第5話 ファースト・アタック
ベッドだけが置かれた殺風景な部屋。
そこが今日から俺が暮らすことになる新しい居場所だった。
思わず周りを見渡してしまう。
無意識の内にPCを求めてしまっていた。
PCが無い暮らしって違和感しかねえな。本当にやってけるかな。
ネガティブな思考に陥りそうになり首を振る。
そんな考えじゃダメだろ。やり直すって決めてここに来たんだから。
念のため俺は外に出てから魔法を試してみる事にした。
レイラが言っていたレイボルト草原という場所の道中にある林で魔法の試し打ちをしに行く。
本当はレイラが居る方がいいと分かっているのだが、魔法に対する好奇心の方が上な為我慢するにも限界があるというもの。
よし、じゃあ先ずは。
「ウィンド!」
…………あれ?
「ウィンド…………」
ヒュゥ――。
吹いてくる風は俺の起こしたものではない。自然に吹いてくるものだ。
まあ、誰だって最初はこんなものだ! 次やろ次っ!
「フン!」
気合を入れて俺が魔法に再チャレンジしようという時だった。
ガサガサ、ゴォォォォオオオン!
突然何かが駆けてくる音が聞こえたと思ったら、すごい衝撃音が辺り一面に響き渡った。
嫌な予感がし、じわじわと後ろに下がっていくと――見えた。正面の木の向こうで何かが動いているのが。
俺が生唾を飲み込むと、恐怖に呼応したかの如く姿を現したそれは猪のような姿をしている生き物だった。
その生き物がこっちをギロリという効果音が似合いそうな目で睨み付けてくる。二本の牙が妖しく光った。
おいおい、これまずくないか?
若くなっただけでゲームみたいに残気があるわけじゃないんだ。死んだらそこで終わり。
そう考えると自然と足が震えてきた。
何とか逃げようと試みようにも少しでも動いたら攻撃してきそうなプレッシャーを放ってきている。
いつの間に酸素を取り入れる量が減ったのか胸が苦しく、呼吸するのも辛くなってきていた。
これ、死んだフリ通じないかな。
話を聞く限りだともう魔法を使えるらしいのに、さっき発動しなかった経験が脳裏を過り思わず消極的な考えばかりが頭に張り付いてくる。
いつまでも相手が様子を窺うわけもなく、突っ込んできた。しかも予想以上に早く。
「くっ、動けぇえええええっ!」
俺は必死に重い身体を横に傾けた。
間一髪のところで何とか躱したが、その一撃で諦めるわけもなく。
「くそっ!」
大きな円を描くようにして向きを変え、勢いをほとんど殺すことなく迫ってきた。
このままじゃ避けきれないのは見て明らか――俺はほぼ無意識に片手を前に出すと。
「ウィンド――ッ!」
相手を遠ざけたいというその一心で魔法を詠唱していた。すると。
「ブゴッ」
その猪のような生き物は顔を横にブルブル振って、興奮が治まったのか後ろを向くとどこかに去って行った。
「ふぅー。一先ずこれで安心、か」
それにしても今のが魔法というやつだろうか。咄嗟のことでよくわからなかったが、突き出した手から出た風圧が相手の顔に当たったように見えた。
俺は魔法を出せた喜びより先にどっと疲れが押し寄せそこそこ生えた草むらの上に寝転がった。
そのまま生きてることを実感するように大の字に寝転がると自然に溶け込みながら、俺は色々な魔法を使えるパターンを模索していくことにする。
結局幾通りかの実験の末に魔法を使うのに大切なのはイメージということが発覚した。
最初の不発は俺が何も考えずに呪文を言っただけだったからだ。
一通り魔法のことも理解できてきた俺は結構疲労していたこともあり、寮に帰っていた。
魔法のコツも掴んだし、これで備えられることには備えた。夕食の時間までまだあるな。
俺は少し堅そうなベッドの上に飛び込む。
やっぱレイラのベッドより少し堅いな。
昨日寝ていないということもあってか、直ぐに眠気が来た。
そのまま眠りについた俺が次に目を覚ましたのは次の日の朝だった。
やらかした……。
急いで寝癖を整えると、寮の中にある食堂に行った。
そこで周りの生徒を見習い注文すると、パンだけを買ってすぐに朝食を済ませる。
そのまま学園に向かうと、昨日受付をした場所に行った。そこで昨日会ったお姉さんがいた為話しかける。
「すみません。昨日こちらで手続きをしたものですが」
「はい。スルガ・ダイキさんですね。少し待っていてもらえますか? 今から案内の方をお呼び致しますので。後、こちらが制服になります。更衣室はございませんので、あちらの隅でお着替え下さい」
「わかりました。ありがとうございます」
受付のお姉さんから受け取った制服に着替えると、驚くほどサイズもぴったりだった。
しばらくしてから、受け付けの奥の部屋に姿を消していたお姉さんがこっちに戻ってくる。
「今こっちに向かっていますので少々お待ち頂けますか?」
「はい」
どうせなら、可愛い子だといいな~。
どんな人が来るかと考えているうちに入口から一人の見慣れた女生徒が来た。
「貴方が今日から編入するダイキさんですね。わたしはレイラ・ローウェルと申します。これから同じクラスになりますので、よろしくお願いしますね」
そうやってレイラは綺麗な動作で礼をする。
驚いている俺の反応を楽しんだとばかりに顔を上げたレイラはちょろっと舌を出した。
「なーんてね。でも、一緒のクラスになれてよかった」
俺と一緒になったのが嬉しいからじゃなくて、監視しやすくなったからって意味なんだろうな、これ。
「俺も同じクラスになれて、なんつーか、安心したよ。その、これからよろしくな」
誰も知らない場所で一人じゃないとわかり嬉しい反面、同じクラスでずっと監視し続けられるかもしれないという憂鬱さも少しだけあったりするが。
「じゃあ、行きましょ。ついてきて」
レイラに言われるまま、後ろからついて行くことした。
「ここがわたしたちの教室よ」
そう言って、レイラに案内された教室は『2-A』と書かれている。
遠目からだが、一番奥にある教室には『2-C』と書かれていた為、1学年、大体3クラスと予想できた。
レイラに続いて俺も教室に入る。
当然のことかもしれないが、名前も顔も知られていない俺はこれからクラスメイトになる学友たちの視線を四方から浴びていた。
「えっと、まあ、席は自由なんだけど」
「ちょ、あっ」
レイラに首根っこを掴まれる。
そのまま逆らうわけにもいかず、真ん中の方に誘導された。
「ここが空いてるわ」
レイラは有無を言わせない笑顔でそんなことを言ってきた。
「ああ、サンキュ」
「当たり前のことよ。気にしないで」
そう言って俺の真後ろの席にレイラは座った。
こうもあからさまに監視されると清々しい気分で何も言う気になれないな。
周りの生徒もレイラの妙な空気を察してか、俺の方を見ることはあっても、話しかけてくることはなかった。
初日から不安だらけの学園生活はこうして始まりを迎え、俺は講義が終わった後、席を立つ度にレイラにマークされる始末。
流石にトイレの中まではついて来ないが、トイレの前で鼠一匹見逃すまいと待機している。
責任感も強すぎるとここまでなのか……。
正直、引くレベルだった。
この世界の歴史や魔法についての前知識がない分、講義で頭を酷使したというのにさらにこの徹底っぷりでクタクタだ。
これは早めに何か対策しないとハーレムを作るどころじゃないな。
今も午後の講義が始まるまで、大人しく席に着いているのだが、その間も後ろから視線が刺さり続けている。
「なあ、レイラ。もう少し俺を信じてくれてもいいんじゃないか?」
実は、異性からこれほど注目された経験がなかった為、落ち着かなかったりもする。
それにレイラは客観的に見ても、美少女に分類される容姿の持ち主だ。そんな子から学園中付きまとわれ、変な噂が流れてしまうのは避けたかった。
「信じられると思う?」
俺はため息を吐くと、自分の席に突っ伏した。
どうやら俺は魔法と引き換えに信頼を失いすぎたらしい。
こうなったら…………レイラから攻略するか!
短絡的なのかもしれないが、それしか方法は思いつかず、俺はハーレム要員の一号としてレイラを最初の標的として定めることにした。
計画を練ること三日。俺は学園の授業に組み込まれた魔法実技を利用することにした。
その為の策は既に一つ打っている。
昨日の午後、初めて実技がある事を知り、密かな練習で魔法を行使すること自体は問題ないのだが、敢えてレイラの前で全然魔法を使えない演技をした。
俺が実技に苦戦している姿をレイラが見ていたことはもちろん確認している。
ここで魔法の指導を頼んで断るとも考え難い。
問題ない! これでいけるはずだ!
「なあ、レイラ。ちょっといいか?」
午後の講義が終わり、帰り支度をするレイラを呼び止めた。
「何?」
「その、ちょっと、あっちで相談があるんだ」
怪しむ視線をレイラはこっちに向けてくる。
「いいわ」
緊張の所為か少し冷や汗を掻いてしまい、服が背中に張り付く。
校舎を出て、近くに誰もいないことを確認した。
「その、恥ずかしくて言い難いんだが」
「何よ」
「今から魔法の特訓に付き合ってほしいんだ」
「あー」
演技とは言え、実技で全く魔法を発動することができなかった結果を知っている為、流石のレイラも苦笑いだった。
本当は誰にも聞かれないように耳元で言いたかったのだが、流石にそれは俺の心臓に悪い。
どうだ。この状況ならさぞ、断り辛かろう。
「分かったわ。そういうことなら、わたしに任せなさい! しっかり面倒見てあげる」
憐みの目に若干精神的傷を負ったが、そんなのは些細な事。
俺はレイラと一緒に、学園の裏にある人通りもない森へと向かった。
「ねえ、ここで練習するの?」
「できる限りこういうの人に見られたくないんだ」
「そういうとこは意外と真面目なんだ?」
「俺はいつだって真面目だよ」
もちろんこの場所を選んだことにも理由がある。
森に入る前に柵があるのだが、そこの近くに置いてある看板に『魔物に注意!』と書かれているのだ。
この際、使えるものは全て使わせてもらおう。
「じゃあ、教えてもらっていいか? 先ずは手本を見るのが一番だと思うんだ」
「そうね。じゃあやるから、よく見てなさいよ」
そう言って、レイラは姿勢を正し、目を閉じた。
「ファイア」
レイラが呪文を唱えた瞬間、急に出てきた小さな炎の波が足元の周りを囲んだ。
講義で少し習ったが、『ファイア』や『ウィンド』は下級魔法というらしい。
「おおー」
「まあ、こんな感じよ」
えっへん、とでも言いたそうな得意げな顔でレイラはこっちを見てきた。
どうやらレイラは感覚派――つまり説明が苦手なタイプのようだ。
「実技でやってたあれも見せてくれないか」
「しょうがないわね。ちゃんと見てなさいよ」
レイラは空に向かって右手を掲げた。
上げた右手から炎が発生し、それが少しずつ膨らみサッカーボールくらいの大きさの球になる。
「ファイアボール!」
呪文を唱えた後、空に火の玉が上がった。
実にわかりやすい浪漫のある魔法だ。まあ、俺も似た魔法なら使えるが地味なんだよな風って。
「すげぇ……」
「本当はもっと威力、あったんだから……」
何故か突然レイラは顔を赤くした。
まだ二回しか魔法を使っていないはずだが、疲れたのだろうか。
「魔力って下がったりするものなのか?」
「うー、この男は」
次は憎らしそうな目で睨まれた。
「アンタに、魔力のコア、分けたでしょ!」
それで魔力も下がるとは初耳だった。
それが分かっていて、それでもレイラは俺に魔法を使えるようにしてくれたのか。
「なんか、すまない。知らないうちに色々迷惑掛けてたみたいだな」
「いや、まあ、それは別にわたしから提案したわけだし、その、あーもうっ!」
レイラが両手を握ったまま、空に掲げた時だった。
ガサガサ、ガサガサ。
音のする方に視線を向けると、そこから狼みたいなものが現れた。
やっとお出ましか。来ないんじゃないかって少し冷や冷やさせられたぜ。
俺はレイラを庇うような配置で前に出ると、狼みたいな魔物と向き合った。
女の子というのは褒められることに弱い生き物だ。だからこそ、この勝負は俺が前に出ることに意味がある。
勝つ気など毛頭なかった。
「えっ? ちょっと、ダイキ!?」
「丁度いいから実戦してみようかと思って。それにレイラはアイツに攻撃できないだろ?」
「わたしだって撃退くらいなら、目を閉じさえすれば、多分、できるわよ……」
レイラの声が段々と消え入りそうなほど小さくなっていく。
額から汗が出てきた。
これ、ちょっと、先走り過ぎたかもしれない……。
レイラが思った以上に期待できそうになかった。
俺は右手を前に構えた。
さっきのレイラが空に向けて放った技。炎ではないが、俺もあれと似た技は出せたりもする。
レイラは『ファイアボール』と唱えていたが、恐らくあれも最初に使った『ファイア』の応用なはずだ。イメージしやすいように呪文を変えただけなのだろう。
まあ、ここまでやっちゃったし、後はあの少女を信じてみようか。
俺は相手がこっちの様子を窺ってるうちに先手必勝と言わんばかりに仕掛ける。
「ウィンドボール!」
「……へ?」
レイラの気の抜けるような、マヌケな声だけが聞こえてきた。
まあ、俺の魔法が不発だった為、当然と言えば当然の事なのだが。
それを合図にしたかの如く、魔物がこっちに走って来た。
頼んだぜ、レイラ!
「もうアンタは! そこ、どい――わっと」
ドタン。
この急かしすぎた状況が悪かったのか、レイラは足を縺れさせ転んだ。
おぃいいいいいい!
攻撃ができるできない以前の問題だった。
狼はもう目前まで迫っている。
「んのぉおおおおおっ! ウィンドボールッ!」
気合で目前まで迫っていた狼に風の弾丸をお見舞いした。
的中した狼は俺の予想を超えて遠くに吹き飛んでいく。何故だか昨日より手応えのある威力に感動して、だからこそ――気付けなかった。
「ダイキッ!」
背後からレイラの切羽詰まったような声が聞こえた。
ここまで近づかれたら、魔法も間に合いそうにない。振り向くともう一匹いたのだ。狼の魔物が。
俺は覚悟を決めて目を瞑った。
ああ、最後にこんな俺なんかが少しの間だったけど、美少女と話せて良かった。出来ればレイラには自分を責めないで欲しいんだけど、まあ、無理だよな。
レイラに「ごめん」と、そう伝えようとした時だった。
「ボルト!」
急な聞きなれない声に目を開けると、目前まで迫っていた狼の腹を穿つように槍が飛んできて、そのまま奥の木に刺さる。
槍の飛んできた方を見ると、鬼のような形相でこっちを睨み、青いポニーテールの髪型をしている、レイラと同じ制服に身を包んだ少女がいた。