだった。


「別の物が見えていると?」


「そうです。さきほどお話ししました通り私

の遺伝子には旧支配者のものを一部引き継い

でいます。他者が同じ境遇であれば、そのこ

とが見えるのです。」


「旧支配者の遺伝子を継いでいるかどうかが

判るということ?」


「仰る通りです。ちなみに陛下は何の遺伝子

も引き継がれておられないようです。」


「そう。純潔の地球人、ということね。」


「そうなりますね。ただ、旧支配者の遺伝子

を継ぐ者が差別を受けないよう、この能力は

封印しなければならないと考えております。

陛下にもそのあたりは十分ご留意いただけま

すよう、よろしくお願いします。」


「わかりました。また、何かをお願いすると

きが来るかも知れませんが、心に留めておき

ましょう。」


 こうして、綾野は各国の政府やその諜報組

織、軍などとはかかわりがないルートとして

皇室・王室の援助を受けることが可能になっ

たのだった。






2 第二幕 甲賀



 滋賀県甲賀市。言わずと知れた忍者の里で

ある。忍者や忍術と言われるものは伊賀と並

び江戸時代あたりまで実在していた。但し、

実在の甲賀忍者は今の滋賀県甲賀市や湖南市

に点在しており、一つの纏まった流派や村か

あって活躍していた訳ではない。


 鈴鹿スカイラインを奥へ奥へと進んでいく

と野洲川ダムが左手にあらわれる。一応2車

線ではあるがところどころ落石等でふさがっ

ていて補修工事をしている箇所が多々あるの

で1車線とあまり変わりがない。


 野洲川に沿ってさらに国道477号線を三

重県に向けて進む。途中、右に曲がれる交差

点が現れる。地元の者もめったに使わない分

れ道だ。そこを折れるとすぐに舗装が無くな

ってしまう。凸凹した道なので普通車でも通

行が困難になる。車高の高いRV車が必要だ

ろう。


 奥へ奥へと進む。しばらく進むと途中でそ

の道ですら途切れた。車ではこれ以上は進め

ない。あとは徒歩になる。その先に人が住ん

でいるようには到底見えない獣道だ。1時間

ほど坂道を進む。高低差はそれほどではない

が草をかき分けながらなので半袖でむき出し

になっている腕には無数の傷が出来た。


 やがて獣道が切れた。視界が広がる。集落

だ。5軒はあるだろうか。見える範囲の話な

のでもっと奥にあるのかも知れない。


 人の気配はしない。使われているようにも

見えないが、崩壊している訳ではない。住も

うと思えば住めそうだ。




 火野将兵は2年ぶりに故郷に戻った。


 火野の家はもっと奥にある。村の入口の5

軒は人は住んでいないが人は居る。村に入っ

てくる者を見張っているからだ。


「僕です。火野の将兵です。」


 将兵はそこに居るであろう見張りに向かっ

て声を掛けた。すると人の気配がしなかった

家から二人の老人が出てきた。


「火野の子倅か。長いこと出て行ったキリで

なんぞ困って戻ったか。」


「用燃さん、そう言わんで。折角戻ってきた

と言うのに。村の若いもんは出て行ったキリ

誰も戻らんがな。こうして戻っただけでも火

野の宗次さんは息子をよう育てんさったって

ことじゃろう。」


「真蝶さん、あんたそう言うが戻るのが当た

り前、戻らん奴は追っ手を差し向けででも力

づくで連れ戻さんといかんじゃろうて。」


「いや、用燃さん、村の秘密を持ったまま出

たのは、この将兵だけじゃ。外の奴らは信用

できんかったから何も伝えずただ村から出し

ただけじゃったろうて。もう忘れんさったか

?」


「そうじゃったかのう。まあええわ。それで

今頃戻って何の用があるんじゃ。村の秘密を

持って出たんなら死ぬ覚悟で出たはずじゃ。

何をのこのこと戻ってきた。」


 火野将兵の故郷の村は日野里村と言うが普

通の地図には載らない隠れ里だった。村で生

まれた男子は18歳なると村から出される。

そして、ほとんどが二度と戻らない。それは

ある使命を帯びているからだ。


「ご相談があって戻ったのです。長老はいら

っしゃいますか?」


「長老はもう長いこと村を出たことがない。

居るに決まっておるだろう。話があると言う

なら皆で聞こうかの。」


 三人は連れだって村の一番奥にある長老の

家に向かった。途中数人の村人も騒ぎを聞き

つけて付いてきた。長老の家についた時には

十数人になっていた。


「おお、おお、これは火野の将兵じゃないか

よお戻った。よお戻った。」


 長老は90歳を超えているようだ。但し、

元気が溢れているように見える。実際病気と

いう病気をしたことがなかった。村人は皆病

気とは無縁なのだ。


「長老、ご無沙汰をしております。火野の正

平です。」


 集まった村人の中には将兵の父、宗次もい

た。長老の手前、声はかけないで見ているだ

けだった。


「元気で戻った。なりよりじゃ。宗次さん、

ほれ、将兵じゃ。」


 促されて宗次が前に出てきた。


「将兵、よう戻った。じゃが、お前、何で戻

った?」


 皆が聞きたいことはその一点だ。目的を達

せないまま戻ることは本来許されていなかっ

た。つぎの世代を生むため40歳を超えてか

らしか戻れないのだ。


「長老にご相談があって戻ったのです。」


 少しづつ、村を出てからの事を将兵は語り

始めた。





3 第二幕 甲賀 火野の将兵



 日野里の若者は18歳になると村を出るこ

とになっている。ある目的・使命があるかだ。

火野将兵も18歳になった月に村を出た。同

じ年に18歳になったのは将兵だけだった。


 将兵の2年前に18歳になって村を出た青

年は普段からの言動をみて村の使命は負わさ

ずに放逐されたことになっている。但し、二

度と村には戻れない。出た本人からすると、

その方が気は楽だろう。使命を負わされない

よう、普段から軽薄なイメージを作っていた、

という風に将兵は思っていた。賢い青年だっ

た。将兵にはそんな技はない。普通に正直に

生活しており、村の秘密を負わされて村を出

ることになったのだ。


 村に生まれた男子として仕方ない、と思っ

ていた。18歳なると、ではなく、生まれた

時から背負わされているのだ。自らの人生を

運命として受け入れているはずだった。


 村を出てすぐ、将兵は東京に向かった。東

京の広尾に村の拠点でもある会社が存在する

からだ。そこは村を出て戻らなかった者が経

営する警備会社だった。とりあえずは、その

会社に就職し都内で活動を始めるたのだった。


 特に目立って活動も出来事もなく、警備会

社の仕事を普通に熟していた将兵は、使命と

は何かを考え始めていた。一族の悲願、村の

掟、使命と言われても、現実社会には合わな

いし元々現実的ではない、と感じ初めていた

のだ。都会には情報が溢れている。その何れ

もが村の使命を否定していた。将兵は無為に

2年近くを過ごしてしまっていた。



 そんな将兵をある外国人が訪ねてきた。浅

黒い風貌からはどこの国の人かが判別付かな

かった。


「火野将兵君だね。」


「そうですが、あなたは?」


「私は星の智慧派のナイという者だ。お主に

興味があって訪ねてきた。」


 星の智慧派の話は村で聞かされていた。敵

対する旧支配者の陣営だと思っている。訪ね

てきたのはその指導者と目されているナイ神

父その人だったのだ。


「ナイ神父様ですね、初めまして。僕に何か

ご用ですか?」


「そう緊張することはない。我はただ興味が

あって訪ねてきた、それだけだ。お前たちの

組織をどうこうしようと思っている訳でもな

い。お前たちはお前たちの使命を全うするよ

う努力すればいいのだ。」


「では、本当に興味本位でお越しになられた

と仰るのですか?」


「さっきから、そう言っておるだろうに。ま

あ信用できない気持ちも判るがな。しかし火

の民と呼ばれるお前たちの中でも群を抜いて

お主の能力は高いようだな。」


「そうなのですか?自分ではよく判りません

が。」


「そうだな。お前たちの主に人間としてはか

なり近いところに居るようだ。面白いな。我

の下で働かないか?」


「そっ、そんなことができるとでも?」


「おう、できようとも。少なくともここに居

るよりお主の使命を達するには都合がいい情

報が集まる可能性は高いぞ。」


 とんでもない提案だった。星の智慧派やダ

ゴン秘密教団とは相いれないと思っていた。

少なくともそう教えられていたし、過去の歴

史は如実に物語っていた。旧支配者同士に連

携などあり得ないのだ。旧神との大戦以後特

に疎遠、というよりも敵対しているはずだ。


 各々の眷属や人間世界での支援組織にして

も同様だった。過去ずっとそうだったのだ。


「私を火の民と知って仰っているのですね。

その真意はどこにあるのですか?」


{真意も何も、お主たちの使命が達しやすく

なるよう手伝いをしてやろうと、ただそれだ

けだ。誓って他意はないないぞ。」


 確かに火の民の組織は脆弱だった。日本国

内に限られていたことも致命的だ。逆に星の

智慧派はアメリが本拠であり、世界中にその

触手を伸ばしているのだ。将兵の使命を達す

るには情報が不可欠だ。その情報の中心と言

える星の智慧派なら様々な稀覯書の閲覧も可

能かも知れない。


「すッ、すぐにはお返事できませんが、少し

だけ考える時間をいただけますか?」


「好きなだけ考えるとよいわ。また折を見て

来る。」


 そう言うとナイ神父は消えてしまった。



 将兵が村に戻った相談事とは星の智慧派に

入ってもいいかどうか、ということだったの

だ。




4 第二幕 甲賀 長老たちの結論



 話を聞いても村人たちは到底信じられない

様子だった。それもそのはず、本来星の智慧

派の指導者たるナイ神父は火の民とは相いれ

ない存在だった。旧支配者たちのうち、誰と

誰が敵対している、というようなことではな

い。それぞれが独立し、他の存在を許さない

至高の支配者たちなのだ。それが唯一共闘し

たのが先の旧神との大戦だった。それ以前も

それ以後も、旧支配者同士が手を組むような

ことはない。各々の眷属を使役することはあ

っても、だ。


 確かにナイアルラトホテップは旧支配者の

一柱ではあるが、そもそもアザトースの眷属

でもある。そのナイアルラトホテップがクト

ゥルーやヨグ=ソトースやハスターなどと一

緒に行動することなどあり得ない。その中で

も火の民が崇めるクトゥグアとは特にあり得

ないのだ。


 その火の民の人間を星の智慧派に誘う?何

かの企みがあるとしか思えなかった。


「それで、将兵、お前はどうしたいのだ。」


 騒然とする場を収めるように長老が問いか

けた。長老自身も特に考えがあるとは見えな

かった。


「僕は星の智慧派に入る許可を得たいと思っ

て村に戻ってきたのです。」


「な、なんと、あの星の智慧派に入ると言う

のか。」


「そうです。まず聞いてください。僕が村を

出た理由はそもそも何でしたか?ここにいら

っしゃる方々は過去に使命を帯びて村を出て

目的を果たせず次の世代を生むために戻って

きた方々ではありませんか。今まで村を出て

使命を果たした人間は一人もいません。村が

出来て千年を超えると伝えられていますが、

誰も成しえていないのです。」


「それは、確かに将兵の言う通りじゃが、そ

れと星の智慧派に入ることと、どう繋がると

言うのじゃ。」


「そこです。我が村が今まで蓄積してきた情

報だけではクトゥグア様の封印を解くどころ

か接触することすら難しいという現実があり

ます。確かに火の民は幾ばくかの力をクトゥ

グア様から分け与えられている特別な民かも

知れません。しかし、クトゥグア様に直接接

触出来た者などいないのです。ところが今回

僕はナイアルラトホテップその人に接触でき

ました。本人から直接誘われたのです。」


「それで喜んでのこのこと入信するとでも言

うのか。」


「いいえ、違います。あくまで星の智慧派に

入る目的は情報収集です。それ以外ではあり

ません。クトゥグア様に接触し封印を解くこ

とが悲願なのです。その手法の一つとしてか

の組織を利用するのです。」


「そう簡単に行くものかの。相手はナイアル

ラトホテップぞ。上手く利用されて終わりで

はないか?」


「その可能性はあります。僕の命は無いかも

知れません。でも、ほかにもっといい方法が

あるでしょうか。かの組織は我が村とは比べ

物にならない情報の宝庫です。そこに見いだ

される物の重要性を鑑みれば自ずと答えは出

るのではありませんか?」


 集まった人々は不安を隠せないようだ。た

だ火の民の内情は正直なところ星の智慧派に

知られても何ら差しさわりがない程度のもの

だったので、こちらの情報が漏れる怖れは少

ないことも事実だった。


 結局、万が一の時の犠牲を覚悟できるのな

ら将兵が星の智慧派に入ることを認めざるを

得ない、というのが長老を含めての結論だっ

た。


 こうして火野将兵は東京へと戻り、ナイ神

父の元、星の智慧派の一員として活動を始め

ることになったのだった。




5 第三幕 風の民



 東京に戻った火野将兵は早速星の智慧派の

事務所を訪ねた。ナイ神父は不在だったか、

責任者の新城俊彦という極東支部長に挨拶す

るためだった。


 控室で新城支部長を待っていると、部屋の

隅が黒く淀んでいった。これは一度経験した

ことがあるので判った。ナイ神父だ。


「我が現れても驚かないようになったな。よ

く来た。」


「長老たちの了解も得てきました。これから

お世話になります。今日は新城支部長にご挨

拶をと思い、参上したのですが。」


「新城何某の指示を仰ぐ必要はない。我が指

示するまで好きにしておればよい。クリスト

ファーという者に指示はしておく。あやつも

いつもここに居るとは限らんがな。」


「わかりました。では、そのクリストファー

さんの指示に従って動けばいいのですね。そ

れ以外には?」


「指示がない時は自由勝手にするがよい。教

団の資料は全て閲覧できるよう手配をしてお

く。」


 ナイ神父の申し出は、未だ将兵には理解で

きなかったが考えても仕方ないので従うだけ

だった。


「あと、お前に一人助手を付けてやろう。目

的はお前と同じようなものなので上手く立ち

回ればいい結果が得られるであろう。」


 助手とはいったい何者だろうか。監視役、

といったところだろうと思ったが、それもま

た断ることはできないことだった。



 小さな部屋を与えられて、そこで待ってい

るとドアがノックされた。


「どうぞ。」


 入ってきたのは若い、多分将兵よりも若そ

うな女性だった。


「神父からお聞きになっておられると思いま

すが助手として着かせていただく風間真知子

といいます。よろしくお願いします。」


「火野将兵です。よろしく。風間さん、お若

いのですね。もっと年配の男性が来られると

思っていました。」


「私ではご不満ですか?」


「いえ、少し驚いただけです。活動の中身は

神父から?」


「いえ、全くお聞きしていません。火野さん

に着いて行け、と言われただけで。」


「そうなんですね。まあ、僕もただクリスト

ファーさんの指示に従え、と言われているだ

けで具体的には全く何も知らない状態なので

す。」


 何も知らない、聞かされていない同士で、

どうしろというのであろうか。


「風間さん、でしたよね。もしかして風の民

とか、まさかね。そんなことは流石に。」


「いえ、風の民ですが。そういう火野さんは

火の民ですよね。」


 風の民だと素性をバラしてもいいものなの

か。将兵はナイ神父に言われるまで自分が火

の民だと話した相手はいなかったのだが。


「ええ、まあ、そんな者です。あなたも神父

にスカウトされて?」


「そうです。火の民を星の智慧派に入れたの

だからバランスをとらないと、とか言われて

スカウトされたのですが、正直私はとうの昔

に風の民とは縁を切っています。ほぼ能力も

継いでいませんし、風の民の悲願、とか言わ

れても全く理解できないので。火野さんは火

の民の悲願を成就するために星の智慧派に入

られたのですか?」


「もちろん、そうです。あなたは違うのです

ね。」


「私は単なる就活の一環です。待遇が良さそ

うだったので。」


「そういうものですか。」


「そういうものですよ。」


 風の民の現在が火の民とは違うのか、この

子が特別なのか、将兵には判別がつかなかっ

た。






6 第四幕 橘教授の苦悩



 風間真知子を伴った火野将兵は文京区本郷

にある帝都大学に向かっていた。橘教授に会

うだめだ。その前に会う目的と伝える内容を

クリストファー=レイモスというナイ神父の

腹心からレクチャーを受けてきた。クリスト

ファーの話は意外ではあったが驚きはしなか

った。自らも含めて旧支配者に関わる人類は

多く存在することを知っているからだ。同行

している風間もそうだった。


「ここが帝都大学なんですね、私、大学って

通ってないから新鮮だわ。」


 風間は広大な帝都大学のキャンパスに広が

る風景、空気に興味津々だった。大学として

は設立が明治初期でもあり、レトロ感満載の

校舎たちが建ち並んでいることは確かだ。実

は先日まで火野はここに学生として通ってい

た。火の民関連の警備会社に勤めながら通っ

ていたのだ。現在は休学扱いになっている。

火野としては戻ってきたいと漠然とは思って

いたが、いつ、何を成し遂げれば戻れるのか

は皆目見当が付かなかった。


 橘教授が居るはずの伝承学部は大学のはず

れにポツンとあった。メジャーな学部ではな

いので、このような扱いなのだろう。教授室

を訪ねると橘教授は体調を壊して自宅療養中

とのことだった。仕方なく二人は教授の自宅

を直接訪ねることにした。クリストファーか

ら貰った資料にはちゃんと自宅も記載されて

いた。


 橘教授の自宅は荻窪にあった。中央線で向

かう。


「なんで車移動じゃないんですか?乗継とか

面倒じゃないですか。」


 風間は愚痴を溢しだした。


「都内は特に車より電車の方が早く移動でき

るからだよ。」


 火野のような田舎育ちは確かに車中心の考

え方になりがちだった。


「うちの田舎あたりは車がないと話にならな

いけど君のところもそうなのか?」


「うちは元々神奈川ですけど、神奈川でも結

構山の方なんで。ラッシュとか嫌じゃないで

すか。」


「特に女性はそうかも知れないね。まあ都合

によっては車の時もあるだろう。」


 荻窪の駅に着くと、そこからはタクシーだ

ったから風間の機嫌も少し直った様だ。


 橘教授の自宅はすぐに見つかった。訪ねる

と奥さんと思われる女性が出てきた。


「主人は体調を壊しておりまして、お客様は

ご遠慮いただいているのですが。」


 若い男女は教え子にしか見えなかったよう

だ。実際には火野は教え子ではない。


「いえ、教授に教え子とかいうことでお会い

したい訳ではないのです。お取次ぎいただい

た方が教授やその教え子さんにとっても有益

だと思います。一度話を聞いてから、の判断

ではあるでしょうが。」


 火野の口調か若い子とは一線を画していた

こともあり、細君は橘教授の意向を確かめる

ことにした。問うと教授は「会ってみる」と

言い出した。細君としては嫌な予感しかしな

かったのだが、言い出したら聞かないことも

身に染みていた。


「君が火野君、そしてそちらが風間さんだね。

それで私に話とは?」


「お加減にお悪いところ申し訳ありません。

実はある事実をお伝えしに来ました。」


 それから火野が話を始めたことは橘教授の

家系についての話だった。遥か昔の先祖に旧

支配者と関係があった人物がいる、というの

だ。その証拠となり得る記述のある古文書も

持参していた。但し、それが本物かどうかの

判断は橘教授には付かなかった。


「そんなバカな話が。」


「信じようと信じまいと教授のご自由です。

私どもは事実をお伝えしているだけですので、

それが教授にとってどのような影響を及ぼす

のかは、ご自身で判断されるべきでしょう。

また、綾野氏や橘良平氏についても同様のこ

とが言えるでしょう。但し、私どもからはお

二方にお伝えするつもりはありません。教授

が伝えた方がいい、と思われるのなら、そう

されればいいことだと。」


「なっ、なぜ儂だけに。」


「それは、私のような者にはなんとも。伝え

に行くよう仰せつかっただけですので。また

遺伝子的にも確認できる方法が現在確率され

つつあります。そちらでハッキリと確かめる

こともできると思います。ご依頼をいただけ

ればいつでも協力させていただきます。」


 風間真知子は終始黙ったまま、二人の表情

を観察しているだけだった。火野からしても

この少女は何を考えているのか見当がつかな

い。不思議な子、という以外なかった。


「では、お伝えしたいことはお伝えしました

ので私どもは引き取らせていただきます。お

加減のお悪いところ、お邪魔しました。」


 茫然とする橘教授を残し、火野、風間の両

名は橘宅を後にした。


「あなた、顔が真っ青だけど、大丈夫?」


 妻の問いかけにも微動だにしない橘だった。









7 第五幕 クトゥグア


 みなみのうお座にひときわ光る全天に21

個しかない一等星のひとつ、それがフォーマ

ルハウトだ。太陽の約1.8倍の半径を持ち

ハッブル望遠鏡によって太陽系外で初めて可

視光により発見された惑星フォーマルハウト

bを伴っている、地球からは約25光年離れ

た恒星である。


 また、フォーマルハウトはフォーマルハウ

トBとフォーマルハウトCの二つの伴星も引

き連れている。


 先の惑星フォーマルハウトbは、皮肉にも

「ダゴン」と名づけられた。コルヴァズと呼

ばれることもあるこの惑星はクトゥグアが住

処としている場所だった。



 クトゥグアは考えていた。考えていた、と

いう表現は少し違うのだが、人間の基準から

すると「考えていた」としか表現できないの

だ。


「我の存在する意義、理由はなんだ?」


 ということだ。


 旧支配者たちは一時全宇宙に渡って覇権を

得、その後旧神との戦いに敗れて各々が封印

なり多次元へ追放なりされたとき、クトゥグ

アはフォーマルハウトに封印されたのだった。


 封印、というがクトゥグアの性質上、封印

は馴染まなかった。クトゥグアは元々が炎の

形を取っていることが多いのだが、本質は温

度である。高温になると炎になるが、逆に超

低温になることもできる。宇宙空間において

絶対零度になることができるのはクトゥグア

だけである。


 絶対零度はセルシウス度で-273.15

℃、ファーレンハイト度で-459.67°F

であるが、フォーレンハイトとフォーマルハ

ウトとは似ていても関係がない。


 自らが温度であることを理解しているクト

ゥグアにとって封印は意味がない。温度は全

宇宙のどこにでも存在するからだ。旧神は一

体何を封印したのか。


 クトゥグアについては、その中心となる意

志、意識を封印したに過ぎない。それはあく

まで中心となるものであって、クトゥグアと

しては末端の意志や意識は宇宙のいずれの場

所においても顕現させることができるのだ。


 但し、中心なる意志、意識が封印されてい

ることにより、全ての力が発揮できるわけで

はない。だからこそ、旧神は封印を試みたの

だろう。そして、それはある程度の効果を得

ているのだった。


 自らの存在意義。それを自らに問う日々。


 封印されたフォーマルハウトでクトゥグア

はそんなことを繰返しているのだった。








8 第六幕 ンガイの森


 ウィスコンシン州北部、チェクワメゴン=

ニコレット国立森林公園からはそう遠くない

リック湖近くにその森はあった。但し、周辺

はほとんど森であり、その中でンガイの森と

呼ばれる場所が何処なのかは判別するのが難

しい。元々そこはナイアルラトホテップの地

球上の住処であった。建物があるわけではな

いが、ナイアルラトホテップとて通常の形態

は不定形であり建物としての住処を必要とし

ている訳ではないからだ。


 クトゥグアとナイアルラトホテップは、書

かれた物によっては対立しているかのように

記述されているが、実際はそんなことはない。


 そもそも旧支配者同士で敵対などする筈が

ないのだ。お互いがお互いを相いれない存在

として認識している、というのはまだいい方

で、相手を全く認識すらしていないことの方

が多い。相手にすらしていない、ということ

だ。


 だから、ナイアルラトホテップの住処であ

ったンガイの森をクトゥグアが気まぐれに焼

き尽くしたのは、別にナイアルラトホテップ

を敵対視していたからではない。本当にただ

の気まぐれだった。


 しかし、ナイアルラトホテップからすると

自らの拠点を焼かれたことに変わりはない。

当然、クトゥグアのことをいいように思って

いる筈もない。但し、旧支配者同士の関係と

しては、そんな単純に説明できるような関係

ではない。


 そして、住処を追われたナイアルラトホテ

ップは、別の住処を構えるのではなく、世界

各地にある星の智慧派の拠点を積極的に訪れ

出した。自らの究極の目的の為に、精力的に

動き出したのだ。それが、人類にとっては、

いいこととは到底言えないことだった。クト

ゥグアの気まぐれはナイアルラトホテップの

更なる暗躍を生んでしまったのだった。





9 第七幕 火の民の役目


 火野将兵は風間真知子とともに星の智慧派

に所属しナイ神父から直接指示を受けて活動

している。それが、火の民としての自らの役

目に沿うものだと考えているからだ。


 星の智慧派に所属している特権を利用し、

教団が保有している稀覯書を閲覧することに

よってクトゥグアの封印を解く方法を見つけ

る、それが火野将兵が考え、火の民の長老た

ちを説得し星の智慧派に属した理由だった。


 実際には、なかなかその機会は訪れなかっ

た。ナイ神父の指示は対象の監視なども多く、

外に出ることが多かったのだ。更にはほとん

ど同行している風間真知子の存在も問題だっ

た。彼女は風の民の末裔であり、本来火の民

とは敵対している訳ではないが完全なる共闘

をしている訳でもない。特に彼女は自らの出

自とは関係なく生きたいと考えているようで

火野の動向にも関心は無いように見えた。


 なんとか機会を設けて火野が星の智慧派の

蔵書を確認していたとき、不意にナイ神父が

現れた。神父はドアから入ってくることがな

い。何か空間が黒く靄ってきたと思うと、そ

こに神父が建っているのだ。


「ここで何をしている。」


「はい。お察しの通り、我が主の封印を解く

方法を探しております。」


「うむ、正直でよい。お前は元々そのために

我が教団に入ってきたのだし、我もそれを許

しているからそこ勧誘したのだからな。それ

で何か見つかったのか?」


「いえ、特にこれといったものは。プロヴィ

デンスの教団図書館あたりに行かせていただ

ければ多少は有意義かも知れませんが。」


「そうだな、極東支部の蔵書あたりでは無理

もない。いっそのことセラエノでも行ってく

るか?」


「セラエノですか?僕が行ってもいいのです

か?」


「彼の地には行ってはいけない者など居ない

はずだ。まあ、彼の地に行ける者が少ないだ

ろうがな。今も地球人の何某が向うに滞在し

ているのだから、お前が行っても問題はない

だろう。」


「マーク=シュリュズベリィとマリア=ディ

レーシアの二人ですね。彼らは当然神父を封

印をする方法や旧支配者の復活を阻止する方

法を求めているのでは?神父はなぜそれをお

許しになっておられるのですか?」


「それはお前も知っての通り旧支配者の封印

が解かれる寸前で失敗することが必要だから

な。人間にも小出しに情報を与える必要があ

る。お前にも役に立ってもらわなければなら

ないことだしな。」


「僕は失敗する気はありませんが。」


「まあ、それでも良い。クトゥグアのみが封

印を解かれたところで影響は少ないのだから

な。」


「それは、どういった意味ですか?」


「そんなことまでお前に教える気はない。お前

はただ淡々と自らの主の封印を解く方法を模索

するがよい。そして、自らの運命を呪うがよい

わ。」


 そういい捨てるとナイ神父はまた消えてしま

った。


「自らの運命を呪う?」


 口に出しで言うと、寒気がした火野だった。






10 第七幕 火の民の役目(2)


 火の民の出自は不明である。いつしか火の

民と呼ばれるようになった。一族としては飛

鳥時代や奈良時代まで遡れるようだが定かで

はない。始祖は役行者と戦っただの、いや共

に戦っただの、その修行に協力した、だの伝

説が伝わっているが、火野将兵は信じてはい

なかった。ほとんどが後付けの話であろう。

 

 一族の中のごく少数に遺伝している能力が

ある。俗に「パイロキネシス」と呼ばれる発

火能力である。極端な場合指の先から炎を発

することができた。また、意識を集中させた

場所に発火させることもできた。


 発火能力を持つ者は一族の中でも尊重され

その者を中心に一族は結束しクトゥグアの封

印を解く目的に向かっていくのだ。


 火の民とクトゥグアの関わりも実際のとこ

ろは詳しく伝わっていない。なぜクトゥグア

を信望し、その封印を解こうとしているのか

は、今となっては一族の誰も知らなかった。


 火野将兵の発火能力は一族で過去一番発火

能力が高かったと言われている三代前の長を

遥かに凌いでいた。但し、それを知っていた

のは本人のみで父である宗次も気が付いてい

なかった。宗次には発火能力は皆無だったの

だ。


 火の民としての自らの能力、一族としての

今までの経緯と将来。火野将兵は様々な観点

から自分が何か一族の岐路を決定づける存在

になるのではないか、という不安定ではある

が確信めいたものがあった。






11 第七幕 火の民の役目(3)


「どうだ、何か判った事はあるか?」


 火野将兵が一人部屋で夕食を食べていると

ころに火の民の東京での拠点である警備会社

「シーセキュリティ株式会社」の将兵がバイ

トをしていた時の上司だった早野稔が訪ねて

きた。


「今のところは特に。ただ、上手くいけばプ

ロヴィデンスの教団図書館辺りには派遣して

貰えるかも知れません。地道に信頼を得て待

つしかないでしょう。」


「そんなのんびりしていて大丈夫なのか?お

前が裏切り者だという意見も最近は出ている

ようだぞ。」


「そうなのですか。僕は説明を尽くして星の

智慧派に入ったつもりなのですが。」


「星の智慧派に取り入って火の民を捨てよう

としている、とな。」


「そんなこと、あるはずが。」


「まあ、そう言うな。長老たちは村を出ない

から、外との接点がない。外で自由にしてい

るお前たちを妬んでいるだけだろう。」


「外で自由にしている火の民は早野先輩を含

め大勢居ると思いますが。」


「俺は自由じゃないさ。ただ、お前の場合は

特殊だから、特にそういわれても仕方ない、

と諦めろ。お前が火の民を捨てていないこと

は俺はちゃんとわかっているから。」


 実際にはどこまでこの人は自分を庇ってく

れているのだろう、と考えると、普段の付き

合いからむしろ、積極的に「将兵は星の智慧

派に寝返った。」という噂をまき散らしてい

る気がした。そういう人だった。


 

 火野将兵が自らの立場、目的、希望の中で

どうしたらいいのか迷いが生じていたとき、

また将兵の元をナイ神父が訪れた。


「まえに話していただろう、セラエノに行く

気があるか?」


「もちろんです。でも僕なんかが行ってもよ

ろしいのでしょうか?」


「構わない。そこでお前がクトゥグアの封印

を解く方法を見つけても我には何も問題はな

い。我とクトゥグアは別に敵対している訳で

はないのでな。」


「そうなんですか。確かンガイの森を焼かれ

た、とお聞きしていましたが。」


「あんなことは些事だ。向うも我に敵対しよ

うとしてあのような行為に出たわけでもない

しな。」


「そういうものなのですね。で、私はどうし

たらよろしいのでしょうか?」


「今でもよければ、いま直ぐに送ってやる

こともできるが?」


「少し準備もありますので、明日でもよろし

いでしょうか。」


「わかった、明日またこの時間に。」


 それだけ言うとナイ神父は漆黒の闇へと沈

んで行った。信用できるわけではないが、連

絡役兼見張り役として訪ねてきている早野に

は伝えないと行けない。彼の伝え方ひとつで

火の民に居られなくなってしまうからだ。将

兵は「それもアリか。」と思っていた。自分

一人が全てを背負う必要はないはずだ。まし

てや火の民から疑われているのなら、火の民

の為に一生懸命になる義理はない。


「セラエノに行くの?」


 風間真知子だった。


「聞いていたのか。」


 彼女が聞いていたことはナイ神父も知って

たうえでの事だろう。


「私は連れて行ってもらえないのかしら。」


「君は風の民だけど、ハスターの封印を解く

ことには興味ないだろうに。」


「それた、そうなんだけど。なんだか、最近

変な夢を見るのよ。」


「夢?」


「そう、夢。夢の中であなたはクトゥグアに

なってて、私はハスターなの。二人で宇宙を

駆け巡っている夢。」


「夢ねぇ。それで、その夢とセラエノに連れ

て行くことと、どう繋がるのかな?」


「だから、なんだか、私もあなたについてい

く方がいいのかなぁ、って。なんとなくよ、

なんとなく。」


 多分真知子は頭では考えていない。感じて

いるだけなので言葉では表現できないのだろ

う。


「だったら、明日この時間にここに来るとい

いよ。神父に頼んでみよう。」


「ありがとう。私もハスターの事、少し勉強

しないと全く知らないの。」


「自分の一族の事だから、知っておいた方が

いいのは、いいけど。まあ、君が僕のように

封印を解く使命を帯びている、って訳じゃな

いんだから、気楽にやるといいよ。」


「ううん、違うの。私は、やっぱり使命は帯

びているんだと思う。そんなことを父が言っ

てた。私じゃなきゃダメなんだって。そんな

話を真顔でする父が怖くて詳しい話も聞かな

いで逃げてきたの。今では少し後悔している

わ、私が家を出てすぐに父は事故で亡くなっ

てしまって、もう二度と話す機会もないんで

すもの。」


 能天気に見えていたが、彼女は彼女で悩ん

でいたのだ。





12 第八幕 セラエノの邂逅


 翌日、ナイ神父はいきなり火野将兵の部屋

に現れた。そして、気が付けはセラエノ大図

書館に居た。風間真知子は連れて行く余裕が

無かった。


「ここで、しばらくは調査するがいい。ここ

にはどこかに人間もいるはずだ。その者たち

と一緒でもいいし、お前が勝手に調べてもい

いだろう。また、迎えに来てやる。」


「迎えに来られるタイミングは?」


「我の都合だ。」


 そういうとナイ神父は漆黒の闇を作りその

中へと消えていった。


「さて、どうしたものか。」


 とりあえず、人間か円錐状の司書を探さな

ければ何が何処にあるのか、まったく判らな

い。少し周りを見てみたが何の気配もなかっ

た。


「仕方ない、中に入って探すしかないな。」


 火野将兵は中へと入っていった。建物全体

は把握できないほど大きい。中に一体どれほ

どの司書たちが行き来しているのか、偶然見

つけられる確率は不明だった。


 通路や並んでいる扉には何か書いてあるが

将兵には読めなかった。これは、本を探すの

も大変だ。そもそも見つけても読めなければ

意味がない。将兵は星の智慧派に入って相当

古代文字などを勉強したが、この図書館に掲

げられているものは全く読めなかった。


「これは人間を探した方がよさそうだな。」


 確かマーク=シュリュズベリィとアーカム

財団を追い払われたマリア=ティレーシアの

二人は少なくともいるはずだ。二人が協力し

てくれるとも限らない、というか、むしろ敵

対する可能性の方が高かったが、自分だけで

はどうしようもなかったので仕方ない。


 将兵はできるだけ人間のサイズに合わして

ある通路を進んだ。通路の巨大なところもあ

るが、そのあたりの本は本のサイズも巨大だ

ったので、棚から取り出す術さえない。将兵

の背丈よりも大きい本が並んでいるところも

あった。


 やみくもに歩いていると、どこからか声が

聞こえてきた。人間の声だ。将兵はその声の

する方へと向かった。


「なぜ私がこんな目に合わなければならない

の。ここの生活は地獄だわ。」


「それは、何度も話しただろう。君がとんで

もない事態を起こしてしまった、その所為だ

と。」


「別にアザトースが高校生と入れ替わったく

らい、どおってことないじゃない。封印が解

かれた訳でもないし。そもそも私には封印が

解けようが解かれまいが何の関心もないわ。」


 男女二人が口喧嘩をしているようだ。


「もしかしたら、それで宇宙が滅んでしまっ

かも知れないんだぞ。」


「だから、何だっていうのよ。私の思い通り

に行かない宇宙なんて消滅でもなんでもすれ

ばいいんだわ。」


 単純に言葉を聞いていると飛んでもなく喧

嘩しているようだが、どうもその口調は甘え

ているかのように聞こえるので、女性が男性

を困らせるために態とそんな態度を取ってい

るようだ。所謂痴話げんかってやつかも知れ

ない。そんな間に入るのは気が引けたのだが

将兵は仕方なしに割り込んだ。


「あの、すいません。ここに人間はあなたた

ちしか居ないのでしょうか?」


 もし、居るのなら、その人たちを探そうと

思ったのだ。


「あ、えっ、君はいったい誰だ?どうやって

ここに?」


「ああ、私は火野将兵というものです。ナイ

神父に連れてこられたのですが、どこをどう

探せば目的のものが見つかるのか、全く見当

も行かなかったものですから、誰かいらっし

ゃらないかと探していたのです。」


「ナイ神父ってナイアルラトホテップその人

じゃないか。君は彼の何なんだ?」


「私は神父の部下、といったところでしょう

か。」


「すると、星の智慧派か何かの?」


「そうです、そうです。今は星の智慧派に所

属しています。」


「今は?」


 火野将兵は、しまった、という顔をした。

色々と話さないと協力は得られないのだろう

が素直にどこまで話をするべきか。


「ああ、その前は警備会社に勤めていたもの

ですから。」


「それで、今は星の智慧派だと。」


「はい。あなたはマークさんですか?」


「僕の名前を知っているんだね。」


「神父からセラエノに居るのはマーク=シュ

リュズベリィさんとマリア=ディレーシアさ

んのお二人だと伺ってきました。」


 二人が顔を見合わせる。


「火野将兵、という名前は聞き覚えがあるな

確かに星の智慧派に所属しているはずだね。

あと、風間真知子とかいう子と二人でいつも

活動している、と聞いていたが。」


「今回、風間さんとは別行動になっています。

私一人がここに連れて来られたのです。」


 それは事実だったから、素直に答えた。


「それと、僕の記憶に間違いがなければ、火

野将兵という名前は火の民だったんじゃない

かな。火の民の火野君と風の民の風間さんが

星の智慧派でペアで活動している、と僕の頭

にはインプットされているよ。」


 すべてはお見通しの様だ。隠しても仕方な

い。


「そうです。私は火の民であり、星の智慧派

に所属している者です。」


「その君に僕が手助けをするとでも?」


 やぱり普通は無理な話だろう。お互い敵対

する陣営に属しているのだから。


「君があくまで人類にとって敵対する人物な

ら当然だか排除しなければならない。」


 少しぶっそうな話になってきた。






13 第八幕 セラエノの邂逅(2)


「それはそうかも知れませんね。あなたの立

場なら当然のことです。」


 火野将兵はすでに達観している。旧支配者

たちが人類の敵である、という二者択一的な

発想は仕方がない。それを説得できる要素も

ない。ただ、あるべきものをあるべきかたち

で、ということしかないからだ。


 将兵にしてもクトゥグアの封印が本当に解

かれたのならどういった事態になるのか想像

もつかない。地球上の全てを焼き尽くす可能

性も高い。なのに、なぜ火の民はクトゥグア

の封印を解くことが使命だと考えているのか

長老たちに聞いても誰も納得できる回答を持

っていなかった。


「そういうものだ。先祖代々、そうやってき

たのだ。疑問を持つことは、畏れ多いことだ

と弁えろ。」


 と言われただけだった。誰も封印は解けな

いし解く方法も見つけられないのだ。ずっと

そのまま、それでいいのではないか?とすら

思っていた。ただ、一応は使命として課せら

れていることなので将兵も封印を解く方法を

探しているだけだった。


「私は人類に敵対しようとは思っていません

が、立場によってはそう思われても仕方がな

いとも思っています。クトゥグアの封印を解

くことが火の民の悲願であり私の使命でもあ

りますが、達成できないのではないか、とも

思っているのは間違いありません。」


「それなのに、君はここにやって来たという

のかい?」


 マーク=シュリュズベリィは何だか少し拍

子抜けしてしまった。顔を少し赤らめてマリ

ア=ディレーシアは出て行ってしまったので

マークと将兵り二人きりで話を続けているが

淡々と話す将兵に他の旧支配者たちの眷属と

は別のものを感じ始めていた。火の民とは初

めて接触したので火の民が特別なのか、将兵

がその中でも特別なのかは判断が付かなかっ

た。


「そうですね。私の使命を果たすことは、確

かにクトゥグアの封印を解くことであり、そ

の結果人類が滅びてしまう可能性もあるでし

ょう。ただ、自由に動き回っている方もいら

っしゃいますので、その動きをけん制するた

め、敢て封印を解くことも必要な時があるの

ではないか、とも思っています。」


 詭弁だった。一人の旧支配者だけでも危険

極まりないのに、それと敵対させるために同

じく危険極まりないもう一人を自由にさせる

ことなどあり得ない。


「それはダメだ。ここで僕が封印されている

旧支配者や外なる神の封印を解く方法を探し

ているのは逆にそれを見つければ万が一封印

が解かれても再度人類で封印できるのではな

いか、と思ってやってることだからね。ナイ

アルラトホテップを封印する方法もできれば

見つけたいくらいだ。」


「ナイ神父を封印?できるのですか、そんな

ことが?」


「いや、全く手掛かりはない。彼については

言及されている物はいくつもあるが、封印さ

れていないこともあって、封印する方法が旧

神にもなかったのではないか、とすら思えて

くる。だとしたら、人類には到底無理な話だ

ね。」


「無理でしょうね、多分。神父は自由に行動

させる、というのが旧神が定めてルールのよ

うな気がします。」


「ルールね。それにしても、そのナイ神父は

君がクトゥグアの封印を解く方法を探してい

ることを当然知っていて、それも下手をした

ら自らと敵対する存在の封印が解かれるかも

知れないのに君をここに連れてきたことにな

るけど。」


「そうですね。神父のお考えは私のような者

には全く理解できませんが、クトゥルーやツ

ァトゥグアの時と同様に封印がもう少しで解

かれるところまで行って失敗することか肝要

なのではないでしょうか。」


 旧支配者たちの封印が解かれる寸前で失敗

し、その悔しがる気持ちがある一定のライン

を超えるとアザトースの封印が解かれる、と

いう話だ。


「封印を解く方法を探させて最後の最後に邪

魔をする、というようなことなのかな。」


「そうかもしれません。ツフトゥグアのよう

に現代の地球では不可能な方法かもしれませ

んし。但し、ヨグ=ソトースのように時空が

超えられる存在が居るので、完全に不可能と

はいいきれませんが。」


「そうだね。で、君は結局クトゥグアの封印

解く方法をここで探す、というのだね。」


「申し訳ありません、そのつもりでここに来

ました。但し、どうも私では読み解けない書

物がほとんどのようなので、お力を貸してい

ただけないかと。」


「だから、それは無理だと言っているじゃな

いか。」


 そこにいつの間にか戻っていたマリアが割

り込んできた。


「そう邪険にすることもないわ。マーク、あ

なたもクトゥグアの封印を解く方法は探して

いるのでしょう?もちろんあなたは彼とは違

って、その方法を知ることによって逆に封印

をするため、ということだけれど。」


「そうはそうなんだが。」


「だったら一緒に探して、貴方は封印するた

め、彼は封印解くためにその書物を使う、っ

てことでしょ?」


「う~ん、何か違うような気がするが。」


 何かマリアのおかげで助けてもらえそうだ

った。彼女は彼女で正直何を考えているのか

将兵には判らなかったが。






14 第八幕 セラエノの邂逅(3)


 マリアは辟易していた。マークと二人きり

というのも我慢ならなかった。確かにマーク

は魅力的な男性ではあったが、マリアが望む

ギラギラと野望に満ちた男ではなかったから

だ。いい人だとは思うが恋愛対象ではない。


 不意に現れた火野将兵という青年はマーク

よりも老獪なイメージがあった。それとも、

そのまま外見を受取るとしたらただの無気力

な若者でしかない。


 いずれにしても、セラエノ大図書館から一

刻も早く戻りたかった。それにはマークにし

ても火野にしても目的を達成させることが必

要だった。マークについては少しくらいの成

果では戻らないだろう。だが火野将兵という

青年はクトゥグアの封印を解く方法が見つか

ればすぐに戻るだろう。その時に一緒に戻れ

ばいい。


「確かクトゥグアに関する記述がどこかにあ

ったじゃない?」


「いや、直接クトゥグアについて言及されて

いる書物はほぼ存在しない。1228年にオ

ラウス・ウォルミウスが『ネクロノミコン』

をギリシア語版からラテン語版に翻訳すると

きに元々完全版だと彼が思っていたギリシア

語版がかなり欠落したものだったらしい。そ

の際に落とされた部分にクトゥグアについて

の記述もあったようなんだが、今のところ発

見されていない。もしかしたら、ここにはギ

リシア語版の完全版が保管されているかもし

れないが僕もいまのところ発見していない。

『アル・アジフ』のオリジナルのアラビア語

版は到底望めないとしてもね。」


「『ネクロノミコン』があるのですか?」


 火野将兵は星の智慧派極東支部の事務所で

『ネクロノミコン』を見た。本そのものが何

かの意思を持っているような気がした。あれ

はこの世にあってはいけないものだ。その本

のオリジナルなど、一体どれほどの力を持っ

ているのだろう。将兵には想像もつかなかっ

た。


「いや、まだ見つけていない。『ナコト写本』

や『無名祭祀書』、『屍食経典儀』、『妖蛆

の秘密』あたりは見つけて翻訳したんだが。

ラバン大伯父が一部を翻訳しているから、こ

こに『ネクロノミコン』があることは間違い

ないとは思うんだが。」


 マークがセラエノ大図書館に来た時には、

大伯父であるラバン=シュリュズベリィは亡

くなった後だった。バイアクヘーを召喚する

タイミングが合わなかったのだ。


「だったら、まずは皆で『ネクロノミコン』

を探し出すことね。」


 いつの間にかマリアが全てを仕切りだして

いた。






15 第八幕 セラエノの邂逅(4)


 セラエノ大図書館には異形の司書がいる。

司書と言っても人間ではない。円錐型の生物

(生物と言えるかどうかは定かではない)が

管理をしている。彼らは図書館を訪れる者た

ちの目的に合った本や断片、石板などの場所

を案内してくれる。但し、言語などで意思疎

通を図ることはできない。一方的に案内する

だけだった。


「司書たちに探させてみようか。」


「あの変な生き物にですか。」


「彼らはこのセラエノ大図書館の蔵書たちす

べてを把握している筈なんだが、うまくこち

らの希望が伝えられないので必ず目的のもの

が見つかるとは限らないんだよ。『ネクロノ

ミコン』は僕もマリアも探してみたが見つか

らなかったので彼らに頼んでみたけど今まで

案内はしてくれていない。ここには無いのか、

それともこちらの意思が伝わっていないのか

判別が付かないんだ。」


「それで、試しに僕が頼んでみろと?」


「そういうこと。」


 火野は半信半疑で『ネクロノミコン』を探

していることを円錐型のものに向かって念じ

てみた。するとどうだろう。頭の中に何かの

イメージが入ってきた。星の智慧派極東支部

で見たラテン語版『ネクロノミコン』とは違

うもののようだ。


「そう、それだ。」


「なんだ?彼らと意思の疎通ができたのか?

僕はここに来て何年も経つけど、そんなこと

は一度もなかったが。」


「彼は曲りなりにもクトゥグアの眷属の末裔

なんだから、あなたや私とは違うのかも。あ

なたの大伯父さんも普通の地球人だったから

苦労したんじゃないかしら。」


「そうかも知れない。なら彼のような火の民

がここに居てくれたほうが色々と調査が進み

そうだな。」


 火野将兵は二人の会話を聞いてはいなかっ

た。円錐型の司書となんとか意思を疎通させ

ようとしていた。


「こっちだそうです。」


 司書が動き出した。三人が続く。マークが

いつも居る閲覧室を出て奥へ奥へと進む。


「こんなところにも通路があったんだな。」


 マークも通ったことがない通路をまだ奥へ

と進む。迷路のようなので元の部屋に戻る術

は司書についていくしかない。


 いくつかの扉を通り三人と一匹(?)は奥

へと進む。やがてある部屋の前で止まった。


「ここは?」


「ここは誰かの部屋のようですね。開けてみ

ましょう。」


 火野将兵がドアを開けると中はベッドなど

が置いてある生活感のある部屋だった。机や

本棚がある、書斎兼寝室のようだ。


「まさか、ここは大伯父の部屋なのか?」


 マークはラバンとは入れ違いにここに来て

いたので生活していた部屋も含めて引継ぎが

全くできていなかった。すべて一から見つけ

なければならなかったが、準備ができていな

かったことを怒っても仕方ない。文書を読み

解くのに忙しくてそんな余裕がなかったのだ

と思った。


「ここがもっと早く見つかっていたら調査や

解読が進んでいただろうね。」


 残念そうにマークがつぶやいた。


「そんなことより『ネクロノミコン』を探さ

ないと。」


 三人がそれぞれに本棚を探す。『ネクロノ

ミコン』は見つからなかった。


「ここじゃないのか。」


「でも、さっきはラテン語版ではない『ネク

ロノミコン』のイメージが頭に入ってきたの

ですが。」


「そうなのか。だったら、ここにあるはずだ

ろう。」


 三人はさらに丁寧に部屋の中を探すのだっ

た。







16 第九幕 風の民(2)


 風間真知子は苛立っていた。父が死んでか

ら特に風の民とは距離を置いていたので、あ

の山奥に戻る気はなかった。母親は真知子を

生むと同時に亡くなっており写真もなかった

ので顔も知らない。風の民全体が近親婚を繰

り返した呪われた人々(真知子はそう思って

いた)なので血縁者は大勢いたが一人っ子だ

った真知子には親しい者は皆無だった。


 最近、真知子は毎日のように夢を見た。自

らがハスターとなって宇宙空間を飛び回って

いた。クトゥグアも一緒だ。ロイガーやツァ

ールもいるがイタカは居ない。宇宙を飛び回

ることに飽きたら、なんだか黒い湖に帰るの

だ。それを繰り返す夢をみるのだった。ハス

ターの記憶なのか、真知子の拙い知識が見せ

ているだけなのか、自分では判らなかった。


 火の民にしても風の民にしても、本当に旧

支配者たちの封印が解けるなんて思っていな

い、と真知子は考えていた。そんなことをし

たら地球や人類が滅んでしまうからだ。


 ただの伝説だとも思っていなかった。幼い

頃から現実に体験していたからだ。ほんの僅

かだが風の民にも力を持っている人がいたの

だ。風を操る力。それが何の役に立つのか、

真知子には全く分からなかったし、自分には

そんなものは要らないと思っていた。


 夢を見るようになった原因の一つに火の民

である火野将兵と行動を共にすることがある

のではないかと思った。それと勿論星の智慧

派のナイ神父との接触が大きいのだろう。自

らの力が発現した、というようなことはなか

ったが、自分の中で何かが変わろうとしてい

る、という感じだった。


 少し風の民の存在意義やハスターそのもの

についても興味が出てきたところで、火野将

兵はセラエノ大図書館に旅立ってしまった。

連れて行ってほしい、と火野には伝えていた

がタイミングが合わなかったのか、置いてい

かれてしまった。


 早い段階で風の民のことは投げ出していた

ので知識不足は否めない。真知子は星の智慧

派極東支部にある希覯書を読み漁った。『ネ

クロノミコン』は見せてもらえなかった。不

完全なものらしいので間違った知識を得てし

まうから、というのが理由だった。


「火野がセラエノに行ってお前も暇だろう、

ミスカトニック大学にでも行ってみるか。」


 突然現れたナイ神父からの突然の提案だっ

た。そもそも星の智慧派に勧誘された時もい

きなり現れて即答を迫られた。真知子の細や

かな知識の中にナイ神父のことは辛うじてあ

ったので否応なしだった。神父からすると断

られても特に何事もなく去るつもりだったの

だが風の民の末裔としてはナイ神父の誘いを

断ったりしたら風の民そのものを地上から消

し去られると思った。正直高卒で就活にも困

っていたので単なる就職先だと割り切るんだ

と自分に言い聞かせたのだ。


「はい、いいですよ、ご指示とあればミスカ

トニック大学に行きます。でも火野さんはま

だ戻られないんでしょうか?」


「少し手間取っておるようだな。もしかした

らお前のほうが先に答えを見つけるかも知れ

んぞ。」


「それほどのものがミスカトニック大学に?」


「かの大学は今の地球上では一番の情報源だ

ろうな。完全版に一番近いと思われる『ネク

ロノミコン』も所蔵しておる。ただ、そう簡

単には閲覧を許されないだろうがな。」


「ではここにある『ネクロノミコン』では役

に立たないと?」


「あれは玩具みたいなものだ。不完全で間違

いも多い。」


「なぜそのようなものを保管しておられるの

ですか?」


「我が蒐集したものではない。そのような些

事に我は関知しておらん。我がお前たちに協

力する訳にはいかんのだ。お前たちの無駄な

努力が肝要なのでな。」


 真知子にはよく判らなかった。火野あたり

は理解していたようだが、もっともっと知識

が必要だと思った。







17 第九幕 風の民(3)


 ナイ神父の指示により風間真知子はアメリ

カ合衆国へと飛んだ。ミスカトニック大学に

留学するためだ。留学といっても一時的な受

講生であり、星の智慧派の手配によって受験

はしていない。


 ボストンローガン国際空港に直行便で着い

た真知子はすぐに教団の用意したワゴンに乗

ったが北のアーカムではなく南に向かった。

プロビデンスのブラウン大学に立ち寄るため

だ。ルート95を快調に飛ばせば1時間と少

しで着くはずだ。


 真知子がブラウン大学に向かった理由はエ

マ・ワトソンの母校だからなどという理由で

はない。ブラウン大学には専攻内容を作れる

というシステムがあり、現在星の智慧派の教

団員により旧支配者や外なる神、旧神やその

他の神々の研究を専門にしている学生がいる

のだった。ミスカトニック大学にはそんな専

攻は無い。希覯書の所蔵はミスカトニック大

学が群を抜いているが研究者としてはブラウ

ン大学にも優秀な学生が多数在籍しているの

だ。


 真知子が大学に着くと教団の手配で数人の

学生が集まってくれていた。彼らや彼女たち

は卒業すると同時に星の智慧派に配属される

予定だ。リベラルな校風もあって異端であっ

ても研究しやすい環境であることは間違いな

い。真知子は核心の質問をぶつけてみた。


「旧支配者の復活をどう考えていますか?」


 ある男子学生が答える。


「宗教的には天使と悪魔のように対立する構

図を描くことが容易だとは思いますが、旧支

配者・外なる神と旧神との対立軸はかなり異

質ではないかと考えます。伝承学的に神話と

して伝えられているのは人類が発生してから

何かの実在の出来事が元になっていると考え

られるので星の智慧派で信仰しておられるよ

うな存在は当然何かしらの真実を孕んでいる

と思います。それが旧支配者なのかどうかは

また別の話ではありますが、封印されている

何かが存在することは十分あり得ることだと

考えます。」


 彼らは星の智慧派で本当に旧支配者の復活

を望んでいる、というよりは興味・研究の対

象なだけなのだ。


「その何らかの存在が封印を解かれたり復活

することは、ある意味自然の摂理ではないで

しょうか。例えば太陽は地球に多大なる恩恵

を与えているので関係ありませんが、他の恒

星は、恒星としては地球にとって不要であり、

万が一接近してきたとしたら地球を破滅に追

い込むであろう存在ですが、誰も太陽以外の

恒星を滅してしまおうとは思わないと思いま

す。そこに在ることが摂理なら、旧支配者も

地球を滅ぼすかもしれないからと言って未来

永劫封印し続けることは間違っているのでは

ないかと思います。例えその所為で地球が滅

びてしまったとしても。」


 彼らは若いが故に純粋なだけなのだ。真知

子としては懐疑的ではあったが少し背中を押

された気がした。火野将兵も確かあるとき、

似たような事を言っていた。彼の場合は自分

の存在自体あまり重要視していない感じであ

ったが。


「旧支配者が復活してもいい、というのね。」


「それほど単純な話でもありませんが、実際

に封印が解けるのなら場合によっては実行し

てしまうかもしれませんね。」


 集まった生徒の中でも、このルイス=キリ

ングという青年は飛びぬけて異質なのかもし

れない。


「わかったわ。これからも研究に励んでくだ

さい。」


 風間真知子はブラウン大学を辞して一路ア

ーカムへと向かうのだった。











18 第九幕 風の民(4)


 風間真知子がアーカムに着いた時にはもう

夕方だった。教団は学生寮の一室を用意して

くれていた。真知子が望んだのだ。大学生活

を過ごしたことがない真知子には、こんな形

でも大学生の暮らしができることが嬉しかっ

た。


 荷物を部屋に入れた真知子は、暗くなって

はいたが学内を散歩することにした。少し浮

かれていたのかもしれない。


「ここが図書館ね。」


 それは荘厳な面持ちの建物だった。世界に

冠たる稀覯書の宝庫、ミスカトニック大学付

属図書館だ。


 稀覯書だけをみると大英博物館やハーバー

ド大学のワイドナー図書館と比べても遜色な

い。特にミスカトニック大学付属図書館を有

名にしているのが『ネクロノミコン』である。

狂えるアラビア人、アヴドゥル=アルハザー

ドが『アル・アジフ』としてアラビア語で著

したものをテオドラス=フィレタスがギリシ

ア語に翻訳し、さらにオラウス=ウォルミウ

スがラテン語に翻訳したものが所蔵されてい

が、完全な翻訳からはほど遠い。


 ところが最近、このラテン語版を補完する

内容が含まれているアラビア語版『アル・ア

ジフ』もしくは『キタブ・アル・アジフ』の

一部がエジプト、アレキサンドリアの近郊海

底遺跡から陶片群として発見された。当初イ

ギリス南部で発見された陶片群(エルトダウ

ン・シャーズ)と同じものではないかと考え

られていたが、作られた時代が違うことと書

かれた内容も同じところが全くなかったこと

で別物だと判断され、では『アル・アジフ』

ではないかと解読を進めた結果、その可能性

が高いと判断されミスカトニック大学に正式

に解読の要請がなされたのだった。


 図書館は一見巨大なコンクリートの塊に見

えた。外壁は相当に厚くされた鉄筋コンクリ

ートに違いなかった。ツタがほぼ全面を覆っ

ているので巨大な森のようにも見える。魔術

的な防御を施されている所為もあり、人によ

っては建物そのものをあまり認識できないか

もしれない。真知子が図書館に近づいた時も

何かの結界を通り抜けた感じがした。それは

少なくとも何らかの風の民としての力を備え

ているからだろう。


 夜の図書館は不気味だ。何回かの夜の侵入

者を許してしまった経験からミスカトニック

大学附属図書館は24時間開館している。表

向きはいつでも学生の希望に応えるため、と

言ってはいるが実際には24時間体制で守る

必要があるからだった。


 ここの図書館には窓が全くない。もちろん

窓からの侵入を防ぐためではあったが、窓の

外からだけの侵入という以外にも窓からの侵

入を防ぐためでもあった。窓は入口であり、

それは別世界からの入口でもあったからだ。






19 第十幕 交差する運命


 風間真知子がミスカトニック大学附属図書

館に入ろうとしたときだった。中から出てき

た青年とすれ違った。


(どこかで見た気がする。)


 どうもそれは、すれ違った相手にも同じ感

想を抱かせたようで、出てすぐに立ち止まり

真知子の方を向いて話しかけてきた。


「あの、失礼ですが、どこかでお目にかかり

ませんでしたか?」


 使い古されたナンパの常套句のように聞こ

えてしまったので、その青年は少し照れた様

子だった。


「確かに私もそう思っていました。どちら様

でしたか?」


「僕はここに留学している岡本浩太といいま

す。あなたは?」


「私は風間真知子、今日ここに来たばかりで

す。」


「風間さん。やはりどこかでお目にかかって

いますよね。そうだ、琵琶湖大学付属病院で

ナイ神父が現れた時に、星の智慧派の一人と

して来ておられた方では?」


 隠す必要はない、と真知子は思った。


「確かに私は星の智慧派極東支部に所属して

いる者です。あの場所にいらっしゃったので

すね。岡本浩太さんといえば確かツァトゥグ

アに吸収された人の一人でしたか。」


「そうです。あなたは確か火野とかいう人と

一緒に来ていました。火野君は来ていないの

ですか?」


「彼は今セラエノです。」


「セラエノですって?あのセラエノ大図書館

ですか?確かマークさんとマリアさんが行っ

ているはずですが。」


「みたいですね。私も一緒に連れて行ってほ

しい、と頼んでいたのですが置いていかれて

しまったので、ここに来ました。」


「ここへは旧支配者たちの封印を解く方法を

探しにきたのですか?」


 隠す必要もないほど星の智慧派の目的は今

は明確になっている。


「もちろん。ただ教団の命というよりは自分

の興味でここまできました。」


「自分の興味?」


「火野君がクトゥグアの眷属、火の民である

ことはご存知ですか?」


「いいえ。名前からもしかしたら、とは思っ

ていましたが。ここで色々と調べ物をしてい

ますが日本に対しての記述がある書物はほと

んどないので日本に僅かにいるといわれてい

る火の民や風の民のことは皆目判らないので

す。まさか、風間さんというのは。」


「風の民です。」


「火野君もそうですが、クトゥグアやハスタ

ーの眷属が星の智慧派に在籍しているんです

か?」


「それでいいと神父はおっしゃいますので。」


「ナイ神父ですか。あの方の考えは僕らのよ

うな者では想像もつきませんね。」


「それは私も同じです。」


 二人は変なところで同調したようだ。


「で、あなたはここでハスターの封印を解く

方法を探すと?」


「そうですね。というよりはハスターそのも

のについてもっと知りたいと思ってきました。

風の民の使命なんて興味はなかったんですけ

ど。あなたは、ここで何を?」


「僕は不用意に関わってしまったということ

もありますけど、もっともっと知識を吸収し

て例えそれがアザトースの封印を解く手助け

になったとしても、旧支配者たちの復活を阻

止し続ける、という意思を持ってここで日々

過ごしています。あなたとは相反する立場で

すね。」


「いいえ、それは少し違うかも知れませんよ。

あなたが旧支配者たちの封印を解かれないよ

うにするために様々な書物を研究しているこ

とは結局封印する方法を探している、もしく

は封印が解けないようにする、ということで

しょうから、いずれにしても封印を解く方法

は解読するに越したことがないのではありま

せんか?だったら、私どもとは辿り着く結果

が違うだけで途中までは同じだとも言えるで

しょう。」


「では協力し得ると?」


「可能性はありますよね。」


 セラエノ大図書館とミスカトニック大学附

属図書館。二つの図書館で似たような展開が

生まれていた。







20 第十幕 交差する運命(2)


 ミスカトニック大学附属図書館の館長はク

レア=ドーン博士のままだった。岡本浩太は

ドーン博士と綾野祐介との縁で相当優遇され

て稀覯書の閲覧を許されていた。ただ、浩太

の語学力では限界があった。


 一方、風間真知子は学歴があった訳ではな

いが元々語学は得意だった。ただ、いずれの

言語にしても基礎がなってなかったので、そ

こから始めなければいけなかった。


 岡本浩太が日本語に翻訳した稀覯書を真知

子は読み漁った。浩太が日本から持ってきた

綾野祐介が翻訳した本もあった。


 様々な稀覯書は、その殆どのものが難解で

あった。まず発禁処分を受けている本が多い

のですべてがちゃんと揃っている方が珍しか

った。散逸してしまっている部分が多くある

本は前後の繋がりが判らない。気を付けない

といけないのは、その前後によって全く意味

が違ってしまうことがあるのだ。本によって

は、それを間違って伝えるため態と一部を抜

き取ってある本すらある。何かを召喚する呪

文などは暗号化されていることも多い。すぐ

に読み解けるようでは、召喚されたもので世

界が溢れてしまうだろう。


 『ネクロノミコン』は取分け難解だった。

ミスカトニック大学にあるものは現在では誰

も閲覧できなくなっている。浩太が読んでい

るのは、フランシス=モーガンJr.人類学

部准教が英語に翻訳したものだが、肝心な部

分は伏字になっている。召喚の儀式など実施

されれば大変なことになるからだ。儀式に必

要なものや召喚呪文などは厳重に管理されて

いる。


 浩太は旧支配者たちを召喚したり封印を解

こうとしている訳ではないので、特に問題は

なかったが、正確な情報を持っていないと各

々の眷属や邪教の信者たちが行う儀式を阻止

するには心もとなかった。


 附属図書館に所蔵されているのはラテン語

版なので浩太の語学力では太刀打ちできない

からとりあえずは英語版を読み解くしかなか

った。


 風間真知子は語学の勉強と並行して、岡本

浩太は既にあるいくつかの稀覯書の日本語訳

をより正確なものにするため日々を重ねてい

た。





21 第十幕 交差する運命(3)


 そんな二人、というよりは本来岡本浩太一

人を訪ねて来た日本人がいた。


「結城さん、お久しぶりですね、どうされた

んですか?」


「久しぶりだね、浩太君。こちらは?」


「彼女は風間真知子さんといって、実は星の

智慧派の方です。それと風の民の一員でもあ

ります。」


「はじめまして、風間です。結城さんですか、

彼から話を聞いたことがあります。確か陽日

新聞の方では?」


「ええ、元陽日新聞の結城良彦です。今は綾

野機関の一員なんですよ。」


「綾野機関、って綾野先生が何かやり始めた

んですか?」


「そうなんだ。実はどうもこの世界にどっぷ

りと嵌ってしまって、相談しようと綾野先生

を訪ねたらちょうどイギリスから戻られたと

ころで、いろいろと話をした結果、行動を共

にすることにしたんだよ。『綾野機関』って

いう名前は僕が勝手に付けただけでまだ正式

ではないしメンバーも今のところは二人だけ

なんだけどね。特に僕は無理やりだから。」


「何かするなら必ず連絡ください、とお願い

していたのに。」


「いや、多分君にはここでもっと知識を得て

欲しいというのが綾野先生、ああ、先生と呼

ぶのはおかしいね、綾野代表の意思なんじゃ

ないかな。だから僕をここに越させたんだと

思うよ。勝手に動かないように釘を刺すため

にね。」


 浩太は不満だったが今の自分がどれだけ綾

野の役に立てるのか、確かに自信がなかった。


「ところで、さっき星の智慧派って言わなか

ったか?」


「そうですよ、彼女は星の智慧派の一員に間

違いありません。」


「その彼女と一緒に君はここで過ごしている

のか?}


 まだまだ知識が足りない結城にしても星の

智慧派と綾野たちが相反するものだというこ

とは既定の事実だと思っていたのだから不思

議に、或いは不審に思うのは当たり前だった。


「なかなかご理解いただけないとは思います

が様々な稀覯書を読み解くには多くの人に携

わってもらった方がいい、というような、ち

ょっと複雑な判断の元で僕は彼女と一緒にこ

こで日々解読、判読に勤しんでいる訳です。」


「なんだかよく判らないが、綾野代表は知っ

ているのかい?」


「綾野先生には、ああ、やっぱり僕も綾野先

生と言ってしまいますね。もういっその事、

綾野先生で統一したらどうでしょうか。」


「それもいいかもな。」


「綾野先生にはお知らせしていません。僕だ

けの判断です。もちろんアーカム財団にも知

らせていません。但し、彼らは当然掴んでい

るでしょうね。ただ、稀覯書の解読が進むの

なら見てみないふりをしている、もしくは最

後に星の智慧派には解読結果が渡らないよう

に妨害するつもりで見逃している、といった

あたりでしょうか。」


「そこまで判っているのなら、僕からは何も

言わないし綾野先生にも報告しないようにす

るけど、人類の未来を色恋沙汰で見誤らない

ようにすることだね。」


「そんなことでは、」


「いいよ、深くは聞かないし問い詰めたりす

るつもりもないから。」


 黙って聞いていた風間真知子が割り込む。


「何、何?どういうこと?」


「君には関係ない話さ。」


「もしかして馬鹿にしてる?」


「そんな訳ないだろう。頑張って二人で協力

して稀覯書解読を進めろってことさ。」


 二人の痴話げんかに巻き込まれないように

結城良彦は席を外すのだった。






22 第十幕 交差する運命(4)


 岡本浩太、風間真知子の二人は稀覯書解読

に明け暮れていてストレスが溜まっていたこ

ともあり、気晴らしもかねてインスマスへと

出かけることにした。結城良彦の提案もあっ

たからだ。結城からインスマスにある教会の

廃墟地下にある閉ざされた部屋について聞い

ていた浩太は、そこで恩師である綾野祐介が

目を負傷したことも聞いていたので危険では

ないかと思ったが、逆に目を守るゴーグルな

どで対策をしていけば問題ない、といいうこ

とになった。


「辞めておいたほうがいいんじゃないの?」


 図書館長クレア=ドーン博士からは一応止

められたのだが、好奇心が勝ったのだ。それ

に浩太は結城から言われたことで変に意識を

してしまっていたので、いっその事二人で出

かける機会を作ることにした。


 アーカムからインスマスへはもうバスでは

行けない。インスマスには住む人がいなくな

ってしまったからだ。鉄道も廃線になってい

て使えなかった。浩太も真知子も、そもそも

運転免許を持っていなかったので、レンタカ

ーを借りることもできない。車なら3、40

分ほどなのだが目的地を告げるとタクシーは

ことごとく乗車拒否された。


 折角出かける気になったのに、どうしよう

かと二人が途方に暮れていた時だった。


「インスマスに行きたいのかい?」


 二人がタクシーと交渉しているのを見てい

たのか、一人の青年が声をかけてきた。


「僕が乗せていってあげようか?」


 その青年はウィリアム=オーンと名乗り、

今からインスマスに行くのだそうだ。廃墟で

あるインスマスに一人で行くなんて、怪しい

にも程がある。しかし、彼の目的にも興味が

あった。敵なら敵で味方なら味方で、知り合

いになっておくのもいいと思ったのと、風間

真知子は普段から自分の身は自分で守れる、

と公言していたこともあり、自らの護身につ

いてはアメリカに来てから相当な修行をして

きた浩太は、何が起きても切り抜けられる自

身があったのだ。今回はそれを実証できる機

会だと考えた。綾野に相談すれば直ちに止め

られただろうが。


「ありがとうございます。いいんですか?」


「別にいいよ、一人で行くより大勢で行った

方が楽しいじゃないか。」


 浩太と変わらない年齢に見えるウィリアム

はかなり明るい性格のようで人見知りとは無

縁に見えた。


 色々な意味で反対したい様子の真知子は、

ただこのままだと浩太とウィリアムの二人で

出ようとしそうなので仕方なしに同行するこ

とにした。


 ウィリアムの車は黒いトヨタのFJクルー

ザーだ。助手席に浩太、後部に真知子が座り

すぐに車は発進した。


「オーンさんはおいくつなんですか?」


「ウィリアムでいいよ。僕は22才、ミスカ

トニック大学考古学部4年。」


「ミスカトニック大学なんですね、僕も彼女

も広聴生として毎日ミスカトニック大学の寮

から通っているんです。」


「そうだったんだ、縁があるね。まあ、イン

スマスに行こうなんて、普通の人じゃ考えら

れないから、その若さなら大学の関係者だと

は思っていたけどね。」


「確かにそうですね。廃墟マニアあたりなら

行くかもしれませんが。」


「インスマスは廃墟じゃないよ。」


 インスマスは数年前の大火で廃墟になり住

民はほぼアーカムの外れに越してきたと聞い

ていた。


「今は少しづつだけど住人が戻ってきている

らしい。僕も実はその一人なんだけどね。」


「ウィリアムさんはインスマスに住んでいる

んですか?」


「インスマスには祖父の家が運よく燃えない

で残ってて、まだ今はたまに行くくらいだけ

ど、いずれは完全に移住しようかなと思って

いるんだ。」


 意外だった。廃墟の街だと思ったから風間

真知子と二人で出かけることにしたのだ。住

人が居るのなら自由に探索ができないかも知

れない。


 全く会話に入ってこない真知子は、後部座

席でどうも寝ているようだった。






23 第十一幕 インスマスの再興


 インスマスに着くと、そこは確かに廃墟の

街にしか見えなかった。見える範囲の家々は

ほぼ焼け落ちている。


「やっと着いたの?」


 起きてきた真知子が車を降りて来た。


「ここはまだ街の外れなので、中心の方に行

ったら少しは建て直している家もあるみたい

だよ。僕の家はもっと東の方なので、どうす

る?君たちの目的はダゴン秘密教団の教会跡

地だよね。あそこは今のところ手が付けられ

ていないので廃墟のままだけどね。」


「そうでかね、僕たちはとりあえずそこに行

ってみようと思います。ウィリアムさんは家

にドられるんですよね?」


「そうだね、連絡をくれたら、帰りもアーカ

ムまで連れて戻ってあげるから。」


「助かります。」


 三人はここで別れることになった。街の中

心へは街道が補修されていないので車では難

しいからだ。ウィリアム=オーンは一度イン

スマスを通り過ぎて北からの街道を戻るのだ

そうだ。岡本浩太もオーンも衛星対応の携帯

電話を持っていたので電波の届かないインス

マスでも連絡は取れるので安心だ。


「ここから歩くの?」


「そうだよ、ここからは歩いて20分くらい

かな。」


「そんなもんか、だったらいいわ、さっさと

行こう。」


 風間真知子は車で十分睡眠がとれたので晴

れやかな顔をしているのでは、と浩太は思っ

たがそうではなかった。何か沈んだ表情をし

ている。


「どうした?何かあった?」


「浩太は気が付かなかった?あのオーンさん

って人。なんだか寂れた漁村みたいな臭いが

したわ。」


「魚臭いってこと?」


「生臭い、かな、どちらかと言うと。」


「インスマスの関係者だからね、それくらい

はあるんじゃないかな。」


「判ってて同乗したの?」


「そうだよ。彼が深き者どもだとしても、驚

かないさ。」


「あなたって動じないというのか、鈍感とい

うのか、頼りがいがあるのか、身の程知らず

なのか、謎ね。」


「君も十分謎だけどね。」


 そんな話をしていると、いつの間にか二人

はある建物の前に差し掛かった。そこは大き

な建物で一軒家ではなかった。「ギルマン・

ホテル」という看板が焼け残っている。元は

ホテルだっだ。


「ここがギルマン・ホテルか。」


「跡地、ね。」


 すかさず真知子が訂正を入れる。


「あと少しでダゴン秘密教団の教会があった

場所だよ。」


 目的地はもう近くだった。






24 第十一幕 インスマスの再興(2)


「ここだ。」


 二人が足を止めたところは、確かに教会だ

った形跡は残っているが廃墟に違いなかった。


「どこからか地下に入れるところがあるはず

なんだけど。」


 探してみると建物の廃墟の中央奥あたりに

地下への階段を発見した。


「降りる?」


 岡本浩太が一応聞いてみた。


「あたりまえでしょ、そのために来たんだか

ら。」 


 意を決して二人は地下と降りて行った。


 洞窟のような地下のトンネルは、ところど

ころ崩れてはいたが通ることはできた。少し

片づけたような跡があるので、誰かが組織的

に調査に来た形跡がある。岡本浩太が綾野祐

介に聞いた話では、綾野がここを訪れた後に

アーカム財団に詳細な調査や深き者どもの処

理を任せた、ということだったので、それだ

ろう。


「アーカム財団が全部調査した後みたいだね、

もう何も残っていないかも知れないな。」


「なによ、それだったら来た意味がないじゃ

ん。知ってたのなら早く言ってよね。」


 浩太としては風間真知子を気晴らしになる

と思って連れてきただけで本当に何かを発見

できるとは元々思っていなかったのだが、彼

女には通用しなかった。


「いや、何か残っているかも知れないし、こ

この現状を確認する、というだけでも重要な

ことだよ。」

 

 半分は負け惜しみで言ってみた。


「私にとってはあまり意味はないわね。で、

どうするの?」


「どうするって?」


「引き返すか、このまま進むのか、ってこと

よ。」


「せっかくここまで来たんだから、行けると

ころまで行ってみるさ。」


 浩太としては綾野たちが見つけた部屋まで

は行ってみたかった。


「なんか、酷い臭い。」


 確かに尋常じゃない臭いが立ち込めてきた。

獣というか生臭い魚臭というか。


「臭いなんてレベルじゃないな。」


 暫らく行くと井戸のようなものがあった。

蓋がなかったので、臭いがそこからしている

のだ。


「ここに深き者どもが居たんだね。アーカム

に回収されて今は何も居ないけど臭いだけは

残っているみたいだ。」


「最悪!まだ行くの?」


「もうちょっとで書庫のような部屋があるは

ずなんだ、そこまでは行きたい。」


「いずれにしても、ここからは離れたいわ。」


 それは浩太も同感だった。人間には耐え難

い臭いだ。


 もう少し進むと二人はドアを見つけた。


「ここかな。」


 入ってみると部屋の三方に書棚が設置され

ている、綾野に聞いた通りの部屋だった。


「ここに間違いないな。何か残ってない?」


「壺はいくつもあるし箱もあるけど中身は何

も入ってないみたいよ。」


「もし中に粉が入っていたら絶対に触ったら

駄目だよ。」


「どうして?」


「綾野先生はその粉を触った所為で右目が無

くなってしまったんだ。」


「そんな大事な事、早く言ってよ。」


「言う前に君があちこち触りだしてしまった

んだよ。」


「危なかったわ。もう何もしないから、あな

たが探しなさい。」


 そう言われても、もう見るところはなさそ

うだった。アーカム財団は粉も含めてすべて

のものを持ち去ってしまったのだろう。


「こんなところまで降りてきていたんだね。」


 それはウィリアム=オーンの声だった。






25 第十一幕 インスマスの再興(3)


「オーンさんどうしたんですか、こんなとこ

ろで。」


 インスマスの入口付近で別れたはずのウィ

リアム=オーンが不意に現れた。


「うん、君たちが教会跡に行くって言ってた

から、ちょっと心配になってね。色々とあっ

た教会だから。」


「そうなんですね。でももう全て調査とかが

終わってて何も残ってないみたいなんですよ。」


 少し訝しんだが、浩太は素直に答えた。逆

に何かを見つけていたとしたら、オーンはど

んな態度に出るか判らなかったからだ。


「そうなんだ。残念だったね。で、君たちは

これからどうするんだい?」


「特に何も考えていませんが、そろそろアー

カムに戻ろうとおもっています。」


「行きの時にも言っていたけど僕の用事が終

わるのを待ってくれるのなら今日中にはアー

カムに戻るから、また乗せて行ってあげるよ。」


 行きの時もそうだったが、どうもオーンの

目的が判らなかった。ただ親切なだけとは思

えなかったのだ。しかし、他にアーカムに帰

る方法もないのは確かだった。


「ではお待ちしていますので、よろしくお願

いします。」


「一緒に僕の家に来て、そこで待っていてく

れれば出るときにも便利だからついておいで

よ。」


 二人はオーンの家に着いていくことになっ

た。


 ウィリアム=オーンの家はインスマスの東

の外れにあった。海からも遠く離れており、

周辺の数軒の家は健在だった。


「ここらあたりは大火の被害にあわなかった

んですね。でも、どの家も住んでいる人はい

ないようですが。」


「そうだね、ここらで実際に使用している家

はうちだけかな。他は家は残っててもアーカ

ムに越していってしまったみたいだよ。イン

スマスでは店もやってないので、まだまだ生

活するのは難しいから。でも、多分もう少し

し住民が戻ってきたらウェイト雑貨店も再開

して賑やかになるんじゃないかな。あまり被

害がなかったみたいだから。」


 インスマスが復興していくのは良いことな

のだろうか。その呪われた繁栄は、再興すべ

きではないのではないか。そこに戻って住も

うとしているオーンの前では、そんな事は言

えるはずもなかった。





26 第十一幕 インスマスの再興(4)


 オーン家の居間に通されて二人はオーンの

出発準備が整うのを珈琲を飲みながら待って

いた。


 居間には大きな暖炉がある。その上には数

多くの写真立てが並んでいた。ウィリアム・

オーンその人の写真もあった。父親と思しき

男性と二人で写っている。彼が写っているの

は、その一枚だけだった。他はもっと上の世

代の人々の写真だろうか、どう見ても写真が

古いものが多い。


「少し変じゃない?」


 風間真知子が岡本浩太に問う。それは浩太

も思っていたことだった。


「確かに、どう見てもウィリアムさんの父親

がどの写真にも写っているみたいだ。」


 父親はウィリアムとの一枚の他の全てに写

っているように見えた。但し、それぞれの写

真に写っている人々は、その背景である自宅

の風景から見ても時代、時代で変わっている

ようなのだが、父親だけが全く同じように写

っている。


「まさか。似ているけど何代にも渡っている

写真だよ、多分。」


「確かに、この家の横の木の成長をみたら、

写真ごとには相当年を経ているみたいだから

同じ人ってことはあり得ないものね。」


「何かあったのかい?」


 突然後ろからオーンが声をかけてきた。


「いっ、いえ特に何も。写真を見せていただ

いていただけです。」


「ああ、それは父と家族の写真です。僕も写

っているのが一枚ありますよ。」


 やはり彼と写っていたのは父親だった。た

だ問題はほかの写真たちだ。


「他の写真はお父さんの写真と祖父や曽祖父

のものですか?」


 オーンは浩太の顔を怪訝そうに見返した。

何を聞いているのか判らない、という顔だっ

た。


「これは全部父の写真だよ、変なことを言う

ね、もう準備が出来たから出発しよう。」


 写真の話はそれ以上できなかった。




27 第十一幕 インスマスの再興(5)


 その言葉を聞いた直後だった。出発を促す

オーンの行動は不可解だった。荷物も何も持

っていなかったのだ。不審に思って浩太が彼

に問いただそうとした。しかし、その言葉は

発せられることはなかった。


「どうしたの?具合でも悪い?」


 崩れ落ちた岡本浩太に思わず駆け寄る風間

真知子だったが、彼女もまた崩れ落ちるよう

に倒れた。


「今頃効いてきたのか、彼らにはもっち強い

薬が必要なようだ。」


 先に浩太を移動させようと抱えながらオー

ンが忌々しそうにつぶやいた。



「うっ、ん?」


「気が付いたかい?」


「あ、綾野先生、どうしてここに?。という

より、僕はどうしてしまったんですか?」


「君と彼女はウィリアム・オーンに睡眠薬を

飲まされて拉致されようとしていたんだよ。

私と結城君でなんとか助け出したけどね。」


「そうだったんですね。彼女も無事ですか?」


「大丈夫。彼女の方が先に気が付いて、もう

星の智慧派の人間が連れて行ったよ。」


「そうですか。やっぱり彼女は星の智慧派に

戻ってしまうんですね。もしかしたら、こっ

ちに来てくれるんじゃないかと思っていたの

ですが。」


 浩太は残念そうに言った。自分の中に芽生

え始めていた好意に気が付いていたのだ。


「彼女は風の民だそうだから、星の智慧派に

忠誠を誓っている訳でもないと思うが、彼女

次第じゃないかな。無理やり連れていかれた

様子ではなかったけれどね。」


「誰が迎えに来ていましたか?」


「例の火野という青年だったよ。いつも二人

ペアで行動していたようだが、ここには一人

で来ていたんだね。」


「火野君はセラエノに行っていたはずです。

置いていかれたと彼女が言っていました。向

こうで何か見つけて戻ったのかもしれません

ね。」


「そうか、それは場合によっては大事になる

かも知れないな。マークからは特に何も連絡

はないんだが。」


 火野将兵がセラエノ大図書館に行っていた

のだとしたらマーク・シュリュズベリィやマ

リア・ディレーシアとも接触しているはずだ

った。それほど広い場所でもないと聞いてい

る。


「君の体調が戻ったら、一度日本に戻る必要

がありそうだね。」


 なぜ戻らないといけないのか、その意味は

浩太には判らなかったが、久しぶりの日本は

嬉しかった。





28 第十一幕 インスマスの再興(6)


「それにしても、どうして綾野先生が?」


 ウィリアム・オーンの家で、どうも睡眠薬

で眠らされてしまった浩太と風間真知子を綾

野は助け出していた。


「結城君から君たちがインスマスに行くかも

しれない、と聞いて心配になったからね。こ

こは携帯電話も繋がらないし、街の再興が始

まっている、ということは深み者どもも戻っ

てきている、ということだから。オーンとい

う青年は今の深き者どもたちの長のようなも

のらしい。だから、インスマスに入ってまず

最初に彼の家を探ってみたんだよ。そうした

ら、ちょうど二人が睡眠薬で倒れこむ場面に

出くわした、とうことさ。少しでも遅れてい

たら、と思うとぞっとするがね。」


「そうだったんですね。本当に迂闊でした。

自分の身は自分で守れる、くらいの気持ちで

いましたので。彼女も普通の人ではなかった

し。」


「彼女にいい所を見せるいい機会になるかも

知れない、とか。」


「冷やかさないでください。まあ、それも正

直無いとは言えませんが。」


 浩太は素直に認めた。判断を誤る一因にな

ってしまったからだ。


「生憎、すぐに気づかれて彼には逃げられて

しまったけどね。」


 綾野は少し残念そうに言った。しかし、オ

ーンを捕まえてどうするつもりだったのだろ

うか。


「彼をどうするつもりだったんですか?」


 思わず浩太は聞いてみた。


「彼が中心になってインスマスを再興しよう

としている理由を確かめたかったのさ。ダゴ

ン秘密教団も活動が活発になってきているよ

うだからね。」


 徐々に様々な眷属たちの動きが活発になっ

てきているのは由々しき事態だった。


「火野君や風間さんも日本に戻るようだ。私

たちも、彼らの動向を追わないと。今は結城

君が付いていてくれているから、君も早く体

調を戻して協力してくれたまえ。」


 岡本浩太は特異体質なこともあり翌日には

日本に経つことができそうだった。





29 第十二幕 クトゥグア顕現


「ここで一体何をするつもりなの?」


 風間真知子は戸惑っていた。インスマスで

は綾野祐介に助けられたらしい。ウィリアム

・オーンは深き者どもの長だと聞いた。風の

民の自分でも危ない所だったのだ。岡本浩太

と一緒だったこともあるだろうが、本来敵対

している筈の人間サイドの者に助けられたの

は、どういった気持ちで受け止めればいいの

か、自分の中でも整理ができていない。

 

 真知子は綾野に助けられたのだが、その後

病院に彼女を迎えに来た火野将兵に従って日

本に帰国していた。そして、そのまま火野に

従って、火野の故郷だという村に連れてこら

れて来た。火野はセラエノ大図書館に行って

いた筈だったが、真知子には連絡がないまま

戻っていたのだ。


 火野からはセラエノでの詳しい話は聞いて

いない。何か思いつめたような表情を崩さな

いので真知子からは聞けなかった。ただ、付

いてきてほしい、とだけ言われて従っただけ

だった。


「今から、ここを焼き払う。」


 さりげなく恐ろしいことを火野が言った。


「えっ?ここはあなたの故郷の村でしょ?」


「そうだ。ここは僕が生まれ育った場所に

間違いない。18歳まではここで普通に暮ら

していたんだ。」


「それを焼き払う?どういうつもり?」


 火野の表情からは何も読み取れなかった。


「セラエノで見つけたんだ。クトゥグアを完

全召喚する方法を。その方法は。。。」


 真知子には信じられなかった。試すわけに

もいかない、あまりにも冒涜的な方法だった

からだ。それを正しい方法だと火野が信じた

ことも信じられなかった。元々クトゥグアの

封印を解こうなどということを一族の悲願と

している時点で狂っている、と風の民の真知

子でさえ思う。


「本気でやるつもりなの?」


「だから君を連れてきた。まあ、僕一人でも

やるつもりだけどね。」


 狂っている。ただ単純に思う真知子だった。





30 第十二幕 クトゥグア顕現(2)


 真知子も初めて見たのだが火野将兵は発火

能力者だった。何もなくても自分で炎を起こ

せるのだ。起こし方は単純、ただ指を鳴らす

ように弾くだけだった。それだけで彼の指先

から炎が飛ぶのだ。


 将兵の頼んだのは、彼が起こした炎を真知

子が拡大する、というものだった。彼女は風

を多少操ることができる風の民だったからだ。


「焼き払うって、村にはまだ人が居るんじゃ

ないの?」


 聞くのが怖かったが勇気を出して聞いてみ

た。返答次第では協力何て出来ない。風の民

の一員でありハスターの復活を目論む組織で

もある。但し、それは単にそんなところに生

まれてしまっただけであり、自ら望んだこと

ではない。だから人殺しの手伝いなんて真っ

平ごめんだ。


「彼らは依り代なんだ。いや正確には依り代

の一部なんだ。僕の炎になかに取り込まれる

ことでクトゥグアがこの地球に顕現できるん

だ。星振の位置が今日は揃っている。あとは

召喚呪文と依り代なんだ。」


「自分で勝手にして。私は手伝わないわよ。

頭、オカシんじゃないの?」


 真知子はそう言うと来た道を戻ろうとした。

しかし、将兵の動向が気になって立ち止まり

振り返った。将兵の姿はもうそこにはなかっ

た。


 少し離れたところから悲鳴が聞こえる。何

かを焼いている臭いが漂ってくる。


(ふんぐるい むぐるうなふ くとぅぐあ 

ふぉーまるはうと んがあぐあ なふるたぐ

ん いあ くとぅぐあ)


 詠唱が聞こえる。悲鳴と混じっているのは

自らの運命を受け入れている者と抗おうとし

ている者がいるからだ。真知子は立ち尽くす

だけだった。


 周囲は山火事の様相だった。炎は広がって

いる。大規模なものになりそうだった。真知

子の能力では火事を広げるだけだ。どうしよ

うもなかった。


 しばらくすると、炎の中から炎をまとって

火野将兵が出てきた。


「まさか、全員殺したの?」


「少し違う。彼らは人間としては死を迎えた

と言えるかも知れないが僕の炎の一部として

取り込まれただけなんだ。寧ろ永遠の命を得

た、と言ってもいい。」


「そんな自分勝手な解釈がある?」


「だが、それが真実だ。でも駄目だった。」


「駄目だった?」


「そうだ。火の民は数を減らしすぎた。発火

能力者の数も全然足りない。これではクトゥ

グアを顕現させることは到底無理だ。」


「じゃあ、彼らは無駄死にだったってこと?」


「いや、そうではない。火の民のような発火

能力者の一族は何も日本だけではないはずだ。

その人々を全部取り込めればあるいはクトゥ

グアを顕現されるに足る人数になるかもしれ

ない。僕はこれから世界を回って他国におけ

火の民を探す旅に出る。付いてくるか?」


「行くわけないでしょ。そんな義理も借りも

ないわ。」


 真知子の脳裏にふと岡本浩太の顔が浮かん

だ。と思ったら、それは脳裏に、ではなかっ

た。


「間に合わなかったか。」


 岡本浩太本人が目の前に現れたのだった。

後ろに綾野祐介と結城良彦も来ていた。火野

たちを追ってきたのだが行先は予想だったの

で、少し遅れてしまったのだ。


「火野君、君は自分の故郷を焼いてしまった

のか。」


 怒りに震える声で綾野が詰め寄った。


「それが火の民の悲願に繋がるからですよ、

綾野先生。当然の結果です。」


「人の命を何だと思っているんだ。」


「自ら僕の炎に取り込まれていった人もいま

した。それが火の民なんです。先生にはお判

りになられないとは思いますが。」


「判るわけがない。判りたくもない。」


 その時突然、炎で赤く染まっている真知子

の顔に暗い影が落ちた。


「よい心がけだ。今回のことではクトゥグア

の封印はビクともしなかったが、お前がもっ

と火の民を取り込めばあるいは封印を解く寸

前までたどり着けるかも知れん。せいぜい励

んでくれることだ。」


 ナイ神父だった。予想していたかのように

火野が答える。


「あなたの思い通りには行かないかも知れま

せんよ。」


「別に構わんよ。クトゥグアの封印が解かれ

ようが解かれまいが、どちらでもよいのだ。」


「では、あなたの邪魔が入るよりも先にクト

ゥグアを顕現されるとしましょう。」


「邪魔などせん。好きにするがよい。お前も

ついて行ってやったらどうだ。ハスターの封

印を解く鍵が見つかるかも知れんぞ。」


 真知子に向かってナイ神父が声をかけたが

岡本浩太が遮るように間に入った。


「ミスター綾野とその仲間たちか。お前たち

も、もっとギリギリのところで回避してくれ

ないと我の役には立たんぞ。」


「あなたの役に立とうと思ってやっている訳

じゃありませんよ。火野君は止めますから。」


「では、邪魔されないように、その者だけ連

れ去ることにしよう。」


 そう言った瞬間にはナイ神父と火野将兵は

消えていた。残された四人では山火事を消す

こともできない。消防に連絡だけを入れて、

その場を去るしかなかった。


「君はどうするんだい?」


 問われて風間真知子は考え込んでしまった。

結局自分の身の振り方は自分決めなければな

にないのだ。


「一緒に活動しないか?」

 

 個人的感情も含めて同志は多いほうがいい

と浩太が思い切って切り出した。


「そうだよ、何も風の民だからと言ってハス

ターに身も心も捧げた訳ではないだろう。」


「そうですね。火野君の行動には確かに私も

ついて行けませんでしたし、同じ立場に立ち

たくもありませんから。あ、そういえば途中

で火野君に聞いたのですが、セラエノ大図書

館でクトゥグアの封印を解く方法を発見した

後、マークさんを拘束してマリアさんと一緒

に地球に戻ったらしいです。」


「彼女も戻っているのか。火野君といいマリ

アといい、厄介なことが山積しているな。う

ちの組織も、もっと活動範囲を広げたりしな

いといけないようだ。人も増やさないといけ

ないな。」


「求人広告でも出しますか。」


 ほとんど出番のなかった結城が変な感じに

してしまった。


 こうしてたった四人の小さな組織が新たに

始動したのだった。




END


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