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Another Story

今までの一連のお話の裏では、実はこんなことが

起こっていたのです。



第4章 Another Story

  綾野 祐介


1 もみ消された記事



 その記事は全国紙に第一報が掲載された後

続報が一切掲載されなかった。墓場荒らし、

というのは火葬が主流になった現代にはほと

んど見られない犯罪なので、本来なら詳しく

続報が出るはずだった。ところが、滋賀県の

湖西地方で起こったこの事件は一切闇に葬ら

れてしまったのだ。誤報である、という記事

も出なかったのは、誤報ではなかった、とい

うことではないのだろうか。なぜその事件の

続報が出なかったのか。結城良彦は妙に気に

かかった。


 結城は本来東京本社で政治記者をしている

筈だった。ある事件がきっかけで関西に跳ば

されて京都府警詰めの事件記者を去年の秋か

ら命じられたのだった。事件記者を目指して

いる者も数多く新聞社には居るのだが、結城

は政治記者になりたかった。その夢が叶った

矢先にある政治家の収賄事件を追っていた結

城に上層部からストップが掛かった。取引が

あったのだ。結城は信じられなかった。日本

で一、二を争う新聞社が裏取引で政治的スキ

ャンダルをもみ消したのだ。日常的に行われ

ている、とは聞いていたが政治記者になった

途端に自らに火の粉が降りかかってくるとは

思っていなかった。結局結城はその件で京都

に転勤になってしまった。結城は滋賀県出身

だったので、地元に近い支局に転属されるの

は本人に配慮してのことだと説明されたが、

そんな話はとても本当のことには聞こえなか

った。多分そう伝えた上司も同じように思っ

ていたことだろう。しかし、庇ったりしては

くれなかったのだ。


 墓場荒らしの記事は自分の担当ではなかっ

たので詳しくは知らなかったのだが、その記

事を書いた、同じ京都支社の先輩で滋賀県も

担当していた佐々木伸介に事件の詳細を聞こ

うとした矢先に佐々木は本社に転属になって

しまった。朝結城が出社してみると佐々木が

居ないので聞いてみたら今日付けて転勤した

と教えられたのだ。昨日まで全くそんな話は

聞いていなかったので上司にそういうと、


「ここからさらに遠くに転勤したいかい?」


と言われた。佐々木の転勤も含めて何らかの

圧力が掛かったのだ。結城は腹立たしかった。

自らを地方に追いやり、今度は逆に佐々木を

東京へと追いやってまで隠そうとする真実。

これが新聞社の実態なのか。


 一度は圧力に屈した結城だったが、今度は

それを跳ね除けようと考えた。事件の真相を

追うのだ。早速東京に行ってしまった佐々木

に連絡を取ろうとしたのだが、駄目だった。

不在、不在、不在。何度電話しても同じ答え

だった。携帯電話の番号も変えてしまってい

る。新しい番号は同じ社員とはいえ教えても

らえなかった。


 仕方なしに結城は当事者に直接取材してみ

ることにした。まずは墓場荒らしの犯人を捕

まえた警官に連絡を取ろうとした。小さな駐

在所の巡査だったのだが、この男も既にどこ

かに転勤した後だった。住み込みの駐在所に

は別の巡査が引越ししてきていた。県警に問

い合わせてみたが、赴任先は回答してもらえ

なかった。徹底的に事件を消してしまうつも

りだ。かなり大きな力を持った人間、又は組

織の仕業のようだ。結城は俄然燃えてきた。

こうなったら徹底的に調べてやろう、そう決

意したのだった。



 結城良彦はまず、現場を訪ねてみた。第一

報の記事しか手がかりが無いので、その内容

といえば大まかな墓場荒らしが行われた場所

と犯人の風体だけだった。比良山中のその場

所は未だ土葬の習慣の残る集落だった。被害

者、というか遺体の主は交通事故で無くなっ

た夫婦だった。子供は無く兄がひとり、その

集落に住んでいる。結城はその兄を訪ねた。


「ああ、そんなことがあったとは聞いている

が、別に詳しいことは聞いてないな。今頃何

を調べているんじゃ?」


「でも、あなたの弟夫婦の遺体が盗まれると

ころだったんじゃないですか。」


「いや、それは違うな。確かに一度掘り返し

て洋二郎、ああ、洋二郎というのが弟の名前

だが、その洋二郎と嫁の佐知子の遺体は一時

研究所に運ばれて何かの検査をしていたんじ

ゃ。その後、またもとの通りに戻そうとして

いたところを駐在に勘違いされて墓場荒らし

とかいうような記事が新聞に載ってしまった

わけじゃな。私にはいい迷惑じゃったわ。こ

ちらは了解していたことなのにな。」


 話が大きく違うようだ。墓場荒らしは誤報

だったのか。ではなぜ誤報である旨の記事が

掲載されなかったのだろう。関係者の急な移

動も腑に落ちない。裏に何かあるはずだ。


「そうでしたか、では墓場荒らしではなかっ

たわけですね。それではその研究所のことを

お聞かせいただけませんか。」


「研究所?ああ、確か外国のなんとかいう名

前だったが、忘れてしもうたなぁ。」


「では一体何の調査のために弟さん達のいっ

たん埋葬した遺体を掘り起していったのでし

ょう。」


「なんでも特殊な病原体が見つかったとか何

とか言っておったが。いや、あまり詳しくは

聞かなんだで。」


「その程度の説明で弟さんたちの遺体を渡し

たんですか?」


「いや、それは・・。」


 どうもかなりの金額を掴まされたようだ。

口に出しては言わないが、態度にははっきり

と出ていた。結局この男からは何の情報も得

られなかった。結城良彦の調査は一旦ここで

終わってしまったのだった。



 ところが、この墓場荒らしの現場近くで多

少の聞き込みをしていた時のことである。あ

る住人から妙な噂を仕入れた。なんでも琵琶

湖岸近くの別荘地で最近大規模な空襲のよう

なものがあったらしい。近隣には映画の撮影

だと知らされていたのだが、偶然見た人には

とても映画には見えなかったようだ。本物の

怪物に向かって自衛隊機やなんとアメリカ空

軍機が実弾を発砲していた、というのだ。な

んとも子供じみた噂話ではあるが、妙な人た

ちが住み着いていたその別荘地が、撮影の後

無人になってしまったことは事実のようだ。

具体的な場所を聞いて結城は向かってみた。


 確かにそこには無人の別荘地が存在した。

ただ、最近まで人が住んでいた様子もほとん

ど無かった。ただ一軒の家に表札がかかって

いた。


「田胡」


 とあった。誰かが住んでいる様子は無い。


 その家と湖岸の間に大きな穴が開いていた。

三十メーター四方はあるだろうか。転落防止

のためか柵をしてロープが張り巡らされてい

た。ちょうどこのあたりの湖岸に神殿のよう

なものがあり、それに向かって実弾が発砲さ

れていたというのだ。ところが、その辺りに

は神殿などが作られていた形跡はない。映画

のセットを撤収しただけならば、後は残るは

ずも無かった。


「多分こんなことだろうと思ったんだ。」


 予想されたとおりになっただけだったので

結城はそんなに気落ちした訳ではなかった。

怪獣だの米空軍が実弾を発砲していただの、

信じられる話ではない。当然そんな新聞記事

も出ていなかった。


 ただ、帰ろうとした結城は車の中でふと気

になったことがあった。たしかこの話をして

くれた人は自分の息子が見た話だといってい

た。見知った人がその現場にいたかのような

話もしていたのではなかったか。あまりの突

拍子も無い話にそのあたりの確認もせずとり

あえず現場に来ただけだったのだ。


 結城は話を聞いた人のところへと戻ってみ

た。幸い先ほどの農地で作業を続けて入れて

いた。連絡先も聞いていなかったことを改め

て思い出し、ほっとした結城だった。


「さっきはすいませんでした。」


「ああ、見にいかはったんやね。で、どうで

した。」


「確かに無人の別荘地はあったんですが、ど

うもお話のようなことがあった痕跡は見当た

らなかったんですが。それで、もうちょっと

詳しい話をお聞きしたいと思いまして。確か

息子さんが目撃されたんでしたよね。」


「そうや、息子の忠志が血相欠いて戻るなり

大変な騒ぎやった。でもあいつは学生寮に入

っとるで今はおらへんで。彦根に居るんや、

琵琶湖大学知っとるやろ、そこで何でも地震

の研究してるらしいわ。そっちに行ったら話

し聞けるかも知れんな。」


「分かりました、枷村忠志さんでしたよね、

そっちの方に回ってみます。」


 とりあえず気にかかったことは解決しない

と収まらないので枷村忠志に会うために彦根

に向かう結城だった。











2 記事の追跡



 結城良彦は琵琶湖大学の学生寮に枷村忠志

を訪ねた。幸い寮に戻ったばかりだった。


「ああ、あの時の事ですか。いいですよ、で

もあまり誰も信用してくれないんですけど、

そんな話で良ければお話しますよ。」


 枷村忠志は投げやりではあったが協力的に

話をしてくれた。どうも周囲の友達などには

夢でも見たのだろうと相手にしてもらえなか

ったようだ。


 枷村の話によると久しぶりに実家に帰る途

中に通りかがったときに目撃したらしい。初

めは音で気がついた。戦闘機の爆音は棲ざま

しいものがある。空を見上げてみると確かに

戦闘機が編隊で飛んでいった。自分が向かう

方向なので何気なくそのまま車を走らせてみ

ると、今度は爆発音が聞こえた。琵琶湖に向

かって爆撃をしているようだった。恐る恐る

その現場へと近づいてみると確かに自衛隊機

とアメリカ空軍機が何か琵琶湖に浮かんでい

る島のようなものに向かってミサイルのよう

なものを撃ち込んでいた。枷村も最初は映画

の撮影だとおもったらしい。だが、爆発はど

う見ても本物に見えた。そしてその爆発の中

心に居るもの、物体はほんの一瞬垣間見ただ

けだったが、とてもこの世のものとは思えな

いグロテスクな怪物だった。数知れない触手

のようなものがうごめいていた。その怪物が

見えなくなったかと思うと島のようなものが

音をたてて沈んでいったのだ。セットには見

えなかった。本物とすれば自分の目が信じら

れない気持ちだった。


 戦闘機たちが飛び去ったあと、少しの間様

子を見ていたら、数台の車が通り過ぎていっ

た。その中の一台に枷村は見知った顔を見た

のだ。それは学部は違うが同学年の岡本浩太

という同じ琵琶湖大学の学生だった。


「その岡本くんには話をしてみたのかな。」


「ええ、でも他のみんなと同じように夢でも

見たんだろうって言われちゃいました。第一

そんなところには行ったことがない、って言

われて。でもあれは確かに岡本だったんで

す。」


「その子とは親しいのかい?」


「いいえ、そうじゃないんですけどちょっと

したことで顔を覚えていたもんですから。」


「ちょっとしたこと、というと?」


「プライベートなことまでお話しなければい

けませんか?」


「いや、そんなことはないよ、悪いね、今の

話はなかったことにしてくれたまえ。」


「とにかく岡本浩太の顔は知っていたもので

すから、間違いありません。ただ、あなたも

僕が夢を見ていたと仰るのでしたらこれ以上

お話することはありませんけどね。」


「いや、実は最初はそうとも思ったのだけれ

ど、どうも何かが起こったような形跡もある

ようだし、一概に夢と決め付けられないと思

っているんだよ。だからこそここまで君に会

いに来たのから。」


「なるほど、では他に何がお聞きになりたい

のですか?」


「君の話より、」


「ああ、岡本浩太を紹介して欲しいのですね、

分かりました、多分今日は授業に来ているは

ずですから、綾野先生のところにいけば会え

ると思いますよ。」


「綾野先生とは?」


「伝承学部の講師です。岡本の伯父さんと綾

野先生が帝都大学の同級生だったとか。それ

で親しくしているみたいです。教室か講師控

室にご案内しますよ。」



 結城良彦は早速教えられた講師控え室に綾

野という講師を訪ねてみた。意に反してそこ

には岡本浩太は不在のようだったが、当の綾

野本人は在室していた。


「すいません、綾野先生ですか?」


「そうですけど、あなたは?」


 結城は身分と訪ねた目的を手短に話した。


「それで岡本浩太に話を聞こうと云う訳です

ね。それは枷村君に担がれましたね。岡本君

は枷村君からその話を聞かされたと云ってい

ましたけど全然心当たりがない、とぼやいて

いましたから。」


「そうですか、でもあの場所で何かが起こっ

たことは確かなようなのですが。不自然な穴

も空いてましたから。」


「不自然な穴?」


「ええ、湖岸に近いところに結構大きな穴が

空いていました。何かの儀式が行われたよう

な祭壇らしきものもありました。」


「危ないな、まだ埋めてなかったのか。」


「えっ、今まだって仰いました?」


 結城は綾野の呟きを聞き逃さなかった。


「いっいや、危ないなと云っただけですよ。」


「確かにまだ、と仰いましたよ、綾野先生、

あなたもあの場所に行ったことがあるのです

ね。」


 綾野はあからさまに「しまった」という顔

になった。記事にしないというのなら、とい

う前置きが普通付くのだが、綾野は別の条件

を出した。二度とこの件に関わらない、とい

うのなら話してくれる、と言うのだった。


「それはどういう意味ですか。」


「あなたのためを思って、という意味です。

あなたも自分の身は大切でしょうから。」


「何かの危険があると?」


「お話しするにはリスクがある、ということ

ですよ。」


「私は新聞記者ですよ、取材にはリスクは付

き物です。そんな話ならぜひお話いただけま

せんか。」


 綾野の思惑は外れた。新聞記者がそんなネ

タを逃す筈はないからだ。


「ただ、私の話の前に、そうですね、これと

これと、それからこれぐらいかな、この程度

の本を読んで予備知識を得てからきてくださ

い。それが最低条件です。」


 綾野が差し出したのは数冊の古ぼけた本だ

った。


「それが条件でしたら、これを読めばすぐに

話して下さるのですね。」


「いえもうひとつ、この本を読んでその内容

を信じられたらお話します。」


 どうしても譲れない、綾野の表情はそう物

語っていた。結城良彦は仕方なしに数冊の本

を手にその場を後にした。











3 急な海外出張の命令



 社に戻ると編集長からすぐに声がかかった。

「結城、どこ行ってたんだ。本社から呼び出

しだ、すぐに東京に飛べ。」


「えっ、でも今からすぐにですか、もう8時

ですけど。」


「そんなこと知るか、とにかく今すぐ、大至

急だ。本社の郷田局長のところに行けば判る

そうだ。」


 何がなんだか判らないままに結城良彦は新

幹線に乗り込んだのだった。


 ほぼ真夜中に本社に着いた時には当然のよ

うに郷田局長は不在だった。仕方なしに宿直

室にもぐりこんだ結城だった。


 翌日9時に出社してくるはずの郷田局長を

待っていたが、いつまで待っても局長は出社

しなかった。


「郷田局長はどうされたんでしょうか。」


 不思議に思った結城が尋ねてみると、


「結城良彦さんですね、郷田局長からの伝言

を承っております。自分が出社するまで待機

して置くように、とのことでした。」


 それならそうと早く言っていれればいいも

のを、結城が尋ねるまで誰も結城に声を掛け

てはくれなかった。そして、そう伝えてくれ

た女子職員もそれ以上結城にどこで待つよう

になどとは指示してくれる様子は無かった。

結城は自分の会社なのに疎外感に見舞われた。

ここでは異邦人だった。前に本社勤務だった

時には感じられなかった感覚だ。一度地方に

跳ばされた人間は皆このような疎外感を感じ

るのだろうか。それともここは特別な場所な

のか。結城には判断が付かなかった。


 時間つぶしに佐々木伸介に連絡を取ろうと

してみた。資料室に配属されている、とのこ

とだった。局長室にいつまでも居る訳にもい

かないので直接資料室を訪ねてみた。


「あの、佐々木伸介さんはいらっしゃいます

か?」


「あなたは?」


「京都支局の結城良彦といいます。前は本社

の政治部にいました。資料室にも何度も来た

ことがありますが。」


 応対に出た女子職員は見覚えが無かった。

他に見渡してみたが、見知った顔は誰も居な

い。半年やそこらで全員入れ替わってしまっ

たのだろうか。


「そうですか、生憎佐々木室長は長期休暇に

入っておられます。なんでもどこか海外で過

ごしておられるとかで私どもも連絡は取れな

いのですが、何か急用でも?」


「長期休暇?最近転属になったばかりですよ

ね。」


「ええ、去年の秋にここにいらしたばかりで

すが、なんでも前から計画なさっておられた

ようで。」


「そうですか、いや、急用ではないんで結構

です。できれば出社されましたらこの電話番

号に連絡をしてもらってください。」


 どうしても例の事件の関係者には連絡が取

れないようだ。何かの意思を感じる。かなり

大きな意思だ。


 相変わらず郷田局長は出社していないこと

を確認した結城は適当に場所を見つけて綾野

祐介から渡された本を読み出した。


 それは不思議な話だった。ある種の神話の

ようだがただ言い伝えられている実体のない

物語としての伝説ではなく今も脈々と続いて

いる生きた伝説なのだ。封印された神々。神

々と呼ぶことが妥当かどうかは別として、そ

れは神、または邪神としか表現できない混沌、

概念としての悪意、破壊衝動の塊、遥か遠宇

宙より飛来した原初の生物。


 それらはあるものは封印され、知能や能力

を奪われ、ただ復活の日を待っている。そし

て、その日を一日でも早めようとする眷属や

人間の僕たち。


 そんな話の連続だった。物語としては多少

興味が湧かない訳ではないが、あまりにも荒

唐無稽だ。綾野はこれを事実として信じろ、

というのだろうか。邪神たちがその封印を解

かれようとしているのだと。


 その日、結局郷田局長は出社せず、連絡も

無かった。



 翌日、やっと郷田局長に会うことが出来た

のだが、そこで聞かされたことは思いもよら

ないことだった。


「私にアメリカに行けと仰るのですか?」


「それ以外に聞こえたかね。」


「いいえ、確認したまでです。ただ、理由を

聞かせていただけませんでしょうか。あまり

にも突然ですので。」


「いいだろう。君が最近関わりを持ったこと

に起因するのだよ。報道管制が引かれたこと

も含めてな。」


「私が関わったこと?」


「そうだ。君は最近、滋賀県で起こった墓場

荒らしの件を内密に追っていただろう。」


 会社にはとっくの昔にばれていたのだ。そ

のうえ、本社の局長まで報告が行っていたと

は。


「その件はある筋からの圧力で第二報が出せ

なくなったのだ。だから君がいくら取材して

もその記事は掲載されることはない。そして

その後に君が訪ねた琵琶湖大学の生徒のこと

だが、その件についても圧力がかかっている。

あの場所で行われたのはあくまで映画の撮影

であった、ということだ。」


「それはどちらも同じルートの圧力なのです

か?」


「うちに直接言って来たのは同じだが、その

元はどうも違うようだな。ただ、どちらでも

同じ、というような類のものらしい。」


「と言いますと。」


「アメリカだよ、アメリカ。あそこが日本政

府に圧力をかけてきたのだ。」


 話がだんだん大きくなってきた。


「それで私にアメリカに行けと?」


「いや、それは違う。君には東海岸のある小

さな街に行ってもらいたいのだ。そこで今回

の圧力の原型となっていることを調べてきて

ほしい。」


「ある小さな街?ですか。」


「アーカム、という街だ。」


 それは昨日読んだ本に頻繁に出てくる街の

名前だった。


「アーカム、って実在するのですか?」


「小説の中の話、とでも思っていたのかね。

アーカムもインスマスもミスカトニック大学

もあるからこそ君に行ってもらうのだ。」


 郷田局長は結城良彦が綾野祐介から借りて

読んだ本で得た知識以上のものを既に得てい

るようだ。そしてそれを現実のことと認識し

ている。


「あの神話が実話だと思っておられるのです

か?」


「現実なのだよ、だからこそ圧力がかかるの

だ。だが私は自分の知らないところで事が進

められているのは許せない。事実を把握した

うえで報道管制されるのならまだましだだが、

今回の件は謎が多すぎる。それでほっておく

と社としては拙い事になりそうな君を呼び戻

した、という訳だ。」


 こうして結城良彦は、うえからの圧力が気

に入らない郷田局長の、どちらかといえば単

なるわがままのためにアメリカに渡る事にな

った。綾野祐介に借りた本はそのまま返せず

終いだった。












4 インスマスの地下にあるもの



 何が真実で何が虚構なのか。どこまでがフ

ィクションでありどこからがノンフィクショ

ンなのか。それとも真実と事実の間に曖昧な

境界線が引かれているとでも云うのだろうか。

いくつかの現場を取材し、何人もの関係者に

話を聞いた今、結城良彦には判らなくなって

いた。


 創作された神話に多少の現実を散りばめる

手法でH.P.ラヴクラフトとその弟子のよ

うな人たちは一種独特の世界の構築に成功し

ていた。あくまでそれは小説の形で発表され

た創作の世界である。しかし、その中で語ら

れている話の一部には事実が含まれている。

取材する中でその現実と対面した結城は、日

本で起こったことも何らかの関係があるので

はないか、と思われてきた。合衆国政府はも

ちろん、日本政府も事件を隠そうとしている。

これは一般市民に事実を知らせられないと判

断したためだ。ではそれはどういう意味なの

か。単なる墓場荒らしや何かの怪物が出現し

た事件は、それ自体はセンセーショナルであ

っても完全に報道規制されるような種類の事

件では無い筈だった。


 ではなぜ報道規制されたのか。それはそれ

らの事件の裏に到底想像もつかないおぞまし

い事実が隠されているからに違いない。それ

は今、結城が目の当たりにした事実と重なる

のだ。


 インスマスの住人の一部、いやかなり多く

の人々には確かにインスマス面と呼ばれる特

徴が見られる。結城はインスマスにも足を踏

み入れてみた。そこは数年前にほぼ全焼して

いたが、少しだけ残されている建物を見ても

この街がかなり寂れていたことを思わせた。

バスは火災後無くなってしまっていたので、

タクシーを頼もうとしたが、どのタクシーも

行き先をインスマスと云うと断られてしまっ

た。仕方なしにレンタカーを運転して自分で

向かった。街が近づくにつれて何かしら異様

な臭いが漂ってきた。漁村特有の磯の臭いに

似ているがとても比較できるような臭いでは

なかった。ハンカチで鼻を押さえなければ十

分といられない。ドラックストアのような店

が一軒、半分ほど焼け残っている。すぐ近く

にギルマンホテルと看板はすすけているが簡

易ホテルのような建物も半分以上残っていた。

どうやら海に近づくほどひどく焼けてしまっ

ているようだ。


 教会のような建物もあった。建物そのもの

はほぼ全焼している。少しあたりを歩いてみ

た。すると地下に降りていくための階段のよ

うな入り口を瓦礫の下に見つけた。結城はど

うしてもその下を見てみたくなった。しかし

懐中電灯もない今、とりあえずは断念するし

かなかった。この場所は多分ダゴン秘密教団

の教会があった場所のはずだ。結城は一度ア

ーカムに戻って装備を整えた上で再びインス

マスを訪れることにしたのだった。



 翌日の朝、懐中電灯、ロープ、拳銃は手に

入らなかったので警棒のような物、シャベル、

手袋など考え付くものを揃えて結城良彦は再

びインスマスに戻って来た。瓦礫の山になっ

ている教会のような建物の中に地下に降りる

階段を見つけたからだ。綾野祐介から渡され

た本の中にいくつか廃墟や教会跡で禁断の稀

覯書を見つけるパターンがあった。何かが発

見できるかもしれない。


 少し階段を降りて行くとしばらく廊下のよ

うなものが続いた。部屋のドアがいくつかあ

るのだが瓦礫に埋もれている。人間の力では

どうしようもない量だった。仕方なしに結城

は先に進むことにした。奥にはさらに下に降

りる階段があった。そこを降りようとした時

だった。


「そこで何をしている?」


 英語で話しかけてきたのは黒ずくめで闇に

溶け込んでいるかのような男だった。


 男の名前はリチャード=レイといった。話

をしてみるとどうも目的は結城と同じで何か

本の類が残されていないか探しにきたのだ。

お互い盗掘のような立場を確認しあって協力

関係を結ぶことに成功した。リチャードは祖

父の代からの邪神ハンター(こう呼んでほし

い、というのがリチャードの希望だった。そ

れが正式な呼称なのかどうか結城には判別が

つかなかったが。)らしい。その活動をする

中で稀覯書にはとても有効な手段が記載され

ているというのだ。成果は共有する、という

条件で二人は階下へと進んでいった。


 下の階へ続く階段は緩やかではあったが長

いものだった。元の協会の位置からはかなり

ずれているに違いない。右へ左へ少しずつ曲

がったりしているのでどちらの方向を向いて

階段が続いているのか、既によくわからなく

なっていた。


 降りていくにつれて何か地響きのようなも

のが聞こえてきた。


「う~~~。」


 何かのうめき声にしても決して人間のそれ

ではない、と感じさせる。


「リチャードさん、あれは?」


「いや、私にも理解できない。あれは人間の

発する音ではないな。」


 リチャードも結城と同様に感じているよう

だ。人間ではない、何か別のものだと。


 リチャードは拳銃を持っている。それを頼

りに二人は更に進んでいくのだった。


 しばらく進むにつれて声、いや叫びとでも

言おうか、は大きくなっていった。ただより

不明瞭なものになっている。人間のうめき声

に近い。だが、こんなうめき声をあげる人を

想像できない。それと悪臭が漂ってきた。マ

スク無しではかなり辛くなってきている。ジ

ャラ、ジャラと何か鎖でも引きづる様な音も

聞こえる。


「いったい何がいるのでしょうか。」


 結城良彦はあまりにも不安になってリチャ

ードを振り返った。だが、その答えは彼も持

ち合わせていないようだ。表情がそれを告げ

ていた。


 少し広くなっている場所に出た。感覚で言

うともうそろそろ海に近い筈だ。方向と距離

を間違えていないならば。


「あ、あそこに何かあります。」


 そこには井戸のようなものがあった。重そ

うな鉄の蓋が掛けられている。二人掛りでな

んとか蓋を降ろした途端、さっきまで聞こえ

ていた声が止んだ。


「この中に何かがいるようだね。」


 こんな場面に慣れているのかリチャードは

冷静に言った。


「なっ、何かって何でしょうか?」


 結城の言葉は無視された。リチャードは懐

中電灯を穴の下に向けてみた。


 その中のものは突然明かりを向けられてパ

ニックになったように突然叫びだした。4~

5mほどの穴の下に何かが蠢いている。大き

さとしてはほぼ人のようだが、人というには

それはおぞましい生き物だった。


 人と魚の雑種とでも言えばいいのか。瞼の

ない開いたままのむき出しの眼球。指の間に

は明らかに水掻きがあった。歯はほぼすべて

が犬歯のように尖っている。皮膚は鱗に覆わ

れているようだ。よく見えないが背中には鰭

のようなものがあるのかもしれない。とても

人語を解せるようには見えない。


「あれはいったい何なのですか?」


「深きものどもの成れの果てだろうね。なに

かの罰なのか、ここに閉じ込められていてそ

のまま忘れられてしまったようだ。」


 深きものどもとはクトゥルーの眷属だそう

だ。結城にとってはつい最近手に入れた情報

ではあるが、多少のことは理解できた。ただ、

どうも小説と現実の区別がつきにくくなって

いる。あくまでただの小説の中の話であって、

現実のこととは思えないのだ。しかし、今目

の前で蠢いている物体は確かに結城が読んだ

本に出てくるものから想像できるものだ。


 それは数年前に放置されていまだ生き続け

ている。元々人間であったとしても、最早到

底人間とは呼べないものだ。


「こいつはとりあえずここに置いて行こう。」


 二人掛りでまた蓋をして結城良彦とリチャ

ード=レイは先に進むことにした。ここから

出た後でリチャードが然るべき組織に連絡を

してあの深きものどもは回収することにした。



 更に先へと進むと少し広い場所に出た。そ

こには奥に続く通路と木製のドアがひとつあ

った。ドアには鍵が掛かっている。今持って

いる道具では開けられないようだ。


「どうします、リチャードさん。」


「仕方ありませんね、少し手荒になりますが

開けてみましょう。」


 リチャードはそう言うと拳銃で鍵の部分を

打ち抜いた。ドアはすぐに開いた。


「入ってみましょう。」


 その声は結城良彦のものではなかった。リ

チャード=レイのものでもない。もう一人の

声だった。











5 地下での邂逅



「だっ、誰だ。」


 リチャードは拳銃を声の方に向けて問いた

だした。


「おやおや、物騒なものはしまっていただけ

ませんか?結城君、君から彼に紹介してもら

えないだろうか。」


 それは綾野祐介だった。結城たちの後を追

ってきたのならば後ろから声がした筈だが、

綾野の声は前からだった。違う入り口からこ

こまでたどり着いたのだ。多分海側からだろ

う。


「綾野先生、どうしてここへ?」


「いろいろと日本で事情があってね。ある書

物を探しているんだ。君も協力してくれない

か?それで、その紳士には紹介してもらえな

いのかな。」


 結城はリチャードに綾野を紹介した。やっ

と納得してリチャードは綾野に向けた拳銃を

降ろした。


「生きた心地がしなかったよ。」


 綾野は取り急ぎ訪米の目的を二人に説明し

た。ツァトゥグアの封印を解く方法を探さな

ければ教え子の命がない、というのだ。


「そんなことで、ツァトゥグアの封印を解く

つもりなのか?」


 かなり強い口調でリチャードが詰め寄った。

結城にはどちらの気持ちも理解できた。一人

の命のために人類全体が危機にさらされるこ

とになるのだ。だが、綾野としては残してき

た教え子を見捨てる訳にはいかないだろう。

結城にも人道的にも心情的にもそんなことは

出来なかった。


「その話はとりあえず置いておいて、ツァト

ゥグアの封印を解く方法を見つけること、そ

のものの意味はあるでしょう。解く方法が見

つかるのなら再び封印する方法や二度と解か

れなくする方法も見つかるかもしれない。」


 リチャードはそんな話では説得されない様

子だったが、とりあえず最終的な目的が違う

が、書物を探すという意味では協力できる筈

なのでドアの中に入ることには同意したのだ

った。


 ドアを開けるとそこは倉庫のような部屋だ

った。ドアの無い壁三方に天井までの棚が作

られており、様々なものが置かれている。左

側の壁には壺のようなものが多く飾られてい

る。蓋付の物が多い。綾野がその中のひとつ

を開けてみた。


「何か粉のようなものが入っていますね。」


「なんの粉でしょう。」


「分析してみないと全く想像もつきませんね、

どこかで分析を頼めますか?」


「判った。私が知り合いに頼んでみよう。」


 粉はリチャードに託すことにした。


 ほかにもいつくか開けてみたが特に変わっ

たものは入っていなかった。


 正面の壁には箱がたくさん並べられている。

今度は勇気が開けてみた。


「ああ、中は書類がたくさん入っていますね。

何かの資料のようです。結構知らない単語が

多いなぁ。リチャードさん、見ていただけま

すか?」


 リチャードはその資料を暫く見ていた。そ

の間、綾野と結城は違う箱を片っ端から開け

ていった。しかし、ほかの箱にはガラクタし

か入っていない。なぜこんなものが大切にこ

んな部屋にしまってあるのか、見当がつかな

かった。


「何か判りましたか?」


「これはダゴン秘密教団の議事録のようなも

ののようだ。内容はおぞましいと言うのにつ

きるな。教団から抜けようとした者の処分に

ついて多く記されている。さっきの粉に触っ

たかね。」


 綾野が少し触れていた。


「それがどうかしましたか?」


「聞きたいか。」


 リチャードは話したくなさそうだった。


「ええ。」


「あの粉は処分された者たちだ。」


「処分された者たち?」


「どういう意味ですか、あれはただの粉じゃ

ないですか。火葬した灰とか。」


「そうじゃない。あれは全てだ。」


「全て?」


 リチャードの言う意味は二人には理解でき

なかった。灰ではない。火葬したものではな

い、という意味なのだろうか。


「全て、という以外に説明のし様は無い。か

なり強引に説明するとすれば人間を酸のよう

なもので完全に溶かしたもの、だがこの説明

は少し違うな。」


「酸、ですか?」


「いや、それは君たちに判りやすい様な言葉

がほかにないからそう言っただけだ。胃酸、

と言った方がまだ近いだろう。」


 リチャードによると胃酸?のような液体に

よって処理された人間一人分が壺ひとつに収

められているらしい。


「それを触ったらどうにかなるんですか?」


「何も変化はないかね?」


「特に何も?」


「この粉は死者再生に必要なとても重要なも

のなのだ。ただ、この粉だけでは死者再生の

用は成さないのだが。不用意に触れたものに

は、さっき話した酸のようなものを生成した

ものの呪いがかかるらしい。教団の者に特に

注意して扱うように指示を出した、と記され

ている。ただ、生成したものについてはただ、

『彼のもの』と言う表現しか記されていない

がね。」


 特に綾野には変化が見られない。直ぐに症

状が現れるような呪いではないのか、それと

も呪いは掛けられなかったのか、今のところ

判断はつかない。


「それと様々な稀覯書についてもその所在が

記されている。いくつかはこの部屋に保管さ

れているようだ。あとは、例えばネクロノミ

コンの所在などは我われの間ではよく知られ

ている場所を記しているだけだ。ミスター綾

野、あなたの探しているサイクラノーシュ・

サーガはこの部屋にあると書かれているぞ。」


「そうですか、ありがとうございます。でも

この部屋の一体どこにあるのでしょうか。」


「そこだ。」


 リチャードが指し示したのは右側の壁に置

かれた大きな箱だった。右の棚にはその箱し

か置かれていない。正面に置かれていたたく

さんの箱よりも一回り大きいものだ。


 綾野は直ぐに開けてみた。そこには先ほど

みた粉が箱いっぱいに詰められていた。


「こっ、これは!」


「綾野先生、触っては駄目です。呪いが、さ

っきは少量だったので無事だったかもしれま

せん。こんなに大量な粉に触れたらどうなる

か判りませんよ。」


「ミスター綾野、その箱はその場所からは動

かせないように細工がされているようだぞ。

箱そのものをこわしてみよう。」


 リチャードはそう言うと箱の隅を狙って拳

銃を発砲した。ところが、箱は壊れるどころ

か傷ひとつ着かなかったのだ。


「壊すことも出来ないようだな。」


「私がやります、どうせさっき粉には触れて

いるのですから、私しかできる人間はいない、

ということでしょう。」


「そういうことになるな、どうしても君が例

の本を手に入れたいのなら。」


 リチャードは止めようとしなかった。結城

も綾野の表情を見て声が掛けられなかった。

死すら覚悟している顔だったからだ。


 綾野は無造作に箱に手を入れて探っていた。


「あった。」


 綾野が箱から取り出したのは古い、想像も

つかないほど古い書物だ。だが背表紙も表紙

も結城には全く読めなかった。


「間違いないな、これはサイクラノーシュ・

サーガだ。」


「リチャードさん、判るのですか?」


「エイボンの書と同じ言語で記されているか

らな、当時のサイクラノーシュでの公用語だ

ったのだろう。ミスター綾野、この本の解読

は私がアーカム財団と早急行おう。任せても

らえるかね。」


「ええ、お願いします。私は暗号解読は結構

得意なのですが、古代文字となるとそれほど

ではありませんから。アーカム財団には私か

らも依頼しておきます。」


「綾野先生、でも本当に大丈夫なのですか、

何か変化はありませんか?」


 結城にはそれが気がかりだった。本は綾野

が外気に触れないように袋に入れてリチャー

トに手渡した。少し様子がおかしい。


「うっ、うおうううううう。」


 急に綾野が叫びだした。顔を押さえている。

いや、目だ。右目を抑えている様だ。


「目、目が、目が焼ける、溶ける、熱い、焼

ける。」


 綾野は床を転げまわっている。その声から

はとてつもない痛さが伝わってくる。


「先生、綾野先生!」


 結城の声は届いていないようだ。


「うわぁぁぁ。」


 急に綾野の体が静止した。相変わらず右目

を押さえて俯いている。


「だっ、大丈夫ですか。」


 綾野は暫くそのままだったが、やがて左手

を突いて腰をあげ、立ち上がりかけた。結城

は慌てて手を差し伸べた。そして綾野の顔を

覗き込んだ。


「せっ、先生!」


 今度は結城も静止してしまった。綾野の顔

はもう右手で覆われていない。


「どうしたんだ。」


 リチャードも綾野の顔を覗き込んだ。


「その右目は一体なんだ。」


 結城とリチャードが覗き込んだ綾野の右目

にはただ暗黒が、そう暗黒としか表現できな

いものがあるだけだった。











6 それぞれの帰国



 結城良彦は社命によりアーカムやインスマ

スに滞在しているので、綾野祐介についてい

くことは出来なかった。目を負傷(?)した

綾野はリチャード=レイに連れられてプロヴ

ィデンスのアーカム財団に向かったのを見送

るだけだった。物質的に存在を失ってしまっ

た綾野の右目は現代の医学、科学では説明の

つかない存在になってしまっていた。とりあ

えず命に別状はないようだ。


 結城はその後暫く、アーカムのミスカトニ

ック大学付属図書館に通いつめた。そこでは

数々の稀覯書を閲覧できたのだが、何が現実

で何が虚構なのか曖昧になってしまった。ラ

ヴクラフトはある程度確信を持っていたのだ

ろうか。ただ、それをそのまま発表したとし

ても、誰も信じなかっただろう。小説、とい

う形で発表したのはそのためだった。心ある

人には真実を伝えたい、ラヴクラフトはそう

考えたのだ。


 だから現存する稀覯書について言及はほぼ

正確なものだった。現実とある程度の脚色を

加えて小説を書いたのだ。結城はほぼ半月の

間に日本人としてはこの方面での第一人者に

比肩するほどの情報を持つに至った。綾野祐

介の手配でアーカム財団の協力を得られたこ

とが非常に大きかった。ミスカトニック大学

付属図書館での対応も一般の閲覧者とは全く

違う扱いだった。本来閲覧できない稀覯書も

数点閲覧させてもらえた。結城には古代ヘブ

ライ語や上位ルーン文字は解読不可能だった

が、図書館長の手配でかなりの部分の日本語

訳を見せてもらえた。図書館長は綾野の友人

だったのだ。ただし、「ネクロノコミン」だ

けは無理だった。


 この「ネクロノミコン」という稀覯書は狂

えるアラブ人、アヴドゥル=アルハザードに

よって書かれたものだが、世界にも数冊しか

確認されていない。そのうちの一冊がこの図

書館に保管されているのだ。「ネクロノミコ

ン」には旧支配者たちの力を借りる方法がか

なり詳しく綴られているらしい。こんな稀覯

書が一般に閲覧されていようものなら、世界

はパニックに陥ってしまうだろう。閲覧不可

は全く持って妥当な判断だと結城は思った。

自分が閲覧出来ないのも仕方ない。綾野やリ

チャード=レイは過去に見たことがあるらし

いので、二人から内容については取材するつ

もりだった


 リチャードには一瞥以来会ってはいない。

アーカム財団を通じて連絡は取れるだろう。


 取材したものを報告書にまとめて、結城は

帰国することにした。郷田局長にもその旨報

告し、帰国の許可を得た。それなりの収穫は

あった、と判断されたのだろう。結城はこの

件にどっぷりとはまり込んでしまっていた。


 帰国の報告をするためにアーカム財団のプ

ロヴィデンス支部を訪れた。最近までここの

支部長は日本人だったらしい。そこで入院し

ている筈の綾野の情報が聞けると思ったのだ。

しかし、意に反して綾野は既に帰国した後だ

った。目の方は体の異常としては識別されな

かったのだ。「サイクラノーシュ・サーガ」

が入手でき、その解読に成功したので急ぎ帰

国していったのだという。教え子の命に関わ

るのだ、自分の体どころの騒ぎではなかった

のだろう。それにリチャードも同行したらし

い。二人とも日本なら、帰国してから訪ねる

ことにして結城自身も帰国の途についたのだ

った。











7 薄い灰色の建造物



 冬枯れの葦が一層寒さを感じさせる、とて

も陰気な場所にその建物はひっそりと建って

いた。同じロケーションでも海辺ならばもっ

と違う印象になるのかも知れない。ただ、海

といってもあくまで太平洋であり、日本海で

はここと同じような印象になってしまうのだ

ろう。湖と云うものは概してマイナーなイメ

ージがあるのではないだろうか。それともこ

の場所が特別なのだろうか。


 その建物は、建物自体が陰気な印象を与え

る。今現在あまり利用されていないことも要

因のひとつだろう。機能を重視しすぎた外見

のコンクリートの打ちっぱなしなのもいただ

けない。一時流行したのだが、今思えば味も

素っ気も無い、単にお金を掛けていない手抜

きのような印象を与えるだけだ。


 季節にも問題があるのかもしれない。2月

にはほとんど明るいイメージは湧かない。ど

うしても雪や寒さのイメージが優先してしま

う。


 その建物は地上二階建てに見えた。外観は

二階建てなのだ。但し、建物の本来の目的で

ある部分は見えている二階には無かった。地

下があるのだ。地下は六階まであった。地上

部分よりもずっと大きい。


 建物には「琵琶湖大学付属病院心理学病

棟」と書かれてあった。平たく言えば精神を

病んだ人々が収監される病院なのだ。管理部

門が地上の二階にあり、病棟は全て地下だっ

た。解放的な病室で病気を癒すのではなく、

完全に隔離してしまうことが目的だった。重

度で治癒の見込みが全くない病人が収監され

ているからだ。


 だから退院するものはいない。そのせいで

嫌な噂が流れているのも確かだ。この病院に

入ったら何かの人体実験の実験台にされて殺

されてしまう、というのだ。


 最近ではこの手の病院は皆無といってよか

った。人権問題が問い沙汰されている昨今で

は完全に患者を監禁してしまう病院では人聞

きが悪くて入院させたくとも出来ない状況に

なっていたのだ。


 結城良彦は日本に帰国してから何かと忙し

かった。上司である郷田局長は結局自己満足

しただけで結城が取材したものを何らかの形

で発表する機会を奪ってしまった。時期尚早、

或いはフィクションにしか思われない、とい

うのが理由だった。郷田局長自身も半信半疑

なのだ。いろいろと目の当たりにした結城で

さえ、もしかしたら夢だったのだろうか、と

時々思ってしまうぐらいなので、仕方ないと

いえば仕方ない話だった。結城は結局政治部

に復帰が許されて、それどころではない状態

になってしまったのだった。ただ、綾野達の

ことを忘れた訳ではなかった。簡単に忘れら

れるような体験ではなかったからだ。


 帰国後数ヶ月があっと言う間に過ぎてしま

い、奈良に長期出張の話が出てやっとゆっく

りとアメリカでの出来事を考える時間が得ら

れるような気がした。ただし、関西出身の政

治家の地元での評判を地元に顔が割れていな

い結城が内密に探ることが長期出張の仕事内

容だった。地元建設業者との癒着の証拠を見

つけなければならない。奈良に入っても一ヶ

月ほどは休み無しで情報収集をやらなければ

ならなかった。



 そんなこんなで、結城が帰国後どうしても

もう一度会いたかった綾野祐介を訪ねたのは、

アメリカで別れてから半年以上も経った後だ

った。前回訪問したときと同様に琵琶湖大学

伝承学部の講師控え室に綾野を訪ねたが、控

え室には鍵が掛けられていた。仕方無しにそ

の辺りにいた生徒に綾野の所在を聞いてみる

と誰も言葉を濁してまともに応えてはくれな

かった。岡本浩太という生徒か枷村忠志とい

う生徒を見かけなかったか、と聞くとその内

の一人が岡本浩太の居場所を教えてくれた。

この時間ならコンヒニでアルバイトをしてい

る筈だというのだ。


 訪ねてみると確かに岡本浩太はレジに居た。


「久しぶりだね、岡本君。陽日新聞の結城良

彦です、覚えていますか?」


 最初は何のことかよく判らない様子だった

が、直ぐに思い出したように、だが顔色が変

わった。


「ええ、覚えています、でも今はちょっとま

ずいんで、10時過ぎにここに来てくれませ

んか。その時間で上がりですから、お話なら

その後で伺います。」


 こちらの用は聞かなかったのだが、どうも

岡本の方でも結城に話が、それもとても込み

入った他人には聞かれたくないような話があ

るようだった。結城は綾野祐介の居場所を聞

きたかっただけだったが、10時まで待つこ

とにした。この半年の間に何かが起こったの

だ。それを確かめなければならない。


 暫く時間を潰して10時にもう一度岡本浩

太がアルバイトをしているコンビニエンスス

トアに行くと既に店の前で待っていた。


「少し早めに上らせて貰ったんです。僕の部

屋に来ませんか、そこでいろいろとお話した

いことがあるんで。」


 結城良彦は浩太の申し出とおりアパートに

付いていった。アパートまでの道は歩くとか

なりあったが、浩太は自転車を押して歩く間

無言だった。何をどう話そうかと考えている

かのようだ。


 部屋についてもなお、何から話そうか迷っ

ているようだったが、岡本浩太は順番にあり

のままの出来事を話し始めた。


 それは衝撃的な告白だった。自らが旧支配

者であるところのツァトゥグアに吸収された

こと。友人の桂田利明を救うためにツァトゥ

グアの封印を解く方法を探さなければならな

かったこと。(この辺りの話は多少、綾野祐

介から聞いていたのだが。)そして、再度訪

れたヴーアミタドレス山での出来事。桂田は

結局精神を病んでしまっただけで、ツァトゥ

グアの開放には至らなかったこと。


 そのこと、そしてその前のクトゥルーの封

印を解く寸前までいったこと併せて、全てが

ナイアルラトホテップが画策した、アザトー

スの封印を解くステップに過ぎなかったこと。


 岡本浩太と桂田利明は程度の差はあるがツ

ァトゥグアに吸収されそのDNAが変質を生

じてしまったこと。橘良平と綾野祐介はそれ

ぞれクトゥルーとナイアルラトホテップの遺

伝子を受け継いでいたこと。


 何から何まで驚きの連続だった。


「それで、その綾野先生はどうしたんだ

い?」


「それが行方不明なんです。医学部の控え室

でナイ神父が現れてから何度か医学部に診療

というか検査に来ていたらしいんですが、休

職届が出されていて、今学期の講義はまった

くしていないんです。大学の関係者に聞いて

も全く要領を得ないんですよ。」


「医学部の検査っていうのはどうだったんだ

い?」


「恩田助教授、っていうのが例のナイ神父の

ときにも同席していた人なんですが検査の内

容はプライベートなことだとか言って話して

くれないんです。」


「手がかりは全くないのかな。」


「出来れば何か手がかりを探す手伝いをお願

いできないかと思ったんですが。」


「判った、僕も綾野先生にはもう一度会って

話がしたいと思ったからここまで来たんだか

ら、ぜひ手伝わせてもらおう。」


 こうして岡本浩太と結城良彦は綾野祐介の

行方を捜すことになった。












8 綾野の捜索



 まず最初に尋ねたのは琵琶湖大学医学部の

恩田助教授だった。岡本浩太が一度綾野祐介

の消息を聞いていたのだが、その時はまとも

に答えてもらえなかったからだ。


「綾野先生ですか、そういえばこの間の四月

の二三日に検診の予定だったんですが、みえ

なかったですね。定期的にデータを取ってい

たのですが。どうかされたんですか?」


 単純にとぼけているのか、元々無表情なの

で見抜くことが出来なかった。あまり追求し

ても埒が明かないので結城良彦と岡本浩太は

その場を辞した。


「恩田助教授からは情報を得るのは難しそう

だね。」


「そうですね、でもどうしましょうか。」


「他の関係者には連絡が取れるのかい?」


「桂田は行方不明です。病院から抜け出して

一度保護されたんですが、また何処かに行っ

てしまったんです。自分の意思ではほとんど

動けない状態だったんで、誰かに拉致された

可能性が高いと思います。警察にも家族が届

けたみたいですが、いまのところ何の情報も

ないようでした。橘教授は自宅で療養中と聞

いていますけど。」


「たしか、この大学の教授もひとりなんとか

っていう山に一緒に行ったんじゃなかったか

な。」


「ああ、新山教授ですね。そうですね、新山

教授のところにいってみましょう。」


 ふたりは生物学教室の新山教授を訪ねてみ

た。しかし、あいにく教授は留守だった。岡

本浩太の同級生である杉江統一は在学中に既

に新山教授の助手を務めているのだが、彼だ

けが控え室に居た。


 杉江統一に結城良彦を紹介した岡本浩太は

直ぐに本題に入った。


「それで新山教授は今日は何処にいかれたん

だい?」


「教授は学会で熊本にいっておられます。帰

りは明日の午後になると思いますけど。本当

は学会なんて行ってる場合じゃないんですけ

ど、なんでもどうしてもやらなきゃいけない

講演があるとかで。」


「なぜ行ってる場合じゃないんだい?」


「大切な実験の最中だからですよ。ほんとに

大切な、ね。」


 詳しくは言わないが杉江の話はかなり思わ

せぶりだった。話したいのだが話せない、そ

んな感じがした。元々功名心の強い青年なの

だ。自分が教授と行っている実験の重要性を

示唆しているが、今の段階ではその内容まで

は話せない、というところだろうか。


「ところで、綾野先生を知らないか、最近こ

こに立ち寄ったとか。」


 岡本浩太が本来の目的について質問した。

何故か杉江は、おやっ、という表情で答えた。


「最近はみえてないけど。そういえばこの間

教授宛に電話はかかってきたけどな、でも内

容は知らない、教授も話してくれなかったし。

戻られたら直接教授に聞いてみたらどうだ。」


 多少突き放したように杉江は話はここで終

わり、というような顔をした。しかたないの

で、教授が戻られる頃に再び訪れることにし

て二人はその場を立ち去った。


「とりあえずは、明日新山教授を訪ねてみる

しかないね、僕も一度大阪のホテルに帰って

明日もう一度こっちに来るようにするから。

その間にできるだけ手を尽くして綾野先生の

消息を当たってみよう。それなりの情報網は

ある筈だから。」


「お願いします、結城さん。僕も心当たりを

当たってみます。」


 とりあえず、また明日、といって二人は分

かれたのだった。



 翌日、結城は昼過ぎに岡本浩太の部屋にや

ってきた。何か情報を掴んだ様子だった。


「何か判りましたか、結城さん。」


「ああ、多少のことはね。橘教授には会うこ

とが出来たよ。自宅で療養しておられた。精

神的にはかなり参っているみたいだったけれ

ど、体のほうは何の問題もない、と言ってお

られたよ。綾野先生の消息には心当たりはな

いそうだ。それと、最近自身の遺伝子に残さ

れているクトゥルーの記憶が、少しずつ甦り

つつある、とも仰っておられた。何か思い当

たったら連絡をくれるそうだ。途方もない話

だね。どんな、気持ちなんだろう、自らがク

トゥルーの子孫である、ということが判った

りしたら。」


「僕も子孫ではないですけど、一部はツァト

ゥグアの遺伝子を取り込んでしまいましたか

らね。もう、結婚は出来ないと思っています

よ。子孫を残すなんてとんでもない話です。

こんな思いは僕の代で終わらせないと。」


 結城良彦は岡本浩太の顔をまざまざと見直

した。不用意に彼の心の傷を突いてしまった

こともさることながら、若い浩太がしっかり

と自分を失わずに生きていこうとしているこ

とに驚きを覚えたのだ。ただの若造ではなか

った。


「すまないね、余計な話だったな。」


「いえ、いいんです。それより、僕も心当た

りのある何人かに聞いてみたんですけれど、

僕の叔父のところに最近電話があったらしい

んです。」


「あったらしい、とは?」


「ええ、実は留守番電話にメッセージが残さ

れていただけで、叔父も叔母も直接は話せな

った、という話なんです。」


「それで、そのメッセージにはなんと?」


 録音されていたメッセージは、


「ご無沙汰しています。綾野です。ちょっと、

勇治に相談があるから、近いうちにそっちに

行きます。では、また。」


 というものだった。この時点では行方を暗

ませる様子はなさそうだ。相談、とはどのよ

うなことだったのだろう。


「相談内容に心当たりはないか、叔父に尋ね

てみたんですけど、特に思い当たらないそう

です。ほんとに綾野先生はどこに行ってしま

ったんでしょうね。」


「君に何も言ってない、ということは、何か

突発的な出来事のために姿を消したとしかお

もえないがね。そうだ、そろそろ新山教授を

訪ねることにしよう。」


 二人は熊本から戻っているはずの新山教授

を生物学教室に訪ねるのだった。











9 新山教授の話



「やあ、よく来てくれたね、岡本君、それと

こちらが?」


「はい、はじめまして結城良彦といいます。

陽日新聞の記者をやっています。綾野先生と

は少しかかわりがありまして、国内では取材

をさせていただき、アメリカでは一緒に行動

したこともありまして。」


「そうなんです、あのりチャードさんと綾野

先生とでダゴン秘密教団の廃墟跡からサイク

ラノーシュ・サーガを発見した時にも立ち会

っていたそうです。」


 ヴーアミタドレス山に行ったときに多少の

事情は聞いていた新山教授は、少しは気を許

したようだった。それまでは新聞記者と聞い

て警戒していた様子だった。


「なるほど、それで岡本君と一緒に綾野君を

探しているという訳か。」


「ええ、なんでも教授のところに電話があっ

たと聞いたものですから。」


「杉江君から聞いたのだね、だが残念ながら

私のところにかかってきた電話の内容から綾

野君の現在の居場所を探すのは無理だろうね、

まったくそのような話は出なかったから。」


「そうですか、ちなみにどのような用件で綾

野先生は電話をかけてこられたのですか?」


 一瞬新山教授の目が杉江統一を睨んだ。余

計なことを話した、と咎めているかのようだ

った。


「それは話す必要のないことだな。当人の私

が手がかりがなかった、と言っているのだ、

それ以上はいいだろう。」


 もう、この件については話すことはない、

といった感じで新山教授は自分の机に向かっ

てしまった。杉江と岡本浩太は顔を見合わせ

たが、それ以上は教授を追求できる筈もなか

った。


「判りました、では新山教授、私たちはこれ

で失礼します。ただ、何か思い出されたりし

ましたら、岡本君にでもご連絡いただけます

でしょうか?」


 新山教授は仕草で、わかった、と表現して

言葉は発しなかった。もう話したくもない、

という態度だ。



「恩田君、どうかな。」


「あ、新山教授、相変わらずです。本当に大

丈夫なのでしょうか?」


「君が疑ってどうする。美希のためだと、君

が言い出したことだろうに。」


「それはそうなのですが、僕はどうも最近彼

らのことが信用できない気がしてきたのです。

彼らの目的は一体何なのでしょうか?」


 密室に二人きりで話しているのだが、声の

大きさを抑えて話してしまう恩田だった。も

し、誰かに聞かれでもしたらとんでもないこ

とになってしまう。自分も、義父である新山

教授の立場を全て投げ出す覚悟は出来てはい

るのだが、途中でここを放り出されるのが怖

かった。それでは、今までやってきたことが、

全く無駄になってしまう。


「彼らしか頼る者が居ないのなら、頼るしか

ないではないか。いつまで、そんなことを言

っているのだ。ここには儂と杉江君しか入れ

ないとはいえ、いつまでもそのまま置いてお

く訳にもいくまい。」


「そうですね、それならもっと、検体を回し

て貰わないと、進むものも進みません。教授

のお力でなんとかなりませんか?」


「君のルートからでは、もう限界だろうな。

判った、それはこちらで何とかしよう。」


 そこへ、杉江統一が入ってきた。


「教授、至急来てください。ああ、恩田助教

授もこちらでしたか。T-3に変化が現れた

んです。」


 顔を見合わせた二人は、本当にあわてた様

子で杉江統一の後に続くのだった。











10 琵琶湖大学側の話



「どうしたものだろうね。」


 結城良彦と岡本浩太は途方に暮れていた。

綾野祐介の消息は依然として知れない。大学

にも何の連絡も入ってないらしい。無断欠勤

が続いているようだ。このままだと、免職処

分になる、とのことだった。休むのはいいが、

連絡がないのが拙い。浩太の伯父の勇治が行

方不明の時はいろいろと手を回して免職処分

にならないようにしてくれた綾野が、今度は

自らの免職の危機なのだ。浩太は勇治に連絡

をとって、大学側に働きかけてもらうことに

した。


 岡本浩太にすれば、手がかりがあるとすれ

ば、アーカム財団くらいだったが、浩太から

連絡をする術がなかった。


「アーカム財団か、判った、こっちであたっ

てみるよ。」


 アーカム財団への連絡は結城に任せること

にした。ただ、財団の性格からして中規模の

新聞社である陽日新聞からのアポが取れるか

どうか、心もとないと浩太は心の中だけで思

った。


「岡本くん、一体君は何をしようとしている

のだね?」


 琵琶湖大学の事務長である塔山勇一郎に呼

び止められていきなり岡本浩太はそう詰め寄

られた。


「何をって、綾野先生を探しているだけです

が、それが何か?」


「その件については私のところに綾野先生か

ら休学届けが着いている。病気療養、とのこ

とだ。行方不明になった訳ではないよ。あま

り、騒ぎ立てないでくれたまえ。」


「え、そうなんですか?。でも、前に聞いた

ときは無断で休んでいる、って仰ってました

よね?」


「そんなことは、言ってないだろう。君の勘

違いではないのかな。とにかく、綾野先生の

件についてはそういうことだから、多分完治

すれば戻って来られるだろう。」


「では、綾野先生は何処で療養なさっておら

れるのですか?」


「そんなことは、君に教える必要はないだろ

う。まあ、届けにはそこまでは書かれていな

かったがね。」


 そういうと、塔山事務長はさっさと行って

しまった。どういうことなのだろう。前に浩

太が聞いたときには無断欠席だと、怒ってい

たのにもかかわらず、今は浩太の勘違いだと

言われる。


「これは裏に何かあるのだろうな。」


 どんなに鈍い者でも、そう思うだろう。何

かを隠そうとして、そんな工作をしたのだと

したら、あまりにもお粗末だった。大学ぐる

みで隠蔽をしようとしているのだ。敵は案外

身近に居た、ということか。浩太は早速、結

城良彦に連絡を取って事の次第を伝えた。


 結城の意見も同様だった。綾野の行方は大

学が知っていて隠しているのだ。若しくは、

大学側が積極的に綾野を監禁でもしているの

だろうか。浩太は伯父の岡本優治にも連絡を

取り、琵琶湖大学に綾野の件で折衝してもら

う件について、待ってもらうことにした。


「判った。でも浩太、あまり無理はするなよ。

お前まで大学に居られなくなるぞ。それだけ

なら、まだいいが、前みたいに命に係わるこ

とになってしまう可能性が高い。俺がそっち

に行ければいいのだが、せっかく綾野の尽力

で残れた大学を放っては行けないしな。とく

かく、くれぐれも無茶はするな。」


「判ってるよ、こっちで結城さんも手伝って

くれてるし、大丈夫、任せておいてください。

きっと綾野先生は僕が見つけ出す。」


 優治に言った言葉を自分にも言い聞かせて

いる浩太だった。



 岡本浩太は大学が綾野祐介の行方を知って

いると確信したうえで、新山教授に相談する

ことにした。新山教授が何かを隠しているこ

とは確かだが、綾野の行方に関しては協力し

てくれると思ったからだ。利害関係ははっき

りしないが、とりあえず敵ではないと信じる

しかない。そう、話し合った結果、浩太と結

城良彦は改めて新山教授を訪ねた。


「どうも、大学自体が関与してるみたいなん

です。」


「何かそう思わせるようなことがあったのか

ね?。」


 浩太は塔山事務長の豹変振りを説明した。


「なるほど、それはおかしな話ではあるな。

判った、私の方でも探りを入れてみよう。綾

野君には世話になっているから、それぐらい

のことはさせてもらうよ、それがもしかした

ら私と大学との確執に繋がったとしてもね。」


 どうも、やはり何かを知っていて隠してい

るように見受けられるのだが、浩太はそれ以

上何も言えなかった。とりあえず、協力して

もらえるだけで十分だろう。話せる時がくれ

は、新山教授本人か助手である杉江統一から

詳しい話が聞ける筈だ。本質的に悪い人間で

はないことは判っているので、信じるしかな

かった。


 しかし、自らと大学との確執に発展する可

能性がある、と感じていると言うことは、綾

野の行方がかなり大学にとってデリケートな

問題であり、犯罪の匂いすらすることである

かのようだ。そして、それを覚悟のうえ、と

いうことは、綾野に対して新山教授は相当な

恩義を感じていると言うことになる。


 浩太は先日のツァトゥグアとの邂逅を思い

出していた。あの場所に新山教授が居合わす

ことができたのは、綾野のお陰だと言える。

それは新山教授本人の強い希望もあったのだ

が、教授単独では到底ヴーアミタドレス山に

辿り着くことはできなかったであろう。そし

て、無事に地上に戻ることも。


 そして、浩太は思い出していた。ツァトゥ

グアの洞窟で、新山教授と杉江の二人だけが

残った時間があったことを。多分あの時に何

らかの、教授が目的としたことが達成された

のだ。


 ツァトゥグアに対し何らかの申し出をして、

それが受け入れられたのか。或いは質問をし

て有効な回答を得られたのか。それとも何か

冒涜的な密約が結ばれたのか。いすれにして

も、それは新山教授にとって大切なことだっ

たのに違いない。そんなことでもなければ、

あのような危険な場所に赴く必要など無い筈

だった。そういえば、最近この生物学部の研

究所に恩田助教授が出入りしてるらしいのだ

が、それもかかわりがあるのだろうか。次は

恩田助教授にも探りを入れてみようと医学部

に向かうのだった。



「塔山君、私にも話せないことなのかね?」


 新山教授は岡本浩太たちが帰った後、すぐ

に事務長の塔山を訪ねた。目的は勿論、綾野

祐介の行方だ。


「新山教授、何の話かわからないのですが。

綾野先生は病気療養の為に休職中ですよ。そ

れ以外のことは、存知ません。プライベート

に関することにもなりますし。どこの病院だ

とも、療養場所だとも聞いてはおりませんが。

岡本君たちが仕切りに気にしているようです

が、教授のところにも来たのですね。放って

おかれたらどうですか?教授もお忙しいでし

ょうに。」


 塔山はそれだけ言うと、さっさと行ってし

まった。新山には話すつもりはないらしい。











11 生物学教室での話



「どうも、口が堅いって感じでもないです

ね。」


 それは、影で見ていた杉江統一だった。


「そのようだな。杉江君、君はどう思うのだ

ね?」


「僕は、浩太たちの言うとおり、大学も何ら

かの関与をしていると思いますよ。その辺り

は恩田助教授の方が詳しいかもしれません

ね。」


「大学ぐるみで星の智恵派に与しているとい

うのか。でも、それは有り得ることだな、そ

もそも恩田君に星の智恵派を紹介したのが堂

本学長だと聞いている。」


「え、そうだったのですか。それは聞いてい

ませんでした。なるほど、学長の方が星の智

恵派の関係は古いということですか。でも、

なぜ綾野先生を隠す必要があるのでしょう

か。」


「彼は知りすぎたのだろう。加えてナイアル

ラトホテップの遺伝子を持ちツァトゥグアに

も侵食されているのだから。様々な利用価値

があるのではないかな。その辺りは私にはさ

っぱり判らない話ではあるがね。」


「それは僕も同じです。浩太の方が詳しいで

しょう。一度ゆっくり聞いてみますか?」


「いずれな。それよりも、今は綾野君の行方

だ。学長に直接当たってみるべきだろうな。」


「学長は今アメリカではなかったのですか。」


「そうらしいね、今頃は当大学の姉妹校であ

るミスカトニック大学で講演をしているはず

だ。恩田君によると、その姉妹校提携も星の

智恵派が関係しているらしいが。」


 実験で忙しい二人は、とりあえずは堂本学

長の帰国を待つことにした。2日後には戻る

はずだった。



 2日後、堂本剛貴学長の元を訪ねた浩太と

結城は塔山事務長に行く手を阻まれていた。


「学長は帰国直後で多忙だ、君たちに会う時

間などある訳がないだろう。いつまで綾野君

の話を追い続けているのかは知らないが。」


「でも、大学は実は綾野先生の行方を知って

いて隠されているんじゃないのですか?」


「そんなことある訳ないだろう、失礼なこと

を言う男だな、学内に立入禁止にするぞ。」


 あまりにも一方的な態度ではあったが、塔

山事務長にはその権限があるのであまり逆ら

わない方が得策だった。しかしそれでは綾野

の行方は遥として知れないままだ。


 浩太と結城の二人は堂本学長に直談判する

ために帰宅途中を狙って待ち伏せすることに

した。学長は南草津駅前のマンションに一人

住まいをしている。家族はいないらしい。


 電車で通っている学長を駅で待ってみた。

 幸い一人で帰ってきた学長を改札を出たと

ころで捕まえることができた。


「堂本学長、ちょっとお話があるのですが、

よろしいでしょうか?」


「ん?、君たちは?」


「僕は伝承学部の岡本浩太といいます。こち

らは陽日新聞の結城さんです。」


 学長は新聞記者ということに訝しげに反応

したが、それは当り前のことだろう。


「新聞記者が何の用かね。何かあったら事務

局を通してくれたまえ。直接取材には来るの

は非常識だろう。」


「いえ、学長、私は何かの取材に来た訳では

ないのです。綾野先生の行方を岡本君と探し

ているものですから、何かご存じではないの

かと。」


「綾野?ああ、伝承学部の講師だかなんだか

だったか。その綾野先生がどうかしたのか?」


「先日から連絡もとれないで行方知れずなの

です。塔山事務長は休職届が出ていると仰っ

ているのですが、僕が最初に聞いた時には大

学に連絡なしに休んでいると怒ってらっしゃ

ったのです。」


 何か堂本学長の様子を見ていると本当に何

も知らない様子だった。あるいは演技か?


「塔山君がそう言っているのなら、その通り

なんだろう。それ以上のことを私が知る訳が

ないだろう。何かあれば塔山君を通じてくれ

たまえ。私は疲れているから、これで失礼す

るよ。」


「あっ、あと一つだけ、学長は星の智慧派を

ご存知ですか?」


 一瞬学長の顔が変わったが、またすぐに厳

格な教育者の顔に戻った。


「何の話かな?私にはよく判らない話のよう

だね。では。」


 それ以上話したくない素振りで学長は立ち

去ってしまった。やはり何かを知ってるよう

だ。


「星の智慧派には関わっているが綾野先生の

件は関知していない、ってところですかね。」


 結城も同じことを考えていたようだ。


「その可能性が一番のようだな。しかし、次

の手をどうするかだ。事務長をもうちょっと

突いてみるか。」


「そうですね、作戦を考えましょう。」


 二人は浩太の部屋で作戦を練ることにした

のだった。


 作戦会議は遅々として進まなかった。なか

なかいい案が浮かばない。


「そういえば綾野先生はご家族はいらっしゃ

らないのかな?もし居るのなら、そこら辺り

からなんとか突破口が開けると思うんだが。」


「先生は天涯孤独の身だとおっしゃってまし

たね。何でも高校生くらいの時にご両親を同

時に事故か何かで亡くされたとか。兄弟もな

く親戚付き合いも全くなかったらしくて、そ

れ以後は天涯孤独さ、と少し寂しげに話して

おられましたから。うちの叔父あたりも幼馴

染ですがあまり家庭環境は知らないと言って

ました。」


「そうか、それでは手繰りようがないね。あ

とはアーカム財団か。」


「一度僕が連絡をしてみます。マリアさんな

ら力になってくれるかも知れません。」


 岡本浩太がアーカム財団極東支部に連絡を

取ったところ、マリアは今プロヴィデンスに

戻っているとのことで不在だった。ロイド支

部長とはほとんど面識もないのでどう話をし

たらいいのか判らなかったが一応綾野の行方

が知れないことと探しているが上手くいって

いないことを伝えた。


 財団ではどうも既に知っていたようだ。と

いうよりも綾野はアーカム財団のエージェン

トに採用された(実質的に、という意味で雇

用された訳ではない)らしい。財団でも行方

を探しているが、大学が関知していることも

ある程度把握している、とのことだった。

 支部長はマリアが帰国次第こっちに派遣し

て専属で行方を追うことを約束してくれたが

時期的にはあと1週間は後になりそうだった。


「マリアさんが手伝ってくれれば心強いけど

それまで手を拱いて待っている訳にも行きま

せんね。」


 浩太と結城は自分たちで出来ることを探す

ことにしたのだった。











12 行方の追及



「君たちはなぜ綾野君を探しているんだね?」


 塔山事務長の質問に対し、


「人一人が行方不明なんですよ?探すのはあ

たり前じゃないですか?それとも大学が関与

しているから探すな、と仰るんですか?」


 事務長に対しても岡本浩太は容赦なく詰め

寄った。塔山事務長は学生である浩太一人な

ら適当にあしらうのだろうが第三者であり新

聞記者である結城良彦の存在がそれを許さな

い。ノーコメントは何かを隠している証拠と

思われるからだ。現実問題として塔山事務長

は何かを隠しているようだった。


「そんな筈がないだろう。彼はただ単に療養

のために休職中なだけだ。本人からの連絡が

ない限り居場所は私たちにも判らない。」


「しかしずっと携帯にも出られないんですか

ら、もしかしたら何かあったのかと思われま

せんか?全く関心がないのは行方を知ってい

るから、とも考えられますよね?」


 たたみかけるように続ける浩太に、塔山事

務長は、全く取り付く島もない。


「いずれにしても君たちに話すようなことは

ない。部外者を勝手に学内に入れないでほし

いもんだ。」


 そう言い残して去って行った。



 仕方ないので二人は新山教授を訪ねた。何

か新しい情報は入っていないかどうか。但し

もし何かあったらすぐにでも杉江統一から連

絡があるだろうから期待薄ではあったが。


「そうですか、特に何も新情報はありません

か。」


「いや、そうでもない。私には何もないが、

もしかしたら恩田君のところで何か判るかも

知れない。一度訪ねてみてはどうか?」


「恩田助教授ですか?」


「そうだ。大学が関与していて人一人を一般

社会から隔絶させたいときにはどうするか、

と考えてみたまえ、ある建物が思い浮かばな

いかね?」


 岡本浩太は少し考えてみた。伝承学部であ

る自分には縁のない建物ではあるが、そうい

えばひとつ、威容を放つ建築物を見たことが

ある。構内ではなく全く別の場所にある建物

だ。


「もしかして付属病院の心理学病棟ですか?」


「そのとおり。あそこなら誰の目にも触れな

いし誰にも邪魔されないで綾野君の身体を調

べられるだろう。あくまで大学が関与してい

る、との前提に立っての話だがね。」


「判りました、恩田助教授に協力してもらっ

てなんとか探りをいれてみます。」


 なんだか少しだけだが光が見えた気がして

浩太と結城は急いで構内にある医学部付属病

院に向かった。


 付属病院に着くと幸い恩田助教授は控え室

に在席していた。二人の訪問に驚く様子もな

く事情を聞いて頷いてから答えた。


「それは、多分推測として正しいだろうね。

但し確認できるかどうかはかなり怪しいと思

うな。大学が意識的に綾野先生の身柄を隠し

たいのなら公式に問い合わせても無駄だろう

し、ここのように誰でも建物内に入れる施設

ではないからね。」


「そうですか。」


 2人の落胆は隠せなかった。


「特に地下の隔離病棟には極一部の者しか入

れないシステムになっているから。ちなみに

僕一人なら入れる。」


「えっ?そうなんですか?」


「僕の専門は脳神経外科だから色々と参考に

なる患者も多くてね。」


 光明が見えてきた。


「だったら恩田先生が確認していただく訳に

はいきませんか?」


「身近の人一人の行方が判らなくなっている

のですから、私からも是非お願いしたいので

すが。」


 紹介を受けてはいたが恩田は結城とは初対

面なのでいぶかしがった。


「あなたと綾野先生とは、いったいどういっ

たご関係なのですか?」


「私は新聞記者なのはお話しました通りなの

ですが、その取材時にご一緒させていただき、

大変お世話になったものですから。お聞きし

ましたところヴーアミタドレス山でしたか、

そこへ行かれた時に同行されていたリチャー

ド=レイさんも同じ時にお世話になりまし

た。」


「リチャード?。ああ思い出しました。」


「その時にとんでもない体験をしたものです

から何か他人に思えないのですよ、綾野先生

のことが。それで奈良に取材に来たついでに

訪ねさせていただいたら行方が分からなくな

っていた、というところですね。」


 恩田も新聞記者という結城の職業で多少警

戒していたようだが納得したようだ。


「判りました。僕も綾野先生とは関係があり

ますし、私から探りを入れてみて怪しいと思っ

たら自分で確かめに行ってみましょう。」


 そう恩田は約束してくれた。


 とりあえず一つの光明が見えて岡本浩太と

結城良彦は安堵したのだった。










13 恩田助教授の話



「いいんですか?」


 恩田助教授が義父である新山教授に問いか

ける。


「放っておくと私たちの目的に悪影響を及ぼ

すこともあるだろう。彼らが綾野君に辿り着

いても何ら問題はないが私たちの目的は知ら

れてはならない。最後の秘密はどんな手を使

っても守る。肝に銘じておきたまえ。」


「判りました。」


 二人の会話を隣室で聞いている杉江統一は

自分たちのやっていることは正しいのか、そ

れとも神への冒涜なのか、判らなくなりつつ

あった。教授は尊敬しているし、その目的は

心情的に充分理解できる。恩田助教授も同様

だ。研究に対しての興味も大きい。但し成功

してもどこにも発表できない研究は、どうな

のだろう。


 あと新山教授が酷く自分を信頼しているこ

とが腑に落ちない。この計画の開始時から特

にだ。最後の最後、保険として自分が切られ

る可能性も高いと自覚している。『助手が勝

手にやったことだ。』と言い逃れされること

が充分考えられる。その時はその時で、自ら

の研究として公にできるのなら、それでもい

いと思っていた。家庭環境の悪い状況で育ち、

現在は身寄りもいない杉江にとって新山教授

は親のようなものだと感じている。狂った研

究者としてでも後世に名を残せるのなら、そ

れはそれでアリだと思っていた。


「それでは私と岡本君、それと結城記者で綾

野先生を訪ねてみましょう。」


 恩田助教授は綾野の行方は既知の事実とし

て認識されているかのような言い方で生物学

室を後にしたのだった。


 恩田助教授と一緒に心理学病棟を訪ねるの

は一日置いての明後日と決まった。それまで

は特にすることもないので岡本浩太と結城良

彦は当日の朝、恩田助教授の控室で待ち合わ

せることにした。あと数日でアーカム財団の

マリア=ディレーシアが戻るはずだが、折角

の機会を先送りする訳にもいかない。


 岡本浩太はもうすぐ3年生になるが、この

2年の様々な出来事を思い出し、もう自分に

は普通の人生は送れないのだと思っていた。

綾野も当然そう考えているだろう。でもどこ

かに監禁されていたり自由が奪われているの

なら、それは同じ境遇であることも含めて解

放する努力は惜しまないつもりだった。


 生物学部の新山教授や医学部の恩田助教授

(この春からは准教授という名前になるらし

い)とは親しくなったが、担当の教授には睨

まれている。講師である綾野と親しいことも

気に入らないらしいので、春の進級は望めな

いこともあり、大学を辞めようかと考えては

いるが綾野の件が片付かないと学外に出る訳

にはいかなかった。学内を自由に行き来でき

るメリットは大きい。但し、行方不明の綾野

本人のことも含めて、この件が終われば大学

を去らざるを得ないと感じていた。


 結城良彦は本来の仕事に戻っていた。地方

に取材で出張中の身なので東京にいるほどで

はないがあるていど時間は拘束されるのだが

綾野の行方の方が言い方は不謹慎かもしれな

いが興味があった。正直地方出身代議士の汚

職事件なんてどこにでもある話なので余程の

大物でないと大したニュースにもならないだ

ろうし、場合によってはもみ消される可能性

も否定できない。とりあえず明後日一日の予

定をやり繰りして慌ただしく取材を詰め込ん

でいるのだった。



 結局アーカム財団からはマリアが戻ったと

の連絡はなく、恩田、結城、浩太の三人で琵

琶湖大学付属病院心理学病棟にに乗り込むこ

とになった。


 心理学病棟は湖北にある本校とは別に湖西

に建てられている。琵琶湖畔ではあるが周囲

は高木で覆われているので周辺から中の様子

は覗えなくなっている。恩田の車で乗り付け

た三人は早速受付へと向かった。


「あっ、恩田先生、おはようございます。」


 病棟の受付職員の方から声をかけてきた。


「おはよう。一昨日電話しておいたけど、地

下を案内したいので、よろしく。」


「はい、お聞きしています。ここにお名前を

いただいて、この入館証を付けていただけま

すか。そちらのお二人だけで結構ですよ。」


 言われる通り名前を書いてプレートをもら

い胸に付けた。


「では、こちらへどうぞ。」


 案内しようとする職員を恩田が止めた。


「いや、地下の鍵を貸してくれないか。僕が

案内するから。」


「先生、ご存知かとは思いますが、規則で必

ず一人は職員が付くことになっておりますの

で。」


「判ったうえで頼んでいるのだけど、駄目な

のかな?」


「申し訳ありませんが、ご要望にはお応えか

ねます。どうしても、と仰るのならご見学は

許可できません。」


 断固たる職員の態度に恩田は仕方なく折れ

た。


「判った、君に案内してもらおう。」


「館内には危険な場所もございますので、ご

了承ください。では、こちらへ。」


 この手の対応には慣れているのだろうか、

その職員は20代前半の若い女性にもかかわ

らず譲らなかった。自由に歩き回ることはで

きないようだ。


 職員を含めて四人は地下に向かうエレベー

ターに乗った。セキュリティカードを翳さな

いと動かないようだ。


「地下1階は女性患者、地下2階は男性患者

が入院されています。地下3階より下は研究

病棟なので今回はご案内いたしません。では

まず地下1階をご案内しますね。」


 恩田助教授から事前に得ていた情報とは違

う説明だった。地下3階は確かに研究室が並

んでいるらしいが地下4階と5階は隔離病棟

で地下6階は恩田助教授も足を踏み入れたこ

とがなく情報もない、とのことだった。恩田

助教授の考えでは、綾野はこの地下6階にい

るのではないかと言うことだった。いかにし

て地下6階に降りるかが問題だ。


 地下1階に降りると、そこは長い廊下の一

番端だった。長い廊下が続いており、その両

側に部屋が配置されている。いくつかのドア

をみてみると、ドアの向こうに小さな部屋が

あり、その向こうにまたドアがあって、奥が

病室になってるようだ。


 一つ目のドアの横には部屋番号が貼ってあ

るが患者名は出ていない。


「病室に患者名は出ていないのですね。患者

の間違いとかは大丈夫ですか?」


 結城が質問してみると


「はい、全ての患者さんは腕にICチップ付

きのベルトをしていますので、投薬の時や点

滴はそのチップを確認してますから間違いは

ありません。」


 名前が出ていない理由を本当は聞きたいの

だが、そこはとりあえず我慢することにした。

しばらく四人で廊下を進んでいたが、景色は

全く変わらない単調なものだった。両側のド

アが規則正しく並んでいるだけだ。色の基調

が白一色なので、普通の精神状態の者でも何

らかの異常を来たしそうだ。


 廊下のほぼ中央付近にナースセンターらし

く職員が詰めている部屋があった。但し通常

の病院のようなカウンターがあって中が見え

る造りにはなっていない。病室よりも大きめ

なドアがあるので、そうだろうと推測できる

だけだ。うっかりすると見逃してしまうだろ

う。


「ここが看護師や職員の詰め所になります。」


 案の定、案内してくれている相馬という名

の女性が説明してくれた。


「なんだか病室との区別がつきにくくて間違

いそうですね。」


 岡本浩太が素直な感想をいった。


「万が一患者が病室を出てしまった時のシェ

ルターになっていますから、わざと判りにく

くしてあるのですよ。」


「いままで、そんな事態になったことはある

のですか?」


 結城が聞いてみると相馬は少しだけ『しま

った』というような顔をした。


「もちろん、そんなことは今まで一度もあり

ませんし、今後もないでしょう。」


 平静を装っていたが、その口調からは到底

事実だとは思えなかった。


「トイレをお借りしてもいいですか?」


 予め決めてあった合図だ。どうしても下の

階に行くタイミングが図れないときは岡本浩

太がトイレに行く、と行って一旦離れてしば

らく戻らないようにし、『トイレにいない。

どこに行った?探さないと。』という流れで

結城と恩田がバラバラに浩太を探すことにし

て案内の人を撒く作戦だった。もちろん浩太

はトイレに隠れて、他の二人が探しに行った

後に地階へと向かう予定だった。


 職員の相馬にトイレの場所を聞いて向かっ

た浩太は、中で意外な人と出会った。











14 意外な再会



「かっ、桂田じゃないか!」


 それは行方不明だったはずの桂田利明だっ

た。


「ああ、浩太じゃないか、久しぶり。こんな

ところで何をしているんだ?」


「それはこっちのセリフだ、今まで何処にい

た?」


 桂田は少し考えて、


「うーん、よく判らないなぁ。記憶が曖昧な

んだ。というか途切れることが多い。今も気

が付いたらここに居ただけなんだよ。僕はい

ったいどうしてしまったのだろう。」


「僕は恩田助教授と新聞記者の結城さんとで

綾野先生を探しにきているんだ。でも君を見

つけたのは偶然じゃない気がする。多分綾野

先生もこの建物のどこかに居るはずだ。」


「この建物?ここはいったいどこなんだ?」


「心理学病棟の地下1階だよ。」


 桂田は少し考えて、


「なんだか、それは聞き覚えがあるなぁ。あ

と火野とか風間とか、う~ん、なんだか頭の

中がもやがかかってるようで。」


「無理しない方がいい。恩田先生に頼んで入

院させてもらえばいいさ。」


 岡本浩太と桂田利明は最初の計画とは違い

そのままトイレを出てすぐに恩田たちに合流

した。


「君は桂田君だね。」


「ああ、恩田助教授、ご無沙汰してます。」


「いったい今まで何処にいたのかな。」


「自分でもよく判らないんです。どうも記憶

が飛んでるみたいで。」


「とりあえず、君はうちでもう一度検査させ

てほしいから、今から一緒に大学病院に戻ろ

う。」


 恩田は一方的に話を進めようとする。浩太

は何がなんだか判らなかった。


「恩田先生、ちょっと待ってください。桂田

が見つかったのはいいことですけど、肝心の

綾野先生がまだ見つかってません。」


 恩田は何故だか意外な顔をしたが、すぐに

その表情を隠した。


「そうだった。相馬君が戻ってこないうちに

早く探さないとな。」


 結城は既に下の階に向かっているはずだ。

とりあえず三人で下の階へと降りることにし

た。相馬が戻ってきたら今度は桂田の件の説

明も必要になってくる。なるべく会わせたく

ない。


 地下2階を過ぎ、地下3階に降りようとし

たが階段が見つからなかった。エレベータは

使えない。やがてカモフラージュされた扉を

見つけた。


「鍵が閉まってますね、これでは下に降りら

れない。恩田先生どうしましよう。」


「ここで断念するしかないかな。」


 どうも恩田は綾野を探すことに興味が無く

なったような態度だった。一刻も早くここを

立ち去りたいようだ。


「僕にやらせて。」


 桂田はそういうと徐にセキュリティー盤に

手を翳した。


 すると音も立てずに扉がゆっくりと開いた。


「桂田、何をしたんだ?」


「いや、なんだかこうしたら開くような気が

したから、手を翳してみたんだ。自分でもよ

く判らないよ。それと監視カメラにも細工し

ておいたから。」


 詮索をしている時間はない。三人は地下3

階へと降りて行った。


 地下3階も上の階と同じ作りで区別がつか

ないくらい似ている。結城を相馬の監視に残

した3人は、そのまま地下6階へと向かった。


 地下3階以下へ向かう階段には特に何もセ

キュリティが無かった。本来地下3階へ降り

るあの扉に相当高度なセキュリティが掛かっ

ていた筈だが桂田があっさりと開けてしまっ

た。何かの能力が備わっているのだろうか?


 それが浩太と一緒にツァトゥグアに融合し

た結果なら浩太にも出来る筈だが、どうもそ

の様子はない。融合していた時間の長さが桂

田の方が長いので、その所為かも知れない。


 それにしても、地下に入ってから自分たち

以外の人を全く見ない。部屋に入っていて廊

下にはあまり出ない(入院患者は当然だが)

決まりになっているのだろうか。


 3人は地下6階に辿り着いた。この階も上

と全く同じ作りになっていて区別は付かなく

各部屋にも何の表示もないのでどの部屋に綾

野が監禁されているのか、全く見当もつかな

かった。


「多分この部屋だ。」


 廊下を歩いていると桂田が部屋の1室を指

差した。


「判るのか?」


「ああ、なんとなくね。」


 バイオハザードの危険もないのか、この階

の部屋は入院施設の地下1階などと違って簡

単に開きそうだったが、力任せには無理だ。


「ちょっと待って。」


 桂田はさっきと同じようにセキュリティパ

ネルに手を翳した。すぐに扉が開いた。


 部屋に中に入ってみると12帖くらいのほ

ぼ正方形の部屋で窓はなく、壁・天井・床と

も廊下と同じで真っ白だった。照明の加減も

あるのか目が眩むほど眩しく感じた。入って

右の壁に向かって机があった。左にはベッド

が置かれている。トイレらしき部分もあるの

でこの中で生活できそうだった。


 机に向かってこちらには背を向けて座って

いる人が居る。


「綾野先生?」


 岡本浩太が声を掛けた。


「なんだ、浩太じゃないか。それと恩田先生、

桂田も、どうしてここへ?」


「先生と連絡が取れなくなったので探してい

たんです。やっとここに辿り着きました。」


「私を探してどうするつもりだったんだ?」


 浩太は驚いた。どうも綾野は監禁されてい

たようには見えない。


「いや、先生は監禁されていたんじゃないん

ですか?」


「監禁?そんな訳ないだろう。私は自分の意

思でここに居るんだよ。」


 浩太は訳が判らなかった



「ここで一体何をしているんですか?」


 単純な疑問として浩太が問いかけた。


「私はここで何もしていないのだよ。ただ毎

日何かの検査を受け続けているだけだ。それ

が人類の役に立つのではないかという思いで

ね。私が外界に普通に暮らしていくのは無理

があるんじゃないかと思うんだよ。元々ナイ

アルラトホテップの血を引いていることは何

か覚醒でもしないかぎり問題はないのだろう

けど、それにツァトゥグアの遺伝子が加算さ

れたとき、どんな反応が現れるのか、想像も

つかないからね。でも浩太に同じことを強要

するつもりはない。お前はツァトゥグアに取

り込まれただけだから、問題ないと思われる

からね。但し、アーカム財団の監視は一生続

くだろうが。」


「監視?」


「そうさ、気が付いていないだろうが、ずっ

と監視は付いている。私はその監視に気がつ

いて自らここに閉じこもる決心をしたんだが

ね。」


「それならそうと一言仰ってからにしてもら

えればこんな苦労は。」


「それは申し訳なかった。ただお前の人生に

足枷をしたくなかったんだよ。」


 話を聞いていた恩田が口を挟んだ。


「綾野先生、どうです?、この際この桂田君

と一緒に私の研究室に来られませんか?」


「恩田先生のところへ?」


「そうです。ここは余りにも閉鎖されすぎて

いる。それに原因は綾野先生の所為ではない

でしょう。なら一人で犠牲になる必要はない

と思いますよ。何か問題が発生した時には、

みんなで支えてみんなで解決して行くべきで

す。」


 なぜか恩田はいつになく強い口調で綾野に

詰め寄った。


「そうですよ、先生一人じゃなく、僕も桂田

もそれほど違う境遇じゃないんですから。と

りあえずここは出ましょう。ここに居たら身

体より先に精神の方が参ってしまいますよ。」


 各々に説得されて綾野は研究所を出る決心

をしたのだった。


「しかし出ると言っても問題はここの所長の

許可だな。かなり熱心に私の身体を調べてい

るから手放さないんじゃないかな?」


「それは、私の方から正式に手続きでもしま

しょう。」


「ではよろしくお願いします、恩田先生。そ

れにしても、よくここまで入ってこれたね、

多分ここに私が居ることは極秘扱いになって

いるから普通に聞いても答えてくれないだろ

うし、案内もなしにここまで入れることも考

えられないんだが。」


 当然の疑問だった。


「セキュリティは桂田がなんとかしてくれた

んです。」


「桂田君が?ここのセキュリティは万全のは

ずなんだがね。何かツァトゥグアに取り込ま

れたことと関係あるのかな。私や浩太にもそ

んなことができるんだろうか?」


「そういったことも含めて、うちで研究させ

て貰えると。」


 恩田の眼は輝いていた。しかしそれは一研

究者の眼ではなかった。


「ここで一体何をしているのかな?」


 突然部屋のドアのところから声がした。


 心理学研究所の所長、櫻宮だった。



「所長。」


「恩田先生、あなたからの所内見学申請は確

かにいただいておりますが、ここはその範囲

には含まれていません。これは問題ですよ。

しかしよくここまで案内もなしに来れました

ね、いったいうちのセキュリティはどうなっ

ているんだ。警備担当者ともういちど管理シ

ステムを見直す必要がありそうです。」


 櫻宮所長は怒っているようにも見えるが、

その表情からはどうも何も読み取れない。


「いずれにしても、早々に退去いただけます

か。所員にも示しが付かない。」


「判りました。範囲外の場所まで入ってしまっ

たことは私の責任です。彼らは責めないでい

ただきたい。それと綾野先生はここからうち

の病院に移っていただきたいので、その手続

きは正式に行います。」


「綾野先生を?それは本人の意思ですか?」


「私からのお願い、ですかね。」


「元々綾野先生はご自身の希望でここに入っ

て来られたのですよ。私どもは場所を提供

しているだけです。まあ、多少の実験にはご

協力いただいておりますが。ですから、本人

がここを出たい、と仰れはいつでも出ていた

だいて結構ですが、本人の意思とは違うのな

ら退去いただく訳には行きませんな。」


 岡本浩太や恩田が考えていた監禁のような

ものとは、どうも違うようだ。


「綾野先生は、どうなされたいのですか?」


「私はどうも自ら隔離されたことで不要な誤

解を招いているようなので、ここを出ようか

と思います。自分の身体も今のところ安定し

ているようですし。」


「そうですか、そう仰るなら止めはしません

が、一つだけ条件があります。恩田先生の元

で何か発見があれば、私にも情報を提供して

ください。今まで多少調べさせてもらいまし

たが実に興味深い結果が得られています。そ

れと、綾野先生の身体を調べた結果が、新山

教授と一緒にやっておられる研究にどう役立っ

たのか、ということも含めて情報提供してい

ただけると更にありがたい。」


 この時の恩田の顔は『驚愕』という文字が

顔に書かれているかのようだった。


「しっ、所長、いったい何を仰っているので

すか?」


「私にも色々と情報網がありましてね。先生

たちが今取り組んでおられることには非常に

興味があります。是非とも情報提供を受けた

いものですな。この桂田君も一緒に連れて行

かれるのでしょう?そうすれば研究も進展が

ある可能性が高い。」


「私一人の判断では。新山教授と相談してみ

ないと。」


「いいですよ、教授とご相談いただいて御返

事ください。ただ、私が知ってる、というこ

とはお忘れなく。」


 捨て台詞を残して櫻宮所長は部屋を出た。



「私のミスとして処理されるのですから、ど

うしてくれるんですか?」


 相馬の怒りはもっともだった。いつのまに

か全員居なくなるわ、桂田という居るはずの

ない人間が入り込んでいるわ、案内していた

相馬の失態だと処断されても仕方ないことな

のだろう。


「それは所長に私から話しておくから心配し

なくても大丈夫だと思う。迷惑掛けたね。」


 相馬は恩田の言葉を聞いても納得がいかな

い様子だった。


「私からもとりなしておくから、本当にすま

ない。それと私はこのままここを出ることに

なったから。荷物は後で大学の方へ送っても

らえるとありがたいな。ほとんど本ばかりだ

が。」


 綾野にまでそう言われて渋々納得した相馬

だった。


「わかりました。綾野先生宛でよろしいです

ね。」


「お願いするよ、かなり重要な文献も含まれ

ているけど量が量だけに持ち帰れないんで

ね。」


 恩田、綾野、岡本浩太、桂田の四人は連れ

だって琵琶湖大学付属病院心理学研究所を後

にした。



「恩田君は綾野君を見つけたようだね。それ

と桂田という生徒も一緒に連れ帰るようだ。」


「えっ、桂田って桂田利明のことですか?」


「そうだ、君も知ってる、あの桂田君だよ。


 桂田利明は行方不明だと聞いていたので杉

江統一は驚いた。綾野先生を探しに行ったは

ずが本人どころか桂田まで一度に見つかると

は。


「新山教授、これで上手くいけばいよいよ完

成できるかも知れませんね。」


「まあ多少の希望が出てきた、とうところだ

な。特にその桂田という生徒が見つかったこ

とが大きいかもしれない。綾野先生では不確

定要素が多すぎてサンプルにならない可能性

もあるからな。」


 綾野も桂田もただのサンプル、というのが

二人の共通認識のようだ。


「しかし、どうも私たちのやっていることに

気が付いている者がいるらしい。櫻宮所長が

何らかの情報を得ていて、こちらの結果をよ

こせと言ったようだ。リーク元は君ではない

だろうね。」


「もっ、もちろんですよ、教授。僕がそんな

ことする訳ないじゃないですか。バレたら自

分の身も危ないのは重々判ってますから。」


「それもそうだ、疑って悪かった。君の協力

には感謝しているよ。私や恩田君だけでは、

到底ここまで進まなかっただろう。君が専属

で見ていてくれたおかげだ、感謝している。」


 不意に頭を下げられて杉江は恐縮してしま

った。


「いえいえ、僕なんて本当に留守番していた

だけですから。でも教授、成功するといいで

すね。心からそう想います。」


「ありがとう、あと少しだ、力を貸してくれ

たまえ。」


 普段の新山教授からは想像もできないこと

に手を差し伸べられた杉江は恐る恐る手を差

出して握手したのだった。











15 告白



「いくらデータが揃っても決定的な何かが足

りない気がするんです。」


「確かにそうかも知れないな。もっと詳しく

話をしておくべきだった。恩田君、なんとか

もう一度あの場所に行くことはできないもの

だろうか。あの者の知識は他に代え難い。も

う一度話をしたい。」


 新山教授は苦悩の表情を浮かべた。恩田幸

二郎も同様の表情を浮かべている。杉江統一

と三人で進めていることが行き詰っているか

らだ。


「綾野先生にそれとなく話をしてみたのです

が、どうもあの時の孔は完全に塞がっている

ようです。地中をスキャンしたら空洞がなく

なっていたとの報告があったそうです。何か

別の方法を考える必要がありそうですね。」


 基本的なデータは揃っている。動物実験で

の結果は良好だった。しかし持続しない。個

体は持って1週間だった。決定的に何かが足

りない。それが何なのか判らない。そういっ

た状況が続いていた。


 失敗は許されない。


「桂田君と綾野先生に全て打ち明けて協力を

仰ごう。」


 新山教授は決断した。


「綾野先生、桂田君。君たちに協力してもら

いたいことがあるんだ。」


 新山教授はいきなり切り出した。二人はな

ぜ呼ばれたのか理由は聞かされていない。


「どうされたのですか、急に。」


 新山教授の部屋には他に恩田助教授と杉江

がいるだけだ。桂田は琵琶湖大学付属病院心

理学病棟で発見されて以来、自宅には戻らず

綾野のアパートに一緒に居る。どこかに行方

不明にならないよう監視の意味も込めてだ。


「私と恩田君、杉江君がここのところずっと

関わってきたある実験について協力を請いた

いのだよ。」


「ある実験?」


「そうだ。」


 新山教授は話しにくそうだったので恩田が

あとを引き継いだ。


「私が話ましょう。私の妻が教授の娘さんな

のはご存じですよね。」


 それは綾野も桂田も知っていた。


「その妻、沙織というのですが、沙織がある

病に倒れたのがちょうど二年くらい前のこと

です。」



 恩田の話はこうだった。


 恩田の妻、つまり新山教授の娘さんである

恩田沙織さんが末期の子宮がんと診断された

のだそうだ。転移が酷く治癒の見込みがない

状況で鎮痛だけを考えるレベルだった。その

時からこの計画は始ったらしい。


 まずは新山教授が人工的に動物を冬眠させ

るシステムを人間用に作り替えた。理論的に

はある程度進んでいるが人体実験はほぼ実施

されていない物を教授が独自の理論をもって

完成させたらしい。一番の問題は脳をどうす

るか、ということだ。コールドスリープによ

る冷凍は細胞を破壊する可能性があり、現実

的ではなかったので別の方法で冬眠させるこ

とを選んだのだがそれでも覚醒後元の意識の

ままでいられるかどうかが一番の問題だった。


 それを解決しようとしたのが新山教授が考

案した脳だけをある溶液に浸しておく、とい

う方法だった。溶液の成分については口外さ

れなかったが、その様子からすると何か冒涜

的なものである可能性が高い。


 そして、その措置が取られたのがちょうど

沙織さんが呼吸器を付けなければならなくな

ったタイミングで行われた。冬眠させた上で

患部を全て入れ替え、完治させて覚醒させる

つもりだったのだ。しかし沙織さんが目覚め

なかった。というか、今でも眠り続けている

というのだ。


「君たちも気づいていたことと思うがツァト

ゥグアとの密約によって私はツァトゥグアの

知識の一端を貸し与えられることになった。

密約の内容は言えない。言って君たちを巻き

込みたくないからだ。あまりにも冒涜的であ

り廃退的であり、世間に公表されたなら犯罪

者になってしまう類のことだから。それで彼

の者からの手助けを得て沙織を目覚めさせる

つもりだったのだ。だが、どうしてもうまく

いかない。死んではいないし、脳波も正常な

のだが目覚めないのだ。」


 悲痛な叫びだった。父親の苦悩だった。


「それで私たちにどうとろと?」


 続きは恩田が引き取った。


「もう一度、ツァトゥグアに会って話をした

いのです。そこに何かしらの解決策が見つか

るのではないかと一縷の期待を持っているの

です。私は付いて行ってなかったので、そこ

がどんな場所なのか想像もつきませんが。」


 新山、恩田、両名の希望はもう一度あのヴ

ーアミタドレス山に行ってツァトゥグアに会

いたい、ということだった。


「それは無理です、とお答えするしかありま

せんね、残念ですが。あの時、私たちはどう

もツァトゥグアに呼び寄せられたようで、だ

から容易にヴーアミタドレス山に到達できた

のだと思います。ツァトゥグアの思惑は今で

もよく判りませんが。向こうから呼んでくれ

ないと行けない、というのが現状なんです。

こちらからの呼びかけに応えてくれるとも思

えません。」


「打つ手はないと?」


「そうです。どこの誰にアクションを起こせ

ばツァトゥグアに伝わるのか、皆目見当が付

きません。向こうからのアクセスを待つ以外

には。」


 新山教授と恩田助教授は落胆の表情を隠せ

なかった。


「現在の娘さんの状態はどうなのですか?」


「今は脳だけを取り出して、ツァトゥグアか

ら教えられた液体につけてある。脳波には問

題ない。身体の方は、ここからは聞かなかっ

たことにして欲しいが傷んだパーツを取替え

て問題を無くした。そして脳を元に戻そうと

したのだが、目覚めないのだよ。所謂植物人

間状態ということだ。死んではいないが目覚

めることもない。」


「脳だけを保存して移動するシステムは確か

ラヴクラフトも言及していましたよね。」


「そうだ。その方法を私はツァトゥグアから

教えられたのだ。ただ、彼の者の方法では脳

は保存できても完全体として蘇生させること

がどうしてもできない。何か、もう少し別の

要因が必要なはずなのだ。私はそれがどうし

ても知りたい。知らなければならない。」


 新山教授の悲痛な叫びだった。しかし、聞

いていた恩田の顔色が変わった。


「新山教授、いや、お義父さん。今、蘇生、

と仰いましたね。それはどういう意味ですか。」


 新山教授は、しまった、という思いを顔に

出して答えた。


「恩田君。申し訳ない。実は君にも隠してい

たのだが沙織は一度完全に死んだのだよ。そ

して身体を別で保存したうえで脳だけを蘇生

させたのだ。」


「そっ、そんな。」


 恩田沙織さんは既に亡くなっていた。それ

を禁断の技術によって蘇生させたというのだ。


「その辺りは僕が説明しなければいけません

ね。」


 杉江統一が話し始めた。



「大学入学以前より僕は新山教授と連絡を取

り合い不老不死の研究をしていました。僕が

小学校高学年の頃からになります。教授は娘

さんの事がなくても早い段階から不老不死や

死者の蘇生に興味を持っておられたのです。

そこで同じ目的の僕とも協力しあって、大学

に入ってからも、ずっとそれだけをやって来

ました。ある程度のところまでは僕が独自に

考えた方法で不老という部分に関しては成功

しました。細胞学上ほぼ不老を成しえたので

す。」


 それは、画期的な発明の筈だった。


「但し、この方法は冒涜的過ぎて一般に流布

される類の方法ではありませんでした。様々

な、それこそ読むだけで忌避されるような書

物の数々を研究し辿り着いたからです。そし

て僕と教授は不死の研究に移りました。但し、

そのころから教授は不死ではなく蘇生に力を

注ぐようになっていったのです。それはもち

ろん近い未来に訪れると思われた娘さんの死

を思ってのことだったと思います。」


 新山教授は無表情で聞いている。恩田助教

授はショックが隠せない。


「僕は飛び級でこの大学に入っているので、

今年で18歳になります。8年ほどでこの

段階を迎えられたのは一重に教授の公私とも

に献身的な異常とさえ言える努力と冒涜的な

部分の隠蔽に支えられてのことだと感謝して

います。但し、僕の研究の目的は1年程前に

水泡に帰してしまったのです。僕の目的は、

僕が両親と呼んでいる二人の人間の不老不死

を成しえることでした。それが不慮の事故と

いう、なんとも耐え難い出来事で不意に終焉

してしまったのです。それからは、目的を失

ってしまった僕に教授はご自身の娘さんの蘇

生に協力する、という目的を与えて下さいま

した。恩田助教授、申し訳ありません。僕も

奥さんの蘇生に立ち会いました。今となって

はただの興味でしかありませんが、人間の不

老不死は必ず到達できると思っているので

す。」


 杉江の口調は淡々としていたが、とても寂

しげだった。自らの両親を不老不死にしよう

と頑張ってきたのが無駄になってしまったの

だから当然か。しかし、綾野は少し引っかか

った点があった。


「杉江君、不躾で申し訳ないが、今の話で気

になったことがあるんだが、聞いてもいいか

い?」


「どうぞ、お答えできることなら。」


「両親と呼んでいる、と言っていたよね、そ

れは実の子じゃない、というような意味なの

だろうか。」


「ああ、いや、少しご説明が必要でしょうね。

そうではないのです。遺伝子上は全くもって

両親の実子で間違いありません。但し、綾野

先生が純粋な人間ではないのと似たような事

情で僕も普通の人間ではないのですよ。だか

ら人間のような死に方はしません。既に成体

にまで成長しましたから多分見た目はこのま

ま変わらないでしょう。僕は老いないのに両

親が老い、死んでいくのが辛かったのです。

だから僕は人間の不老不死の研究を始めたの

です。」


 新山教授は知っていたようだが恩田助教授

は明らかに動揺していた。彼には色々と知ら

されていないことがあったようだ。


「僕の正体は、この際置いておいてください。

いずれお話するときもあるでしょう。そんな

こんなで僕と教授は沙織さんの脳の蘇生に成

功しました。身体は今のところ損傷が進まな

いよう丁重に保存している、といったところ

でしょうか。但し、中身はいろいろと交換さ

せていただきました。転移していた部分は全

部、転移の可能性のある箇所もほぼ交換が終

わっています。あとは、脳を元に戻すだけ、

といった状況から、一歩も前に進めないのが

現状なのです。」


 綾野も桂田も動揺していた。杉江が人間で

は無い、との告白も衝撃的だった。綾野のよ

うに旧支配者の遺伝子を引継いでいる訳でも

なく、桂田や岡本浩太のように一旦吸収され

て遺伝子が変容してしまった訳でもないよう

だ。自らを人間とは違う存在として元々認識

していたらしい。


(まさか、何かの旧支配者の一柱だとでも言

うのか、それなら大変なことだ。)


 そう思う綾野だったか、口にはできなかっ

た。












16 それぞれの結論



 ひとつの結論が出るようだ。新山教授の娘

さんで恩田助教授の妻である恩田沙織さんは

一度亡くなって脳だけ蘇生させ身体は保存し

てあるが脳を戻しても目覚めない、という現

状を打破できない、ということだ。


「ある程度のことは理解しました。但し、最

初にお話したようにツァトゥグアの元にたど

り着く術を持たないのです。ご期待に添えず

申し訳ありません。」


 綾野は沈痛の思いを込めてつぶやいた。


「桂田さんには別の見解があるんじゃない?」


 杉江が意外なことを言いだした。綾野にな

いなら桂田にある筈がない。


「ああ、君は少し理解しているようだね。隠

しても仕方ないようなので言おう。確かに僕

には別の見解がある。でも今ここでそれを言

うには機は熟していないと思わないかい、杉

江君。」


 桂田がもっと意外なことを言いだした。口

調も今までとは別人のようだ。


「そうかも知れません。でも、あまり時間が

ないのも事実です。あなたの思惑は思惑とし

て協力してもらう訳には行かないものでしょ

うか。昔の誼もありますし。」


 杉江、桂田以外の人には二人が何を言って

いるのか皆目見当が付かなかったが二人の間

では会話が成立している。


「どういうことか、説明してくれないかね、

杉江君。」


 業を煮やして新山教授が口を挟んだ。


「教授、いずれ説明しますから、今この場は

このまま収めていただけませんか。僕が責任

をもって善処します。申し訳ありませんが、

どうしても言えることと言えないことがある

のです。」


 杉江の顔は真剣だった。但し、新山教授や

恩田助教授にとっては事は重大過ぎる。二人

とも簡単には納得できない様子だった。


「10日、いや1週間時間をください。今日

桂田さんに会うまでは確信できなかったこと

が今は確信できました。必ず結果を出します

から僕を信じてください。教授には本当にお

世話になったので、とても感謝しています。

僕の願いは遺体の損傷が激しすぎて叶いませ

んでしたが、教授や恩田助教授の願いは僕も

本当に叶えたいと思っているのです。」


 その場にいた桂田以外の人間は誰も納得し

ていなかったが杉江に任せるしか方法がなか

った。桂田は一人、少し困ったような表情を

浮かべていた。結局、一週間で結論を出す、

その言葉を再度確認し散会したのだった。



「杉江がそんなことを。」


 岡本浩太には意外だった。比較的におとな

しい学究の徒だったはずの杉江統一が、何か

人間ではない存在だということが。周りには、

その手の話が転がっており、自らも純粋な人

間とは言い難い存在になってしまった浩太か

らしても、杉江は普通の人間にしか見えなか

った。綾野の話では、どうも自分たちとは別

の存在、何かだということらしい。そして、

それを自分でも元から認識していた、という

のだ。浩太たちのように変質した、とか、綾

野たちのように遺伝的な、とう事ではなく、

元々そういった存在だったのだ。成績が良く

て飛び級で入学しているので年下だというこ

とは知っていて、少し幼いくらいにしか思っ

ていなかった。


「それで一週間後にまた集まることになった

んですか。是非、その時には僕も連れて行っ

てくださいよ、僕だけ蚊帳の外はご免です。」


「悪かった。新山教授からは私と桂田君に来

て欲しい、と言われてたからね。次は了解を

取って君も連れて行くようにするよ。」


 綾野は荷物を纏めながらそう約束した。自

室に戻った綾野は大学を退職することになっ

たので引越しの準備をしている。


「先生、ところで、右目は結局そのままです

か?」


 綾野の右目は米国である粉がかかってしま

い、失明、というか眼球そのものが消失して

いた。普段はサングラスで誤魔化しているが

実は眼球があった場所には、何か別の空間が

存在しているのだ。そして、綾野はその消失

した眼球で普通の人間には見えないものが見

えている。左目は普通に見えるのでそのあた

りの感覚を通常生活を送るまでに慣らすのが

大変だった。特に右目は瞼を閉じても見えて

しまうからだ。


「そうだね、もう慣れたけどね。どこかにつ

ながっているようなんだが、皆目見当が付か

ないんだよ。不思議な感覚だ。まあ、怖くて

確認ができない、という感じかな。」


 普通でない状態を、普通に受け入れてしま

っている綾野だった。


「結城君にもお礼を言わないとな、心配かけ

てしまった。」


 陽日新聞の結城良彦は岡本浩太が綾野を探

すのを手伝ってくれていた。綾野とは米国で

行動を共にした仲だ。


「結城さん、今は東京本社に呼び戻されたら

しいですね。本業を疎かにしていたツケが来

た、と仰ってました。先生が東京に行かれた

ら訪ねられたらどうですか。僕も退学して東

京に戻ろうかな。」


「何言ってるんだ、君は卒業したまえ。学業

は学生の本分だよ。まあ、気が乗らないのは

理解できるが。」


「そうなんです。もうなんだが普通に勉強す

る気になれなくて。僕はこれからどうすれば

いいんでしょう。先生みたいにアーカム財団

に雇ってもらおうかな。」


 浩太は真剣だった。学業にはどうも身が入

らないのだ。普通に就職し結婚し子供ができ

て、という人生設計は全く見えなかった。


「君が卒業して、どうしても、というのなら

私から財団に掛け合ってもいいが。それまで

にはもっと知識を得ないと今のままでは無理

だと思うよ。危険な仕事でもある事だし。」


「それは十分判っています。知識不足も十分

認識しています。だから普通の大学の授業じ

ゃなくてもっと研究したいことがある、とい

うことです。例えばミスカトニック大学に留

学するとか。」


「ああ、それなら可能かも知れないね。あち

らには知人もいるから、一度聞いてみよう。」


「よろしくお願いします。できるだけ早く、

で。」


 岡本浩太はすぐにでも渡米したい気持ちだ

った。



 そして、1週間が経った。杉江統一に呼び

出された綾野祐介、岡本浩太、桂田利明の3

名は新山教授、恩田助教授の待つ生物学教室

の控室に集まった。


「さて、お約束の1週間が経ちました。この

間、教授と恩田助教授には僕の作業には一切

手を出さないでほしい、という願いを叶えて

いただいて本当に助かりました。お二人の気

力や能力は十分ですが、どうしても手伝って

いただくわけにはいかない事があったもので

すから。代わりにずっと桂田さんにはお手伝

いいただきましたが。」


 桂田は少し不満そうな顔をしていた。意に

沿わない事を無理にやらされた、ということ

だろうか。


「そして、別室には沙織さんの身体が保存し

てある、僕と教授で作った保護カプセルがあ

ります。綾野先生や浩太は初めて見ると思い

ますが。今から、お連れします。」


 そういうと杉江は5人を別室へと誘った。

新山教授や恩田助教授には見慣れた風景だ。


「さて、このボタンを押すとカプセルの蓋が

開きます。これは恩田先生に押していただき

ましょうか。よろしいですね、教授。」


「どうぞ。」


 結果を知らされていないのは教授も同じだ

ったが、ここは夫っである恩田に譲ったのだ。


 恩田助教授が開閉ボタンを押した。小さな

機械音と共に蓋が持ち上がる。そこには全裸

の恩田沙織さんの身体があった。本来なら体

温を下げるために低温に保たれているはずの

内部だったが、温度は時間をかけて徐々に上

げられていた。体温は36.5度まで上がっ

てる。

 

 恩田沙織の身体は全身が綺麗だった。見え

る範囲の身体には手術痕も見られない。頭髪

もウイッグではなく地毛で頭部にも手術痕が

無かった。


「これは一体何をどうしたと言うのだ。」


 恩田助教授が不思議に思うのも仕方なかっ

た。1週間前、最後に恩田が見たときにはも

ちろん痕もたくさんあった。頭髪は全部剃っ

ていたので頭部にも痕があったはずだ。何か

異様なことが行われた、としか思えない。


「何をどうしたか。それはお話できません。

また、お聞きにならない方がお互いの為だと

思います。僕も桂田さんも絶対に話さないで

しょう。何をしたか、はこの際どうでもいい

のではないでしょうか。問題は結果です。」


 その通りだった。本人の意識が戻れば、ど

んな治療(?)であっても問いただす必要は

ない。


 そんな話をしている中、徐に恩田沙織の指

が動いた。


「今、指が動きましたね。」


 そして、次々に色々なところが動き出した。

各々が別の意思をもって動いているかのよう

に見えるのが気になるところだ。そしてつい

に瞼が開いた。


「沙織、判るか?僕だ。」


 恩田助教授は顔を近づけて話しかけた。


「こ、う、じ、ろう、さん?」


「そうだ、僕が判るんだね。」


 恩田沙織は不思議そうに辺りを見渡した。

父である新山教授は椅子に倒れこんでいる。

見慣れない顔が数人。


「私は、どうして。なぜここに?何があった

の?」


 沙織の最後の記憶は父が自分を覗き込んで

いる所だ。生物学教室の奥に特別に作られた

実験室のベッドにずっといたはずだった。


「成功のようですね。」


 杉江が少し控えめに喜びを表現した。桂田

は相変わらず不満そうだ。


「私の用はこれで終わったはずだから、もう

関わらなくていいだろう。杉江君、君も程ほ

どにしておくべきだ。」


 そう言われて杉江はただ頷いた。


「説明は、してくれんのだろうね。」


 満面の笑み、とはいかない新山教授だった

が娘の意識が戻ったことは間違いない。感謝

の気持ちは十分ある。ただ、その方法は。


「できません。そうお約束した筈です。綾野

先生も証人としていてもらったのは、そこが

大切だからです。あとは、恩田先生の元で徐

々に回復に向かうと思います。僕の仕事もこ

こまでです。それと教授、僕は今日でここを

辞めさせていただきます。今回のことは特別

です。何かの技術的な話で、以後の医療に応

用できるとか、そういったことではないから

です。それと、万が一どこからか、この内容

が漏れたときに、先生方にご迷惑がかかるこ

とが心配です。今まで本当にお世話になりま

した。」


 杉江の申し出は新山教授には十分予想でき

たことだった。綾野にとっても同様だ。


「それで、これからどうするんだ?」


 一人の友達として岡本浩太が聞いた。


「まあ、またどこかで会うこともあるだろう。

その時は、もしかしたら敵味方に分かれて相

対する、なんてこともあるかも知れないね。」


「杉江君、それは一体どういう意味、」


「綾野先生、大学を退職してアーカム財団に

入るそうですね。先生とはそれほど遠くない

時期に再開する気がします。」


 綾野の言葉を遮って杉江が応えた。


「わかった。敵として現れたときには手加減

も容赦もしない、それでいいんだろう?」


「ありがとうございます。そう言っていただ

けると思っていました。では、僕はこれで。」


 杉江が退室すると、いつの間にか桂田も居

なくなっていた。


 杉江の正体は判らず仕舞いであり、桂田も

結局その本質は判らないまま。人類の敵なの

か、味方なのか。今回はまだいい方に進んだ

が、それはあくまで個人的な繋がりのお陰だ

った。それを以後も期待するのは、虫が良す

ぎるというものだ。


「浩太には、早い段階でミスカトニック大学

に行ってもらうことになるかもしれないね。」


 恩田沙織が意識を戻した喜ばしい場面にも

関わらず、部屋全体の空気は重く、重く感じ

られるのだった。


 その重く重い空気の中、部屋に一角に変化

が現れた。靄のようなものが少しづつ濃くな

っていく。そして漆黒の闇となった。


「まさか。」


 そこから現れたのはナイアルラトホテップ

その人だった。


「色々と面白いことになっているようだな、

ミスター綾野。」


「いったい何をしにここに。」


「そう邪険にするものではない。少しこちら

も面白いことになっているので、教えてやろ

うと態々やってきてやったのだ。実はここの

ところ我が掛かりっきりになっておることが

ある。それは、我が主が地球人と入れ替わっ

てしまった件だ。」


「なっ、なんでまたそんなことに。」


「我に言うでない。それが判れば苦労はしな

い。お前たちに関わっている暇はないのだ。

だが、我が子孫であるお前に一言知らせてや

ろうと思ってな。我々のような長い生を受け

ている存在であっても想像がつかないことが

起きる。だから面白い。いずれにしても早々

に解決し、また再び見える日が来るであろう、

その日まで精々足掻くように。我が主の封印

が解かれる日も近いのかも知れんぞ。」


 大変な事態だった。アーカム財団は認知し

ているのか。


「まあ、これ以上はまたいずれ、ということ

だ。」


 そう言ってナイアルラトホテップの姿は闇

へと消えて行った。

 

「先生。」


「アサトースが地球に。人間と入れ替わって

いるなんて、どう対処すればいいのか。」


 アーカム財団に連絡し調査してもらうよう

要請する以外、何ら対処法が思い浮かばない

綾野たちだった。

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